2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧

選挙ほどの熱量(うすぎたないものだが)を、再版にそそいでいるだろうか。とんでもないことだ。せいぜい20分の1だろう

2025年大阪万博は、たとえば「大谷さん」に勢いをもっていかれたのではない。もともと勢いなどなかったのだ。消費文化の側も、それをまるで理解しない。放り出しているだけだ。バラバラで情けない。

歴史上「すごい自作の売り方」をしたマンガ家3選(補足情報の予定あり)

週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選 週刊ビッグコミックスピリッツ史上最も重要なマンガ5選 週刊ヤングマガジン史上、最重要な漫画10選 月刊アフタヌーン史上、最重要な漫画10選 月刊コロコロコミック史上、最も重要な漫画10選 漫画アクション史上、…

建物以外のすべての公共文化財に、カネヒトモノ土地、一度に約30億円以下しか出す必要がない、という結論。これが文化の存在理由にかかわる問題だと感じられなかったら、はっきりいって何か決定的に無神経だ。文化への支援を訴えていて、かつ、本当に建築以外のすべてのものに一度に約30億円出す必要がないと考えているはずなのに。

梶村秀樹先生の評価を遅らせる原因は何か その1

梶村秀樹先生の評価を遅らせる原因は何か 2つの大阪万博の評価を遅らせる原因はなにかこの2つの検討をすることにした。 かなり前例のない検討だが、中途半端に情報集めするより、この検討をすることが最善だと結論した。 梶村秀樹先生の評価において、先鋭…

岡本太郎氏の「音楽白痴論」の問うもの(メモ)(論理的には何らかの段階の何かが欠けていると思いつつ、あえて残している。)

『響け!ユーフォニアム』が貫いた「原作改変」の美学|藤崎剛人『ユーフォ』を見ていない前提で。音楽は、人が人を殺すことを止めさせることは絶対にない。それどころか人殺しに加担した。アウシュビッツ収容所の虐殺に、「音楽で収容者をなごましてだます…

梶村秀樹先生の評価を遅らせる原因は何か 2つの大阪万博の評価を遅らせる原因はなにか この2つを追求しはじめる。うんざりだまた嫌がられるだろうから、でも、これが結局一番他人に効果があって精神衛生にいい。

わたしの、本気の反万博論 その141 団塊の世代も、ロスジェネ世代も、ろくに現実が分かっていない、情けない。『太陽の塔』どころか『明日の神話』なみのものを「作ること」すら、必要とされていない、欲しいと感じられない、カネヒトモノトチ全部与えられない。この三大条件をはっきり言わない。なんのための学問か、何のための経験かわたしにはまるでわからない。

中身のない表現の自由の連呼と、中身のない承認欲求の連呼は同一理由による。 神でなければ、宇宙に捧げればいいではないか。 せめて、できないものをできないと言えないなら、心からの尊敬など絶対にえられない。当たり前の話だ。

「戦争証言アーカイブス」収録の、トラック島配属将兵の将兵1人、第65連隊の将兵1人の証言を再読(全文読む)

戦争|NHKアーカイブス 1926年 東京府向島区寺島町(現・東京都墨田区)に生まれる 1943年 都立向島商業学校卒業 1944年 2月、第4艦隊施設部軍属としてトラック諸島へ 1945年 トラック諸島薄島で終戦を迎える 1953年 中央大学を卒業し実家の旅館業 その後青…

『戦争と平和』(トルストイ作、米川正夫訳)上巻P321―P360(校正前)

400/401ういう楽しい信仰を学ぶのに、いったいどんな悪があるのですか? また、たやすく物質的補助を与えることができるにもかかわらず、多くの大が病気のために頼りなく死んで行く。ところがそれらの大に医師や病院を与え、また老人に養老院を与える…

『戦争と平和』(トルストイ作、米川正夫訳)上巻P321―P360(校正前)

360/361妙な合点のいかぬ響きを聞いた。ナターシヤは、くしゃくしやになって渦巻いてら・彼の黒い髪の毛に接吻した。このとき伯霖夫人の忙しげな衣摺れの音が聞えだ。彼女は二人のそばへ近づいた。 「ジェニーソフさん、お志はまことに有難うございま…

「戦争証言アーカイブス」収録の、第107連隊の将兵5人の証言を再読(全文ではない)

戦争|NHKアーカイブス 1917年石川県鹿島郡赤蔵村にて生まれる。 田鶴浜高等小学校卒業 1938年現役兵として第1補充員として入隊。河北省キュウケンにて鉄道の警備 1940年復員 1941年招集 1943年歩兵第107連隊にてミレー島へ。当時26歳。 1945年中部太…

『戦争と平和』(トルストイ作、米川正夫訳)上巻P321―P360(校正前)

320/321の向う側には、ピエールとネスヴイーツキイとがならんで坐っていた。ロストフ伯爵はその他の幹事連とIしょに。バグラチオソの真向いに席を取って、モスクワ市の歓迎の熱意を一人で代表したように、公爵を款待していた。 彼の努力は齠蜘に終ら…

『戦争と平和』(トルストイ作、米川正夫訳)上巻P281―P320(校正前)

280/281パイプは長靴の胴へ、袋は行李の中へかくし、叉銃を解いて整列した。将校連はボタンをかけ、軍刀や背嚢をつけ、大きな声でどなりながら列の間を廻っている。輸卒や従卒は馬を車欄につけたり、行李を積みこんだり縛ったりしている。副官や、大…

『戦争と平和』(トルストイ作、米川正夫訳)上巻P241―P280(校正前)

240/241永久に引き分けたくないのでございます。わたしは結婚したく池りませんの。」かの美しい眼でヴァシーリイ公爵と父とを見辛えながら、彼女はき。ぱりと言いはなった。 「くだらんことを、馬鹿なことを! 馬鹿、馬鹿、馬鹿!」‘と眉をひそめつつ…

強いものにすりよるニヒリズムの政治責任 万博をみているとよくわかる、自分で商品をつくらないといけないから

頭から大量の血を流している中村哲氏が、それでも水路を指して、「これがわたしのやりたかったことなんですよ」、本当にいい笑顔でいう、想像が浮かんだ。なんでだろう。

メモ youtubeで見ることができる、「ドローン産業」と「空飛ぶ車」の情報

20241011 ■50-■20、30分、 「ドローン 解説(日本語圏)」→視聴回数順、8000回再生レベルの分までチェック ロシアウクライナ戦争、ドローン操縦初心者、ドローン侵入事件、法令と試験対策 個人がドローンの各商品を解説している ドローン…

「戦争証言アーカイブス」収録の、第34連隊の将兵2人の証言を再読(全文ではない)

1923年 静岡県金谷町に生まれる 1943年 歩兵第34連隊入隊 1944年 湘桂作戦に参加 1945年 終戦 1947年 復員後は、茶農家を営む 1921年 静岡県焼津市に生まれる 1942年 歩兵第34連隊入隊 1944年 湘桂作戦に参加 1945年 終戦 1946年 復員後は、農業を再開し、茶…

再開は、梶村秀樹先生の執筆物の紹介からしようか

『戦争と平和』(トルストイ作、米川正夫訳)上巻P201―P240(校正前)

200/201と平和 歇爭 た、 「檠せてあげろ。乗りたまえ、・君、乗りたまえ。おい、外套を敷吟、アントーノフ。」 この見習士官は口久トフであった。片手を支えている彼の顔は耆白く、下頤は熱病的な痙攣にがたがたとふるえた。彼はマトヴェーヴナー・…

「戦争証言アーカイブス」収録の、第23師団の将兵1人の証言を再読(全文ではない)

戦争|NHKアーカイブス 1923年小笠原村・父島に生まれる 戦前、日立製作所に勤務 1944年現役兵として甲府で入隊、満州へ フィリピン防衛に動員され、ルソン島へ 1945年歩兵第64連隊の機関銃中隊分隊長として戦う 重傷を負い、ルソン島の米軍病院に捕虜として…

「戦争証言アーカイブス」収録の、第10連隊の将兵3人の証言を再読(全文ではない)

1923年 福井県鯖江市に生まれる 1941年 舞鶴海軍工廠にて働く、歩兵第119連隊入隊後、ビルマ戦線へ 1945年 終戦 1947年 復員後は、左官業を営む 1922年 島根県浜田市に生まれる 1942年 歩兵第119連隊入隊、ビルマ戦線へ 1945年 終戦 1946年 復員後は、島根県…

『戦争と平和』(トルストイ作、米川正夫訳)上巻P161―P200(第一回の校正中)

20250201 4分、記録をつけないですむので気が楽、 4分、記録をつけないですむので気が楽、 4分、記録をつけないですむので気が楽、 4分、記録をつけないですむので気が楽、 ■55―■40、45分、P163からP166まで 校正、 4分、記録をつ…

わたしに冤罪問題について教えてくれたapemanさん、体調が悪いようだ……

袴田氏の釈放の時非常によろこんでおられた。 一緒に無罪確定を喜びたかったのだが。 とにかく冤罪問題について引き受けよう。 2024年10月17日、ブックマーク追記 袴田事件、再審開始の決定下る! 本日、釈放へ! - apesnotmonkeysの日記

『戦争と平和』(トルストイ作、米川正夫訳)上巻P121―P160(2回目の校正おわり)

2024127 ■25-■55、30分、ざっと、P121-P130 20241128 ■11-■10、59分、ざっと、P131-P150 20250131 ■00-■59、59分、P121からP130、校正 20250131 ■00-■59、59分、P121か…

『戦争と平和』(トルストイ作、米川正夫訳)上巻P081―P120(2回目の校正おわり)

20241026 ■45-■39、54分、ざっと校正、P081-P092 ■44-■14、30分、ざっと校正、P093-P100 ■03-■33、30分、ざっと校正、英語?あとまわし、P101-110、(もう一回P101-110しないと) 2024102…

メモ 岡本太郎と丹下健三の、万博についてのやりとりの記録。

岡本太郎と丹下健三の、万博についてのやりとりの記録。 丹下健三側から、『丹下健三建築論集』 「対立をふくんだ芸術の協同」の章に岡本太郎の名前あり。信用をしてはいるということらしいが、部分的ともいえる。 『丹下健三都市論集』 「万国博覧会会場――…

「戦争証言アーカイブス」収録の、日本軍所属の従軍看護婦7人(勤務地は病院船、満洲、フィリピン、ビルマ)の証言を再読(全文ではない)

1921年生新潟県佐渡郡に生まれる。 1941年日赤看護婦養成所新潟支部卒業。召集、病院船に勤務。2年間、朝鮮半島北部から南はラバウルまで、太平洋を22往復して患者輸送にあたる。 1945年8月、広島の大野陸軍病院で原爆患者の救護に当たる。戦後は、新潟県や…

「戦争証言アーカイブス」収録の、陸軍軍医および衛生兵4人の証言を再読(全文ではない)

1915年北海道苫小牧市に生まれる 1937年北海道大学医学部入学 1941年卒業後、同校医学部副手(教務補佐員)を経て樺太内幌砿業所病院に外科医として勤務 10月、短期現役軍医になり、翌年、路安陸軍病院に配属 1945年路安陸軍病院で終戦。当時軍医大尉 1946年…