『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

公開投票受付中プラス梶村秀樹先生の年表(工事中)

注釈メモ 「論説 旧韓末北関地域経済と内外交易」「朝鮮語で語られる世界」「竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」「朝鮮からみた明治維新」「歴史と文学 朝鮮の場合」「解放前の在日朝鮮人運動史」「解放後の在日朝鮮人運動」「定住外国人としての在日朝鮮人」「論文「自立した関係をめざして」に対する私の意見」「論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見」など(梶村秀樹) - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]
梶村秀樹先生の著作物・執筆物のうち、校正が完了したもののリスト(工事中) - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

梶村秀樹先生の重要著作物の復刊は、2023年01月時点で、まだ先。あと6カ月はかかりそうだ。
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梶村秀樹先生の執筆物のランキング(「私」の選択)
1位 『朝鮮語で語られる世界』
2位 『排外主義克服のための朝鮮史
2位 『論説 旧韓末北関地域経済と内外交易』
2位 『定住外国人としての在日朝鮮人
2位 『朝鮮からみた明治維新
2位 『なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか』
3位 『排外主義克服のための朝鮮史
4位 『解放後の在日朝鮮人運動』
4位 『白凡金九』『東学史』『常緑樹』の翻訳
4位 『朝鮮における資本主義の形成と展開』
4位 『朝鮮史 その発展』
5位 『論文「自立した関係をめざして」に対する私の意見』『論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見』
5位 車承棋氏の『梶村秀樹の「未発の契機」一植民地歴史叙述と近代批判-』で引用されている論文すべて――「“やぶにらみ”の周辺文明論」「朝鮮近代史の若干の問題」「日本帝国主義の問題」「現在の『日本ナショナリズム』論について」「朝鮮近代史研究における内在的発展の視角」
5位 『申采浩の朝鮮古代史像』『申采浩の啓蒙思想』『申采浩の歴史学
5位 『一九二〇~三〇年代朝鮮農民渡日の背景――蔚山群達里の事例』
5位 『歴史と文学 朝鮮の場合』
6位 『朝鮮史の枠組と思想』収録論文


かなりしぼって選んだ。2位の4本プラス1本は、梶村秀樹先生の視野の広さから考えて、どれもおとせない。最後につけくわえた『なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか』、これは短すぎるから(実はそれだけではないのだが)、あとにつけくわえた。『排外主義克服のための朝鮮史』は別格として(この「別格」という認識がいろいろ問題をひきよせているのだが)、翻訳の仕事、特にあの3冊は絶対にはずせない。




梶村秀樹先生を研究対象とした論文のランキング
1位 車承棋氏、『梶村秀樹の「未発の契機」 : 植民地歴史叙述と近代批判(論文)』
1位 中野敏男氏、『「日本の戦後思想」を読み直す(7)「方法としてのアジア」という陥穽--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯』『「日本の戦後思想」を読み直す(第8回)植民地主義批判と朝鮮というトポス--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯(その2)』(季刊前夜


「全体を見ろ!」という教え

1910年、竹内好、生まれる。
1935年、梶村秀樹先生、生まれる。
1964年、梶村秀樹先生、『竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈』『「日本人の朝鮮観」の成立根拠について――「アジア主義」再評価論批判』、このとき、竹内好54歳、梶村秀樹29歳。重要さで上位5位に入る、きわめて重要な論文の1つ。
1965年、日韓条約、おおくの反対のなか締結されてしまう。
1965年、梶村秀樹先生、『現在の「日本ナショナリズム」論について』、竹内好批判。梶村先生の一生の仮想論敵だった。
1965年5月と7月、安丸良夫氏、『日本の近代化と民衆思想』上下(日本史研究 = Journal of Japanese history / 日本史研究会 編)を発表。
1968年、梶村秀樹先生ら、『シンポジウム日本における朝鮮研究の蓄積をいかに継承するか』、ここで部落差別発言が出る。
1969年、梶村秀樹先生、『私の反省〔本誌昨年12月号掲載・座談会「日本における朝鮮研究の蓄積をいかに継承するか」に関連して〕』
1969年、梶村秀樹先生、『申采浩の歴史学――近代朝鮮史学史論――』
1970年7月7日、華僑青年闘争委員会による、いわゆる「華青闘告発」。梶村秀樹先生の「排外主義克服のための朝鮮史」全三回の講義は、この告発に答えるものであった。
1970年11月、梶村秀樹先生、『東学史――朝鮮民衆運動の記録』(呉知泳)(平凡社東洋文庫)の翻訳
1971年、梶村秀樹先生、『排外主義克服のための朝鮮史』(第1章)。重要さで上位5位に入る、きわめて重要な論文の1つ。
1973年、梶村秀樹先生、『白凡逸志――金九自叙伝』(金九)(平凡社東洋文庫)の翻訳


1974年、梶村秀樹先生、『植民地と日本人』、植民者としての日本人批判
1974年、安丸良夫氏、『日本の近代化と民衆思想』(青木書店)。たぶん、梶村秀樹先生は1965年前後に「通俗道徳論」を読んでいる。
1975年、梶村秀樹先生、『朝鮮語で語られる世界』という講演をする。のちに活字化。重要さで上位5位に入る、きわめて重要な論文の1つ。
1977年1月、梶村秀樹先生、『朝鮮における資本主義の形成と展開』(龍渓書舎)
1977年10月、梶村秀樹先生、『朝鮮史――その発展』(講談社現代新書
1977年11月、安丸良夫氏、『「民衆思想史」の立場』(一橋論叢)を発表、CiNiiで閲覧可能。

1978年、梶村秀樹先生、『植民地朝鮮での日本人』、植民者としての日本人批判
1978年、梶村秀樹先生、『申采浩の朝鮮古代史像』発表。

1977年、竹内好、死去
1977年、梶村秀樹先生、『亜洲和親会をめぐって――明治における在日アジア人の周辺』
1977年、梶村秀樹先生、『申采浩の啓蒙思想』を発表。
1980年7月、梶村秀樹先生、『解放後の在日朝鮮人運動』(神戸青年学生センター)、現在でも購入可能。
1980年、梶村秀樹先生、『朝鮮からみた明治維新』、この論文を読むと、竹内好氏だけでなく、安丸良夫氏も仮想論敵だったのではないかと推測される。また、この論文から梶村先生の(おそらく父方)祖父が貧農~中農出身で出世競争に負けた(実態はもっと複雑)ことに挫折感をいだいていたこと、また梶村先生の父親が裁判官であり、いわゆる大正教養主義に傾倒していたこと、戦時中は鬱屈をかかえながら業務をしていたこと、そして梶村先生がそれにたいする反発から、あまり役に立たなそう(失礼だが梶村先生はそう考えていたようだ)だが広い世界を見せてくれるだろう学問の世界にはいったことが語られている。
1981年2月、梶村秀樹先生、『植民地支配者の朝鮮観』(『季刊 三千里』)、植民者としての日本人批判
1981年2月、梶村秀樹先生、『朝鮮現代史の手引』(勁草書房
1981年10月、梶村秀樹先生、現代語学塾常緑樹の会と共に『常緑樹』(沈熏)の翻訳。この翻訳作業はそうとうエネルギーをそそぎこんだものであることに注意。
1982年4月、『朝鮮史の枠組と思想』(研文出版)
1983年、梶村秀樹先生、『朝鮮を通してみた天皇制の思想――さめた思想』
1984年、梶村秀樹先生、『歴史と文学』を発表。
1985年、梶村秀樹先生、『定住外国人としての在日朝鮮人』。重要さと(多少下品な言い方だが)有用性では上位5位に入る、きわめて重要な論文の1つ。「国境をまたぐ生活圏」という単語が登場したのはこの論文。実は、「私」が著作集収録論文を調べた限りでは、「国境をまたぐ生活圏」という単語はこの論文だけである。
1986年1月18日、石母田正氏、死去。梶村秀樹先生は、石母田氏の幸徳秋水批判を一面的と批判。
1986年、梶村秀樹先生、『「旧朝鮮統治」は何だったのか』、植民者としての日本人批判、
「 『朝日新聞』大阪本社版に「語り合うページ」という欄があって、そこで昨年の六月から八月にかけて「旧朝鮮統治」の評価をめぐる読者間の大論争が展開されていた。同じ『朝日』をとっていても私ども東日本に住む者は論争の存在自体を知らずにいたということも、考えてみれば奇妙なことだが、編集部からコメントせよということで、その部分をまとめたコピーを読む機会を与えられた。」
1987年、吉見義明氏、『新しい世界史(7) 草の根のファシズム』(東京大学出版会)を発表。「第2節 民衆の序列」に、宮田節子氏、内海愛子氏、呉林俊《オリムシュン》氏らの著作を参考にした記述。ただし、梶村秀樹先生の著作の引用はなし。
1988年11月16日、エストニアソ連で初めて国家主権を宣言した
1988年、梶村秀樹先生、『<研究ノート>80 年代韓国の労働経済と労働政策 : 労働争議同時多発の背景』(神奈川大学、『経済貿易研究』)

1989年、梶村秀樹先生、『一九八七年の韓国情勢』『論説 旧韓末北関地域経済と内外交易』。『論説 旧韓末北関地域経済と内外交易』は重要さで上位5位に入る、きわめて重要な論文の1つ。CiNiiで閲覧可能。この論文は死の直前に書かれたものであり、長さと密度の点からみて、とてつもないエネルギーがこめられている。
1989年、梶村秀樹先生、死去。
1990年、並木真人氏、『戦後日本における朝鮮近代史研究の現段階--「内在的発展論」再考』(「歴史評論」、歴史科学協議会
1991年8月、ソ連共産党内の保守派と軍部のエリートがゴルバチョフ打倒のためのクーデターをおこす、だが失敗。1991年8月31日までに15の共和国が独立を宣言した。冷戦の崩壊
1991年9月、バルト三国の分離独立が認められる。
1991年、梶村秀樹著作集編集委員会、著作集第1巻の1番目に『排外主義克服のための朝鮮史』、2番目に『朝鮮語で語られる世界』を選択した。
※「私」コメント、この判断はきわめてすぐれている。とくに、2番目に『朝鮮語で語られる世界』を選択したことはきわめてすぐれている。ただし、このことをはっきりいっているのは、「私」が知っているかぎりでは車承棋氏と「私」ぐらいである。
1998年、牧原憲夫氏、『客分と国民のあいだ 近代民衆の政治意識』(吉川弘文館〈ニューヒストリー近代日本 1〉)

2001年、中野敏男氏、『大塚久雄丸山眞男――動員、主体、戦争責任』(青土社
2002年、徐京植氏、『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人』収録の『「エスニック・マイノリティ」か「ネーション」か――在日朝鮮人の進む道』のP169―P170に梶村先生の『定住外国人としての在日朝鮮人』(1985年発表)を紹介。
「ここで梶村秀樹氏が一九八五年の論文において、次のような貴重な指摘をしていたことは思い出しておく価値がある。
在日朝鮮人が日本に定住しつつも日本国家への帰属を否認するとき、それを裏返した観念は、日本側が神経を尖らせるような現にある南北いずれかの国家への忠誠観念では必ずしもなく、一般的には、国家への帰属意識というよりは、全体としての民族への帰属意識、南北と在日等をひっくるめて苦難と闘う民衆との一体化の希求と表現した方が適当なものとしてある。強力な母国の保護を受けてこれに依存して生きていこうというのではない。民族の一員としての実存を意識化していけばいくほど、苦難を克服しようとする母国民衆の課業に主体的に参与していこうとする意識に、到達せざるをえないのである。(略)国家の側の都合によって、こうした民族への帰属の志向、創造過程への主体的参与の意思を阻むことは、あってはならないことである。」
略をなくした引用は以下の通り
在日朝鮮人が日本に定住しつつも日本国家への帰属を否認するとき、それを裏返した観念は、日本側が神経を尖らせるような現にある南北いずれかの国家への忠誠観念では必ずしもなく、一般的には、国家への帰属意識というよりは、全体としての民族への帰属意識、南北と在日等をひっくるめて苦難と闘う民衆との一体化の希求と表現した方が適当なものとしてある。強力な母国の保護を受けてこれに依存して生きていこうというのではない。民族の一員としての実存を意識化していけばいくほど、苦難を克服しようとする母国民衆の課業に主体的に参与していこうとする意識に、到達せざるをえないのである。それは、真の意味の「国際性」ともかえって矛盾する意識ではない。
 在日朝鮮人青年としてこうした意識化の歩みを進め、現に韓国の獄中にいる徐勝・徐俊植兄弟の生の軌跡は一つの典型例をなしており、投企の具体的形態はさまざまで誰もが同じ行動をするというのではないとしても、思想の形としてのある普遍性をもっていることはまちがいない(32)。悪意に動機づけられてこれを背後から揶揄することはなされえても、正面から論駁することは誰にもできないのである。国家の側の都合によって、こうした民族への帰属の志向、創造過程への主体的参与の意思を阻むことは、あってはならないことである。」
2002年から2019年まで、姜徳相氏、『呂運亨評伝』(1)ー(4)発表。
2004年、石田米子氏と内田知行氏、『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』を発表、石田米子氏は梶村秀樹氏と交友があったことが著作集月報からわかる。
2004年2月27日、網野善彦、死去

2006年、牧原憲夫氏、『民権と憲法』(岩波書店岩波新書 シリーズ日本近現代史 2〉)
2006年9月4日、阿部謹也氏、死去
2006年、中野敏男氏、『「日本の戦後思想」を読み直す(7)「方法としてのアジア」という陥穽--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯』『「日本の戦後思想」を読み直す(第8回)植民地主義批判と朝鮮というトポス--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯(その2)』(季刊前夜)を発表。中野氏の梶村秀樹先生への接近はこのころからと思われる。戦後思想の再評価の過程で竹内好氏の再評価をするなかで梶村先生を「発見」したと推測される。

2008年、柏崎正憲氏、『反差別から差別への同軸反転 : 現代コリア研究所の捩れと日本の歴史修正主義』、CiNiiで閲覧可能。
2008年、牧原憲夫氏、『幕末から明治時代前期 文明国をめざして』(小学館〈全集日本の歴史 第13巻〉)
2010年、水谷智氏、塩川伸明氏、戸邉秀明氏による『日本植民地研究の回顧と展望 : 朝鮮史を中心に』(同志社大学人文科学研究所)、CiNiiで閲覧可能。
2010年、姜徳相氏、『日本と朝鮮のまっとうな過去と現在を結ぶための史観』(「コリア研究」立命館大学コリア研究センター)
2010年から2013年まで、「media debugger」氏、梶村秀樹先生のの著作に基づいて竹内好氏らを徹底批判。
media debugger
「私」もその批判に衝撃を受けた。ただし、本当に不思議な事だが、「私」が梶村秀樹著作集など入手可能な著作をすべて読むかぎり、梶村秀樹先生にとって竹内好氏はきわめて重大な仮想論敵だった。

2012年、中野敏男氏、『詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」』(NHKブックス)、梶村秀樹先生への言及あり。
2012年―2013年、加藤圭木氏、科研費による研究『植民地期朝鮮における港湾都市開発と地域社会』を行う。
2013年、「社会科学 = The Social Science(The Social Sciences)」(同志社大学人文科学研究所)に、梶村秀樹先生についての論文3本が発表される。CiNiiにて閲覧可能。
『日韓体制下の民衆と「意味としての歴史」 : 梶村秀樹の韓国認識と歴史認識』(姜元鳳)
梶村秀樹の韓国資本主義論 : 内在的発展論としての「従属発展」論』(洪宗郁)
『日本「戦後歴史学」の展開と未完の梶村史学 : 国家と民衆はいかに(再)発見されたか』(戸邉秀明)

2013年、車承棋氏、『梶村秀樹の「未発の契機」 : 植民地歴史叙述と近代批判(論文)』(「Quadrante : クァドランテ : 四分儀 : 地域・文化・位置のための総合雑誌東京外国語大学)を発表。CiNiiにて閲覧可能。
※「私」コメント、「私」がこの論文をpdfで読んだ時の衝撃はわすれがたい。梶村秀樹先生の視野の広さと最終目標をほぼ完全におさえた論文であり、この論文なしで梶村秀樹先生を評価することはできない。

2014年、『排外主義克服のための朝鮮史平凡社ライブラリーから再版、山本興正氏による解説。
※「私」コメント、やはりこの本は避けてとおれない。ただし、梶村秀樹先生の最終目標が非常に高いところにあるため、梶村先生を理解するにはこの本だけでは絶対にいけない。「絶対に」というのは「私」の強調するところである。2023年の時点でも、このことをはっきり言う人がきわめてすくない。
2014年、姜徳相氏、『一国史を超えて : 関東大震災における朝鮮人虐殺研究の50年』(「大原社会問題研究所雑誌」、法政大学大原社会問題研究所
2015年、山本興正氏、『戦後思想の再審判―丸山眞男から柄谷行人まで』に寄稿。
2015年、牧原憲夫氏、『山代巴 模索の軌跡』(而立書房)
2016年4月4日、安丸良夫氏、死去

2017年、「私」、梶村秀樹著作集全6巻の電子化を作成することを決定。
※「私」コメント、どうしてこの決定をすることができたのか。「私」個人の判断というより、東アジアの歴史の大きな流れの中の決定だったと思うし、だからこそしくじらないですんだ。
※「竹内好氏と梶村秀樹先生の関係」を徹底的にしらべることを主な目的として、全著作の電子化の作業をすすめた。わたしには鈍感なところがあって、金と時間があっても3000KB以上の電子化をすすめる作業をするような人はきわめてすくないことに気がついていなかった。
2017年、『〈戦後〉の誕生―戦後日本と「朝鮮」の境界』に中野敏男氏、寄稿。内容は、『「日本の戦後思想」を読み直す(7)「方法としてのアジア」という陥穽--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯』『「日本の戦後思想」を読み直す(第8回)植民地主義批判と朝鮮というトポス--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯(その2)』(季刊前夜)に、丸山真男氏の植民地認識についての分析をあわせたもの。
2017年、加藤圭木氏、『『1920~30年代朝鮮における地域社会の変容と有力者・社会運動』にて梶村秀樹先生の『論説 旧韓末北関地域経済と内外交易』を紹介。「私」が見るかぎり、梶村先生のあとをついで1920年代の朝鮮人側の動向を調べた論文はない、ということらしい。
近年、加藤圭木氏は植民地支配責任についても積極的に発言している。

2018年12月31日、「梶村秀樹著作群の電子化 約700KB分」「抜粋資料pdfの作成」「SYの供述書の電子化(途中まで)」
2019年12月31日、「梶村秀樹著作集のほぼ完全な電子化(4・2MB)(ただし未校正)」、「「オウム法廷」(降幡賢一)の電子化(6・8MB)(ただし未校正)」「「アンナ・カレーニナ」(トルストイ作、米川正夫訳)の1・2・3・8章の電子化(1MB)(ただし未校正)」「「証言台の子どもたち」「ほんとうは僕殺したんじゃねえもの」(浜田寿美男)の電子化(1・2MB)(前者だけ校正)」「中西新太郎先生の論文約30本の電子化(700KB)(ただし未校正)」
2020年12月31日、「「ひろしまタイムライン」で変なものをいくつか発見する。「公開質問状」をだしたが、何の返事もない」「京都アニメーション放火殺人事件についての公開質問状」「『梶村秀樹著作集』第1巻と第3巻収録の論文の校正、「亜州和親会をめぐってーー明治における在日アジア人の周辺」「私にとっての朝鮮史 『朝鮮史 その発展』序章」「竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」「「日本人の朝鮮観」の成立根拠について――「アジア主義」再評価論批判」「現在の「日本ナショナリズム」論について」「植民地と日本人」「植民地朝鮮での日本人」「竹島=独島問題と日本国家」」「一九二〇~三〇年代朝鮮農民渡日の背景――蔚山群達里の事例」「著作集第3巻の「解説」+「解題」」「一九一〇年代朝鮮の経済循環と小農経営」」「『オウム法廷』一部校正
」「『サリヴァンの精神科セミナー』2回校正」「『カラマーゾフの兄弟』電子化(まだ校正おわっていない)」「『罪と罰』電子化(まだ校正おわっていない)」「『おとなしい女』『おかしな人間の夢』電子化(校正おわり)、『九通の手紙に盛られた小説』『プロハルチン氏』『ポルズンコフ』『クリスマスと結婚式』『人妻と寝台の下の夫』『正直な泥棒』『弱い心』『白夜』『ボボーク』『キリストのヨルカに召されし少年』『百姓マレイ』『百歳の老婆』『宣告』電子化(まだ校正おわっていない)」「『ドラえもん』第1巻-第5巻の文字データの電子化」「『ドラえもん』『オバケのQ太郎』冒頭6Pの入力」
2021年12月31日、「梶村秀樹著作集電子テキストの校正1,2,3,4のすべて、5,6の一部」「ドストエフスキー電子化のみ、9000KB」「ドストエフスキー校正完了、1000KB」「「ひろしまタイムライン事件」検証、しっぽをつかんだ。」「沖縄戦記録、約900KB」「サリヴァンセミナー、電子化」「ツイッター文化が宣伝以外に自己の長所を主張できないこと(長所がないこと、ではない)を自分自身の眼で確証できたこと(2021年11月退会)」「インターネットに借金取りなみにしぶといやつは少ないことに気がついたこと」「NHKアーカイブス、収集」
2022年12月31日、「梶村秀樹著作集全六巻の電子テキストの校正を完了」
2023年03月、「アンナ・カレーニナの電子テキストの校正完了」「悪霊の電子テキストの校正完了」「および2テキストの青空文庫への寄贈手続きが完了」(←発表は2023年10月)
2021年、姜徳相聞き書き刊行委員会、『時務の研究者 姜徳相: 在日として日本の植民地史を考える』発表。
2021年6月12日、姜徳相氏、死去。
2023年、大槻和也氏、『「朝鮮と日本のあるべき関係」を求めて : 梶村秀樹による물레 (ムルレ) の会および指紋押捺拒否運動への活動従事を手がかりに』、CiNiiで閲覧可能。
2023年、「ある出版社」から、2024年中に梶村秀樹先生の著作の電子書籍が出版できると連絡があった。

梶村秀樹先生のライフヒストリーに関する資料で特に重要なもの
「回想」「月報」「私の反省」「朝鮮からみた明治維新」「排外主義克服のための朝鮮史全3部」「論文「自立した関係をめざして」に対する私の意見」「論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見」「朝鮮語で語られる世界」「私にとっての朝鮮史」「竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」「差別の思想を生み出すことば」
※「回想」「月報」はもっと重要視すべきだろう。インターネット上では使用している論説がない。



梶村秀樹先生のライフヒストリーに関する資料(作成、約150分)

梶村秀樹著作集 月報(全六巻分)」(とくに、石田米子氏の回想が興味深かった)
梶村秀樹著作集遺文と回想」
梶村秀樹さんと調布■■の会(収録の回想)」
「追悼梶村秀樹さん(収録の回想)」
梶村秀樹先生を悼む(住吉高校  印藤 和寛)」(「先生は「私こそ竹内好さんの一番の弟子だと思っでいます」とおっしゃった。」は見落としてはいけない)



友邦協会での朝鮮総督府の元官僚へのオーラルヒストリー
東洋文化研究」2号から(学習院大学の出版)


梶村秀樹著作集第1巻より
「排外主義克服のための朝鮮史
朝鮮語で語られる世界」
「私にとっての朝鮮史
竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」
「朝鮮を通してみた天皇制の思想――さめた思想」
「朝鮮からみた明治維新
「植民地朝鮮での日本人」
「「旧朝鮮統治」は何だったのか」
「差別の思想を生み出すことば」
竹島=独島問題と日本国家」
「歴史的視点から見た日韓関係」
「歴史をねじまげてはいけない――「日韓合邦」の真相」
「近代史における朝鮮と日本」

梶村秀樹著作集第2巻より
「朝鮮近代史と金玉均の評価」
「朝鮮近代史研究の当面の状況」
「日本における朝鮮研究」
朝鮮史研究の方法をめぐって」
「朝鮮社会における移行法則」
「“やぶにらみ”の周辺文明論」
「朝鮮近代史研究における内在的発展の視角」
「朝鮮思想史における「中国」との葛藤」
「朝鮮からみた現代東アジア」
「東アジア地域における帝国主義体制への移行」
日本帝国主義の問題」
「申采浩の朝鮮古代史像」
「歴史と文学 朝鮮の場合」


梶村秀樹著作集第3巻より
李朝末期(開国後)の綿業の流通および生産構造  ――商品生産の自生的展開とその変容――」
「近代朝鮮の商人資本等の外圧への諸対応」
「一九一〇年代朝鮮の経済循環と小農経営」
日本帝国主義支配下の朝鮮ブルジョアジーの対応」
「「民族資本」と「隷属資本」――植民地体制下の朝鮮ブルジョアジーの政治経済的性格解明のためのカテゴリーの再検討」
「一九二〇~三〇年代朝鮮農民渡日の背景――蔚山群達里の事例」
「「一筋の赤い糸」としての内在的発展」
「「民族経済」をめぐって」

梶村秀樹著作集第4巻より
朝鮮民族解放闘争史と国際共産主義運動
「義烈団と金元鳳」
「『アリランの歌』(解説)」
「解放前の在日朝鮮人運動史――在日朝鮮労総結成~全協への解消過程を中心として」
「新幹会研究のためのノート」
「甲山火田民事件(一九二九年)について」
「『常緑樹』(解説)」
「一九二〇~三〇年代の民衆運動」

梶村秀樹著作集第5巻より
「八・一五以後の朝鮮人民」
日韓条約のゆくえを追跡します」
ベトナム派兵の傷跡」
「韓国の労働運動と日本」
「語りはじめた労働者たち」
「韓国の農村で」


梶村秀樹著作集第6巻より
定住外国人としての在日朝鮮人
「海がほけた!――山口県長生炭坑遭難の記録」
「解放後の在日朝鮮人運動」
「なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか」
金嬉老への判決を支えた日本社会」
金嬉老裁判の現在」
「私における呉林俊氏の肖像」
「論文「自立した関係をめざして」に対する私の意見」
「論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見」
定住外国人県民の生活とニーズ――「県内在住外国人実態調査」を終えて――」
「「指紋」の闘いは終っていない」



朝鮮史の枠組と思想』より
「「家族主義」の形成に関する一試論」
「申采浩の啓蒙思想
「申采浩の歴史学――近代朝鮮史学史論――」
「あとがき」


『朝鮮を知るために』より
「保育園にて」
「朝鮮との出会い」
「出しぬき合い社会」
「私と朝鮮語
「「先公よ、しっかりさらせ」を読んで」
「「自由」にたじろぐまい!  民族差別と闘う連絡協議会第七回全国集会(一九八一年)への感想」
「《書評》西順蔵著『日本と朝鮮の間』」
「《書評》宋孝順著『ソウルヘの道』」
「《書評》和田春樹著『北の友へ南の友へ』」


梶村秀樹著作集・単行本未収録の執筆物より
「日本における朝鮮研究の蓄積をいかに継承するか」
「『歴史と理論』を読みかえしてみて」
「私の反省」
「私の失業始末記」
「平均的私大生のアジアのイメージ」
「『東亜日報』意見広告に見る民衆意識(上)(中)(下)」
「教科書問題を考える一朝鮮史研究の視点から」

2017年から2023年の間 映画、「探偵ドラマシリーズ」2本と「画家の出る映画」1本だけ。読書、短編小説がほとんど、長編で読了できたのは、「そして誰もいなくなった」「動く指」「ペドロパラモ」「第三の警官」「ゴッホ日本に賭けた夢」「エドゥアールマネ西洋絵画の革命」「美の呪力」「子どもを殺してくださいという親たち」、はんぶんぐらいは、ドラマで見ていた。「ある長編戦争小説」を再読できなかったのはつらかった。
電子化の時に再読、「カラマーゾフの兄弟」「アンナ・カレーニナ」「悪霊」「白夜」。マンガ、3巻以上のストーリーもので読了できたものは2つしかない。
戦争証言アーカイブス、新しく読むことがほとんどできなかった。



追加作業のためのメモ
イタガキリュウタ、ヨシノマコトの反論論文、ニュウカントウソウ、



並木真人論文
歴史評論 (482) - 国立国会図書館デジタルコレクション
○戦後日本における朝鮮近代史研究の現段階--「内在的発展論」再考/並木真人 //p15~30


20230923。20分。
20240925、40分
20231001、40分
20231010、30分、


梶村先生の執筆物の検討 その他メモ - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]


メモ

「ほんとうに読むべき本になる条件」
ひろさふかさ、するどさ、すきのなさ、いきおい、独特の味
「固定客」をつかむ

『古文書返却の旅』P091、第六章より、「実際、読み切った文書は七、八年間でわずか五百点にとどまった。(略)そしてその過程で、なによりもわれわれが驚いたことの一つは(略)」→「、八年間でわずか五百点にとどまった。」