『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

『死の家の記録』『賭博者』『貧しき人々』『分身』『スチェパンチコヴォ村とその住人』(ドストエフスキー作、米川正夫訳)の電子テキスト化をすすめます。第二次作業の期間は最低40日間です。(2024年2月11日までこの記事はこのブログのトップにあります)

死の家の記録 カテゴリーの記事一覧 - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]
『賭博者』 カテゴリーの記事一覧 - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]
『貧しき人々』 カテゴリーの記事一覧 - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]
『分身』 カテゴリーの記事一覧 - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]
『スチェパンチコヴォ村とその住人』 カテゴリーの記事一覧 - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

2024年3月1日から、あと60時間作業、10日で5時間ごとに報告。
『トム=ソーヤーの冒険』 カテゴリーの記事一覧 - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]


『カラマーゾフの兄弟』三回目の校正終了 カテゴリーの記事一覧 - 『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『アンナ・カレーニナ』『白痴』『死の家の記録』『戦争と平和』『貧しき人びと』『分身』『賭博者』『作家の日記』(米川正夫訳)『辞典』の完全電子化をすすめるブログ[反万博!!!]
『アンナ・カレーニナ』 カテゴリーの記事一覧 - 『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『アンナ・カレーニナ』『白痴』『死の家の記録』『戦争と平和』『貧しき人びと』『分身』『賭博者』『作家の日記』(米川正夫訳)『辞典』の完全電子化をすすめるブログ[反万博!!!]
『悪霊』 カテゴリーの記事一覧 - 『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『アンナ・カレーニナ』『白痴』『死の家の記録』『戦争と平和』『貧しき人びと』『分身』『賭博者』『作家の日記』(米川正夫訳)『辞典』の完全電子化をすすめるブログ[反万博!!!]
ドストエフスキー短編 カテゴリーの記事一覧 - 京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会
『白痴』_400文字に1か所の誤字 カテゴリーの記事一覧 - 『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『アンナ・カレーニナ』『白痴』『死の家の記録』『戦争と平和』『貧しき人びと』『分身』『賭博者』『作家の日記』(米川正夫訳)『辞典』の完全電子化をすすめるブログ[反万博!!!]




第一次作業の方針

〇原則全文字を約10ミリ(6倍、親指大の大きさ)にする。
〇通信障害は基本的に7日、いや4日以内に解消されていると仮定。
〇被災者とその関係者約10万人のなかで、約2人のおたがいをしらないだろう読者がいると仮定して作成。
〇厳密な校正にとらわれない予定。仮設建築物みたいになると予定。
〇インターネットのみにしかできない「支援物資」として試行錯誤する予定。

2024年1月10日朝、40分、192-232、校正

死の家の記録』作業時間、校正
■21ー■33 096-117
■34-■46 118-144
■47-■59 112-144 演劇の場面
■05-■17 049-096
山高帽子、ウチダヒャッケン
■20-■32 145-192
■33-■45 193-240,241-265
■45-■57 241-288
■01-■21ー■38 073-086ー096
■42-■00ー■33ー■57 097-110-131-144
■00ー■10 整理 
花火、ウチダヒャッケン 
■14-■34-■44ー■08 145-162-172-192
■23ー■54-■20ー■43-■55 233-249-266-274-280
■15-■22-■33-■40-■44 281-284-288-289-292
一応、校正完了、いちおう読むことができる
■10-■50 いちおうやすむ
2日間作業、なかなかつかれた。よくねることがひつようだ。

■22-■02、321-349、ざっと
■43-■03、350ー362
■28-■33、363-370

20240118
■00-■14、382まで
■23-?、383から394まで

賭博者(休憩を確保しながら)
■13-■26 ー402
■27-■38 ー410
■43-■55 ー420(約90分ぐらい)
■21-■41 ー330(以下、二回目)
■21-■04 ー355
■27-■56 ー370
■56-■15 ー379
■16-■39 ー391
■43-■56 ー397
■05-■23 ー403
■24-■41 ー409
■43-■01 ー430
■18-■25 ー424
■56-■16 ー433
■47-■08 ー440






死の家の記録
241-292
約55カ所、10分で訂正

20240124
最善の支援だとは思っていないが、金は6万円+1万円以上募金したし、せいふのしえんのおくれの情報をいろいろ確認して怒りを燃やしている。現地入りできない以上、「書籍」の支援ぐらいしか思いつかない。そもそもインターネット上でできる支援はほとんどない、というところからすたーとしないといけないとずっと考えている。

公開投票受付中プラス梶村秀樹先生の年表(工事中)

注釈メモ 「論説 旧韓末北関地域経済と内外交易」「朝鮮語で語られる世界」「竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」「朝鮮からみた明治維新」「歴史と文学 朝鮮の場合」「解放前の在日朝鮮人運動史」「解放後の在日朝鮮人運動」「定住外国人としての在日朝鮮人」「論文「自立した関係をめざして」に対する私の意見」「論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見」など(梶村秀樹) - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]
梶村秀樹先生の著作物・執筆物のうち、校正が完了したもののリスト(工事中) - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

梶村秀樹先生の重要著作物の復刊は、2023年01月時点で、まだ先。あと6カ月はかかりそうだ。
本屋か古本屋か古物商取引サイトで、とにかく著作を買って3回読んでほしい。まず5000円分買ってください。お願いします。
https://www.amazon.co.jp/
出版 – 神戸学生青年センター KOBE STUDENT YOUTH CENTER
Yahoo!オークション - 日本最大級のネットオークション・フリマアプリ
日本の古本屋 / 全国1000店の古書店が出店、在庫700万冊から古書を探そう
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【楽天市場】梶村秀樹の通販
eBay Direct Shop - イーベイダイレクトショップ
Yahoo!オークション - 日本最大級のネットオークション・フリマアプリ
dl.ndl.go.jp

梶村秀樹先生の執筆物のランキング(「私」の選択)
1位 『朝鮮語で語られる世界』
2位 『排外主義克服のための朝鮮史
2位 『論説 旧韓末北関地域経済と内外交易』
2位 『定住外国人としての在日朝鮮人
2位 『朝鮮からみた明治維新
2位 『なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか』
3位 『排外主義克服のための朝鮮史
4位 『解放後の在日朝鮮人運動』
4位 『白凡金九』『東学史』『常緑樹』の翻訳
4位 『朝鮮における資本主義の形成と展開』
4位 『朝鮮史 その発展』
5位 『論文「自立した関係をめざして」に対する私の意見』『論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見』
5位 車承棋氏の『梶村秀樹の「未発の契機」一植民地歴史叙述と近代批判-』で引用されている論文すべて――「“やぶにらみ”の周辺文明論」「朝鮮近代史の若干の問題」「日本帝国主義の問題」「現在の『日本ナショナリズム』論について」「朝鮮近代史研究における内在的発展の視角」
5位 『申采浩の朝鮮古代史像』『申采浩の啓蒙思想』『申采浩の歴史学
5位 『一九二〇~三〇年代朝鮮農民渡日の背景――蔚山群達里の事例』
5位 『歴史と文学 朝鮮の場合』
6位 『朝鮮史の枠組と思想』収録論文


かなりしぼって選んだ。2位の4本プラス1本は、梶村秀樹先生の視野の広さから考えて、どれもおとせない。最後につけくわえた『なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか』、これは短すぎるから(実はそれだけではないのだが)、あとにつけくわえた。『排外主義克服のための朝鮮史』は別格として(この「別格」という認識がいろいろ問題をひきよせているのだが)、翻訳の仕事、特にあの3冊は絶対にはずせない。




梶村秀樹先生を研究対象とした論文のランキング
1位 車承棋氏、『梶村秀樹の「未発の契機」 : 植民地歴史叙述と近代批判(論文)』
1位 中野敏男氏、『「日本の戦後思想」を読み直す(7)「方法としてのアジア」という陥穽--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯』『「日本の戦後思想」を読み直す(第8回)植民地主義批判と朝鮮というトポス--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯(その2)』(季刊前夜


「全体を見ろ!」という教え

1910年、竹内好、生まれる。
1935年、梶村秀樹先生、生まれる。
1964年、梶村秀樹先生、『竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈』『「日本人の朝鮮観」の成立根拠について――「アジア主義」再評価論批判』、このとき、竹内好54歳、梶村秀樹29歳。重要さで上位5位に入る、きわめて重要な論文の1つ。
1965年、日韓条約、おおくの反対のなか締結されてしまう。
1965年、梶村秀樹先生、『現在の「日本ナショナリズム」論について』、竹内好批判。梶村先生の一生の仮想論敵だった。
1965年5月と7月、安丸良夫氏、『日本の近代化と民衆思想』上下(日本史研究 = Journal of Japanese history / 日本史研究会 編)を発表。
1968年、梶村秀樹先生ら、『シンポジウム日本における朝鮮研究の蓄積をいかに継承するか』、ここで部落差別発言が出る。
1969年、梶村秀樹先生、『私の反省〔本誌昨年12月号掲載・座談会「日本における朝鮮研究の蓄積をいかに継承するか」に関連して〕』
1969年、梶村秀樹先生、『申采浩の歴史学――近代朝鮮史学史論――』
1970年7月7日、華僑青年闘争委員会による、いわゆる「華青闘告発」。梶村秀樹先生の「排外主義克服のための朝鮮史」全三回の講義は、この告発に答えるものであった。
1970年11月、梶村秀樹先生、『東学史――朝鮮民衆運動の記録』(呉知泳)(平凡社東洋文庫)の翻訳
1971年、梶村秀樹先生、『排外主義克服のための朝鮮史』(第1章)。重要さで上位5位に入る、きわめて重要な論文の1つ。
1973年、梶村秀樹先生、『白凡逸志――金九自叙伝』(金九)(平凡社東洋文庫)の翻訳


1974年、梶村秀樹先生、『植民地と日本人』、植民者としての日本人批判
1974年、安丸良夫氏、『日本の近代化と民衆思想』(青木書店)。たぶん、梶村秀樹先生は1965年前後に「通俗道徳論」を読んでいる。
1975年、梶村秀樹先生、『朝鮮語で語られる世界』という講演をする。のちに活字化。重要さで上位5位に入る、きわめて重要な論文の1つ。
1977年1月、梶村秀樹先生、『朝鮮における資本主義の形成と展開』(龍渓書舎)
1977年10月、梶村秀樹先生、『朝鮮史――その発展』(講談社現代新書
1977年11月、安丸良夫氏、『「民衆思想史」の立場』(一橋論叢)を発表、CiNiiで閲覧可能。

1978年、梶村秀樹先生、『植民地朝鮮での日本人』、植民者としての日本人批判
1978年、梶村秀樹先生、『申采浩の朝鮮古代史像』発表。

1977年、竹内好、死去
1977年、梶村秀樹先生、『亜洲和親会をめぐって――明治における在日アジア人の周辺』
1977年、梶村秀樹先生、『申采浩の啓蒙思想』を発表。
1980年7月、梶村秀樹先生、『解放後の在日朝鮮人運動』(神戸青年学生センター)、現在でも購入可能。
1980年、梶村秀樹先生、『朝鮮からみた明治維新』、この論文を読むと、竹内好氏だけでなく、安丸良夫氏も仮想論敵だったのではないかと推測される。また、この論文から梶村先生の(おそらく父方)祖父が貧農~中農出身で出世競争に負けた(実態はもっと複雑)ことに挫折感をいだいていたこと、また梶村先生の父親が裁判官であり、いわゆる大正教養主義に傾倒していたこと、戦時中は鬱屈をかかえながら業務をしていたこと、そして梶村先生がそれにたいする反発から、あまり役に立たなそう(失礼だが梶村先生はそう考えていたようだ)だが広い世界を見せてくれるだろう学問の世界にはいったことが語られている。
1981年2月、梶村秀樹先生、『植民地支配者の朝鮮観』(『季刊 三千里』)、植民者としての日本人批判
1981年2月、梶村秀樹先生、『朝鮮現代史の手引』(勁草書房
1981年10月、梶村秀樹先生、現代語学塾常緑樹の会と共に『常緑樹』(沈熏)の翻訳。この翻訳作業はそうとうエネルギーをそそぎこんだものであることに注意。
1982年4月、『朝鮮史の枠組と思想』(研文出版)
1983年、梶村秀樹先生、『朝鮮を通してみた天皇制の思想――さめた思想』
1984年、梶村秀樹先生、『歴史と文学』を発表。
1985年、梶村秀樹先生、『定住外国人としての在日朝鮮人』。重要さと(多少下品な言い方だが)有用性では上位5位に入る、きわめて重要な論文の1つ。「国境をまたぐ生活圏」という単語が登場したのはこの論文。実は、「私」が著作集収録論文を調べた限りでは、「国境をまたぐ生活圏」という単語はこの論文だけである。
1986年1月18日、石母田正氏、死去。梶村秀樹先生は、石母田氏の幸徳秋水批判を一面的と批判。
1986年、梶村秀樹先生、『「旧朝鮮統治」は何だったのか』、植民者としての日本人批判、
「 『朝日新聞』大阪本社版に「語り合うページ」という欄があって、そこで昨年の六月から八月にかけて「旧朝鮮統治」の評価をめぐる読者間の大論争が展開されていた。同じ『朝日』をとっていても私ども東日本に住む者は論争の存在自体を知らずにいたということも、考えてみれば奇妙なことだが、編集部からコメントせよということで、その部分をまとめたコピーを読む機会を与えられた。」
1987年、吉見義明氏、『新しい世界史(7) 草の根のファシズム』(東京大学出版会)を発表。「第2節 民衆の序列」に、宮田節子氏、内海愛子氏、呉林俊《オリムシュン》氏らの著作を参考にした記述。ただし、梶村秀樹先生の著作の引用はなし。
1988年11月16日、エストニアソ連で初めて国家主権を宣言した
1988年、梶村秀樹先生、『<研究ノート>80 年代韓国の労働経済と労働政策 : 労働争議同時多発の背景』(神奈川大学、『経済貿易研究』)

1989年、梶村秀樹先生、『一九八七年の韓国情勢』『論説 旧韓末北関地域経済と内外交易』。『論説 旧韓末北関地域経済と内外交易』は重要さで上位5位に入る、きわめて重要な論文の1つ。CiNiiで閲覧可能。この論文は死の直前に書かれたものであり、長さと密度の点からみて、とてつもないエネルギーがこめられている。
1989年、梶村秀樹先生、死去。
1990年、並木真人氏、『戦後日本における朝鮮近代史研究の現段階--「内在的発展論」再考』(「歴史評論」、歴史科学協議会
1991年8月、ソ連共産党内の保守派と軍部のエリートがゴルバチョフ打倒のためのクーデターをおこす、だが失敗。1991年8月31日までに15の共和国が独立を宣言した。冷戦の崩壊
1991年9月、バルト三国の分離独立が認められる。
1991年、梶村秀樹著作集編集委員会、著作集第1巻の1番目に『排外主義克服のための朝鮮史』、2番目に『朝鮮語で語られる世界』を選択した。
※「私」コメント、この判断はきわめてすぐれている。とくに、2番目に『朝鮮語で語られる世界』を選択したことはきわめてすぐれている。ただし、このことをはっきりいっているのは、「私」が知っているかぎりでは車承棋氏と「私」ぐらいである。
1998年、牧原憲夫氏、『客分と国民のあいだ 近代民衆の政治意識』(吉川弘文館〈ニューヒストリー近代日本 1〉)

2001年、中野敏男氏、『大塚久雄丸山眞男――動員、主体、戦争責任』(青土社
2002年、徐京植氏、『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人』収録の『「エスニック・マイノリティ」か「ネーション」か――在日朝鮮人の進む道』のP169―P170に梶村先生の『定住外国人としての在日朝鮮人』(1985年発表)を紹介。
「ここで梶村秀樹氏が一九八五年の論文において、次のような貴重な指摘をしていたことは思い出しておく価値がある。
在日朝鮮人が日本に定住しつつも日本国家への帰属を否認するとき、それを裏返した観念は、日本側が神経を尖らせるような現にある南北いずれかの国家への忠誠観念では必ずしもなく、一般的には、国家への帰属意識というよりは、全体としての民族への帰属意識、南北と在日等をひっくるめて苦難と闘う民衆との一体化の希求と表現した方が適当なものとしてある。強力な母国の保護を受けてこれに依存して生きていこうというのではない。民族の一員としての実存を意識化していけばいくほど、苦難を克服しようとする母国民衆の課業に主体的に参与していこうとする意識に、到達せざるをえないのである。(略)国家の側の都合によって、こうした民族への帰属の志向、創造過程への主体的参与の意思を阻むことは、あってはならないことである。」
略をなくした引用は以下の通り
在日朝鮮人が日本に定住しつつも日本国家への帰属を否認するとき、それを裏返した観念は、日本側が神経を尖らせるような現にある南北いずれかの国家への忠誠観念では必ずしもなく、一般的には、国家への帰属意識というよりは、全体としての民族への帰属意識、南北と在日等をひっくるめて苦難と闘う民衆との一体化の希求と表現した方が適当なものとしてある。強力な母国の保護を受けてこれに依存して生きていこうというのではない。民族の一員としての実存を意識化していけばいくほど、苦難を克服しようとする母国民衆の課業に主体的に参与していこうとする意識に、到達せざるをえないのである。それは、真の意味の「国際性」ともかえって矛盾する意識ではない。
 在日朝鮮人青年としてこうした意識化の歩みを進め、現に韓国の獄中にいる徐勝・徐俊植兄弟の生の軌跡は一つの典型例をなしており、投企の具体的形態はさまざまで誰もが同じ行動をするというのではないとしても、思想の形としてのある普遍性をもっていることはまちがいない(32)。悪意に動機づけられてこれを背後から揶揄することはなされえても、正面から論駁することは誰にもできないのである。国家の側の都合によって、こうした民族への帰属の志向、創造過程への主体的参与の意思を阻むことは、あってはならないことである。」
2002年から2019年まで、姜徳相氏、『呂運亨評伝』(1)ー(4)発表。
2004年、石田米子氏と内田知行氏、『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』を発表、石田米子氏は梶村秀樹氏と交友があったことが著作集月報からわかる。
2004年2月27日、網野善彦、死去

2006年、牧原憲夫氏、『民権と憲法』(岩波書店岩波新書 シリーズ日本近現代史 2〉)
2006年9月4日、阿部謹也氏、死去
2006年、中野敏男氏、『「日本の戦後思想」を読み直す(7)「方法としてのアジア」という陥穽--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯』『「日本の戦後思想」を読み直す(第8回)植民地主義批判と朝鮮というトポス--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯(その2)』(季刊前夜)を発表。中野氏の梶村秀樹先生への接近はこのころからと思われる。戦後思想の再評価の過程で竹内好氏の再評価をするなかで梶村先生を「発見」したと推測される。

2008年、柏崎正憲氏、『反差別から差別への同軸反転 : 現代コリア研究所の捩れと日本の歴史修正主義』、CiNiiで閲覧可能。
2008年、牧原憲夫氏、『幕末から明治時代前期 文明国をめざして』(小学館〈全集日本の歴史 第13巻〉)
2010年、水谷智氏、塩川伸明氏、戸邉秀明氏による『日本植民地研究の回顧と展望 : 朝鮮史を中心に』(同志社大学人文科学研究所)、CiNiiで閲覧可能。
2010年、姜徳相氏、『日本と朝鮮のまっとうな過去と現在を結ぶための史観』(「コリア研究」立命館大学コリア研究センター)
2010年から2013年まで、「media debugger」氏、梶村秀樹先生のの著作に基づいて竹内好氏らを徹底批判。
media debugger
「私」もその批判に衝撃を受けた。ただし、本当に不思議な事だが、「私」が梶村秀樹著作集など入手可能な著作をすべて読むかぎり、梶村秀樹先生にとって竹内好氏はきわめて重大な仮想論敵だった。

2012年、中野敏男氏、『詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」』(NHKブックス)、梶村秀樹先生への言及あり。
2012年―2013年、加藤圭木氏、科研費による研究『植民地期朝鮮における港湾都市開発と地域社会』を行う。
2013年、「社会科学 = The Social Science(The Social Sciences)」(同志社大学人文科学研究所)に、梶村秀樹先生についての論文3本が発表される。CiNiiにて閲覧可能。
『日韓体制下の民衆と「意味としての歴史」 : 梶村秀樹の韓国認識と歴史認識』(姜元鳳)
梶村秀樹の韓国資本主義論 : 内在的発展論としての「従属発展」論』(洪宗郁)
『日本「戦後歴史学」の展開と未完の梶村史学 : 国家と民衆はいかに(再)発見されたか』(戸邉秀明)

2013年、車承棋氏、『梶村秀樹の「未発の契機」 : 植民地歴史叙述と近代批判(論文)』(「Quadrante : クァドランテ : 四分儀 : 地域・文化・位置のための総合雑誌東京外国語大学)を発表。CiNiiにて閲覧可能。
※「私」コメント、「私」がこの論文をpdfで読んだ時の衝撃はわすれがたい。梶村秀樹先生の視野の広さと最終目標をほぼ完全におさえた論文であり、この論文なしで梶村秀樹先生を評価することはできない。

2014年、『排外主義克服のための朝鮮史平凡社ライブラリーから再版、山本興正氏による解説。
※「私」コメント、やはりこの本は避けてとおれない。ただし、梶村秀樹先生の最終目標が非常に高いところにあるため、梶村先生を理解するにはこの本だけでは絶対にいけない。「絶対に」というのは「私」の強調するところである。2023年の時点でも、このことをはっきり言う人がきわめてすくない。
2014年、姜徳相氏、『一国史を超えて : 関東大震災における朝鮮人虐殺研究の50年』(「大原社会問題研究所雑誌」、法政大学大原社会問題研究所
2015年、山本興正氏、『戦後思想の再審判―丸山眞男から柄谷行人まで』に寄稿。
2015年、牧原憲夫氏、『山代巴 模索の軌跡』(而立書房)
2016年4月4日、安丸良夫氏、死去

2017年、「私」、梶村秀樹著作集全6巻の電子化を作成することを決定。
※「私」コメント、どうしてこの決定をすることができたのか。「私」個人の判断というより、東アジアの歴史の大きな流れの中の決定だったと思うし、だからこそしくじらないですんだ。
※「竹内好氏と梶村秀樹先生の関係」を徹底的にしらべることを主な目的として、全著作の電子化の作業をすすめた。わたしには鈍感なところがあって、金と時間があっても3000KB以上の電子化をすすめる作業をするような人はきわめてすくないことに気がついていなかった。
2017年、『〈戦後〉の誕生―戦後日本と「朝鮮」の境界』に中野敏男氏、寄稿。内容は、『「日本の戦後思想」を読み直す(7)「方法としてのアジア」という陥穽--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯』『「日本の戦後思想」を読み直す(第8回)植民地主義批判と朝鮮というトポス--アジア主義をめぐる竹内好梶村秀樹の交錯(その2)』(季刊前夜)に、丸山真男氏の植民地認識についての分析をあわせたもの。
2017年、加藤圭木氏、『『1920~30年代朝鮮における地域社会の変容と有力者・社会運動』にて梶村秀樹先生の『論説 旧韓末北関地域経済と内外交易』を紹介。「私」が見るかぎり、梶村先生のあとをついで1920年代の朝鮮人側の動向を調べた論文はない、ということらしい。
近年、加藤圭木氏は植民地支配責任についても積極的に発言している。

2018年12月31日、「梶村秀樹著作群の電子化 約700KB分」「抜粋資料pdfの作成」「SYの供述書の電子化(途中まで)」
2019年12月31日、「梶村秀樹著作集のほぼ完全な電子化(4・2MB)(ただし未校正)」、「「オウム法廷」(降幡賢一)の電子化(6・8MB)(ただし未校正)」「「アンナ・カレーニナ」(トルストイ作、米川正夫訳)の1・2・3・8章の電子化(1MB)(ただし未校正)」「「証言台の子どもたち」「ほんとうは僕殺したんじゃねえもの」(浜田寿美男)の電子化(1・2MB)(前者だけ校正)」「中西新太郎先生の論文約30本の電子化(700KB)(ただし未校正)」
2020年12月31日、「「ひろしまタイムライン」で変なものをいくつか発見する。「公開質問状」をだしたが、何の返事もない」「京都アニメーション放火殺人事件についての公開質問状」「『梶村秀樹著作集』第1巻と第3巻収録の論文の校正、「亜州和親会をめぐってーー明治における在日アジア人の周辺」「私にとっての朝鮮史 『朝鮮史 その発展』序章」「竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」「「日本人の朝鮮観」の成立根拠について――「アジア主義」再評価論批判」「現在の「日本ナショナリズム」論について」「植民地と日本人」「植民地朝鮮での日本人」「竹島=独島問題と日本国家」」「一九二〇~三〇年代朝鮮農民渡日の背景――蔚山群達里の事例」「著作集第3巻の「解説」+「解題」」「一九一〇年代朝鮮の経済循環と小農経営」」「『オウム法廷』一部校正
」「『サリヴァンの精神科セミナー』2回校正」「『カラマーゾフの兄弟』電子化(まだ校正おわっていない)」「『罪と罰』電子化(まだ校正おわっていない)」「『おとなしい女』『おかしな人間の夢』電子化(校正おわり)、『九通の手紙に盛られた小説』『プロハルチン氏』『ポルズンコフ』『クリスマスと結婚式』『人妻と寝台の下の夫』『正直な泥棒』『弱い心』『白夜』『ボボーク』『キリストのヨルカに召されし少年』『百姓マレイ』『百歳の老婆』『宣告』電子化(まだ校正おわっていない)」「『ドラえもん』第1巻-第5巻の文字データの電子化」「『ドラえもん』『オバケのQ太郎』冒頭6Pの入力」
2021年12月31日、「梶村秀樹著作集電子テキストの校正1,2,3,4のすべて、5,6の一部」「ドストエフスキー電子化のみ、9000KB」「ドストエフスキー校正完了、1000KB」「「ひろしまタイムライン事件」検証、しっぽをつかんだ。」「沖縄戦記録、約900KB」「サリヴァンセミナー、電子化」「ツイッター文化が宣伝以外に自己の長所を主張できないこと(長所がないこと、ではない)を自分自身の眼で確証できたこと(2021年11月退会)」「インターネットに借金取りなみにしぶといやつは少ないことに気がついたこと」「NHKアーカイブス、収集」
2022年12月31日、「梶村秀樹著作集全六巻の電子テキストの校正を完了」
2023年03月、「アンナ・カレーニナの電子テキストの校正完了」「悪霊の電子テキストの校正完了」「および2テキストの青空文庫への寄贈手続きが完了」(←発表は2023年10月)
2021年、姜徳相聞き書き刊行委員会、『時務の研究者 姜徳相: 在日として日本の植民地史を考える』発表。
2021年6月12日、姜徳相氏、死去。
2023年、大槻和也氏、『「朝鮮と日本のあるべき関係」を求めて : 梶村秀樹による물레 (ムルレ) の会および指紋押捺拒否運動への活動従事を手がかりに』、CiNiiで閲覧可能。
2023年、「ある出版社」から、2024年中に梶村秀樹先生の著作の電子書籍が出版できると連絡があった。

梶村秀樹先生のライフヒストリーに関する資料で特に重要なもの
「回想」「月報」「私の反省」「朝鮮からみた明治維新」「排外主義克服のための朝鮮史全3部」「論文「自立した関係をめざして」に対する私の意見」「論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見」「朝鮮語で語られる世界」「私にとっての朝鮮史」「竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」「差別の思想を生み出すことば」
※「回想」「月報」はもっと重要視すべきだろう。インターネット上では使用している論説がない。



梶村秀樹先生のライフヒストリーに関する資料(作成、約150分)

梶村秀樹著作集 月報(全六巻分)」(とくに、石田米子氏の回想が興味深かった)
梶村秀樹著作集遺文と回想」
梶村秀樹さんと調布■■の会(収録の回想)」
「追悼梶村秀樹さん(収録の回想)」
梶村秀樹先生を悼む(住吉高校  印藤 和寛)」(「先生は「私こそ竹内好さんの一番の弟子だと思っでいます」とおっしゃった。」は見落としてはいけない)



友邦協会での朝鮮総督府の元官僚へのオーラルヒストリー
東洋文化研究」2号から(学習院大学の出版)


梶村秀樹著作集第1巻より
「排外主義克服のための朝鮮史
朝鮮語で語られる世界」
「私にとっての朝鮮史
竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」
「朝鮮を通してみた天皇制の思想――さめた思想」
「朝鮮からみた明治維新
「植民地朝鮮での日本人」
「「旧朝鮮統治」は何だったのか」
「差別の思想を生み出すことば」
竹島=独島問題と日本国家」
「歴史的視点から見た日韓関係」
「歴史をねじまげてはいけない――「日韓合邦」の真相」
「近代史における朝鮮と日本」

梶村秀樹著作集第2巻より
「朝鮮近代史と金玉均の評価」
「朝鮮近代史研究の当面の状況」
「日本における朝鮮研究」
朝鮮史研究の方法をめぐって」
「朝鮮社会における移行法則」
「“やぶにらみ”の周辺文明論」
「朝鮮近代史研究における内在的発展の視角」
「朝鮮思想史における「中国」との葛藤」
「朝鮮からみた現代東アジア」
「東アジア地域における帝国主義体制への移行」
日本帝国主義の問題」
「申采浩の朝鮮古代史像」
「歴史と文学 朝鮮の場合」


梶村秀樹著作集第3巻より
李朝末期(開国後)の綿業の流通および生産構造  ――商品生産の自生的展開とその変容――」
「近代朝鮮の商人資本等の外圧への諸対応」
「一九一〇年代朝鮮の経済循環と小農経営」
日本帝国主義支配下の朝鮮ブルジョアジーの対応」
「「民族資本」と「隷属資本」――植民地体制下の朝鮮ブルジョアジーの政治経済的性格解明のためのカテゴリーの再検討」
「一九二〇~三〇年代朝鮮農民渡日の背景――蔚山群達里の事例」
「「一筋の赤い糸」としての内在的発展」
「「民族経済」をめぐって」

梶村秀樹著作集第4巻より
朝鮮民族解放闘争史と国際共産主義運動
「義烈団と金元鳳」
「『アリランの歌』(解説)」
「解放前の在日朝鮮人運動史――在日朝鮮労総結成~全協への解消過程を中心として」
「新幹会研究のためのノート」
「甲山火田民事件(一九二九年)について」
「『常緑樹』(解説)」
「一九二〇~三〇年代の民衆運動」

梶村秀樹著作集第5巻より
「八・一五以後の朝鮮人民」
日韓条約のゆくえを追跡します」
ベトナム派兵の傷跡」
「韓国の労働運動と日本」
「語りはじめた労働者たち」
「韓国の農村で」


梶村秀樹著作集第6巻より
定住外国人としての在日朝鮮人
「海がほけた!――山口県長生炭坑遭難の記録」
「解放後の在日朝鮮人運動」
「なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか」
金嬉老への判決を支えた日本社会」
金嬉老裁判の現在」
「私における呉林俊氏の肖像」
「論文「自立した関係をめざして」に対する私の意見」
「論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見」
定住外国人県民の生活とニーズ――「県内在住外国人実態調査」を終えて――」
「「指紋」の闘いは終っていない」



朝鮮史の枠組と思想』より
「「家族主義」の形成に関する一試論」
「申采浩の啓蒙思想
「申采浩の歴史学――近代朝鮮史学史論――」
「あとがき」


『朝鮮を知るために』より
「保育園にて」
「朝鮮との出会い」
「出しぬき合い社会」
「私と朝鮮語
「「先公よ、しっかりさらせ」を読んで」
「「自由」にたじろぐまい!  民族差別と闘う連絡協議会第七回全国集会(一九八一年)への感想」
「《書評》西順蔵著『日本と朝鮮の間』」
「《書評》宋孝順著『ソウルヘの道』」
「《書評》和田春樹著『北の友へ南の友へ』」


梶村秀樹著作集・単行本未収録の執筆物より
「日本における朝鮮研究の蓄積をいかに継承するか」
「『歴史と理論』を読みかえしてみて」
「私の反省」
「私の失業始末記」
「平均的私大生のアジアのイメージ」
「『東亜日報』意見広告に見る民衆意識(上)(中)(下)」
「教科書問題を考える一朝鮮史研究の視点から」

2017年から2023年の間 映画、「探偵ドラマシリーズ」2本と「画家の出る映画」1本だけ。読書、短編小説がほとんど、長編で読了できたのは、「そして誰もいなくなった」「動く指」「ペドロパラモ」「第三の警官」「ゴッホ日本に賭けた夢」「エドゥアールマネ西洋絵画の革命」「美の呪力」「子どもを殺してくださいという親たち」、はんぶんぐらいは、ドラマで見ていた。「ある長編戦争小説」を再読できなかったのはつらかった。
電子化の時に再読、「カラマーゾフの兄弟」「アンナ・カレーニナ」「悪霊」「白夜」。マンガ、3巻以上のストーリーもので読了できたものは2つしかない。
戦争証言アーカイブス、新しく読むことがほとんどできなかった。



追加作業のためのメモ
イタガキリュウタ、ヨシノマコトの反論論文、ニュウカントウソウ、



並木真人論文
歴史評論 (482) - 国立国会図書館デジタルコレクション
○戦後日本における朝鮮近代史研究の現段階--「内在的発展論」再考/並木真人 //p15~30


20230923。20分。
20240925、40分
20231001、40分
20231010、30分、


梶村先生の執筆物の検討 その他メモ - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]


メモ

「ほんとうに読むべき本になる条件」
ひろさふかさ、するどさ、すきのなさ、いきおい、独特の味
「固定客」をつかむ

『古文書返却の旅』P091、第六章より、「実際、読み切った文書は七、八年間でわずか五百点にとどまった。(略)そしてその過程で、なによりもわれわれが驚いたことの一つは(略)」→「、八年間でわずか五百点にとどまった。」

わたしの、本気の反万博論 その34 つるむのは罪であり、やすっぽい薬物でもある。インターネット文化が万博より劣っている最大の理由の一つは、そこを思い切り肥大化させたからだ。

族 | 押川剛 公式ブログ

もうね、集合知なんていうのは言うな! その前に「朝鮮精神」、じゃなかった、「挑戦精神」をもてと言いたくなる。
これはついでだが、在日朝鮮人運動などのマイノリティ運動でも、もっとインターネット文化に対して「挑戦精神」をもったほうがいいのでは、と思うことがある。あの人たちが「いいね機能」にからめとられているとはほぼ言えないのだから。

わたしの、本気の反万博論 その33 成田悠輔氏とその賛同者は、「ワタシを生んだのは、水俣病患者を見捨てた団塊の世代だ!」とは言わなかった。今この時が「団塊の世代」をまとめて、どんなにゆがんでいても、正当に批判する最後のチャンスだった。それを言わない、その時点であの連中の「歴史認識」が危険なほど荒廃していることが確定した。結局、「団塊の世代」がもっているミエと権力とカネに目がくらんでいると断言していい。吉村現大阪知事も、まったく同じで「団塊の世代」に都合よくすりよっている。1980年から数え

団塊の世代」自体ではなく、「団塊の世代」がもっているものにすりよっている。
なんだここだけ言えばよかったのか。なんだ単純なはなしなのか。もう少しつけくわえることがあるかもしれないが。

わたしの、本気の反万博論 その32 2024年3月時点で、インターネット上で、網野善彦氏を中心とする奥能登の旧家時国家研究が具体的にどういうものだったかの情報は、神奈川大学日本常民文化研究所の情報をのぞけば、本当にうすい。どうやっても7年かかった、ということが強調されていない。

受託研究 輪島市・上時国家文書・時国家文書調査業務 | 調査と研究 | 神奈川大学日本常民文化研究所

網野氏らの本にちゃんと、どうやっても7年かかっただろう、ということが書かれてあるのに
最低でも7年かかった、という、人文学というか人間の判断にとって結局長い時間がかかるのだという単純なことの立証をしようとしているとはいえない! これだけ人文学の立場が金がかかるだの信用できないだので批判されているのに。緊張感がねえな、と深刻に思う。
結局、わかい大学の先生も(は)、人文学の過去の栄光にすりよっているのではないか。あれでは最後の一線で信用できないという事になる。

そして、これは万博の歴史に対する認識についてもほぼ同じことがあてはまる。こっちのほうが深刻だろう。

わたしの、本気の反万博論 その31 ふりかえって実に異様としか思えないが、反体制運動でも、「いいね機能」に対する総合的批判というのは、あとまわしになっている。生徒に依存症に近い状態の人がいるだろう、高校大学の先生のアカウントでも、「いいね機能」批判ははっきりあとまわしにしている。

たとえば「ひろしまタイムライン」のときにそれがはっきりした。イーロン・マスクの強引な管理体制変更の批判のときも、「いいね機能はずせるようにしたらホントは人間の健全な生活のためによいのでは」という批判は、多少はあるが、ほとんどあとまわしだった。あのときにいわないでいつ言うんだ、と思うが。
そして、これも大事な事だが、あとまわしにする人が「結局いいね機能大好きなんだ」とはどうしても言えないということである。例外もあるが、本当に、どう見てもそういえない。わたしなど、インターネット文化に期待するのを腹の底では放棄しているのだろうな、いや、最初から放棄しているのかもな、としか思えない。
「いいね機能が長い目で見て子どもの独創性を抑圧する」というのは、多少の歴史の知識があればすぐ立証できることだ。

トム=ソーヤーの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第14章から第17章まで

20240317
■45-■00、15分、入力、198-209
20240318
■18-■31、13分、入力、210-219
■34-■54、20分、入力、220-238
■05-■12、7分、入力、239-、


14 楽しいキャンプ
 あくる朝、目をさましたトムは、自分が、どこにいるのかわからなかった。おきあがり、目をこすって、あたりを見まわした。そして、やっとわけがわかった。ひえびえと灰色をおびた夜明けだった。もの音ひとつしなく深い静けさにつつまれた森の中は、いかにも気持ちよい休息と平和とが息づいているように感ぜられた。一まいの木の葉も動かない。大自然のもの思いをやぶろうとする音ひとつきこえない。本の葉や、草の葉には露の玉がならんでいる。たき火のあとには、白い灰がうすくかぶり、そのあいだから、青白いけむりがひとすじ、まっすぐ空へのぼっていた。ジョーも、ハックも、まだねむりからさめていない。
 やがて、森のずっと奥のほうで、けたたましい鳥の声がひびいた。それにこたえて、また鳥の声が一つ。まもなくきつつきの、こつこつと木をたたく音がきこえはしめた。夜明けのひえびえとした灰色が、だんだん乳色にかわってきた。しだいにもの音がまし、生命が活動しはじめた。いよいよ、ねむけをふりはらい、しごとにかかろうとする、おどろくべき自然のすがたが、もの思いにふける少年の目のまえに、ひろがっていった。みどり色の尺とり虫が、朝露にぬれた葉の上をはってきた。からだの三分の二ほどもちあげては、あたりをかぎまわるようなようすをし、それから、また進んでいく、――くりかえし、くりかえし――寸法をはかっているのだな、と、トムは考えた。尺とり虫が、自分からすすんでトムのほうへやってきたとき、トムは、石のようにじっとすわって、虫が近づいたり、どこか、ほかへまがりそうになったりするたびに、うれしがったり、がっかりしたりした。そのうち虫は、ぐっとせなかをまるめ、つぎにどうするかと、息づまる瞬間、ようやく決心して、トムの足にとりつき、ずるずるとのぼりはじめたとき、トムは、よろこびでいっぱいだった――これは、新しい服が手にはいるというしらせだったからだ――金ぴかの海賊の制服が手にはいることまちがいなしだった。
 こんどは、ありの行列がどこからともなくあらわれて、しきりにしごとをはじめた。一ぴきは、自分より五倍も大きいくもの死がいと勇ましくとりくんで、まっすぐに立っている木のみきを、ひっぱりあげていった。褐色のぽちぽちのあるかぶと虫のめすは、目もくらむような高い草の葉の上に、はいのぼっていった。トムは、そのそばにかがんで、「かぶと虫、虫、かぶと虫、おまえのおうちは、まる焼けだ。とんでけ、とんでけ、とんでいけ。子どもらばかりで待っているぞ」といった。虫は、もそもそと羽をひろげ、それはたいへんと、とんでいった――トムはおどろかなかった。というのは、この虫は、大火事ときくと、すぐさまほんきにするのだということは、まえからよく知っていたし、一どならず、この手で、この虫のばか正直なことをたしかめていたからだ。つぎに、こがね虫がやってきた。こがね虫は、えっさえっさと、自分のこうらをひっぱっていく。トムが、さわってみると、足をからだの中にひっこめて、死んだまねをしてみせた。
 もう、そのころになると、小鳥たちは大さわぎをしはじめていた。北のほうでは、ものまね鳥とよばれているねこ鳥が、トムの頭の上の枝にとまって、このあたりに巣をいとなむ鳥のなき声をまねて、もう、うれしくてたまらないというように、さえずりはじめた。けたたましいなき声をはなつかけすが、ひとかたまりの青いほのおとなってまいくだり、手のとどきそうな枝にとまると、しきりに首をかしげ、この見なれない子どもたちをむさぼるような好奇心で見つめた。灰色のりすと、大きなきつねりすとが、ちょろちょろと走りよってきて、ときどきおすわりをして、少年たちのほうを、じろじろ見たり、話しかけたりした。きっと、野生の生きものたちは、これまで、人間というものを見たことがなかったので、おそろしいものか、そうでないのか、よくわからなかったのだろう。やがて、あらゆる自然界は、すっかりめざめ、動きはじめた。日の光は、ちょうど長いやりのように、遠い葉や近い葉のかさなりをさしつらぬいていた。その中に、なんびきかのちょうが、ひらひらと、まいながら、やってきた。
 トムは、なかまの海賊たちをゆりおこした。みんなは、いっせいにさけびながら、かけだした。そして、二分とたたないうちに、まっぱだかになって、白い砂がすきとおって見えるきれいな浅瀬で、追いかけたり、にげまわったり、ころんだり、ころばしたりなどをはじめた。三人は、荘厳な大川をへだててねむっている、小さな村に帰ろうなどとは思ってもみなかった。気まぐれな流れのせいか、それとも、夜のうちに水かさがちょっとましたためか、あのいかだは、影も形もなく流されてしまっていた。けれども、それは、三人にはかえってうれしかったのだ。これで、いよいよ、自分たちと文明とをつないでいた橋が、焼けおちてしまったような気がしたのだった。
 キャンプにもどってきたときは、三人とも、げんきいっぱいで、心ははずみ、そのうえ、腹がすききっていた。彼らは、すぐに、火をおこした。ハックは、つめたいすんだ水のわきでているいずみを、すぐ近くにみつけた。少年たちは、ならの葉やさわぐるみの葉を、コップのかわりにして、その水を飲んだ。こんな無人の森の魅力で味をつけた水は、朝のコーヒーの代用として、申しぶんなかった。朝食のベーコンをうすく切っているジョーに、トムとハックは、ちょっと待っていてくれとたのんで、さかなのつれそうな入り江まででかけて、糸をたれた。すぐに、びくっと、手ごたえがあった。ジョーが、まだかまだかと気をもむまでもなく、いくひきかの、みごとなすずきと、すずきに似たサン・パーチを二ひき、それに小さいなまずを一ぴき、さげてもどってきた。――家族じゅうの食料としても、たっぷりたりるほどのえものだった。さかなを、ベーコンといっしょにいためてみたが、それはすばらしい味だった。こんなにうまいさかなを、これまでたべたことがないような気がした。淡水魚はとりたてを料理すればするほど、風味がいいことを、三人は、知らなかったのだ。そして、戸外でねむり、戸外で運動をし、水あびをすることが、どんなに味をそえるものか、ほんとうのすき腹というものが、どんなにものをうまくするものか、すこしも考えなかったのである。
 食事をすますと、木かげにねそべり、ハックはたばこをふかした。それから、ひと休みすると、そろって森の中の探検に出発した。みんな、陽気に進軍した。くさりかけた大木をこえ、やぶのしげみをわけ、かんむりから大地まで、つたかずらの紋章をたらしている森の王さまたちのあいだをぬって進んでいった。ときどき、花の宝石をちりばめた草が、じゅうたんのようにひろがっている、気持ちのよい場所へでたりした。
 三人は、おもしろいものをいくらでもみつけることができたが、びっくりするようなものには、でくわさなかった。この島は、長さ約三マイル、幅約四分の一マイルで、川岸にもっとも近いところは、二百ヤードたらずのせまい流れでへだたっていることがわかった。彼らは、ほとんど、一時間おきにおよいだので、テントにもどってきたときは、もう三時に近かった。ひどく腹がへっていて、さかなつりもしていられなかったので、つめたいハムで、ぜいたくな昼食をすまし、それから木かげにねそべり、話しはじめた。けれども、話はすぐにはずまなくなり、やがて、まったくとぎれてしまった。森の中にただよう静けさ、おごそかさ、さびしさが、少年たちの心に、ききめをあらわしはじめたのである。みんなは、もの思いにしずんだ。なんともいいようのない、せつない思いが、むくむくとわいてきた。まだ、はっきりしたかたちはとっていないが――ホームシックの芽ばえだった。〈凶状持ち〉のワインさえも、ねなれた、よその家の入り口や、あき家になっていたぶた小屋を思いうかべるようになった。だが、三人とも、気の弱さがはずかしいので、思いきって自分の気持ちを話そうとはしなかった。
 さっきから、みんなは、遠くのほうからみょうな音がひびいてくるのに、ぼんやり気がついていた。ちょうど、時計のこちこち時をきざむ音をきいているような、きいていないような、あの気持ちだった。ところが、いま、このふしぎな音は、しだいにはっきりしてきて、どうしても耳についてはなれないようになってきた。少年たちは、びくっとして、顔を見あわせ、めいめい、耳をすました。長いあいだ、あたりが、しいんと、しずまりかえっていると思ううちに、遠くから、どおん、どおんと底力のある、陰気な音がひびいてきた。
「あれ、なんだろう?」と、ジョーが息をころしてさけんだ。
「なんだろう」と、トムも小声でいった。
「かみなりじゃないな」と、ハックルベリーが、おそろしそうな声をだした。
「かみなりってやつは――」
「しっ!」と、トムがいった。
「しずかに――だまって。」
 じいっと待った。ずいぶん待ったような気がした。と、また、どおんと、さっきと同じような、陰にこもった低い音が、おごそかな静けさをゆり動かした。
「いってみよう!」
 ぱっと、とびあがった三人は、村に面した岸をめがけてとんでいった。彼らは、岸のしげみをわけて、川づらをのぞいてみた。村から一マイルほど川下を、渡しに使う小蒸気船が、流れにのってくだっていた。その広いデッキには、人がむらがっているように見えた。蒸気船のまわりには、たくさんの小さいボートが、こぎまわったり、うかんだりしていたが、そのボートにのっている人たちがなにをしているのか、少年たちには、かいもくけんとうがつかなかった。とつぜん、蒸気船の横っ腹から白いけむりが、ぽっとふきだした。そして、みるみるうちにひろがって、高くのぼり、ふんわりうかんだ雲になるころ、また、あの、どおんという、にぶい音が、三人のところへきこえてきた。
「わかった!」と、トムはさけんだ。
「だれかが、おぼれたんだ!」
「そうだ!」と、ハックもいった。
「去年《きょねん》の夏、ビル=ターナーがどざえもんになったときもそうだった。川の上で大砲をぶっぱなすと、どざえもんがうきあかってくるんだ。そうなんだ。それからパンの中に水銀をすこし入れてうかすんだ。そうすれば、死んだもんか、どこにいようが、ちゃんと、そこまであがってきて、とまるってことだ。」
「うん、おれもきいたことがあらあ」と、ジョーがいった。
「だけど、どうして、パンにそんなことができるんだろうなあ。」
「うん、パンにそんなはたらきがあるわけじゃないんだ」と、トムはいった。
「パンを流すまえに、そのパンにおまじないをするのがきくんだと思うな。」
「だって、なんにもパンにいいやしないぜ」と、ハックはいった。
「おれ、なんども見たけど、いいやしなかったぜ。」
「へええ、おかしいな」と、トムがいった。
「じゃ、きっと、腹ん中でいうのさ。きっと、そうだよ。そんなこと、だれだって、知ってらあ。」
 トムのいうことにも一理あるので、みんなも賛成した。でなければ、おまじないもなにもされない、ばかなパンが、そんなだいじなおつかいにだされたって、うまくしごとをやってくるなどというはずはないではないか。
「あすこへいってみたいなあ」と、ジョーがいった。
「おれだって、さ」と、ハックはいった。
「だれが、どざえもんになったのか、おせえてくれればいいんだがなあ。」
 少年たちは、じっと耳をすまして、みつめていたが、そのうち、ある考えが、トムの心にひらめいた。
「おい、だれがどざえもんになったのか、わかったよ――おれたちなんだ!」
 彼らは、いっしゅん、英雄になったような気がした。すばらしい大勝利だった。自分たちは、きえてなくなったのだ。自分たちは、哀悼をささげられているんだ。自分たちのことで、みんなが心をいためているんだ。涙を流しているんだ。この、いなくなったわれわれに、不親切だったことを思いだして、人びとは、せめさいなまれ、後悔してもおっつかないなげきにひたっているのだろう。なによりもうれしいのは、おれたちいなくなった者が、村じゅうの語りぐさになり、このすばらしい評判で、村じゅうの子どもたちにうらやまれているということだ。これは、すばらしいことだった。つまり、海賊というものは、やりがいのあるしごとなのである。
 夕やみがせまってきた。蒸気船は、いつものしごとにもどり、ボートは、どこかへ見えなくなってしまった。海賊たちも、キャンプヘもどった。彼らは、自分たちに新しくくわわった偉大さと、大さわぎの主人公になったことで、うちょうてんになった。そして、さかなをとって、夕食をととのえてたべた。それから、村の者たちが、自分たちのことをどんなふうに考えたり、いったりしているに卯ということを話しあった。自分たちのことで、村じゅうがなげいているようすは――少年たちの考えでは――うれしいながめだったのである。けれども、夜の影が、だんだんせまってきたとき、話はとだえがちになり、彼らは、いままでとはちがったことを考えながら、じっと、火をみつめはしめた。興奮がさめてしまったいま、トムとジョーは、うちにいる人びとのことを、考えないわけにはいかなかった。その人たちは、このいたずらを、自分たちほどよろこんではいないのだ。なんだか心配になってきた。心はさわぎ、楽しくなくなってきた。しらぬまに、ため息がもれた。やがてジョーが、きみたちは、文明に帰る――といっても、いますぐというわけではないけれど――文明社会に帰ることをどう思うかと、おずおずと、まわりくどく〈さぐり〉を入れはじめた。
 トムはわらって、ジョーをやりこめた! まだ、ハックはそのときまで、へまな口だしをしていなかったので、トムにみかたした。心のぐらっきかけたジョーは、さっそ〈いいわけ〉をした。そして、自分の服についたおくびょうなホームシックの虫などは、すぐに、きれいにふるいおとしてしまったのだった。むほんは、ひとまず、うまくおさまった。
 夜がふけてくるにつれて、ハックはいねむりをはじめ、やがて、いびきをかきだした。ジョーもすぐにつづいた。トムは、しばらくのあいだ、ひじまくらをし、ねそべりながら、じっと、ふたりのほうをみつめていた。そのうち、そっと、からだをおこし、たき火の投げるちらちらした光をたよりに、草むらの中をさがしはじめた。そして、筒をたてわりにした形の白いいちじくの皮を何まいかひろいあげた。そして、しらべていたが、さいごに、使いよさそうなのを二まいえらびだした。それから、火のそばにかがむと、赤いチョークで、その二まいに、苦心してなにか字を書きつけた。一まいは、まるめて自分の上着のポケットに入れ、もう一まいは、ジョーのぼうしの中に入れて、その持ち主から、すこしはなれたところにおいた。そのぼうしの中には、小学生たちにとっては、このうえもないねうちかおるといってもいいほどの宝物を入れた――その中には、チョークのかけらが一つ、ゴムボールが一つ、つり針が三本、〈ほんものの水晶〉といわれているビー玉が一つあった。それから、用心ぶかく、しのび足で、木の間をぬって進み、もう、足音もきかれる心配がないと思うところまでくると、砂州をめざして、いっさんにかけだした。

15 わが家を偵察する
 二、三分ののちには、トムは砂州《さす》の浅瀬《あさせ》を、対岸《たいがん》のイリノイ州にむかって渡っていた。水が腹まできたころには、もう水路の半分はこえていた。それからさきは流れが強くて、歩いていけないとわかると、のこりの百ヤードは、自信がありそうに、およぎはしめた。彼は、上流にむかっておよいだのだが、思ったよりも速く、ぐいぐい下流のほうへおし流された。しかし、とうとう岸にたどりつき、低いところがみつかるまで流れに身をまかせていって、それから、岸へはいあがった。上着のポケットをおさえてみると、いちじくの皮はぶじだった。それから、服から水をぽたぽたたらしながら、岸にそって森の中をのぼっていった。トムが村の対岸にあたる広場についたのは、十時ちょっとまえだった。見ると、あの蒸気船が、高いがけの木かげに横たわっていた。またたく星の下、すべてがしずまりかえっていた。トムは、がけをするするとはいおり、目を皿のようにして、あたりに気をくばりながら、するりと水にはいり、三かき四かきおよぐと、ボートにはいあがった。このボートは、蒸気船の〈船載ボート〉の役をはたしているのである。ボートにはいこむと、彼は、こしかけ梁の下へもぐりこんで、息をはずませながら、じっと待った。
 やがて、ひびのはいった鐘ががらんがらんとなり、「ともづなとけ」の命令がきこえてきた。一、二分ののち、ボートは本船のおしりにむかって頭をあげ、船は動きはじめた。トムは、この成功をよろこんだ。これは、夜の渡しの最終ということを知っていたからだ。長い十二分か十五分の渡航がおわると、外輪の回転はとまった。トムは、ボートからはいだして川へとびこむと、くらやみの中を岸にむかっておよいで、船から五十ヤードばかり川下で岸についた。ここなら、船つき場でうろついている人にみつかる心配はなかった。
 トムは、人通りの少ない小道をとぶように走って、まもなく、おばさんのうちのうらべいのところにでた。なんなく、へいをのりこえ、家のそでに近づいて、あかりがもれている居間をそっとのぞいた。見ると、ポリーおばさん、シッド、メアリー、それに、ジョー=ハーパーのおかあさんが集まって、話をしていた。みんなは、寝台のそばにいたのだが、その寝台は、彼らと戸口とのあいだにあった。トムは、戸口にしのびよって、しずかにかけ金をはずし、そろそろ、おしてみた。戸は、すこしあいた。注意ぶかく、戸をおしつづけたが、ぎいっとなるたびに、ぶるっとふるえた。そのうち、ひざをついてはいこめるほどあいたと思われたので、用心ぶかく頭を入れ、はいりこみはじめた。
「どうして、ろうそくの火がこんなにゆれるんだろうね?」と、ポリーおばさんがいった。トムは、いそいではいこんだ。
「まあ、また、ドアがあいてるんだよ、きっと。おや、ほんとにあいてるよ。おそろしい、へんなことばかりあること。シッド、しめておいでよ。」
 トムは、そのすきに、やっと寝台の下にはいこむことができた。横になって、しばらく〈息をととのえ〉ると、おばさんの足にさわれそうな近くまではっていった。
「ところで」と、ポリーおばさんはいった。
「あの子は、世間でいってるような、不良ではありませんよ――ただ、いたずらっ子だったんですよ。ただもう、そそっかしやの、むてっぽうだったんでねえ。子馬とおんなじで、分別もなにもなかったんですからねえ。あの子にかぎって、悪気なんかありゃしませんでした。あんな、心のすなおな子は、ほんとに見たことありませんでしたよ――」
 そして、おばさんはなきだしてしまった。
「うちのジョーも、まったく、そのとおりでございますわ――そりゃもう、わるさはしますし、さんざん、いたずらはしましたけれど、しんせつで、気だてのやさしいことといったら――ああ、あの、クリームをなめたといって、むちでたたいたことを考えると、わたしとしたことが、すっぱくなったんで、自分ですてちまったくせに、それを思いださないなんて、まあ、なんということでしょう。ああ、二どとまた、あのくさされた、かわいそうな子に、もう、もう、もう、けっして、この世であえないのだと思うと!」
 ハーパー夫人は、胸もつぶれそうに、すすりあげた。
「トムも、あの世で、いままでよりもしあわせになってるといいけどね」と、シッドがいった。
「生きているうちに、もうすこし――」
「シッド!」
 トムには見えなかったが、おばさんの目がぎろりと光ったことが、よくわかった。
「わたしのトムの悪口をいうのは、やめておくれ、あの子は、もう死んでしまったんだよ! いまではもう、神さまがお守りくださってるんだよ――なにも、おまえが、なんのかのいうことはありません! ああ、ハーパーの奥さん、わたしには、どうしたら、あの子があきらめられるでしょうか! どうしたら、あの子をあきらめられることでしょう! あの子は、この年寄りに苦労のかけどおしでしだけれど、ほんとに、あの子はわたしにとっては、なぐさめだったんですものね。」
「主、与え、主、とりさりたもう――主のみ名は、ほむべきかな! でも、ほんとにつらいことですわ――ああ、つらいですわねえ! つい、このまえの土曜日にも、ジョーが、わざとわたしの鼻さきで、かんしゃく玉をはれつさせましたんで、はりたおして、四つんばいにさせたんですよ。でも、こんなに早く、こういうことになるとは、まったく思ってもいなかったんですものねえ――ああ、もし、もう一ど、ああいうことがおこってくれるんでしたら、あたし、きっと、だきしめて、ほめて、ほめてやりますのに。」
「ええ、ええ、そうですとも。そのお気持ち、よくわかりますわ。ねえ、ハーパーの奥さん、あなたのお気持ち、ちゃんとわかりますわ。つい、きのうも、トムがねこをつかまえましてね、あなた、鎮痛剤をむりに飲ませるじゃございませんか。ねこはもう、うちじゅうあばれまわりましてね、どうなることかと思ったんでございますよ。ああ、神さま、おゆるしくださいませ、わたしはあの子の頭を、指ぬきでこづきまわしたんでございますよ。ああ、かわいそうにねえ。でも、いまごろは、苦しみからのがれて楽になっておりましょうよ。それからね、あの子は、さいごに、わたしをうらむようなことばをのこしていったんですよ――」
 その思い出は、おばさんにとっては、あまりにもつらい悲しいことだったのだろう、彼女は、そこでなきくずれてしまった。これをきくと、本人のトムも、鼻をすすりあげた――だが、トムがかわいそうに思ったのは、自分自身のことだった。メァリーもなきだして、ときどき自分に、やさしいことばをもらしているのがきこえてきた。トムは、いままで考えていたより、自分を尊いものに思いはじめた。それにしても、おばさんの悲しみには、ずいぶん心をうたれたので、寝台の下からとびだして、さんざんよろこばしてやろうかとさえ思ったのだが――しかも、そういうしばいがかった、はなやかさは、トムの性質にぴったりだったのだけれども――じっとがまんして、しずかに横になっていることにした。
 トムが、じっと耳をすましてききとった、きれぎれの話をつなぎあわせてみると、だいたい、つぎのようなことがわかった。はじめ、三人の子どもたちは、水泳中におぼれたのだろうと思われていたのだが、やがて、いかだのなくなっていることが発見された。それから、ある少年たちは、いなくなった少年たちが、そのまえに、そのうち、村の人が「なにかのうわさをきくだろう」と予言したという話をした。そこで、知恵者たちが、〈あれこれ〉つなぎあわせた結果、少年たちは、いかだでのりだしたのだ、だから、きっといかだをすてて、川下の村へあらわれるだろうと、結論をくだした。昼ごろ、そのいかだがみつかったが、それは、村から五、六マイルばかりの下の、しかもミズーリ州の岸にただよいついていた――そこで、のぞみはなくなった。きっと、おぼれ死んだにちがいない。さもなければ、腹がへって、おそくも夜までには、うちにたどりつくはずだ、ということになった。死体の捜索がうまくいかなかったのは、子どもたちが、川のまん中の深いところでおぼれたからにちがいないと、考えられた。あの少年たちは、みんな、およぎ達者なのだから、ほかのところだったら、岸におよぎつけないはずはないのである。いまは水曜日の夜だ。日曜日までに、死体がみつがらなければ、すべての希望はすてなければならない。そして、とむらいは、日曜の朝、教会でとりおこなわれることになっていた。トムは、ぶるぶるふるえた。
 ハーパー夫人は、しゃくりあげながら、わかれをつげて席を立った。それから、子にさきだたれたふたりの婦人は、たがいのせつなさにたえかねて、だきあい、なぐさめあい、涙をこぼしてわかれた。 ポリーおばさんは、いつもよりずっとやさしく、シッドとメアリーにおやすみをいった。シッドは、鼻をすすりあげ、メアリーは、わあわあなきながらでていった。
 ポリーおばさんは、ひざまずくと、トムのために、ひじょうに感動的な、まことに人の心をうつお祈りをささげた。祈りのことばと、年老いたそのふるえ声には、いうにいわれぬ愛情がこもっていたので、トムは、お祈りがまだおわらないうちから、なけてなけて、しかたがなかった。
 トムは、おばさんが寝床にはいってからも、長いあいだ、じいっとしていなければならなかった。おばさんは、悲しさに心がみだれて、しじゅう短いさけび声をあげたり、おちつきわるく、もぞもぞしたり、ねがえりをうったりして、なかなかねつかれないようすだったからだ。しかし、とうとう、そのうちにしずかになって、ときどきもらす、うなり声と寝息とだけになった。そこで、トムは、はいたして、そろそろ寝台のそばに立ちあがった。そして、ろうそくの火に手をかざして、おばさんの寝顔をみつめた。それから、あのいちじくの皮をとりだすと、ろうそくのわきにおいた。けれども、きゅうになにか思いついて、しきりに考えまよっているようすだった。やがて、なにかうまい解決法がうかんだとみえて、トムの顔は、ぱっとかがやいた。彼は、いそいで、いちじくの皮をポケットにしまいこんだ。それから、かがみこんで、色あせたくちびるにキスをすると、しずかにしのびでて、戸口のかけ金をもとどおりにおろした。
 トムは、道をぬって、渡し場へとってかえした。彼は、あたりに人がいないのを見きわめると、大胆にも、そこにある蒸気船にのりこんだ。トムは、この船には、いつも夜になると番人のほかにはだれもいなくなり、その番人もへやにもぐりこんで、木像《もくぞう》のようにねむりこけてしまうことを知っていたからである。トムは、船尾につないであるボートのつなをほどくと、そっとのりこみ、すぐ注意ぶかく川上へむかってこぎだした。村から一マイルばかりまっすぐこぎのぼり、それから、むこう岸に進路をとって、けんめいにこいだ。トムは、こんなしごとにはなれていたので、ぴたりとむこう岸の船つき場ヘボートをつけた。彼は、このボートをぶんどってやろうかという考えをおこした。これでも、船にはちがいないのだから、海賊の正当な戦利品だとはいえるだろう。しかし、彼は、かならずこの船は、くまなく捜索され、その結果、かくれががつきとめられてしまうことを知っていた。そこで、彼は岸にあがって、森の中へはいっていった。
 トムは、こしをおろし、ねむらないように、目をあけて、長いあいだ休んでから、本拠にむかって用心ぶかく出発《しゅっぱつ》した。空は、もう白みはじめていた。あの島の砂州の対岸についたときには、あたりはもう、すっかり明るくなっていた。ここでもう一ど、太陽があがり、雄大な川の水面がきらきらかがやくころまで休み、それから、流れにとびこんだ。まもなく、キャンプのすぐそばまできて、ぬれねずみのまま立っていると、ジョーの話し声がきこえてきた。
「いや、トムは、うそつきじゃないよ。ハック、帰ってくるよ。にげだしたりなんかしないよ。そんなことすりや、海賊のつらよごしたってことも、知ってるもん。トムは、気ぐらいが高いから、そんなことはしっこないさ。きっと、なにかはじめてるんだよ。だけど、いったい、なにをやってるんだろうなあ。」
「わかった。けれど、ここにあるもんは、みんな、おれたちのもんなんだろ、そうだろ?」
「おれたちのものみてえなもんだけど、まだ早いよ。ハック、もし、朝めしまでに帰ってこなかったら、くれるって、あの手紙に書いてあるんだ。」
「ところが、帰ってきましたよ!」と、トムはさけんで、しばいけたっぷり、ずかずかと、キャンプの中にはいってきた。
 ベーコンとさかなのぜいたくな朝食が、まもなくととのった。みんなで、それをたいらげにかかると、トムは、くわしく(しかも、おまけをつけて)ゆうべの冒険を話してきかせた。話がおわったときは、三人はとくいに胸をはちきらせた一組の英雄となっていた。トムだけは、木かげに横になって、昼までぐっすりねむり、ほかの海賊たちは、さかなつりと探検にでかけていった。

16 たばことあらし
 昼食をすますと、みんなで、砂州へかめのたまごをさがしにでかけた。あちこちの砂地へ、やたらに棒をつきさして歩き、やわらかいところにぶっかると、そこへひざをついて、両手で砂をかきわける。と、ときには、一つの穴から五十も六十も、たまごがとれた。くるみの実よりもすこし小さく、白くて、まんまるいたまごだった。その日の夕食は、このすばらしいたまご焼きで舌つづみをうった。金曜日の朝も、もう一ど、のこりをたべた。
 朝食がすむと、また砂州まででかけて、ときの声をあげたり、はねまわったり、ぐるぐる追いかけっこをしたりして、一まい一まい服をぬいでいき、とうとうまるはだかになって、遠く浅瀬のさきのほうまで、はげしい流れにさからいながら、とびはねていった。ときどき流れに足をすくわれたが、それがまた、おもしろくてたまらなかった。あるときは、三人輪になってしゃがみこみ、手で水をすくって、あいての顔にふっかける遊びをした。めいめい、しぶきがかからないように、顔をわきへむけながら、じりじりっと近づいていく。あげくのはてに、とっくみあいになって、いちばん強い者が、あいての顔を水の中へつっこむ。それから三人いっしょに、白い手や足をからみあわせながら、しずんでいき、しばらくすると、ぺっぺっとつばきをはき、わらいながら、息をはずませて、いちどきに、どっとうかびあがってくる。
 さすがに、くたくたにつかれきると、砂地へかけあがって、加わいた熱い砂の上に腹ばいになったり、あおむけになったりして、からだじゅうに砂をかける。やがてまた、川へとびこんで、さっきと同じ遊びをくりかえす。そのうちに、三人は、はだかの膚《はだ》が〈肉じゅばん〉に似ていることに気がついた。そこで、砂に大きな輪をかくと、その中でサーカスをはじめた――このサーカスには、道化役が三人あった。というのは、だれもこのいい役を、ひとにゆずろうとしなかったからである。
 つぎには、ビー玉をだして遊んだ。〈はじきっくら〉や〈輪あて〉や〈国とり〉を、あきるまでやった。それからジョーとハックは、またおよぎにいったが、トムは、あまり気がすすまないので、いかなかった。さっき、かけながら、ズボンをけとばしてぬいだとき、知らぬまに、足首にしばりっけておいた、がらがらへびのしっぽも、いっしょにけとばして、なくしてしまったのに気がついたからだ。あのおまじないもつけないで、あんなにおよいで、どうしてこむらがえりがおきなかったのか、なんとも、ふしぎなことだった。だから、それをみつけだすまで、およぐ気がしなかったのである。やっとみつけたころには、なかまは、くたくたになって、ひと休みするために、あがってきた。こんどは、三人、だんだんはなればなれな気持ちになって、みんな〈しょげこみ〉、雄大な川のむこうの日あたりに、ねむそうに横だわっている村のあたりを、じっと、なつかしそうにながめはじめた。トムは、ふと気がつくと、足の親指で、〈ベッキー〉と、砂の上に書いていた。彼は、その字をかきけした。自分の気の弱さに腹がたった。そのくせ、彼は、すぐにまたその字を書いた。どうしても書かずにいられなかったのだ。もう一ど、彼は、それをけした。そこで、なかまをかり集めて、いっしょになって、この誘惑にうちかとうとした。 ところが、ジョーは、もう、どうすることもできないほど、げんきをなくしていた。彼は、ひどいホームシックにかかって、その苦しさに、たえられなくなっていたのだ。いまにも、涙がこぼれおちそうだった。ハックも、しずみこんでいた。トムも、じつは、みんなと同じように気がめいっていたのだが、じっと、がまんして、それを、そぶりにもあらわすまいとした。まだ、うちおける気はなかったけれども、トムには、一つのひみつがあった。けれど、もしも、こんなふうな気のめいった状態が、いつまでもっづくようだったら、話さなくてはならないことになるだろうと、トムは思った。彼は、いかにもげんきそうなふりをしていった。
「おい、この島には、きっとむかしは海賊がいたにちがいないぜ。もう一ど探検してみようじゃないか。どこかに、宝物をかくしておいたろうと思うんだ。金貨や銀貨が、いっぱいはいっているくさった箱にぶっかったら、どんな気がするだろう?――なあ、おい。」
 けれども、みんな、わずかに顔をかがやかせたばかりで、それもすぐきえ、へんじをする者もなかった。トムは、なおも、一つ、二つ、みんなのよろこびそうな話をしてみたが、それも失敗だった。がっかりさせられるようなしごとだった。ジョーは、すわりこんだまま、陰気な顔をして、棒で砂をほっている。そのうち、彼はこんなことをいいだした。
「ねえ、きみたち、もう、こんなの、やめようよ。ぼく、うちへ帰りたくなっちゃった。とても、さびしくってたまらないんだ。」
「そんなこというなよ、ジョー。おまえたって、じきに、げんきになるよ」と、トムはいった。
「ここでやる、つりのことを考えてみろよ。」
「つりなんか、ぼくしたくないよ。うちへ帰りたいんだ。」
「だけど、ねえ、ジョー、ここみたいな、およぎ場所、ほかにはないぜ。」
「およぎなんて、つまんないよ。だって、およいじゃいけないっていう人がいないと、およいだって、おもしろくないんだ。おれ、うちへ帰りたくなったよ。」
「ちえっ! 赤んぼ! おかあさんの顔が見たくなったんだろう?」
「そうさ、おれ、おかあさんにあいたくなったんだ――おまえだって、おかあさんがありゃあ、あいたくたるさ。おれが赤んぼなら、おまえだって赤んぼさ。」
 ジョーは、すこし、鼻声になった。
「よし、おれたちは、なきべその赤んぼを、おかあさんのとこへ帰らしてやろう、なあ、ハック、いいだろ? かわいそうに――おかあさんにあいたいんだって? あえるようにしてやる。でも、おまえは、ここにいるだろ、どうだい、ハック? なあ、おれたちは、ここにいようよ、いいだろ?」
 ハックは、「う、うん」と、いった――が、あまり気のりのしたへんじではなかった。
「おれ、これから死ぬまで、おまえなんかと口をきかないよ」と、ジョーは立ちあがりながら、いった。
「じゃあ、帰るぞ!」
 ジョーは、むずかしい顔をして、むこうへ歩いていくと、服をさだした。
「かってにしろ!」とトムはいった。
「おまえなんかと、だれが、口をききたいもんか。さっさと、うちへ帰って、わらい者になるがいいや。へええだ、おまえは、りっぱな海賊だよ。ハックとおれは、赤んぼじゃないぞ。おれたちはのこるんだ、なあ、ハック、いいだろう? 帰りたいやつは帰してやろうよ。あんなのいなくたって、おれたちは、けっこう、やっていけるよ。」
 けれども、トムは不安だった。ジョーが、おこったような顔で、服をきているのを見ていると、心がさわいだ。それに、ジョーがしたくしているのを、ハックがたいへんうらやましそうにながめて、きみのわるいほどだまっているのが、おもしろくなかった。やがて、わかれのあいさつもしないで、ジョーは、イリノイ州の岸にむかって歩きだした。トムの心はしずみはしめた。ハックのほうをちらりと見た。ハックは、トムの目をうけとめかねて、うつむいていった。
「おれも、いきたくなっちゃったよ、トム。なんだか、さびしくなっちゃった。これからは、もっと、さびしくなるぜ。帰ろうじゃないか、トム。」
「いやだ! おまえ、帰りたかったら、帰るがいいや。おれは、ここにいるよ。」
「トム、おれ、帰りてえよ。」
「いいから、帰れよ―-だれも、とめてやしないぜ。」
 ハックは、あちこちにちらばっている服を、ひろいあつめにかかった。
「トム、おまえも、くりゃいいのに。よく考えてみろよ。おれたち、岸へついたら、待ってるからな。」
「ふん、さんざ、長いこと待つこったろうよ。それだけの話さ。」
 ハックは、悲しそうにでかけていった。トムは、心の中では、自分のはこりをすてて、いっしょにいきたいと思う気持ちに強くいためつけられながら、じっと立ちつくして、そのうしろすがたを見送った。ジョーが立ちどまってくれればいいがと、トムは思ったが、ふたりとも、ゆっくり、どしどし、あとをも見ずに歩いていった。きゅうに、あたりがさびしく、しずかになったことに気がついた。名誉心とのさいごの一合戦をこころみたあとで、トムはばたばたと、なかまのあとを追ってかけだしながら、さけんだ。
「待ってくれえ! 待ってくれよ! 話があるんだよう!」
 彼らは立ちどまって、ふりむいた。トムは、追いつくと、その場でひみつをうちあけた。はじめのうち、ふたりはぶすっとした顔できいていたが、トムがなにを考えているかがはっきりのみこめると、賞賛のときの声をあげ、「それはすげえや!」といった。そして、はじめから、うちあけてくれれば、帰りかけたりしなかったのに、といった。トムはそこで、一応もっともらしい弁解をこころみたが、ほんとうは、そのひみつをあかしたところで、それほど長いあいだひきとめてはおかれまいとおそれて、さいごの手段にしてとっておいたというわけである。
 少年たちは、にぎやかにもどってきて、また、熱心にいろいろな遊びをやりはじめたが、そのあいだも、トムのすばらしい計画や思いつきの才能についてしゃべりあい、ほめそやした。たまごと、さかなの、ごちそうがすんだところで、トムは、たばこをおぼえたいといいだした。ジョーも、その考えに賛成して、自分もおぼえたい、といった。そこで、ハックはパイプを二本作り、たばこをつめてやった。このふたりの新入りは、これまで、ぶどうの葉でつくった葉巻きしか、すったことはなかったのだ。ぶどうの葉巻きというやつは、舌を〈さす〉だけで、どう考えても、一人まえの人間のすうものとは思われなかった。
 さて、彼らはひじをついてねそべり、用心しながら、おっかなびっくりで、すってみた。たばこは、うまいものではなかったし、ふたりは、胸がむかついたが、トムは負けおしみをいった。
「なんだ、わけないや! こんなことだったら、ずっとまえにやるんだったな。」
「おれだってさ」と、ジョーもいった。
「なんでもないじゃないか。」
「うん、おれ、みんながたばこすってるのを見て、いくどもやってみたいと思ったんだけど、自分でやれるようになるなんて、考えたごとなかったよ」と、トムがいった。
「おれもそうだぜ、ねえ、パック? おれ、いつもそういってたなあ、おぼえてるだろ――おぼえてないかい? ハック。おれがいったかどうか、ハックにきいてみな。」
「うん――なんども、なんどもいってたよ。」
「へええ、そうか、おれだって、そうだぜ」と、トムはいった。
「そうさ、何百ぺんもいったさ。一どはほら、屠殺場のそばを通ったときさ。おぼえてないかい、パック? ボブ=タンナーもいっしょだったし、ジョニー=ミラーも、ジェフ=サッチャーも、いたぜ。おれが、あのときいったこと思いださないかい? ハック。」
「うん。そうだったな。おれが、白いビー玉をなくした、そのつぎの日だったかな。いや、そうじゃない、あれをなくすまえの日だった。」
「ほれみろ!――おれがいったこと、ほんとだろ。ハックは、ちゃんとおぼえてらあ。」
「なんだか、一日じゅう、すってられそうな気がするぜ」と、ジョーはいった。
「おれ、ちっとも気持ちわるくなんかならないよ。」
「おれだってさ」と、トムはいった。
「おれだって、一日じゅう、すってられるぜ。だけど、ジェフ=サッチャーなら、きっと、できっこないよ、ね。」
「シェフ=サッチャーだって! へん、あいつなんか、ふた口もすえば、ひっくりかえっちまわあ。いっぺん、やらせてみたいね、どんなことになるか、なあ!」
「ほんとだ、やらしてみたいね。それから、ジョニー=ミラーはどうだ――ジョニー=ミラーが、たばこにまごつかされているところ、いっぺん見たいもんだなあ。」
「まったくさ!」と、ジョーはいった。
「ジョニー=ミラーなんかに、たばこがすえてたまるもんか。ちょびっとかいだだけで、のびちゃうぜ。」
「そうだとも、ジョー。なあ、おい、みんなに、おれたちがここにこうしてるとこ、見せてやりたいね。」
「うん、ほんとにそうだな。」
「なあ、おい――あいつらに、このこと、話すなよ。そいで、いつか、みんながいるとこで、おれが、おまえのとこへいって、いうのさ。『ジョー、おまえ、パイプ持ってるか? 一服やりたいんだけど』とね。そうすると、おまえがな、さも、なんでもないみたいに、いうんだ。『うん、古いパイプなら持ってらあ。もう一つあるがね、だけど、おれのたばこ、あんまりよかあないぜ』とね。そしたら、おれがね、『ああ、いいとも、ただ強きゃあいいよ』っていうんだ。そこで、おまえが、パイプを二本だすのさ。おれたち、すまあして火をつけるんだ。へっ、あいつらの顔が見てやりたいなあ!」
「すごい! そいつぁおもしろいぞ、トム! いま、やってみたいなあ!」
「おれもさ! そいで、あいつらに、海賊をしながら、おぼえたんだって話してやれば、あいつらも、いっしょにやればよかったって思うにきまってるぜ。」
「そうさ! きっと、そうだよ。」
 そんなふうに話がはずんだが、ふたりは、だんだんげんきがなくなり、話がちぐはぐになってきた。だまりこんで、ふたりは、むやみに、つばきをぺっぺっとはきはじめた。口の中は、ひっきりなしに水をふきだすいずみになって、たえず舌を動かして、この大水をかいだそうとつとめるのだが、なかなかくみきれなかった。いっしょうけんめいがんばるのだが、あふれる水はとめきれず、小川となって、のどの奥へ流れこんだ。そのたびに、きゅうにはきけがくる。ふたりとも、顔色は青ざめ、いかにも苦しそうだ。ジョーのパイプは、力のぬけた指から、すべりおちた。トムのパイプも、つづいておちた。口の中には、おそろしいいきおいで、いずみが水をふきだし、舌のポンプは、死力をつくして、それをかいだしていた。ジョーが、よわよわしくいった。
「おれ、ナイフをなくしちまった。さがしてくるよ。」
 トムも、くちびるをふるわせながら、とぎれとぎれにいった。
「うん、おれもてつだってやろう。おまえ、あっちをさがせよ。おれ、いずみのほうをさがしてみるから。――ううん、おまえ、こなくってもいいよ、ハックーーおれたちだけで、みつけられるから。」
 そこで、ハックは、またこしをおろしたが、一時間も待っていた。そのうちに、なんだか、さびしくなってきたので、彼は、なかまをさがしにいってみた。ふたりは森の中で、ずっとはなればなれになって、まっさおな顔をして、ぐっすりねむっていた。けれど、ハックには、ふたりは、さっきはなにか苦しいことがあったにしろ、いまでは、もう、それがなくなっているのだということが、なんとなくわかった。
 夕食のときは、あまり話がはずまなかった。ふたりは、きまりがわるそうな顔つきをしていた。ハックが食後のたばこの用意をし、ふたりの分もつめようとしたら、ふたりは、「ほしくない。なんだかすこし気持ちがわるいから――お昼にたべたものにあてられたらしい」といった。
 ま夜中ごろ、目をさましたジョーは、なかまをよびおこした。あたりの空気がなんだか頭をおさえつけるようで、いまにも、なにかことがおこりそうに感じられた。子どもたちは、ひとところにかたまりあった。そして、息がつまるほどむし暑かったが、なんとなく火がこいしくなったので、たき火をもしつけた。そして、じっとすわって、いっしんに、やがてくるものを待ちうけた。おごそかな静けさがつづいた。たき火の明るさのとどかないところでは、あらゆるものがまっ黒いやみにつつまれていた。まもなく、ふるえるような光がひらめいて、いっしゅん、木の葉をぼんやりてらしだしたかと思うと、すぐきえた。やがて、また光った。まえのよりすこし強い。そして、また光った。森の枝がざわざわとなり、低いうなり声のようなもの音がした。と、ほおのあたりを、さっと息がかすめたように思えて、少年たちはふるえあがった。夜の精が通りすぎていったように思ったからだ。ちょっと、間かあった。と思うまもなく、こんどは、きみのわるい光が、いきなり、夜を昼にかえ、足もとにはえているどんな小さい草の葉も、一まい一まい、はっきりてらし、はっきりとうかびあがらせた。そして、同時に、おびえきった、三つの青白い顔もうかびあがらせた。底力のあるかみなりのとどろきがきこえはじめ、天をかけめぐり、やがて、すねたようなごろごろいう音になって、遠くのほうへきえていった。つめたい風が、さっとふいてきて、木の葉という木の葉をゆすり、たき火のまわりに、雪のように灰をまいあがらせた。ふたたび、おそろしい光が、さっと森をてらすと同時に、少年たちの頭上の木々のこずえをひきさいたかと思われるような、ものすごい音がおこった。すぐに、あたりはまっくらやみになり、三人は、おそろしさのあまり、かたくだきあった。ばらばらと、大つぶの雨が木の葉をたたきはじめた。
「いそげ! テントにはいるんだ!」と、トムはさけんだ。
 さっと、とびあがった三人は、くらやみの中で、木の根につまずき、つるにからまれながら、てんでに、ぱっと、かってな方角へかけだした。おそろしい風が、森の中で、ほえたけり、ふきまくり、あらゆるものに歌をうたわせた。目もくらむ光、また、光、耳をつんざく雷鳴、また、雷鳴がつづいた。やがて、どしゃぶりになり、雨は疾風にふきまくられて、白い布のように地面をはった。少年たちは、たがいによびかわしたが、その声は、たけりくるう風と、ごうごうと鳴る雷鳴に、かきけされた。だが、ようやくのことで、彼らは、ひとりひとり、テントにかけこんだ。三人とも、こごえ、おびえ、びしょぬれになっていた。だが、みじめなときに、なかまがあるということは、ありかたいことのようである。けれども、彼らは話をすることはできなかった。ほかのもの音はともかく、古い帆布のテントが、すごいいきおいで、ぱたぱたと、あおられていたからである。あらしは、ますます、たけりくるい、帆布は、ついに、ひきちぎられて、風にふきとばされた。少年たちは、手をとりあって、なんどもつまずき、きずだらけになって、川岸の近くに立っている、ならの大木の下まで、たどりついた。いま、たたかいは絶頂に達していた。たえまなく天をこがす光の下、すべてのものは、あざやかに、影もないほどに、はっきりと、てらしだされた――風にしなう本、白くあわだって、もりあがる川、とびちるしぶき。とぶ雲のわれめと、横なぐりの雨をすかして見える、川むこうの高いがけのぼんやりとしたりんかく。大木は、つぎつぎに、このたたかいにやぶれ、地ひびきをたてて、若木の上へたおれていく。すこしもいきおいのおとろえぬ雷鳴は、鼓膜がやぶれそうな、爆発的な音にかわり、するどく、ことばにあらわせないほどのすさまじさだった。無類の一大勢力を結集したあらしは、あたかも、一時に、島を八つざきにし、もやしつくし、木の頂上まで水びたしにし、ふきちらし、ありとあらゆる生物をたやすかとさえ思われた。この家なき子らにとって、これはおそろしい夜であった。
 しかし、とうとう、たたかいはおわった。あらしの軍勢はしだいにいかりの声をおさめ、はてはつぶやきの尾をひきながら、ひきあげた。平和が、ふたたび、あたりを支配した。少年たちは、首をちぢめて、キャンプヘもどってきた。しかし、彼らは、こんなめにあっても、まだ、ありかたいと思わなければならないのだということを知った。というのは、寝床をおおっていた、いちじくの大木が、落雷のために、ひきさかれていたのである。この悲劇がおこったとき、さいわいにも、三人は、木の下にいなかったのだ。
 キャンプの中のものは、なにもかも水びたしだった。この年ごろの子どもたちは、みな同じだけれど、彼らも雨のときの用意はしていなかったので、火もだめにしてしまった。これは、こまったことだった。骨まで雨がしみとおって、寒さがぞくぞくとおそってきた。この災難について、さかんにしゃべっているうちに、彼らは、さっき、大きな丸太のそばでもやしたたき火が(丸太は、そのへんから、上のほうへまかって、地面からはなれていた)ずっと丸太の奥のほうまでもえこんでいて、そこのてのひらほどの場所に、火の気が、雨にぬれずにのこっていることを発見した。たおれ木の下から、木の皮やくずのようなものを集めてきて、彼らは、やっと、火をおこした。それで、大きな枯れ枝などをつみあげてたきつけると、火はさかんにもえはじめた。三人とも、やっと、げんきをとりもどした。そして、ぬれたハムをかわかして、夜食をとった。それがすむと、たき火をかこんで、このま夜中の冒険を、おおげさに話したり、じまんしたりして、朝まで語りあかした。ねようにも、かわいた場所が、どこにもなかったからだった。
 朝日がさしはじめるころ、みんなは、ねむくなってきた。そこで砂地まででかけていって、ごろりと横になってねむった。じりじりと太陽に焼かれ、だるいような気持ちで、朝食のしたくにとりかかった。やがて食事がすむと、からだのふしぶしがいたいような、ぎごちない感じがした。そして、また、ちょっと、ホームシックがおこってきた。それに気がついたので、トムは、できるだけ、海賊たちの気持ちをひきたてようとした。だが、ビー玉にも、サーカスにも、水泳やそのほかのことにも、気のりがしなかった。トムは、あのだいじなひみつを思いださせて、やっと、ほんのすこし、みんなにげんきをださせることができた。どうやら、そのげんきがつづいているうちに、トムは、新しい計画の中へ、ふたりをさそいこんだ。それは、しばらく、海賊をやめて、インディアンになろうじゃないか、というのだった。なかまは、この考えにとびついてきた。まもなく、三人は、まるはだかになり、頭のさきから足のさきまで、黒土でしまもようをかいたので、まるで、しま馬のようになっていた――もちろん、三人とも、酋長だった――彼らは、イギリス居留地攻撃のために、森の奥深くわけ入った。
 やがて、めいめい、かたきどうしの三つの部落にわかれ、待ちぶせしていたやぶかげから、ときの声をあげておどりだし、あたるをさいわい、切りころし、頭の皮をはぐこと、無慮数千《むりょすうせん》というありさま。まことに、血なまぐさい一日だった。しかし、おかけで、みんな大いにまんぞくした。
 彼らは、夕食どき近くに、腹をへらし、心は楽しく、キャンプに集まった。が、こまったことがおこった――というのは、かたきどうしのインディアンが、なかよく、いっしょに食事するまえには、ぜひとも、たばこをすいあって、なかなおりをしなければならないおきてが、あったからである。ほかに、なかなおりの儀式があることはきいていなかった。ふたりのインディアンは、こんなことなら、海賊のほうがよかったと考えたほどだった。けれども、もう、しかたがなかった。そこで、できるだけげんきらしくみせかけて、型どおり、パイプをとり、順ぐりにまわしのみをした。
 ところが、たいしたことではないか。ありかたいことに、野蛮人になったせいか、実力がついたとみえて、このくらいのたばこをのんだところで、なにも、なくしたナイフをさがしにいくにおよばないことがわかったのである。とてもたまらなくなるほどは、胸がむかつかなくなったのである。彼らは、練習をおこたって、ここまできた有望な将来をだめにしたくないと思った。いや、それどころか、ふたりは、食後、ごく注意してやってみて、おおいに成功をおさめた。だから、その晩、ふたりは、ひどくまんぞくしていた。ふたりにとっては、インディアンの六つの種族の首を切り、その皮をはいだことよりも、この新しい技術をおぼえたことのほうが、もっと、とくいで、もっと、うれしかった。この子どもたちには、かってにたばこをすわせ、おしゃべりをさせ、だぼらをふかせておくことにしよう。わたしたちは、いまのところ、これ以上、この子どもたちには、用がないからである。

17 自分の葬式
 だが、この同じしずかな土曜日の午後、村には、すこしの陽気さも見られなかった。ハーパー家の人たちや、ポリーおばさんの家族は、なきの涙の喪に服すところだった。なるほど、村はいつも、しずかだったけれど、きょうは、なにか異常な静けさが、村じゅうをつつんでいるように感じられた。村の人たちは、日ごろのしごとも手につかず、おしゃべりもせず、ため息ばかりついていた。せっかくの土曜日のお休みさえ、子どもたちはもてあましているようにみえた。遊びごとにもさっぱり身がはいらず、いつか、だんだんにやめてしまうのだった。
 昼すぎに、べッキー=サッチャーが、ひとけのない校庭にあらわれたが、考えこみながらぶらついていると、気がしずんでいくばかりだった。なぐさめになるものは、なにひとつなかった。ベッキーは、ひとりごとをいった。
「ああ、あの、炉の馬のとってがあったらいいんだけどなあ! あたし、トムの思い出になるものは、ひとつも持っていないんだもの。」
 そこで、彼女は、すすりなきの声をおしころした。
 やがて、彼女は立ちどまって、また、ひとりごとをつぶやいた。
「ここだったわ。ああ、もう一ど、あんなことがあるとしたら、あんなふうにはいわないのに――ええ、けっしていいやしないわ。だけど、死んでしまったんだもん。これからさき、もう、けっして二どと、あえっこないんだわ。」
 こう考えると、彼女はすっかりまいってしまって、ふらふらと立ちさった。ほおは涙にぬれていた。そのあとに一団の少年、少女たち  みんなトムやジョーの遊び友だちだ――が、やってきて、かきねごしに校庭をながめながら、尊敬の調子をこめて、トムがこんなことをやったとか、ジョーがあんなことをやったとか、さいごに見たときは、トムはどんなふうだったとか、ショーがあんなことやこんなことをいっていたとか、(そういう、ちょっとしたことが、いまから考えてみれば、おそろしいほど思いあたることばかりだった)そんなことを語りあった。口々に、あのときは、トムやショーが、たしかに、ここに立っていたなどと指さして、こんなことをつけくわえたりした。
「おれがここに、こんなふうに立ってさ――いま、ここにこうやってるようにだよ――ちょうど、きみがいるところに、トムがいてさ――そのくらい近くにいたんだよ――それで、そのときだよ、トムがさ、こんなふうに、にこっとわらったんだ。――そうしたら、おれは、きゅうに、ぞうっとしちゃって――なんだか、とてもおっかないような気持ちがしたんだ。――もちろん、そのときは、それがなんだかわからなかったんだ。だけど、いまとなりや、わかるよ!」
 それから、死んだ少年たちとさいごにあったのはだれかということについて、議論がはじまった。このきみのわるい名誉をになおうとして、おおぜいの子どもたちが証拠を提出したが、これが、また、多かれ少なかれ、ほかの証人たちによってくっがえされた。そんなふうに、やりあっているうちに、とうとう、だれが、ほんとうにさいごにあの死者たちにあい、さいごにことばをかわしたかが、はっきりきまった。この幸運をになった子どもたちは、とたんに一種、神聖な、おもおもしさというようなものを身につけ、ほかの子どもたちは、うらやましそうに、口をあけて、それをながめた。べつにいばってみせるほどの名誉をもたない、かわいそうな子は、すこしばかりじまんげに、こんな思い出話をした。
「おれは、トム=ソーヤーに、いつか一ど、なぐられたことがあるんだ。」
 だが、そんなことは、じまんにならなかった。たいていの子どもたちが、おんなじことがいえたのだから、それではちっとも、めずらしくはないわけだった。子どもたちは、なおも、うやうやしい声で、いまはなき英雄たちの思い出話をしながら、ゆっくりと、そこを立ちさっていった。
 あくる日の朝、日曜学校の時間がおわると、教会の鐘が、いつもとはちがって、ゆるやかに、葬式の鐘をならしはしめた。それは、ひじょうにしずかな安息日で、この悲しげな鐘の音は、あたりをつつむ、もの思いにしずんでいるような静けさに、ふさわしく思われた。村の人たちが集まりはしめたが、彼らはしばらく教会の入り口にたたずんで、あの悲しいできごとについて、ひそひそ声で話しあった。が、会堂のうちにはいってからは、ささやき声さえもれず、さだめの席につくために歩みを運ぶ婦人たちのきぬずれの音だけが、わずかに、その深い沈黙をやぶるばかりだった。この小さい教会が、いままで、こんなにぎっしりいっぱいになったことは、だれの記憶の中にもなかった。人びとが、じっと息をのんで待ちうけていると、ついに、ポリーおばさんが、シッドとメアリーをしたがえて、すがたをあらわした。そのすぐあとに、ハーバー家の人たちがつづいた。みんな黒ずくめの喪服をまとっていた。全会衆が、年とった牧師さんもいっしょに、うやうやしく立ちあがると、この喪に服した身うちの人たちが最前列の席につくまで、立っていた。そのあと、瞑想するあいだ、また沈黙がつづき、ときおり、それをやぶって、ひそかなすすりなきの声がきこえた。やがて、牧師さんは、大きく両手をひろげて、お祈りをはじめた。心をゆすぶるような賛美歌の合唱があり、つづいて、〈われはよみがえりなり、いのちなり〉という聖句についての、お説教があった。
 お説教の中で、牧師さんは、死んだ少年たちの優美な性質、人の心をひきつける動作、また、まれにみるほど将来有望であったことなどを、ことばたくみに話してきかせたので、これをきく人たちは、みんな、心の中で、もっともなことだと思い、いつもあの子たちのそういう性質に目をふさぎっづけ、欠点や過失にばかり目をつけていた自分たちを、はずかしく思った。牧師さんは、さらにつづけて、死んだ少年たちのやさしい、けだかい性質をしめす、感激にみちた、さまざまの逸話をならべたてたので、これをきく者は、いまとなってみれば、それらのかずかずのできごとが、いかにりっぱで、いかに美しいものだったかを、すぐにみとめることができた。そして、じっさいにそういう事件にぶっかったときには、まったく、むちでひっぱたいてやりたくなるほどのあくたれどもだと考えたことを、悲しく思いだした。胸をうつ話が進むにつれて、人びとの感動は、いよいよ高まり、ついに、全会衆がなきくずれた。彼らは、涙にくれている遺族の人たちと声をあわせて、すすりあげた。牧師さんでさえも、自分の感情に負けてしまって、説教壇の上で、声をあげてないた。
 このとき、回廊のあたりで、かすかなもの音がした。が、だれもそれに気がつかなかっかそのすぐあと、会堂の戸がぎいとなった。牧師さんは、なきぬれた目をハンケチからあげると、とたんに立ちすくんだ! ひとり、ふたり、またひとりと、牧師さんのみつめているほうをふりかえった。と、人びとは、いっせいに立ちあがって、三人の死んだ少年が、通路を前進してくるのを、まじまじと見守った。
 先頭はトム、つぎはショー、さいごにお飾りのさがったぼろ服のハックが、はずかしそうに、こそこそとついてくる! 彼らは、いつも使っていない回廊に身をひそめて、自分たちの葬式のお説教を立ちぎきしていたのだ。
 ポリーおばさんも、メァリーも、ハーパ一家の人たちも、帰ってきた子どもたちをだきしめて、息ができないほど、キスをあびせかけ、神に感謝することばをさけびっづけた。そのあいだ、あわれなハックは、多くの人たちから、ありかたくなさそうな目で見られ、どうしたらいいのか、どこに身をかくしたらいいのかわからず、はずかしそうに、もじもじしながら立っていた。ハックはためらっていたが、やがてにげだそうとした。そこをトムがつかまえていった。
「ポリーおばさん、わるいじゃないか。だれか、ハックが帰ってきたのをよろこんでやらなくちや。」
「いいえ、みんなよろこんでいますよ。わたしだってよろこんでいるんだよ。ああ、かわいそうに、この子には、おっかさんがなかったんだっけね!」
 そして、ポリーおばさんは、やさしいことばをおしげもなく投げかけるのだったが、ハックはこれをきくと、いよいよ、いたたまれない気持ちになった。
 とつぜん、牧師さんが、あらんかぎりの声をはりあげてさけんだ。
「あめつちこぞりて、かしこみたたえよ――みなさん、うたいましょう。心をこめて。」
 そして、みんなはうたった。なじみの深い賛美歌第百番は意気揚々と、とどろきわたり、この歌声が会堂の天じょうをゆるがしているあいだ、海賊トム=ソーヤーは、うらやましそうに彼を見守っている子どもたちをながめて、心ひそかに、いまこそ、わが生涯におけるもっともほこらしいときだ、と思った。
 みごとに、ぺてんにかけられた会衆は、ぞろぞろ教会をてていきながら、あんな感激のこもった第百番がきけるなら、もう一どだまされてみてもけっこうだ、と思った。
 この日、ポリーおばさんのお天気のかわるままに、トムがちょうだいした、げんこつや、キスの数は、これまでの一年のあいだにうけた数よりずっと多かった。いったい、そのげんこつとキスのうち、どっちのほうが、神さまへの感謝と、トムヘの愛情をあらわしているのか、トムには、ちょっと、わからなかった。
〈上巻おわり〉


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《訳注》かっこ内の数字は本文ページ*〈喜びの山〉三六) イギリスの(ンヤン(匸(        しゅうきょうしょうせっ てんろれきてぃ 一八~八八年)の宗教小説『天路歴程』にて てくる山の名。*吃 水(匸) 船が荷物を最大隕につんだと き、水の下にしずむ部分の深さ。*口 琴爪六) 口にくわえ、弦をはじいて鳴ら す楽器。*十本の柱に……(。‐1一’七) ボーリングのこと。*モンレブラン气七) フランスとイタリアの国 境にあるアルプス山脈でいちばん高い山。*足ふみ車をまわす(三ヒ)ふみ板をふんで車を まわすことで、単調な仕事のため、刑罰とし ておこなわれる。*パンダレッド[四] スカートの下にはくかざ            とぅじ じよセい りゅうこう りのついた長ズボンで、当時の女性に流行し ていた。*シナイ山(願)旧約聖書にあるエジプト東 部の山で、イスラエル建国に力をつくしたユ ダヤ民族の英雄モーゼ(紀元前一五~コニ世
 紀ごろ)が、ここで神からさずけられた十の 戒めを十戒という。木山上の垂訓(顏) 新約聖書にある、ガラリヤ 湖畔の山上でキリストがおこなった、正義と 愛についての教訓。エバーロー・ナイフ〉(五六) バーローという人 が忤りはじめた、一枚の大型ナイフ。*甘 草(合) あまい味のする草の根で、子ど もがお菓子がわりにかじる。*トレーバイブル(六一) フランスの画家ドレニ ハ万了八三年)がさし絵をかいた、豪華版の聖 書。*十二使徒(七) キリストがその教えをつたえ るために特にえらんだヘテロヤコブなど十 二人の弟子。*ダビデゴリアテ(七言 ダビデ旧約聖書 にでてくるイスラエルの国王、ゴリアテはダ ビデに殺された巨人で、ともにキリストより 千年以上もまえの人物であり、トムの答えは まったくの見当ちがい。*さいごの審判(七ヒ) キリスト教で、この世の
 終わりに、人類が、神によってさばかれると されているとき。*至福千年期((つ) キリスト教で、この世の終 わりにキリストが再来し、キリスト教徒とと もに千年間、世界を支配するとされている黄 金期。*雷 管((一) 火薬に点火するための道具で、 錮、アルミニウムなどの管に発火薬をつめた もの。*へぎ板の網代あみ(仁一) 杉やひのきなどの うすくはいだ板を、ななめやたて横にあんだ もの。*破 風言冥) やねの山型の部分についてい るかざり板。*びゃくろう(Ξ九) すずとなまりの合金。( ンダ。*炉の馬(三亡 炉でまきをもすとき、まきを よせかけるための金属製の道具。*シャーウッドの森∩已) 中世イギリスの伝 説的な英雄ロビン目フットが、坊さんタック 水車場のせがれマ。クら百人あまりのなかま
 とともに、義賊として、ノ。チンガムの郡長 らとたたかうためにすんでいたといわれる森。*〈死に時計二三六) かべやしょうじなどにと まり、足でひっかいて音をたてるこん虫。ちゃ たて虫ともいわれる。*ろくしょう(一五三) 銅のさびで有毒。しんちゅ うにはでない。*からだにコールタールをぬり……(一七一) 当 時アメリカでおこなわれたリンチの一種。*骨相学(一七四) からだの骨組みのようすから。     せいしっ うんめい はんたん  かくもん その人の性質や運命を判断する学問。*ギリアドの香油(一七五) アフリカにある植物 からとる、かおりのよい油。*温浴……(一七五) 温浴は、ぬるめのお湯には いること。座浴は、すわったままでこしから 下だけお湯につかること。濯水浴は、お湯を そそぎかけること。*発泡膏(一七五) ねり薬の一種で、皮膚にぬり つけ、水ぶくれを生じさせて病毒をとりのぞ*凶状持ち(一(七) 凶悪犯罪をおかしたこと
のある者。前科者よりつよい意味でつかわれる。            〈訳注・おわり〉
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もくじ
The Adventures of Tom Sawyer     by Mark Twain First published in America        1876.
  はじめに………………………………………………
マーク=トウェイン
 わんぱくトム………………………………………………………………………9
2 すばらしいへいぬり…………………………………………………………………
加  あい  じゅんきょうしゃ5愛の殉教者………………………………………………………………………泅
4 日曜学校で………………………………………………………………………53
5 かみつき虫………………………………………………………………………74
6 ペッキーにあy{ノ・・・・・:…・・・・・・・・・…・::…・・・・・・・・::…::…:…・:…………・::::6       なか
7 だに遊びと仲たがい…………………………………………………………………m
8 海 賊 の 夢………………………………………………………………………124
9 夜ふけの墓地………………………………………………………………………135
10 犬の遠ぼえ………………………………………………………………………149
11 うなされるトム………………………………………………………………………163
II‘1
12 しろう≒覿。似とねこ ………………………………………………………………173n淤影胆の岫附………………………………………………………………………183
14 楽しいキャンプ●・●-一一一・・II・一・・I-a-・一・●●・I一一●一●-・II●II一一争●・一一-一一・●II一・・●一・--III-●一一・い・一一φ争一一・一・一・198
15 おかかを動枳する……………………………………………………………………210
16 たばことあEりし………………………………………………………………………220
17自分の葬式………………………………………………………………………239
  訳  注……………………………………………………………………………247

装 丁・辻村 益朗      さくらい まこと カット・桜井 誠