『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第33章とちゅうから第41章とちゅうまで(いちおう読書可能)

20240503-20240506
■57-■15、18分、スキャン、30枚、
■45―■56、11分、OCR、30枚
■57-■08、11分、ざっと整理、34から35まで、214まで
■36-■56、20分、ざっと整理、36章まで、231まで
■00―■20、20分まで、ざっと整理
■21―■41、40分まで、ざっと整理、38章まで、261まで
■47―■59、12分、スキャン、20枚、203まで
■00-■06、6分、OCR、20枚、
■58-■20、22分、ざっと整理、40章まで、292まで
20240507
■54-■14、20分、ざっと整理、41章まで、303まで
20240516
■52-■22、60分、6カ所の誤字脱字を直す、読みながら11カ所校正、
■52-■32、40分、やすみをとる、読みながら20カ所校正
P249「それから、ゆめでも見ているよう」まで
20240517
25分校正
20240518
■34-■04、40分、22カ所誤字脱字を直す、読みながら8カ所の誤字脱字を直す
20240418
■22-■34(途中で家事用事)、■39-■07、40分、読みながら10か所誤字脱字を直す、これでやっといいとこまでやり通した


自分のはじをさらすばかりか、家族のはじをもさらそうとしているのだ。わたしには、なんとしても理解できなかった。もってのほかのことである。わたしは、そういってやらなければならないと思った。それでこそ、ほんとうの友だちなのだ。彼を思いとどまらせて、彼をすくわなければならない。そこで、わたしは、いいかけた。ところが、彼は、わたしをとめて、いった。
「おまえは、おれがわけもわからずにやっていると思ってるのかい。おれは、自分でなにをしようとしているかぐらいは、ちゃんとわかってるんだぜ。」
「うん。」
「おれは、あの黒人をぬすみだすてつだいをしてやろうっていってるんじゃないか?」
「うん。」
「そいじゃ、それでいいじゃないか。」
 これが、彼のいったぜんぶだった。わたしも、それいじょうなにもいわなかった。いったところで、むだなのだ。彼は、なにかやろうといいだしたがさいご、かならず、それをやってのけるからだ。だが、彼がどうしてこういうことに、よろこんで足をふみいれるのか、わたしにはわからなかった。それで、わたしは、そんなことはわすれてしまって、二度とくよくよしないことにした。彼が、どうしてもそうしたいといういじょうは、やむをえない。
 家にかえりつくと、家じゅうがまっ暗で、しいんとしていた。そこで、あくだる[#「あくだる」に傍点]のそばにある小屋をしらべにいった。わたしたちは、犬がどうするかをためすために、庭をつきぬけた。犬どもは、わたしたちをおぼえていて、夜なにかがそばにやってきたとき、いなかの犬がさわぐくらいしか、さわがなかった。小屋につくとすぐ、わたしたちは、正面と両がわを見まわした。すると、それまで見えなかったほうのがわに――それは北がわであったが――四角な窓あながあった。それは、かなり上のほうにあったが、ただ、がんじょうな板を一まいよこにわたして、くぎでとめてあるだけだった。わたしは、いった。
「こいつは、おあつらえむきだ。あの板をねじりとりさえすりゃ、ジムは、あのあなかららくにでられるじゃないか。」
 トムは、いった。
「そんなことをするのは、陣とりみたいに、かんたんだ。らくなこと、学校をずるやすみするようなものさ。おれたちは、もうすこし手のこんだ方法をくふうしようじゃないか。」
「そうかい、そいじゃ」と、わたしはいった。「丸太をひききってたすけだしてやったらどうだい、おれがころされたふりをしたときやったようにさ。」
「そのほうが、よさそうだな」と、彼はいった。「そのほうが、なにかわけがありそうで、手がこんでいて、しゃれてらあ。だが、おれなら、その倍もひまのかかる方法をくふうできるぜ。いそぐことはないんだ。おれたち、見はりをしようじゃないか。」
 小屋のうらがわの、小屋とさくのあいだに、この小屋の軒からさしかけ小屋がかかっていた。それは、あつい板でできていた。長さは、ちょうど小屋とおなじだったが、はばがせまく――六フィートぐらいしかなかった。このさしかけ小屋の入り口は、南がわのはしについていて、やはり、南京錠《なんきんじょう》がかかっていた。トムは、せっけん[#「せっけん」に傍点]がまのところへいって、そのふたをあける鉄の道具をさがしてきた。そしてそれを使って、とめ[#「とめ」に傍点]金を一つこじあけた。くさりがおちた。わたしたちは、戸をあけて、なかにはいった。そして、戸をしめてから、マッチをすってみたが、このさしかけは、小屋にさしかけになっているだけで、小屋とは、なんのかかわりもなかった。床板もはってなく、ただ、使いふるしてさびついた、いくつかの草けずりと、すきと、つるはしと役にたたなくなった唐《とう》ぐわが入れてあるだけだった。マッチがきえた。わたしたちは外にでて、またとめ[#「とめ」に傍点]金《かね》をさしこんだ。戸は、もとどおりに錠《じょう》がかかった。トムは、たのしそうだった。彼はいった。
「さあ、もうだいじょうぶだ。おれたちは、ジムをほりだすんだ。一週間ぐらいかかるかもしれないぜ。」
 それから、わたしたちは、家へむかって歩きだした。そして、わたしは、うら口からなかにはいった――しか皮《かわ》でつくったかけ金のひもを、ひっぱればいいのだ。かぎはかかっていなかった――だが、そんなやりかたは、トム=ソーヤーには、なんのへんてつもなくて、おもしろくないのだ。彼は、どうしても避雷針をよじのぼらなければ、しょうちできなかった。そこで、彼はのぼりはじめたが、半分ものぼると、力がなくなっておちてしまった。三回ぐらいやりなおしたが、そのたびにおち、さいごのときなど、脳みそがとびだしそうになるくらい、ひどくおちたので、さすがの彼も、もうあきらめようとしたほどだった。だが、ひとやすみしてから、彼は、運だめしにもう一度やってみようといいだした。そして、このとき、ようよう成功した。
 つぎの朝、わたしたちは、夜明けにおきて、黒人たちの小屋へいって、犬をかわいがってやった。そして、ジムに食べものをはこんでやっている黒人――もし、食物をはこんでもらっている動物がジムだとすれば――となかよくなろうとした。黒人たちは、食事がすんで、畑にでかけていくところだった。ジムがかりの黒人は、ブリキのなべに、パンだの肉だのいろいろなものをつみかさねていた。そして、ほかの黒人たちがでかけていくときに、家からかぎがとどいた。
 ここにいる黒人は、人のいい、とんまな顔をしており、ちぢれた髪の毛をみんな、ちいさくいくつにも、糸でたばねていた。それは、魔よけのおまじないなのだ。その黒人は、このごろまい晩、魔女にひどくなやまされてこまるといった。いろいろとみょうなものを見たり、ふしぎなことばや音をきいたりするのだが、これまでに、こんなに長く魔法にかけられていたことはないといった。そして、彼は、のぼせあがって、自分の心配ごとばかりしゃべっていて、かんじんのやりかけのしごとを、すっかりわすれてしまった。そこで、トムがいった。
「その食べものは、どうするんだい。犬に食わせるのかい。」
 黒人は、まるでどろのなかに、れんがのかけらをなげこんだときのように、ゆっくりと、顔いちめんにわらいをうかべていった。
「そうだよ、シッドさん、犬だだ。おまけに、みょうちくりんな犬だよ。いって見たくはねえだかね?」
「見たいさ。」
 わたしは、ひじでトムをつついて、ささやいた。
「いくのかい、こんな夜明けそうそうにさ。そんな計画じゃなかったじゃないか。」
「もちろん、予定の計画じゃないよ。だが、いまは、これが予定の計画なんだ。」
 わたしは、いまいましくて、いきたくなかったが、いっしょにいった。なかにはいると、ほとんどなにも見えなかった。とても暗いのだ。だが、そこにいたのは、はたしてジムだった。ジムは、わたしたちに気がついた。そして、さけんだ。
「おやまあ、ハックさん! あれあれ! そっちはトムさんで?」
 わたしは、どうなるかということを、ちゃんと知っていたのだ。予期していたとおりだ。わたしはどうしたらよいか、わからなかった。たとえ、わかっていたとしても、どうすることもできなかっただろう。いっしょにいった黒人がとつぜんさけんだからだ。
「おやおや、まあ! こいつは、あんたがたを知ってるだか?」
 もう、かなりよく目がきくようになってきた。トムは、いかにもふしぎそうに、その黒人をじっと見つめて、いった。
「だれがおれたちを知ってるって?」
「だれかって、このにげてきた男がだよ。」
「こいつがおれたちを知ってるとは、思えないがな。おまえは、どうして、そんな気になったんだい。」
「どうして、そんな気になっただかって。たったいま、こいつが、あんたがたを知ってるようなさけび声をたてたでねえか?」
 トムは、ちょっととほうにくれたようにしていった。
「へえ、そいつは、すごくおかしいぜ。だれがさけんだんだい。あいつが、いつさけんだんだい。なんてさけんだんだい。」
 それから、おちつきはらって、わたしのほうにむきなおって、いった。
「きみは、だれかさけんだのをきいたかい。」
 もちろん、こたえはたったひとつだ。そこで、わたしはいった。
「ううん。おれには、だれがなんといったか、なんにもきこえなかったぜ。」
 すると、トムは、こんどはジムのほうにむきなおって、はじめて見るようにジムを見まわしていった。
「おまえ、さけんだかい。」
「いんや、だんな」と、ジムはいった。「おらあ、さけばなかっただよ。だんな。」
「ひとこともかい。」
「そうだだよ、だんな。ひとこともさけばなかっただ。」
「おれたちを見たことがあるかい。」
「ねえだよ、だんな。おらあ、えっこう知らねえだよ。」
 そこで、トムは、気がへんになってこまっている黒人のほうにむきなおって、すこしきつい声でいった。
「ところで、おまえはいったい、どうしたのだ。なんだって、だれかさけんだなんて思ったのだ。」
「ああ、さけんだのは、魔女だだ、だんな。おらあ、死んでしまいたくなるだ。ほんとだだ。魔女は、いつでもこうして、おらあのいのちをちぢめるだよ、だんな。おらあ死ぬほどおっかねえだ。どうか、このことは、だれにもいわねえでくんなされ。そうでねえと、おらあサイラスのだんなに、おこられるだ。だんなは、魔女などいねえっていってなさるだ。あのだんなが、いまここにいてくれたら、と、おらあ思うだ――そしたら、だんなはなんていうだ! こんどばかしは、魔女をみとめねえわけには、いくめえと思うだ。だが、いつでも、このとおりなんだだ。ばかにつけるくすりはねえだ。そういう人たちは、自分でしらべて、自分で見つけようとはしねえだ。だれか見つけて、そういうてきかせても、信じようとは、しねえだよ。」
 トムは、その黒人に、十セント銀貨一まいやって、だれにもだまっていてやるといった。そして、その銀貨で、頭の毛をむすぶ糸をもっと買ったらいいといった。それからこんどはジムを見つめて、いった。
「おれは、サイラスおじさんが、こいつの首をしめてしまおうとしているんじゃないかと思うんだ。もし、おれが、恩知らずの、にげだすような黒人をつかまえたら、おれは、そいつをわたしてなんかやるもんか。首をしめてしまうよ。」
 そして、その黒人が戸口のところにいって、銀貨がほんものかにせものか、かんでみているあいだに、彼は、ジムに小声でいった。
「おれたちを、知ってるようなそぶりを見せるんじゃないぜ。夜中に、土をほる音がきこえたら、そいつは、おれたちだ。おれたちは、おまえを自由にしてやろうとしているんだよ。」
 ジムは、わたしたちの手をとって、にぎりしめるひましかなかった。すぐ、黒人がもどってきたのだ。わたしたちは、その黒人に、おまえがきてほしいなら、いつでも、またいっしょについてきてやろう、といった。すると、どうかきてくれ、ことに暗いときはたのむ、といった。魔女は、たいてい暗いときやってくるから、だれかいっしょにいてくれれば、ありがたい、といった。
               35 きけんと困難はざらにはない
 朝の食事までには、まだ一時間もあったので、わたしたちは、家をでて、森へむかって歩きだした。トムが、ほるときのために、なにかあかりを手に入れなければならないといったからだ。カンテラでは明るすぎて、いざこざがおこるもとになるかもしれないというのだ。そこで、わたしたちは、きつね火とよんでいる、朽ち木を、たくさん手に入れなければならなかった。その朽ち木は、暗いところにおくと、ぼーっとかすかにひかるのだ。わたしたちは、それをひとかかえとってきて、草のなかにかくしてから、こしをおろしてやすんだ。トムは、なんとなく不満そうにいいだした。
「ちぇっ、こんなことは、みんな、まったくかんたんすぎて、気がきかねったらありゃしない。だから、むずかしい計画をたてるのが、とてもむずかしくなっちゃうんだ。だいたいあそこには、しびれぐすりをのませる見はり人がいないじゃないか――どうしたって見はりがいなきゃまずいんだのに。ねむりぐすりをのませる犬だって、一ぴきもいやしない。おまけにジムときたら、十フィートのくさりで、片足を寝台の足につながれているだけじゃないか。ね、あんなもの、寝台を持ちあげて、くさりをはずせば、それでおしまいだぜ。そのうえ、サイラスおじさんてば、だれのことでもみんな信用してるときてらあ。あのかぼちゃ頭の黒人にかぎをわたしてさ、にげだしてきた黒人に、ただのひとりも見はりをつけておかないんだもんな。ジムは、その気なら、あの窓あなからとっくににげられたんだぜ。もっとも、十フィートのくさりを足につけて旅をしようなんて、できないそうだんだけどさ。ね、いまいましいじゃないか、ハック。こんなにくそおもしろくねえ手はずって、ありゃしないぜ、おまえは、なにか、むずかしいことをもっとたくさんくふうしなきゃだめだよ。うん、それよりしかたがない。おれたちは、手に入れた材料で、できるだけのことをしなきゃならないんだ。とにかく、いいかい――いろいろな困難ときけんをおかして彼をすくいだしゃ、それだけ名誉が大きいんだぜ。だけど、とうぜんの義務として、困難ときけんをていきょうしてくれる人がない場合には、その困難ときけんを、ぜんぶ自分の頭で考えださなきゃいけないんだ。まあ、あのカンテラ一つのことでも考えてごらんよ。ほんとのことをいえば、おれたちは、カンテラではきけんだというふりをしなきゃならないんだぜ。なぜって、その気になりゃ、おれたちは、たいまつの行列でだってやれるにちがいないからさ。ところで、こんなことを考えているより、おれたちは、まず第一に、機会のありしだい、なにかのこぎりをつくるものを見つけなきゃ。」
「なにをするのに、のこぎりがいるんだい。」
「なにをするのに、のこぎりがいるかって? ジムのくさりをはずしてやるために、寝台の足をひききらなきゃならないじゃないか。」
「だって、たったいま、きみは、寝台を持ちあげりゃ、くさりがはずれるっていったじゃないか。」
「まったく、おまえのいいそうなこったよ、ハック=フィン。そりゃ、ことをやるには、幼稚園的なやりかたもあるさ。ね、おい、おまえは、まるで本をよんだことがないのかい――トレンク男爵だとか、カサノバだとか、ベンペヌート=チェリーニだとか、ヘンリー四世だとか、こういう英雄たちの本をさ? そんなお姫さまみたいなやりかたでよ、囚人をすくいだすなんて話があるかい。とんでもねえこった。一流の大家ならみんな、こういうやりかたをするんだよ――まず寝台の足を二つにひききってしまってからさ、それをそっとそのままにしておいて、おがくずは、みんな、見つけられないようにのみこんでしまうんだよ。それから、ひききったとこのまわりに、どろと油をぬりたくってさ、どんな頭のするどい家老にだって、ひききったあとがわからないように見せかけるんだよ。そして、寝台の足がなんともなっていないように思いこませるのさ。それから、すっかり準備がととのったら、その晩にさ、片足をあげて、ぽんとけるんだ。すると、寝台がどっとたおれる、くさりが足からはずれる。どうだい。それからすることといや、胸壁から、なわばしごをさげて、それをつたっており、堀におっこって、足をおるこった――なぜって、そのなわばしごは、十フィートも長さがたりねえからさ――だが、そこに、馬と腹心の家来がいてさ、しゃくいあげて、馬の上にほうりあげ、くらにまたがらせてくれるのさ、だから、馬をとばして、生まれ故郷のラングドックにでも、ナバールにでも、どこへでもいけるんだ。そりゃ、はなやかだぜ、ハック。あの小屋にも、堀があったらなあ。ひまがあったら、脱走の晩に、ひとつ堀をほろうや。」
 わたしはいった。
「おれたち、小屋の下からジムをひっぱりだそうとしてんのに、なんだって、堀がいるんだい。」
 だが、彼は、わたしのいうことなど、きいてはいなかった。わたしのことはもちろん、なにもかもわすれていた。彼は、手にあごをのせて、考えこんでいた。まもなく、彼は、ため息をついて、頭をふった。そして、またため息をついてから、いった。
「うん、だめだ――どうしても、そうするひつようがあるんだ。」
「なにをするんだい?」
と、わたしはいった。
「なにをって、ジムの足をひききるのさ。」
「なんだって!」と、わたしはいった。「ね、そんなひつようはないじゃないか。どうして、ジムの足をひっきりたいんだい。ほかのことは、ともかくさ。」
「そりゃ、一流の大家たちがなん人も、そうしたからさ。彼らは、どうしてもくさりがはずせないので、手をきりおとして、くさりをはずしたんだぜ。足なら、なおいいじゃないか。だが、そんなことは、やめよう。この場合、ぜったいにひつようじゃないからな。おまけに、ジムは、黒人なんだから、そのわけも、もちろんわからないだろうし、ヨーロッパでは、それがあたりまえのことになってるってことも、のみこめないだろうからさ。だから、ジムの足をきることは、やめるよ。だが、うまいことが一つあるよ――ジムになわばしごを持たせるんだ。おれたちも、シーツをさいて、なわばしごをつくってやるぐらい、ぞうさなくできるじゃないか。そして、それをパイのなかに入れて、さしいれてやるんだ。たいがい、そんなふうなやりかたをするもんだよ。ぼくは、もっとひどいパイを食わされたことがあるよ。」
「やだなあ、トム=ソーヤー、きみはなにをいってんのさ」と、わたしはいった。「ジムには、なわばしごなんて用がないじゃないか。」
「にげだすのに使うんじゃないか。おまえこそ、なにをいってるんだって、自分にいったほうがいいぜ。なわばしごは、どうしてもいるんだよ。脱走者は、みんなそうやるんだからさ。」
「でも、いったいぜんたい、ジムは、なわばしごをなにに使うんだい。」
「なにに使うって、寝台のなかにかくしておきゃいいじゃないか? 脱走者は、みんなそうするんだぜ。だから、ジムもそうしなきゃならないんだよ。ハック、おまえは、本式なことをなにひとつやりたがらないようじゃないか。いつもめあたらしいことをやりたがってるくせに。ジムが、それを使わなかったとしても、寝台のなかにおいとけばいいじゃないか。にげたあとで手がかりになるってもんだ。おまえは、みんなが、手がかりをほしがらないとでも思っているのかい。どっこい、みんなは、ほしがるにきまってるんだぜ。おまえは、手がかりをのこしておいてやりたくないのかい。そんなの、てんでおかしいじゃないか。おれ、そんなことをきいたことがないや。」
「まあいいや」と、わたしはいった。「それが規則でさ、ジムがなわばしごを持たなきゃならないなら、いいよ、ジムに持たせろよ。おれは、規則にそむきたくないからさ。だけど、こいつは問題なんだけどさ、トム=ソーヤー――もしおれたちが、ジムのなわばしごをこしらえるためにだよ、おれたちのシーツをひきさいたら、サリーおばさんといざこざがおこるぜ。それだけは、まちがいっこなしだ。だから、おれは考えるんだが、さわぐるみの皮ではしごをこしらえればよ、一セントもかからないし、なんにもむだにしなくてもすむしさ、おまけに、きみが、ぼろでこしらえるはしごとおなじように、りっぱに、パイにつめることも、寝台のなかにかくすこともできるぜ。そればかりか、ジムときたら、経験がないんだからさ、どんなはしごだって、かまわ――」
「ちぇっ、だめだなあ、ハック=フィン、おれだって、おまえぐらい無学だったらだまってるよ――なんにもいわないよ。いやしくも、国事犯がよ、さわぐるみの皮でつくったはしごでにげたって話があるかい。まったくばからしいじゃないか。」
「そうか、わかったよ、トム、そいじゃ、きみのいいように、きめてくれ。だが、ひとこと、おれのいうことをきいてくれるならさ、おれに、ものほしからシーツを一まいはいしゃくさせてくれないかな。」
 彼は、はいしゃくしてきてもいい、といった。そして、そのことからなにか思いついて、いった。
「ついでに、シャツを一まいとってきてくれ。」
「シャツなんか、なんにいるんだい、トム。」
「ジムに日記をつけさせるのさ。」
「日記がきいてあきれらあ――ジムは、字がかけないんだ」
「字がかけないとしてもさ――古いすずのさじか、古い鉄《てつ》のたが[#「たが」に傍点]のきれっぱしで、ペンをつくってやったらさ、シャツにしるしぐらいつけられるだろう。」
「なにさ、トム、がちょうから羽を一本ひっこぬきゃ、もっといいペンをつくってやれるじゃないか。おまけに、そのほうがよっぽどはやくできるしさ。」
「おまえは、ばかだよ。囚人がとじこめられている地下室のあたりによ、ペンにする羽をひっこぬくがちょうが、走りまわっているかよ。囚人というものはよ、手近にある、古いしんちゅうのろうそく立てだとか、なにかさ、そんなような、かたい、なかなかおれっこのない、とても手のかかるもんで、ペンをこしらえるにきまっているんだぜ。そして、それをとがらせるのによ、なん週間も、なんか月もかかるんだぜ。なぜって、そいつをかべでこすって、とがらせなきゃならないからさ。彼らは、がちょうのペンが手にはいっても、それを使おうとしないんだ。それじゃ、本式でないからさ。」
「そうかい、そんならば、インクは、なんでつくってやるんだい。」
「たいがいの囚人は、鉄のさびとなみだでインクをつくるんだ。だが、そんなのは、つまらないやつらと女どものするこった。えらいやつは、自分の血を使うよ。ジムだって、そんなことぐらいやれるんだ。そして、ごくなんでもないことを、たとえばさ、自分がどこにとじこめられているかというようなことを、世間にそっと知らせたい場合には、ブリキの皿のそこにフォークでかいて、窓からなげだすんだ。鉄仮面は、いつもそうやったんだぜ。とてもいい方法じゃないか。」
「ジムは、ブリキの皿なんか、持ってやしないよ。なべで食べさせられているんだもん。」
「そんなことは、なんでもないさ。おれたちが、ブリキの皿を入れてやりゃいいじゃないか。」
「ジムがかいた皿など、だれにもよめやしないぜ。」
「そんなことは、どうでもいいんだよ。ハック=フィン。ジムは、皿になにかかいて、なげだしさえすりゃいいんだ。よめなくてもかまやしないんだ。だってさ、囚人が、ブリキの皿かなにかほかのところにかいた字って、たいがいよめないんだぜ。」
「そいじゃ、なんだって、皿をむだにするんだい。」
「なんだってもくそもあるもんか。そいつは、囚人の皿じゃないんだぜ。」
「でも、だれかの皿じゃないのかい。」
「だれかのだって、それがどうしたい。囚人がだれの皿か気に――」
 彼は、きゅうに話をやめた。朝の食事を知らせる角笛の音がきこえてきたからだ。わたしたちは、家へむかった。
 朝のうちに、わたしは、シーツ一まいとシャツを一まい、ものほし綱からはいしゃくしてきた。そして、古いふくろを見つけて、そのなかに入れた。それから、下へいって、きつね火を持ってきて、それもそのふくろにつめこんだ。おやじがいつもそういっていたものだから、わたしは、はいしゃくするといったが、トムは、それは、はいしゃくするのではなく、ぬすむのだといった。彼のいうところによると、わたしたちはいま囚人になっているのである。囚人というものは、ものを手に入れることができれば、どんな方法で手に入れてもかまわない。そのために囚人をひなんする人はひとりもいないのである。囚人が、にげる手だてにひつようなものをぬすんでも。囚人の罪にはならない。それは、彼の権利なのだ。だから、わたしたちも囚人になっているかぎり、すこしでも脱獄に役だつものなら、ここにあるものは、なんでもぬすむりっぱな権利がある。だが、もし、わたしたちが囚人でなかったら、話はまったくべつだ。囚人でもないのにものをぬすむやつは、下等ないやしい人間だ。そう、彼は話した。そこで、わたしたちは、手近にあるものは、なんでもぬすむことにした。ところが、ある日、わたしが黒人の畑からすいかをぬすんできて食ったところ、トムは、大さわぎをして、わたしに黒人たちのところへいって、だまって十セント銀貨を一まいおいてこさせた。そして、トムは、自分がいっていることは、脱獄にひつようなものなら、なにをぬすんでもいいということだといった。だが、わたしは、おれにはすいかがひつようなんだといった。すると、彼は、脱獄するのにすいかはひつようではない、問題はそこなんだ、といった。そのすいかのなかにナイフをかくして、そっとジムに入れてやり、それで家老をころさせるというのなら、すいかをぬすんできてもかまわないが、とトムはいった。わたしは、話をそのままにしたが、すいかにありつける機会があるたびごとに、いちいちすわって、あれこれとこまかい区別を考えなければならないとしたら、囚人になりすましていたところで、なんにもいいことがないと思った。
 ところで、その朝、わたしたちは、みんながしごとにとりかかり、庭のあたりにだれも見えなくなるまで待っていた。それから、トムがあのふくろをさしかけ小屋のなかにはこびこんだので、わたしは、すこしはなれたところに立って、見はりをしていた。まもなく、トムはでてきた。そこで、わたしたちは、まきの上にこしをおろして、話しあった。トムはいった。
「道具のほかは、これでぜんぶそろったぜ。道具など、ぞうさなく手にはいるからな。」
「道具?」と、わたしはいった。
「そうだよ。」
「なんの道具だい。」
「ほる道具じゃないか。おまえは、ジムをくわえだしでもするつもりなのかい。」
「あそこに、古い、ぶっこわれつるはしやなんかあるだろう、ジムをほりだすには、あれでまにあうじゃないか。」
 トムは、あわれむような目つきをして、わたしのほうをむいたが、それは、だれだってなきたくなるようなひどい目つきだった。彼は、いった。
「ハック=フィン、おまえは、囚人が、上をほって脱獄するために使う、つるはしだとか、シャベルだとか、なんでもそんなべんりなものをたんすのなかに持ってるって話をきいたことがあるかい。おれは、おまえにききたいのだが――すこしでもおまえにふんべつがあるならさ――せっかく英雄になっても、そんなつるはしだのシャベルだのを使ったんじゃ、見ばえがしないじゃないか。そんなことなら、かぎをかしてやって、それで戸をあけさせたらいいじゃないか。つるはしやシャベルなんか、王さまにだって、かしてやるもんか。」
「そいじゃ」と、わたしはいった。「つるはしや、シャベルがいらないなら、なにがいるんだい。」
「さやつきナイフが二ちょう。」
「小屋の下から、それで土台をほるのかい。」
「そうさ。」
「ちぇっ、そんなのあほらしいよ、トム。」
「どんなにばからしくっても、かまやしないさ。それがただしいやりかたで――そして、本式なやりかたなんだから。おれのきいたところじゃ、そのほかになにひとつ、やりかたはないんだ。おれはこういうことがすこしでもかいてある本なら、ぜんぶよんだ。囚人たちは、いつでもさやつきナイフでほるんだぜ――それらさ、土じゃないんだ。たいがい、かたい岩をほりぬくんだぜ。そして、なん週間もなん週間も、はてしなくかかるんだ。マルセーユの港にあるディーフという城の土牢にとじこめられていた、囚人たちのひとりのことを考えてみるといいや。その人も、そういうふうにしてほりぬけたんだぜ。ほるのに、どれくらいかかったと思う?」
「知らないよ。」
「じゃ、あててみな。」
「わからないよ。一月半かい。」
「三十七年だよ――そして、シナにでたんだぜ。ざっと、そういうものなんだ。このとりでのそこもかたい岩ならいいんだがなあ。」
「シナにはジムの知ってる人なんか、ひとりもいないぜ。」
「だからどうしたっていうんだい? その人にだって、知ってる人なんかいなかったんだぜ。おまえは、しじゅう横道にそれてばかりいるじゃないか。どうして、だいじなことをわすれてしまうんだい。」
「わかったよ――彼がでてきさえすれば、どこにでてきたって、おれ、かまやしないよ。だけど、でてこられないと思うなあ。これは、だいじなところなんだが、とにかく――ジムは、年をとってるから、ナイフでほってでてこられやしないよ。いのちが、それまでもたないよ。」
「だいじょうぶ、もつさ。あの土台の土をほるのに、おまえは、三十七年かかると思ってるのかい。」
「そいじゃ、どのくらいかかるんだい、トム。」
「そうさな、おれたちは、あたりまえのひまをかけてるわけにはなんとしてもいかないんだからな。川下のニューオーリンズから、サイラスおじさんにへんじがくるのに、そう長くかからないかもしれないからさ。おじさんは、ジムがそこからにげてきたのじゃないってへんじをうけとるだろう。そうなると、つぎにやることは、ジムの広告をだすとかなんとか、そんなこと、なんだ。だから、おれたちはジムをほりだすのに、きちんとかけるだけのひまをかけているわけには、いかないんだ。ほんらいなら、二年はかけなきゃならないんだけどさ。そんなことはしていられないんだ。いつどうなるのかわからないのだから、おれは、こうしたらいいと思うんだ。つまり、できるだけはやく、どしどしほってしまってさ、そのあとで、自分たちで三十七年かかったことにしておきゃいいじゃないか。そして、警報がありしだい、すぐにジムをすくいだして、にがしてしまうのさ。そうだ、それがいちばんいい方法じゃないかい。」
「うん、そんなら、わけがわかるよ」と、わたしはいった。「そんなふりをするのなら、一セントもかからないもんな。それに、やっかいなことは、すこしもないしさ。なんか目的があってそうするのなら、おれ、百五十年かかったことにしておいても、かまわないよ。それなら、しごとをはじめてから、むりをしなくてもいいんだもんな。おれ、これからすぐいって、さやつきナイフ二ちょう、ひったくってくるよ。」
「三ちょう、ひったくってこいよ」と、彼はいった。「一ちょうで、のこぎりをつくるんだ。」
「ねえ、トム、こんなことをいったらほんとうのやりかたにはずれて、神さまにしかられるのかもしれないけど」と、わたしはいった。「むこうにまわったとこにある、煮たき場のうらの下見板の下に、古い、さびたのこぎりの刃がさしてあるぜ。」
 彼は、うんざりしたようすをしていった。「おまえに、なにかおしえようとしたって、まったくむだだなあ、ハック。走っていって、ナイフをちょろまかしてこいよ――三ちょう。」
 そこでわたしは、そのとおりにした。
          36 正式なやりかた
 その晩、わたしたちは、みんながねしずまったと思うとすぐ、避雷針をつたっておりていって、さしかけ小屋にはいった。そして、戸をしめ、きつね火をひと山とりだしてから、しごとにかかった。まず、土台のまんなかへん、四、五フィートばかり、じゃまなものをぜんぶとりのけた。トムは、ここは、ちょうど、ジムの寝台のまうしろだ、といった。だから、ここをほればいいのだ。ほりぬいてしまっても、そこにあながあるということなど、だれが小屋にはいってきても、気がつくまい。ジムの寝台の上がけがほとんど地面すれすれまでたれさがっているから、その上がけをまくりあげてのぞかないかぎり、あなは見つかりはしない、と、そうトムはいった。そこでわたしたちは、ほとんどま夜中までナイフでほりつづけた。そのため、へとへとになってしまい、手にはまめができたが、しごとのあとは、まるで見えなかった。とうとうわたしは、いった。
「これじゃ、三十七年がかりのしごとじゃない。三十八年がかりのしごとだよ。トム=ソーヤー。」
 彼は、なにもいわなかった。だが、ため息をついて、じきにほるのをやめた。そして、かなりしばらくのあいだ、考えこんでいた。そして、いった。
「これじゃ、だめだな、ハック。ちっともしごとがはかどらないもん。おれたちが囚人なら、これでもいいけど、なぜって、なん年かかろうと思いのままだし、いそいでやらなくてもいいからさ。まい日、見はりがこうたいする、四、五分間しかほる時間がないんだから、手にだって、まめもできやしないよ。そして、なん年でもかかって、ただしい、とうぜんやらなきゃならない方法で、やることができるんだ。だが、おれたちは、いま、ぼやぼやしてはいられないんだよ。いそがなきゃならないんだ。いっこくもむだにしていられないんだ。もう一晩もこんなことをやってたら、おれたちまめがなおるまで、一週間もしごとをやすまなきゃならないだろう――それまでは、ナイフにさわることもできやしないぜ。」
「それじゃ、どうやりゃいいんだい、トム。」
「まあきけよ。これは、ただしくないし、道義にかなっていないから、おれは、そうしたくはないんだけどさ。だが、方法は、たったひとつしかないんだ。それは、つるはしでジムをほりだして、ナイフでやったふりをするんだよ。」
「そいつは、話せるぜ!」と、わたしはいった。「きみの頭に、だんだんふんべつがでてきたよ。道義にあおうがあうまいが、ほるには、つるはしにかぎるんだ。おれとしちゃ、道義にあおうがあうまいが、そんなこと、どうだっていいんだ。黒人でも、すいかでも、日曜学校の本でも、ぬすもうとしたいじょうぬすめさえすりゃ、方法なんぞ、どうだってかまわないんだ。おれのほしいものは、黒人なんだからさ。また、おれがほしいのは、すいかなんだからさ。そしてまた、おれがほしいのは、日曜学校の本なんだからさ。もし、つるはしでやるのが、いちばんてっとりばやかったら、おれ、つるはしで、黒人でも、すいかでも、日曜学校の本でもほりだすぜ。えらい人たちが、それをどう考えるかなんてことに、けっしてとんちゃくしやしないよ。」
「そうだ」と、彼はいった。「こんな場合には、つるはしでほっても、ナイフでほったことにするいいわけがたつんだよ。いいわけがたたなかったら、おれ、そんなことはしょうちしないんだ。規則がやぶられるのを、のほほんとつっ立って、見てやしないよ――ただしいことは、ただしいんだし、まちがっていることは、やっぱりまちがっているんだからさ。ものを知らないばかものでないかぎり、まちがったことをしてもいいっていう法はないじゃないか。なんのふりもせずに、つるはしでジムをほりだしても、そりゃおまえならいいかもしれないさ。おまえは、よく知らないんだからな。だが、そいじゃ、おれはだめなんだ。おれは、どうやらなきゃならないか、よく知ってるんだからさ。さあナイフをとってくれ。」
 彼のナイフは、彼のすぐそばにあった。だが、わたしは、わたしのナイフを彼にわたした。すると彼は、それをなげすてていった。
「さあ、ナイフをとってくれ。」
 わたしは、どうしたらいいのか、まるっきりわからなかった――そこで、わたしは考えた。そして、占道具をひっかきまわして、つるはしをさがして、それをわたした。すると、彼は、それをうけとって、しごとをはじめたが、ひとことも口をきかなかった。
 彼は、いつでも、こんなふうにこむずかしいのだ。主義でいっぱいなのだ。
 そこで、わたしは、シャベルを持った。そして、それから、つるはしとシャベルをとりかえっこしながら、むちゅうになってほりつづけた。半時間ほどやると、どうにも、それいじょうほっていられなくなった。だが、その努力のおかけで、あなはずいぶんふかくなった。二階にあがって、窓からのぞくと、トムがいっしょうけんめいになって避雷針をのぼってこようとしていた。だが、手が水ふくれになって、いたいので、彼は、のぼってこられなかった。とうとう、彼はいった。
「だめだ、のぼれやしない。どうしたらいいだろう。なんか、うまい考えはないかい。」
「あるさ」と、わたしはいった。「だが、正式なやりかたじゃないぜ。階段をあがってきて、避雷針をのぼってきたふりをするんだよ。」
 彼は、そのとおりにした。
 つぎの日、トムは、すずのさじとしんちゅうのろうそく立てとを、家のなかからぬすんできた。ジムのペンをつくるためだ。牛の油でつくったろうそくも、六本ぬすんできた。また、わたしは、黒人の小屋のあたりをぶらぶらしていて、おりを見て、ブリキの皿を三まいぬすんだ。トムは、三まいではたりないといった。だが、わたしは、トムがなげだした皿は、窓あなの下のカミツレ草や白いちょうせんあさがおなどのなかにおちるのだから、だれにも見つかりはしないだろう――だから、わたしたちは、それを持ちかえってきて、またジムに使わせることができる、といった。それで、トムは、なっとくした。それから、彼は、いった。
「ところで、おれたち、どうしてジムにいろんなものをわたすのか、考えなきゃならないぜ。」
「あなから入れてやりゃいいよ」と、わたしは、いった。
「あなができたらさ。」
 彼は、いかにも見さげたような顔つきをして、そんなあほらしい考えは、話にもきいたことがないというようなことをいった。そしてすぐ、考えはじめた。やがて、彼は、二つ三つ方法を考えついたが、まだどれにするかきめるひつようはない、といった。まず、ジムにこのことを知らせなければ、といった。
 この晩、わたしたちは、十時ちょっとすぎに、ろうそくを一本だけ持って、避雷針をつたって下におりた。そして、窓あなの下へいって、耳をすますと、ジムのいびきがきこえてきた。そこで、わたしたちは、ろうそくをなげいれてやったが、ジムは目をさまさなかった。わたしたちは、すぐ、つるはしとシャベルを持って、てんてこまいをしながらはたらいたので、二時間半ぐらいでしごとがおわった。わたしたちは、ジムの寝台の下まではっていって、小屋のなかにでた。そして、手さぐりで、ろうそくをさがして、それに火をつけてから、ジムのそばに立って、しばらくジムをながめた。ジムは、じょうぶで、健康そうだった。わたしたちは、そっとしずかにジムをおこした。ジムは、わたしたちを見ると、とてもよろこんで、なきだしそうになった。わたしたちを、ぼっちゃんとよんだり、考えつけるだけの、いろいろな愛称《あいしょう》でよんだりした。そして、たがね[#「たがね」に傍点]をさがしてきてくんなされ、おらあ、すぐ足のくさりをきってにげだすだから、いっときもぐずぐずしていられねえだよ、といった。だが、トムは、それではただしいやりかたでないということをおしえてから、そこにこしをおろして、わたしたちの計画をいちぶしじゅう、ジムに話してきかせた。この計画は、警報のありしだい、いつでもかえられるということも話した。そして、ちっとも心配しなくていい、きっと、にがしてやるから、といった。すると、ジムは、それでいい、といったので、わたしたちは、そこにこしをおろしたまま、しばらく、むかしのことを話しあった。それから、トムは、いろいろのことをジムにきいた。ジムは、サイラスおじさんがジムといっしょにお祈りするために、まい日か二日に一度はやってくるということや、またサリーおばさんが、ジムが不自由なく、食べものなどもじゅうぶんにあてがわれているかどうか見にやってくるということや、おまけにふたりともひじょうにしんせつにしてくれるということを話した。すると、すぐ、トムはいった。
「それじゃ、おれ、どうすりゃいいかわかったよ。おじさんや、おばさんの手で、おまえにものを入れてやらあ。」
 わたしはいった。
「そんなことは、やるんじゃないよ。そんなばかな話って、あるかい、ねえ。」
 だが、彼は、わたしのいうことに、耳もかさなかった。どんどん自分の話をすすめた。彼は、自分の計画がきまると、いつでもこんなふうなのだ。
 そこで、トムは、食べものをはこんでくる黒人のナットの手で、なわばしごを入れたパイや、そのほかの大きなものをこっそりさしいれてやるから、おまえは、いつも気をつけていて、びっくりしたり、それをおけるのをナットに見られないようにしなければならない、とジムにいった。小さいものは、おじさんの上着のポケットに入れておくから、それをぬすみだせといった。機会があれば、いろいろなものをおばさんのエプロンのひもに、むすびつけるか、あるいは、ポケットに入れておくかするから、それもぬすめといった。そして、それがどういう品物で、なにに使うのかということを、ジムに話してきかせた。それから、シャツに血で日記をつけなければいけないということなども話してきかせた。彼は、ジムになにもかも話した。ジムには、トムの話は大部分、意味がわからなかった。それでもジムは、あんたら、白人だから、おらあよりものがわかってるだ、といった。そんなわけで、ジムは、安心していた。そして、なんでもトムにいわれたとおりにするといった。
 ジムは、とうもろこしの穂軸《ほじく》でつくったパイプと、タバコを、たくさん持っていた。そこで、みんなでタバコをすいながら、ゆかいに話しあった。それから、あなのなかからはいでて、家にもどって寝床にはいったが、わたしたちの手は、きずだらけだった。トムは、とてもきげんがよかった。こんなにおもしろいことをしたのは、うまれてからはじめてだ、といった。しかも、もっとも知的なことだといった。もし自分の思いどおりになるなら、わたしたちは、生きているかぎり、このしごとをしつづけ、ジムをすくいだすことは、わたしたちの子どもたちにのこしてやってもよい。ジムだって、このしごとになれるにしたがって、だんだんこのしごとがすきになるにちがいないからだ。そう、トムはいった。そんなふうにしてやれば、このしごとは、八十年も長びかすことができるから、長期脱獄のレコードになるだろう。そして、これにたずさわったわたしたちぜんぶが、有名になるだろう、と、そうトムはいった。
 つぎの朝、わたしたちは、まきがつんであるところへいって、しんちゅうのろうそく立てを、手ごろな長さにきった。トムは、それとすずのさじを自分のポケットにねじこんだ。それから、黒人の小屋へいって、わたしがナットの注意をこっちにひきつけているあいだに、トムは、ジムの皿によそってあるとうもろこしのパンのまんなかに、ろうそく立てのかけらをおしこんだので、それがどういうことになるか見るために、わたしたちは、ナットといっしょにいった。結果は、まったくすばらしかった。ジムがパンにかみついたとたんに、ジムの歯がみんなかけおちそうになったのだ。こんなにうまくいったことはなかった。トムも、自分でそういった。ジムは、それでも、パンにはいっている石ころかなにかのようなふりをしただけだった。だが、もうそれからあとは、ジムは、まず三、四か所フォークでつきさしてみてからでないと、けっしてどんなものにもかみつかなかった。
 そして、わたしたちがうす暗がりのなかに立っていると、犬が二ひき、ジムの寝台の下からのそのそとでてきた。と思うまに、つぎつぎと十一ぴきもはいってきたので、小屋のなかは、犬でいっぱいになってしまった。べらぼうめ、わたしたちは、さしかけ小屋の戸をしめわすれていたのだ。ナットは、ひと声「魔女だ」とさけんで、犬どものなかにひれふし、いまにも死にそうにうめきだした。トムは、いきなり戸をあけて、ジムの肉を一きれさっと外になげてやった。犬どもはそれをおいかけていった。トムも、外にとびだしていったが、二秒もすると、もうもどってきて、戸をしめた。彼は、さしかけ小屋の戸をしめてきたのだ。それから、彼は、ナットをなだめたり、すかしたりしながら、またなにか見たような気でもしたのか、ときいた。彼は、おきあがって、目をぱちぱちさせながら、あたりを見まわして、いった。
「シッドさん。あんたは、おれをばかだというかもしれねえだ。だが、おらあ、百万びきぐれえの犬だか、悪魔だかなんだかを、たしかに見ただよ。もし見たのがうそだったら、おらあ、この場で死んでもいいだよ。まちがいなく、見ただ。ね、シッドさん、おらあ、それにさわっただよ――たしかに、さわっただよ。やつらは、みんな、おれの上をこえていっただ。なんて、いまいましいだ。おらあ、たった一度でいいから、一ぴきつかまえてみてえだ――たった一度でいいだ――それだけが、おらあのねがいだだ。だが、どちらかといえば、おらあ、魔ものなどにご用なしにねがいてえだがね。」
 トムは、いった。
「じゃ、おれの考えをいうけどさ。魔女どもは、なんだって、このにげてきた黒人の朝めしどきにくるんだい。きっと、おなかがすいているからだぜ。だから、おまえは、魔女どもに、パイをつくってやれよ。つくってやらなきゃいけないよ。」
「だが、シッドさん、どうして魔女どものパイをつくればいいだね。おらあ、つくりかた知らねえだよ。そんなこと、これまで、きいたこともねえだ。」
「そいじゃ、おれがつくってやるよ。」
「つくってくんなさるって、ぼっちゃん――ほんとだか? おらあ、あんたの足もとの上でもおがむだよ、ほんとだだ!」
「いいとも、おまえのためだもん、つくってやるよ。おまえは、おれたちによくしてくれるし、にげてきた黒人だって見せてくれたんだもんな。だが、おまえは、よく気をつけなきゃだめだぜ。おれたちがきたら、うしろをむくんだよ。そして、おれたちがなにをなべのなかに入れても、ぜんぜん見なかったようなふりをするんだぜ。それから、ジムがなべのなかからとりだすときも見てはいけないんだ――なんだか知らないが、なにかおこるかもしれないからさ。それからなによりも、魔女のものにさわっちゃいけないんだ。」
「さわるって、シッドさん? あんたは、なにをいってなさるだ。おらあ、指一本さわってみるのもごめんだだ。億万ドルもらったって、さわるのは、まっぴらだだ。」
          37 なわばしご入りのパイ
 話は、つごうよくきまった。それで、わたしたちは、そこをでて、うら庭の、古ぐつだの、ぼろだの、びんのかけらだの、使えなくなった金物類だの、そんながらくたがうず高くつまれているところへいき、ひっかきまわして、ブリキの古いあらいおけを一つさがしだした。そして、わたしたちは、それでパイをやくためにあなをふさいでから、地下室へおりていって、それにいっぱいうどん粉をぬすんだ。それから、朝めしを食いにでかけた。とちゅうで屋根板に打つくぎを二本見つけると、トムは、囚人が牢獄のかべにその名やかなしみをかきなぐるのに、これなら手ごろだといいだしたので、わたしたちは、いすにかかっていたサリーおばさんのエプロンのポケットに一本入れ、もう一本は、用だんすの上にあったサイラスおじさんの帽子の帯にさした。子どもたちが、おとうさんとおかあさんは、けさ、にげてきた黒人の家にいくといっているのを、きいたからだ。食事にいくと、トムは、サイラスおじさんの上着のポケットに、すずのさじをそっとおとしこんだ。サリーおばさんは、まだきていなかったので、わたしたちは、ちょっと待っていなければならなかった。
 はいってきたとき、おばさんは、おこって、まっかになっていて、ふきげんだった。食前のお祈りなど待っていられなかった。すぐさま、片手でコーヒーをつぎはじめながら、もういっぽうの手の指ぬきで、手近の子どもの頭をこづきまわして、いった。
「あたし、あちこちさがしまわったんだけど、あなたのもう一まいのシャツのゆくえがさっぱりわからないんです。」
 わたしは、わるいことをしたと気がついたので、しょげかえった。そして、かたいパンの皮をごくりとのみこんだとたんに、せきこんで、そのパンの皮をむこうがわにふっとばした。パンの皮は、ひとりの子どもの目にあたった。その子は、つり針につけたみみずのように身をかがめて、とき[#「とき」に傍点]の声のようなさけびをあげた。トムも、いくらか青くなった。十五|秒《びょう》ばかりというもの、形勢は、まったくおだやかでなかった。わたしは、あながあったら、はいりたかった。だが、そのあとわたしたちは、また平静をとりもどした――わたしたちが、そんなにひやりとしたのは、おばさんが、シャツのことを、だしぬけにいいだしたからだ。
「じつになんともおかしいな。わしには、わけがわからないよ。わしは、たしかにぬいだことをおぼえているのだ。というわけは――」
「そうよ。あなたは、一まいしかきていないんだもの。ほんとに、あなたったら、なにをいってるの。あたしも、あなたがぬいだものを知っているわ。あなたの、うすぼんやりした記憶よりも、よっぽどよくおぼえてるわ。きのう、ものほし綱にかかっていたんですもの――あたしは、それを自分の目で見たんですよ。ところが、それがなくなったのよ。ただ、それだけの話だけど、ひまをみてあたらしいのをしたてるまで、あなたは赤いフランネルのシャツをきていなければならないわ。シャツをしたてるの、二年間に、これで三度めよ。あなたにシャツをきせておくのに、目がまわりそうよ。あなたったら、いったいシャツをどうしてしまうのか、あたしにはわからないわ。いつになったら、すこしはシャツをたいせつにしてくれるようになるのかしら。」
「わかっているよ、サリー。わしは、できるだけだいじにしようとしているのだ。だが、ぜんぶ、わしのおちどというわけではあるまい。わしは、自分がきているシャツのほか、なにも知らないんだからな。わしは、これまでに、きていたシャツをなくしたおぼえはないよ。」
「そうね、あなたがなくしたんでなきゃ、あなたのおちどではないわ、サイラス。でも、なくせたら、あなたはきっとなくしたと思うわ。しかもなくなったのは、シャツばかりじゃないのよ。さじが一本、見えなくなったんです。なくなったものはそれだけじゃないけど。十本あったさじが、九本しかなくなっているんです。子牛がシャツを持っていったとしても、さじまで持ってはいかないわ。これだけは、たしかですわ。」
「ほかに、なにがなくなったのだい、サリー。」
「ろうそくが六本なくなったんです――ほんとよ。ねずみなら、ろうそくをひいていくから、それはきっとねずみのしわざでしょうよ。あなたは、いつもねずみあなをふさごうといいながら、ふさがないんですもの。ねずみが、家ごとそっくり持っていかないのがふしぎなくらいだわ。ねずみがばかでなかったら、あなたの頭の毛のなかでねむるにちがいないね、サイラス――あなたのことですもの、そうされたって、気がつくはずがないわ。でも、なんといったって、さじは、ねずみのせいにはできませんわ。」
「そうだよ、サリー、わしがわるかったよ。あやまるよ。わしがなまけていたのだ。あすまでには、きっとねずみあなをふさぐよ。」
「いそぐことないわ。来年だってかまいません。マチルダ=アンジェリーナ=アラミンタ=フェルプス。」
 指ぬきがとんできて、パチンとあたった。とたんに、その子は、さとうつぼから手をひっこめた。ちょうどこのとき、黒人の女が、入り口にやってきて、いった。「おくさま、シーツが一まい、なくなりましただ。」
「シーツが一まいなくなった! まあおどろいた!」
「わしは、きょうねずみあなをふさぐよ」と、サイラスおじさんは、かなしそうにいった。
「おだまりなさい! ――あなたは、ねずみがシーツをひいていくとでも思ってるんですか。どこでなくなったのだい、リース。」
「さっぱりわからねえでごぜえますだよ、サリーおくさま。きのうは、ものほし綱にかかっていたですが、見えねえでごぜえますだよ。もう、あそこには、なくなってるでごぜえますだよ。」
「もう世のおわりがくるのかしら。こんなことって、うまれてからはじめてだわ。シャツ一まい、シーツ一まい、さじが一本、それから、ろうそくが六本――」
「おくさん。」わかいあいのこの娘がやってきた。「しんちゅうのろうそく立てが、見あたりません。」
「うるさいよ、この子ったら。でていかないと、なべをぶっつけるよ。」
 彼女は、かんかんになっておこっていた。わたしは、機会を待ちかまえた。そっと、ぬけだしていって、あらしがおさまるまで森にいってようと思ったのだ。彼女は、いつまでもおこっていた。そして、ひとりでがみがみどなりつづけているので、ほかのものはひとりのこらず、おとなしくしずかにしていた。そのうちに、サイラスおじさんが、まのぬけた顔をして、ポケットから、れいのさじをつまみだした。彼女はどなるのをやめたが、口をあけっぱなしにして、両手をふりあげた。いよいよばれた。わたしは、エルサレムへでもどこへでも、にげていきたいと思った。だが、まもなく、そんな気持ちはなくなった。彼女が、こういったからだ。
「やっぱり、あたしが思っていたとおりだわ。あなたは、いままでずっと、ポケットに入れていたんだわ。きっと、ほかのものも、そこにはいってるわ。どうして、そんなとこにはいったのかしら。」
「ぜんぜんおぼえがないんだよ。サリー。」彼は、いいわけをするようにいった。「知っていりゃ、いうじゃないか。わしは、食事まえに。使徒行伝第十七章の本文をよんでいたんだが、聖書をポケットに入れたつもりで、うっかり、このさじを入れたのかもしれんな。そうにちがいない。聖書がはいっていないからな。だが、いって見てくるよ。聖書が、わしのおいたところにあったら、聖書をポケットに入れなかったということがわかるからな。そして、わしは聖書をおきっぱなしにしたまま、さじをとりあげたということになるし、そして――」
「ああ、後生だから、やすませて! おまえら子どもたちは、みんなあっちへいっておくれ。あたしのこころがおちつくまでは、あたしのそばにもどってきちゃいけないわ。」
 たとえ彼女がひとりごとのようにいったとしても、わたしは、彼女のいうことをきいたにちがいなかった。たとえ死んでいたにしても、わたしは、おきあがって、彼女のことばにしたがったにちがいない。わたしたちが居間を通りぬけようとすると、おじさんが帽子をとりあげた。とたんに、屋根板どめのくぎが床におっこちた。だが、彼は、それをひょいとつまみあげて、炉だなの上にのせると、そのままなにもいわないででていった。トムは、そのありさまを見て、さじのことを思いだして、いった。
「やれやれ。おじさんの手でものをおくろうとしたって、もうみこみがないよ。あてになりゃしないや。」それから、彼はいった。「だが、さじのことじゃ、おじさんは、知らずにおれたちにくどく[#「くどく」に傍点]をしてくれたんだ。だから、おれたちも、おじさんが知らないまに、おじさんにくどくをしてあげようじゃないか――ねずみあなをふさいでやるんだ。」
 地下室には、あきれるほどたくさんねずみあながあったので、わたしたちは、それをふさぐのにまる一時間もかかったが、じょうずに、すきまひとつなく、きちんとやってのけた。しごとがすむと同時に、階段をおりてくる足音がきこえてきた。わたしたちは、あかりをけして、かくれた。すると、思ったとおり、おじさんが、片手にろうそくを持ち、もういっぽうの手にあなふさぎの材料のたばを持ってやってきたが、見るからにぽかんとしていた。彼は、ふらふらしながら、ねずみあなを一つ一つ見てまわった。そして、五分間ばかり、ぼう立ちになって、ろうそくのとけたろう[#「ろう」に傍点]をつまみとりながら、考えこんでいた。それから、ゆめでも見ているように、そろそろと階段のほうにまがっていきながら、いった。
「さて、いつふさいだものやら、わしには、どうしても思いだせないわ。これで、ねずみのことで、とがめだてされるわけがないということは、あれに証明できるのだが、だが、まあいい――ほっておこう。そんなことをしても、なんにもならんからな。」
 そのように、彼は、ぐずぐずつぶやきながら、上にあがっていったので、わたしたちもそこをでた。彼は、ひじょうにいい老人だ。まったく、いい老人だった。
 トムは、どうしてさじを手に入れるか、おおいに苦心した。どうしてもさじを手に入れなければならないといった。そして、彼は、考えこんでいたが、考えつくと、その方法をわたしに話した。そこで、わたしたちは、さじかごのおいてあるところへいって、サリーおばさんがくるまで、そのあたりで待っていた。そして、おばさんがくるとすぐ、トムは、さじをかぞえはじめ、かぞえたぶんを片がわにならべた。わたしは、そのうちの一本を、そっとそでのなかにかくした。すると、トムがいった。
「ね、サリーおばさん。さしは、やっぱり九本しかありませんよ。」
 彼女は、いった。「あそんでおいで、うるさくしないで。あたしは、自分でかぞえたんだからまちがいないわ。」
「でも、二度もかぞえたんです。おばさん。ぼくがかぞえると、どうしても九本しかないんです。」
 彼女は、かんにんぶくろの緒がきれたというようすだったが、もちろん、やってきて、かぞえた――だれだってそうせずにはいられないだろう。
「ほんとに九本しかない!」と、彼女はいった。「まあ、いったい――なんて、いまいましいったら。もう一ペん、かんじょうしてみるわ。」
 そこで、わたしは、かくしておいた一本を、そっともどした。彼女は、かぞえおわったとたんにいった。
「なんていまいましいさじなんだ。こんどは十本ある!」
 彼女は、おこっているようでもあり、こまっているようでもあった。だが、トムはいった。
「なんですって、おばさん。ぼく、十本あるとは思いませんよ。」
「このまぬけめ、あたしがかぞえるところを見ていなかったのかい。」
「見ていましたよ。だけど――」
「じゃ、もう一ペん、かぞえてみるわ。」
 そこで、わたしは、すばやく一本かくした。だから、まえとおなじように、九本になった。彼女は、やっきとなった――からだじゅう、ふるえていた。ぶりぶりしておこっているのだ。彼女は、なんどもかぞえなおしていたが、とうとうしまいに、頭がこんがらかって、ときどきさじかごをさじとマッチがえてかぞえた。そんなわけで、三度は数がそろい、三度はそろわなかった。それで、彼女は、さじかごをひったくって、むこうがわにいたねこにたたきつけたので、ねこが目をまわした。それから、彼女は、おまえたちは、でていって、すこししずかにさせてくれ、といった。ひるの食事まえにやってきてうるさくしたら、おまえたちもぶんなぐってやるから、といった。そこで、わたしたちは、彼女が退去命令をだしているあいだに、その一本のさじをとって、彼女のエプロンのポケットに入れた。だから、そのさじは、まえに彼女のエプロンのポケットに入れておいた屋根板を打ちつけるくぎといっしょに、ひるまえにマッチがいなくジムの手にはいった。わたしたちは、このしごとにすっかりまんぞくした。トムは、この二倍の手数をかけてもよかった、といった。彼女は、どんなことがあっても、もう二度とおなじようにさじの数をかぞえることができないばかりか、たとえできたとしても、彼女は、ただしくかぞえたと自分で信じられなくなっているにちがいないからだ、といった。彼女の頭がぼけるまであと三日間も数をかぞえてみたら、彼女は、かぞえることをあきらめてしまい、そのうえ彼女に数をかぞえさせようとする人があったら、だれにかぎらず、彼女はころしてやるといいだすにちがいない、とトムはいった。
 そこで、わたしたちは、その晩、シーツをまたものほし綱にかけてから、べつなシーツを一まい、おし入れからぬすんだ。そして、それから二日間、もどしたりぬすんだりしつづけたので、とうとう彼女は、なんまいシーツがあるのかわからなくなってしまい、気にもしなくなった。気をくさらしているようなことはやめてしまった。なんとしても、二度とかぞえようなどとはしなくなった。かぞえるくらいなら、むしろそのまえに死んでしまったろう。
 そんなわけで、子牛とねずみと、こんがらがったかんじょうのおかげで、シャツのこともシーツのことも、さじのことも、ろうそくのことも、なにもかも、わたしたちにはつごうよくいった。ろうそく立てのことなどは、たいしたことではないのだ。そのうちに、しずまるにちがいない。
 だが、パイは、ひとしごとだった。それをつくる苦労といったら、はてしがなかった。わたしたちは、ずっと森のおくへいって、その用意をととのえて、パイをこしらえた。そしてようようさいごに、パイができあがった。とてもうまいぐあいにできた。だが、一日でつくりおえたのではなかった。こしらえあげるまでに、あらいおけに三ばいもうどん粉を使わなければならなかった。わたしたちは、そこいらじゅうにずいぶんひどいやけど[#「やけど」に傍点]をした。けむりのために、目はあけていられなくなった。というわけは、わたしたちがほしいのは、パイの皮だけだったのだが、うまくふくらませることができず、いつもぺしゃんこにつぶれてしまうので、なんどもなんどもやりなおさなければならなかったからだ。だが、わたしたちがさいごにうまい方法を考えついたことは、もちろんだった――それは、パイのなかに、なわばしごを入れてやく方法だった。そこで、つぎの晩、わたしたちは、ジムの小屋にこもって、シーツをほそくひきさいて、よりあわせた。そして、まだ夜明けにはまがあるうちに、首つりでもできるようなりっぱな綱を、こしらえあげた。わたしたちは、その綱一本つくるのに、九か月かかったことにした。
 わたしたちは、午前ちゅうに、その綱を持って、森へいった。だが、それはパイのなかにはいりきらなかった。一まいのシーツぜんぶでつくった綱なので、つくる気なら、パイを四十こもつくれるだけの綱があった。そのうえ、スープにしたり、ソーセージにしたり、また、すきなものをなんでもつくれるくらい、たくさんのこった。ごちそうがいく皿だって、こしらえられたにちがいなかった。
 だが、わたしたちには、そんなものはいらない。パイをつくるだけあれば、まにあうのだ。だから、のこりは、みんなすててしまった。わたしたちは、またパイをこしらえるのに、あらいおけは使わなかった――ハンダがとけてしまうのが心配だったからだ。だが、サイラスおじさんは、大むかしのりっぱなしんちゅうの湯たんぽを持っていたので、わたしたちは、こっそりそれをひっぱりだして、森のなかへ持ちこんだ。それは、祖先からつたわってきた、長い木の柄のついたなべのようなかたちの湯たんぽだった。むかし、メイフラワー号かなんかで、征服者ウィリアムといっしょに、イギリスからわたってきたものだ。そして、そのほかたくさんのねうちのある古いなべや、いろいろなものといっしょに、屋根べやにしまってあった。サイラスおじさんがだいじにしていたものである。もちろん、使いものにはならないのだから、使うためにではなく、形見としてなのだ。ところで、わたしたちは、パイのやきかたを知らないから、はじめはうまくやけなかった。だが、さいごに、パイは、にこにこわらいながらふくれあがってきた。わたしたちは、湯たんぽをとって、そこにねり粉をうすくしいてから、火のなかにおいて、ぼろでつくった綱を入れ、さらにねり粉のおおいをし、そしてふたをしめて、その上にもえさしをのせた。それから、五フィートはなれ、長い柄をにぎって、立っていた。そのほうが、すずしくって、気持ちがよかったからだ。十五分で、パイはできあがった。見た目にも、りっぱなものだった。だが、それを食った人間は、つまようじを二たばも用意しなければなるまい。というわけは、なわばしごを食うのに骨がおれることはもちろん、そのうえ、はらいたをおこして、つぎの食事までねこんでいなければならないことはうけあいだからだ。
 わたしたちがジムのなべに魔女のパイを入れるとき、ナットは見ていなかった。わたしたちは、なべの食べものの下に、ブリキの皿も三まい入れた。だから、みんなつごうよくジムの手にはいった。ひとりになるとすぐ、ジムは、パイをわって、なわばしごをわらぶとんのなかにかくし、それから、ブリキの皿になにかをかきなぐって、窓あなからなげだした。
             38 囚人《しゅう じん》の義務《ぎむ》
 ペンをつくるということは、ひどく骨のおれるしごとだった。のこぎりをつくるのもそうだった。だが、ジムは、もんくをかくのがなによりもいちばんつらいしごとだろうといった。もんくというのは、囚人がかべになぐりがきしなければならないもんくのことである。だが、ジムは、どうしてもそれをかかなければならないのだ。トムが、どうしてもかかなければだめだ、国事犯の囚人が、もんくか自分の紋章をかきのこさなかったれいは、一度もないというのだ。
「ジェイン=グレイ夫人を見てみろ!」と、彼はいった。「ギルフォード=ダドレイを見てみろ! ノーサンバランド老公爵を見てみろ! ね、ハック、ずいぶんめんどうだと思うかい――きみなら、どうする? ――どうしようと思う? ジムは、もんくと紋章をかかなきゃいけないんだ。だれだってみんな、そうするんだからさ。」
 ジムがいった。
「だが、トムさん、おらあ紋章を持ってねえだよ。この古シャツのほか、なにも持ってねえだよ。それに、おらあ、このシャツには日記をかかねえとならねえだ。」
「ああ、おまえは、わかっていないんだよ。ジム。紋章って、まるっきり、ちがうものなんだぜ。」
「そりゃ」と、わたしはいった。「とにかく、ジムが紋章を持っていないっていうのは、ほんとうだよ。だって、ジムには、紋章なんかないじゃないか。」
「そんなこと、おれだって知ってるさ」と、トムはいった。「だが、ここからでるまでに、どうしても一つ持たなきゃならないんだ――だって、ジムは、りっぱに脱獄するんだからさ。ジムの記録に一つでも欠点があっちゃだめじゃないか。」
 そこで、わたしとジムは、れんがのかけらでペンをといだ。ジムはしんちゅうのろうそく立てでつくったペンのしあげをし、わたしはさじでつくったペンのしあげをしているあいだに、トムは、いっしょうけんめいになって紋章を考えだそうとしていた。まもなく、トムは、どれにしたらよいかわからないほど、いいやつをたくさん考えついたが、これにきめたいと思うやつが一つあるといった。
「それはね、まず、たて[#「たて」に傍点]のかたちの、むかって右手の下のほうに、金色《きんいろ》の斜線《しゃせん》をひくんだ。それから、中央には、紫紅色の聖アンドリュー十字(×)をかき、おさだまりの意匠は、うずくまった犬にするんだよ。そして、犬の足もとにはさ、どれい制度の表徴として、くさりで陣形をつくり、その上部はのこぎり状にし、みどりの山がたをつらねたようにするのさ。また、うす青色の紋地《もんじ》には、三本のらせん状のすじを入れてさ、のこぎりがたのまくをふかくきざんで、いくつかのいぼ[#「いぼ」に傍点]をあしらうんだよ。かざり章は、脱走《だっそう》した黒人《こくじん》がさ、むかって右ななめのぼうにつつみをぶらさげて、かたにかついでいるところを、黒であらわすことにしようや。そして、支持者は、つまりおれとおまえはさ、赤色の二本の垂直平行線であらわすんだ。標語は、ある本からとったんだが『いそがばまわれ』ということにしようぜ。」
「へええ」と、わたしはいった。「だが、そのほかは、なにを意味しているんだい。」
「そんなことを気にしているひまなんか、ありゃしないよ」と、彼はいった。「おれたちはいっしょうけんめいやらなきゃならないんだぜ。」
「でも、とにかく」と、わたしはいった。「すこしわからないとこがあるんだよ。ちゅうおうって、なんだい。」
「中央――中央って――おまえなんか、知らなくたってかまやしないよ。ジムがやりはじめるとき、どうしてつくるかおしえてやるからさ。」
「なんだって、トム」と、わたしはいった。「きみは、わかってるんじゃないのかい。むかって右ななめのぼうって、なんだい。」
「ああ、おれも知らないんだ。だが、ジムはそれを持たなきゃならないんだよ。貴族たちはみんな持ってるからさ。」
 彼は、いつでもこんなふうだった。気がむかないと、けっして説明しようとしないのだ。ききだそうとして一週間せめたところで、おなじことだろう。
 彼は、紋章のことをすっかりきめてしまうと、こんどは、そういったたぐいのしごとののこりをかたづけにとりかかった。それは、かなしいもんくをつくりだすことだった――だれだって、みんなそうやったのだから、ジムにも一つなければならない、といった。彼は、たくさんつくって、それを紙にかいてから、よみあげた。
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一 ここにて、とらわれしもののこころはやぶる。
二 ここにて、世と友にすてられし、あわれなる囚人は、そのなやみおおきさだめをなげく。
三 ここにて、そのさびしきこころはやぶれ、つかれはてたるたましいは、そのいこい[#「いこい」に傍点]におもむけり、孤独なる三十七年のとらわれののちに。
四 ここにて、けだかきよそ国びと、ルイ十四世の私生児は、家もなく友もなく、三十七年の苦きとらわれののち、死につけり。
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 これをよんでいるあいだ、トムの声はふるえ、かなしみのためにほとんどよみつづけることができなかった。よみおわっても、どれをジムのためにかべにかきつけたらよいのか、彼は、まったく決心がつかなかった。どれもこれも、みなよくできていたからだ。とうとうおしまいに、彼は、ぜんぶジムにかかせようといいだした。ジムは、こんなにたくさんのことを、くぎで丸太にかきつけるには、一年もかかるし、おまけに、おれは字のかきかたも知らない、といった。だが、トムは、ぼくが型どってやるから、おまえは、その線をなぞってかきさえすればいいのだ、といった。それから、じきに、彼はいった。
「どうも、丸太じゃうまくなさそうだぜ。地下牢には、丸太のかべなどありはしないもんな。もんくは、岩にほりつけなきゃだめだ。岩を持ってこよう。」
 ジムは、岩は丸太よりなおぐあいがわるいといった。あのもんくを岩にほりつけるには、うんと長い時間がかかるから、いつまでたっても、できっこあるまい、といった。だが、トムは、ハックにてつだわせてやると、ジムにいった。それから、彼は、わたしとジムのペンがどのくらいできているかしらべた。それは、とてもやっかいな、てまのかかる、むずかしいしごとなので、手のきずのなおるまもなかった。そして、ちっとも、はかどらないようにみえた。そこで、トムはいった。
「おれ、どうしたらいいかわかったよ。岩を一つ手に入れて、それに紋章とかなしいもんくをほりつけりゃいいんだよ。そうすりゃ、一石二鳥だぜ。あそこの製材所にすばらしい大きな丸砥石があるからさ、あれをしっけいしてきて、いろんなものを、あれにほるんだよ。そうすりゃ、ペンだって、のこぎりだって、それでとがらせられるぜ。」
 それは、なまやさしい思いつきではなかった。そのうえ、その丸砥石も、なまやさしい砥石ではなかった。だが、わたしたちは、全力をつくして、それにとりくもうと思った。まだま夜中にはならなかったので、わたしたちは製材所へでかけた。ジムは、あとにのこして、はたらかせておいた。わたしたちは、丸砥石をしっけいし、それをころがしながら家へむかった。だが、そのしごとの骨のおれることといったらなかった。その砥石は、どうやってみても、ときどきよこにたおれ、そのたびに、いまにもわたしたちをおしつぶしそうにした。家につくまでに、どっちかがつぶされるぞ、とトムはいった。わたしたちは、とちゅうまではこんだ。だが、もう、へとへとにつかれきってしまい、もうすこしで汗におぼれるほど、汗みどろになった。わたしたちでは、もうどうにもならなかった。いってジムをつれてこなければならない。そこで、ジムは、寝台を持ちあげて、寝台の足からくさりをはずし、ぐるぐると首にまきつけた。そして、わたしたちがほったあなからはいだして、みんなで砥石のところへもどった。それから、わたしとジムがいっしょうけんめいはたらいたので、わけもなく砥石をはこぶことができた。トムは、さしずをするだけだった。人にさしずをすることにかけては、トムの上にでるものはない。彼は、どんなことでも、やりかたを知っているのだ。
 わたしたちのほったあなは、かなり大きかったが、砥石を持ちこめるほど大きくはなかった。だが、ジムは、つるはしで、すぐにじゅうぶん大きくほりひろげた。それから、トムはくぎで砥石の上に紋章《もんしょう》ともんくをかいてやって、ジムにほらせた。ジムは、くぎをのみ[#「のみ」に傍点]のかわりにし、かなづちには、さしかけ小屋のなかのがらくたのなかにあったボルトを使った。トムは、ろうそくがもえきるまではたらいたら、ねてもいいが、丸砥石はわらぶとんの下にかくし、その上にねろ、とジムにいいっけた。そして、ジムのくさりを寝台の足にはめるのをてつだってやって、わたしたちもねにいこうとした。ところが、トムは、なにか考えついて、いいだした。
「ここに、くもはいないかい、ジム。」
「いんや、あんた。ありがてえことに、いねえだよ、トムさん。」
「そうかい、そいじゃ、すこしとってきてやろう。」
「だがまあ、ぼっちゃん。おらあ、いらねえだよ。おらあ、くも、おっかねえだ。くもより、がらがらのほうがましなぐらいだだ。」
 トムは、一、二秒考えてからいった。
「そいつあ、いい考えだ。これまでにもあったことだと思うよ。きっとあったにちがいないんだ。りくつにもあってらあ。そうだ、まったくいい思いつきだよ。おまえ、どこにかっておく?」
「なに、かっておくだだ、トムさん。」
「なにって、がらがらへびじゃないか。」
「あああ、トムさん! ここにがらがらへびがはいってきたら、おらあ、あの丸太のかべ板を、この頭でつきやぶってにげだすだよ、きっとだだ。」
「なにさ、ジム、すこしたてば、こわくなくなるよ。かいならせるぜ。」
「かいならす!」
「そうだよ――わけないぜ。どんな動物だってさ、しんせつにして、かわいがってやりや、ありがたがるんだ。そして、かわいがってくれる人にかかろうなんて、しやあしないよ。どの本にも、そうかいてあるんだ。やってみろよ――たのむからさ、二、三日でもいいんだよ。じきにならすことができるぜ。がらがらへびが、おまえをすきになるよ。いっしょにもねるし、おまえのそばから、いっときもはなれなくなるよ。そのうえ、首にまきついたり、頭を口のなかに入れたり、平気でするぜ。」
「たのむだ、トムさん――そんなこと、いわねえでくんなさいよ。おらあ、たまらねえだ。へびがおらあの口に、頭を入れるって――きっと好意のつもりでだがね。いつまで待ってたって、そんなこと、こっちからたのむ気づかいはねえだ。それどころか、おらあ、がらがらへびといっしょにねたかあねえだよ。」
「そんなばかなことをしちゃだめだよ。ジム。囚人って、なにか声をたてない愛がん動物をかってなきゃいけないんだぜ。そいでさ、がらがらへびをかった囚人が、これまでになかったとすりゃ、どんな方法を考えだしてたすかるよりもさ、がらがらへびをかったのは、おまえがはじめてだってことになるんだからさ、がらがらへびをかってたすかったほうが、それだけおまえの名誉が大きくなるんだぜ。」
「でも、トムさん、おらあ、そんな名誉はほしくねえだ。へびが、ジムのあごをかみとったら、どこに名誉があるだだ。そうだだよ、あんた、おらあ、そんなことしたくねえだよ。」
「ちぇっ、やってもみられないのかい。おれは、ただ、やってみてもらいたいだけなんだぜ――うまくいかなかったら、やめてもいいんだよ。」
「でも、やってみているうちに、がらがらへびがおらあをかんだら、それで、もうおしまいだだ。むちゃなことでさえねえなら、おらあ、たいていのことはよろこんでするだよ、トムさん。だが、あんたとハックさんが、がらがらをここに持ってきて、ならせというだら、おらあ、なんでもかでも、あんたらと、てをきるだだ。」
「そうか、そいじゃよすよ。おまえがそんなに強情をはるなら、がらがらへびはよすよ。そのかわり、しまへびをとってくるからさ、おまえは、そのしっぽにボタンをむすびつけて、がらがらへびのつもりにすりゃいいよ。そんなら、もんくはあるまい。」
「そんなら、がまんできるだよ、トムさん。でも、いっておくだが、おらあ、そんなのねえほうが、なおいいだよ。おらあ、囚人って、こんなにめんどうで、やっかいなもんだとは知らなかっただ。」
「そうかい、正式にやりゃ、いつだって、そうなんだよ。このあたりに、ねずみ、いるかい。」
「いねえだよ、あんた。一ぴきも見たことがねえだだ。」
「そいじゃ、ねずみもなんびきかとってきてやるぜ。」
「なんだって、トムさん。おらあ、ねずみなどいらねえだよ。ねずみぐれえ、人のじゃまをして、すかねえ生きものはねえだ。人がねむろうとしてるのに、走りまわったり、足をかじったりするでねえだか。まっぴらだよ、あんた。どうしてもかわねえとだめなら、しまへびをとってきてくんなされよ。ねずみは、いらねえだよ。ねずみは、なんともまあ、ごめんこうむるだだ。」
「だが、ジム、おまえは、ねずみをかわなきゃいけないんだぜ――囚人は、だれだってみんな、かうんだからさ。だから、もう、ねずみのことで、あんまりさわぐなよ。囚人とねずみはつきものなんだ。れいがいなしだ。囚人たちは、ねずみをならしてさ、かわいがったり、芸をしこんだりするんだよ。だから、ねずみは、はえのように人づきあいがよくなるんだ。だが、ねずみに音楽をきかせてやらなきゃだめだぜ。おまえ、なにか楽器を持ってるかい。」
「おらあ、目のあらいくし[#「くし」に傍点]と、紙一まいとビヤボンのほか、なんにも持ってねえだよ。だが、おらあ、ビヤボンなど、ねずみがよろこばねえと思うだよ。」
「ところが、よろこんできくよ。どんな音楽だってかまやしないんだ。ビヤボンなら、ねずみには、けっこうすぎらあ、動物って、みんな音楽ずきなんだ――牢獄のねずみは、ことに音楽がすきなんだよ。しかも、いたましい音楽がなおすきなんだ。ビヤボンでやれるのは、そういうものだけだな。きっとねずみは、そいつをよろこぶよ。やつらは、おまえがどうしてるのか、見にくるぜ。とてもつごうがいいよ。ちゃんと準備ができているんだからさ。おまえは、まい晩ねるまえと朝はやくべッドにこしかけて、ビヤボンを鳴らせばいいよ。『さいごの綱はたたれたり』あれをやれよ――ねずみを手なずけるには、あれにかぎるよ。二分もやってりゃ、ねずみでも、へびでも、くもでも、なんでも、おまえのことが気になって、やってくるぜ。そして、おまえのまわりにむらがりあつまって、たのしむよ。」
「そうだだ、ねずみやへびはそれでいいかもしれねえだ、トムさん。だが、いったいこのジムは、どういうことになるだだ。おらあ、とんと要点がわからねえだ。だが、しなければならねえなら、おらあ、やるだよ。おらあ、動物どもの気に入るようにしてやって、家のなかで、あばれさせないようにするほうが、いいと思うだから。」
 トムは、しばらく、じっと考えこんでいた。そのほかになにか、やることはないかと考えているのだ。まもなく、彼は、いった。
「ああ、うっかり、一つわすれものをしてたよ。おまえ、ここで花をそだてられるかい。」
「どうだかわからねえだが、でも、できるかもしれねえだよ、トムさん。だが、ここはずいぶんくれえ(暗い)だし、それに、おらあ、花などにはまるで用がねえだ。おまけに、花をそだてるの、うんとめんどうくせえだよ。」
「でも、とにかく、やってみろよ。囚人のうちには、花をそだてたものもいるんだぜ。」
「あの大きなねこのしっぽのようなもうずいかなら、ここでもそだつかもしれねえだよ、トムさん。だがあの花は、かけたてまの半分もねうちがねえだだ。」
「そんなこと、考えるひつようはないんだ。おれたち、ちいさいやつをとってきてやるからさ、おまえは、あそこのすみにうえて、そだてるんだよ。そして、もうずいか[#「もうずいか」に傍点]なんていわないで、ピッチオーラっていうんだぜ――牢獄のなかじゃ、そういうのがただしい名まえなんだからさ。そして、水のかわりに、なみだをそそいでやるんだぜ。」
「なんだって、トムさん、泉の水がなんぼでもあるでねえだか。」
「泉の水なんか、いらないんだよ。おまえのなみだをそそいでやらなきゃならないんだよ。囚人は、いつでもそうするんだからさ。」
「でも、トムさん、ほかのやつらがなみだをそそいで、やっと芽をださせるあいだに、おらあ、泉の水をそそいで、もうずいかを倍もはやくそだてることができるだよ。」
「そんなことは、問題じゃないんだ。おまえは、なんてったって、なみだでそだてなきゃならないんだよ。」
「なみだでそだてなきゃならないなら、おらあの手じゃ、花はかれてしまうだよ。きっとかれてしまうだ。おらあ、なくことなど、ほとんどねえだから。」
 トムは、よわってしまった。だが、じっと考えこんでいたが、すぐ、彼は、ジムには苦労だろうが、玉ねぎでもいじって、せいぜいなみだをこぼせばいい、とジムにいった。朝、黒人の小屋へいって、玉ねぎを一つ、そっと、ジムのコーヒーわかしのなかに、まちがいなく入れておいてやろうといった。ジムは、「すきなかみタバコでさえ、コーヒーのなかに入れてもらうのは、まっぴらだよ」といった。そして、そのことをうんと非難した。それから、もうずいかをそだてるとか、ねずみにビヤボンをきかせるとか、へびだとか、くもだとかそういうものを、かわいがったりよろこばせたりするのは、やっかいなしごとだといって、あたりちらした。なかでも、ペンを使って、もんくをかいたり、日記をつけたり、そんなことをするくらい、やっかいなしごとはない、といって非難した。ジムがこれまでやってきたどんなことより、囚人であることが、めんどうで、苦労で、重荷に感じられるのは、ペンを使わなければいけないからだった。そんなわけで、トムは、もうすこしでかんにんぶくろの緒をきらしそうになった。自分の名声をあげるために、こんなにすばらしい機会にめぐまれた囚人はいないのに、ジムにはそれがよくわからないので、せっかくの機会もむだになりそうだ、とトムはいった。すると、ジムは、気のどくがって、もうもんくはいわないといった。それで、わたしとトムは、さっさともどって、寝床にはいった。
           39 準備完了《じゅんびかんりょう》
 つぎの朝、わたしとトムは、村へいって針金のねずみとりを買ってきた。そして、それを地下室へ持っていって、いちばんねずみのでるあなのふたをとってしかけ、一時間ばかりのあいだに、とてもげんきのいいねずみを十五ひきもとった。わたしたちは、それをサリーおばさんの寝台の下の安全な場所にかくしておいた。ところが、わたしたちがくもをさがしにいっているあいだに、子どものトマス=フランクリン=ベンジャミン=ジェファースン=エレグザンダー=フェルプスが、それを見つけて、ねずみがでてくるかどうかためすために、ふたをあけたので、ねずみはでてしまった。そこに、サリーおばさんがはいってきた。わたしたちがもどってくると、ちょうど、サリーおばさんは、寝台の上に立って、大さわぎをしていた。そして、ねずみどもは、どうしたら彼女にたいくつしのぎをさせてやれるかと、いっしょうけんめいになっていた。彼女は、さわぐるみでつくったむちで、わたしたちをぶった。おまけに、わたしたちは、また十五、六ぴきとるのに、二時間もかかった。あの、おせっかいながき[#「がき」に傍点]めの、いまいましいったら。しかも、こんどつかまえたねずみはおあつらえむきではなかった。最初につかまえたやつが、よりぬきのじょうとうなやつばかりだったからだ。わたしは、最初にとったねずみほどりっぱなねずみを、あんなにたくさん見たことがない。
 わたしたちは、種類べつにわけた、くもや、南京虫や、かえるや、毛虫や、なにやかやの、すばらしいたくわえができた。くまばちの巣もとりたいと思ったが、とれなかった。くまばちのむれが巣にいたからだ。わたしたちは、なかなか思いきれなかったので、できるだけ、しんぼうづよく待っていた。はちのほうがこんまけするか、わたしたちのほうがこんまけするかと思って待っていた。とうとう、わたしたちのほうがこんまけして、巣に手をだした。そこで、わたしたちは、おおぐるま草をとってきて、さされたところをこすったら、きずはあらかたなおったが、それでも、らくにこしをおろすことができなかった。それから、わたしたちは、へびをとりにかかった。そして、しまへびと家へびを二ダースつかまえて、ふくろに入れ、わたしたちのへやに持っていくと、ちょうど晩の食事の時間だった。りっぱな一日がかりのしごとだった。はらがへったかって? ――いやどういたしまして、ぜんぜんへったような気もしなかった。ところで、わたしたちがへやにもどっていくと、へびはただの一ぴきもいなくなっていた――わたしたちは、ふくろの口をちゃんとしめておかなかったわけではないのに、どうやってぬけだしたものか、いなくなっていた。だが、そんなことは、なんでもなかった。へびは、まだ、屋敷内のどこかにいるにきまっているからである。だから、なんびきかは、またつかまえられると思った。ところが、どうして、かなりたくさんのへびが、ずいぶん長いあいだ家のなかをうろついていた。たるき[#「たるき」に傍点]かなにかからおちてくるのが、ちょいちょい見かけられた。しかも、皿の上だとか首すじだとか、たいてい、だれでもおちてもらいたくないようなところにおちてきた。それは、うつくしいしまがあって、百万びきいたって、なんの害もしないへびだったが、サリーおばさんにとっては、そんなこと、どっちでもおなじだった。彼女は、どんな種類のへびでもすきではなかった。なんとしても、がまんがならなかった。彼女のところにへびがおちようものなら、どんなことをしているときでも、しごとをおっぽりだして、外へとびだした。わたしは、こんな女を見たのははじめてだ。やけにさわぎたてる、彼女の声がきこえてくる。火ばさみでへびをつまむなどということは、彼女には、まちがってもできなかった。ねがえりをうったとき、床のなかに一ぴきでもへびがいようものなら、彼女は、ころがりだして、家が火事にでもなったようにわめきたてた。そのため、サイラスおじさんは、ひどくこまってしまい、へびなどという生きものが、いなかったらなあ、といった。ところで、へびを片っぱしからぜんぶ、外へたたきだしたあとでも、一週間ぐらい、サリーおばさんはびくびくしていた。彼女がこしかけてなにか考えているときに、首すじに羽《はね》でもさわろうものなら、彼女は、びっくりしてとびあがった。まったく、おかしかった。だが、トムは、女はみんなそうなのだ、といった。なにかのわけで、女はそういうふうにつくられているのだ、といった。
 わたしたちは、彼女のまえにへびがでるたびにぶたれた。こんどうちのなかにへびを持ちこんできてはなしたら、ぶつぐらいじゃすまされないよ、と彼女はいった。わたしは、ぶたれるぐらい、平気だった。なんでもないからだ。だが、考えると、へびのおかわりをしこむのはめんどうくさかった。それでも、わたしたちは、へびのおかわりをしこんだ。ほかのいろいろなものもしこんだ。そんなわけで、それらの動物どもが音楽をきいて、ぞろぞろとむらがってジムのほうによっていくときの、ジムの小屋のにぎやかなことといったらなかった。ジムは、くもがきらいだったが、くものほうでも、ジムがきらいだった。くもどもは、ジムを待ちぶせていて、ひどいめにあわせた。そのうえ、ジムは、ねずみとへびと丸砥石にはさまれて、寝台のなかにはほとんどねるところがない、といった。たとえ場所があるときでも、動物どもがとてもにぎやかで、しじゅう大さわぎしているので、とてもねむれたものではない、といった。動物どもは、けっして、みんな一度にねむらないで、かわり番こにねむるからだ。へびがねむっているときには、ねずみがあばれだすし、ねずみがねむっているときには、へびが見はりをしている。そんなふうに、へびはいつも下にいてじゃまをするし、ねずみはいつも上にいてさわいでいる。そして、どこかあたらしい場所を見つけようとして立ちあがり、むこうがわへいこうとすると、くもが、ここぞとばかりつけこんでくる。そう、ジムは話した。そして、ジムは、これさえかたづいたら、おらあ、二度と囚人にならねえだよ。給金をもらってもならねえだよ、といった。
 さて、三週間めのおわりになると、なにもかも準備がすっかりととのった。シャツは、パイに入れて、とうにおくりこんであった。それで、ジムは、ねずみにかまれるたびにおきて、ねずみにかまれたところからでる血のインキがかたまらないうちに、日記を一行ずつかきこんだ。ペンもできていたし、もんくもなにもみんな、丸砥石にほりつけられてあった。寝台の足も二つにひききって、おがくずは、わたしたちが食った。おかげで、わたしたちは、もうれつに胃をわるくして、みんな死ぬのではないかと思ったほどだが、死にはしなかった。こんな不消化なおがくずは、はじめてだ。トムもそういっていた。だが、とうとうわたしたちは、くりかえしていうが、準備をすっかりととのえた。そのために、わたしたちは、みんなつかれきっていたが、なかでも、ジムがいちばんつかれていた。サイラスおじさんは、オーリンズの川下の農園に、二度も手紙をかいて、にげてきた黒人をうけとりにきてくれといってやった。だが、へんじはこなかった。というわけは、そんな農園はないからだ。おじさんは、セントルイスニューオーリンズの新聞に、ジムの広告をだそうといいだした。わたしは、おじさんがセントルイスの新聞のことをいいだしたとき、ぞっとした。もういっこくもぐずぐずしてはいられない、と思った。トムは、いよいよ匿名の手紙をかくときがきた、といった。
「匿名の手紙ってなんだい。」
と、わたしはいった。
「なにかおこるという、人びとへの警告だよ。そのやりかたは、そのとき、そのときでちがうけどさ。だが、スパイをして、城主に密告するやつか、いつでもいるんだよ。ルイ十六世がチューレリーの城から脱出しようとしたときにはさ、召使の少女が密告したんだぜ。それも、いい方法だが、匿名の手紙だって、いい方法なんだ。おれたちは両方やろうじゃないか。それからさ、囚人の母親が囚人と服をきかえて、母親がのこってさ、囚人が母親の服をきてぬけだすのも、よくやるて[#「て」に傍点]なんだ。おれたち、そいつもやろうじゃないか。」
「でもさ、トム、おれたち、なんだって、なにかおこるってことを、だれかに警告しなきゃならないんだい。あいつらに、自分で発見させりゃいいじゃないか――見はりは、あいつらがやるべきだよ。」
「そうだ、そのとおりだよ。だが、あいつらにまかせておけないんだよ。あいつら、そもそものはじまりっから――おれたちに、なんでもさせておいたじゃないか。おれたちを、信用しきっているじゃないか。ばかだから、まるっきり注意もしていないじゃないか。だから、おれたちが警告しなかったらさ、だあれも、なあんにも、おれたちのじゃまをするものはないんだぜ。そいじゃ、おれたちがこんなにいっしょうけんめいになって苦労してきたのにさ、せっかくの脱出が、だいなしになってしまうじゃないか。無意味になるよ――脱出でもなんでもなくなるよ。」
「でも、おれにとっちゃ、そのほうがいいんだがなあ、トム。」
「ちぇっ!」
 そういって、トムは、あいそがつきたような顔をした。だから、わたしはいった。
「だが、おれ、もんくをいおうってんじゃないんだぜ。きみがいいっていう方法なら、いいんだよ。召使の少女は、どうするつもりなんだい。」
「おまえがなるのさ。ま夜中にしのんでいって、あのあいのこの上着をかっぱらってこいよ。」
「だって、トム、そんなことをしたらさ、あしたの朝さわぎになるぜ。あの娘にはたぶん、上着はあれ一まいしかないにきまってるからさ。」
「わかってるよ。だけど、たった十五分使うだけなんだぜ。あれをきて、匿名の手紙を持っていってさ、おもて玄関の戸の下に、それをおしこんできさえすりゃいいんだ。」
「そうかい。そいじゃ、おれ、そうするよ。だが、自分の服をきて、手紙を持っていったほうが、てっとりばやいぜ。」
「そいじゃ、召使の少女のように見えないじゃないか。」
「見えないさ。でも、おれを見ている人なんか、どっちみち、ひとりもいないんだぜ。」
「そんなことには、なにもかんけいがないんだよ。おれたちにとってだいじなことは、おれたちの義務をはたすということなんだ。おれたちのやることを、だれが見ていようがいまいが、そんなことを気にしなくてもいいんだ。おまえには、まるっきり主義がないのかい?」
「いいよ、おれもうなんにもいわないよ。召使の少女になるよ。おかあさんには、だれがなるんだい。」
「おれがなるよ。おれ、サリーおばさんのガウンをかっぱらってくらあ。」
「そいじゃ、おれとジムがにげるとき、きみはのこってるのかい。」
「そんなことしやしないよ。ジムの服にわらをいっぱいつめて、ジムの寝台にねかせてさ、ジムのおかあさんが変装してることにするんだ。そして、ジムにはさ、おれがきていた黒人女のガウンをきせて、みんなでいっしょにぬけだすんだよ。ゆいしょのある囚人がにげるときには、脱出するというんだぜ。王さまのむすこのときだって、そうだよ。むすこが、私生児であろうとなかろうと、やっぱり脱出するというんだ。」
 そこで、トムは、匿名の手紙をかいた。だから、わたしは、この晩、あいのこの娘の上着をかっぱらってきて、それをき、トムにいわれたとおり、おもて玄関の戸の下に、その手紙をさしこんできた。手紙には、こうかいてあった。
[#2字下げ]気をつけよ。騒動乱のきざしあり。警戒をおこたることなかれ。
[#地から2字上げ]知られざる友より
 つぎの晩、わたしたちは、トムが血でかいた絵を、玄関の戸にはりつけた。それは、頭がい骨の下に、二本の足の骨を×形に組みあわせた絵で、死を意味していた。さらにそのつぎの晩、わたしたちは、棺おけの絵をうら口の戸にはりつけた。わたしは、こんなに心配でいらいらしている家族を見たことがなかった。あらゆるものかげや寝台の下に待ちぶせていて、身をふるわせながらでてくる幽霊で、この家がいっぱいになっていたとしても、彼らは、これほどこわがりはしなかったろう。戸がバタンとしまると、サリーおばさんは、とびあがって、「あいた!」といった。なにかものがおちても、「あいた!」といって、とびあがった。知らないでいるとき、ひょいとさわりでもすると、やはりおなじようにとびあがって、「あいた!」といった。彼女は、どちらをむいても安心できなかった。なにかがしじゅう、自分のうしろにいるような気がしているからだ――だから、彼女は、いつもひょいとうしろをむいては「あいた!」といい、三分の二もふりむかないうちに、またむきなおって「あいた!」といった。そして、ねるのをこわがったが、そうかといって、おきてもいられなかった。それで、トムは、じつにうまくいったものだ、これまでに、こんなに思いどおりにいったためしがない、といった。あれは、うまくいったしょうこなんだ、といった。
 それから、トムは、さあ、これからがいよいよ本番だ、といった。そこで、わたしたちは、つぎの朝の夜明けに、手紙をもう一通かきあげたが、さて、これをどういうふうにしたらいいだろうと思った。というのは、夕食のとき、みんなが、今晩は夜どおし、うらおもての入り口に、黒人を見はりに立てておこう、といっていたからだ。トムは、避雷針をつたって、偵察にいった。すると、うら口にいた黒人がねむりこけていた。そこで、彼は、手紙をその黒人の首すじにさしこんで、もどってきた。この手紙にはこうかいてあった。
[#ここから3字下げ、折り返して2字下げ]
われをうらぎることなかれ、われは、貴下らの友たらんとす。むこう見ずの刺客団部落よりきたりて、こよい、貴下がもとなる逃亡しきたれる黒人をぬすまんとす。
しかして彼らは、貴下らが家のなかにこもりいて、彼らのじゃまだてせぬよう、貴下らをおどかさんとしおれり。われは、この刺客団の一員なり。されど、われ、信心を持つにいたりしため、この刺客団よりさり、ふたたびただしき生活をおくらんと欲し、このきょうあくなる計画をあばくものなり。団は、こよい夜半の十二時を期し、へいにそいて、北がわよりしのびいり、あいかぎを持ちて、黒人の小屋にはいり、彼を得んとすべし。われは、わずかにはなれいて、きけんせまるを見んか、ブリキの笛をふかん。しかれど、笛の鳴ることなく、ひつじの鳴き声のごとき、バアアという声をきかば、ただちに、団が小屋にしのびいりたると知るべし。彼らが黒人のくさりをときはなさんとなせるあいだに、貴下らしのびよりて、錠をおろし、彼らをとじこめんか、彼らをころすは、貴下らのつごうしだいなり。わが語りたるいがいに、貴下らなにひとつなすべからず、もし、なにごとをかなさんか、彼らは、あやしみて、おおいなるそうどうをおこすべし。われは、なんらの報酬をのぞむものにあらず。ただ、ただしきことをなしたるによりて、みずからをなぐさむるのみ。
         40 脱出《だっしゅつ》
 わたしたちは、たいへんゆかいだったので、朝の食事のあと、べんとうを持ってカヌーにのり、川へつりにでかけて、とてもおもしろくあそんだ。いかだを見にいってみると、いかだは、かくしたときのまま、ちゃんとしていた。そして、わたしたちは、おそく、夕食にうちへかえった。みんなは、すっかり気がてんとうしていて、いかにも不安そうに、いらいらしていた。わたしたちは、夕食がすむとすぐに、寝床へおいやられた。だが、みんながなんのために気をもんでいるのか、だれも話してくれなかった。こんどの手紙のことは、ひとこともいうものがなかった。しかし、おしえてもらうひつようはなかった。わたしたちは、だれよりもよく知っているからだ。わたしたちが、はしご段をとちゅうまでのぼると、サリーおばさんが、こちらにせなかをむけたので、わたしたちは、すぐ地下室の戸だなへおりていって、じょうとうのべんとうをしこたましこんでから、へやへもどって、寝床へはいった。そして、十一時半におきた。トムは、ぬすんできたサリーおばさんの服をきて、べんとうを持って、でかけようとした。そして、いった。
「バターは、どこにあるんだい。」
「大きなかたまりを一つ、とうもろこしのパンの上にのせておいたよ。」と、わたしはいった。
「じゃ、おまえは、のせたままおいてきたんだ――ここには、ないぜ。」
「バターなんか、なくても食えるじゃないか。」
「あってもわるくないさ」と、彼はいった。「ちょっと地下室におりていって、とってこいよ。そして、大いそぎで、避雷針をおりて、やってくるんだ。おれ、さきにいってさ、ジムの服にわらをつめて、ジムのおかあさんに変装させておくからさ。そして、おまえがきたらすぐ、ひつじのようにバアアといって、にげだす準備をしておくよ。」
 そういって、彼は、でていった。わたしは、地下室におりていった。こぶしぐらいの大きさのバターのかたまりは、わたしがおいたところにあった。わたしは、それを、のせておいたとうもろこしのパンといっしょに持って、あかりをけした。そして、こっそり階段をのぼり、一階まではぶじにあがった。ところが、そこへ、サリーおばさんが、ろうそくを持ってやってきた。わたしは、バターを帽子のなかにしのぼせて、いそいで帽子をかぶった。つぎの瞬間、彼女はわたしを見つけて、いった。
「地下室にいっていたのかい。」
「はい、おばさん。」
「地下室で、なにをしていたんだい。」
「なにもしてません。」
「なにもしていないって!」
「はい。」
「そいじゃ、こんな夜中に、なんだって、地下室にいってたのだい。」
「わかりません。」
「わからないって? そんなこたえって、あるもんですか。おまえは、地下室でなにをしていたのです。トム。」
「ほんとに、なにもしていやしません、サリーおばさん。ほんとです。」
 わたしは、もう彼女がわたしをはなしてくれると思った、いつもなら、見のがしてくれるからだ。だが、ふしぎなことばかりかさなっておこるものだから、彼女は、ちょっとでもへんなことがあると、ひどく不安がっているのだ。だから、彼女はいった。
「居間へいって、あたしがもどっていくまで、待っていらっしゃい。きっと、なにか、しなくてもいいことをやってたんだ。それがわかるまでは、ゆるしません。」
 きっぱりそういって、彼女はいってしまった。わたしは、戸をあけて、居間にはいっていった。うわっ、おおぜい、人がいる! 農夫が十五人もいた。しかも、ひとりひとり鉄砲を持っているのだ。わたしは、ひどく気持ちがわるくなったので、そっといすのところへいって、こしをおろした。彼らも、あっち、こっちに、こしをおろしていた。ちいさなひくい声で話しあっている人びともあった。みんな、不安そうにもじもじしていた。それでも、つとめて平気をよそおっていた。だが、彼らがどんなに不安がっているか、わたしにはわかった。彼らは、ひっきりなしに、帽子をぬいだり、かぶったり、頭をかいたり、席をかえたり、ボタンをいじくりまわしたりしているからだ。わたしだって、不安でないことはなかった。だが、わたしは、帽子をとらなかった。 わたしは、サリーおばさんがもどってきて、はやくご用ずみにしてくれればいい、と思った。わたしをぶちたいならぶってもいい、はなしてくれさえすれば、わたしは、トムのところへいって、わたしたちがやりすぎたため、どえらいさわぎになっていることを話すことができる。そうすれば、わたしたちは、すぐばかなまねをやめて、このならずものどもが、がまんしきれなくなって、わたしたちにむかってくるまえに、ジムをつれてにげだせるだろう。
 やっと、彼女がもどってきて、いろいろききただしはじめたが、わたしは、すらすらとこたえられなかった。気がてんとうしていたのだ。なぜかというと、農夫たちが、ひどく気をもみだし、なかには、もう数分でま夜中だから、これからすぐでかけていって、無法者どもを待ちぶせてやろうといいだすものがあったからだった。だが、そういう人びとをおしとどめて、ひつじの鳴き声のあいずを待っていようという人びともあった。いっぽうおばさんは、ねほりはほりきくので、わたしは、からだががくがくとふるえて、その場にたおれそうになるほど、こわくなった。そして、その場にいたたまれなくなった。おまけに、バターは、とけて、首すじや耳のうしろにながれだしてきた。まもなく、だれかがいった。「おれ、これからすぐいって小屋んなかにいて、やつらがきたら、つかまえようか。」
 それをきいて、わたしは、あやうくたおれそうになった。バターがひとすじ、ひたいにたらたらとながれおちてきた。サリーおばさんは、それを見ると、シーツのようにまっさおになって、いった。
「おやまあ、この子はどうしたんでしょう。きっと、脳せきずい膜炎になったんだわ。脳みそがにじみでてきたわ。」
 みんなが、見ようとして、近よってきた。彼女は、わたしの帽子をむしりとった。パンとバターのとけのこりがでてきた。すると、彼女は、わたしをつかまえて、だきしめていった。
「まあ、この子ったら、人をびっくりさせてさ! こんなことで、ほんとによかったわ。このごろは、まのわるいことばかりある、わるいことがおこるときは、ちっとやそっとじゃすまないものなんだからね。バターがたれてきたのを見たとき、あたしは、もう、おまえはたすからないと思ったのだよ。色といい、なんといい、てっきり脳みそがながれだしてきたと思ったものだからね――ね、おまえったら、どうしてバターをとりにいったんだって、あたしにいわなかったのだい。そんなことなら、気にもしなかったのにさ。さあ、いっておやすみ、朝まででてくるんじゃないよ。」
 わたしは、すぐさま二階にあがって、避雷針をつたっており、さしかけ小屋にとんでいった。わたしは、ろくに口もきけなかった。気が気ではなかった。それでも、わたしは、すぐにげださなければだめだ、とトムにいった。一秒だってぐずぐずしてはいられない――家のなかには、人がおおぜいいて、みんな鉄砲を持っているから、といった。
 トムの目が、ぱっとかがやいた。そして、いった。
「ほう! ――そうかい。そいつは、すてきだ! な、ハック、もう一度やれるんだったら、おれ、きっと二百人もよせてみせるぜ! もし、にげるのをのばしていいのなら――」
「いそげったら! いそげよ!」と、わたしはいった。
「ジムはどこにいるんだい。」
「おまえのひじのそばにいるよ。手をのばしゃ、とどくぜ。もうきがえをして、にげだせるばかりになっているんだ。さあ、そっとぬけだして、ひつじのあいずをしようや。」
 だが、このとき、足音がきこえて、人びとが入り口のところにやってきた。そして、南京錠をいじくりだした。ひとりの声がした。
「おれ、まだはやいといったじゃないか。まだきてやしないよ――錠がおりているよ。な、おい、おまえたちをなん人か小屋のなかに入れて、錠をおろしておくから、暗やみのなかで待ちぶせしていて、やつらがきたら、ころせ。あとのものは、すこしはなればなれになって、耳をすまして、やつらのくる音をきいていろ。」
 彼らは、小屋のなかにはいってきたが、暗いので、わたしたちは見つからなかった。もうすこしで、ふみつけられそうになりながら、わたしたちは、むりやりに寝台の下にもぐりこんだ。そして、ぶじにはいこんで、大いそぎで、そっとあなからぬけだした――ジムがまっさきに、つづいてわたしが、しんがりはトムがつとめた。それは、トムの命令だった。さしかけ小屋のなかにひそんでいると、すぐ外がわを歩く足音がきこえてきた。そこで、わたしたちは入り口のところまではっていった。トムは、わたしたちをそこに待たせておいて、われめに目をあてていたが、なにも見さだめることができなかった。おそろしく暗いからだ。彼は、足音がとおのいていくのをきいていよう、とちいさな声でいった。それから、ぼくがひじでついたら、それをあいずに、ジムがまっさきにすべりだせ、ぼくはいちばんあとからいくから、とトムはいった。そして、彼は、われめに耳をおしあてて、じっと耳をすましていたが、足音は、そのあたりからなかなかさっていかなかった。それでも、とうとうしまいに、彼は、ひじでわたしたちをつついた。そこでわたしたちは、そっと外にでて、からだをかがめ、息をころして、もの音ひとつたてず、一列縦隊になって、そっとさくのほうへすすんでいった。そして、うまくさくにたどりついたので、わたしとジムは、さくをこえた。ところが、トムのズボンが、さくのいちばん上の横木のそげ板にひっかかってしまった。とたんに、足音が近づいてきた。それで、彼は、ひっぱってはずしたので、そげ板がおれて、ポキンと音をたてた。そして、トムがわたしたちのあとにおりて、かけだしたとき、だれかがさけんだ。
「だれだ? へんじをしろ。しなきゃうつぞ!」
 だが、わたしたちは、こたえなかった。ただ、いちもくさんに走りだした。すると、彼らは、おっかけてきた。パン、パン、パン、鉄砲が鳴った。弾が、ヒュウ、ヒュウと、わたしたちのまわりをとんでいった。彼らのさけび声がきこえてきた。
「こっちだ! 川のほうににげていくぞ! おっかけろ、犬をはなせ!」
 彼らは、そうどなって、全速力でおいかけてきた。わたしたちは、長ぐつもはいていなかったし、さけびもしなかったが、彼らは、長ぐつをばたつかせたり、さけんだりしているので、わたしたちには、彼らのようすがよくわかった。わたしたちは、製材所にいく道を走った。そして、彼らがすぐ近くまでおいすがってきたとき、ひらりとやぶのなかにかくれて、彼らをやりすごし、それからまた、彼らのあとについて走りだした。犬は、一ぴきのこらず、とじこめてあった。ほえると、どろぼうどもににげられてしまうからだ。だが、このときになって、だれかが犬をはなした。犬どもは、百万びきもいるように、ワンワンさわぎたてながらおいかけてきた。だが、それはうちの犬だった。だから、わたしたちは、立ちどまって、犬がおいついてくるまで待っていた。犬どもは、それがわたしたちだとわかると、おとなしくなって、ちょっとしっぽをふっただけで、さわぎのきこえるほうへ、まっしぐらに走っていった。わたしたちは、すぐそのあとから、風をきって製材所の近くまでかけとおした。それから、草むらをつきぬけて、カヌーをつないでおいたところまでいって、カヌーにとびのり、できるだけ音をたてないように、いっしょうけんめいこいで、川のまんなかにでた。それで、すっかり安心し、いい気持ちになって、いかだをかくしておいた島にむかってこぎだした。川岸の上や下、いたるところから、人びとのわめき声や犬のほえ声がきこえてきた。だが、わたしたちがとおのくにつれて、それらのもの音はかすかになり、やがてきこえなくなった。わたしは、いかだにあがるとすぐいった。
「おい、ジム、おまえはまた、自由な人間になれたんだぜ。もう二度とどれいなんかにならなくていいんだよ。」
「おまけに、うんとおもしれえしごとだっただよ、ハックさん。とてもすてきにしくまれていて、そのうえ、みごとにやってのけただ。これくれえて[#「て」に傍点]のこんだ、すばらしいしくみのできる人など、世のなかにいねえだよ。」
 わたしたちは、みんなこころからよろこんだが、なかでも、トムがいちばんうれしがっていた。彼は、ふくらはぎに、鉄砲玉をうけていたからだ。
 わたしとジムは、それをきいたとたんに、げんきがふっとんでしまった。トムは、かなりいたそうだった。血がながれていた。そこで、わたしたちは、トムを小屋のなかにねかせて、公爵のシャツをさいて、ほうたいをしてやろうとした。ところが、トムはいった。
「おい、そのぼろを、おれにくれ。自分でやれるからさ。いま、いかだをとめるな。こんなとこで、ぐずぐずしているんじゃない。脱出は、すばらしく、うまくいったんだぜ。さあ。すぐに大がい[#「がい」に傍点]にかかって、いかだをだぜ! 脱出はみごとに成功《せいこう》したんだ! ――もののみごとにさ。おれは、ルイ十六世の身のふりかたを、ひきうけてやってみたかったなあ、そうすれば、彼の伝記に『聖ルイの後えいよ、昇天せよ!』とかかれずにすんだのに、おしいことをしたもんだ。そうさ、おれたちなら、王をせきたてて、ぶじに国境を脱出させたのにさ――きっと脱出できたにちがいないぜ――しかも、とびきりてぎわよくさ。さあ、大《おお》がい[#「がい」に傍点]にかかれ――大がい[#「がい」に傍点]に!」
 だが、わたしとジムは、そうだんしていた――そして、考えていた。そして、もうちょっと考えてから、わたしはいった。
「いえよ、ジム。」
 そこで、ジムはいった。
「じゃいうだがね。おらあ、こう思うだだ、ハックさん。もし、自由になりたくてにげるのがトムさんで、鉄砲でうたれたのが子どもたちのうちのひとりだったとしたら、トムさんは、『どんどんにげて、おらあをたすけてくれ、医者なんかよんできて、子どもをたすけなくってもええ』っていうだかね? そんなこというのが、トム=ソーヤーさんらしいやりかただかね? トムさんが、そんなこというだかね? まちがっても、いいっこねえだ! ところで、そいじゃ、ジムだったらそんなこというと思うだかな。とんでもねえ、あんた――おらあ、医者をよんでこねえうちは、ここからひと足だってうごかねえだよ。てこでもうごかねえだ。」
 わたしは、ジムのこころのきれいなことを知っていたから、そういうだろうと思っていた――これでいいのだ。わたしは、医者をよびにいってこようと、トムにいった。トムは、ひじょうに反対したが、わたしとジムは、そういいはって、うごかなかった。すると、トムは、自分ではっていって、いかだの綱をといてくるといった。だが、わたしたちは、そうはさせなかった。すると、彼は、わたしたちをおこりつけたが、そんなことは、なんにもならなかった。
 そういうわけで、わたしがカヌーの用意をはじめると、彼はいった。 
「どうしてもいかなきゃしょうちできないなら、おまえ村にいったら、こうすりゃいいんだよ。戸をしめて、医者にしっかり目かくしをしてから、ぜったいにしゃべらない約束をさせて、金貨がぎっしりはいっているさいふを医者ににぎらせるんだよ。そして、うら通りや暗いところをいいかげんひっぱりまわして、それからカヌーにのせて、島のあいだをぐるぐるまわってから、ここへつれてくるんだぜ。そして、あがるとき、医者の身体検査をして、チョークをとりあげてさ、村におくりかえすまでは、そのチョークをかえすんじゃないぜ。そうしないと、このいかだにしるしをつけておいて、あとでさがされるかもしれないからな。」
 そこで、わたしは、そうするといって、カヌーをこぎだした。ジムは、医者のくるのが見えたら、医者がかえっていくまで森のなかにかくれていることになった。
          41 ハック、ひとりでなやむ
 医者は、老人だった。おこされてでてきたが、見ると上品で、しんせつそうな老人だった。わたしは、こう話した――ぼくは弟ときのうの午後、むこうのスペイン島にわたって、狩りをしていたのだが、ちいさないかだを見つけたので、その上でキャンプをはじめた。ところが、ま夜中近くになって、弟は、ゆめを見て、鉄砲をけとばしたにちがいない。鉄砲が暴発して、弾が足にあたった。だから、島までいって、てあてをしてもらいたい。だが、このことは、ひとこともいってもらいたくないし、だれにも知らせないでほしい。ぼくたちは、今晩うちへかえって、うちの人たちをびっくりさせてやりたいのだから、と、話した。
「おまえは、どこのうちのものだい。」と、彼はいった。
「ずっと下の、フェルプス家のもんです。」
「ああ」と、彼はいった。そして、ちょっとたってから、またいった。「どうして、弾があたったといったかな?」
「ゆめを見たんです」と、わたしはいった。「それで、弾があたったんです。」
「きみょうなゆめだなあ。」
と、彼はいった。
 それから、医者は、カンテラにあかりをつけて、皮ぶくろを持ったので、わたしたちは、そこをでた。だが、彼は、わたしのカヌーをひとめ見ると、カヌーが気に入らなくなった――ひとりならだいじょうぶだが、あぶなくて、ふたりはのれない、といいだした。わたしはいった。
「いいえ、心配はありません。ぼくたち、三人でらくらくのっていったんですから。」
「三人?」
「ね、ぼくとシッドと、それから――それから――それから鉄砲です。ぼくがいってるのは、その三人です。」
「へえ。」と、彼はいった。
 彼は、舟べりに片足をかけて、カヌーをゆすってみたが、頭をふって、もうすこし大きい舟をさがそうじゃないか、といった。だが、舟という舟は、みなくさりでつないで、錠がかかっていた。そんなわけで、彼は、わたしのカヌーにのりこんだ。そして、わしがかえってくるまで、待っておれ、そうでなければ、もうすこしさがしてみることだ。もっとも、うちのものをびっくりさせてやりたいなら、うちへかえって、みんなをびっくりさせる用意をしているほうがいいかもしれない、とわたしにいった。だが、わたしは、そんなことはいやだ、といった。そして、彼に、いかだへいく道順をおしえると、彼は、すぐこぎだした。
 まもなく、わたしは、うまいことを考えついた。医者が、すぐにトムの足をなおせなかったら、とわたしは考えた。てあてに三日も四日もかかるようだったら? わたしたちは、どうしたらいいだろう――このへんにうろうろしていたら、医者からひみつがもれやしないだろうか。そうだ、どうしたらよいか、わかりきったことだ。わたしは、ここで待っていればいいのだ。そして、医者がもどってきて、またいかだにいかなきゃいけないといったら、そのときわたしもいっしょにいくのだ。およいででもいくのだ。そして、すぐ医者をふんじばってしまって、にがさないようにし、川をくだろう。そして、トムの足がなおったら、処置料をはらうか、わたしたちが持っている金をぜんぶやるかして、岸にあげてやればいい。
 そこで、わたしは、木材《もくざい》の山のなかにはいりこんで、ひとねむりした。ところが、目をさますと、太陽が頭の上までのぼってきていた。わたしは、弾丸のようにすっとんで、医者の家にかけこんだ。だが、うちの人びとは、医者はゆうべでていったきり、まだかえってこない、といった。そいじゃ、トムがひどくわるいにちがいない、大いそぎで、すぐ島にいかなきゃ、とわたしは思った。そこで、わたしは、いきなりかけだしたが、かどをまがったとたんに、もうすこしでサイラスおじさんの胃ぶくろに頭をつっこみそうになった。彼はいった。
「おや、トム! おまえは、いままでどこへいっていたんだ、このならずものめが。」
「どこへもいってませんよ」と、わたしはいった。「あのにげた黒人を、おっかけていただけです――シッドとふたりで。」
「どこへいっていたのだ、ええ?」と、彼はいった。「おばさんが、とても心配しているぞ。」
「心配することなんかなかったんですよ」と、わたしはいった。「なんともないんですから。ぼくたち、みんなや犬のあとからおっかけていったんですが、ずっとおくれてしまい、みんなを見うしなってしまったんです。でも、川上から声がきこえてきたような気がしたんで、カヌーにのって、おっかけていって、川をわたったんです。ところが、だれひとりいなかったんです。だから、ぼくたち、気をくばりながら、川岸をこぎのぼってきたんですが、くたくたにつかれてしまったんです。そいで、カヌーをつないで、ひとねむりしたところが、一時間ばかりまえまで、ぐっすりねこんでいたんです。そいですぐ、こっちにこぎわたってきて、いま、ニュースをきいているところなんです。シッドは、ニュースをききに郵便局にいっています。ぼくは、シッドとわかれて、食べものをさがしにきたんです。それから、家にかえるつもりでした。」
 そんなわけで、わたしたちは、シッドをさがすために郵便局へいったが、いうまでもなく、シッドはいなかった。そこで、おじさんは、手紙を一通郵便局からうけとり、しばらく待っていたが、やはりシッドはやってこなかった。すると、おじさんは、さあ、いっしょにかえろう、と、いいだした。シッドは、うろつきあきたら、歩いてでも、カヌーででもかえってくればいい――わたしたちは、馬車でかえろうといった。わたしは、あとにのこって、シッドを待たせてもらうようにたのんだが、ききいれられなかった。そんなことをしても、なんの役にもたたない、いっしょにかえって、おまえたちがぶじなのをサリーおばさんに見せてやらなければいけない、とおじさんはいった。
 家につくと、サリーおばさんは、わたしを見て、とてもよろこんで、わらったり、ないたり、わたしを、だきしめたりした。と思うと、こんどは、彼女一流のやりかたで、わたしをぶったが、いたくもかゆくもなかった。彼女は、シッドもかえってきたら、おなじようなめにあわせてやるといった。
 そこには、農夫や農夫のおかみさんたちが、いっぱいになって、ひるの食事をしていた。そして、そのおしゃべりのやかましいことといったらなかった。なかでも、ホッチキスのおかみさんが、いちばんうるさかった。彼女は、ひっきりなしに口をうごかしていた。そして、いった。
「ね、フェルプスのおくさん。わたしは、あの小屋のなかを、すっかりしらべてみたのだがね、あの黒人は、気ちがいにちがいごぜえませんよ。ダムレルのおかみさんにも、そういったでごせえますよ――そうだね。ダムレルのおかみさん? ――いったね、あれは気ちがいだって、いったね――わたしは、そういったのでごぜえますよ。みんなも、きいていたね。あれは気ちがいだって、わたしがいったのをさ。なにを見ても、そうとしか思えないって、いったのをさ。わたしは、あの丸砥石を見なせえって、いったのでごぜえますよ。正気な人間が、砥石の上に、あんな気ちがいじみたものをかくかって、いったでごぜえますよ。ここで、これこれの人間のこころはやぶれたとか、これこれの人が三十七年の歳月を、ここでおくったとか、なんだとか――ルイなんとかの私生児だとか、なんだとか、愚にもつかねえことがかいてあるのでごぜえますよ。あの黒人は、りっぱな気ちがいだって、わたしはいったんでごぜえます。話のはじめにも、とちゅうでも、おわりにも、ひっきりなしに――あの黒人は気ちがいだ――ネボクドニーザーのように気ちがいだって、わたしはいったのでごぜえますよ。」
「それから、あそこにある、ぼろでつくったはしごをごらんなされよ、ホッチキスのおかみさん」と、ダムレルのおかみさんがいった。「いったいぜんたい、なんだって、あんなものがいったのかね――」
「ついさっき、わたしも、アターバックのおかみさんに、そういったところだよ、きいてごらんなされ。そういうから。おかみさんは、あのぼろきれでつくったはしごを見てみろっていうものでね。それで、わたしもいったのだよ、あれをごらんなせえ――なんだって、あんなものがいったのだろうかね、とわたしはいったのだよ。すると、あの人もいうじゃないかね、ホッチキスのおかみさん、わたし――」
「だがいったい、だれが砥石をあそこに持ちこんだのだ? だれが、あのあなをほったのだ?そして、だれが――」
「そのとおりですよ、ペンロッドのだんな。わたしも、そういったんだよ――ちょいと、糖蜜《とうみつ》の皿をとってよ――ダンラップのおかみさんに、たったいま、いっていたんだよ。どうしてあの砥石をあそこへ持ちこんだろうって、いっていたところなのだよ。人手もかりずにさ、ね、だんな――たったひとりでだよ。だが、そこが間題なんだよ、ね。だから、わたしは、ひとりでだ、なんていいなさるなって、いってやったところさ。すけ手[#「すけ手」に傍点]があったんだって、いっていたのだよ。それも、かなりたくさんのすけ手がいたんだっていっていたのだよ。あの黒人をたすけたやつらは、一ダースはいたのだよ。だから、わたしは、ここの黒人をひとりひとり、みんなぶんなぐって、だれが手だすけをしたのか、きっとしらべあげてやるって