岡本太郎と丹下健三の、万博についてのやりとりの記録。
丹下健三側から、
『丹下健三建築論集』
「対立をふくんだ芸術の協同」の章に岡本太郎の名前あり。信用をしてはいるということらしいが、部分的ともいえる。
『丹下健三都市論集』
「万国博覧会会場――企画から計画へ」(初出『建築雑誌』1970年3月号)肝心の「大屋根をつきやぶる太陽の塔」の案がでたとき、どう判断したかが書かれていない。万博会場は一つの都市として丹下氏がこの点は他人から理解されないと思ったのだろうか。かかわった建築家一覧あり。改めて読み直すと、大屋根の建築上の意味より、(岡本太郎主導の)テーマ展示の意味のほうが重点的に書かれている。なぜ大屋根が高さ30メートル、広さ100×150メートルないといけないのか、書かれているとはいえない。
イサムノグチ氏設計の噴水については書かれている。
『建築と都市 デザインおぼえがき』(国立国会図書館のデジタルアーカイブで「丹下健三 万博」で検索してヒットした1件)
P177―P178
「 岡本太郎さんとのグループとの間のコオーディネーションは、わりとうまくいったように思います。(略)われわれ建築家だけで考えていた段階では、スペースーフレームにあけられた大きな円形の開口部に向かってエスカレーターが何本も上ってゆくというかなり建築的なイメージをもっておりました。それを岡本太郎さんが、過去と未来を結ぶものとして、そのなかにエスカレーターを仕込んだ太陽の塔をつくられた。それについて建築家のグループは、かなり抵抗を感じたんじゃないかと思います。私自身も最初に彼の案を見たときは、これは相当なものだと思ったのですが、会場全体が、メカニックにできているなかで、一つぐらい人間くささのあるものが出てくることはかえっていいのではなかろうかという気持で、それを受けいれていました。私自身はあれでよかったと思うのですが、純粋建築的な発想をされる方にとっては、かなり目ざわりなものだったかもしれません。この辺の問題は今後大いにディスカスすべきおもしろい問題をもっているように思います。」
P165 協力者一覧(多少の増減があった)
福田朝生、彦谷邦一、大高正人、菊竹清訓、神谷宏治、磯崎新、指宿真知雄、上田篤、川崎清、加藤邦男、曽根幸一、好川博、
P180 イサムノグチ氏の噴水
『一本の鉛筆から』
万博の章には岡本太郎の名前がなく、このあとの章に岡本太郎氏とイサムノグチ氏の名前がある。
2人の関係の岡本太郎氏側から。岡本敏子氏の『岡本太郎に乾杯』がかなりの分量の証言がある。
「岡本太郎 建築」で検索をしたが、岡本太郎は万博にのみこまれたのではないか、また岡本太郎の絵は同じような作品ばかりだという批判がある。
私は完全には反論できないが、『明日の神話』の存在が反論に欠かせないと考えている。万博の基本思想である進歩主義をつきぬけようとしたこと、マンネリズムを否定したこと。しかし、これ以上の「作品」を、私が判断できるだろうか? その問題もある。ものをつくるものの宿命とはいえ、苦しいな。
新春対談 アートとそれを取り巻く状況をめぐって
「多面体・岡本太郎」の一面的な絵画……村田真
『七十二時間、集中しなさい。: 父・丹下健三から教わったこと』(2011年、講談社)
P132 万博の件、岡本太郎への言及あり。ただし大したものではない。
『太陽の塔』(2018年、小学館クリエイティブ)
P025
平野:丹下さんはどんな反応だったんですか?
磯崎:太郎さんのスタッフがつくった最初の模型は、大屋根すれすれの高さだったんですよ。でも、それを見た太郎さんが「低い! もっと大きくしろ」と。これはたいへんなことになったと思ったら、丹下さんが、「そのために穴を開けたんだからいいよ、(頭が)出ても」って言いのこして行っちゃったんです。太郎さんが大屋根から頭を出している写真があるでしょう? そのときのものですよ。「オレが屋根の上に出るんだ」って言ってね(笑)。それが太陽の塔のはじまりです。