はじめに 梶村秀樹先生について深く知りたいという人に一つアドバイス。

このブログを見つけたということは、あなたは梶村秀樹という人に多少なりとも興味をもっていると思う。
何かの理由で、梶村秀樹先生について深く知りたいという人に一つアドバイスをする。

朝鮮語で語られる世界」(梶村秀樹著作集第1巻冒頭に収録)を3回読んで、最低7年間、頭の片隅においておくこと。
これはあなたの予想をはるかにこえて価値のあるテキストだ。わたしが断言する。そういうものがある、という経験をすることはものすごく重要だ。

参考
梶村秀樹の「未発の契機」一植民地歴史叙述と近代批判-」(車承棋)
ttps://cir.nii.ac.jp/crid/1390016748570667904
pdf形式で閲覧可能。「朝鮮語で語られる世界」について言及されている。一般常識からとてもはずれているので難しいが、必ず理解できるように書かれている。
わたしがこのブログで梶村秀樹先生についてあれこれ解説しないのは、この車氏のテキストで必要なことは全部書かれていると思ったからだ。そうである以上、わたしは別のことをしたほうがいいと判断した。







メモ 20250727 低気圧がつづいて頭が重い、作業は後回し、計画のメモだけ書いておく。








〈以下、書き直し工事中〉


メモ 2010年から2025年までに発表された「復刊」についての調査メモ - 梶村秀樹先生再評価準備会(わらしべ長者に挑戦中) 『万博は大事故の可能性が高いので金もらっても絶対行きません!』

(20250712書き直し)

1人の書き手の著作群の復刊のために必要なこと。
1 1人の書き手の作品、3000ページから10000ページ分をあなたが30年保存することを決意すること。
2 あきらめるまで最低7年、通常30年間かかると覚悟すること。ここで驚く人はやめたほうがいい。ここでいう「あきらめる」は、「作品をどうしても必要とする次の読者があらわれるか、それとも作品の寿命が終わったかが明らかになる」ということ。作品の寿命を明らかにしてあきらめることもありうる、と覚悟する、といいかえてもいい。
3 ここから実践編。その作品にしかない「長所」を、頭をフル回転させて、周りの作品をよくみて、1カ所でも見つけること。
梶村秀樹先生の場合、「ほかの言葉を真剣に学ぶ意味」と、「国境をまたぐ生活圏」の発見への過程、もっといえば対象への真剣なとりくみの姿勢、CiNiiで200枚論文を読んだが、まちがいなく圧倒している。
4 有力者に推薦状を書いてもらうこと。目標は2通以上。
もうすでに雑誌やネットのどこかで書かれているときは、それを保存すること。他人に推薦するとき、有力者の推薦状は保証書のようなものでとても役に立つ。
5 見る目のない人が予想以上に多い、と覚悟すること。そして、見る目がある人でも作品を発見していないことは実に多い、ということも覚悟すること。
さらに、あなたは、そのなかでたしかに見る目を持っている人がいてそれを発見しないといけない、というとても長い時間がかかる作業をしないといけない。
6 「まっとうに推薦し続ける行為」自体がとても価値がある行動になりうる、だから50枚以上のメモも保存すべき。
長い時間がかかるうえに責任が重い。
7 性欲と寂しさだけからくる行動をするな。
性欲の場合、性欲に流されているなという自覚を持て、としかいまは言えない。長い目で見て自分と他人にプラスになる行動をとるべき。しかし、たしかにこれが難しい。失敗もありうると覚悟すること。今考えれば、寂しさをてっとりばやく解消するために、わきめもふらず5000ページ分電子化したという面がある。する前に復刊の難しさと電子書籍自体がそんなにすぐれているかもっとおおづかみにでも理解しておくべきだった。ただほかの理由もあって、ほかの人がそういうことをちゃんと言っていないからこんな失敗をした。こういうややこしい真実というものがある。
8 最後に、「あなたはろくなことができない」と思いこまされている部分が意外なほど多い。それに対抗するにはどうしたらいいか、自分の等身大の姿と周りの他人の等身大の姿をよくみて、頭をずうっと動かしておくこと、それしかない。問題をときほぐしつづけるといっていいかもしれない。
9 100ページ以上の原稿の作品のほうが復刊しやすい。それ以下のページ数だと、かえって復刊しにくい。復刊ドットコムの復刊事例一覧でも、短編集より長編のほうが復刊しやすいことが、予断を排して事例検討した場合にわかる。経験則だが理由もなんとなくわかる。あまりに安いと、商品としての本では不利になるのだと思う。


他にない長所を見つけろ、長い目で見ろ、頭を使い続けろ。これが結局自分をふくめた人々のためになる。バブル崩壊後という時代に向けて、あえていえば人々のためになることをおそれるな、ということもつけくわえておく。




以下、すべてメモ

もっとズバッといわないとだめか。わたしはまだよけいなことをくっつけて書いている。(20250712)

こういうエピソードがある「それにしても、数百件もの案件をどうやって考えているのか、俺は聞いてみたことがある。西幹先生の答えはこうだった。「朝起きたときはAさんの案件を考え、トイレで小をしているときはBさんの案件を考え、大をしているときはCさんの案件を考え、昼食時にはDさん、昼食が終わったらEさん……。そうやって毎日少しずつ、それぞれの案件について考えつづけていると、あるとき答えが出るんですよ」」(https://www.oshikawatakeshi.com/?p=467
こういうとき、自分が思いついたことを、ほかの人が同じようにしていたら、嫉妬してはだめ。というより、自分が無理をしていないなら、嫉妬する余裕などない。



印税と印税率について知りたい。 | レファレンス協同データベース

出版コンテンツ研究会『デジタルコンテンツをめぐる現状報告: 出版コンテンツ研究会報告2009』ポット出版 , 2009.7
本館請求記号:023.1 - Sh99
p.188 「7.コストとか設定モデル」(出版コンテンツ研究会記録 第2回2008年7月25日(金)18:40-21:10)
「従来の紙の本:著者への印税が10%、出版社の取り分が約65-70%。
 電子配信書籍:著者への印税が15%、出版者の取り分が約40-60%。」  
※返本断裁がない分、著者への印税にその分を上乗せしていること、電子書籍は流通業者の取り分が多くなる傾向であることを注記として記載している。

小説家・作家の原稿料や収入について知りたい。 | レファレンス協同データベース

自費出版でない場合1 1万部,5千部というのは,売れている方なのか。2 思潮社「現代詩文庫」というシ... | レファレンス協同データベース

(6)『出版営業ハンドブック 基礎編』(岡部 一郎/著 出版メディアパル 2017)
   請求記号:023/オカ/ 資料番号:001001727658 
 p.46-47「2.12 全員営業のススメ」
 p.47に,出版社の新刊配本部数は「一般に5000部~1万部程度で様子を見るケースが多い」「専門書では1000~3000部程度」との記述があります。

(印税10パーセント、1000円、2000円、4000円で計算
1000円で売り上げ1000部として、売上代金100万円、そのうち著者に印税10万円、出版社に65万円から70万円
1000円で売り上げ5000部として、売上代金500万円、そのうち著者に印税50万円、出版社に325万円から350万円、作者のたちばから本を書くのに2カ月かかったとして月収35万円、3カ月なら月収17万円、6カ月かかったなら月収8万3千円)
4000円で売り上げ1000部として、売上代金400万円万円、そのうち著者に印税40万円、出版社に260万円から280万円)
(金額も大事だが、かかった時間もとても大事)


返本率とは?出版業界が抱える返本率の課題とは? | 自費出版の書籍づくり本舗

出版業界における返本率の現状
現在、日本の出版業界において返本率は平均して40%とされています。取次店を経由して全国の書店に配本された書籍のうち約4割が出版社へと返品されているのが現状です。返本率が高いと書店と取次店、出版社のすべての利益が減ります。そのため、返本率の高さは出版業界における大きな課題となっています。

返本率が高い理由としては、需要と供給がマッチしていない点が指摘されています。たとえば、書店が実際の販売能力以上に書籍を注文するケースです。書店は返本をする権利をもっていますので、注文をしても売れなかったら返本をすることで損はしません。

また、出版社が売れない本ばかりを書店に配本させようとするという意見もあります。これは書籍が売れなくても書店に並ぶことで喜ぶ著者がいるといった背景があります。

西幹先生が俺によく言ってた。「私たちはノーベル賞をもらえるような優秀な頭脳はないのだから、そういう人の傍で、その人たちがどのように物事を考えているのか、その考え方、頭の働かせ方を、勉強しなければなりませんね」。
西幹先生ですら、自身を謙遜してそう言うくらいなんだから、俺なんて、グダグダ考えずに、感性…「Don’t think! Feel!」を貫くしかない。
でも二人の先生から、人とは違う視点で見る、発想するっていうやり方を学べたことは、この仕事をするうえでも、すごく役に立っている。俺には頭脳はなかったが、運があった。若い時に、こんだけ素晴らしい巨大師匠に出会えたんだからな。
大感謝だ!
「どういうふうにアイデアを出すか、出したアイデアの実例はどんなものか」は、こっちに書くことにした。
『「子供を殺してください」という親たち』の推薦文 カテゴリーの記事一覧 - オウム真理教事件資料収集の会プラス京都アニメーション放火殺人事件資料収集の会

特別掲載《とくべつけいさい》 わたしが本気《ほんき》で推薦《すいせん》できるものの一覧《いちらん》 - 梶村秀樹先生再評価準備会(わらしべ長者に挑戦中) 『万博は大事故の可能性が高いので金もらっても絶対行きません!』


以下に示すような「選択」というか「推薦状」を書くことに1995年からずうっと失敗しつづけたことが、インターネットと消費文化の大きな罪だ、と私はあえて断言する。
「人権を怖がる若者」の前に「縁づくのを怖がる現役組と若者」を徹底して批判すべきだ。それは人生の選択というものを間違えて考えていることだからだ。まあ、自意識が肥大している、自分を等身大よりえらい、すごい、と過大評価しているのだとおもう。
大学の先生が、人生うまくいってなさそうな自分の学生にこういう選択肢を示すかどうか、反体制運動に参加している人でも、1000人に1人いるかどうか、と思う。早川さんか能川さんぐらい、もっと年下にはいないんじゃないかと思う。
「ほんとうのアフガニスタン」(2003年、中村哲、電子本あり)

質疑応答の場面で

 これもまた縁というもので、縁がある人は長くやっているし、縁がない人は、どんなに意欲があってもつづかない。
 何が言いたいかというと、現地に来る動機は問わない。自殺を思いとどまって、そこで何か新天地はないかと、青い鳥を求めてやってくる人、ヒューマニズムに燃えてやってくる人、山の帰りにぶらりと寄る人、さまざまですが、ともかく来てみて、気に行ったらどうぞ、ということで現地の日本人ワーカーはつづいている。

 ただし現地への旅費十二万円は自分で稼ぐように。親のすねをかじらないように。

 ついでに言いますと、去年、井戸掘りに来た学生がいました。親の許しを得てきたというので、信用して置いたら、ほんとうは親の許しを得ずに、勝手に来とった。「半年ばかしいます」というので、そうさせたら結構、いい働きをする。で、あとで聞いたら、親に黙っていたどころか、まだ大学も卒業していなかった。ところが、日本に帰って就職しようとして、ある会社で、このペシャワールの話をすると、それが買われて採用してくれた。そういうこともあります。これは結果として得られる報酬ですが、私たちの場合は、それによって惨めな暮らしになったという例は、まず聞かない。

まあ、くよくよしたり考えすぎたりしないで、まず動いてみよう、ということです。

中村哲という人は、たぶん、子供のころに自分の周りにいた人にも、ハンセン病対策していたころの周りにいたアフガニスタン人にも、「縁がある人」「縁がない人」がいるのがある程度見えていたのだろう。わたしはそう思う。



中村哲という人と逆に、いまの現役組のオタクには、自分たちだけバブル期の夢の中にいたい、それがだめなら、1995年の碇ゲンドウをちょっとましにした役の立場にいたい、そう考えている人がものすごく多い。わたしはそう判断している。そしてわたしはそんなのともうすでに絶交している。あまりの冷たさとごまかしのくだらなさにうんざりしたからだ。あれはみせかけの虚無主義でしかない。







 まず、最も重要なこととして、在日朝鮮人の実存を徹底的に理解しぬこうとする姿勢。現実が多様で動いている以上、これはどこまでいってもきりがない課題であって、何でも分ってしまったように思い上った瞬間、一旦成立した自立した関係も、たちまちくずれ去ってしまう。この点は、理解の深さが、関係の深さを規定するというほど重要であると思う。これなしには、見当ちがいのことを「いわねばならない」と思いこんでしまう。
 次に、おのれを凝視し続ける執拗さ。関係を持続させていくなかで、たえず自分が何者であるかをみつめつづける態度。
 次に、自然さ。まず、「頭が上らない」と一面的に自己規定し、次にそれではいけないと思うと相手のだめなことばかりをいいつのればいいと思い定めるような、どこまでいっても、あらわれ方はちがうが棒を呑んだようにぎこちない、観念的で一方的な関係設定の姿勢を克服しなければならない。(略)
 次に、往々にして一世の朝鮮人が造作なく到達しているような、ある本質的な意味でのやさしさ、暖かさ。(略)
(略)

(略)
 状況が困難であればあるほど、豊かな可能性を夢みることができるような人間でありたい。

「論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見」(1978年、梶村秀樹、雑誌「朝鮮研究」)

あなたはまた、なまみの生活者としてのひとりひとりの朝鮮人の事情を具体的にみることができず、常に朝鮮民族、国家の全体を抽象的に一くくりにしてしか、しかも偏見をもってしか、考えられないようですね。

「なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか」(1985年、梶村秀樹、民族差別と闘う関東交流集会実行委員会編『指紋押捺拒否者への「脅迫状」を読む』、雑誌「前夜」に再録、さらにわたしが2015年前後にブログに再録のちいったん削除、復刊をまっている)
これは言いにくいことだが、とにかく「なまみの生活者としてのひとりひとりの人間の事情を具体的にみることができず」がまったくあてはまる状況になっている。それは言う側の人の自意識が簡単に肥大できるようになったからだ。とにかく、この言葉はとても貴重なんだ。
 
 
 

「「若者の活字離れ」とは「かつて本を読んでいた若者の活字離れ」で、「大学生の活字離れ」というものでしかない。本を読むやつはいつだって読む。本を読まない人間は、いつの時代にもいる。近代は、「本を読むべきだ。本を読むということが自身の思考力を身につけることなのだ。人は言葉で思考し、その思考を言葉によって整理する。人にとって思考と認識とは、人である限り続く義務であり権利であるはずのもので、そのことの結果によって得るものが、”自由”と呼ばれるものだ」と、知性なるものが言い続けてきた。 

 その強制力によってかろうじて若者達は本を読み続けたのだ。

 すべての文化には、それが文化であるような構造が隠されている。だから、読み取りという作業が必須になる。

 活字離れというのは、活字文化という閉鎖的なムラ社会に起こった過疎化現象だ。退廃の元凶はどこにあるのかと言われたら、私には「ムラにある」としか言えない。」

「 出版が“産業”として成り立つためには、「多種多様の人間が、ある時期に限って同じ一つの本を一斉に読む」という条件が必要となる。こんなことは、どう考えたって異常である。出版というものが、“産業”として成り立っていたのは、この異常な条件が生きていたというだけで、つまりは、そんなものが成り立っていた二十世紀という時代が異常だった──というだけの話である。

 従って、二十一世紀には、本は「永遠の名作」としてロングセラーとして細々と売るしかない。なぜなら、二十一世紀にはもうベストセラーは存在しないからだ。」
 本の未来は「富山の薬売り」のように、「必要なものを必要なだけ補充し続ける」という方向性にある。」

 人の物語は、結局その人を表す一行の墓碑銘なのかもしれない。その墓碑銘を人に刻んでもらう為に、人は自分自身の物語を刻んで行く。「これを読んでくれ」と言ったまま、道の脇で死んでいる。それでいいのではないかと、私は思う。その一行だけで、人は後世の人間に役立つ有益な何かを残すのだ。
 言葉というものは、それだけ濃厚な価値を秘めた重要なものだと思って、私は『中央公論』誌に連載されたこの訳の分からない文章に、『浮上せよと活字は言う』と題をつけた。
 様々の具体的なディティールを持って、活字という思考の根源が、再び姿を現すことを祈って──。──『増補 浮上せよと活字は言う』(1994年、橋本治)最後のぶんは268Pより引用したもの

 橋本治はこの章の前の段で「ガウディのサグラダファミリアのように、人間というのは自分の一生をこえようとするものを平気で作るのだ。私はそちら側に立つ」という意味のことを書いている。
なんで梶村秀樹先生の再評価やベストセラー以外の本の社会の中の位置を考えるこの場所で、この言葉を引用したか。あとでわかるはずだ、書いているわたしもふくめて。



まず、あなたがどうしても復刊したいという本があったとき、まずすべきは有力者に推薦状を少なくとも2通書いてもらうことだ。
こういうことはインターネットにも雑誌にも書いていないと思うが、わたしの経験と出版の歴史から言ってまちがいないことだ。






電子本は紙の本と比べて、そんなにすぐれていないから、電子本での復刊がすすまない。手に入る限りすべての「情報」を全部つきあわせると、こうとしかいえない。
そうなんですか、わかりました。――え、えーーーーーーーーーっ! 電子本って、絶対優位じゃないんですか!!! 絶版の本をどこで買うんですか、あ、そうか、古本市場か! あーーーーーーーーーっ! なんで気がつかなかったんだ! 誰か言ってよそんな大事なこと!!!
今の私の心境を書くと、こうなる。


電子本は紙の本と比べて、発明品としてそんなにすぐれていない。(電子本が紙の本より不便な時がある)
古本市場は文化として予想以上にすぐれている。少なくとも図書館と同じぐらいすぐれている。
この2つのことは、著作権切れ電子図書館のうごきからある程度予想できたが、だれもはっきり説明していない。
この2つのことをそうとうていど立証しないといけない。
やらなきゃいけない作業が多くて多くて、えーーーーーーっ!、ここまでやらなきゃいけないのかぁ、わたしはただの人だぞ! と叫んでしまったぞ。もちろんこっそりとだが。どっちかが絶対優位なら面倒なことにはならなかったが、発明というものはたいていそんなものともいえる

自作の電子本をこんなに山ほどつくるバカが1人いるなら、あと100人は梶村先生の本を買いたい人がいる、そういう説得材料に使うべきかもしれない。















1回死ぬようなことをしてしまったプラス他人のことをきめつけない気質、これがいちばん理解するのに難しい人間にとことんぶつかっていく姿勢につながった。梶村秀樹先生、岡本太郎氏と岡本敏子氏、高木仁三郎浜田寿美男氏、鈴木裕子氏、中村哲氏、などなど


藤子F不二雄先生が1973年にドラえもんを打ち切られて、2年ぐらいのブランクがあったとしても、ドラえもんの続きという形で復活連載させることは可能だった。1970年代後半の事情からみてそうだ。というより、そのやりかたでオバケのQ太郎キテレツ大百科は連載した(キテレツはアニメ版で長く続けられた)。
こんなこと考えついたのは、わたしぐらいでは、ととびあがった。



電子本優位(らしい)時代で、一般人が復刊したい本があったときに一番力をそそぐべきこと。
実は電子本関係の作業ではなく、関連本を買いまくることでもなく、有力な書き手に推薦文を書いてもらうこと。このことの重要性は、どうも70パーセント以上確からしい。えーっ! と驚くかもしれないし、あーっ! と納得するかもしれない。
「一般人」と書いたが、編集者にもこのことがあてはまる。
推薦文はほとんどの場合でプラスになる。たとえ復刊に時間がかかっても、次の読み手が不安を多少なりともぬぐってその本にとりかかることができる。

20250602
■54-■34、40分、1分休みはさむ
もう一度確認、
レファレンス協同データベース、「復刊」レファレンス事例495件、調べ方マニュアル55件、
電子書籍などに関する資料」更新で2017年で止まっている。
質問だけ読んだが、復刊そのものについての質問は、495件読んで98パーセントない。

「絶版」レファレンス事例136件、調べ方マニュアル37件
国立国会図書館デジタルコレクションにおいて、著作権者からの許諾(①)または文化庁長官の裁定(②)に基づいてインターネットに公開している資料の例は?」
国立国会図書館(館内限定公開)デジタル化資料を国立国会図書館外で利用することについて」

そのものずばりの記事なし。
「リサーチ・ナビ」での検索結果、「復刊」22件、「絶版」6件、


■10ー■24、14分、
国立国会図書館、タイトルらんに「復刊」がある資料」、2010年から2025年、新しい順、557件
99パーセント以上、復刊書籍ばかり。
「絶版」166件、
「デジタル時代の図書館とアウト・オブ・コマースをめぐる著作権法制 : 日本法における「絶版等資料」の再検討」
もとになった論文、目次をざっと読んだが、法解釈の話で、実際の運用の話はあまりなかった。
「絶版本」、NOTEで読めるぶんを読んだ、絶版から復刊にした事例についてはあまり情報がなかった、結局古本市場で買えということらしい。絶版になった理由の情報は意外と興味深い。
キーワード出版では、5冊以下といっていい。

■43-■50、7分
件名、細目から復刊についての本を探すのは無理。7分ほどためして無理とわかった。「絶版文庫」シリーズや、「絶版本」(柏書房)の件名が「読書」「出版」「書評集」で、これから探していったら時間がかかりすぎる。


■03ー■17、、14分
CiNii、論文、タイトルらんに「復刊」、(2010年-2025年)、検索結果542件、プラスキーワード「出版」で出た結果(130件)で復刊について書かれた記事だけ読めばいいと思われる。
「情報区 「書物復権」復刊書目の決定」
CiNii、本、タイトルらんに「復刊」、(2010年-2025年)、検索結果351件、単行本で「復刊」をとりあげた本は1冊もない。見事にない。

google、ニュース、■30-■35、5分、160件を記事のタイトルだけ読む、やっぱり復刊ドットコムが重要な情報をもっている
2021年「出版11社で復刊プロジェクト「書物復権」 本は“ある”状態を保たないと忘れ去られてしまう」
あとは臼井吉見、と有吉佐和子の情報

■18-■49、31分
復刊ドットコム公式NOTE、
2025年05月から2020年3月までさかのぼって調べる
再確認で勘違いしていたことを確認、PICKUPの記事が多い

https://note.com/fukkan_com/m/m3551e5097443
上の記事を調べてみた結果、あくまでだいたいだが、復刊に成功した本は、マンガと小説と絵本が5割ぐらい、写真集と画集が3割、学習参考書、絵本、学術書などのノンフィクション本が2割
この記事の中に学術書の全集と選集は1件もなかった。
再確認してよかった。
意外とPICKUPリクエストが多い。


参考になりそうな本とサイト(記憶にあった分、10分ぐらい)
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/nakamuratetsu 「中村哲著述アーカイブ
https://oe.l.u-tokyo.ac.jp/大江健三郎文庫」(東京大学
丸山真男文庫」(27年にネット上に「バーチャル書庫」を開設し、生前の自宅の蔵書配置までインターネット上で再現)
「最近判明した寄贈図書の廃棄問題」(googleのニュース検索機能で簡単に5件以上見つかる)
「調査されるという迷惑(宮本常一)」


合計117分、合計2回調べて正確さを上げた。

次、電子書籍の現状

電子本が紙の本よりすぐれていない有力な証拠
谷崎潤一郎著作「痴人の愛」、江戸川乱歩著作「江戸川乱歩短編集」「怪人二十面相」、柳田国男著作「遠野物語」、ヘミングウェイ著作「武器よさらば」、夏目漱石著作「こころ」「夢十夜太宰治著作「人間失格」、、、「グレートギャツビー」「スタイルズ荘の怪事件」「」「自分だけの部屋」「灯台へ」「響きと怒り」「審判」「城」「破戒」「ドグラマグラ
これだけ数をあげれば十分な証拠になる。
上のあげた本、紙の本の売り上げがはっきりとわかるほど落ちていないなら、電子本のすぐれていない理由になる。「ミッキーの蒸気船」すらも、売り上げが落ちていないかもしれない。大衆人気があるので、本屋に聞けばはっきりわかるはず。間接的だが、古本市場も調べるべき。これなら確認できる。
実は、カナダの著作権切れ電子図書館はもっと調査すべき価値がある。これはあとで書く。
これで電子本と紙の本の比較はいちおうおわった。次に古本市場の問題に進む。
文庫と少し古い全集は安くなるようだ。

わたしは世代論でバカにされたことがないかわりに、あえてひきうけたインターネット文化の参加者として、暗に年上から見下されたことが5回ほどある。すくなくとも、「インターネット文化としてまっとうなことをしている」といわれたことが1回もない。
「はじめての橋本治論」を読んでほぼ確信した。この本のような本気の推薦文は、対価を払わないと絶対に手に入らないことに。インターネットは対価を払わないですむことにとても適してしまっている。

三島由紀夫の著作群が電子本になるタイミング、今年が生誕100年の2025年、たぶん電子本にしなくて、次の機会は2030年、没後60周年しかない。遺族の最終的な考えの整理が決まるころだと思う。あとは2041年1月の著作権切れしかない。
著作権継承者が、「3カ月で1万円払わない人は相手にしていない。古本なら十分買えるでしょう。視覚障がい者は電子本と別の道具か方法を使えば十分読めるでしょう」と言ったら、反論はそうとう難しい。
翻訳の本が電子化されていて、原本が電子化されていない理由はもしかしたらこれかもしれない。
元の値段の2割引き(送料手数料のぞく)なら、98パーセント以上在庫ある。5割引きなら、50パーセント前後の確率で在庫ある。
買い手として、あきらめることすら難しい。


本をふくめたすべての商品にとって、売り上げ予想の正確さは98パーセントまでしかない。あきらめることも可能な条件の理解。
そして、藤子F不二雄先生は、2回のチャンスで、せいぜい70パーセントの状況理解しか与えられずに売り上げを確保の手段をとらないといけなかった。

「古本」、レファレンス協同で351件の検索結果と10件の調べ方マニュアルと3件のコレクション。
「結局、古本ですべての本を買うことはできるのか?」 という疑問はレファレンスの問い合わせ一覧にないらしい。
わたしが考えているのは、1件の古本屋ではなく、古本市場への供給のこと。
15分

再販制による値引き禁止が電子本にはあてはまらない。

国会図書館、1644件、そのうち適合度順、420件、20分(インターネットが途中でつながりにくくなったので中止)
古本屋の本はあるが、古本市場の本はなさそう。
「古本大全」岡崎
「意外にもタレント本やハウツー本は何十年も経つと残らないとか。」
古本屋探偵登場」紀田
「古本屋的!東京古本屋大全」中山

「古本の社会学 : 大正大学人間学部人間科学科社会調査実習「荒川・張江クラス」 : 2014年度社会調査実習報告書」
「蒐める人 : 情熱と執着のゆくえ」
「本のリストの本」
「ブックセラーの歴史」






















・2万円分、というと平均的な単行本ならば7冊から10冊、文庫ならば18冊から30冊。平均読書期間として1冊2日から7日、2×30=60日間、この間全部ひとりの書き手の著作群だけを読んでいる人がいるかというと、ほぼいない、といえる。理由は省略。
・欲求が続かなくてすぐあきる。意外と多い。
・買ってから読むのに最長7年かかる。これも意外と多い。そして、これで悪いとはいえないのが、問題を複雑にしている。ただし、私が知っている例では、保坂和志氏が「ロクス・ソルス」を読んだ例と、山下澄人氏が「ペドロ・パラモ」「城」を読んだ例ぐらいしか思い出せない。
・日本では新刊市場は意外と早く在庫がなくなる。しかし、古本市場というものは意外なほどほとんどの本が手に入る。ただし、
・意外と、手元に本を置いておきたいという欲求は強い。そして、ほとんどの場合、5年の間に2万円をためたい場合、2万円÷60カ月=333円(1月あたり)、計算上難易度が低い。現在、給料にはボーナスというものがあり、本には1回に2万円払う必要のあるものはめったにない。古本市場なら分割払いも可能な場合がある。つまり、5年の時間があれば確実に2万円分の本が手に入る。これは現時点ではよけいな規制が古本市場にないからという理由もあると思う。
・図書館または個人から本を借りてコピー機で100枚以上コピーをとるという手がある。これは黙認されているのがほとんどの状態と推測でき、どのぐらい行われているのか不明。たぶん調査はないと思う。また、わたしが合法的に100枚以上のコピーを取った本を読み続けた結果わかったことは、長く読み続けるほど不便さだとしか思えないということ。時間はかかる、金も元の本の値段とほとんど変わらない、そして続きを読むときに不便で袋にいれておかないと1ページなくなるかもしれない。これだったら古本を買ったほうがいい。当たり前ですが、自分で確かめてはっきりわかりました。
電子書籍は値引きがよく行われるのが長所であることははっきりしています。7年間の間にある書き手の著作群の在庫がそろわない事例は、少なくとも私は7人分の例を挙げられる。全員、漫画家ではありません。もっと問題なのは、電子書籍の事業者側の発言が不十分で、いわば「買うのをあきらめることができない」。現時点である程度判断の参考になるのは三島由紀夫と安倍公房の例、安倍公房が2024年に生誕100周年記念で18冊いっぺんに電子書籍化しました。三島由紀夫は今年2025年が生誕100周年記念ですが、まだ一切アナウンスがありません。たぶん電子書籍化しないと思います。次の機会は2030年、没後60周年しかない。著作権継承者の最終的な考えが決まるころだと思われます。このときに電子書籍化しないならば、あとは2041年1月の著作権切れしかない。
三島由紀夫著作権継承者が、「電子書籍のわたしたちへの利点はほとんどない。電子書籍は紙の本に対して絶対優位に立っているわけでないから、読者にとっても利点は少ないと思う。6カ月で1万円払わない人は相手にしていない。古本なら十分買えるはず。視覚障がい者は電子本と別の道具か方法を使えば十分読めるでしょう」と言ったら、反論はそうとう難しいんじゃないでしょうか。
三島由紀夫の翻訳の本が電子化されていて、原本が電子化されていない理由はもしかしたらこれかもしれない。

疲れてしまいました。現在が活字文化の混乱の時代で、活字文化への対価が何なのかがもっとわかりにくくなっているのがこの長い文章を書くことになった理由のほぼすべてだと思います。
このメモは予想以上に重要だと思うので、もっと書き直して手元に置いておきます。

googleのニュース検索機能、レファレンス協同データベース、国会図書館紀伊国屋書店amazonキンドル、CiNii、復刊ドットコム公式NOTE、
これらの道具で合計6時間以上調べた結果わかったことが4つある。
1 2010年から2024年までの絶版事例、復刊事例を第三者の視点で書いた単著は1つもない。もちろん完全な第三者はいないが、そもそも復刊についての単著がない。
2 復刊事例については、復刊ドットコムが圧倒的に情報をもっている。しかし復刊ドットコムも復刊についての単著を出したのは2010年以前。
3 そもそも、マスコミも大学も、絶版や復刊はあまり対象にしていない。カフカやフォークナーなどの本のように、復刊というものがあるのは関係者みんな知っている。だから多少は書いている。しかし、作家ではなく出版社側と読者の実情を徹底的に書いているかといわれると、やっぱりそこまで書いてないという印象を強く受ける。作家至上主義と裏方軽視とバランス感覚のない社会構成主義と現代のマーケッターの短期至上主義などがこういう事態をうんでいると思う。そして、それは読書の基盤にとって長期的に害でしかない。
4 電子書籍を復刊の選択肢のひとつとしてみる視点は徹底されていない。記事がとても少ないからそういわざるを得ない。
現状、長い目で見て社会にとって復刊すべき本は、紙の本と電子の本を両方もって、10年以上必要としている人を探しながら待つのがベスト、としかいいようがない。
こういう現代の実情はたしかに「ことば」にたいして冷たい。わたしですらストレスに感じるのだから、感受性の強い人はこのことに予想以上にストレスに感じているはずだ。

いやー本当に、「なんかとちゅうからおかしいな」という予感というか直感は、あたる時にはあたるらしい。2018年には、電子本の支持基盤はもっとしっかりしたものだから、出版社に電子ファイルを持ち込めば意外と早く復刊につながると考えていた。とちゅうでなんかおかしいな、電子本の支持基盤って予想以上にもろくて長期的な視点がないらしいと何度もおもっていたが、だれもそのことをぜんぜん言ってくれなかった。このことは死ぬまで忘れられそうにない。

電子本であるべきかどうかをよく考えたうえでの復刊をするときに必要な情報、「税金で買った本」14巻分、「重版出来」全20巻、ざっと読んだがそういう情報はなかった。また、「正直不動産」「夢なし先生の進路指導」もいちおう読んでみた。

強いやつにすりよるニヒリズムは偽物でしかない。すくなくとも、卑しいものでしかない。

これは現状を恥じている人も大勢いることをふまえたうえでいうが、1980年ごろに覇権をとった現代消費文化(歴史修正する奴は実に多いが)の消費者は、消費者である前にまっとうな人間であるべきだ。せめて西村博之や「暇空茜」が三流詐欺師であり、ちゃんと民事刑事で処罰するべきだということを行動ではっきり示すべきだ。わたしは現代消費文化というのをほとんど愛していないしほとんど金を使っていない。だからコメントはするが、後始末はあなたたち消費者がやりなさい。それがスジというものだ!


電子本とベストセラー以外の本の30年後のことを考えるなんて、2020年3月コロナ感染拡大の時には、私はまったくで予想していなかった。

わたしは、善人も悪人も、正直者も噓つきも、生きている人も死んだ人も、百人以上会ったと思うが、ある作品への愛ということについては、岡本敏子氏以上の人はみたことがない、と断言する。わたしが知っているかぎりで、岡本敏子氏と肩をならべられるのは、中村哲氏ぐらいだろうか。

80分、レファレンス協同データベースとgoogleで調べた結果、国会図書館以外で電子ファイルの寄贈を受け付ける大学または研究機関は、一般図書館、大学図書館、私設図書館ふくめて、ない。すくなくともそういう事例がない。98パーセント以上はっきりした。

電子ファイルは聖書と仏典と法令ふくめて、国会図書館以外は寄贈うけつけない。

インターネットは情報が瞬時に入る、という人には、どの情報ですか、だれのもっている情報ですか、とまず聞きたくなる。つっこんできいていけば、とちゅうで相手は答えられなくなるはず。はっきりいって、「瞬時に手に入る」というのはウソ。インターネット批判派にとって営業妨害以外の何物でもない。

時間も金も労力も足りないが、なんとか説得力のある論理を組み立てることをめざす。
「ベストセラー以外の本」とは、電子本ふくめた文字通りすべての「ベストセラー以外の本」のこと、「ロングセラー」ふくむ。はっきり宣言する。
ここから、現代社会の「情報」(あえてこの単語を使う)、そして「人間」のあつかわれかたがはっきり見えてくるという予感がえられたから、やることにした。
梶村秀樹先生の再評価の準備のためにも、ここを徹底してやらないといけないらしい。まさか2018年に再評価準備を始めてから、ここまでやらないといけなくなるとは思わなかった。あの2人の経験と同じようなことになった。
とにかく、頭を限界まで使って調査する。




斎藤美奈子、note、webちくま

「「現地」と「現物」が大切だと私は思っている。今年は戦後80年の年だが、戦争体験者は年々減少、近い将来、戦争の記憶を語れる人はいなくなるだろう。その時、エモーショナルなレベルで文献や映像資料以上の役割を果たすのは現物だ。記憶、特に負の記憶を伝えるのにブツは欠かせないのである。」

この発言にはかなりショックを受けた。
「インターネットはアーカイブでも一流にはなれない」と、不当に軽んじられたと思った。理不尽に無神経で冷たいとすら思った。これは斎藤氏個人の問題ではない。斎藤氏ほどの人ですらこんな発言をするならば、ほかはもっとひどいのではないかとすら直感的に思った。
NHK戦争証言アーカイブスや戦場体験放映記録の会はいろいろまだ足りないところもあるが、こういうあしらうようなあつかわれかたをされるべきではない。インターネット文化側も肝心なときに劣等感をだしてしまう。あれは問題だと前から思っていた。現実社会の位置づけに即していない優越感も劣等感も害でしかない。
正直に言って、1980年代以後の歴史についての、「NHK戦争証言アーカイブス」にならぶアーカイブというと、パッと思いつく限りでは「ゲームの企画書」「作家の読書道」あたりぐらいしか思い浮かばない。この2つはいろいろ足りない部分が多い。「エヴァンゲリオン」関係ではないらしいし。


電子書籍の検索結果上位100位のページすべて読んだが、
電子書籍のデータを30年保存する方法」が書いてあったのは、


2010年が電子書籍元年ととりあえずいえる。つまり、2025年は電子書籍の始まりから15年たった年といえる。

「ダウンロードの制限の確認
 データが消えた等で再ダウンロードをする場合の取扱いはストアによって異なります。
 ほとんどの場合、電子書籍著作権保護のために「DRM」(デジタル著作権管理)という複製や印刷などができない技術が設けられており、コピーを作成したり他の端末で保存したりすることはできなくなっています。ダウンロードできる回数や期間を確認しましょう。
 ストアによっては対応端末や再ダウンロードなどの取扱いが商品ごとに異なる場合もあるので注意して購入しましょう。」







橋本治氏が2025年の現代の読者にも軽んじられない理由は簡単だ。「ふらんだーすの犬」と「巡礼」を書けたからだ。梶村秀樹先生には1989年、時代の流れに軽んじられないだけのものを書く時間がなかったし、なにより新自由主義の拡大など、あまりにも時代との食いちがいが大きすぎた。それをうめるのに後継者たちがとてつもなく苦労させられている。
つけくわえていうと、朝鮮人の立場からの後継者が、おそらく故徐京植氏とその後継者。日本人の立場からの後継者で、一番目立つ人が中野敏男氏だ。現在、目立つ目立たないで惑わされる可能性がかつてなく高いから、こう書かないといけない。




メモ
あとで整理する。

これまでのインテリがきらうもの
わけのわからないもの
つまり、女、別の言葉を話すもの、そして大きくなる子ども(若者)、、、実はいまは老人もはいるかもしれないが、おいておく。
橋本治は「綿の国星」の3つ全部読解できた。わたしはそう考える。

エリートになりたいだけのインテリは二流詐欺師にしかならない。

自称他称ロスジェネの悪いところの一つは、悪質ホストをやりたがったことではないか。
わたしにいわせれば、「お前なんかと一緒にするなバカヤロー!!!!!!」
わたしはあんな腐れ外道と一緒にするな、まずそういうべきだ。



文化資本という言葉がやたらと広まった理由は、個々の文化財が結局、個人(または一家族)の独占物であるという感覚が広まったからだ。
文化遺産」という言葉と比較すればわりとわかりやすい。「遺産」は公共物でもありうる。

通俗道徳批判する人たちは、社会還元、とくに、年上から年下、とくに「若者」というカテゴリへの還元のイメージがない。そのことに気がついて、本気で対策したすべきだ。現在の危機はそれぐらい深刻だと私は判断し、決断する。

バブル崩壊後の精神史で第一に批判すべきことは、「冷酷で無神経」ということだと思う。褒め殺しもそうだが、その前にまっとうな裏方をちゃんと評価してほしい。言葉というものはそういうときにとても重要なものだ。


「わたし」は1990年代生まれ、2018年から2023年にかけて、梶村秀樹著作群5000KBの電子化を完了。ドストエフスキートルストイとトゥエインの著作群の約10000KBの電子化を完了。梶村秀樹著作群の電子化、2010年に人類の遺産として共有させるか、2033年ごろに人類の遺産として共有させるか、その時期だったらもう少し復刊は早くなったかもしれない。
わたしの人生の流れと人生の流れはきわめて食い違っている。その食い違いを徹底して言語化して、それを逆に利用するかしないと決めた。
インターネット文化という人類史上大きな流れを、大きな流れと食い違ってしまった者の視点で書く。もちろん突き放した視点で。
インターネットにはじめてあったのが2000年代。テレビとテレビゲームのほうを先に覚えた。

わたしが、ほんとうにわけがわからないと思うのが1980年代に覇権をとった消費文化の問題と、新自由主義と、本来「がんばればなんとかなる」プラス「質素倹約」が第一の通俗道徳がへんな形で合体しているのに、そのへんさを「普通の日本人批判」だけですませようとする反体制運動側の考え方だ。ほんとうにわけがわからない。だいいち、「質素倹約」なら、世界中どこだって見つかるだろうと思うのだが。
やはり「子育て」の道筋が揺らいでいる。

突拍子もないことを言い出す。「葬送のフリーレン」、なんで「自分は子どもじゃない」と思っている読者たちは、フリーレンとアウラの話ばかり注目して、フェルンやシュタルクの話をあとまわしにするのか、あれ問題だと思う。年上になったらいやでも年下の世話をしないといけないのに、フィクションの中でも年下への対応の問題に頭を使いたくないようにすら見えてしまう。
フリーレンは同世代の友人がいなくなった時点で冒険に出発していることもちゃんとおぼえているべきだ。だいいち、フェルンやシュタルクが主人公ではないのに大ヒットした理由って、この時代の成長のゆがみと地続きだろう。3人とも「家族」がいない時点でスタートしていることも。


寄贈、東京新聞、、、朝日新聞
ルノワールの絵画の複製画
足利織姫神社の3Dデータ寄贈 東京理科大と県測量設計業協会」、くわしい情報がなかった
マイクロフィルム
「万博入場券500人分を千歳市に寄贈 包括連携協定の三井住友海上


いったん公開したものだから、押川ブログを引用しよう。


https://www.ndl.go.jp/jp/help/online.html
紙媒体の資料をデジタル化した資料は納入義務対象ですか?
A
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収集したオンライン資料はどのように提供されるのですか?
A
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電子ファイルの寄贈と保存は誰ができるか、誰がするべきか?
2025年5月10日あたりから2025年5月30日までにそのむずかしさがわかってきた。
2010年から15年間を調査、すると事例がとても見つけにくいことがわかる。

現代
子ども→若者→思春期→大人
昔(第二次大戦前)
子ども→短い期間の青年→大人

現代、だいたいバブル崩壊後というのは奇妙な時代で、「若者」がおそれられる理由の一つが「無神経で冷酷で差別ばかりする「大人」のいうことばかり聞くこと」で、そういう極悪な「大人」の批判が「若者」の何倍も行われるべきなのに、「若者と大人」の比較関係上では、「若者」のほうが批判され「大人」が結果として免責される。たしかに「若者」がまず自分たちの「未熟」への差別や侮辱に言葉で反発しないしないのは愚かだ。しかし、成長の基本のありかたをふまえるなら、まず「大人」が批判されるべきだ。まして、「売れるためにそんな発言をしている」と過去にばらした三浦展というマーケッターがいるのなら、最初から疑うべきだ。
ある人がこう言っていた。「バカへの差別は最後まで残る」と。その人は昔「バカ」だったらしい。バカ=未熟としたとき、これは名言であり迷言でもある。なぜ迷言とわたしがいうか、現代において「成長の基本」が社会的に破壊されていることがわかってないからだ。
――後藤和智氏と故橋本治氏の発言を独自にまとめると、こうなる。


梶村秀樹先生の著作群約5000KBの電子化は2018年の時点で20年以上早すぎたかもしれない。米川正夫ドストエフスキー全集トルストイ全集の電子化は2020年の時点で5年おそかったかもしれない。2025年5月の時点では、そう言ってもいい。

だいたい2015年ごろには「推し活」がはじまった。
そのころから、批評の仲間内のほめあいなれ合いがいっそう加速して、「本気の推薦」がみられなくなったのではないか。「はじめての橋本治」や「税金で買った本」あたりは、その反発ともいえる。

人間がきわめて恐れるのは、殺人でも不倫でもなく、「わけのわからないもの」。これに並ぶのは「自分の死」ぐらいではないか。いや、この2つは自意識から見たらイコールとみるべきか。


インターネット文化に決定的にたりないもの。「人生を大きく変える”情報”」「”情報”を超える情報」に対してあまりに冷たいということ。これにつきる。
まず、やっぱり中村哲氏の監督による用水路建設。
2002年にはじまり、2009年に23キロ地点まで完成。期間7年間。費用、約16億円から18億円(年平均3億円)。
2018年に完成から9年目の時点で、「アフガニスタン・クナール川下流域の灌漑事業」に対して「土木学会技術賞」を受賞。つまり、知識と経験のある技術者たちが、価値を認めたということだ。最大の理由はある意味単純で、「9年間維持できたから」だと思う。
わたしは少なくとも2005年にはインターネット文化に触れていたが、すくなくとも、目立つ人で、「この水路建設は世界で初めてですごいことだからぜひとも見続けてくれ」といった人はインターネット文化の中にはいなかったと断言していい。それこそ、新聞かテレビのほうが中村哲氏のことを見続けていた。中村哲氏とペシャワール会は自分たちで会報を発行している。なぜ、独自の追跡なり分析なりを続けなかったのか。

もう一人、浜田寿美男氏の「袴田事件の謎 取調べ録音テープが語る事実」(2020年)という本。
この本は、検察の、被告袴田巌氏はもちろん、浜田氏に対してなされたあまりの「侮辱」に対して「ブチ切れた」結果として書かれた。わたしはそうだとしか思えない。そのことをちゃんと書いている人は、やっぱりインターネット文化の目立つ人の中にはいなかったといっていい。木谷明氏が一番目、二番目はそれこそわたしではないかとすら思う。Apeman氏がお元気だったら二番目にそう言っていたと思うが、まあ順番はどうでもいい。
とにかく、「まっとうな仕事にたいしてあまりにひどい侮辱をうけてブチ切れた」ということに気がつかないことが問題だ。自分はちゃんと気がついていた、というなら、ぜひおしえてほしい。そういう人でも、多数派でなかったことは認めると思うが。
鈍感で無神経すぎるんだ。だからインターネット文化はずうっと軽んじられる。構造的な問題だと思うが、やっぱりあれではあらゆる意味でマイナスだとしか言えない。




「人生を大きく変える”情報”」は「”情報”を超える情報」と言い換えてもいい。これはある種のバランス感覚がなければ言い表せない。だから難しい。
それと、情報に対して温かい、ということは、40年それを最善の形をとりながら伝え続けるということ、これまた言い表すのがむずかしい。しかし、そういう形はあるし、私が梶村秀樹著作群に対してやっていることはそういうことだ。梶村秀樹著作群に対して最善の形を探り続ける過程で、、インターネット文化に決定的にたりないものに気がついた。だからorangestar氏のねじれた暴言は許すわけにいかなかったし、インターネット老人会の堕落には最強の批判ができた。
ともかく、簡単に傲慢になったり卑屈になったりする文化は危険であって、インターネット文化はまさにそれだ。

電子書籍の品ぞろえについて

ひょっとして、電子本にする本をえらぶ担当者たちが、品ぞろえというものをよく考えていないのではないか? やってみる価値がある。
以下、全部amazonキンドルibooksで確認した。
以下、グーテンベルク21にあるかどうかはまだ確認していない。

2025年6月8日時点で、
ライ麦畑でつかまえて」(サリンジャー白水社など)
百年の孤独」「族長の死」「予告された殺人の記録」(ガルシア=マルケス、新潮社)
ユリシーズ」(ジョイス
「手紙」「日記」(カフカ
「?」(フォークナー)
「モロイ」「ゴドーを待ちながら」(ベケット
仮面の告白」「金閣寺」「真夏の死」「豊饒の海」(三島由紀夫、新潮社)
「花咲く乙女のキンピラゴボウ」(橋本治
「死の棘」(島尾敏雄
「ポロポロ」(田中小実昌
神聖喜劇」(大西巨人
「第一阿房列車」(内田百けん


つきはなしてみて、けっこう有力選手が一覧にあるとおもう。

メモ
文章読本」(谷崎潤一郎
ブルーノ・シュルツ


砂の女」「箱男」「燃えつきた地図」(安倍公房、新潮社)→2024年3月、18冊が電子化

もう一つふしぎに思うことは、担当者の発言がほんとうに見つからないということ。三島由紀夫の例がわかりやすい。安倍公房の場合は生誕100周年記念で電子書籍化されたと報道に書かれている。