『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「反日学者」を「推す」ための地味な作業ばかりしていたら、ブックマークどころかアクセスすらほとんどこない――「はてなブックマーク:実ははてなブックマークからシャドウバンされている件 - orangestarの雑記」

[B! アルゴリズム] 実ははてなブックマークからシャドウバンされている件 - orangestarの雑記この記事は、orangestar氏だけを批判するために書いたのでは絶対にない。このことをようく理解してほしい。知っているかたもいると思うが、網野善彦氏が石川県の「…

わたしが、「原則、全著作電子化」という方針を徹底させるにあたってはげみになった人は、一番が網野善彦氏、二番目が浜田寿美男氏と家近良樹氏、三番目が何人かいるがとりあえず青木雄二氏。インターネット文化をになっている人たちの中では、「ゆうさん」(@yu77799)ぐらいだろうか。もちろん、論争のしかたなどは学んだが、「原則全部見ろ」というのはあんまり教わらなかったと思う。

これはまちがっていたらぜひ指摘してほしいが、浜田寿美男氏の業績を紹介することにかけては世界で10番以内にはいるであろうHP、「apesnotmonkeysの日記」(apesnotmonkeysの日記)では、「供述分析の専門家としての浜田寿美男先生」はかなり紹介しているが…

これはわりと真面目に主張するが、貧困問題をとりあつかっている団体も、教材から「はだしのゲン」を排除することに反対したほうがいい。

「はだしのゲン」教材掲載取りやめ 被爆者団体など撤回求める | NHK | 教育

『はだしのゲン』排除問題に関連して――教育委員会は貧乏学生に対して、路上ライブか狩猟か念仏のバイトをして学費をかせげ、と裏でこっそりいうのか。あまりにみっともなくて情けないったらない。

現代日本で、子どもの貧困が問題化されたのが、だいたい2000年以降、というのはまちがいないだろう。だからこそ、今回の『はだしのゲン』排除の理由の「難癖」はいくつもの矛盾がある。

憲法、というか人権には考えてみると奇妙な逆説がいくつかある。その一つは、「子どもの教わる権利」は一応イメージできるとして、では「教える”権利”(資格ではない)」とはいったいどういうものなのか、という問題である。わたしの考えでは、「教える”権利”」は発言(表現)の自由の一つにおさまらない。わたしはこれは真剣にいっている。「はだしのゲン」排除問題も、この問題をふくめて考えないといけない。そうでないと、「はだしのゲン」という「一つの結果」にひざまづくだけになる。

なぜ書くこと、読むことに自信を持っているのか。これは極めて大事な事である。いまのインターネット文化を見ると、自信をもつということにかんちがいしないでとおるのは極めて難しい。正直、近づきたくない。いやいやながら使っているのである。

これはわたしの誤解であってほしいと真剣に願っているが、たとえば伏見事件の件で、たとえば中井久夫先生にいくら頭を下げてでも、鑑定してください、といえる人が、何人いるか、3人いれば多すぎるのではないだろうか。わたしは、こういうときに頭を下げられない器の小さい人間に絶対になりたくない。新井真一という人はもっと危険な人に頭を下げたのだから。

「「はだしのゲン」の掲載取りやめ 平和教育の教材、広島」(東京新聞)という記事にたいする提案――10歳から「賞金」をとるようにだけ方向づけるというのはどうだろうか

「はだしのゲン」の掲載取りやめ 平和教育の教材、広島:東京新聞 TOKYO Web 広島市立の小中高校が取り組む「平和教育プログラム」の教材から、漫画「はだしのゲン」の掲載がなくなることが17日、市教育委員会への取材で分かった。市教委がプログラム内容…

(作業中)京都市伏見区放火殺人事件の実行犯A氏は、現在分かっている情報をすべて見たかぎりでは、ファン歴が比較的短い、いまふうのいいかたでいえば「にわか」である可能性が高い。

ピカソ講義、鑑賞距離を焼き切る。若い時計塔、宋左近

「縄文土器 四次元との対話」(岡本太郎、19552年)と「中世の庭 矛盾の技術」(岡本太郎、1955年~1956年)と『沖縄文化論』(岡本太郎、1961年)この3本の執筆物をこえる基本アイデアは、50万円あればなんとか書ける。写真も、まあ何とかなるだろう。私自身書いていて奇妙に思えるのだが。

該当執筆物、生産構造決定論にけっこうちかづいている。もちろん、完全に生産構造決定論の立場に成っているわけではない、むしろ実存主義なのではないかと思うぐらい。 岡本太郎は該当執筆物よりあとに、「縄文とケルトはにている」かつ「自分の作品とメキシ…

言っておいたほうがいいだろう。梶村秀樹著作群全8冊をすべて二度以上読んだら、岡本太郎ほか多数のひとたちが、どこか水平に見えるようになった。欠点が見える、ということではない。

宇野脩平(朝鮮戦争に重なる一時期、網野善彦の上司だった人)の存在になんとも感じないインターネット文化は、根本的におかしい

「ワクチン業務100人のはずが33人 パソナが10億円過大請求」に対するコメント。さすがに腹が立った。

ワクチン業務100人のはずが33人 パソナが10億円過大請求 | 毎日新聞毎日新聞 2023/2/10 20:09 新型コロナウイルスのワクチン接種を巡り、大阪府枚方市など3市からコールセンター業務を受託していた人材派遣会社「パソナ」(東京都)は10日、再委託先の企業が…

2025年大阪万博の「展示すべて」をこえることは、あなたの給料3か月分、おおよそ50万円あれば十分である。これは、2025年大阪万博が中止されようがされまいがまったく関係ない。

すべて文化について語ることは、自己の(集団の、ではない)独創性についての(望むならば「生産性についても」でもかまわない)自信について語ることである。それ以外はただの時間つぶしにすぎない。いまの歴史認識運動は、自己の独創性について「他者から…

消費文化の下の、たとえば探求心は特に大したことが無い。ドラゴンボールかエヴァンゲリオンはまだともかく、サザエさん、ドラえもん、ブラック・ジャックのロングセラーの理由をほとんど探求しようとしないから。異様である。

手塚治虫先生と藤子不二雄両先生の版権と原稿がひとつのこらずすべて日本国外に売られても、たとえ焼き尽くされても、「わたし」は恐れない。どんなに苦しくても。恐れる権利がない。

それが、単純な娯楽以上のものを背負う文化の責任であり宿命である。そこがわかっていないから、現代日本の文化は根本的に何かが欠けているのである。 もちろん、これは「わたし」個人の覚悟であって、手塚治虫先生と藤子不二雄両先生とその関係者には何の関…

インターネットとツイッターのある社会の中をどう生きるか(草稿その5)――インターネット文化よまっとうな自信をつけろ、もう手遅れかもしれないけれど

このままでは、クソのエセ無頼にしかなれない。そんなものは文化ではない。安全な娯楽ですらない。過去をふりかえっても、インターネット文化に対してもうすこし自信をつけてくれ、といってくれた人はそんなにいない。若い人でも年寄りでも、本当に少ない。…

インターネットとツイッターのある社会の中をどう生きるか(草稿その5)――自信のないインターネット、多少でも自信のある図書館

これもメモである。いつごろからだろうか、インターネットが情報の宝庫だと言われなくなったのは。いや、情報の洪水という言葉は使われるはずだが。最近、これは大事な事だとよく思うのだが、(とりあえず日本の)インターネット文化をになう人々は、いった…

鹿目まどか氏はあるていど独創的だが、竈門炭治郎氏は独創的じゃない。そういえば、竈門氏は「石頭」だった。

丸山真男は、坂口安吾も、柳田国男も、サルトルも、ピカソも、柳宗悦も、岡本太郎も、安丸良夫すら、ちゃんと肯定しなかった。ピカソがドミニク・アングルをつかったのとくらべても、丸山真男の「思考の公平性」に疑問がある。「主張はたしかに正しいが、”極端なよさ”がない」ともいえる。通俗道徳論をやたらもちだす人たちは、このことの重大さがわかっているのだろうか。わかっていないようだが。

パブロ・ピカソと岡本太郎は「能力」だけしかもっていないようにみえてしまう。この2人にくらべたら、丸山真男や安丸良夫も、自分の過去をもって後輩を「だまらせている」ようにみえる。まったくの誤解だが。

独学者としての網野善彦氏に共感したり嫉妬したりしている人を、わたしはひとりも見たことがない。だからインターネット文化はつまらんのだ。もしこれが本当ならば、の話だが。

わたしは、ピカソをこえる。近代啓蒙のプロジェクトを徹底させると、だれでも世界一位、ピカソをこえられる、ということになるから。極端に合理的な結論だ。ここまでやってはじめてみえるものがある。

わたしが、世界中の障碍者(障害者)運動すべてに、一つだけがっかりしていることがある。「ピカソならともかくマティスの贋作ならば、どんな障碍者でもいくらでもつくれる。だってマティスは晩年、障碍者に近い身体状態だったから」という人が一人もいないからだ。

解説する。 知っている人もいると思うが、フランス出身のフランス育ちのフランス語画家のアンリ・マティスは晩年、車いすに乗って生活していた。そして、まさにだれでもつくれそうな、「張り絵」で作品をつくっていた。だったらだれでも贋作がつくれるはずだ…

インターネットとツイッターのある社会の中をどう生きるか(草稿その4)

前に、インターネットは情報の宝庫という看板をはずせ、といったことがある。ひろしまタイムライン事件のすぐあと、多少本格的に。一人の人間を徹底的に理解し説明すること(内在的にでも)、これを最後にこころみたのが、それこそサルトル(『家の馬鹿息子…

インターネットとツイッターのある社会の中をどう生きるか(草稿その3)

これは何度でもいうが、インターネット文化が約30年間の間に、田中一村なみの再評価ができなかったことは、非常に悪いことだった。だいたい1970年ごろから再評価された作家には、佐藤泰志、金子文子、藤澤清造、山下菊栄、尾崎翠、永山則夫、島尾敏雄…