『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「シュン@ひろしまタイムライン」の1945年7月4日―1945年7月18日のツイート(作業いったん終わり)

「もし75年前にSNSがあったら?」1945年、広島の中学1年生だった新井俊一郎さんの日記原文(1945年7月4~10日) | 被爆75年ブログ|NHKブログ
「もし75年前にSNSがあったら?」1945年、広島の中学1年生だった新井俊一郎さんの日記原文(1945年7月11~24日) | 被爆75年ブログ|NHKブログ
 

【1945年7月4日】

昨晩も廣島に空襲警報が発令された。
ここ最近は毎晩のように敵機が来ているが、なぜか廣島市だけは空襲を受けない。
敵が神経戦を行っているのかもしれない。
「こんなことで敗けないぞ」という強い意志を持って過ごそう。

【1945年7月4日】

今日はとても暑かったが、いつものように国のために覚悟を持って、一心に作業を行った。

【1945年7月5日】

今日もいつもと同じく畠で作業だ。
昨日はとても暑かったので、きっと今日もそうだろう。
水筒に沢山水を入れておこう。

【1945年7月5日】

畝を作る作業を全員で行っているが、やはり暑い。
みんなが水をくれと言うので、水筒の水はすぐに空になった。
あと少しだから根気強く頑張ろう。

【1945年7月5日】

軍隊から水を貰った。
少しコーヒーの味がして美味しい。

【1945年7月5日】

作業は順調に進み完成に近づいていたというのに、警報が発令されたため、もう帰宅することとなった。

【1945年7月6日】

作業の終了日が近づいてきている。残り少ないので、今日も頑張ろう。

【1945年7月6日】

今日は一北、一南、一東の三組で、どの組が一番早く溝を掘れるか競走するそうだ。
各組4本づつ作る。我々北組の力を見せつけるぞ!

【1945年7月6日】

我ら一年北組は、協力一致して堀り一番になった。
とても嬉しい!
協力の大切さをしみじみと感じた。
戦争でもそうだが、協力一致である。↓
1945年7月7日】

今日は支那事変記念日なのに、歴史の時間にまたもや警報が出た。なぜこんな時に。
空を見上げるとB29が飛行機雲を引いて飛んでいる。

【1945年7月7日】

本日は、警報が解除されても登校し直さなくて良いそうだ。

一同狂喜した。

【1945年7月7日】

時間が空き、母校の疎開荷物を受け取りに行ったが、とても多く持ち帰れそうにない。
後で父親の畠に寄ってお手伝いをして帰ろう。

【1945年7月7日】

今まで持っていた小豆でボタモチを作った。
とっても美味しい。これこそ天下一品だ!

【1945年7月8日】

本日は学徒結成式が行われるということで登校した。
時間になったが、先生は出てこられない。
どうしたのだろうか。

【1945年7月8日】

先程、田辺教官がやっと来られたが、式は延期との発表があった。

【1945年7月8日】

田辺教官から、先生が制作された物象の教科書を全員一冊づついただいた。ありがたい。
本日はもう帰宅して良いそうだ。

【1945年7月8日】

田辺教官から、先生が制作された物象の教科書を全員一冊づついただいた。ありがたい。
本日はもう帰宅して良いそうだ。

【1945年7月9日】

作業のために成績が下がることは、仕方がないのかもしれないが、十五番とは。
しかも、父は歴史の先生であるのに歴史も良くない。
自分自身に憤り。まさに悲憤の涙。

【1945年7月9日】

今日のような成績ではだめだ。
他の人に負けてたまるか。ただただ努力するのみだ。
頑張るぞ!もっともっとガンバルぞ!!

【1945年7月10日】

科学学級の疎開作業は一段落し、比婆郡東城町に行ったそうだ。
我々が勉強している間も、科学学級の者は一心に作業しているのだ。

【1945年7月10日】

小谷教官が国文の時間に、疎開のことをお話されていた。
二年生が通年動員と兼ねて地方に行ったそうだ。
もしかすると、我々も、疎開することになるのではないだろうか。

スタッフからのお知らせ★

75年前の広島の中学1年生 シュン
勉強熱心だけどスポーツは苦手
家族思いの13歳

ツイートのもとになった新井俊一郎さんの日記原文 7/4~10
https://nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/genbun/shun/432529.html

やすこ
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一郎
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こちらもぜひ!

【1945年7月11日】

最近の朝礼はなんだが淋しいように感じる。
それもそのはずだ。ここに残ったのは、我々正規学級の1年生のみ。

【1945年7月11日】

数学研究の時間に、前の中間考査の用紙が帰ってきた。
数二は良かったが、数一はだめであった。
まだまだ努力し、良い成績を残さないと。
附中学徒としての名が下がってしまう。

【1945年7月12日】

梅雨らしい、ひっくり返したような大雨だ。
通学路が川のようになっているので歩きにくくていけないな。

【1945年7月12日】

これでは防空壕に埋めておいた衣類もびしょ濡れになってしまったかな。
まあ、仕方ない。

【1945年7月12日】

警報だ!避難せねば

【1945年7月12日】

道に水が溢れている!くるぶしまで水に浸かってしまって足が重い。

【1945年7月12日】

靴がびしょ濡れになってしまって、気持ちが悪い。足の裏もぶよぶよである。

【1945年7月13日】

今日も雨である。
まだ防空壕を見ることはできない。どのくらい水が溜まっているのか、恐ろしい。

【1945年7月13日】

先程の国文では、新井白石の作った「武士気質」を学んだ。
新井白石の文のうまさには脱帽する。それに加えて小谷教官の読み方の見事さで、さらに立派に聞こえるのだ。

【1945年7月13日】

そういえば近頃はまた小型機がよく来襲する。これは敵が何かの作戦を考えている前触れなのだろうか。
その時に備えて僕達は家や学校を守る心構えをしておかなくてはならない。

【1945年7月14日】

朝起きてみたらやっと雨がやんでいたので防空壕の中の衣類を出してみた。
やはり濡れているので干して乾かさないといけない。

【1945年7月14日】

英語の教官が遂に召集になったとのことで、これから別れの式をあげるらしい。

【1945年7月14日】

教官は頭が丸坊主になっていて、なんだか吹き出しそうになった。
郷里の部隊に入隊されるとのことだ。

【1945年7月15日】

本日は第三日曜日なので、日曜日であっても休日ではない。
というわけで登校である。

【1945年7月15日】

数一で「比例」を習った。定数というのがあるのか。ふむ。

【1945年7月15日】

生物は本日はない。

【1945年7月15日】

明日から日曜全休、一日四限の新時間割になるらしい。よし。よし。
しかし、この折に時間割の変更とは。また勉強が遅れてしまうな。

【1945年7月15日】

警報だ!

【1945年7月15日】

運よく敵機は来なかった。安心した。

【1945年7月15日】

母が弟の疎開している庄原の敷信村から帰ってきた。
嘉彦は元気にしているだろうか。

【1945年7月15日】

また警報だ!

【1945年7月16日】

本日より一日四限の新しい時間割である。

【1945年7月16日】

歴史はまた自習。図書館にて勉強する。

【1945年7月16日】

数一で三木先生が面白いことをされたので、みんなで大笑いした。
思い出すだけでも笑いが漏れてくる。

【1945年7月16日】

物象も先生が来られぬため自習。
近頃は先生がおられないことが多いな。校内が何か騒がしいふうもあるし、いよいよ我々の農村出動も近いのだろうか。

【1945年7月16日】

四限は防空壕の整理を行うらしい。急いで向かう。

【1945年7月16日】

また警報。

【1945年7月16日】

早く家に帰ったので畠に時間を割いた。
畠仕事というのは面白い。

【1945年7月17日】

一限で三木教官が我等一年生の農村出動のことをほのめかせられた。
これは我らが出動する日も近いな。

【1945年7月17日】

たった今、我等一年生の賀茂郡原村への農村出動が決定した!

【1945年7月17日】

出発は早速明日とのことである!

明日……明日!?

【1945年7月17日】

「附中部隊の学徒隊としての出動は、今回が最初であるので諸子も、うんと敢闘するよう」
と主事先生が仰った。勤労はもちろん、学生の本分たる勉学に励んでいかねばならん!

【1945年7月17日】

この切迫した国内情勢において、食料供給に携わるのは大いなる意義のあるものである。
何はともあれ、急いで準備だ!

【1945年7月17日】

一日準備に明け暮れていたが、今日を最後に廣島を離れると思うとどこか名残惜しくもある。

あっ、警報だ!

【1945年7月18日】

今日も朝から雨だが、出発の日であるから気を奮い立たせよう!

【1945年7月18日】

農村への出発は切符が取れなかったとかで延期となった。
今日は父兄会をやるらしい。

【1945年7月18日】

我々は合宿の準備をする。
僕は家から餅を入れる木のモロブタと大型ザルを持参した。

【1945年7月18日】

ああ、くたびれた。一日荷造りで、家と学校を二度も三度も往復した。
明日もこれと同様の準備作業になるらしい。