『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

『シュン@ひろしまタイムライン』の1945年8月1日―1945年8月5日のツイート(作業いったん終わり)

「もし75年前にSNSがあったら?」1945年、広島の中学1年生だった新井俊一郎さんの日記原文(1945年8月1~7日) | 被爆75年ブログ|NHKブログ
 

【1945年8月1日】

これから農家の庄司さんへ、田の除草に出動する。
一緒に行く十五人、気合いを入れていざ出発だ

【1945年8月1日】

午前中だけで四つの田の草をみんなで抜く。
寮から持参した弁当の他に、「小さいのに可哀想に」と、銀飯とじゃがいもの煮物を出してくれた。腹いっぱいである。

【1945年8月1日】

今日は合計九個の田を除草した。
右目に穂先が入って少し痛いが、出動した十五人、大いに働いた。

【1945年8月1日】

教官室に報告に行った際、母からの手紙を受け取る。
この前の空襲で、敵機が墜落するのが見えたらしい。

【1945年8月1日】

昼食に続いて、夕食も腹がいっぱいになるまで食べられた。
多すぎて残しそうになるほどである。

この後には詩吟大会がひかえている。
うまく詠えるだろうか…

【1945年8月2日】

本日も庄司さんへ出勤である。田の除草作業だ。
「田舎の気風に慣れること、規則正しく堂々と、附中生の面目の下に、一心不乱になってやること」
宮岡教官の訓示されたご教訓を守って、我ら十名出発する。

【1945年8月2日】

昼食後、またお百姓さんが銀飯と煮物を出してくださる。
毎日有り難い。御馳走様。

【1945年8月2日】

庄司さんが持たせてくれた豆を片手に教順寺に帰寮する。
今晩はおかゆだ。麦と雑穀、豆粕にフスマのおかゆである。

久保君が三十九度四分の高熱で病室行きとのこと。

【1945年8月2日】

腹一杯だ。
これより弁論の夕べがある。
敵と味方の作戦について話そうと思うが、どう話そうか。
誰よりも上手く話したい。

【1945年8月3日】

今日は一日、生活必需品である薪取りに出動だ。
松根油のカマドまで午前で二往復。午後も二往復するらしい。

【1945年8月3日】

くそっやられた!

【1945年8月3日】

足長蜂に刺された!チカーッとする。
初めて刺されたが、こんなに痛いものか。

【1945年8月3日】

いったん帰寮。アンモニア水をつけていただく。
が…とてつもなく痛いぞ!
いや、痛いと思うから痛い。
痛くない!

【1945年8月3日】

今日は四日ぶりの風呂。
夕食はおかゆだそう。腹一杯食べられそうだ。

【1945年8月3日】

演芸大会。
病み上がりの久保君だが、彼の落語では大いに笑った。
また、吉田君の浪花節がなかなか上手い。
僕はまたハーモニカを吹いた。
しかしどうも芸が無いな。

【1945年8月4日】

今日の作業は、芋の運搬。僕が班長である。
真光神社の小谷教官の所へも行かなければならない。

今日も遠慮なく太陽が照っている。

【1945年8月4日】

朝食の最中、第一回目の帰省者の発表あり。
なんと!
出動回数の多い者として、僕や西川たちが選ばれた!八月六日に廣島へ発って八日に帰寮せよとのことだ。
朝飯が喉につかえるぐらいの喜びだ。

【1945年8月4日】

早速、母に廣島に帰省する旨、手紙を書く。
六日となるともう明後日ではないか。
嬉しい。

【1945年8月4日】

芋を受け取りに行く道中、大八車を押しながら、皆ブツブツとうらやんでいる。
たった三日間だが、廣島に帰れるのだ。
いかんいかん、今日は僕が班長だ。
浮ついてばかりもいられない。

【1945年8月4日】

芋を受け取りに行く道中、大八車を押しながら、皆ブツブツとうらやんでいる。
たった三日間だが、廣島に帰れるのだ。
いかんいかん、今日は僕が班長だ。
浮ついてばかりもいられない。

昭和六年山形県生まれ、八歳より廣島で過ごす十三歳。廣島高等師範学校附属中学校一年北組の副級長。
七月二十日から、母、父の暮らす廣島市を離れ、賀茂郡原村に農村出動中。北組の皆と教順寺にて共同生活をしている。
よく絵を描き、時には漫画を描く。

【1945年8月4日】

寮に帰ると、ちょうど母より手紙が来ていた。
「行けないから、なるべく我慢しなさい」とある。
中に封筒が四枚入っていた。
僕が帰ったら父や母は喜ぶだろうか?

【1945年8月5日】

今日の作業は休止。
朝一番で寝衣を洗濯し、明日の廣島帰省の準備にかかる。
一緒に支度をする高田君、笠間君も嬉しそうである。
毎日農作業を頑張った甲斐があった。
朝食もいつもより二倍美味く感じる。

【1945年8月5日】

とにかく級友たちは、帰省をうらやましく思っているようだ。
皆が多くの手紙を預けてくるので困る。
僕は郵便屋さんではない。

【1945年8月5日】

教官から、注意事項を承った。そして米を2日分受け取った。
いよいよ帰省は明日。
胸が躍るとは、まさにこの事だ。

【1945年8月5日】

三木教官に呼び止められた。
僕には別に任務が下された。
廣島へ帰ったら、千田町の附中の留守部隊に連絡文書を届けよ。」
である。
教官から預かった公文書らしき手紙を、しかとポケットに収めた。

★スタッフから放送のお知らせ★

①8/5(今夜) 24:50 NHK総合
※番組には8月6日以降の3人のツイートも含まれます

②8/6 8:50「あさイチNHK総合
③8/7 19:30「ラウンドちゅうごく」NHK総合/中国地方向け

#ひろしまタイムライン で投稿された内容は②③の番組でご紹介させていただくことがあります

【1945年8月5日】

夕食後のナゾナゾに始まり、怪談に、演芸会と今夜はどんちゃん騒ぎである。
明日は一番列車なのだが…寝れぬ。楽しみと緊張で眠気が来ない。あぁ。楽しみだなぁ。