『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第18章とちゅうから第21章まで

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■09―■28、19分、スキャン33枚、264-327
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■26-■36、10分、OCR264-327、
20240427-(3日間)
■59-■58、59分、ざっと整理、264―306
■38-■00、22分、やや正確に整理、264-278
■52-■51、59分、ざっとせいり、278-303-315、
■54―■53、59分、ざっとせいり、315-324、278-315傍点確認
■15-■35、282まで読みながら校正
■22-■42、291まで読みながら校正
■50-■10、20分、302まで読みながら校正
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           19公爵と王さま
 二、三|昼夜《ちゅうや》たってしまった。それは、月日がながれさったといってもいいくらいだった。なんのこしょうもなく、おだやかで、とてもたのしかったので、知らぬまにときがたってしまったのだ。わたしたちは、こんなふうにしてときをすごしたのである――そのへんになると、川は、とほうもなく大きかった――どうかすると、川はばが一マイル半以上もあるところがあった。わたしたちは、夜、いかだをすすめ、ひるまは、かくれてやすんだ。夜が明けそうになるとすぐ、わたしたちは、いかだをとめてつないだのだ――たいていは砂州《さす》の川下《かわしも》のよどみ[#「よどみ」に傍点]につないだ。そして、はこやなぎや、やなぎの若木をきってきて、それをいかだの上にかぶせておいた。それから、ながしづりのはえなわ[#「はえなわ」に傍点]をおろすのだ。それがすむと川のなかにはいっていっておよいだが、すずしくて、気持ちがよかった。わたしたちは、水がひざまでしかない砂地にすわって、日の出を待った。どこからも、もの音ひとつきこえてこない――まったく、しいんとしている――ときどき、食用がえるが鳴きたてるほかには、まるで、全世界がねむっているようだ。川づらを見わたしていると、まず最初に、うすぼんやりした線のようなものが見えてくる――それは、川むこうの森だ。そのほかは、なにひとつ見わけがつかないが、じきに、空か一か所、あお白くなってくる。そして、それが、だんだん大きくひろがっていく。すると、川のずっととおくのほうが、なんとなく、ほんのりしてきて、もう黒から、灰色《はいいろ》にかわっている。それから、ずっととおくに、ちいさい黒いしみのようなものがただよってくるのが見える――あきない舟かなにかだ。黒い長いすじのようになって見えるのは、いかだだ。大《おお》がい[#「がい」に傍点]のギイッという音や、入りまじった人声がきこえてくることもあった。あたりがしいんとしているので、そのもの音や声は、ずいぶんとおくからでもきこえてきた。やがて、ひとすじのしま[#「しま」に傍点]が、川づらに見えてくる。そのようすから、そこの川底にはかれた立ち木があり、しかも、そこはながれがはやいことがわかるのだった。川底の立ち木にながれがくだけて、そのようなしまをつくっているのである。もやは、うずまきながら川づらからたちのぼり、東の空が赤くなり、つづいて、川づらも赤くなってくる。そうすると、ずっととおい、むこうがわの川岸の森のはずれに、製材所らしい丸太小屋が見えてくる。だが、その小屋といったら、いかさま師の手でつくらせたものか、どこからでも犬をなげこめるほどすきまだらけだった。それから、気持ちのいいそよ風が、さやさやとふいてきて、とおくからわたしたちをあおいでくれる。森をぬけ、花の上をわたってくる風なので、すずしくて、すがすがしくて、いいにおいがしていた。だが、いつもそうとはかぎらなかった。風は、おおざより[#「おおざより」に傍点]とか、そのほかのさかなの死《し》んだのを、ふきよせてくることもあって、そんなときはひどくくさかった。やがて、夜がすっかり明ける。万物は朝日をあびてほほえみ、うたうことのできる鳥という鳥は、そろってさえずりはじめるのだ。
 もうこうなると、すこしぐらいけむりをたてても、人目につく気づかいはなかった。そこで、はえなわ[#「はえなわ」に傍点]からさかなをはずして、あたたかい食事《しょくじ》をこしらえる。そして、食事のあと、ひっそりとした川づらをながめて、ぼんやりしているうちに、うとうととねむってしまうのだった。やがて、目をさます。そして、どうして目がさめたのだろうと、あたりを見まわすと、蒸気船が、パッフ、パップと機関の音をたてながら、川をさかのぼっていくのが見えることもあった。だが、その蒸気船は、ずっとむこうがわをさかのぼっていくので、水かき車が、船尾にあるか、舷側にあるかということぐらいしか見わけがつかなかった。それから一時間ばかりというものは、耳にきこえるもの音ひとつ、目にはいってくるものかげひとつない――しんそこからしずまりかえったさびしさだった。やがて、ずっとむこうのほうを、いかだが一つながれていくのが見えてくる。そのいかだの上で、うすぎたない男が、まきをわっていることもある。いかだの上では、たいていいつでも、まきをわっているものだからである。おのがきらっとひかって、打ちおろされる――だが、音は、きこえてこない。またおのがふりあげられ、その男の頭の上まであがったときになって、カーンという音がきこえてくる――音が川づらをわたってくるのに、それだけ時間がかかるのだった。そんなふうに、わたしたちはぼんやりしてみたり、しずけさにききいったりして、一日をすごしたのであった。こいきりがかかったときには、いかだや小舟は、蒸気船にのりかけられないように、ブリキのなべをたたきながら、通っていく。平底船やいかだは、すぐ近くを通っていくので、話し声や、どなる声や、わらい声がきこえてくる――はっきりときこえてくる。そのくせ、彼らのすがたはぜんぜん見えないのだ。これは、気味のわるいことだった。まるで魔ものどもが、空中でふざけあっている声をきいているような気がした。ジムは、あれはきっと魔ものにちがいないといった。だが、わたしは、いってやった。
「ちがうよ。魔ものなら『なんて、くそいまいましいきりなんだろう』なんていやしないよ。」
 夜になるとすぐ、わたしたちは、いかだをおしだして、川のなかほどまででる。それからは、いかだまかせだ。どこへなりとながれのはこぶままにながされていくのだった。それから、タバコに火をつけ、足を川のなかにぶらさげたまま、いろいろなことを話しあうのである――わたしたちは、蚊《か》のいないときは、ひるも夜も、いつもはだかでいた――バックの家の人たちがつくってくれたあたらしい服は、りっぱすぎてきごこちがよくなかったし、それに、わたしは、どうも、服などあまり、ありがたがらないたちだった。
 ときによると、川の上には、長いあいだ、わたしたちのほかには、なにひとつ見えなくなることがあった。川のむこうには、岸があり、島が見えている。そんなとき、あかりが一つだけきらきらとひかっていることもある――小屋の窓にともっているろうそくの光だ。また、ときには、川の上に一つ二つあかりがきらめいていることもあった――いかだや平底船のあかりだ。そして、そのいかだや平底船の一つから、バイオリンや歌声がきこえてくることもある。いかだの上でくらすのは、じつにたのしいものだ。上には空があり、いちめんに星がちりばめられている。わたしたちは、いつもあおむけにねころんで、星を見あげながら、星がつくられたものか、ぐうぜんにできたものか、ということを論じあった。ジムは、つくられたものだといったが、わたしは、ぐうぜんにできたものだといって反対した。あんなにたくさん星をつくるには、とてもひまがかかりすぎると思ったからだ。ジムは、月が星をうんだにちがいないといいだした。なるほど、そういわれると、それはもっともらしく思われたので、わたしは、それには反対しなかった。かえるがほとんど星とおなじくらいたくさんのたまごをうんだのを見たことがあるので、月にも、もちろん、それぐらいのことができないはずはないと思ったからだ。わたしたちはまた、よくながれ星を見はっていて、それが尾をひいておちていくのを、ながめた。ジムは、あの星はくさったので、巣からほっぽりだされたのだといった。
 一晩のうちに一度か二度は、蒸気船が暗やみのなかを、すべるようにすすんでいくのにであった。汽船《きせん》は、ときおり、ひじょうにたくさんの火《ひ》の粉《こ》をえんとつからふきだした。火の粉が雨のように川にふりそそぐのは、なんともいえずうつくしかった。やがて、蒸気船は、まがりかどをまがっていって、そのあかりもまたたきながら見えなくなってしまい、機関の音もきこえなくなって、また、川はひっそりとなる。蒸気船が見えなくなってしばらくすると、いまの汽船がたてた波が、わたしたちのところに、やっと、とどいてきて、いかだをすこしゆりうごかすのだ。そのあとは、長い長いあいだ、なんのもの音もきこえてこない。どうかして、きこえてくるのは、かえるかなにかの声ぐらいのものだった。
 ま夜中をすぎると、陸の人たちは、寝床にはいってしまうので、それから二、三時間は、両岸ともまっ暗になり――小屋の窓にもあかりが一つも見えなくなる。このあかりが、わたしたちの時計だった――ふたたび見えはじめてくる、その最初のあかりが、わたしたちに、朝の近いことを知らせてくれた。そこで、わたしたちは、すぐに、かくし場所をさがして、いかだをつなぐのだ。
 ある朝、夜明けごろに、カヌーを一そうひろった。わたしは、それにのって、早瀬をのりきって、川岸にこぎよせた――その早瀬は、ほんの、二百ヤードばかりのものだった――それから、いとひばがしげっている森のなかをながれているクリークを一マイルばかりこぎのぼってみた。いちごがいくらかとれるかと思ったからである。ちょうど、ほんのほそい小道がクリークをよこぎっているところにさしかかると、ふたりの男が、全速力でその小道を走ってきた。わたしは、もうだめだとかんねんした。と、いうわけは、だれかがだれかをおいかけているのを見ると、わたしはいつでも、自分か、さもなければ、ジムがおいかけられているように思いこむくせがついていたからだ。わたしは、いそいでそこからにげだそうとした。しかし、彼らは、もう、すぐ近くまでせまっていた。そして、大声で、わたしにむかってたすけてくれとさけんだ――おれたちはなんにもしないのにおわれているんだ。人と犬がおいかけてくるんだ、というのだ。そして、そのまますぐに、わたしのカヌーにとびこもうとした。だが、わたしはいった。
「ここでのってはだめだよ。犬の声も馬の足音も、まだきこえやしないぞ。まだまがあるんだ。そのやぶをくぐりぬけて、すこしクリークをのぼっていくんだ。そして、そこからクリークへとびこんで、ここまで歩いてきてからのるがいい――そうすれば、犬に足あとをつけられる心配がなくなるじゃないか。」
 彼らは、わたしのいうとおりにした。わたしは、彼らをカヌーにのせるとすぐ、わたしたちの砂州にむかって、大いそぎでこぎだした。五分か十分たつと、人や犬のさけび声がとおくのほうからきこえてきた。彼らは、クリークのほうにやってきたようだったが、すがたは見えなかった。そこに立ちどまって、しばらく、うろついているようなけはいがしていた。わたしたちは、ぐんぐんとおのいてしまったので、じきに、もの音はほとんどききとれなくなった。そして、森を一マイルもではずれて、川にこぎでたときには、なにもかもしずかになっていた。わたしたちは、砂州にこぎわたり、はこやなぎのしげみのなかにかくれた。きけんをだっしたのだ。
 ふたりのうちのひとりは、七十歳あまりで、頭がはげあがり、ほおひげもまっ白になっていた。古いぼろぼろのつば広帽子をかぶり、油じみた、青い、毛のシャツをきていた。紺もめんのズボンは、これもぼろぼろで、そのすそを長ぐつにつっこみ、手製のズボンつりをしていたが、そのズボンつりも、片方しかなかった。彼らはまた、すべすべしたしんちゅうボタンのついた、すそ長の上着を片うでにひっかけていた。そして、ふたりとも、大きい、ふくれた、うすぎたない旅行かばんを持っていた。
 もうひとりの男は、三十歳ぐらいたったが、やはり老人とおなじように、いやしい身なりをしていた。わたしたちは、朝の食事のあと、やすみながら話しあったが、まず最初に、このふたりが知りあいでもなんでもないということがわかった。
「どうして、あんなめにあったのだい」と、はげ頭が、もうひとりの男にいった。
「うん、おれは、歯から歯くそをとるくすりを売っていたんだがね――そいつは、歯くそをとるかわり、たいてい、ほうろう質《しつ》もいっしょにとってしまうんだよ――ところが、おれは一晩長居をしすぎたんで、こっそりにげだそうとしていると、町のこっちがわのあの道で、あんたとばったりでっくわしたんだ。そしたらあんたが、おっかけられているんだから、うまくにげられるようにしてくれとたのむんで、おれは、おれもご同様さまなんだから、いっしょにずらかろうっていったというわけさ。話は、それだけなんだが――ところで、おまえさんのほうは、どうしたんだい。」
「うん。おれは、あそこで一週間ばかり、禁酒復興運動《きんしゅふっこううんどう》をやっていたのだ。そして、のんべえどもを、したたかやっつけたもんで、おとな子どもにかぎらず、女という女には、大もてだったのだ。一晩のあがりが、五、六ドルにもなったのさ――ひとり十セント、子どもと黒人は無料というわけでな――しごとは、一日ましに、はんじょうするばかりよ。ところが、どういうわけだが、おれが人目をかすめて、ひまつぶしに、こっそり酒をのんでいるという、うわさが、ゆうべのうちにひろまったってわけさ。けさになると、黒人がおれをおこして、いうんだ。村の人が犬をつれ、馬にのって、こっそりあつまっている。じきにやってくるにちがいない。みんなは、あんたを半時間ぐらいさきに出発させておいて、それからおいつめようとしているのだ。そして、つかまえたら、あんたのからだにコールタールをぬり、鳥の羽をはりっけ、それから、あんたを鉄ぼうにのせてかつぎまわろうとしている、と、そういうじゃねえか、おれは、朝めしなど待っていられなかった――はらはへっていなかったんだ。」
「な、じいさん」と、わかいほうがいった。「おれたちは、これから協力していこうじゃねえか、どうだい。」
「わるかあねえな。おめえの商売は、なんなんだ――だいたい?」
「わたりの印刷職工だよ。くすり売りもちょっとはするし、役者もやる――悲劇役者をね。ときと場所によれば、さいみん術や骨相学にも手をだすんだ。どうかすると、めさきをかえて、地理唱歌《ちりしょうか》をおしえることもあるぜ。それからときによっちゃ、講演もぶってのけるってわけさ――うん、いろいろなことをやるんだ――骨のおれるしごとでさえなきゃ、手あたりしだいなんでもやってのけるよ。あんたの商売はなんだい。」
「おれはな、わかいころには医者商売で、かなりうまくやってたものだ。手をあてて、おじないをするのがとくいでな――がん[#「がん」に傍点]でござれ、中風《ちゅうふう》でござれ、わるいところなら、なんでもござれだ。だれか、まえもってほんとうのことをおしえてくれるものさえありゃ、うらないだってそうとうにやれる。説教は、おてのものでな、野外布教をやってのけたり、伝道もして歩くよ。」
 しばらくのあいだ、だれひとり口をきくものがなかった。それから、わかいほうが、ため息をついて、いった。
「ああ。」
「なんだって、そんなにため息をつくんだ」と、はげ頭がきいた。
「これまで生きてきたあげくのはてに、こんなくらしをし、こんななかまになりさがったかと思うと。」そういって、彼は、ぼろで目がしらをぬぐいはしめた。
「この罰あたりめ、これでも、おめえには、もったいなすぎるほどのなかまじゃねえか。」と、はげ頭が、おっかぶせるようにずけずけとやりかえした。
「そうですとも。もったいないくらいですよ。わたしには、これでちょうどいいのです。いったいあんなに高い身分だったわたしを、だれが、こんなになりさがらせたのです? わたしが自分でやったことなのです。わたしは、あなたがたをとがめだてなどいたしません、みなさん――とんでもないことです。わたしは、だれも、とがめだてなどしません。わたしは、それだけのねうちがない人間なのです。このつめたい浮き世の風に思いきりふかれてみるがいいのです。たったひとつ、わたしが知っていることは――どこにか、わたしのためにも墓場があるということだけです。この世が、いまもむかしにかわることがなく、わたしから、いっさいのものをとりあげようと――愛するものも、財産もあらゆるものをとりあげようとも、墓場だけはとりあげることができません。いつかわたしは、墓のなかによこたわり、すべてをわすれ、そして、きずついたこのあわれなこころは、安息をえるでしょう。」
 彼は、なきながら、そうかたりつづけた。
「なに、きずついた、あわれなこころだって」と、はげ頭がいった。「じょうだんじゃねえ。なんだって、そんなものをおれたちにあてつけるんだ。おれたちは、おめえに、なにもしやしなかったじゃねえか。」
「そうです。なにもなさりはしませんでした。わたしは、あなたがたをとがめだてしているのじゃございませんよ、みなさん。わたしは、自分でおちぶれたのです――そうです。自分からおちぶれたのです。わたしがくるしむのは、あたりまえのことなのです――まったくあたりまえなんです――もうなき声などあげません。」
「だが、どこからおちぶれたのだな、どこで、おちぶれさせられたのだな?」
「ああ、あなたがたは、わたしを信じないでしょう。世間は、けっして信じないものです――そっとしておいてください――なんでもないことなんです。わたしの、誕生のひみつは――」
「誕生のひみつだって! おめえのいいてえのは、自分がなにか高い身分の――」
「みなさん」と、わかい男は、おもおもしくいった。「わたしは、あなたがたになら、うちあけましょう。あなたがたは、信頼できそうな人だから。わたしは、ほんとうなら公爵になるはずの人間だったのです。」
 ジムの目は、それをきいたとたんに、とびだした。わたしの目だって、とびだしたにちがいなかった。はげ頭がいった。
「まさか、おめえ、本気じゃあるめえな。」
「いいえ。わたしの曾祖父は、ブリッジウォーター公爵《こうしゃく》の長男だったのですが前世紀のすえに、この国ににげてきたのです。自由の、きよい空気をすうためです。彼は、この国で結婚し、ひとりのむすこをのこして死にましたが、ちょうどおなじころ、彼の父親もなくなったのです。ところが、その称号と財産を、二番めのむすこがよこどりしてしまったのです――赤ん坊の、ほんとうの公爵は、見むきもされなかったのです。わたしは、その赤ん坊の、正統の子孫なのです――わたしこそ、正統なブリッジウォーター公爵なのです。だが、わたしは、ごらんのとおり、よるべもなく、高い身分からひきずりおとされ、畜生のように人びとにおいたてられ、このつめたい世のなかからさげすまれ、ぼろをき、やつれはて、かなしみにくれ、しかも、いかだの上で、重罪人のなかまにまでなりさがっているのです!」
 ジムは、ひどく同情した。もちろん、わたしも同情した。わたしたちは、彼をなぐさめてやろうとした。ところが、彼は、そんなことをされても、あまり役にたたないし、たいしてなぐさめにはならないというのだ。そして公爵であるということをみとめてくれれば、それがなによりまんぞくだといった。そこでわたしたちは、みとめかたをおしえてくれれば、そのとおりするといった。すると、彼は、こういう注文をだした。自分に話しかけるときには、まず、おじぎをしてから、「閣下」とか、「わが君さま」とか、「御前《ごぜん》さま」とかよびかけなければいけない――もっとも、ただ「ブリッジウォーター」とよんでくれてもさしつかえはない。なぜかといえば、それは名まえではなくて、称号だからである。それからおまえたちのうちどっちかひとりは、食事のときにおれに給仕をするのはもちろん、どんなつまらないことでも、おれのいいつけどおりに用をたさなければいけない。と、そういうのだ。
 そんなことは、みんなぞうさもないことだったから、わたしたちは、そのとおりにしてやった。食事のあいだじゅう、ジムは、そばに立っていて、お給仕をしながらいった。「閣下、これを食べますだか、あれを食べますだか。」そうしてやっていると、彼は、いかにもうれしそうだった。
 ところが、まもなく、老人が、すっかりだまりこんでしまった――ろくろく口もきかないばかりか、わたしたちが、公爵をちやほやするのを見ると、ひどくうかない顔をするのだ。なにか考えているらしかった。そして、午後になると、いいだした。
「おい、ビルジウォーター、お気のどくさまだが、そんな苦労をしたのは、おめえひとりじゃねえぞ。」
「そうかな――?」
「そうだとも、おめえだけじゃねえよ。高い地位から、不当にひきずりおろされたのは、おめえひとりだけじゃねえぞ。」
「ほう!」
「そうだとも、誕生のひみつを持っているのは、おめえだけじゃねえんだ。」
 そういいながら、老人は、ほんとうになきだした。
「なくなよ。どうしたっていうんだね?」
「ビルジウォーター、おめえを信頼してもいいかね。」と、老人は、なおなきじゃくりながらいった。
「死んでも口をすべらしやしないよ。」彼は、老人の手をとり、つよくにぎりしめて、いった。
「あんたのひみつを、さあ、話してくれ。」
「ビルジウォーター、わしは、もとのフランス皇太子、ドーフィンなのだ。」
 じっさいこのときばかりは、ジムもわたしも、びっくりぎょうてんした。やがて、公爵がききなおした。
「あんたは、なんだって?」
「そうなんだ、おめえ、まったく、ほんとうのことなんだ――おめえの目は、いま、ゆくえ知れずになった、あの気のどくなドーフィン、つまり、ルイ十七世、あのルイ十六世とマリー=アントワネットのあいだにうまれたむすこをながめているのだ。」
「あんたが! そんな年をしてかい! とんでもねえ! あんたは、シャーレマン大帝だとでもいうつもりなんじゃねえのかい。どうすくなくみつもっても、あんたは、六、七百歳というところにちがいないぜ。」
「苦労のために、こんなにふけたのだ。ビルジウォーター、苦労のためにな。苦労のために、髪はこんなに白くなり、頭もこんなにはやくはげたのだ。そうだよ、おめえたち、おめえたちの目のまえに、紺もめんをき、みじめなかっこうをしているのは、国をおわれ、ふみにじられて、くるしみながらさまよい歩いている、血すじただしいフランス王なのだ。」
 彼は、ないて、ひどくなげきくるうので、わたしも、ジムもどうしたらいいか、わからなかった。彼が気のどくなのだ――と同時に、わたしたちは、彼のようにえらい人をいかだにのせているということが、とてもうれしくて、とくいだった。そこで、わたしたちは、それまで公爵にしてやったようにして、彼をなぐさめようとした。だが、彼は、そんなことをしてもらっても、なんの役にもたたない、死んで目をつぶってしまうほかにはすくわれる道はないのだ、といった。それでも、人びとが彼の権利にふさわしいとりあつかいをしてくれれば、しばらくはやすらかな気分になり、こころもちがおちつくことがある、といった。そして、それには、自分に話をするときは、片ひざをついて、いつでも「陛下」とよび、食事のときはまっさきにお給仕をして、自分のまえにいるかぎり、自分のゆるしがないうちはこしをおろさないようにしてもらいたい、といった。そこで、ジムとわたしは、彼を「陛下」とよぶことにして、彼のために、これだ、あれだ、なんだかんだとはたらいてやり、かけろといわれるまで立っていた。すると、彼は、すっかりまんぞくして、とてもきげんがよくなり、ゆかいそうになった。ところが、こんどは、公爵が老人にたいして、なんとなくふきげんになってきた。どうも、ことのなりゆきが気に入らないらしいのだ。それでも、王さまのほうは、公爵にいかにもしたしそうにふるまい、自分の父親は、公爵のひいおじいさんや、ビルジウォーターというほかの公爵たちがたいへん気に入っていて、よく宮殿にでいりさせていたものだ、などと話した。だが、公爵は、あいかわらず、むっとしているので、とうとうしまいに、王さまがいいだした。
「おれたちは、これからさき、ずいぶん長いあいだ、このいかだのごやっかいにならなきゃなるまいと思うんだがな、おい、ビルジウォーター、おめえのように、そう、ふくれっつらをしていたって、はじまらねえじゃねえか。そんなふうにしていたら、なにもかも、気まずくなるばっかりだ。おれが公爵にうまれなかったのは、おれのせいじゃねえし、おめえが王さまにうまれなかったのも、おめえのせいじゃねえんだ――だから、そんなに、くよくよしなくてもいいじゃねえか。世のなかのなりゆきにまかせて、できるだけうまくやっていくのさ――それが、おれの座右の銘なんだ。このいかだにめぐりあったのも、まんざらわるかあねえぞ――食いものはうんとあるし、のんきにしていられるしさ――さあ、握手しよう、公爵。そして、なかよくやっていこうじゃねえか。」
 公爵が握手をしたので、ジムもわたしも、すっかりよろこんだ。それで、気まずいことがなくなって、気持ちがとてもさっぱりした。いかだの上で敵意を持ちあっているなどということは、それがどんな敵意にしろ、やりきれないことだからである。そして、いかだの上でなによりたいせつなことは、だれでも安心していられ、おたがいにただしくしんせつにしあうことなのだ。
 このふたりが、王さまでもなければ、公爵でもなく、大うそつきで、しかも、いやしいペテン師で、いかさま師どもだということが、はっきりわたしにわかったのは、その後まもなくのことだった。だが、わたしは、そんなことはひとこともいわず、けっして色にもあらわさないで、そっと、こころのなかにしまっておいた。それが、いちばんいい方法なのだ。そうしておけば、けんかもはじまらないし、ごたごたもおこらないからである。彼らを王さまだとか公爵だとか、そうよんでやれば、このいかだの上の平和がたもたれるというなら、わたしは、彼らののぞみどおり、そうよんでやるのにいぞんがなかった。だが、そんなことは、ジムに話しても、なんの役にもたたないことだから、わたしは、ジムにはなにもおしえなかった。わたしは、おやじからほかになにひとつおしえられなかったとしても、ただひとつ、まなんだことがある。それは、こんなやつらといっしょにやっていくには、やつらのかってほうだいにさせておくよりしかたがないということだった。
           20 いんちきしごと
 彼らは、ずいぶんいろいろなことを、わたしたちにきいた。どうして、そんなふうにいかだを木でかくしてしまうのかとが、ひるま川をくだらないでやすんでいるのは、どうしたわけだとか――ジムはにげだしたどれいではないかとか、そんなことを知りたがった。わたしは、いった。
「おやおや、にげだしたどれいが、南へむかってにげますかね。」
 なるほど、南へはにげないだろう、と彼らはいった。わたしは、なんとかいいぬけをしなければならなくなった。そこで、わたしはこういった。
「ぼくも、そこでうまれたんですがね、ぼくんちは、ミズーリ州のいなか、パイクにすんでいたんです。ところが、みんな死んじまって、おやじと弟のアイクとぼくだけになったんです。それで、おやじは、家をたたんで、川下のベンおじさんとこへいって、世話になろうといいだしたんです。そのおじさんてのは、オーリンズの川下、四十四マイルのところに、ちいさな、馬一頭あればたがやせるような土地を持っているんです。おやじは、とてもびんぼうで、借金もすこしあったんでね、清算してみたら、たった十六ドルと、この黒人のジムしか、のこらなかったんですよ。それだけの金じゃ、最下等《さいかとう》の甲板船客になっていこうがどうしようが、とても、千四百マイルの旅には、たりっこありません。ところが、川の水かさがふえたとき、おやじは、ある日、うまいもんにぶつかったんです。ほら、このいかだをひろったんですよ。そこで、ぼくたちは、このいかだにのってオーリンズまでくだることになったんです。でもね、いつまでも、おやじの思わくどおりにはいかなかったんです。ある晩、いかだのはなへ、蒸気船をのっかけられたんです。そいで、みんな川んなかにとびこんで、汽船の水かき車の下へもぐったんです。ジムとぼくは、なんなくうかびあがりましたが、おやじはよっぱらってたし、アイクはまだ四つだったもんで、ふたりとも、もぐりっぱなしになっちまったんです。そいで、それから一日二日というもの、ぼくたち、とてもひどいめにあったんです、なぜって、よくだれか小舟でやってきて、こいつはにげだしたどれいにちがいないといって、ジムをつれていこうとするんだもんね。だから、もういまじゃ、ひるま川をくだることはやめにしてるんです。夜なら、そんな人たちに、うるさくいわれる心配ありませんからね。」
 公爵がいった。
「なんなら、おれにまかせてくれ、まっぴるま、いかだをやる方法をくふうするぜ。とっくり考えて――おれがひとつ、うまくいく方法を発明してやるよ。だが、きょうは、いままでどおりにしておこうや。いうまでもねえこったが、あの町のわきを、まっぴるま通りたくねえからな――そんなことをしたら、からだにもさわるというもんだ。」
 夜が近づくと、空がまっ黒くくもり、雨がきそうになってきた。ひくく、はるか地平線のほうで、音のない電光が、ぴかつ、ぴかっと、ひかりはじめた。木の葉が、ざわざわとふるえだした――だれの目にも、かなり天候がけんあくになってきたのがわかった。王さまと公爵は、寝床のぐあいを見るために、いかだの上の小屋をしらべにいった。わたしの寝床には、麦わらがしいてあった――ジムのよりましだった――ジムの寝床はとうもろこしの皮でできている。とうもろこしの皮のふとんのなかには、ところどころにまるいかたまりがあって、こいつがからだをつつくのでいたいのだ。そのうえ、かわいているとうもろこしの皮のふとんの上をころがると、まるでかれ葉の山をころがるような音がする。とてもガサガサいうので、そのため目がさめてしまうのだ。ところで、公爵はわたしのふとんにねるといいだした。だが、王さまは、そうはさせないといった。
「身分の上下からいってもだ、王さまであるおれが、とうもろこしの皮のふとんにねるって法がねえことは、おめえにだってわかりそうなものだ。閣下、おめえは、とうもろこしの皮のふとんにねるんだな。」
 ジムとわたしは、またふたりのあいだに、なにかもめごとがおこってはたいへんだと思って、ちょっとのあいだ、はらはらした。だから、公爵がつぎのようにいったときは、ほんとうにうれしかった。
「圧制という鉄のかかとで、いつも、どろのなかにふみにじられるのが、おれの運命なんだ。高慢だったこころも、不幸のために、もううちくだかれてしまった。おれは、ゆずるよ。あまんじてしたがうよ。これが、おれの運命なんだ。おれは、この世で、たったひとりぼっちなんだ――われをしてくるしましめよ、われ、それにたえん、だ。」
 わたしたちは、すっかり暗くなるとすぐにでかけた。王さまは、わたしたちに、いかだを川のまんなかにおしだして、町のずっと川下にくるまであかりをだすな、といった。まもなく、わずかばかりのあかりのかたまりが見えてきた――あの町だ――わたしたちは、こっそりと、そこから半マイルばかりぶじに通りぬけた。四分の三マイルばかりくだったとき、わたしたちは、めじるしのカンテラをかかげた。十時ごろになると、雨がふりだし、風がでて、かみなりが鳴り、いなずまがひかりだした。そのすごいことといったらなかった。王さまは、わたしたちに、あらしがやむまでふたりで見はりをしていろといいつけると、さっさと公爵とふたりで、小屋のなかにはいっていってねてしまった。十二時までは、わたしは見はり当番ではなかったが、たとえ寝床があったとしても、わたしはねなかったにちがいない。こんなすごいあらしは、めったにないからだ。風のさけび声のすさまじさ! そして、一、二秒ごとに、いなずまがひらめき、そのたびに、半マイル四方の白い波がしらを、ぱっとてらしだすのだ。そして、雨のむこうに、うすよごれたように島が見え、木という木が、風に打たれて、のたうちまわっているのが見えた。それから、ビリビリッ、ピシャッとかみなりがおちてきて――ゴロ! ゴロゴロン、ゴロン、ゴロ、ゴロ、ゴロと――そして、かみなりは、ゴロゴロ、ブツブツいいながら、とおくへいってしまう。やがてまた、ぴかりとひかって、また一つ、どえらいやつがおちてくるのだ。わたしは、ときどき波にさらわれそうになったが、なにひとつきていなかったので、平気だった。川底の立ち木の心配など、すこしもなかった。いなびかりが、ひっきりなしに、あたりをあちらこちらてらしだすので、わたしたちは、すぐにそれを見つけて、ゆうゆうと、いかだのはなさきを、こちらへむけたり、あちらへむけたりして、うまく、さけることができたのだ。
 わたしは、ま夜中の見はり番に立ったが、とてもねむくてたまらなかった。すると、ジムが、最初の半分だけかわって見はりをしてやるといってくれた。ジムは、いつもこんなふうにして、とてもわたしによくしてくれた。わたしは、小屋にはいりこんだ。だが、王さまと公爵が、足をのばし、ふんぞりかえってねているので、わたしのねる余地はなかった。だからわたしは、外にねた――あたたかいし、もう波もそう高くなくなっていたので、雨ぐらい平気だった。二時ごろ、また波がでだしたので、ジムはわたしをおこそうとしたが、考えなおした。あぶないほど波が高くならないと思ったからだ。ところが、それは、ジムの思いちがいだった。まもなく、どえらい波が、いきなりおしよせてきた。そして、わたしは、波にさらわれて、いかだからおちた。すると、ジムのやつ、おかしかって、死ぬほどわらった。ともかく、ジムは、とんでもないわらいじょうごの黒人だった。
 わたしが見はりに立つと、ジムは、よこになって、いびきをかきはじめた。まもなく、あらしは、すっかりやんだ。わたしは、陸の小屋に最初のあかりがひかりだしたのを見つけると、すぐジムをおこした。その日のかくれ場所にそっとすべりこませた。
 朝めしのあと、王さまは、うすぎたないトランプをだしてきて、ひと勝負五セットのかけて、しばらく公爵とセブン=アップ(トランプあそびの一種)をしていた。やがて、それにあきると、彼らは、彼らのことばどおりにいえば「戦争の計画をたてる」といいだした。公爵は、旅行かばんのなかをしらべ、印刷したちいさなビラをたくさんだして、大声で、それをよんだ。一つのビラには、「パリの有名なアールマン=ド=モンタルバン博士」は、××の場所で、×月×日にと、場所や日づけのところをあけて、入場料十セントで、「骨相学の講義」をおこなう。かつ、「骨相図《こっそうず》は一まい二十五セントでおわけする」とかいてあった。公爵は、博士というのは自分のことだといった。もう一まいのビラでは、公爵は、有名な世界的シェークスピア劇の悲劇役者、ロンドンのドルーリー=レイン劇場づき、二代目ギャリックになりすましていた。またほかのビラによると、彼は、たくさんの名まえを持っており、「魔法のつえ」で井戸水や金鉱のありかを発見するとか、「魔女の呪文をとく」とか、そのほかにも、いろいろとふしぎなことをやることになっていた。まもなく、彼はいった。
「ところでね、演劇ときたひにゃ、おれはこたえられねえんだ。あんたは舞台をふんだことがあるかい、王さま。」
「ねえよ。」
「そいじゃ、三日とたたねえうちに、ふませてあげるぜ、なあ、おちぶれ王さま」と、公爵はいった。「ぐあいのよさそうな町にでっくわしたらすぐ、芝居小屋をかりて、『リチャード三世』のちゃんばらと『ロミオとジュリエット』の露台《ろだい》の場をやろうぜ。あんたの考えは、どうだい。」
「もうかるしごとなら、なんだって、とことんまでやるよ、ビルジウォーター。だがな、おめえ、おれは、たちまわりをまるっきり知らねえし、あんまり芝居を見たこともねえんだ。おやじが、宮殿でよく芝居をやらせていたころは、おれは、まだちいさすぎたってわけさ。おめえは、おれにおしえられるかい。」
「ぞうさもねえこった!」
「よしきた。おれは、なにかめあたらしいことがしたくって、たまらねえところだったんだ。すぐにはじめようじゃねえか。」
 そこで、公爵は、ロミオとはどんな人物か、またジュリエットとはどんな人かということを、すっかり王さまに話してきかせてから、おれはいつもロミオをやってたんだから、王さまはジュリエットになれ、といった。
「だが、ジュリエットが、そんなわけえ娘っこなら、公爵、おれの、このはげ頭と白いほおひげが、おかしなものに見えやしねえかな。」
「そんな心配はいらねえよ。こんないなかのたごさくどもは、そんなことに気がつきやしねえんだ。そればかりか、あんたは衣装をつけるんだぜ。まるっきり見ちがえるようになるよ。ジュリエットは、ねるまえに、バルコニーにでて、うっとり月光をながめている。彼女は、ねまきをきて、ひだつき帽子をかぶっているってことになるんだ。これがいろんな役わりの衣装さ。」
 彼は、窓かけ用のキャラコでつくった衣装を、二つ三つだして、これがリチャード三世がきる中世のよろいと、そのおいて役がきる衣装だといった。それから、長い白もめんのねまきと、そろいのひだつき帽子をとりだした。王さまは、なっとくした。そこで、公爵は、本をとりだして、ふたりの役わりのせりふを、ひどく大げさなよみかたで朗読した。よみながら、役やくのしぐさをしめすために、彼はおどりまわったり、あばれまわったりした。それから、彼は、その本を王さまにわたして、自分のせりふを暗記しろといった。
 川のまがりかどをまがって、三マイルばかりくだると、馬が一頭しかいないようなちいさな町があった。ひるのめしのあと、公爵は、ひるまいかだをだしても、ジムの身にきけんのない方法を思いついたから、あの町へいって、その手配をしてこよう、といった。王さまも、自分もいってなにかうまいしごとがやれるかどうか、あたってみてこようといいだした。コーヒーがなくなっていたので、ジムは、あんたもあの人たちといっしょにカヌーにのっていって、コーヒーを買ってきてくれ、とわたしにいった。
 町にいくと、歩いているものなど、ひとりもいなかった。往来は、からっぽなのだ。まるで、日曜日のように、ひっそりかんとしずまっているのだ。わたしたちは、うら庭で日なたぼっこをしている、病気の黒人を見つけた。その黒人の話によると、ごくおさない子どもや、病人や、ひどい年よりのほかは、みんな、二マイルばかり森のおくの、野外集会にいっているということだった。王さまはその方向や道順をきいてから、おれは、その野外集会にでかけていって、のるかそるか、ひとつあたってみてこよう、といった。そして、わたしにもついてこいといった。
 公爵は、おれのさがしているのは印刷屋だ、といった。わたしたちは、やっとのことで印刷屋をさがしだした。それは、大工のしごと場の二階にある、ちっぽけな店で――大工も印刷屋も、みんな野外集会にでかけていってしまっていた。錠は、どの戸にもかかっていなかった。へやは、うすぎたなく、ちらかっていて、インクのしみあとだらけだった。かべには、馬だとか、にげだした黒人をすったビラが、いちめんにはってあった。公爵は、上着をぬぎすてて、さあ、これでよし、といった。そこで、わたしと王さまは、いそいで野外集会にむかった。
 わたしたちは、三十分ばかりで、そこについたが、ひどくあつい日だったので、ぐっしょり汗をかいていた。集会場は、そのあたり二十マイルぐらいのところからあつまってきた、千人近くの人びとでうずまっていた。森には、どこにもかしこにも、二頭だてや四頭だての四輪馬車が、いっぱいつないであった。馬どもはかいばおけに首をつっこんで食いながら、足をふんで、あぶやはえをおっていた。木の枝で屋根をふいた、ほそい丸太でつくったかけ小屋が、いくつもたっていて、レモン水や、しょうがパンを売っていた。すいかとか青とうもろこしとか、そういうものが、うず高くつんであった。
 説教がおこなわれている、いくつかの小屋もおなじようなかけ小屋であったが、このほうはずっと大きくて、人びとがぎっしりつまっていた。こしかけは、丸太の背板でできていた。まるみのあるほうにあなをあけて、ぼうをつきさして、足にしてあった。よりかかりはなかった。説教師は、小屋のいっぽうのはずれにある高い壇の上に立っていた。女たちは、日よけ帽子をかぶっていた。そして、あつぼったいもめんの上着をきているものもあれば、たてよこじまのもめんの上着をきているものもあった。わかい女たちのなん人かは、キャラコの上着をきていた。わかい男たちのうちには、はだしのままの人もいた。いく人かの子どもたちは、服をきないでくず糸織りのリンネルのシャツ一まいだった。また、年よりたちのうちには、あみものをしているものがいるかと思うと、こそこそ娘たちをくどいているわかものたちもあった。
 最初にわたしたちがはいっていった小屋では、説教師が、賛美歌をひろいよみしていた。彼が二行よむと、人びとがそれをうたった。それをきくとなんとなくこころがふるいたってくる。おおぜいの人びとが、みんなで、感情をかきたてるような声でうたうからだ。それからまた、彼が二行よみ、人びとがまたそれをうたった――そして、それがつづけられていった。人びとは、いよいよ熱をおびてきて、歌声もだんだん高くなっていった。おわりに近づくと、あるものは、うめきはじめた、さけびだすものもあった。それから、説教師は、説教をはじめたが、とても熱心にやりだした。しじゅう手とからだをうごかして身ぶりをし、演壇を右へいったり、左にきたり、のめるようにからだをまえへつきだしたりしながら、せいいっぱいの声をしぼりだして、さけぶようにして話しているのだ。そして、ときどき、聖書を高くさしあげて、それをひろげ、あちこちへつきつけるようにして、さけぶのだ。「これぞ、荒野における銅のへびなり。これをあおぎみて、生きよ!」するとそのたびに、人びとも、「神に栄光あれ、アーメン」とさけんだ。説教は、そんなふうにしてつづけられ、人びとは、うめき、さけび、そして、アーメンというのである。
「おお、くいあらためるものは、この席にきたれ!(アーメン!)きたれ、罪にけがれたるものよ!(アーメン!)きたれ、やめるもの、いためるものよ!(アーメン!)きたれ、足なえたるもの、めしいたるものよ!(アーメン!)きたれ、まずしきもの、困窮せるもの、はじおおきものよ!(アーメン!)きたれ、つかれはてたるもの、けがれたるもの、くるしめるものはみな! ――うちひしがれたるたましいもてきたれ! くいなやめるこころもてきたれ! なんじら、ぼろと罪とけがれを、まといたるままにきたれ! きよめの水は、おしみなくあたえられん、天国のとびらは、ひらかれてあり――おお、なかにはいりて、いこえ!」(アーメン! 神に栄光《えいこう》あれ、エホバに栄光あれ!)
 説教は、そのようにしてすすんでいった。だが、人びとのさけび声となき声のために、説教師がなにをいっているのか、もうききとれなかった。聴衆のあちらからもこちらからも、人びとが立ちあがって、ただもう力ずくで、むりやり、くいあらためるものの席にすすんでいった。彼らの顔には、なみだがながれていた。そして、くいあらためるものたちが、みんないちばんまえの席にでると、彼らは、うたいさけび、それからわらの上にからだをなげだした。そのありさまといったら、まるで気がくるったようだった。
 ところで、わたしは、すぐ気がついたのだが、王さまが、まえへまえへとすすんでいきながら、だれよりも大きな声でどなっているのだ。そして、ぐんぐん演壇にあがっていくと、説教師が、なにかこの人たちに話をしてくれと、王さまにたのんだ。すると、王さまは、話しだした。王さまはまず、自分は海賊だった、と人びとに話した――インド洋で、三十年以上も海賊をしていたのだ――だが、この春のたたかいで、なかまの数がかなりへってしまったので、いま、あらてをつくるために、国にかえっているのである。ところが、ありがたいことに、ゆうべどろぼうにおそわれて、一文なしになって蒸気船から陸にあげられた。だが、それでよかったのだ。自分は、こんなうれしいめに、これまであったことがないからである。自分は、もう、まったくべつな人間になりかわって、いま、うまれてはじめて幸福をあじわっているのだ。それで、自分はびんぼうではあるが、これからすぐたって、どんな苦労をしてでもインド洋にもどり、海賊たちをまともな道にたちかえらせるために、自分の余生を使いたい。というわけは、自分は、あの大洋にいる海賊どもをみんな知っているから、そのしごとに、自分よりうってつけの人間はないからだ。一文なしでインド洋までいくには、ずいぶん長いあいだかかるかもしれないが、なんとかして、インド洋までもどっていき、そして、海賊をひとりときふせるたびに自分は、こういうつもりだ。「おれにかんしゃするな。おれをほめないでくれ。なにもかもみんな、ポークビルの野外集会の、あのなつかしい人たちのおかげなのだ。あの人たちは、りっぱな兄弟で、人類の恩恵者なのだ。それから、あの親愛なる説教師、あの人は、またとない、海賊のまことの友だちなのだ。」
 そういうと、王さまは、わっとなきだしたので、人びともないた。それから、だれかがさけんだ。「彼のために、喜捨をつのってやれ、喜捨をつのれ。」すると、六人ばかりとびだしていって、金をあつめはじめたが、だれかがどなった。「帽子を持って、彼に、自分でまわらせろ。」そうすると、みんな、そうさせろといった。説教師も、そうしろといった。そこで、王さまは、目をぬぐいながら、帽子を持って、会衆のなかを歩きまわった。そして、歩きながら、人びとを祝福したり、ほめたたえたり、あんなインド洋のようなとおくにいる海賊どものために、こんなによくしてくださってありがたいことだ、とお礼をいった。
 かれんな娘たちは、なみだをながしながら、あなたを記念するために、キスをさせてくださいますか、と、あとからあとからとでていって、もうしこんだ。そのたびに、王さまは、キスをした。ぎゅっとだきしめて、五回も六回らキスされている娘もあった――おまけに、王さまは、一週間うちにとまってくれとたのまれた。しかも、だれもかれもが、王さまを自分の家にとめたがっており、彼らは、とまってもらえば名誉だと思うといった。だが、王さまは、きょうは野外集会のさいごの日だから、おことばにそうことができない、そのうえ自分は、大いそぎですぐインド洋にいって、海賊どもをときふせなければならないのだから、といった。
 いかだにもどってから、王さまがかんじょうしてみると、かきあつめた金は、ぜんぶで八十七ドル七十五セントあった。このほかにも、かえり道に森のなかを通りかかったとき、荷馬車の下にある三ガロン入りのウイスキーのびんを見つけて、せしめてきていた。王さまは、これまで伝道もずいぶんやったが、きょうぐらいもうかった日はない、といった。それから、野外集会のやつらをうごかすには、海賊談にかざる、異教徒の話など、くらべものにならないといった。
 公爵は、王さまがかえってきてじまん話をするまでは、自分では、とてもうまいしごとをやったつもりでいたのであったが、その話をきいてからは、それほど思わなくなった。彼は、あの印刷屋で、活字を組んで、百姓のために二つのちょっとしたしごとをしてきたのだ――それは馬のビラだった――料金は、四ドルとった。それから、新聞広告の料金もとってきた。広告料は十ドルかかるのだが、前金ではらうならば、四ドルでのせてやるといって――そして、彼らから前金で四ドルもらってきたのだ。また、この新聞のこうどく料は、一年二ドルであったが、前金で予約するなら年半ドルにしてやることにして、予約を三つ三部とってきた。彼らは、れいによって、その代金をまきやたまねぎではらいたかったが、彼は、店を買ったばかりなので、できるだけねだんをさげているのだから、現金でもらいたいといって、それも現金でもらってきた。彼はまた、自分で考えだした一編の詩を活字に組んでのこしてきた――三節からなる詩で――あまくかなしい――「しかり、うちくだけ、つめたき世よ、このきずつけるこころを」という題の詩で――彼は、それをすっかり組みあげて、新聞にすれるばかりにしておいてきた。しかも、彼はそれにたいして一セントの報酬も要求しなかったのである。そんなわけで、彼は、九ドル半もうけてきたので、一日のしごととしては、かなりうまいしごとをしてきたといったのだ。
 それから、彼は、自分で印刷してきたもうひとつのちいさなしごとを見せた。それは、わたしたちのためにすってきたものだから、代金を請求しなかった。にげだした黒人のビラで、その黒人は、つつみをぼうのさきにくくりつけて、かついでおり、その下に「賞金二百ドル」とすってあった。文面は、ぜんぶジムのことで、ことこまかにその人相がかきつけてあった。そして、この黒人は、去年の冬、ニューオーリンズの川下四十マイルのところにあるセント=ジャックスの農場からにげだしたもので、北方にいったらしい、つかまえておくりとどけてくれた人には、上記の賞金とその費用をさしあげる、とかいてある。
「これで」と、公爵はいった。「今夜がすぎりゃ、おれたちさえその気なら、ひるまだって川をくだれるんだぜ。だれかやってきたら、ジムの手足を綱でしばって、小屋のなかにころがしておきゃいいんだ。そして、このビラを見せて、いうんだよ、川上でこいつをつかまえたんだが、おれたちはびんぼうで蒸気船にのる金がなかったから、かけ売りで、友だちからこのちいさないかだを買って、これから賞金をもらいにいくところだ、とね。手錠やくさりをつけたら、なおいっそう、ジムににあうかもしれねえが、そいじゃおれたちがびんぼうだという話と、つりあいがとれなくなるよ。そんなものつけたら、よすぎて、宝石をつけたみたいなもんじゃねえか、綱がちょうどいいんだよ――おれたちは、統一を持たなきゃならないんだ、よく舞台でいうようにさ。」
 わたしたちは、みんな、公爵はなかなか頭がいいといった。そのようにすれば、ひるまくだっても、めんどうなことがおこる気づかいはないのだ。わたしたちはまた、公爵が印刷屋でやってきたしごとのために、あのちいさな町にひとさわぎおこるにちがいないと考えた。しかし、今夜のうちには、町の人たちの手のとどかないところまでにげのびられるだろうと思った。わたしたちさえその気になれば、夜ひるとわず、どんどんくだっていけるのだ。
 わたしたちは、かくれたまま、じっとしずかにしていた。十時ごろまで、いかだをおしださなかったが、それからまもなく、町のずっと沖《おき》を、こっそり通りすぎた。そして町がすっかり見えなくなるまで、カンテラをかかげなかった。
 朝の四時に、ジムが、見はりに立ってくれといって、わたしをよんだ。そのとき、ジムはいった。
「ハックさん、あんたは、この旅で、おらあたちが、もっとたくさんの王さまとあうと思うだかね!」
「ううん」と、わたしはいった。「もうであわないと思うよ。」
「そうだかね。そいじゃ、いいだよ。おらあ、ひとりかふたりの王さまなら、かまわねえだが、でも、これでもうたくさんだよ。この王さまは、とんでもねえのんだくれだし、公爵だって、にたりよったりだだ。」
 わたしは、このときわかったのだが、ジムは、フランス語とはどういうものかききたいから、フランス語を話してみせてくれと王さまにたのんだということだ。だが、王さまは、この国にきてからなん十年にもなるし、そのうえひどい苦労ばかりしてきたので、フランス語をわすれてしまったといったというのだ。
           21 よっぱらい、銃殺さる
 もう太陽はのぼっていたが、わたしたちは、どんどんくだりつづけて、いかだをつながなかった。そのうち王さまと公爵が、赤い顔をして、おきだしてきた。だが、川にとびこんで、ひとおよぎすると、ふたりとも、とてもげんきがよくなった。朝の食事がすむと、王さまは、いかだのすみにこしをおろして、長ぐつをぬぎ、ズボンをまくりあげて、両足を川にひたし、気持ちよさそうに、ぶらぶらさせながら、パイプに火をつけて、『ロミオとジュリエット』の暗記をはじめた。そして、かなりよくおぼえてから、王さまと公爵は、いっしょにけいこをはじめた。公爵は、ひとことずつ、せりふのいいかたを、くりかえしておしえなければならなかった。そのうえ、王さまに、ため息をつかせたり、むねに手をあてさせたりしなければならなかった。そして、しばらくたってから、なかなかうまくできたといった。
「ただ」と公爵がいった。「あんた、雄牛のような大声で、ロミオーというんじゃねえぜ――あまったるく、しかも、こいこがれ、思いなやんでいるように、ローオーオーミオーと、こういわなきゃだめだよ。ここが、かんじんなんだ。ジュリエットは、ほんとにかわいらしい、ねんねのような娘なんだから、けっして、雄ろばのような耳ざわりな声をだしゃしねえよ。」
 さて、つぎに、ふたりは、公爵がかし[#「かし」に傍点]の木ずりでつくった二本の長い剣《けん》を持ちだして、剣劇《けんげき》のけいこをやりだした――公爵は、おれはリチャード三世だといった。ふたりが剣を打ちあいながら、いかだの上をとびまわるありさまは、じつにみごとだった。だが、まもなく、王さまは、けつまずいて、川のなかにおちこんだ。そこで、ふたりは、ひとやすみしながら、彼らが、これまでに川すじでやってきた、いろいろな冒険を話しはじめた。
 ひるめしのあとで、公爵がいった。
「ね、王さま、おれたちは、とびっきりうまい芝居をやろうじゃないか。だから、おれは、もうすこし、つけたしをしたいんだ。とにかく、ちょっとしたものでいいから、なにか、アンコールにこたえるものがあったほうがいいからな。」
「オ[#「オ」に傍点]ンコールって、なんだい、ビルジウォーター?」
 公爵は、その説明をしてやり、それからいった。
「おれは、ハイランド=フリングか水夫のホーンパイプをやって、アンコールにこたえるが、あんたは――そうさね、はてと――おお、そうだ――あんたなら、ハムレットの独白がやれるよ。」
ハムレットのなにをだって?」
「あのそら、ハムレットの独白をさ、シェークスピアのなかでも、いちばん有名なやつだよ。そりゃ、壮厳なものだぜ。壮厳な! いつだって、大むこうにうけるんだ。この本にはでていないし――本はこれ一さつしか持っていないが――だが、おれは、なんとか思いだせると思うんだがな、ちょっと歩きまわりながら、思いだせるかどうか、やってみるよ。」
 そこで、公爵は、いかだの上をいったりきたりしながら、考えにしずみ、ときどきおそろしく顔をしかめた。それから、まゆ毛をつりあげた。つぎには、片手でぎゅっとひたいをおさえて、よろよろとうしろによろめきながら、うめくような声をだした。それから、ため息をつき、さらにまた、なみだをなかすような身ぶりをした。その身ぶりは、水ぎわだって、みごとだった。やがて、公爵は、思いだした。彼は、さあ、しっかりきいていろよ、といった。そして、いかにも身分の高い人のようなようすをした。片足をまえにつきだし、両うでを高くのばし、頭をぐっとそらせて空を見あげたのだ。それから、しゃにむにあれくるい、歯ぎしりをやりだした。そしてそのあと、せりふをいっているあいだじゅう、彼は、うなり、両手をひろげ、むねをはりながら、わたしがこれまでに見たどんな演技より、じょうずにやってのけた。つぎにかくのが、そのせりふである――彼が王さまにおしえているあいだに、わたしは、ぞうさもなくおぼえてしまったのだ。
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ながらえるか、ながらえぬか。それがぬき身の短剣じゃ。
これあればこそ、長き浮き世にくるしみがたえぬのじゃ。
たれか、この浮き世の重荷をしのびおろうぞ、バーナムの森がダンシネーンによせきたるまで。
もし死後のあやぶみが、
大自然の二の膳ともいうべき
けがれなき安きねむりをころすことなく、
かつはまた、知らぬ運命におもむかんよりはと
残忍なる運命の矢玉を投げさすることなくば。
われらがためろうは、ただそのためじゃ。
なんじ、戸をたたいてダンカンを起こせ!
われ、なんじがしかなすをねがうぞ。
たれかしのびおろうぞ、世のはずかしめやあなどりを。
虐主の非道や、おごるやつばらのおうへいや、
長びく裁判のもどかしさや、また、あのおごそかな黒布につつまれた暗い墓穴が
口をあけて待つま夜中のもだえ死にを。
かつて、ひとりの旅人もかえってこぬ、まだ見ぬ国が、うつせみの世におじけをつたえ、かくして決心のほんらいの色は、ことわざの小ねこのごとく、
うれいのためにやせほそり、
また屋根の上ひくくたれこめたまよいの雲もことごとく、
これがために道をそれ、はては、実行という名をうしなうにいたることなくば。
死は、ねごうてもなき大終焉じゃ。だが待てよ、うつくしきオフェーリア。
そのおもき大理石のおとがいをひらかず。
尼寺へゆきや、尼寺へ!
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 ところで、王さまは、このせりふが気に入ったものだから、またたくうちに、すばらしくじょうずにやれるようになった。王さまは、じつに、このせりふをやるためにうまれてきたかのようにさえ思われた。いざやりはじめ、あぶらがのってくると、王さまは、はねまわったり、わめきたてたり、おどりあがったりしたが、そのうまいことといったらなかった。
 公爵は、最初にでっくわした、あの機会に、芝居のビラをすってきていた。で、それから二、三日、ながれていくあいだ、いかだの上は、すごく活気づいていた。と、いうわけは――公爵がいうように一やすみなしに剣劇とせりふの練習ばかりしていたからだ。ある朝、アーカソンー(アーカンサス州をなまってよんだもの)のかなり南部をくだっていると、川の大きなまがりかどに、馬が一|頭《とう》しかいないようなちいさな町が見えてきた。そこで、わたしたちは、その町の四分の三マイルばかり川上の、糸杉の木がおおいかぶさって、トンネルのようになっているクリークの入り口に、いかだをつないだ。そして、ジムだけそこにのこして、カヌーにのって川をくだり、その町で芝居をやれるかどうかしらべにいった。
 わたしたちは、思いもかけず、運のいいところにぶっかった。この日の午後、その町にサーカスがかかることになっていたので、いろいろなかたちの古いがた馬車や馬にのって、いなかの人びとが、もうやってきていたのだ。サーカスは、夜にならないうちに町をさるらしいから、わたしたちの芝居は、うまくいくにちがいなかった。公爵は、地主の大きな屋敷をかりた。わたしたちは、そちこち歩きまわって、ビラをはった。ビラには、こうかいてあった。
[#ここから2字下げ]
シェークスピア劇復興!!
すばらしきだしもの!
今夜かぎり!
有名な世界的悲劇役者たち
ロンドンはドルーリー=レイン座、座つき俳優 二代目デイビッド=ギャリックおよびロンドン市ピカデリー街、プディング=レイン小路所在の王立ヘイマーケット座および王立大陸諸座、座っき俳優 初代エドマンド=キーンの二大悲劇俳優出演だしものは、シェークスピア劇『ロミオとジュリエット』の露台の場!!
ロミオ…………ギャリック氏
ジュリエット………キーン氏
一座総出《そうで》の熱演《ねつえん》!
衣装 背景 諸道具、新調きばつ
また、『リチャード三世』ちゅうの血わき肉おどるはなばなしい剣劇
リチャード三世…………ギャリック氏
リッチモンド…………キーン氏
また、ハムレットの不朽《ふきゅう》の独白《どくはく》!!
名高きキーン氏 出演す!
同優はパリにて連続三百日間続演せり!
当地興行は今夜かぎりヨーロッパ巡業の期日せっぱくのため!
入場料二十五セント。ただし召使およびお子さま衆は十セント。
[#ここで字下げ終わり]
 ビラをはりおわってから、わたしたちは、ぶらぶらと町のなかを歩きまわってみた。店も家も、たいていみな、いまにもこわれそうな、ひからびた、古い木造家屋で、ペンキをぬったことなど一度もないしろものばかりだった。そして、家には足をつけて、地面から三、四フィートあげてあった。川の水があふれたとき、水びたしにならないためだ。家いえのまわりには、ちいさな庭があった。しかし、それらの庭には、白い花のあさがおや、ひまわり、灰の山、古くなってちぢくれた長ぐつと短ぐつ、それから、いくつかのあきびん、ぼろくず、役にたたなくなった金もの類のほか、これというものがそだてられていなかった。板べいには、そのときそのときに打ちつけたらしい、いろいろちがった板が打ちつけてあった。しかも、そのへいはあっちにかたむいたり、こっちにまがったりしていた。門にはたいていちょうつがいが、片方しかなかった――それも、皮のちょうつがいだった。いくつか、白いしっくいをぬったへいもあったが、公爵は、あれはコロンブスの時代にぬったんだぜ、きっとな、といった。庭のなかには、たいていぶたがいて、人がそれをおいだそうとしていた。
 店という店は、みな、一つの通りにならんでいた。店のまえには、手製の白い日よけがかけてあって、いなかからでてきた人びとは、その日よけのぼうに馬をつないでいた。日よけの下には、織りもののあきばこがあった。のらくらものどもは、一日じゅう、そのあきばこの上にどっかりとかまえこんで、ジャックナイフではこをわっていた。そして、かみタバコをかみながら、大きな口をあけてあくびをしたり、のびをしたりしている――まったくいやしいやつらだ。彼らは、たいてい、こうもりぐらいの大きさの黄色い麦わら帽子をかぶっていたが、上着もチョッキもきていなかった。ビルだとか、バックだとか、ハンクだとか、ジョーだとか、アンディだとかよびあっては、たいぎそうに、のろのろと話しあっている。そして、ずいぶん口ぎたないことばを使っていた。日よけのぼうというぼうには、のらくらものどもが、ひとりずつよりかかって、たいていズボンのポケットに両手をつっこんでいた。そして、ひとかみのタバコをかしたり、かゆいところをかいたりするときのほかは、ポケットから手をだそうとしなかった。彼らのあいだから、
「タバコをひとかみくんねえよ、ハンク。」と、いうことばが、しじゅうきこえてきた。
「やれねえ、あとひとかみしかねえんだ。ビルにたのんでみろよ。」
 ビルは、ひとかみのタバコを、彼にくれるかもしれないが、また、うそをついて、ひとかみもないというかもしれないのだ。こういうのらくらもののなかには、一セントはおろか、ひとかみのタバコも持っていないものがいるのである。彼らが、かんでいるのは、みんななかまからかりたやつだ。彼らは、なかまにいうのだ。「ひとかみかしてくんねえよ、ジャック。おれ、ひとかみ持ってたんだけどな、さっき、ベン=トンプソンに、そのさいごのひとかみをやってしまったんだ。」――それは、たいていうそなのである。よその人間なら、ほんとうにするかもしれないが、ジャックは、よその人間ではない。だから、彼は、いう。
「おめえ、あいつにひとかみやったって? ちぇっ、うそつけ。それよりいままでかしたぶんをかえせよ、レーフ=バックナー、そうしたら、おれ、おめえに一トンも二トンもかしてやらあ。そして、かえせなどといやしねえぜ。」
「そうさな。おれ、いつだったか、すこしかえしたがな。」
「うん、かえしたよ――六かみばかりな。店で売っているじょうとうのタバコをかしてやったのに、ろくでもないかみタバコでよ。」
 店で売っているタバコは、ひらべったい、黒い板タバコなのだが、こういうれんじゅうときたら、たいてい、なんの加工もしてない葉を、ひねってかんでいるのである。ひとかみかりるときには、ナイフなどできらないで、口のなかに入れて、力いっぱい手でひっぱって、二つに食いちぎるのだ。だから、ときによると、あらかた、かみちぎられるので、かしたほうが、かえされたタバコをうらめしげにながめて、あてこすりをいうのだ。
「おい、そのかんでるほうをかえしてくれよ、こっちののこりをやるからさ。」
 往来も小道も、みんな、どろんこだった。どろ、そのものだ――しかも、タールのようにまっ黒などろで、ところによっては、一フィートぐらいふかくなっており、どこへいったって、二、三インチぐらいぬかっていた。そして、ぶたどもがどこにもかしこにも、うろうろ歩きまわって、ブウブウうなっていた。どろんこになっためすぶたが、ひとはらの子ぶたと、のろのろ往来をやってきたと思うと、そのめすぶたが、いきなり往来にねることがあるので、人びとは、よけて通らなければならなかった。だが、めすぶたは、からだをながながとのばし、目をとじて、耳たぶをゆっくりうごかしながら、子ぶたに乳をのませている。そのようすといったら、月給でくらしている人のようにしあわせそうだった。まもなく、のらくらもののさけび声がきこえてくる。「そら! ティージ、あいつをやっつけろ。うしっ、うしっ!」すると、めすぶたは、ぞっとするような鳴き声をたてながら、にげていく。その両耳には、一、二ひきの犬がくいさかってぶらんぶらんゆれているのだ。と思うと、三、四ダースの犬どもがあつまってくる。のらくらものどもは、みんな立ちあがって、それが見えなくなるまで見おくって、おもしろそうにわらっている。そのさわぎがいかにもありがたい、というようすである。それから、彼らは、もとのようにしずまりかえる。そして、犬のけんかがはじまるまでじっとしていた。この犬のけんかぐらい、のらくらものどもが、むちゅうになって、うれしがるものはなかった――もっとも、のら犬のしっぽにテレビン油をかけて火をつけるか、ブリキのなべをむすびつけて、犬がかけて、かけて、かけ死にするまで、かけまわらせるのは、ただの犬のけんかよりもっとすきだった。
 川べりには、岸から川の土にでっぱっている家が、なんげんかあったが、それらの家いえは、もうおじぎをしていて、いまにも川のなかへのめりこみそうになっていた。こういう家には、人はすんでいなかった。片すみの土台下が、えぐりとられている家もあった。そして、その片すみは、川の上にぶらさがっている。こういう家には、まだ人がすんでいたが、あぶないことだ。土地がほそ長く、家ぐらいのはばで、いちじにくずれおちることがあるからだ。帯のようにほそ長く、川岸がゆるぎだしたかと思うと、くずれつづけて、ひと夏のうちに、四分の一マイルもおくまでくずれおちてしまうことさえあった。だから、このような町は、たえまなく、おくへおくへとうつっていかなければならない。
 この日、ひる近くになるにしたがって、往来は、馬車や馬でうずまり、しかも、ひっきりなしに、それがふえてくるいっぽうだった。家族づれで、べんとうを持っていなかからでてきた人びとは、馬車の上でべんとうを食べていた。ウイスキーをのんで、よっぱらっている人びとも、かなりいた。
 けんかを三つも見た。まもなく、だれかがどなった。
「やあ、れいのボッグズがやってきたぞ――今月も、いつもどおりに、いなかから、ちょっぴりのみにでてきたってわけだな。おい、みんな、あいつが、くるぞ!」
 のらくらものどもは、だれもかれも、うれしそうにしている。彼らは、いつもボッグズのおかげで、おもしろい思いをしているにちがいない、とわたしは思った。ひとりがいった。
「こんどは、あいつ、だれをやっつけようてんだ。この二十年のあいだに、あいつが、ころそうと思った人間を、みんなやっつけていたら、あいつ、ずいぶん有名になっていただろうにな。」
 もうひとりの男がいった。
「おれも、ボッグズにおどかされてみてえもんだ。そうしたら、千年も死なねえかもしれねえぜ。」
 ボッグズは、インディアンのようにホーホーさけびながら、まっしぐらに馬をとはしてきた。そして、どなりたてた。
「おーい、道をあけろ、これから、はたしあいにいくんだ。棺おけの相場が、はねあがるぞ。」
 彼は、よっぱらっているので、くらの上で、ゆらゆらとゆれていた。もう五十すぎの男で、まっかな顔をしている。みんなは、わめきかえし、あざわらい、ぶえんりょなことをいった。すると、ボッグズもいいかえした。おまえらをおぼえていて、順じゅんにばらしてやるぞ、だが、いまは、ぐずぐずしてるひまがないんだ。おれは、あの老いぼれのシャーバーン大佐をころしに町にでてきたんだから。「まず肉と、菓子は二の口」というのが、おれのすきな金言なんだ、と彼はいった。
 ボッグズは、わたしをみとめると、馬をよせてきて、いった。
「おいこら、おめえ、どっからきた? 死ぬかくごはできているか。」
 それから、彼は、むこうにいってしまった。わたしがびくびくしていると、ひとりの男がいった。
「あいつのいうことなんか、なんでもありゃしないんだ。よっぱらうと、あんな、ばかさわぎをやるんだよ。あいつは、アーカンソー一のおひとよしのばかなんだ。よっていようが、いまいが、人をけがさせたためし[#「ためし」に傍点]なんかありゃしないよ。」
 ボッグズは、町いちばんの大きな店のまえに馬をのりつけると、日よけのカーテンの下からのぞきこんで、わめいた。
「でてこい、シャーバーン! でてきて、てめえがペテンにかけた男にあえ、てめえこそ、おれがおっかけている犬なんだ。往生させてやるぞ!」
 それから、彼は、口からでまかせの悪口で、ジャーバーンをののしりつづけた。往来は、きき耳をたてたり、わらったり、がやがやさわいでいる人で、いっぱいになった。そのうちに、五十五歳ぐらいのいばった顔つきの男が――しかも、この町では、とびきりじょうとうの服をきた男が――店からでてきた、人びとは、両がわにあとずさって、道をあけてその男を通した。彼は、おちつきはらって、ゆっくりと、ボッグズにいった。
「もう、ききあきた。だが、一時までは、がまんしてやろう。いいか、一時までだぞ――そのあとは、ようしゃしないぞ。一時をすぎてから、たったひとことでもほざいてみろ。どこへにげたって、きっとつかまえてやるぞ。」
 そういうと、彼は、くるりとうしろをむいて、なかにはいっていった。人びとは、まじめな顔つきになってしまった。身うごきひとつするものもなければ、わらい声ひとつたてる人もなくなった。ボッグズは、ありったけの声をだして、ジャーバーンを口ぎたなくののしりながら、町のむこうのはずれまで馬を走らせていった。だが、すぐもどってくると、店のまえに馬をとめて、また、口ぎたなくののしりつづけた。なん人か、彼のまわりにあつまって、彼をだまらせようとしたが、彼は、わめくのをやめなかった。人びとは、あと十五分で一時になるから、家にかえらなければいけない――いますぐいかなければだめだ、といった。だが、なんの役にもたたなかった。彼は、あらんかぎりのいきおいでののしりつづけ、帽子をどろのなかにたたきつけて、その上を馬でふみにじった。そして、またすぐ、気ちがいのように、往来のむこうへ馬をとばしていった。白い髪が、風になびいていた。うまく彼に近づけた人びとは、なんとかして、彼をなだめすかして、馬からおろそうとした。彼をとじこめてよいをさまさせるためだ。だが、むだだった――彼は、また、まっしぐらに往来をとばしてきて、ジャーバーンをののしった。まもなく、だれかがいった。
「娘をよんでこい! ――いそいで、よびにいけ。娘のいうことなら、きくことがあるんだ。あいつにいうことをきかせられるのは、なんてったって、あの娘だけなんだ。」
 それで、だれか、走っていった。わたしは、すこし往来を歩いていってから、立ちどまった。五分か十分ぐらいたつと、またボッグズがやってきたが、こんどは馬にのっていなかった。彼は、よろけながら、往来をよこぎって、わたしのほうにやってきた。帽子はかぶっていなかった。両がわから友だちがひとりずつうでをおさえて、彼をせきたてている。彼は、おとなしく、不安そうにしていた。もう、まえのようにじたばたしなかった。かえって自分でもいくらかいそいでいた。だれかが、大声でいった。
「ボッグズ!」
 だれがいったのか、わたしは、声のしたほうに目をむけた。ジャーバーン大佐だった。彼は、身うごきもせずに、じっと、往来につっ立っていた。右手でピストルを高くさしあげている――ねらってはいない、銃身を空にむけているだけだった。ジャーバーンがボッグズをよんだと同時に、わかい娘が、ふたりの男といっしょに走ってくるのが見えた。ボッグズとつれのふたりは、だれによびとめられたのか、うしろをふりむいたが、ピストルを見ると、ふたりの男は、わきにとびのいた。すると、銃身は、ゆっくり、ゆっくり、じりじりとおりてきて、水平になった――二れんの銃身は、両方とも撃鉄があがっていた。ボッグズは両手をあげていった。「だんな、うたねえでくれ!」パン! 一発めが鳴った。ボッグズは空をひっかきながら、うしろによろめいた――パン! 二発めが鳴った。ボッグズは、両手をひろげて、あおむけに、ドスンとたおれた。わかい娘は、かなきり声をあげて、すっとんできて、父親にしがみつき、なきながらいった。「あの人が、おとっつぁんをころしたんだよ。あの人が、おとっつぁんをころしたんだよお!」人びとは、そのまわりをとりかこんで、かたでおしたり、たがいにおしあいへしおいしながら、首をのばしてなかをのぞきこもうとした。うちがわの人びとは、それをおしもどそうとして、さけんでいる。「さがれ、さがれ! 風をあててやれ、風を!」
 ジャーバーン大佐は、ピストルをぽいとなげすてると、くるりとうしろをむいて、たちさった。
 彼《かれ》らは、ボッグズをちいさなくすり屋にはこんでいった。群衆《ぐんしゅう》が、そのまわりをとりかこんで、もみあった。町じゅうがついていった。わたしは、とんでいって、窓ぎわのうまい場所に陣どったので、ボッグズのすぐ近くにいて、なかをのぞきこむことができた。彼らは、ボッグズを床にねかせると、大きな聖書を頭の下に入れてやった。それから、もう一さつの聖書をひらいて、ひらいたままボッグズのむねの上にのせた。だが、人びとは、まずなによりさきにボッグズのシャツをひきさいたので、弾にうちぬかれたところが一か所見えた。彼は、十二、三べん、大きくあえいだ。むねにのせられた聖書は、息をすうたびにもちあがり、また息をはくたびに、さがった  そして、そのあと、彼は、じっとうごかなくなった。彼は、死んだのであった。すると、人びとは、なきさけんでいる娘を、彼からひきはなしてつれていった。彼女は、十六歳ぐらいで、かわいらしい、やさしい顔つきをした娘だったが、ひどく青ざめて、おどおどしていた。
 さて、まもなく、町じゅうの人びとがあつまってきて、ひとめ見ようと、おしあいへしおいしながら、むりやりに窓ぎわによりつこうとした。だが、まえから窓ぎわにいた人びとは、よけようとしなかったので、うしろの人たちは、たえずさけんでいる。
「ね、おい、あんたがたは、もう見なすったんだ。あんたがただけ、そこにへばりついていて、だれにも見せようとしないなんて、そりゃこまるよ。だれだって見たいんだ。」
 なんのかんのと、ずいぶんどなりかえしているものがあったので、わたしは、そっとぬけだした。ひとそうどうもちあがるかもしれないと思ったのだ。往来は、人びとでうずまり、だれもかれも、気がたっていた。ピストルをうったのを見ていた人びとは、みんな、どういうふうにしてうちころしたかを話していた。そういう人たちのまわりには、おおぜいの人びとが、黒山のようによりあつまって、首をのばして、きき耳をたてている。髪を長くのばし、白い毛皮の大きな山高帽をあみだにかぶり、にぎりのまがったつえを持った、ひょろ長い男が、ボッグズの立っていたところと、ジャーバーンの立っていたところにしるしをつけた。人びとは、そのうしろからあっちこっちとついてまわり、彼のすることを一つも見のがすまいと目を皿にして、なるほど、なるほどとうなずいてみせた。そうかと思うと、ちょっとかがみこんで、両手をももにのせ、彼がつえで地面にしるしをつけるのを見ている。それから、その男は、ジャーバーンの立っていた場所に、まっすぐぬっと立って、顔をしかめ、帽子のつばをまぶかくひきおろしてさけんだ。「ボッグズ!」そして、つえを、ゆっくりと水平におろして、それからいった。「パン!」それから、うしろによろめいて、また、「パン!」といった。そして、ばったりとうしろにたおれた。ボッグズがうたれるのを見ていた人びとは、そっくりそのままだ、まちがいなく、そのとおりだったんだ、といった。一ダースばかりの人びとが、ウイスキーのびんをだして、彼にごちそうした。
 ところが、そのうちにだれか、ジャーバーンを私刑《リンチ》にしろといいだした。一分ばかりのうちに、だれもかれもが、それを口にしていた。それから、みんなは、気ちがいのようになって、わめきちらしながら、首をしめるために手あたりしだいにものほし綱《つな》をかっぱらって、とんでいった。
        〈上巻・おわり〉
《訳注》(かっこ内の数字は本文ページ)
*モーゼとあしの話(二)旧約聖書《きゅうやくせいしょ》にある、ヘブル人の指導者モーゼが、赤子のとき、かごのなかに入れられ、あしのなかにかくされていのち がたすかった話。
*ランサム(二六) 身代金をとって解放すること。
*ケ-プ・ホロウ(三三)ふかいくぼ地。
*キャラコ(一一七) うすくてつやのある、めのつんだ白もめん。
*バーローじるしのナイフ(一一七) バーローという人が作りはじめた、一まいの大型ナイフ。
*天国(一五三) アメリカ大陸のことをさしている。
*デリック(一五三) 荷あげをするときに使う自由にうごく柱。
*繋柱《けいちゅう》(一六五)もやい綱をまきつける、ふとくて みじかい柱。
*自由州(一八四)どれい制度をみとめていない州。
ラファイエット(二三〇) 独立軍にしたがって、アメリカをたすけたフランスの熱血漢。
*ハイランド・メアリー(二三〇) スコットランド詩人バーンズの愛人。
*自由の旗ざお(二四〇) アメリカの独立戦争のとき、急進党集合《きゅうしんとぅしゅうごう》の目標《もくひょう》に立てた旗ざお。
*苦味チンキ(二四一) りんどう、だいだいの皮などでつくった健胃薬。
*ビルジウォーター(二七九)「船あか」という意味。
*ギャリック(二九一) イギリスの名優。
*「これぞ、荒野における銅のへびなり。これをあ おぎみて、生きよ!」(元六) 旧約聖書民数記略に「さおのさきにかけたる銅製のへびをあおぎみることにより、すべてへびにかまれたる人 びとはすくわる」とある。
喜捨(二九八) 寺社やびんぼうな人に、よろこんで施し物をすること。
*木ずり(三〇五) ほそ長いぼう状の板。
*ハイランド=フリンク(三〇五) 活発な一種のスコットランド舞踏。
*ホーンパイプ(三〇五) 水夫のあいだでおこなわれる活発な舞踏。
*バーナムの森がダンシネーンによせきたるまで(三〇七)イギリスの詩人、劇作家シェークスピア(一五六四~一六二六年)の四大悲劇の一つ『マクベス』の第二幕第二場のせりふ。
*ダンカン(言七) マクベスにころされる王。
*尼寺へゆきや、尼寺ヘ!(三〇八) 原作では独白のなかにはなく、オフェーリアとの対話のせりふとしてある。
訳者 吉田甲子太郎(よしだ きねたろう)1894年群馬県に生まれる。早稲田大学英文科卒業。英米児童文学の紹介,少年小説の質的向上につくし,児童雑誌「銀河」の編集や,明治大学文学部長を勤めた。 1957年没。著訳書に『負けない少年』『サランガの冒険』『トム=ソーヤーの冒険』など多数。