『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧

サイモンシンの『フェルマーの最終定理』を読み直す。「フェルマーの最終定理」の解決までの最終局面、電子メールが登場するが、この道具の「早さ」は問題の解決に補助的にしか役に立っていないようだ。これは気のせいではない。もう一点、この最終局面、登場人物はだいたい50人ぐらい、最大400人ぐらいにみえる。ケン・リベット氏とバリー・メーザー氏が話し合った直後の国際会議では、数千人がバークレーに来ていた、と書いてある。

「ツキ」と「ガチャ」をイコールだとして語る、そのすさんだかんがえかたについて(メモ)

「毒親」と「親ガチャ」という言葉の同じであることとちがっていること。 わたしは、「親」が問題なのではなく、「ガチャ」という言葉を「ツキ」とイコールだとして語るその点が問題だと思う。わたしはこの問題を考えると、そういうイコールで考えるしかたを…

和歌山市における現役首相襲撃事件、実行犯K氏の背景について報道するな、という見下げはてた「バカ」たちは、「いいアイデアをだすから、あなたは私に100万円はらってくれ」と主張できるチャンスをのがしている。(追記予定あり)

いいたいことはタイトル通りなのだが、つづきを書く。わたしはいぜんから、極右の人たちが、どういう背景があるのか不思議に思っていた。これは、わたしだけではないが。何か家庭内教育や学校教育や恋愛関係の中に、強固な理由が見つかるのかと思っていた。 …

2023年4月の岸田首相襲撃事件、実行犯は、自分が作った爆発物の事前の実験を「していない可能性」がある。

あと5年もしたら、「ジャパニメーションが衰退しはじめる(または「衰退する」)のは避けられなかった」とかいう恥知らずが何人も出るだろうから、日本のサブカルチャー業界は、信用の出来る人間を見つけておいたほうがいい。

サブカルチャーというのは、たとえば小説(これだってもとはある程度の読み書きをできるという条件付きだが、エリートむけではない)などにくらべて、「見るのもイヤ!」といわれないという利点しかないのである。そこにのっかって卑劣な行動をする連中は、社会や他者に対する「寄生虫」でしかない。認定が難しいケースもあるにせよ、厳しい言い方をせざるをえない。

(資本主義などへの)ニヒリズムを盾に現政権に追従するニヒリストは意外なほど多いが、卑しい。反体制でないことが卑しいのではなく、誤解をおそれずいえば、意地がないこと自体が卑しい。

国民国家論者が「国民国家論は人間存在の栄光を体現せねばならない!」と狂気すれすれの精神で叫ばなかったのは、恥でしかない。

「「朝鮮と日本のあるべき関係」を求めて : 梶村秀樹による물레 (ムルレ) の会および指紋押捺拒否運動への活動従事を手がかりに」(大槻和也)の紹介

「朝鮮と日本のあるべき関係」を求めて : 梶村秀樹による물레 (ムルレ) の会および指紋押捺拒否運動への活動従事を手がかりに | CiNii Research 本稿は梶村秀樹による「물레(ムルレ)の会」「指紋押捺制度撤廃を求める調布市民の会」「指紋押捺拒否予定者会議…

大阪万博のかわりに、1000億円(正しい数字だ)かけて安丸良夫氏の人生について展示するというのはどうだろうか?(岡本太郎氏の場合はお別れ会のときに似たようなことをした。)安丸良夫氏(の覚悟)が本当にスゴイならば、失敗だってスゴイのである。これは誤解される言い方だが、わかる人はわかるはずである。おしゃかさまが神聖なら足跡だって神聖なんだ。そこを徹底させない反体制だか何だかしらんか運動などわたしにとってどうでもいい。

そんなにあれこれいうならば、「『はだしのゲン』をこえた作品はある!」と言えばいいのだ。もしくは、「いや、『はだしのゲン』をこえる作品をつくるのは難しい」とはっきり言えばいい。それをしないから、政治的イデオロギーにまみれているとかどうとか、器の小さいろくでもないことしか言えない。あれでわたしは創作の世界にエネルギーを使うのがいやになった。作品が「商品」であるのは、しょうがなく受け入れている事であって、喜んでいるわけではない。そんなこともわからないのか。富野さんもそのへんをはっきり言えばいいのに。もうすでに言

『太陽の塔』と『明日の神話』がほぼ同時に製作された(1967年~1969年)。事実は小説より奇なりだ。どういう精神構造ならばそんなことが可能になるのか? 驚きだ。

作品(物語ではない)はマッサージである、と最近あまりいわない。二階ぞめき

金を巻き上げるだけならまだいい。社会基盤を食い物にするのはアンチヒーローでも何でもない、二流のゲスな詐欺師である。どんだけ「公共性」をもつのがいやなんだ。

萌えキャラとしての国家、中西新太郎。あの立てこもりの攻撃性をみると、予想以上にあたっている可能性がある。

「踊る」ということを限定していいのだろうか。だから不明朗になる。――『沖縄文化論』

現代日本の「政治テロ」事件。理由不明の青少年犯罪、この図式の復活。それを整備したのは、ロスジェネ論壇の堕落その他。

全部の情報をみているはずなのに、かえってわけがわからなくなる。

耐える力はまだ未知(中井久夫)

「リアル」なんかどうでもいい、と言われては正直言って困る。「手触り」といってもいい、むずかしいいいかたになるが。

とじこもっているのはよくない。損得と言って、金のことだけではない。せめて健康といってほしい。

たぶん、ほとんど根拠の無い著作権保護期間延長のせいで内田百けん作品が無償化されなかったことは、インターネットと物を書くことの関係性に少なくない損失をあたえたと思う。小説でも物語でもない、しいて言うならば、エッセイだが、金をとっても、精神的に威張ろうという気がないあの作品群はあまり例がない。やはり漱石の夢十夜、永日小品のような力を抜いた作品が近いが。ああいうふうに書いていいというのは開放感がある。注目されるかどうかきにせずに書くことは非常に大事だ。

熊谷守一、「朝のはじまり」と「泉」

AIで作った「エロ絵」を見ると、あれが最高(至高)の性愛をめざすものでないかがよくわかる。というより、エロティシズムに高いと低いがあるのがわかっていない人が多いのではないだろうか。だから、

葛飾北斎の「蛸と海女」だったか、あれはたぶん作者にとっては余技、おもいつきの産物だったのではないだろうか。 他の作品に、動物も人間も、性交の場面が(素描ふくめて)ないということは、そもそも北斎は性交の描写に興味がないし、まして物神崇拝、フェ…

富野氏も、ひねくれてはいるが肝心な事をごまかすひとではないのだから、ジャパニメーションなんか世界一位では絶対にないとはっきりいえばいいのに(もう言っているのかもしれないが)。ほかの人でもいいけど。

ピカソの『ゲルニカ』の製作費用は約1500万円(1937年ごろ)だったとピカソ全集だったかに書いてあった。ちなみに、1950年代に『人生(ラ・ヴィ)』が2億円で売れたということも書いてあった。

「コミュ障」だったか、ああいう人の話をきいていて不思議におもうのは、あの人たちは何が欲しいのかよくわからないことである。だから自己肯定感が低い、と言われるのだろうが。

ゴルゴ13だったかと思うが、「金さえあればわたしだってできる」というのはいくらでもあった。いまは、そういうものがない。 金さえあればともいわない、親がくだらないともいわない(精神病治療上の「毒親」のあつかいはここからはじまるはずだが)、先生…

「上級国民」(特権階級+クソ成金)が有能ならば、『ゲルニカ』か『明日の神話』をこえる絵を描いてみろ。100万円で1000万円もうけるチャンスだ。

「上級国民」がすごい絵がかけて、そこらへんの「子ども」がすごい絵がかけない、というのはまったくのナンセンスだ。そこを無視するから、「上級国民」論はどこかうわすべりで空虚なのである。 そういえば、クレヨンしんちゃんでラクガキなんとかという映画…

最近、「あの人は器が大きい」「あの人は器が小さい」と言わなくなった。これは資本主義というか消費文化が、人間関係すべてを売買関係にしようとするからである。だからたとえば、『明日の神話』、というかパブリックアートを論じる観点自体が異様にうすい。わたしが現代日本のサブカルチャーにうんざりした理由の一つが、これだ。ひらたくいえば、無償でない。これはきれいごとではない、そうでないと不明朗、不健康になる。

わたしは、女性嫌いの大半が女性にひどく振られたことがあるのかとおもっていた。たぶんちがうのだろう。疑似恋愛をしたことも無い人すらいるのではないだろうか。ひどい振られかたをするのに耐えられないで言葉の刃物をふりかざしてかまわないという貧しい、いやちがった、卑しい「文化」が問題である。

いまの「ジャパニメーション」(←怒をつけるべきだろうか)が空虚な理由のひとつは、変に思われるだろうが、世界一についての自信がないことだ。世界一稼いでる作品だという自信があるわけではない、かといって、「稼いでなくても世界一の作品だ」という自信があるわけでもない。世界一稼ぐ作品をつくるのに挑戦して失敗したということでもないらしい。そのくせ「多少」稼いでいるからっておだてられてあたりまえだと思っている。関係者の話をきいていると、そんなかんじをうける。