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「対談 〈身動きがとれない〉人びとがうごきだすとき」(2007年、中西新太郎・佐藤泉、『前夜』第1期第12号)

 普通の人びとの生の記録には、人びとが生きた文化の解放性と抑圧性が共に映し出される。記録することをめぐるどの場面、状況を切りとっても、そこにはつねに文化の深い意味での政治的性格が刻印されている。戦後日本の「記録の水脈」をたどることは、その意味では、普通人の「戦後的生」に息づく文化の政治的ダイナミズムをとらえることである。
 戦後日本の文学批評、文学史言説への綿密で鋭い検討をつうじ「戦後」のとらえ返しをすすめている佐藤泉さんを迎えて、戦後日本の記録運動を中心に語っていただいた。
*対談は二〇〇七年四月十五日、「前夜」から浅野麗、小野祥子、中條朝、須永陽子、岡本有佳が参加して行なった。

中西 記録運動といった主題を戦後日本にそくして考えるさい、真っ先に取り上げられるのは生活綴方運動だと思います。鶴見俊輔が、久野収藤田省三との共著『戦後日本の思想』(中央公論社、一九五九)で「生活綴方」について報告していますが、この運動の特徴として、「状況主義」「実感主義」などを挙げています。戦後、いわゆる近代主義が、いかにして個は普遍的なものを確立するかというところから出発したのに対して、「生活綴方」は特殊な現実から出発して普遍的なものを立ち上げるという発想に立った。しかしこの運動は同時に、人びとが生きている状況や現実自体を肯定する機能を持っていたとも指摘されています。
 戦後の文学批評やサークル運動の中で戦後の生活や生かどのようにとらえられているのか、本日は詳しくうかがえたらと思っています。
佐藤 一九五〇年代の日本は、社会のなかで文化のもつ意味が今とはまったく異なっていて、文化の担い手や機能について、現在の発想ではうまく想像できないような実践がたくさん存在していました。この時期の文化サークルの運動には、いま読み返して復元してみたい特質がたくさんあります。たとえば生活綴方、生活記録の運動は、個人の創作活動ではなかった。一度書いた文章を仲間と読み合わせて書きなおすというプロセスが重要視され、ひとつの文はすでに集団創作の成果となっていました。
 「生活をつづる会」による『ひき裂かれて――母の戦争体験』(鶴見和子、牧瀬菊枝編、筑摩書房、一九五九)という本は、最初はガリ版刷りの文集でした。「鉛筆をにぎる」こと自体が新鮮な体験だった人たちがむしろ多数派ですし、「加生富美子が黒須つる子の話を聞き取り書きにして、雑誌「芽」に発表したものをよりどころにして、黒須つる子自身が新しく自分のコトバで書いたもの」という作り方もありました。
 この本の場合は、戦場ならぬ銃後の女性の戦争体験がテーマですが、彼女らは、夫が将校であったり、反戦運動で獄中にいたり、それぞれの視点から切り取った「戦争」を相互に持ち寄って、自分の体験を立体化します。いったん文集ができあがっても、サークル間のネットワークを利用して、今度は戦後世代を含む職場サークルに持ち込みます。そこでまた違う角度からの容赦なきまなざしをくぐらせたうえでさらに編集される。こうした方法論によって、創作主体ははじめから集団であるだけでなく、創作過程でより集団化され、文化創造は閉じられることのない作業となっていきます。
 現在の私たちは、商品としてパッケージ化されたもの以外の文化のあり方を想像できなくなっていますが、逆にいえば、売るための商品という前提が、どれほど想像力の幅を拘束していることか。彼女たちは常に創作の途上にあることで、異なる視点を認識と文章に組み入れ、それまでのリアリティの構造を改編していきます。新しいリアリティを作りだすことは、自分たち自身をくりかえし生みだすことだったと思います。

 ジャンルの破壊

中西 無着成恭がまとめた『山びこ学校』(無着成恭編、青銅社、一九五一)は大きな反響を呼んで、知識人が一種の社会的事件のように論じるという状況になりました。子どもの書いたものを、人びとがどういう社会的な文脈で受け止め、考えていたのか、気になります。
佐藤 竹内好が「国民文学論」を提唱したときにも、注目すべきものとして最初に挙げたのが『山びこ』でした。文学が人びとのものにならず文壇内部に閉じている状況を打開しなければならない、その実践例を、職業作家ならぬ子どもの作文がもたらす衝撃に見出したわけです。
 竹内の展望は「文化の大衆化」にとどまらず、文化の担い手と意味をまるごと変えようとした。(略)

「文学」を再定義する

(略)
佐藤 「国民文学」運動には、評論家、文学史歴史学の研究者、それから地域と職場の「無名」といわれる人びとが広い裾野をなしていました。全体としては壮大な同床異夢だったかもしれませんが、そのぶん多様で多層的な動きが見えます。その中に、文学作品を評価する基準そのものを変えようという意図がありました。西洋の十九世紀リアリズム小説を到達すべき理念に据えるそれまでの文学史の枠組では、日本の近代を把握しきれない。そこで、当時の言葉で言えば「民族の伝統」に根ざした文学の系譜を文学史の軸に据えなければならない、そうでなければいつまでたっても「植民地文学」に終わるだろう――という問題意識です。
 いまとなっては、左派の人びとが「民族独立」や「国民文学」という言葉を遣っているのにギョッとさせられますが、当時の歴史的な背景をおさえる必要があると思います。「国民文学」運動の消長は朝鮮戦争の時期に重なっています。戦線は、局面ごとに半島全体にローラーをかけるように南北を往復し、中台関係も、米国が参戦を決めるまでは流動的です。その中で膨大な数の住民が犠牲になっている。当時の人びとは、この状況がどう決着するか、おそらく誰ひとり見通しをもつことなどできなかったでしょう。日本からも朝鮮半島へ戦闘機が出撃しますが、日本社会がどうなっていくかもやはり未決定です。
 「文化」と「文学」を定義しなおそうという運動は、そのただ中で展開されました。近代の「文学」は、「政治」との対立というかたちでその意味と位置とを獲得しましたが、この時期の実践は文化を文化「運動」として再定義することによって、まさに政治を変えようとしたのだと思います。もしもこの時期の文化運動が「文学」の定義権を獲得することに成功していたなら、ガリ版詩集もまた「文学」と呼べたかもしれません。
中西 佐藤さんはこう書かれています。「主体化のプロセスは、実際には、複数の声がざわめきあう社会的に構成された言説の場で起こっているはずである」――これは当時、平和論にも積極的に発言していた評論家の福田恆存批判の文脈ですが、五〇年代に即して考えると、「国民文学論争」は、まさにこの意味で、主体化のプロセスをどう視野におさめるか、という問題をめぐるものだった。しかし「国民」「民族」といった言葉は、いまはきわめて国家主義的にとらえられてしまう。五〇年代の国民主義の性格をどう見るのかは大きな問題です。
佐藤 ええ。この時期の「国民」「民族」は、むしろ左派の運動の言葉でした。彼らは朝鮮戦争に反対し、全面講和運動を展開します。日米安保体制はやがて自明の前提となりますが、そうではない選択肢として「全面講和」があったわけです。
 この時期の雑誌に、多くの職場作家が活躍する舞台となった『人民文学』があります。五〇年十一月の創刊で、五三年末に終刊していますから、ほぼ朝鮮戦争の期間に一致している。作家の松田解子もこの雑誌に書いていますが、早くも花岡事件について報告し、小説にもしています。秋田の炭鉱で育った彼女は、その生活実感から、炭鉱が植民地の人びとを強制連行して働かせた場だと了解しており、のちに花岡事件犠牲者の遺骨返還で中国まで行っています。これは彼女が突然始めたことでなく、炭鉱にいた朝鮮人たちの運動が中国人犠牲者の存在に照明を当てていた。そう考えると、日本・中国・朝鮮半島の人びとの連帯が、図らずも成り立っていたといえます。
 「国民文学」や「民族独立」というナショナリズムの言葉で語っていた時にこそ、むしろ国民国家の枠に閉じない連帯が、か細い線だったとしても可能になっていたのではないか。日米安保体制に直面し、中国とも植民地の人びととも関係が絶たれるかたちで日本社会の「安定」が図られようとしていた、まさにその一瞬手前でおこった文化運動の実践です。日米政府間で米軍再編協議が押し進められている今、この時期の実践を読み返すよう要請されていると思います。
(略)

 六〇年安保と現実の切り落とし
(略)

 五〇年代から七〇年代ヘ――文化運動の展開と断絶
(略)

 綴方の「危うさ」
(略)

 近代化言説の陥穽

佐藤 人びとのポテンシャルが国家や企業に吸収されないために、まずは自分たちの力にみずから表現を与えることがとても重要だと思います。他人のまなざしに映し出された自分ではなく、みずから表現し自分を発見していく。これは端的に喜ばしいことだと思うんですよね。五〇年代の文化運動の豊かさは、そういう本当にナイーヴな喜びから出発している。それは、文化市場の商品を選ぶことが「個性」の表現となる現在の地平からは想像できない喜びだろうと思います。
中西 いまおっしゃった「端的に喜ばしい」ということの中身は、実はすごく奥が深い。というのは、『山びこ学校』にしても戦後の地域文化運動にしても、「近代が不足している」という問題認識のスタイルが広くある。ひとつは因習的な共同体秩序というものが――一面ではフィクショナルだと思いますが――現実としてもかなりあって、そういう秩序に捉え込まれて身動きがとれない、という問題がサークルなり綴方で語り出される。受け止める側がこれを突破していこうとするとき、「民主化」という言葉がしばしば用いられます。その中身が「近代を実現する」ところにあるかぎり、生産性向上運動と結局は軌を一にしかねない。そんなつもりはなくても、近代を超えるという視点がなければそうなってしまう。
(略)

 「叛逆」イメージの矮小化
(略)

 高度成長期の家族像
(略)

 文化のなかのジェンダー構造

佐藤 女性の自己表出をめぐって気になるのは、ジャンルとジェンダーの関係です。まず、生活記録運動は事実として女性が多い。『母の歴史』(木下順二鶴見和子編、河出新書、一九五四)は紡績工場の「女工」の綴方、「生活をつづる会」は主婦の運動です。他方、事実のレベルとは別問題として、それが「女性的」なものと表象されていく。たとえば「ひととき」(一九五一年に新設された朝日新聞の女性投書欄)夫人、投書マダムなどのマスコミ言語が発明され、「ヒマな奥さんの手すさび」として三流ジャンルの刻印を負わされます。誹謗中傷語もまた高度に成長します。
中西 やはりそこには文化とかかわりのあるジェンダー構造があるのではないか。七〇年代に国立市の公民館で市民の学習活動に取り組んでいた伊藤雅子さんが、「主婦的話法」ということを書いています。主婦の話し方は、途切れがなくて結論がすぐ出ないとか、話があっちこっちに行くといったことが、少し否定的な表象で語られています。しかしそこでは、主婦どうしには組織の中や男性優位の場で話をするのとは違ったコミュニケーションのかたちがあり、その文化的な意味や特性が、社会的には常に低く評価される構造があると示唆されている。(略)

 語ることと聴くこと

(略)
佐藤 今の国語教育では、「話すこと/聞くこと」に力が入れられていますが、あれは話し方を定型化するもののようで、私としては、たいへん感じの悪い教育効果をあげたと思います。「結論を先に言うと」「問題は三点あります」といった形式――「ネオリベしゃべり」と呼んでいますが(笑い)。
 かつてはここというと、民衆の声や女性の声などといい、整えられた文章語に対して生のもの、自然なものという含みがありました。今はまさに声のレベルにこそ支配・管理が滑り込む。それは声から雑音を消去するということなのでしょう。雑音が混じる、もしくは雑音のみの叫び声、それが「声」のイメージでしたが、雑音が消し尽くされた後に「定型」が残った。ぎりぎりのところまで定型化されつくしたその後で、「自己表現」「自発性」「個性」が喧伝される。中西さんの著書『〈生きにくさ〉の根はどこにあるのか――格差社会と若者のいま』(NPO前夜、二〇〇六)で描かれている若者たちの現実も、すべてが定型化されつくした後に、さあ自己表現せよと強いられるのでしょうか。本当に怖いです。

 社会のなかで自らをあらわすこと

佐藤 こうなると、これからはどれぐらいヘンなことをやるかにかかっていますね(笑い)。見えなくされた人びとが非暴力の手段によって社会のなかで可視性を獲得しようとする、そのためにいろいろなヘンなことをやり、それこそが文化である、という流れができたら素敵です。近年も、サウンドデモや、空き地に花を植えてしまう運動など、楽しいこと多々です。
 もっとも、沖縄の阿波根昌鴻さんが、すでにはやく米軍基地内に農作物を植えていることを忘れるわけにいきません。現在の沖縄では「合意してないプロジェクト」がしばしば不思議なことをやっています。米軍再編協議に日米政府が合意しても、人びとは合意していない。浴衣で道を踊ったり、凧揚げをしたり、「たんすにジュゴン」(ジュゴン型タンス防臭剤)を普及させたり、そうやって「合意してない」者たちの存在が姿を表す。苛酷な状況下の楽しい運動です。
中西 「ヘンなこと」と言われるのは、まさに社会の中で自己を表出する権利ですよね。自分たちを見えなくさせている状況の中で自分を表す権利――「権利」と言うと法的なものとしてとらえられがちですけれど、もう少し広い、社会的に当然受け止められなければいけないもの、ということだと思います。
浅野 現在だと何をやっても「差異」に還元されてしまう。「ヘンなこと」を単なる差異に回収させず、抵抗に結びつけるためにはどうしたらいいのだろう、と考えています。
佐藤 ただ単にヘン、ではやはりまずいですね。八〇年代にはポストモダンの潮流のなかで、変なことをしようというのが逆に支配的な風潮になっていました。さらに進むと、面白くなければいけないという強迫観念にさえなった。
 自分の中に二重性が必要だと思います。作り手であり受け手であるという回路をもつ、(略)
(略)

 いま、五〇年代をふたたび記憶すること

佐藤 高度成長期に構築された企業社会体制が壊れて以来、日本社会の矛盾はもはや覆いかくすことができなくなりました。かつての「日本型」、終身雇用と年功賃金は相対的にマシだったという声も聞こえつつあります。しかし、それも抑圧的だったことには違いない。だからといって、「日本型」への悪口を利用して合意の形成に成功したネオリベラルな改革は、もっと肯定できない。とすれば、選択肢を作っていく手がかりをどこかに見つけなければならない。そのとき、五〇年代の文化運動に関心が集まるのだと思います。
 現在の文化の弱点は、自分の存在や意思があらかじめ誰かに描かれてしまうことにある。今の代表制の政治システムがうまくいっていないことと、これは同形の問題です。文化が単に文化商品を意味するようになれば、文化の作り手と受け手が断ち切られる。生活記録で自分たちを描くことは、自分たちと自分の世界を新たに生み出すプロセスであり、そこで文化は政治的主体を作る運動でありえた。集団で何かを作る作業の高揚があった。それがまさしく「政治」だったわけです。
 今は街でも学校でも、人の集まる場所が縮減されています。もしネットカフェで日雇いの仕事を待つ人たちが集まれる場がほんの少しでもあったら、問題は社会化され、可視化されうる。身動きできない者たちの連帯、という契機は非常に重要だった。
 五〇年代に地域で運動をしていた人たちが、自分のやっていることの意味を自覚していたかといえば、それはさまざまです。占領期から文化運動を展開していた下丸子文化集団というグループは、終息の後、二十年経ってからそれを思い出そうとします。そのプロセスで、自分たちがやっていたことの意味を確認していく。あらためて記憶していくことによって伝統を創る感触がたしかにあります。それに惹きつけられてか、五〇年代にはまだ生まれていない若い世代の研究者たちが、東京南部の文化運動に関心を向けています。先日、その短い報告を聞いて感動しました。理論に沿って動くより、かつての実践を思い出すことによって思想構築を行なう、そういう思想継承ができたらと思います。
中西 最近、五〇年代を別の形で記憶するという仕事が出てきていますが、それは戦後日本の全体を見直していく作業と切り離せない。五〇年代を見ることと現代の日本を見ることはつながっている。今とても大事な課題だと思います。
 「今とても」とわざわざ言うのは、戦後日本における文化と政治との長い長い切り離しがいま右側から反転して、佐藤さんの言われる「ネオリベ語り」の政治性と、安倍政権に象徴される国家主義の政治的語りが文化を侵蝕しているからです。支配文化の抑圧的性格が新たな政治性を強く帯び始めた、と言ってもよい。その状況に対して、非政治的ないし脱政治的に距離をおくというスタンスは、シニカルな反抗ではなく迂回した現実主義に堕してゆきます。
 私たちが日々を生きる文化のただ中に政治の次元を取り戻すうえで、切り落とされてきた記憶を回復することはたんなる回顧ではなく、解放の文化を考えるためにどうしても必要な作業だと思います。
 今日は長時間ありがとうございました。

引用者コメント:非常におおくの問題を論じれおられる対談である。ぜひとも入手をおすすめする。
竹内好の「一木一草に天皇制がある」という有名なレトリックは、”前段階”がある。たしか、中国訪問時の日記における、「一木一草すべてが、抗日戦争をしている」という意味のレトリックだったと記憶する。竹内好といえば、「方法としてのアジア」で大変批判をうけたが、竹内好なくして梶村秀樹はありえなかったのである。このことは私は断固として主張しないといけない。

「いま子どもの世界に何がおこっているのか――いじめ事件の「土壌」について考える」(2012年、中西新太郎、『前衛』888号)

CiNii 論文 -  いま子どもの世界に何がおこっているのか : いじめ事件の「土壌」について考える (特集 いじめ事件にどう向き合うのか)

■簡単にどうすればいいとは言えない事態
(略)
 私は、九〇年代半ば以降、現在にいたるいじめの性格は似ていると考えていますが、この間のいじめへの対処は、その子どもたちの世界をつかまえ損ねてきたのではないかと感じています。
(略)

■いじめ関係とはどういうものか

 [一瞬のあいだにいじめ関係に]
 特定の子どもがずっといじめられる場合もありますが、とくに九〇年代に言われるようになったのは、いじめの対象が移っていくという点です。昨日まで仲のよかった友だちが、何かのきっかけで、自分をいっせいに排除していく。たまたまその子がいじめられる状態に陥ったわけですが、誰がいじめられるのかは、その社会のなかでも誰もわかっていないのです。すると、こういう関係を築けば、いじめという事態を防げるという筋道が、うまく成り立たないわけです。
 一瞬のあいたにスイッチが入って、友だち関係が、いじめというモードに切り替わっていく。どこでスイッチが入るのかわからない。(略)

[「いじり」から「いじめ」に転化する]
 「いじり」、「いじられギャラ」という言葉がありますが、いじり役といじられ役が適度にいると集団としてはけっこう安定する。うまくいじられることは、キャラを確立するうえではとっても有効です。しかし、「いじめ」に転化させないためには高度なスキルが必要で、その「いじり」がいつ「いじめ」に転化するかわかりません。
(略)

■土壌にある友だち関係の変化

[なぜ友だち関係が不可欠なのか]
(略)

[排除され孤立状態におかれている子]
(略)

■関係の「水位の浅さ」と「共感動員」

[友だちでいるための努力]
(略)

[友だち関係がストレスに]
 私は、現在の友だちに支配的な関係について、「共感動員」という言い方をしています。「お互いに、わかりあえるよね」と共感を動員し、組織していく。動員されたらこたえなければいけないという配慮が支配している関係です。共感動員の言葉では、「私はちっともおもしろいと思わないことは簡単には言えません。よく使われる言葉に、「ビミョー」という言葉がありますが、「ビミョー」という答え方は婉曲《えんきょく》の否定です。否定するときも、せいぜい「ビミョー」と答えなければいけない関係になっているのです。
 共感を組織することがいちばん大きな目的となる実例に、お酒の一気飲みがあります。最近では、大学では「コール」と呼ばれています。半分冗談ですが、全日本大学コール選手権まであって、私の勤務する横浜市立大学の学生が優勝したこともあり、DVDも出ています。その乗りに、そっぽ向いているわけにはいきません。飲むのが苦手という大学生のなかには、コ-ルがいやだという人も当然いるわけです。しかし、「いっしょに飲んではじけようぜと言っているときに、参加しないとはなんだ」となります。これが共感動員です。
 いまは恋愛関係までもそうなっています。「告白しなければいけない」「記念日にはイベントをやらなければいけない」「中・高生ならいっしょに下校しなければいけない」など、すべてお約束です。それをやってないと、「せっかく彼氏、彼女になって、お互いの関係をむすんでいこうとしているのに、どうして努力しないの」ということになってしまう。いまのプリクラが典型的で、「盛る」など、同じ格好、同じテンション、共感し合える恰好《かっこう》で撮るのが基本です。そう考えたときにそこから外れることが、どれだけ強いプレッシャーで、危険をともなうことなのかもわかると思います。
 しかも、「共感動員」の側から見ると、無作法にそれを壊していくふるまいは、自己中心的にしか映りません。自分自身の感じていることをストレートに出していくこと自体が、無作法で、自己中心的とみなされるふるまいになっていくわけです。「そもそもいっしょに『そうだよねに』とわかりあうために友だちをつくっているのに、なぜそこで、あなただけが、そっぽ向くのか」という逆転した関係になっている。共感動員からはずれる人に対しては、いじめのスイッチが入ってもおかしくない。
 つくられているクループが、何を言ったってかまわないような、相互に認め合う、水位が深い関係になれば楽になれます。「いじめはだめ」ということを前提に対処しようとする場合、そういう水位の深さをあらかじめ想定しています。しかしそうした想定は、現実と乖離しています。(略)

■社会文化的環境の変化と個性化競争

[自分をそのままだせないコミュニケーション環境]
 どうして、このような友だち関係がつくられるようになったのでしょうか。そこには、二〇年以上にわたってつくられてきた日本社会の社会文化的な環境のなかで、友だち同士の関係に特有の意味が加わってきたことがあると思います。たとえば、深刻で、真面目な話と冗談のような話の境界線が、長い間に変わってきたことがあります。
 九六年の秋から、「文化祭や体育祭やるんだったら自殺するぞ」というような自殺の予告が続き、学校が対応に途方にくれたことがありました。「あれは、冗談で、ふざけているだけだ」という意見もありました。しかし、ふざけた調子で言ったから深刻でないとは言えません。逆に、笑い話のような調子で、自分のいちばん深刻な問題を伝えるということは立派に両立するわけです。ラジオの深夜の音楽番組にたくさんくる投稿を分析するとそれが明らかなのですが、そうしたことが文化的には普通になっています。そういう文化のなかで、お互いが自分の気持ちを伝え、表現し、自己呈示する。自分の出し方がずいぶん変わっているわけです。
 たとえば、いまは、ストレートに「私、手首を斬っちゃった」などと言い出すとすると、「あいつ目立ちたいからそういうこと言っているんだ」と受け取るのが一般的です。ほんとうに深刻だったら、そんな相手が引くような仕方で言わないというのです。(略)
 そんな状況がすすんでゆくことで、深刻な問題は無視してしまうという排除の構造が平気で成り立ってしまうことが、とくに九〇年代後半以降ははっきりしてきました。排除と共感が二重に重なっているわけです。こうした文化的なプロセスを、この秋に出版する本(『「問題」としての青少年』仮題、大月書店)のなかで、少し詳しく扱うつもりです。この排除と、その排除の反対側で排除されたくないと考えて、いっしょに同調していく「共感動員」のような世界がつくられているのです。

[「なりたい私」がほんとうの自分]
 付け加えると、「共感動員」の世界で、私というものをどういうふうに出すかについても、その中身が変化しています。普通大人が、「あなたの本心を言ってごらん」という際に考えていることは、外に出てくるものには、内面・内心があって、自分の心のなかでほんとうに思っていることを外側に出してごらんという意味だと思います。しかし、いまの若者・子どもたちの世界では、外面と内面はそういうふうには区分されていない、そういう境界線はつくられていません。
 たとえば、自分がどういう人間であるのかは、ファッションを見ればわかるというわけです。寝癖をつけるなど、だらしない恰好をして、服装が変だというのは、服装が変なのではなく、あいつはおかしいということになるのです。外面は内面なのです。
 さらに言えば、「私はこういう人」という自分の特徴づけは、最近では、「キャラ」と呼ばれています。このギャラとは、キャラクター・自分の性格や特徴のことではなく、「なりたい私」のことだと思います。自分とは何か、それはなりたい自分のことなのです。メイクをするの当たり前で、メイクをしないスッピンは、ただ素顔の自分なのではなく、素材、材料にすぎません、なりたい自分を見せることによってはじめて自分を出すことができるということを、人がよくわかっていない。だから、自分をきらんと出すためには、なりたい自分をちゃんとつくらないといけないということになります。この構造では、大人から、「あなたはどうなの」「自分自身のことをもっと出していいんだよ」と言われれば言われるほど、なりたい自分をつくらなければいけないという強迫的な要求に迫られるようになります。
(略)そして、そうした脅迫的な「自分づくり」の要求が就活にまで続いているのが、現在の日本社会です。「特別な存在になれ」「特別な存在でなければお前には価値はない」ということを社会全体で辿り続けているのです。

■どのように対処すればいいのか

[まずは暴力的な迫害、被害をとめる]
(略)

[信頼できる大人をみつける]
(略)

■基礎的なレベルで大事なこと

[一人ひとりの人間としての尊厳を大切にしてつきあう]
(略)

[安心していっしよにいられる関係こそ願い]

 いじめはなくならないと言いましたが、ではそうしたなかで、みんなどうやって生きているのか。もちろん、いじめの被害にあった人は、その結果、長い間苦しんでいて、ある意味では取り返しのつかない、人間のいちばん基本的な部分のところの、ただそこにいるだけでいいということを侵害されています。同時に、若者・子どもたちはそれでも、何とかそこにいられる場所をお互いにつくりだそうと努力しています。その努力が、「共感動員」のような形になると、裏目に出て苦しいことになってしまうのですが。
 そこで若者・子どもたちが求めているものははっきりしていると思います。自分たちが、能力が高い低い、成績がいい悪いなどによって区別をされたり、序列をつけられたりする社会ではなく、ただ自分がそこで、安心して、となりの人といっしょにいられるようなそういう関係をつくっていきたいという要求です。いま、「構造改革」、新自由主義的な競争のなかで、自分の能力を発揮することに煽りたてられることが続いています。しかし、若者・子どもたちはそんなことを望んでいないのです。できても、できなくても、ただ普通にお互いに安心をしていられるような社会を築いていきたいと考えています。そういうことを多数の子ども、若い世代が考えている。その要求、希望を実現していくために、どうしたらいいのか、大人は何を支援できるのかを考えていけば、道が開けると思います。
 重大な結果におよんだいじめ事件は結果から逆算して対処を考えていきます。もちろんそれは必要ですが、せっかく気づいたのなら、問題をもう少し広くとらえて、社会的な合意の輻を広げていく努力が必要なのだと思います。いじめの被害者の保護者の方たちが異口同音に言われるのは、二度とこういうことをくり返してほしくないということです。子どもを奪われた無念さはもちろんあると思いますが、どうしてこういうことが起きてしまったのかを明らかにし、二度とくり返してほしくないという要求があるわけです。これにこたえるためにも、いま子どもたちの関係のなかで、おきている困難、そこで出てくる軋轢を真剣にうけとめ、若い世代のもっている要求や希望にこたえるような支援の仕方を考えていく必要がある。
 そこでは、現実に深刻な状態にいたらないで、何とかやっているようなモデル――それは「よくぞこんな社会のなかで、お互い傷つけあうことなく、関係をつくっている」という経験――には、どんな特徴があり、どういうことが大事だったのか、大人と子どものかかわりも含めて、教訓としてくみあげていくことも大切だと思います。子どもたちの人間関係を豊かにしていくための経験、大人だけではなく、子どもたち同士のなかで考えられている配慮といったものをもっとよく聞きとり、くみとって、そこから教訓をひき出すということは、十分に可能なのではないでしょうか。


引用者コメント:直接関係ない問題圏だが、現在日本の極右ナショナリストと、反植民地主義者は、ある一点において一致しているように私にはおもえる。「戦後史なるものは完全に歴史のクズだ」。中西氏が「よくぞこんな社会のなかで~」といった意味は、そのレトリックに接続できる。もしこのレトリックを根本的に否定できないならば(反植民地主義者たちが「戦後史」を再発見できなければ)どうなるか。はっきりしていることが一つある。「これ」、「日本語」なるものはまったくそのままの意味で、”完全に崩壊する”、ということだ。

「社会を剥奪された若者のバーチャル・ナショナリズム」(2013年、中西新太郎、『唯物論研究年誌』第8号)

CiNii 論文 -  社会を剥奪された若者のバーチャル・ナショナリズム (特集 現在のナショナリズム--哲学的な解読)

1 「若者とナショナリズム」という問題図式

 昨年のワールドカップ・サッカーで、イングランドやブラジルなどのユニフォームを身に着け、にわかサポーターに変身した日本の若者たちのすがたが、奇妙なかつ新鮮な行動として海外で報じられた。スポーツナショナリズムの従来のあり方に照らすとおよそ理解し難いそうした振る舞いは、「ナショナルな身体」をもはやもちようのない新しい「個」の誕生のように映る。日本の伝統的ナショナリストなら苦々しくそう断じるかもしれないが、はたしてそう言えるのだろうか。
(略)
 誤解を避けるために最初に断っておくと、若者のナショナリズムを問題にするのは、若年層にナショナルな感情が突出して現れているからではない。たとえば戦争責任の所在や引きつぎといった論点での若年層の意識は年長世代よりも高く(1)、「平和ぼけ」の無責任な若者などという像は偏見に満ちた非難にすぎない。九〇年代に出現したネオ国家主義運動に若者たちが加わったこと、その衝撃が、「若者とナショナリズム」という問題図式に社会的注目を集めさせた原因であろう。しかし、ネオ国家主義への若年層の参加という現象は、九〇年代における国民統合の新たな展開という、より一般的な歴史的・社会的変化を反映するものであり、若年層の「特異な」ナショナリズム出現を意味するものではない。ここで焦点を当てたいのは、むしろ、アイドルに熱中するのと大差なく「ニッポン、ニッポン」と応援するパフォーマンス、好きなチームならどこだろうとサポーターになってみせられる「国際主義」と、無邪気で「他意のない」愛国心の発露とが易々と併存しうる感覚、たとえば『凶気の桜(2)』のように、暴発感情にすぎないものが、何か「国家主義的なもの」と結びつけて描かれ受けとられること……およそこれらのことがらをつうじて浮き彫りにされてくる「国民化」の新たな回路とメカニズムである。
 冷戦体制崩壊後のグローバル資本主義秩序(多国籍企業の世界支配)下で経済大国の地位を維持するために必要とされる「ナショナルな統合」の実現は、現代日本の支配層にとって焦眉の課題となっている(3)。ネオ国家主義運動のみならず、国家主義とは正反対にみえる新自由主義政治理念のうちにも、「ナショナルな統合」をめざす強力な主張が盛りこまれている(4)。グローバル化の時代に君が代・日の丸の国歌・国旗化がすすめられ、社会生活の諸分野における国民統合が強化されていることは、一見奇異にみえても、グローバル世界秩序内での「強い国家」を実現するという統治の文脈にそくしてみれば不思議ではない。この意味で、ナショナリズムは、再び、現代という時代を覆う支配思想、体制思想になろうとしている。
 ただし、現代日本ナショナリズムが、将来の国際的地位を確保させる、その意味で「未来に開かれた」体制思想たりうるためには、戦後ナショナリズムをふくめて、伝統ナショナリズムからの離脱・転身を図らねばならない。たとえば、「束アジア諸国との間では、民主主義と市場経済の理念を共有する地域的パートナーシップを積極的に築いていくことが、地域全体の平和と繁栄のために重要」だ(経済同友会「二一世紀宣言」)とする財界にとっては、いまだにアジア諸国、民衆の警戒心を呼び起こす侵略戦争国家日本の過去を、将来の政治的・経済的障害にならぬ範囲内に押しこめ処理することがぜひとも必要となっている。九〇年代という「証言の時代(5)」の開始期にこの課題を支配層がやり遂げることには大きな困難があるが、だからこそなおさら、忌まわしくつきまとう過去からの離脱を、「国民的転換」として、ナショナル・アイデンティティの再構築として、なし遂げることが重要になるのである。
 ならば、この「過去からの離脱」要求が、ナショナリズムの思想形態上では、具体的にどのように表出されているのか。
 第一は、戦争体験に重く規定され、五〇年代には典型的であったが、高度成長期をつうじて空洞化が進行していった、ナショナリズム思想をめぐる対抗、布置連関にもはや縛られないという意味での離脱、別言すれば、「戦後」からの離脱である。「戦後」からの離脱過程とこれに規定されたナショナリズムの形態変化について本稿ではくわしく言及できないが、「天皇ぬきのナショナリズム」はこの一例であろう(6)。
 第二に、こちらはしばしば看過されがちであるが、現代日本社会の「オンリー・イエスタデイ」たる企業社会―消費社会秩序からの離脱、すなわち、企業社会―消費社会の社会統合機能が衰弱し機能不全に陥っていることを批判し、ナショナルな統合の再構築を積極的に主張する点で、「脱戦後」からの再度の離脱である。
 このように、「戦後」からも、「脱戦後」からも自由な統合イデオロギーたらんとするところに、現代日本ナショナリズムがもつ思想形態上の特質が示されていよう。したがって現代ナショナリズムの性格と機能とを検討する場合、それが過去のあれこれの思想形態にどれだけ接近しているかを発見するだけでは決定的に不十分である。「未来志向」の、新種の帝国主義ナショナリズム(7)としての自覚、変身、成長をより深く検証すべきなのである。「若者とナショナリズム」とのかかわりを問う問題図式もまた、この視点から評価されねばならない。若年層に特有の「ナショナリズム」がもし析出されるとすれば、それは、上述の点で二重の離脱をなし遂げようとする現代ナショナリズムの可能性と、どこでどのような仕方でかかわっているのか――このことが問われるべきである。

2 「ナショナルなもの」を身に纏う新たなパフォーマンス

 (略)「ぷちナショナリズム」にひそむ危険性に警鐘を鳴らした香山リカ氏の主張(9)は、この点で正鵠をえている。香山氏の言う「ぷちナショナリズム」には、現代ナショナリズムのポテンシャルを映し出すさまざまな要素がふくまれている。そこで、現状では「卑小」にしかみえない「ぷち」ナショナリズムの潜在力をあきらかにするために、まず、「ぷち」に含意されている統合機能の性格や感情マネジメントのかたちを、「ぷち」要素として整理してみよう。

 《非政治性と日常性》
(略)

 《パフォーマンス性》
(略)

 《没入感の要請》
(略)

 《自己中心性》
(略)

 《自己肯定の絶対性と異論の排除》
(略)

3 逆説的国民化の罠

(略)
 戦争と平和にかかわる「国民的経験」を「人間主義」化する(18)とは、国家によって本質的に規定された経験のありようから焦点をずらし、個々人の体験の次元へと視点を移行させることを意味する。たとえば伴淳・アチャコの「二等兵物語」のような「アチャラカの文法」による戦争体験の喜劇化(19)にみられるように、「人間主義」視点の採用には、国家意思に左右される生を嗤うことで国家をも相対化する契機が孕まれている。この「国家にかかわるような生のあり方」から離脱するという脱「国家」主義機能こそ、「人間主義」化の核心にほかならない。そして、「国家にかかわること」への嫌悪感や忌避感をこのように「人間化」することは、「日本人の戦争体験」を思想化するうえで、脱「国家」主義の罠とでもいうべき陥穽を用意することになった。すなわち、侵略戦争に「心ならずも」兵士として動員された国民が否応なくになわされてしまう国家意思と、これにともなう責任の次元――被害経験の側からは当然そこにこそ焦点が当てられ、検証と分析と謝罪とが要求される――を不可視にするという陥穽である。たとえば、五味川純平『人間の条件』がテレビドラマ化されたとき(TBS、一九六二年一〇月~六三年四月)、「嫌悪感の象徴のような軍隊のなかで喪失しようとする個(人間)を極限状況でも懸命に守ろうとした梶という主人公の魅力」に焦点が合わされる(20)というような視点の転換は、この象徴的一例である。大衆社会化の本格的開始期にあたる高度成長初期に大衆メディアの主役に躍り出ようとしていたテレビが戦争を主題化するさいには、当時の「お茶の間路線(21)」がきびしい制約になっていた。「人間の条件」にしても、「原作の持つ暗い雰囲気を梶と美代子の夫婦愛に焦点をしぼることによって、お茶の間向きの明るいものにしたつもり」という監督の発言(22)がこの事情をはっきり物語っている。
 しかし問題はそのことに尽きない。(略)きわめてアイロニカルな状況だが、「わたしはいまの政府がどう言おうと、それとは別に平和を望んでいるし、国家が個人にどうこうせよと要求すること自体大きなお世話だ」という離脱意識、脱国家意識のありようこそ、高度成長期日本社会が進行させた特有の国民化作用であった。すなわち、国家の制度的・イデオロギー的威力をそれと意識せずに、個の立場の表明によってそうした威力から逃れられるかのように感じさせること――そういう独特の「個人主義化」過程にこそ国民化の力がはたらいていたのである。(略)
 さてしかし、国家への「政治的」関与が疑われるようには振る舞わないという位置どりと、気楽に自由に「ナショナルなもの」を受容できる――たとえば、魅力的な戦争を語れるようになるくらいにまで――状況選択とのあいだには、大きな距離がある。この距離を埋める意識機制をあきらかにするために、「企業社会―消費社会」秩序からの転換というもう一つの離脱、「脱戦後」からの離脱を検討しよう。

4 バーチャル・ナショナリズムの強さ

(略)

 5 「社会剥奪」からの脱出と自己中心的国民化

 「ぷち要素」として指摘した自己中心性や自己肯定の絶対化が「ナショナルなもの」への没入となぜ結びつくのか、その社会的根拠について、企業社会秩序の縁辺におかれた若年層の「社会剥奪」状況とそこからの意識転回を中心に述べよう。
 生活の本来多様で豊富な社会的リアリティが縮減され、個体化された生(社会的・共同的な現実の支えを失った生)へと還元される状況は、若年層が自らの生の社会的リアリティを繋留させるに足る政治的・社会的・経済的基盤に徹底的に乏しく、むしろ、これらの基盤を剥奪されているという事情に多く起因している。若年層を総体としてアンダークラスと規定できるかどうかは別にして、企業社会―消費社会秩序の下での彼らの生は、個体化されたそれへと切りつめられてきた。さらにまた、この秩序が上から再編される九〇年代後半からの体制転換期には、若年層の大半における縁辺化(35)がさらに進行して、生の社会的リアリティをつなぎとめられそうな「社会」は、彼らの視圏からいよいよ遠ざかっている。(略)
(略)無力を「生き抜く」という状況は自己矛盾を孕んでおり、無力性を「克服」しようとすることが、自らを「いないようにする」行為へと水路づけ内閉化することは容易に想像できよう。そうした静かな「退出」の典型的形態として、たとえばネット自殺が、いま私たちの眼前にある。前に指摘した人間主義は、ここではもはや存続しえない。すなわち、「脱戦後」からの離脱は、思想的には、人間主義の解体をふくんでいる。
(略)
 社会の外部に生きる存在である若年層は、しかし、「ジコチューな国民化」さえもふくめ、社会統制がはたらきにくく予測のつかない危険な行為に出る存在とみなされている。このため、青少年の振る舞いはしばしば「モンスター」の行為に類する扱いを受け、彼らの生活圏全体をより強力に統制しておくべきだという主張が統治政策として打ち出されるようになってきた。教育基本法の改定をはじめ、記憶に新しい奉仕活動の義務化論などなど、「ナショナルなもの」への緊縛や社会統合の強化が教育政策、青少年政策の領域で強く叫ばれるのは、こうした文脈にそってのことと言える。しかし、ここで述べた「社会剥奪」の性格を踏まえるならば、たんに訓練主義や儀礼主義の強化では、統合の実が上がるということにはならないだろう。「心の教育」推進にみられるような、内面そのものの馴致にまで統制の「深化」が図られぬことには、とうてい「効果」も期待できないのである。「社会」への「本心」からの恭順を要求するそうした政策は、「本心」のレベルでの、より徹底した「分裂」と「解離」とを義務づける。そうしてもたらされる、解離的である以外には自己の生を生きようがない事態は、自己中心性という鎧で守られた自己肯定の感覚までをも解体し、転倒した形態ではあれ自己を現実世界につなぎとめる最後の橋頭堡を見失わせるであろう。タナトスだけが唯一「実感」でき、空虚なもののためにためらいなく「死ねる」社会が到来する(41)。
(略)
(略)もちろん、海外出兵のような国家の「リアルな汚れ仕事」を現場でになうのは、「負け組」の下層であるから、彼らをも統合しうる肯定的物語りがないことには、危なくて銃などもたせることができない。といって、社会的統制を強めようとすれば、すでに述べたように、かえって、解離的人格(壊れた人間)を強めるだけであるから、バーチャル・ナショナリズ厶の支持基盤でもあるタナトスは、体制秩序にとっても暴発の危険に満ちたものなのである。
 「若者とナショナリズム」という、誤解をふくんだ問題図式は、「社会剥奪」の現代的特質を浮き彫りにした。「社会剥奪」状況が「ナショナルなもの」に各人を吸着させる回路には、支配秩序にとっての両義性が存在しているが、同じことは、今日の帝国主義ナショナリズムに対抗する側にとっても言える。問題は、「社会剥奪」からの脱出と「社会」の再獲得が、どのような社会的リアリティとの邂逅・結合によって果たされるのか、しかも社会を剥奪されている側のどのようないとなみによってそうできるのか、である。「ナショナルなもの」へと回収される生とは対極に立つ生を、豊穣な社会性の再獲得をつうじてリアルな「もう一つの生」として具体化できるかどうかが間われている。

[注]
(1) 牧田徹雄「日本人の戦争と平和観・その持続と風化」(NHK放送文化研究所『放送研究と調査』二〇〇〇年九  月号)に紹介された調査結果を参照。
(2) 窪塚洋介の希望によって映画化されたヒキタクニオ凶気の桜』(新潮社、二〇〇〇年)は、「ネオートージョー」という極小「ナショナリスト」結社の若者を描くというスタイル(ネタ)で、「純粋な暴力」に自己を曝す快感の存在をみせかける。「ナショナル」な装いに生臭い欲望(企業社会―消費社会秩序の)への浄化力をもたせているのがポイントだ。
(3) 九〇年代におけるナショナルな統合要求の展開過程とその政治的機能については、渡辺治『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成』(桜井書店、二〇〇一年)参照。
(4) たとえば、小渕内閣時の「21世紀日本の構想懇談会」による報告(『日本のフロンティアは日本の中にある』講談社、二〇〇〇年)はその典型である。
(5) 「証言の時代」の意味、とりわけ日本国家の戦争責任問題と不可分にかかわる東アジアにおける「証言の時代」の意味については、徐京植高橋哲哉『断絶の世紀 証言の時代』(岩波書店、二〇〇〇年)を参照。
(6) 天皇ぬきナショナリズムが支配層のナショナリズムに組みこまれることは、天皇制なき国民主義が体制外のリベラル左派として成立した五〇年代日本の思想配置が通用しなくなることを意味する。渡辺治前掲書、一八六頁以下参照。この点の確認は、加藤典洋氏の戦後認識や小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社、二〇〇二年)の描く国民主義像が前提にしている九〇年代認識を検討するうえでも重要であろう。なお、天皇ぬきナショナリズムの存在を同様に確認している例として、大塚英志『少女たちの「かわいい」天皇』(角川文庫、二〇〇三年)参照。
(7) 「帝国主義的」というのは、「ナショナルな統合」によって、グローバル世界秩序内で支配的地位を占められる国家に帰属する支配国民としての陶冶、支配され従属する他者にたいする優越性の確証がめざされるからである。
(9) 『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ、二〇〇二年)。以下、同書の引用はページ数のみを示す。
(10) イギリスにおける具体的な展開事例の検討として、たとえば、Anne Bloomfield, 'Drill and dance as symbol of imperialism,' in J. A. Mangan(ed), Making Imperial Mentalities, Manchester Univ. Press, 1990などがある。なお、興味深いことに、二〇世紀国家のナショナルな儀礼が組織される過程で、明治の日本国家はイギリスでは「先進」とみなされていた。
(11) YOSAKOIソーランの組織戦略については、坪井明善・長谷川岳YOSAKOIツーラン祭り』(岩波アクティブ新書、二〇〇二年)参照。
(12) 香山氏が「ぷちナショナリズム」を解毒するモチーフに小川彌生きみはペット』(講談社、コミックスキス、二〇〇〇年上を挙げているのは、自己中心性の解体という観点から興味深い。ただし、自己中心性のカウンターパートには社会的無力性が存在しており、後者もまたナショナルな統合の強力な社会的基盤をなしているから、逸脱-脱力はナショナリズムを自動的に無力化するわけではない。
(13) 荷宮和子『若者はなぜ怒らなくなったのか』(中公新書ラクレ、二〇〇三年)が怒りを向ける、「決まっちやったことはしようがない」と、はなから諦め、怒ることのできない若者像は、絶対的自己肯定のこうした反転像である。
(14) このように偏狭とみなされる政治文化は、しばしば、日教組や「左翼」が牛耳ってきた「戦後民主主義」として概括される。「自然な感情」を抑圧する「左翼政治」という図式内で「感情の居場所」を探る様相は、たとえば、上野陽子氏による「史の会」の観察によく伺えよう(小熊英二・野陽子『〈癒し〉のナショナリズム慶應義塾大学出版会、二〇〇三年)。後述する「お茶の間路線」の延長線上にあり、その行き着いた形態と言える近年のワイドショーには、徹底的に通俗化された「政治への嘲笑」が満載されている。それはいまや転倒したかたちでの、偏狭な政治文化だとさえ言えよう。
(15) たとえば、『戦艦大和の最期』の著者として知られる吉田満の主張はその一例である。自らを戦中派世代と規定し、「絶えず死の危険に身をさらしながら、世代としての生き甲斐を賭けて、日本の目指すべき方向を暗示すること」にこの世代の使命がある(「死者の身代わりの世代」『戦中派の死生観』文藝春秋、一九八〇年、一二二頁)と述べた吉田にとって、戦後日本の平和は、「死を睹した戦争体験」が礎となるような関係で成り立つ平和でなければならない。そういう平和の確立は、ただたんに個人が戦争憎悪・戦争否定の情熱をもつというだけでは実現できない。「平和は平和そのものの原理によって、つらぬかれていなければなら」ず、同時に、そうした平和主義の本質ゆえに戦争の暴力にたいして受身にならざるをえない平和運動が「受身から攻勢にかわる転機を見出す」ためには、国家意思を導くだけの強さを個人と世論がもちうること、つまり個の意思を公の立場に上昇させる政治回路が必要だ、というのである(「一兵士の責任」同前、一六五頁)。
(16) この「本質的転回」を「外在的批判」から切り離して「内在的」にのみ遂行すべきだという議論には、「内在性」「主体性」の自律幻想とでもいえる了解方法が存在している。たとえば、小路田泰直編『戦後的知と「私利私欲」――加藤典洋的問いをめぐって』(柏書房、二〇〇一年)におけるこの種の議論と、同書に付された山本登志哉氏のコメントを参照。
(17) 和田進『戦後日本の平和意識』(青木書店。一九九七年) 一一八頁以下参照。
(18) 戦争体験にたいする視点のずらしには、「人間主義」化とは対照的な技術主義化も存在した。高度成長期前半に隆盛をみた、少年マンガ誌の戦記物、兵器記事などはその一例である。
(19) 映画「二等兵物語」シリーズの「アチャラカ」の意味については、中村秀之、「〈二等兵〉を表象する――高度成長期初期のポピュラー文化における戦争と戦後」(小森陽一他編『近代日本の文化史9 冷戦体制と資本の文化』岩波書店、二〇〇二年)参照。
(20) 田原茂行『テレビの内側で』草思社、一九九五年、一五〇頁。
(21) 「お茶の路線」については、さしめたり、同前書、二七頁、参照。
(22) 東京ニュース通信社『テレビ50年 in TVガイド』二〇〇〇年、六七頁。
(23) 「アジアの曙」や「夕日と拳銃」などの企画が予定されていた青年路線については、田原、前掲書、一五〇頁参照。なお、この文脈での「陽の当たる坂道」(一九六五年)をめぐる対立について、萩本晴彦・村木良彦・今野勉『お前はただの現在にすぎない』(田畑書店、一九六九年)一九頁、参照。
(24) 詳述できないが、国家に回収されない「個」の立場を血肉化させる方向での反戦・平和主義の深化はありうる。ただ、脱国家の立場を自らの振る舞いに身体化する以外に国民化の影響力を排除できないという思想は、強力な個人的信念をもつ「対抗エリート」だけを平和主義のにない手に想定しかねない。また、思想の「身体化」(人間主義に血肉を与える仕方)が、身体性の次元に孕まれた「共同的なもの」を通路にして、「個」の振る舞いを「ナショナルなもの」に開いてゆく可能性にも注意すべきだろう。「わたしの決断」によってのみ自由にできる「身体」からの出発は、国家に身を捧げる快感の発見に接続しうる。たとえば、個人の生命を賭す決意を倫理の基礎にすえ、この覚悟を「公」への献身につなげようとする、山口意友『正義を疑え!』(ちくま新書、二〇〇二年)はその一例である。
(25) この点の委曲を尽くした指摘は、周知のように、「従軍慰安婦」問題のとらえ方にそくして、徐京植氏が行っている。
(26) 国民化に抗う外在性の契機として「客分」観念を提起された牧原憲夫氏の議論(『客分と国民のあいだ――近代民衆の政治意識』吉川弘文館、一九九八年)に触れるなら、脱国民的な意識の獲得というかたちで国民化が作動する結果、「客分」意識の次元全体が転回することをみておくべきであろう。
(27) 小坂井敏晶『民族という虚構』(東京大学出版会、二〇〇二年)参照。
(28) Tim Edensor, National Identity Popular Culture and Everyday Life, Berg, 2002, p. 12参照。
(29) 同前書、九二頁以下。ハビトゥス論を念頭においたこの種の議論は、国民化の現代的形態をあきらかにするうえで、さらにつめた検討が必要である。
(30) 国民統合の観点からの国民体育大会の検討として、さしめたり、権學俊「スポーツにおける天皇杯の政治性と国民統合-国民体育大会を中心として」(社会文化学会『社会文化研究』第6号、二〇〇三年)参照。
(31) この興味深いエピソードは、森川喜一郎『趣都の誕生』(幻冬社、二〇〇三年)による。一二三頁以下。
(32) 無規定なマスではなく、すでに述べた意味での国民化作用をつうじて国民意識を解除された、という意味でかりにこう呼んでおく。なお、国民国家にあって「国民に一元化されない裂け目」の呼び方について、牧原憲夫編『〈私〉にとっての国民国家論』(日本経済評論社、二〇〇三年)の討論(「個・民衆・国民」)を参照。「国民に一元化されない裂け目」とは、大門正克氏の発言である(一四六頁)。
(33) 『ムー』二〇〇三年七月号の巻頭総力特集として、「天皇家〈神国結界〉の復活 滅びゆく日本を救うヤマトヒメの秘儀」なる記事が、二〇数頁にわたり掲載された。明治期の近代化以降、「霊的国防」を見失い、敗戦時から「キリシタン結界」を張り巡らされ、「完全にアメリカの”属国”に成り下がった」日本に、「神器と天皇を中心にした実効ある結界」を張り直せ、というもの。このような話はもちろん、だれも歯牙にもかけぬ荒唐無稽さだが、バーチャル・ナショナリズムが作動する圏域には、もろもろのそうしたサブカルチャーを包括できる幅の広さがある。「まじめ」なナショナリズムをこうしたネタ文化から区別する溝はきわめて浅い。
(34) 跛行とは、消費文化の先端を生きることと企業社会秩序の「下層」を生きることとのギャップ。このギャップに由来する分裂や乖離を個人の側に押しつけ、社会が青年層を二重人格的に扱うことなどを指している。
(35) 青少年の社会的縁辺化が九〇年代後半以降激化してきた基礎には、いうまでもなく、職業的社会化の困難がある。拙稿「日本的雇用の転換と若年層の就業行動・ライフコース変容」(女性労働問題研究会編『女性労働研究43号 サスティナブルな働き方』青木書店、二〇〇三年所収)および、「非正規・不安定就業とともに生きる――雇用流動化と若年層の意識」(日本科学者会議編『日本の科学者』Vol.38、No.6、水曜社、二〇〇三年)を参照。
(36) 拙稿「家族の中の「個」と共同」(日本科学者会議編『日本の科学者』Vol.37、No.4、水曜社、二〇〇二年)参照。
(37) 「社会的排除」は、フレア労働党(ニュー・レイバー)政策思想のキー観念であるが、ここでは排除の性格についても、この性格理解と不可分な政策的含意についても異なるとらえ方をしている。
(38) 拙稿「新自由主義国家体制への転換と暴力の水位」(『ポリティーク4号 新自由主義国家とネオ・ナショナリズム』(旬報社、二〇〇二年、所収)参照。なお、無力性の観念とかかわって、「所有」観念(無所有、非所有)の検討が必要であろう。
(39) 「思い入れる」という「信」の形式について、拙稿「信じずにはいられない――信」の解体再論」(日本生活指導学会『生活指導研究』No.17、エイデル研究所、二〇〇〇年)を参照。
(40) 香山、前掲書九一頁以下。境界例とされる「分裂」や、新たに注目されるようになった「解離」という心理的カニズムをただちに社会的根拠と関連づけて説明することは短絡にすぎるかもしれない。が、香山氏や荷宮氏が表明している危惧の念は、これらを個人の個別事例にかぎってとらえるだけでは足りないという、おそらく共通の認識に根ざしており、筆者もそう考えている。
(41) この点とかかわって、「やおい文化」が孕む一つの意味を、タナトスへの意志という文脈で論じている、中島梓タナトスの子供たち』(筑摩書房、一九九八年)の視点はきわめて興味深い。

引用者コメント:前に、「現在極右ナショナリズムは、ゾンビになりたいようだ」という意味のことをいったことがある。これはたとえでもなんでもない。そのまんまの言い方しか私はしていない。

「若者と政治――ナショナリズムを支えるもの」(2014年、中西新太郎、『神奈川大学評論 』78号)

CiNii 論文 -  若者と政治 : ナショナリズムを支えるもの (特集 デモクラシーとナショナリズム : 特定秘密保護法以後の日本社会)

 一 非政治化の政治

 これまで、「なぜ政治的関心を持とうとしないのか」という問いに集約されてきた若者の意識・行動について、いま、新たなアプローチが現れている。一方で、脱原発特定秘密保護法反対などの街頭行動に参加する若者たちが注目を浴び、他方、ネトウヨと称される右派「集団」のヘイトスピーチと過激な行動とが耳目を集めている。これらを若年層の政治的活性化ととらえるアプローチである。
 現代日本の若者たちは政治的に活性化しているのか。もしそう言えるなら、活性化を促している歴史的、社会的背景と土壌とは何であるのか。
 若者は政治的関心がないという「常識」は、実は、ドグマにすぎない。七〇年代半ば以降、半世紀近くも日本の若者像を支配してきたこのドグマは、政治的社会化過程を欠如させた社会化様式(日本型青年期)のなせる業であって、これを「関心のなさ」へと逆転させる認識操作は、それ自体が、日本社会の転倒した政治性を鋭く反映していた。つづめて言えば、政治的関心を持たずに生きることの「陶冶」が系統的に迫求されたのである。新規学卒者を企業秩序にスムーズに接続させる日本型青年期は、政治的関心を疎外する政治的排除を不可欠の一環としていた。企業秩序内に空気のようにある「政治」は、「経済大国」時代の生活保守主義と地続きの政治にビルトインされていた。非政治的であることが保守政治の土壌をつくるこの関係では、政治的関心のなさこそが、社会生活を大過なく過ごすための処世術であり、「陶冶」とは、こうした処世術を確実に身に着けさせる作業であった。
 この極端な政治的排除状況は若年層にかぎって生じたのではない。業界、地域地盤をつうじての「政治動員」(投票行動)と結びついた「非政治化の政治」は、保守政治の継続に有効な統治技法であったから、政治的無関心は統治の危機を意味しない。逆に、「非政治化の政治」に逆らって異議を申し立てる社会運動はスティグマ化され、政治問題、社会問題とみなされるイッシュウについて直接行動を起こすことは、安定した社会秩序への反逆のようにみなされ感じられた。

 二 「ウチらのシヤカイ」の政治圏と共感動員

(略)
 とりわけ学齢期の青少年にとって、政治化の土壌は皆無に近い。学校知識としてつたえられる政治は、したがって、政治的排除を現実的で絶対的な前提としながら、あたかもそうした排除が存在しないかのごとく教示されるかぎり、空語や欺瞞と感じられる。つまり、政治的教養の獲得をめざしているはずの教育が、そこでつたえようとする内実(民主主義精神、憲法上の諸権利等々)の「欺瞞性」をつたえる逆機能を果たしてしまう。
(略)
 状況に応じ広狭さまざまに定義される「ウチらの世界」の一体性とは、それでは、「どこへの」一体性なのか?
 共感動員が出現させる心情的一体性は、ルナンが「日日の国民投票」にたとえたナショナル・アイデンティティヘの帰属とは異なる。「こうありたい・こうあるはず」というメタ自己次元の心情的一致に向けて各人が相互保障の関係を築く一体性は、仮構にすぎぬにせよ「フランス国民」という帰属先が想像される前者とちがい、帰属先(寄る辺)の像自体が結ばれない。
(略)

 三 若者は右傾化したか?――窮乏化モデルの不成立
(略)

 四 「反民主主義」感覚と代替的公共圏

 窮乏化モデルでは若者の右傾化現象を説明できないとすれば、右傾化という印象自体が誤りなのだろうか。フジテレビの「韓流偏重」に抗議する嫌韓デモ(二〇一一年八月二一日)は、街中を歩く普通の(と感じられた)若者が参加した点で関心を引いた。つまり、公式政治の視野外におかれ看過されてきた「ウチらのシャカイ圏」が、突如、政治化して(しかも右派と目される政治的主張を掲げて)現れたように映ったのである。
 規模の問題は別として、急進化する右派言説への共感が若年層でも存在することは、既述のように、とりたてて不可解な事態ではない。問うべきは、以前ならまるで疎遠に感じられたはずの右翼的主張(いわゆる右翼の街宣活動を想像して欲しい)とウチらの政治圏とを結ぶ新たな回路が存在するのか、そしてそうだとすれば、この回路の特質はどのようなものか、という点であろう。
(略)

 五 「萌えキャラ国家」としての「日本」

 ウチらの政治圏をネット社会へと侵蝕させることで生じた排除現象は、政治・社会認識の領域にかぎられない私的領域での炎上事件、社会的事件をめぐるさらしなど、疑似公共圏化したネット社会での「正義」の実現と排除の行使とは、現実の公共社会とは異なるすがたをとって発展してきた。政治言説をめぐる抗争はその一部にすぎないとはいえ、疑似公共圏内で表出される「ナショナルなもの」の特質は、若年層の政治的エートスに位置づけられる「ナショナルなもの」の性格を考える上で、有益な示唆を与えるはずである。
 寄る辺なき若者に安定したアイデンティティを付与する「国家」(「日本」ないし「日本人」)という図式では、喪失させられたアイデンティティを回復しつなぎとめるペグとして、何らかの国家像が想定される。「国家」や「日本人」「伝統」を、「あるもの」として感じさせ、それらにたいする崇敬の心情を養うことは、保守右派イデオロギーの強調するところであったし、安倍政権が強力にすすめる教育の国家主義化(拙稿「グローバル時代の能力論・人材養成論と内面陶冶の国家主義」『現代思想』二〇一四年四月号青土社、参照)でも、この視点はつらぬかれている。
 しかし、自己を社会内につなぎとめ包摂する体制的世界としての(日本)国家や日本人のすがたは、嫌韓、嫌中言説では、きわめて曖昧である。いわれない非難を浴びせる反日言動にたいする正当な反撃と位置づけられる「日本・日本人の正しさ」は、日本国民というネイションにも、現にある国家体制にも、確たる結びつきを持たないように映る。「反日」言説に規定され、その反射として、「日本」「伝統」など、伝統的保守右派言説に淵源する「実体」が援用されるのである。「日本の正しさ」への固執と、そのように名指される「日本・日本人」「国家」の空虚な記号性とが併存すること、その背景が問われねばならない。
 若年層が受容する形態としての「ナショナリズム」は、「日本」へと帰属する「意志」の堅固さに焦点をおく。そもそも帰属という観念、それをつうじて確証されるアイデンティティという二〇世紀由来の観念が、この場合すでに、揺らいでいるのではないか。アイデンティティの浮動性にかんする既存の理解が再検討されねばならない。新自由主義グローバリゼーションがもたらす個人化の議論でも、アイデンティティ構築の危機がナショナル・アイデンティティの希求を生むという議論はあった。個人をつなぎとめる紐帯としての「伝統社会」の衰弱がアイデンティティ構築の新たなペグを要求するという理解である。
 しかし、これまで見てきた帰属のエートスは、この図式をはみ出すように思われる。大衆社会論、消費社会論等を下敷きにしたアイデンティティ喪失の物語では、獲得されるべきアイデンティティの観念が前提されていた。この前提自体疑わしいとすれば、「国家的なもの」によって保障され位置づけられるアイデンティティの想定も問題含みとなる。国家によって確証される自己の確実さではなく、「萌えキャラ」としての国家に属することの快感が、「萌えキャラ国家」としての「日本」を希求させ、そうした「日本」をまとう自己への愛が、「反日」を排撃する心情の動力となり、「正義」となるのではないか。「日本」という衣装をまとうことは、アイデンティティ獲得というより、新自由主義グローバリセーションという環境を所与とする「キャラ立て」の所作なのであり、心情操作の技法としては、「艦コレ[#「艦コレ」に「ママ」の注記]」等の擬人化操作の延長線上にある。「ナショナルなもの」のキャラ立ては、こうして、ナショナリズムの財産目録に新たな一つをつけ加えたと言えないだろうか。

引用者コメント:セクシズムとの関係でいえば、少子化がドンドンすすんでいるのにファシズムもドンドン進んでいるとすれば、それは「”真の”ファシズム」といえるのかどうかすら、実は疑問なのではないか?

竹内好・岡本太郎・梶村秀樹からみた『イマジン』――民族文化と民衆文化、そして”ことば”(簡略版)

想像してみよう。
国家はともかく、民族というもののいっさいない世界というものを。
それは、「生活」と「歴史」というものと、きりはなされることを
一度たりともゆるされなかった”ことば”、「これ」のない世界であるはずだ。
それは、行っても行っても、たちはだかって”くれる”人のいない世界だ。
そんなところに、私は頼まれても行きたくない。
生きていることはまるごと「あそび」であるという人がいるが、
そんな世界は、あそび場ですらない、
ぐちゃぐちゃなのっぺらぼうだ。
用心せよ!
イマジン

「あんたはネトウヨ以下だよ。」たった一言で『イマジン』の価値を毀損する町山智浩 - Togetter
イマジン「想像してごらん? 国が無い世界を。」から始まる大喜利。 - Togetter


私は、たしか13歳のころ、岡本太郎氏の『今日の芸術』『日本の伝統』『青春と芸術』そして、『沖縄文化論』を読んだ。このときの、すぐにはいいあらわせなかった衝撃は、今でも手ごたえが残っている。今の私が言葉にするならば、こうなる。「民族文化というものは、すばらしいものなんだ、ほこらしいものなんだ。私にも誰にでも必要なものなんだ。よし、大きくなったら、私も民族文化をつくるぞ!」と、無謀にもにおもったものである。しかし、それがただ単に無謀なだけとは決しておもえなかった。つけくわえて、私が、そのなかで育つはずだった1990年代の主流サブカルチャーの、さらに核心部分に、退廃、将来の文化上の大敗を見ないようにしている気配をなんとなく感じとって、私は単なるごらくとして以上に近づくことができなかった。その結果、自分でもうまく説明できなかったのだが、読書の一つとして、『サザエさん』を読みこむことにむかった。ある意味において、このマンガは「民族文化」と「民衆文化」の両方をひきうけさせられたところがあり、そこにひきつけられたのかもしれない。英語版の『サザエさん』が、海外の「日本研究」と、そして日本語学習にとても役立っている、という話を図書館職員から聞いて、その話をまったくマチガイだとは思えず、その思いを強くした。
梶村秀樹という人とのさいしょの出会いを、私は実はおぼえていない。梶村という人と本当に”出会えた”と思ったのは、その歴史学構築の舞台裏において、竹内好という独特の存在感をもつ人との格闘があったことを確かめたときである。具体的には、『梶村秀樹全集』第1巻収録の論文「朝鮮語で語られる世界」「竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」「「日本人の朝鮮観」の成立根拠について――「アジア主義」再評価論批判」そして「朝鮮からみた明治維新」を二度読んだときのことである……。

さて、なぜだか過去から呼び出された歌、『イマジン』について。コメントを読むと、国家論はあるものの、民族論といえるものはほとんどない。それは私を何度目かの幻滅においやる。現在日本で、「民族」といわれたら「あなた変な宗教に入ったのですか」ぐらいのことをいわれるとおもうが、「文化」といわれたら、どんな反応が返ってくるだろう。
私をいま悩ませている問題の一つは、「母語といわれる日本語、この特定の言語はこの先どうなってしまって、かつ、どうあるべきか」ということである。論理的に考えて、日本語がまったく使われない世界というのは、日本民族がまったく生きていない、存在しない世界である。だれがなんといっても、必然的にそうなる。

現在を生きるほとんどすべての反植民地主義者の発言を私なりに総合すると、だいたいこうなる。「日本民族(←現在、本当にそんなものが存在するのか?)は民族文化も民衆文化も生きていないし、少なくとも明治維新以後、そんなものは私たちに見えてこない(←一応そう言える)。朝鮮民族(←これはたしかに存在する)は、民族文化も民衆文化も生きている。これは必然そのものの上に、かけねなくほこらしい」。
では、日本民族として生まれ育ったこと”自体”が、その、ほこらしい、民族文化も民衆文化も不可能の理由、ということになる。「それは極端だ!」と反論されるだろう。だったら、私はこう言い返そう。
「じゃあ、その、日本民族の民族文化もしくは民衆文化の実物を見せてください。過去にだけ存在したものでもいいから。」
過去にも現在にも実物がないのに、未来の存在の可能性を信じろ、というのは、はっきりいえば、宗教以下である。論理的にいえば、そうなる。
だったら、主体的(いまなお混乱した用法のただなかにある単語だ)に日本帝国主義に反対する方法は、逆説的に「徹底的に、どこからどうみても朝鮮人にみえるようにすること」、これしかない。構成主義的民族観からいえば、そうなる。意外な感じがするが、梶村秀樹はいわゆる対日協力者として断罪される李光洙(이광수、1892~1950、)について、ある種の主体性をみとめる。

 それどころか、日本帝国主義は、とくに一五年戦争期には、逆に朝鮮人の主体性までもとりこもうと「皇民化政策」を強行し、在朝日本人は末端までそのための意識的・無意識的な要員と化した。そうしたなかで、日本人総体への警戒をとくことは、日本帝国主義のしかけた同化=動員のわなに自らとびこんでいくことを意味した。とりわけ上層の朝鮮人に対しては、一定の物質的・精神的な「アメ」さえちらつかせ、節操を持ちこたえる困難にひるむ弱い部分を誘惑した。また、状況的に生きようとする者を深みにひきこんだ。たとえば三・一運動の頃の著名な学生活動家であり、二〇年代には「民族改造論」をうちだして民族運動の理論戦線に波紋を投じていた李光洙も、深い精神的屈折を刻印されつつとらえこまれていったなかの一人であった。かれが香山光郎(旧李光洙)という名で書き残させられた『内鮮一体随想録』というパンフレットは(15)、その必死さに圧倒され、日本人として衝撃なしに読み終えることができない歴史的文献である。ある意味では、帝国主義の残酷さに対する最も辛らつな批判であるということができよう。あえてその冒頭の部分を引用してみたい。

 「内鮮一体とは朝鮮人皇民化をいうのであって双方歩み寄ることを意味するのではない。朝鮮人の方で、どんなことがあっても天皇の臣民になろう、日本人になろうと押掛けて行く気魄によってこそ、内鮮一体はなるのである。だから内鮮一体の鍵は朝鮮人自身が持っていることとなる。朝鮮人の『識者階級』で、よく『本当に内鮮一体にしてくれるのかな』と、如何にも不安そうにそくっている声を聞く。真に内鮮一体となれば、内地人の朝鮮人に対する特権が消失するから、内地人は、朝鮮人が本当に日本人になることを嫌うだろう、という心である。これは一見、馬鹿馬鹿しい杞憂のようではあるが、実際は相当に根深い杞憂である。また、意外にも内地人の中でそんなことをいっているものもある。しかし、内鮮一体になることを許すと許さぬとは、上御一人の大御心であって、内地人だからといって、どうのこうのという性質のものではない。……だから、朝鮮人側からいえば、ひたすらに自己を皇民化して行けばいい。内鮮一体にしてくれるとか、くれぬとか、そんな心配は一切無用だ。間題は朝鮮人自身の心構や努力にある。もし朝鮮人が発憤して国語を学び、日本精神を学び、日本の礼儀作法を学び、そして内地人同様臣民の道を実践する日が、十年以内にあるとしたら、内鮮一体は十年以内に完成されるだろう。しかし、もしまた朝鮮人が発憤せず、怠けるならば、……或は、朝鮮人の子孫は、国家より見棄てられ、膺懲せられて自滅の運命をたどるかも知れぬ。しかし勿論そんなことはない。内鮮一体は必らずなる。要は一日でも早くその日を来《きた》らせることだ。一日遅れれば一日の損がある……」

(「日本帝国主義の問題」[1977年]、『梶村秀樹著作集』第二巻収録)

過激で愚劣な夢(渡辺一夫)を見たいと願ってみよう。少し、単語を入れ替えてみる。

「朝日友好とは日本人の朝鮮人化をいうのであって双方歩み寄ることを意味するのではない。日本人の方で、どんなことがあっても朝鮮人になろう、朝鮮人になろうと押掛けて行く気魄によってこそ、朝日友好はなるのである。だから朝日友好の鍵は日本人自身が持っていることとなる。日本人の『識者階級』で、よく『本当に朝日友好ができるのかな』と、如何にも不安そうにそくっている声を聞く。(略)しかし、朝日友好になることを許すと許さぬとは、朝鮮人魂そのものにあるであって、混血だからといって、どうのこうのという性質のものではない。……だから、日本人側からいえば、ひたすらに自己を朝鮮化して行けばいい。朝日友好にしてくれるとか、くれぬとか、そんな心配は一切無用だ。間題は日本人自身の心構や努力にある。もし日本人が発憤して(南北の)朝鮮語を学び、朝鮮精神を学び、朝鮮の礼儀作法を学び、そして朝鮮人同様の民族文化を実践する日が、十年以内にあるとしたら、朝日友好は十年以内に完成されるだろう。しかし、もしまた日本人が発憤せず、怠けるならば、……或は、日本人の子孫は、東アジアより見棄てられ、膺懲せられて自滅の運命をたどるかも知れぬ。しかし勿論そんなことはない。朝日友好は必らずなる。要は一日でも早くその日を来《きた》らせることだ。一日遅れれば一日の損がある……」

こんなことは、どこかにいるはずの朝鮮民族の、もっとも過激な論者といえども、”おそらく”考えていないはずである。もっとも過激な論者だったら、こういうはずだから。「日本人のみじめたらしいモノでしかない民族魂に、朝鮮人のもっともほこらしい民族魂(←それはいったいどんなものなのか……)が一歩たりとも近づけるものか!」

……もちろん、こんなことは梶村秀樹が望んだことではない。竹内好も望んでいないはずだ。岡本太郎も望んでいないはずだ。ただし、構成主義民族観の論者ならば、これに反論することは不可能のはずだ。構成主義民族観は、「民族文化」の結果だけみて、そのはじまりにおける必然性と試行錯誤の過程を基本的に無視する。「文化の創造」について、完全に記述できるのなら、それは神の視点のはずだが、構成主義民族観は、そのかわり、「決断」「迷い」そして「創造」をブラックボックスにほうりこんでおく。特に俗流のそれは、言っていることは、ほぼそれに尽きる。少なくとも、私のみるかぎりでは。そして、伝統のカタマリでしかないハズの、「これ」、「ことば」そのものが「文化」だということを決まったように無視する。
だから、構成主義民族観にカツを入れるつもりで、私は日本語全廃論に限りなく近い案を打ちだした(ほかにも理由はあるが)。構成主義民族観の論者にはとんだとばっちりかもしれないが……。
朝鮮民族は、まず「日本語まるごと」をさしおさえよ - s3731127306973のブログ


私が考えていることは、たしかに過激な”仮説”にすぎない。
しかし、これは言っておきたい。政治も経済も大学も外交も医療も技術も数理科学も人文学も統計学も歴史への見方も宗教も(ついでに)儀式もめちゃくちゃのきわみで、ただ「日本語」だけはほとんど無傷、まっとうなどということは、だれがどう考えても不可能である。そんなことは13歳の子どもだってすぐわかる。そして、それは2019年4月現在、現実的な可能性としてうかびあがってきている。アジアに対してペコペコするだけのかわりに、どこかの特定言語(おそらくは英語が三分の一、中国語が三部の二?)に対してペコペコするだけしかできない、みじめたらしい「民族」、そんな可能性がはっきりと目に浮かぶ。「違う!」というのならば、その人にはキッチリ根拠を説明してもらいたい。




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「語学とは学ぶ者の”ことば”化をいうのであって双方歩み寄ることを意味するのではない。学ぶ者の方で、どんなことがあっても”そのことば”になろう、”そのことば”になろうと押掛けて行く気魄によってこそ、語学はなるのである。だから語学の鍵は学ぶ者自身が持っていることとなる。学ぶ者の『識者階級』で、特に何もしないで、よく『どれだけ語学ができるのかな』と、如何にも不安そうにそくっている声を聞く。(略)しかし、語学をすることを許すと許さぬとは、”ことばの魂”そのものにあるであって、混血だからとか、過去どう育ち生きたかとか、どうのこうのという性質のものではない。……だから、学ぶ者の側からいえば、ひたすらに自己を”ことば”化して行けばいい。”ことば”がなにをくれるかとか、くれぬとか、そんな心配は一切無用だ。間題は学ぶ者自身の心構や努力にある。もし学ぶ者が発憤して”ことば”を学び、その”ことば”の歴史と精神を学び、”ことば”の生活におけるほこらしい姿を学び、そしてその”ことば”を使う人びと同様の”民族文化”を実践する日が、十年以内にあるとしたら、語学はそれだけ完成されるだろう。しかし、もしまた学ぶ者が発憤せず、怠けるならば、……或は、学ぶ者の子孫は、”ことば”より見棄てられ、膺懲せられて自滅の運命をたどるかも知れぬ。しかし勿論そんなことはない。学ぶ者は必らずなる。要は一日でも早くその日を来《きた》らせることだ。一日遅れれば一日の損がある……」


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「梶村秀樹の「未発の契機」――植民地歴史叙述と近代批判――」(車承棋)の紹介 - s3731127306973のブログ

強調は引用者

4. 翻訳不可能性

 梶村秀樹はなぜ朝鮮史を研究しようとしたのか。彼は自分自身に絶えずこの問いを投げかけながら朝鮮史研究にあたった。その意味で、彼は「朝鮮史を研究する日本人」という自意識を明らかに持っていた。この問いと意識を一貫して持っていたがゆえに、彼は朝鮮(人)に対しても、日本(人)に対しても、さらに歴史と世界に対してもユニークな観点を取ることできた。彼が「内在性」の観点を堅持し、「未発の契機」を重視したことも、このような自意識の作用と分かち難く結びついている。
 ところが、この自意識は、逆説的ながら「外部」に対する敏感な感覚を示すことでもある。朝鮮史の根本動力を「内在性」から見出す梶村が、「外部」に対する感覚を持つとはどういうことだろうか。彼が朝鮮史の発展の「内在性」を見出せたのは、彼が日本人として朝鮮史を見ているということ、すなわち自分自身は決して円満にそこに「内在することができない」という感覚を強く持っていたからである。彼は、自分が日本語で語られる世界から朝鮮語で語られる世界を見ているという事実を決して忘れようとしなかった。

日本人は、あまりにも当然のことではありますが、朝鮮の事を日本語でまず考えるよ引こなる。朝鮮の事にかぎらずすべてを、つまり自分達を或いは世界を日本語によって考える。そして日本語の世界の中で朝鮮の事を考え、何となく日本語を通じて朝鮮のイメージを貯える。僕ももちろん例外ではなかった。それが勉強の過程で、そのようにして日本語で出来ている自分の頭の中にある世界ないしイメージと、朝鮮語によって語られる言葉の中にあるイメージ、世界というものが違うんではないのか、ということに気づいて驚きを感じたわけなんです(19)。


 日本人は日本語で想像し、朝鮮人朝鮮語で想像するという、この単純な事実から驚くべき自覚を得ることができたのは、日本語で想像される世界に「朝鮮」を導入したからである。いや、厳密にいえば、日本語の世界に「朝鮮語の世界」を突っ込んで衝突させたからである。
 概念の世界は「母語(the vernacular)」の身体性が蒸発することを要求する。概念的真理はどの母語で発話されるかにかかわらず、同一の真理として認識され、通じなければならないからである。近代的な「普遍的主体」は、このように普遍的な概念的真理を認識することによって、まるで世界を所有しているかのような幻想の上に立っている。これに対して、母語の身体性が自覚されるとき、「普遍的主体」は、たとえばある小さな国の都市周辺で暮らしている一小市民という現実の存在にまで降りてくることになる。梶村は、このような自身の母語が枠づける「限界」を意識しつつ、同一の限界を持っている翻訳不可能な世界に出会おうとしている。自分の頭のなかで、日本語で構成されている朝鮮と朝鮮語の世界のなかの朝鮮が違うだろうということを絶えず意識しながら。
 梶村のこのような自覚は、自己意識の上に浮かぶ対象と実際の対象との差異を認める一般的な反省的認識論の態度とはまた違う。なぜなら、反省的認識論では、たとえ意識のかかの対象と実際の対象との差異を認めるとしても、その差を放っておいたり狭めたりする行為の決定権は徹底的に「自己」に帰属するからである。つまり、その差を認めようと無視しようと、いずれも対象との独自的関係はまったく変わらない。
 しかし、日本語の世界と朝鮮語の世界は、互いに対等で独自的な限界を持ったまま向きあっている。さらに、日本語の世界には日本語で想像される日本と朝鮮が、朝鮮語の世界には朝鮮語で想像される朝鮮と日本が存在しており、このそれぞれの言語の世界において日本も朝鮮も同一ではない。

言ってみれば、日本語で語られる世界では朝鮮人の事が、せいぜい、例えば日本帝国主義が侵略し、さんざん悪い事をやってきた相手という意味で、気の毒な人たちという感じで捉えられる。そういう世界では、当事者たちは身のおきどころがない気がしていたのでしょう。日本国家が朝鮮人に対して、表面的に何をしてきたのかという事、つまり侵略の歴史を捉えるには日本語の世界で、ある意味では十分かもしれません。
 ところがそういう図式の世界に登場する朝鮮人はどうしても、日本人が主体である中で、いわば風景が客観的に眺められるのと同じように、極端に言ってしまえば、そのような受け身の立場でしか登場してこない。いつも、受け身に日本帝国主義の被害をこうむっている、気の毒な犠牲者としてしか登場してこない。僕自身も日本語によって朝鮮を認識していた当初においては、そういう感覚で朝鮮問題を理解していたと思います。
 ところがそうではない。在日朝鮮人の生活も含めて、朝鮮人が主体であるような世界というものが、当たり前といえば当たり前ですけれど、別に確固としてあるわけです。/日本語の世界は朝鮮人を客体化する世界であるとすれば、朝鮮語で語られる世界は、朝鮮人が主人公であり主体である世界です(20)。


 日本語の世界と朝鮮語の世界というのは、単に異なる言語構造の世界を指すのではなく、それぞれ日本人が主人公である世界と朝鮮人が主人公である世界、いいかえれば、日本人が見て感じる世界と朝鮮人が見て感じる世界を意味する。日本人の視界のかかに入ってくる世界と朝鮮人の視界のなかに入ってくる世界とは、決して同一ではない。それぞれの主人公のそれぞれの視界のうちに、対象は互いに異なった秩序で配置される。このそれぞれの主人公は、互いに相手の視線によって対象の位置に置かれる。主語が見る世界と目的語が見る世界は同一ではない。ここまで考えを進めてみれば、「日本語で朝鮮をすべて理解しうる」(21)と信じること自体が驚くべきことである。この態度は、日本が朝鮮を植民地化し、「内鮮融和」「内鮮一体」を通じてひとつの世界を作ろうとした企図の空虚さを表すと同時に、現在まで日本で(在日)朝鮮人に対するステレオタイプが絶えず再生産される現実を根本的に批判するために見据えなければならないことでもある。
 したがって、日本語で語られる世界と朝鮮語で語られる世界とは相互に翻訳不可能な世界である。梶村はこの翻訳不可能性を鋭敏に感じとって意識している。「歴史の文献というように無数にある本の中のどれかを選択して読んでいくわけで、全面的に訳すなどということは、だれにだって不可能な話」(22)である。梶村は、この翻訳不可能性を認識しつつ、朝鮮語の世界、「朝鮮語でしかわからない感覚」(23)を理解しようとする。
 以上をふまえると、梶村の「内在性」の観点とは、逆説的に「外部」の存在を忘れまいとする努力の産物といえる。いいかえれば、理解不可能な他者の存在、ある種の命がけの跳躍(fatal leap)を覚悟しなくては渡れない懸隔をおいたにおいて向きあっている他者の存在を忘却しないようにする試みの産物といえる。彼にとって「内在性」とは、外部の存在を隠蔽や忘却することによって、内在的な力や決定、つまりは主権性を神秘化する概念ではなく、還元不可能な外部の存在を条件とするからこそ構成できるのである。
 梶村が戦後日本の論壇で作られたアジア主義のブームを警戒しつつ、日本のアジア主義者たちが「ヨーロッパを敵対者とみなすことによってインタナショナルでなかったばかりでなく、彼らにとっての『アジア』は、むしろ『日本』の拡大概念としてのアジアにすぎなかったばあいが多い」(24)と牽制したときの「インタナショナル」という表現も、外部に対するこのような彼の感覚を念頭に読まなければならない。多くの日本のアジア主義者たちが「西洋=近代」の対立項としてアジアを立ちあげることで―「近代の超克」のイデオロギーが内包している複雑な問題系はさておくとしても―アジアの内部の「ナショナルな差異」を「帝国の内部のローカリティの差異」に置き換えたことはよく知られている。梶村は、アジア主義がアジアの内部の還元不可能で翻訳不可能な他者性を理解するのに無力で、むしろ他者性を抑圧してきたことを批判している。
 しかし、なぜこのような翻訳不可能な他者と苦労して出会わなければならないのか。梶村がこの骨の折れる仕事を自らに課したのに、朝鮮の近現代史と日本の侵略史とを「あるがまま」に表すためではない。むしろ、日本の歴史に対する根本的な自己批判の拠点を求め、資本主義的近代と反共―冷戦体制の支配秩序を「下から」批判できる契機を探すことに、その究極の目的があった。彼の思考の中心には、彼自身とともに、この理解不可能で翻訳不可能な朝鮮があった。要するに、梶村にとって、朝鮮は探求の対象ではなく、世界を見通すひとつの目であった。「朝鮮問題が特殊な問題として取り組まれるというのではなく、あらゆる問題を考える中で、朝鮮を決して忘れないということが必要だと思います」(25)

最後に。
丸山真男は、「教養とはひとつについてすべてを知っており、すべてのことについて何事か言えること」という意味のことをよく言っていたそうだ。「言える」、コメントとはレトリックとして一番重要ではない”結果”であり、おそらく「文学」にぞくする。
梶村秀樹だったら、「教養? 近代主義的な用語です。もし、あえていうならば、教養とは二つの言語についてほぼすべてを知っており、すべてのことについて何事かがおかしいと気がついてしまうようになること」といったとしても、不思議ではない。疑問とその過程とは、「哲学」と、そして「歴史学」にぞくするだろう。
竹内好だったら、「教養? 近代主義的な用語です。あえていうならば、教養とは一つの民族、その断絶の前と後のほぼすべてを知っており、すべてのことについて何事か言えること」といったと思う。もちろん、魯迅を念頭においてである。
岡本太郎だったら、「教養なんてワクはケトバシてしまえ! 私は”人間”だから、疑問も試行錯誤の過程も結果もぜんぶやる」といったはずである。いや、もっとすごいレトリックを吐いたはずである。




[この問題は、あとで膨らませて書きたいのである。その前に、オウム分析にくぎりをつけないといけない。24年前の1995年3月~5月、東京都は「戦争」状態だった。ほとんどの人が気がついていないだけである。]

「言葉の絵画性 : デイヴィドソンのメタファー論再考」(2012年、古田徹也、CiNii収録論文)

CiNii 論文 -  言葉の絵画性 : デイヴィドソンのメタファー論再考

言葉の絵画性 デイヴィドソンのメタファー論再考

はじめに

 言語とは何か。言語哲学者や言語学者の多くが支持し、強化してきた見方によれば、個々の言語とは、それぞれ一個の記号システムとして構造化ないしパターン化されたものであり、音声による発話や文字による記述の理解はそのシステムによって可能となっている。つまり、それだけではノイズやインクの染みという「無垢の経験的所与」に過ぎない音声や文字を、我々はあらかじめ[#「あらかじめ」に傍点](たとえば頭の中に)所有している[#「所有している」に傍点]システムによって組織化し、いわばそれに「意味」を与え、理解している、というわけである。
 では、そのシステムとは具体的にどのようなものとして想定されているのだろうか。言語学者は、我々のこれまでの言語実践の履歴を集成し、一定の語彙目録および構文論的・意味論的・語用論的な規則のセットとして明示的に取り出すことを目指す。それは言い方を換えれば、言語を実体的に存在するものとして物化する[#「物化する」に傍点](materialize, objectify)試みだと言えるだろう。
 本稿は、主にD・デイヴィドソンのメタファー論を参照することを通して、こうした「言語の物化」に対する批判を試みるものである。第一節では、無数の解釈に開かれている絵画のような位置にあるものとしてメタファーというものを特徴付けるデイヴィドソンの議論を跡づける。続く第二節では、こうしたメタファーの特徴が、使用法の習得としての言葉の理解と、特定のコンテクストにおいて実際に使用された言葉の理解――すなわち、世界について実際に何ごとかを知ること、その間の差異を際立たせるものであることを確認する。最後に第三節では、以上の論点をL・ウィトゲンシュタインの議論に接続させつつ、常に新たなコンテクストにおいて使用され常に新たな解釈へと無限に開かれていく「絵画性」という特徴を言葉が持つがゆえに、従来の「物化」された言語の描像が打ち崩されることを確認する。

一 メタファーの特徴とは何か

(略)
 そこで、生きたメタファーとして、アンデルセンの「旅することは生きることである」という詩的な表現を例として取り上げてみよう。この表現から我々は、様々な意味を読み取ることができるだろう。旅とは一つ所に留まらず常に移動し続けることであること、旅の過程は人生の縮図になっていること、旅をしてこそ生きている実感を得られるということ、等々。子どもに「旅することは生きることである」とはどういう意味かと問われたら、我々はいま挙げたような文を幾つか言って説明するだろう。しかし、そのいずれかの文に(あるいはそれらの文の総体に)完全に置き換えてしまえるというわけではない。むしろ、いま挙げた文はどれも、「旅することは生きることである」という文によって喚起されるものに偏った強調を与えて肥大させており、その詩情を台無しにしてしまっている。デイヴィドソンはこの点では、「メタファーを文字通りの表現への言い換えようとすると不可避的に言い過ぎになったり間違った強調を伴ったりする」というブラックが強調するポイントに同意する。すなわち、「メタファーが何を『意味している』のかを述べようとするとすぐに、言及しておきたいことには終わりがないのだと気づくことになる」(Davidson, 2001 [1978] 263/二九〇)という点に、まさにメタファーというものの特徴をみるのである。

 メタファーの言い換えと我々が呼んでいるものの持つ、その「無限にある」という性格は、言い換えというものが「メタファーが気づかせるものをすべて書き尽くそう」という試みであり、これにははっきりした終わりというものが無い[#「終わりというものが無い」に傍点]のだという事実に由来する……。(ibid.: n.17)[強調は引用者]

 問題は、このポイントをどのように解釈するかである。経験主義や論理実証主義は、メタファーというものは感動や興奮といった気分を呼び起こす情緒的(emotive)な機能しか持たず、世界の諸事実に関する認知的(cognitive)な機能を果たすものではないとしてきた。ブラックはこの種の主張に反対し、メタファーからの言い換えが不可避的に言い過ぎになったり間違った強調を伴ったりするのは、それがまさしく独自の認知的内容を持つからだと主張する。たとえば、「旅することは生きることである」が「旅とは一つ所に留まらず常に移動し続けることである」や「旅は生きている実感を与える」等々に言い換えられないのだとしたら、それは、これらの文に「元の命題と同じだけの、情報を伝えたり啓発したりする力がない」(Black, 1981 [1954]: 79/二四)からだというのである。「私が最も強調したいことの一つは、このような場合に失われるものが、実は認知的内容だということである。文字通りの表現への言い換えで問題になる弱点は、いやになるほど冗長になったりうんざりするほど露骨になったりしかねないということではない。また、文の質が劣化することでもない。それは翻訳として失敗なのである。なぜならそれは、メタファーが与えたような物の見方を与えることができないからである」(ibid.)。
 デイヴィドソンは、このブラックの議論を次のように批判する。

 この説が正しいなどと、どうして言えようか。もしメタファーに独自の認知的内容があるのなら、なぜそれを説明するのがかくも困難だったり、不可能だったりするのだろうか。……もしメタファーが「あることを述べ、別のことを意味する」のであるとすれば、それが意味していることを明示的にしようとしても、その結果があまりに説得力のないものとなるのはなぜなのだろうか。……なぜブラックは、文字通りの表現への言い換えは「不可避的に言い過ぎになり――しかも間違った強調を伴う」と考えるのか。なぜ不可避的なのか。我々が十分賢いとするなら、望む限りの近い表現を考え出せるのではないのか。(Davidson, 2001 [1978] 260/二八六)

 デイヴィドソンは、ブラックの議論においては二つの見解が緊張状態にあると指摘する。すなわち、「一方では、メタファーは平易な散文ではとても成しえないようなことを成し遂げているのだと主張したがりながら、また他方では、その見解は、認知的内容――まさに平易な散文を用いて表現するよう目論まれている類のもの――に訴えて、メタファーが成し遂げていることを説明したいと望んでいる」(ibid.: 261/二八七)という緊張状態である。そして彼によれば、この緊張状態を解かないままメタファーとは何かを説明しようとすることによって、「メタファーは、ほとんどの場合あからさまに偽であるような文字通りの意味を持つのに加えて、暗号化され隠された意味を実際に持つ」という観念が生まれてしまう[#「暗号化され隠された意味を実際に持つ」という観念が生まれてしまう」に傍点](ibid)。たとえば「旅することは生きることである」は、あからさまに偽であるような文字通りの意味を持ち(すなわち、旅するというのは一つの行為であり、生きるということそれ自体であるわけがない)、かつ、何らかの暗号化され隠された意味を持つ、というわけである。しかし、もしメタファーが本当に隠された意味を持つのであれば、暗号が解読され[#「解読され」に傍点]その意味が露わにされること、すなわち、他の文に言い換えられることが、原理的には可能だということになる。しかしそれは、ブラックが他方では正確に掴んでいるメタファーの特徴、すなわち、文字通りの表現への言い換えは不可避的に[#「不可避的に」に傍点]言い過ぎになったり間違った強調を伴ったりするということと矛盾する。デイヴィドソンはまさにこの点を突くのである。
 デイヴィドソンによれば、メタファーを文字通りの表現に言い換えようとする試みにきり[#「きり」に傍点]が無いのは、それが暗号化され隠された意味を持つからではなく、そもそも「言い換えられなければならないようなことは何もないから」(ibid.: 246/二六四)に他ならない。隠されたものがあるなら、それを探り当てようという試みはどこかで終わりうる。何も隠されていないからこそ、「終わりというものが無い」ということがありうるのである。たとえば「旅することは生きることである」という文は、旅とは一つ所に留まらず常に移動し続けることであることや生きている実感を与えるものであること、あるいはその他の内容を暗号化して隠しているのではない。そうではなく、まさに文字通り[#「文字通り」に傍点]、旅することは生きることであることを意味しているのである。つまり「メタファーは、言葉がその最も文字通りの解釈において意味しているものを意味しているのであって、それ以上の何ごとも意味してはいない」(ibid.: 254/二六三)

 二 言葉の使用法の理解と、使用された言葉の理解との違い
(略)

 三 絵画性の謂いとしての「意味」

(略)つまり、一九七〇年代当時の彼が、「あらゆる特定の使用のコンテクストとは独立に存在する意味」というものを想定するフレーゲ以来の言語哲学の伝統に未だ引きずられていたことは確かである。
 とはいえ、一九八〇年代以降、とりわけ論文「墓碑銘のすてきな乱れ」(Davidoson, 2005[1986])において彼が、そうした伝統と完全に手を切ったことも事実である。彼がそこで鮮明に打ち出すことになるラディカルな言語論が、突如彼の中で生まれたようなものであると考えること、すなわち、一九八〇年代以前と以後の彼の議論が完全に断絶していると考えることにも無理があると言えるだろう。それから、前節までで確認してきたように、デイヴィドソンが論文「隠喩の意味するもの」において「意味」と「使用」とを区別するポイントは、「旧来の言葉の新しい使用法を学ぶことと、すでに理解している言葉を使用することとを対比すること」(Davidoson, 2001 [1978]:252/二七三)に他ならない。すなわち、この論文で際立たせられている区別は、実質的には、「前後のコンテクストなしにある言葉だけを聞いたときに我々が思い浮かべることのできる典型的な使用法」と「その言葉が実際に特定のコンテクストにおいて持つ使用法」の違いであって、「いかなる使用のコンテクストからも完全に独立した『意味』それ自体」と「使用」との違いではないのである。
 本稿では、デイヴィドソンの議論に関して一九八〇年代以前と以降とでどこまで連続性が認められるのか、また、精確にはどの時点で断絶が生じたのかといったことを、これ以上検討することはしない。本稿の目的は、デイヴィドソンのメタファー論から取り出されるエッセンスそれ自体の積極的な意義に目を向け、それがどのような広がりを持ち、言語論一般に対していかなる帰結をもたらすものであるのかを見定めることである。
 そのために、ここで参照したいのは、ウィトゲンシュタインの議論である。というのも、デイヴィドソンが自身のメタファー論において強調する「使用法の習得としての言葉の理解」と「特定の場面で特定の内容について語られた言葉の理解」との区別は、後期のウィトゲンシュタインがその思索を紡ぎ始めた際に、すでに視野に入れていた事柄であるからである。ウィトゲンシュタインは『哲学的文法』において次のように述べている。

 私がある物語の本のなかほどを開いて、次の文を読んだとしよう。「彼はそう言ってから、昨日と同じように彼女を残して立ち去った」。私はこの文を理解しているのだろうか。
 この問いにはそれほど簡単に答えることはできない。その文は母国語の文であり、その限りでは私は理解している。私は、その文がどのように使用されるものか知っているし、その文の前後のコンテクストを考え出すこともできるだろう。しかし、それでも私は、その物語を始めから読んでいった場合に理解するような意味では、その文を理解してはいないのである(PG:P5 (3))。

 私が本をぱっと開いて、目についた文を読む。「彼はそう言ってから、昨日と同じように彼女を残して立ち去った」と書いてある。私はこの文が使用されるコンテクストを様々に考え出すことができる。大谷弘がこのウィトゲンシュタインの一節を挙げつつ指摘するように、このレベルでの言葉の理解は画像の把握に似ている。「例えば風景画が、その絵が現実の風景を写生したものであるかどうかを知らなくとも、我々に対しその絵に描かれている風景の存在を示唆するように、言葉を聞くと、それが実際に特定の言語ゲームの中で発せられたのかどうかを知らなくとも、我々にはその言葉の典型的な使用の場面がいくつか示唆されるのである」(大谷、二〇〇九:二)。こうした理解のあり方を、大谷は「像(Bild)の理解」と呼ぶ。重要なことは、「像としての言葉の理解は、特定の言語ゲームの中でその言葉が意味を持つということや、その言葉が発話された言語ゲームを適切に把握しているということを保証するわけではない」(同、三)ということである。「彼はそう言ってから、昨日と同じように彼女を残して立ち去った」という文は、もしかしたら、物語の中ではメタファーとして使われているのかもしれない。あるいは、ナンセンス文として使われているのかもしれない。また、平易な散文として使われていても、私にはその意味が理解できないかもしれない。いずれにせよ、文が実際に物語の中でどのような意味を持つのか、その意味を私は理解できるのか、それは、その物語を実際に読んでいき、この文に行き当たったときにはじめて判明する事柄なのである。
 G・E・M・アンスコムは、ウィトゲンシュタインがなぜ体系的な意味の理論を構築しようとしないのかを論じる中で、デイヴィドソンや大谷が画像になぞらえて表現する言葉の側面を、「絵画性(pictoriality)」(Anscombe, 1981:158)と呼んでいる。彼女は、「我々の言語使用の絵画性、すなわち、メタファーや言葉の独創的な適用の無限の可能性というものを考慮すれば、形式文法学者たちの企ては失敗を運命付けられている」(ibid.)と指摘するのである。自然言語についての形式的な構文規則(文法)を構築しようという論者、あるいは、形式的な意味の理論を構築しようという論者は、これまでの[#「これまでの」に傍点]言葉の使われ方を分析して再帰的なシステムとして明示化しようと試みる。その成果はたとえばコンピュータ・プログラムに反映させることができるだろう。「床」という語を入力すれば、この語が使用される様々な文や、その各文が使用される大量のコンテクストを表示する、という具合である。しかしそれ自体は、膨大なデータ・ベース(語彙の集積)とアルゴリズム(語彙を結合・分解する構文論的規則)に過ぎない。それはこれからの[#「これからの」に傍点]言語実践において使用される言葉がどう理解されるかをあらかじめ確定するものではないし、これからの言語実践にとって不可欠なものとすら言えない。ウィトゲンシュタインが「規則のパラドックス」というかたちで提示するように(Wittgenstein, 1953: §143-201)、これまでの言語実践から帰納的に導き出された規則を、これからの言語実践に対して演繹的に適用しようとしても、言葉が常に新たな状況において使用されるものである以上は、規則からの逸脱の可能性は必然的に存在し続ける。しかし、世界について何ごとかを語るために言葉が実際に使用されるという契機を抜きにしては、我々の言語実践[#「実践」に傍点]について、そこで使用される言葉の意味について、何も描いていないに等しいのである。
 それでは、言葉の意味とは、学ぶ[#「学ぶ」に傍点]ことができないものなのか。もちろん、言葉が使用される無数のコンテクストを挙げられるようになるという限りでは、学ぶことができる。ポイントは、「意味」なるものは言葉の使用法を将来にわたって規定するようなものとして実体的に存在するようなものではない、ということである。たとえば、「『雨傘』という言葉の意味[#「意味」に傍点]とは何か」と訊かれて、この言葉の様々な使用法を例示すること、あるいは、「私は雨傘を忘れた」という発話に対して「それはどういう意味[#「意味」に傍点]なのか」と問い、「それはしかしかのことを意味[#「意味」に傍点]している」と答えること――そうした言語実践において、まさに「意味」という言葉は使用される。つまり、言葉が意味を持つとは、言葉が何らかの抽象的存在者を持つということなどではなく、ひとつの言葉をめぐってあらかじめ無数の[#「無数の」に傍点]使用のコンテクストを想定できること、あるいは、実際に特定のコンテクストで使用された言葉に対して無数の[#「無数の」に傍点]解釈をめぐらすこと、そうした、言葉の絵画性の謂いに他ならないのである。意味という概念にまつわるこのような消息を、ウィトゲンシュタインは、講義の中で次のように表現している。

「文の意味」は、「芸術鑑賞」の営みに極めて類似している(Wittgenstein, 1966: 29/一八六)。

以下、この記事の作成者は、大森荘蔵の前にいるフリをする。

1 まったく完全に、すべての文章はメタファー・比喩だ、と言い切ってもかまわないのだろうか?
大森荘蔵だったら、「ことだま=立ちあらわれは絵画的だといわれてもかまわない。相貌をもつのだから。」といいそうである。しかし、たとえば、たった一文字、「ぬ」といってもメタファーになりうるのだろうか。また、F・カフカの『城』まるごと一冊(しかも未完の本)もメタファーになりうるのだろうか? もしそうだとすると、いったい何がおきているのだろうか?
 ここでカフカの名前を出したのは偶然ではない。カフカの書いた短文に「たとえについて」という作品がある。ひょっとしたら、カフカも同じ問題意識をもっていたのではないか。
2 翻訳において、メタファー・比喩が成功する条件とはなんだろうか? 「物化」という固定観念がよくあらわれるのは、いわゆる「翻訳」においてである。
3 メタファーはふつう、質的表現をさす。しかし量的表現もメタファーにあてはまるのだろうか?
 たとえば、「あの人は五十の目をもっている(ようだ)」という文など。これは、V・ウルフの生前の言葉に、単語を入れ替えたものである。
4 メタファー表現が成立するには、「主体性」(混乱して使われがちな単語だ)というよりも、「必然性」が必要必然におもわれるが、その条件とはなんだろうか?
5 これは細かいことに思われるかもしれないが、「彫刻的」もしくは「地図のように」といういいかえは成立するだろうか。この質問には、いわゆる障害学において認知構造への固定観念を撤廃する目的がある。「認知構造に原理的な優劣は、”まったく”存在しない」と主張したい誘惑が私にはある。デカルトが手話が言語だと見切ったように。


現在の日本列島において、「言ったこと、それは取り消しがきかない”なにか”をもつ。」ということが、政治の批判者もふくめて、深刻に欠けているように私は判断している。それはつきつめていえば、いま使われている「これ」、「日本語」という特定の言語が、この世界からまったくなくなったとしてもかまわない、という人びとの決定である。「日本語まるごと」を、ある地方都市の部屋の中で、たとえば、「いさろし語」と名づけ変えて密造するのならば、話はべつだが。

※上の引用文は、校正が不完全なため、お気をつけください。あとでまた校正します。