『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

2024-01-01から1年間の記事一覧

わたしの、本気の反万博論 その67 大阪万博会場で一番目立っているリング型大屋根、建設費はいくらだったら納得できるか(未完成だが、意外と価値のあるメモになる)

リング型大屋根、建設費はいくらだったら納得できるか 「わたし」は税金を払っているのだから、自由な注文者の立場で、建設費がいくらだったら納得できるか、というより、どのような条件でどのぐらいの建設費だったら納得できるか、いくらでも注文できる立場…

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第41章とちゅうから第43章(おわりの章)まで(いちおう読書可能)

20240508 ■05―■14、9分、スキャン、17枚 ■18-■24、6分、、OCR、17枚 合計15分、 ■45-■20、35分、ざっと整理、304-327 20240510 ■44-■04、327―334(余った時間でトムソーヤー上巻の注釈を校正) …

「戦争証言アーカイブス」収録の、日本陸軍第一師団所属の将兵1人の証言を再読

1922年 京都府南丹市に生まれる 1941年 1月、福知山歩兵20連隊に入隊。12月フィリピン攻略戦へ 1942年 ビサヤ諸島ネグロス島で警備など 1944年 レイテ島へ 1945年 2月、投降しレイテ島の捕虜収容所で終戦を迎える。12月復員

「戦争証言アーカイブス」収録の、日本陸軍第一師団所属の将兵2人の証言を再読

1922年 京都市に生まれる 1942年 現役兵として歩兵第20連隊に入隊 フィリピン・ネグロス島などを経てレイテ島へ 1944年 10月 米軍レイテ島上陸 1945年 捕虜収容所で終戦を迎える 1916年 京都府に生まれる 補充兵としてフィリピン・ルソン島の歩兵第20連隊へ …

わたしの、本気の反万博論 その66 リング状大屋根は、「世界最大の”木造”建築物」などではなく「世界最大の”仮設”建築物」と言った方が正しい。

いまいい考えに至ったと思った。

わたしの、本気の反万博論 その65 わたしの現時点でのリング大屋根の評価は、「大きいことだけがかろうじて長所のバカ高い買い物。建築家の意図は、花火の一種か、「高性能ヘリコプター(空飛ぶ車)」があれば建築物のほうがいらなくなる。そして、常設を目指さない時点で設計者の堕落した精神がはっきりした。」というものだ。

私が大富豪だったら、これはいらない。 入場料とってもすぐ飽きられて元がとれそうにない。 「世界最大の仮設建築物」と言った方が正しい。夏の暑い時や冬の寒い時に、屋根になる物がない、高さ10メートル以上の崖のうえを歩く人はめずらしいだろう。 あの…

わたしの、本気の反万博論 その64 ひとびとの注文する力の貧弱さ。これでは「芸術家」もふんばるのがとてつもなく難しくなる。

どうでもいい注文と、作者にとってもどうでもいい建築。そしてそれをだらしなくうけとる注文者。これこそ堕落だ。

わたしの、本気の反万博論 その63 「イベントと建築の死」をはっきり宣言したほうがいい。「芸術の死」ならば、宣言する人がいるだろうに。なぜ宣言しないのか。それは……自分が人生賭けて欲しいものがわからない(わからなくさせられている)から。おそらく、ここにつきる。

現代の、おそらく日本社会に特徴的にあらわれていると思うが、消費文化の異常な視野の狭さ、風通しの悪さが、万博を通してかなり見えてくると思う。 それにしても、「ただの人」である「私」が、なぜこんなに苦悩なしに「イベントと建築の死」をはっきり宣言…

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第33章とちゅうから第41章とちゅうまで(いちおう読書可能)

20240503-20240506 ■57-■15、18分、スキャン、30枚、 ■45―■56、11分、OCR、30枚 ■57-■08、11分、ざっと整理、34から35まで、214まで ■36-■56、20分、ざっと整理、36章まで、231まで ■00―■2…

わたしの、本気の反万博論 その62 「昭和のオヤジ」がいなくなって困るのは、実はいわゆる「ロスジェネ世代」ではないだろうか? 自分の求めるもの、求めかた、そして絶望の中途半端さの責任をなすりつけることができなくなるから。

見栄と金を求めない生き方を求めているようには見えないから。また、ウソをついて人から奪わない、ということを求めているようにはとても見えないからだ。ウソをついて人の命を救うならば、当然認めてもよかったのだが。

わたしの、本気の反万博論 その61 「新井真一の不在」と消費文化の政治との別居政策の矛盾の極点。

「昭和」批判とはいったいなんだったのだろうか。ウソをついて人をだまして奪うことにつきたのではないか。結果としてそうなっている。ほしがるものをまちがえている。あれだったら、見返りを求めない愛情ができるようになることを求めた方が、当たり前だが…

わたしの、本気の反万博論 その60 大阪万博の大屋根についての批判を徹底させると、自由に評価できるかという問題にぶつかると思う。わりと単純な話で、全体を見てまっとうな値段はいくらか、という問題。わたしの現時点の意見は、「あの円形大屋根は、常設で建設費100億円でも高い。」

太陽の塔は、内部の生命の樹をあわせて125億円(2024年ごろでの建設費)なのだが、だれも言わないし、ましてはげしく欲しがらない。今の消費文化はその点を見ても明らかにおかしい。

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第28章とちゅうから第33章とちゅうまで(いちおう読書可能)

20240502-20240506 スキャン、33枚、■03-■30、27分、(スキャンしなおし作業あり) OCR、■47-■55、33枚、8分、 スキャン、17枚、■20-■32、12分 OCR、■34―■38、4分 ■00-■20、20分、ざっとせいり ■2…

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第22章から第28章とちゅうまで(いちおう読書可能)

20240430 注文が来そうにない事がわかって、一日当たりの作業時間を減らした スキャン、■20-■31、25枚、11分、 OCR、■33―■41、9分 20240501 ■28-■42、14分、スキャン、054-103、25枚 ■45-■53、8分、OCR…

わたしの、本気の反万博論 その59 「注文」に人生賭けている人がいない。これが大阪万博をめぐる問題の根源の一つであることを理解する人が本当に少ない。そして、これは大阪万博に限定して考える必要はまったくない。きわめて恐れるべきこと。

「命」に人生賭けるのは当たり前だ。このこともわかっていないやつが多すぎるが。 これと同じように、「注文」には人生を賭けないといけない。わたしはこのことを、たとえば太陽の塔の歴史をじっくりみて理解したつもりだ。ふんぞりかえって金だけ払うやつに…

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第18章とちゅうから第21章まで(いちおう読書可能)

20240425 ■09―■28、19分、スキャン33枚、264-327 20240426 ■26-■36、10分、OCR264-327、 20240427-(3日間) ■59-■58、59分、ざっと整理、264―306 ■38-■00、22分、やや正確に整…

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第16章とちゅうから第18章まで(いちおう読書可能)

20240421 ■00―■19、19分、スキャン31枚、202-263 20240425 ■35-■41、6分、OCR、202-263、 ■57-■56、59分、ざっと整理、202-245 20240426 ■40-■39、59分、ざっと整理、作品みなが…

わたしの、本気の反万博論 その58 そもそも、爆発するガスや有毒物が埋まっている土地(夢洲)で、よりによって「(今より安全な)近未来」を見せるイベントをする。それに形ばかりでも世界中の国々が参加する。イベントの歴史で、こんな愚行は一回だってやってはいけない。

イベント自体の存在意義を破壊する。これが現在そのものかもしれないが、それにしてもなさけない。 すばらしいことができるかどうかより、きちんと命の安全を守っているかをさきに考えなければならない。これはイベントの原則だ。……荒廃している。いま、はっ…

わたしの、本気の反万博論 その57 「あの決意」に負けたくないかどうかすら言うことができないって、どう考えてもおかしいだろ。雑誌でもインターネットでも、だれも「あの決意」と対決できていない。ほぼはっきりしている。

もちろん、わたしは「太陽の塔」と「明日の神話」について言っている。精神論ではなく、決意の存在理由の問題。正直、こんなことを言うことはつかれる。

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第8章とちゅうから第16章とちゅうまで(いちおう読書可能)

20240414 ■43-■48、5分、OCR、101-151 ■49―■54、5分、OCR、152-200、 20240418 ■04-■10、15分、ざっとせいり、作品見ながら、101-140 20240419 ■18―■33、15分、ざっとせいり、101…

わたしの、本気の反万博論 その56 今回の2025年大阪万博、文化全体への悪影響が予想以上かもしれない。簡単に言えば「士気」。「見せる」という文化(ということは文化のほぼ全領域)の担い手の「士気」が下がるとなると、はっきりいうと空洞化。考え過ぎとはとても思えない。「それを見せるのは、たとえば科博のほうがいい」とうるさいぐらいいうべき。そうでないと、そうとう悪い結果がでる。

「大屋根リング」が仮設か常設か、決めていなかったのは、費用の問題をいったんおいてみると、「見せる」文化として致命的な問題だ。要するに決意がないのだ。 なんでだれもそういわないのだろう。維新と政府はじめ、運営が単なる巨大公共事業以上の問題をひ…

わたしの、本気の反万博論 その55 夢洲で工事作業されているみなさまへ、2025年大阪万博の工事は、撤退してかまいません。今回、撤退を味方する人は(労働組合はよくわからないのが情けないが)弁護士ふくめ、大勢いることは確実です。撤退の時に必要なのは、理由だけです。

みなさんへ、インターネットに書かれていない、命にかかわる情報、意外と多いです。あなた方が見る目があんまりないから、気がつかないだけです。わたしはツキがあって3つぐらい見つけることができました。

わたしの、本気の反万博論 その53 傲慢と善良は不正確だ、傲慢と臆病。あれこそ真の意味で腰抜け。とりつくろいがうまいだけ。はっきりダメといわないと、死ぬような目にあう。

わたしの、本気の反万博論 その52 「決意」で負けてはいけない。これは根性論ではない。一番基礎の問題。そして、一番負けてはいけない「決意」は太陽の塔をめぐる「決意」。考えてみれば、当たり前のことだった。

まさに右翼も左翼も、年よりも若者も、太陽の塔をめぐる「決意」を黙殺している。考えてみれば、不健全な行動そのものだ。 ここから再スタートする。はっきりいう。「結果」で負けるのはまだいい。「決意」で負けるのは一番ダメなことだ。↓ 1967年6月8日、東…

わたしの、本気の反万博論 その51 2億円トイレで大騒ぎするなんてまだまだ甘い。夢洲の土地対策が本当は一番高くつくはず。なのに、増額内訳一覧のなかにはっきりとは書かれていない。これは人を見殺しにするウソである可能性が高い。

夢洲の土地問題を一番力を入れてとりあげて、海外各国の撤退をねらう。本気で。 それと、政府と大阪府以外のパビリオンの撤退。 これは実現可能性あり。 夢洲の土地問題があるから。これは日本全体の将来の問題でもある。土地の無駄づかい、という問題。

わたしの、本気の反万博論 その50 インターネットの出現で実物展示というものが歴史的使命を終えた、という可能性は、非常にいいかげんにしか考えられていない。「ちゃんと考えている」と反論されるかもしれないが、現状をしっかりみれば、そこをちゃんと言うのは、ごく一部だけだとすぐわかる。

わたしの、本気の反万博論 その49 大阪万博費用の内訳をみて、「あれ、夢洲という土地の対策の分が増額されたとは書かれていない」と気がついた。あの三流詐欺師もどきの事務局だと、致命的に雑に土地対策している可能性がある。

注意してみればだれでもきがつく。

わたしが「若者」だったときに教えてほしかったことは、どんな知識よりも、「金と見栄にまどわされるな」「長い時間を使わないとぜったいできないことがある」ということである。そして、それを実例をもって示してくれたかというと、せいぜい2人ぐらい。それもツキがあって会えたという話だ。そしてそれはうらやましがられない。

本当に、年上と正面からむきあっているのか。年上と若者(のようなもの)殴りながらもたれあっているだけではないか。そしてそれは、年上からこっそりやりかたをおしえてもらっている、ということではないか。大阪万博などを見ていると、どうしてもそう思える