『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第22章から第28章とちゅうまで(いちおう読書可能)

20240430
注文が来そうにない事がわかって、一日当たりの作業時間を減らした
スキャン、■20-■31、25枚、11分、
OCR、■33―■41、9分
20240501
■28-■42、14分、スキャン、054-103、25枚
■45-■53、8分、OCR、054-103、25枚
20240502―
■10-■30、20分、ざっとせいり、
■54-■14、20分、ざっとせいり
■30-■50、20分、ざっとせいり
■50―■10、20分、ざっとせいり、073まで
■11―■21、10分、ざっとせいり、091まで
■00―■20、20分、ざっとせいり、103まで、傍点こみ、28章まで
20240513
10分+15分、校正、約30カ所の誤字脱字を確認
20240514
■50-■10、20分、校正、30カ所を直す10分で、あと10分で2カ所の誤字脱字を直す
■45-■45、60分、読みながら校正、28カ所の誤字脱字を直す。
■17-■47、30分、読みながら校正、10カ所の誤字脱字を直す



  もくじ(下巻)
22 サーカス見物…………………………………………………………………007
23 いっぱいくわせる……………………………………………………………019
24 王さま、ばける………………………………………………………………………33
26 死人のまえで………………………………………………………………………047
26 ハック、義侠心をおこす…………………………………………………………063
27 金ぶくろのゆくえは?…………………………………………………………082
28 ジェーンのおどろき………………………………………………………………096
29 ぬかよろこび………………………………………………………………………119
30 くたびれもうけ……………………………………………………………141
31 ジム、いなくなる…………………………………………………………150
32 窮すれば通ず…………………………………………………………………170
33 トム=ソーヤーに再会する……………………………………………184
34 名探偵トム…………………………………………………………………200
35 きけんと困難はざらにはない………………………………………………214
36 正式なやりかた…………………………………………………………230
37 なわばしご入りのパイ…………………………………………………………242
38 囚人の義務………………………………………………………………………256
39 準備完了………………………………………………………………271
40 脱出………………………………………………………………………283
41 ハック、ひとりでなやむ…………………………………………………296
42 トムの告白………………………………………………………………312
 おわりの章………………………………………………………………………330
訳注……………………………………………………………………………334
解説………………………………………………………吉田甲子太郎……335
装 丁・辻村 益朗
イラスト・E=W=ケンブル
              22 サーカス見物
 彼らは、インディアンのように、ポーポーさけんで、たけりくるい、ひしめきあいながら、シャーバーンの家めがけておしよせていった。そのため、どんなものでもみんな、道をあけなければならなかった。さもないと、ふみたおされ、ふみつぶされてしまうのだ。そのすさまじさといったら、見ていられなかった。子どもたちは、にげまどって、暴民のまえを走っている。道に面した窓という窓には、女の顔が鈴なりになっていた。木という木には、黒人の子どもたちがのぼっていた。そのうえ、どの垣根からも、黒人の男や女がのぞいていた。だが、暴民が近づくとすぐ、彼らは、ちりぢりになって、われさきににげだしていった。女や娘たちがおおぜい、すっかりおじけづいて、なきわめいている。 シャーバーンの家のさくのまえは、暴民どもで身うごきもできないほど、いっぱいになった。そのさわがしいことといったら耳がつぶれてしまうほどだ。家のまえは、二十フィートばかりのちいさい庭になっていた。「さくをぶったおせ! さくを!」と、彼らがどなった。すると、たちまち、大さわぎをしながら、さくをひきさいたり、ひっぱがしたり、打ちくだいたりしはじめたので、さくはばったりとたおれた。最前列にいた人びとは、どっと、なかへなだれこんだ。 と、このとき、シャーバーンがおもて玄関の屋根の上にでてきた。二連銃を手にしていた。だが、しずかにおちつきはらって、つっ立ったまま、なんにもいわなかった。さわぎは、はたととまり、人びとは、あとずさりしだした。
 シャーバーンは、ひとことも口をきかなかった――つっ立ったまま、見おろしていた。そのしずけさは、ぞっと身の毛のよだつような、気持ちのわるいものだった。シャーバーンは、ゆっくりと人びとを見まわした。見つめられた人びとは、にらみかえそうとしたが、にらみかえすことができなかった。彼らは、目をふせて、こそこそしだした。まもなく、シャーバーンがにやりとわらった。気持ちのいいわらいかたではなかった。砂のはいっているパンをかんだときのようなわらいかただった。
 それから、彼は、ゆっくりと、あざけるような調子でいいだした。
「きさまら、人を私刑にしようというのか! それはおもしろいことだ。きさまらは、男を私刑にする勇気があると思っているのか! よるべのない、宿なしの、かわいそうな女がやってくると、タールをぬって、羽をまぶす勇気があるからといって、それで、きさまら、男に手をかけるどきょうがあると思っているのか。なんの、男には、きさまらみたいなやつらが、一万人かかったところで、指一本ささせるものじゃないぞ――ひるまであるかぎりはな、そして、うしろからでもかかってこないかぎりは。
 おれが、きさまらを知ってるかって? なにもかもようくごぞんじだ。おれはな、南部でうまれ、南部でそだち、そして、北部にすんでいるのだ。だから、世間いっぱんのことを、よく知っているのだ。だいたい、男は、おくびょうなものだ。北部では、人にふみつけられると、家にかえって、それにたえるつつましいこころをあたえたまえと祈るのさ。南部では、ひとりの男が、だれのたすけもかりずに、まっぴるま満員の駅伝馬車をとめて、乗客から金をふんだくったものだ。ところで、新聞は、きさまらをなかなか勇敢な国民だといっているもんだから、きさまらは、自分たちがほかの国民より勇敢だと思っているのだ――ところが、どの国民だって、きさまらくらいには勇敢なんだぞ。きさまらの陪審員たちは、なんだって、人ごろしどもを絞首刑にしないんだ? 彼らは、その男のなかまに、やみうちされるのをこわがっているからだ――もちろん、そいつらは、きっとそうするにちがいないからな。
 だから、陪審員たちは、いつもきまって、無罪釈放するのだ。そうすると、ひとりの〈男〉が、夜、百人のふく面したおくびょうものどもをしたがえていって、そのわるものを私刑にするのだ。きさまらは、その〈男〉といっしょにこなかったのが手おちさ。それから、もうひとつ、きさまらの手おちは、暗くなってから、ふく面をしてこなかったということだ――きさまらは、〈半かけ男〉をつれてきたのだ――そうだ、あそこにいる、バック=ハークネスだ――きさまらは、あいつにけしかけられなかったら、からさわぎをしているだけだったのだ。
 きさまらは、きたくはなかったのだ。世間なみの男は、いざこざや、あぶないことはきらいなんだ。きさまらも、いざこざや、あぶないことは、すきでないのだ。だがな、つまらねえ〈半かけ男〉がだ――あそこにいる、バック=ハークネスのようなやっか――『私刑にしろ私刑にしろ』とさけぶと、きさまらは、ひくにひかれなくなるんだ――自分を見すかされるのがいやなんだ――つまり、あいつはおくびょうものだ、といわれるのが――そんなわけで、きさまらは、わあわあわめきながら、あの〈半かけ男〉の上着のしっぽにぶらさがって、気ちがいのようになって、ここにおしかけてきたのだ。これから、でけえことをやるんだ、と、ののしりながら。これまで、暴民ほどあわれなもののあったためしがないんだぞ。彼らは、自分のうちからわいてくる勇気でたたかうのではないんだ。その集団や指揮官たちからの、かりものの勇気でたたかうのだ。かしらになる〈男〉のいない暴民は、気のどくを通りこしている。きさまら、しっぽをまいて、家にかえり、あなのなかにはいりこんだほうがいいぞ。ほんとうに私刑をやろうとするなら、暗いところでやるものだ、南部流にな。そして、くるときには、ふく面を持って、そのうえ、〈男〉をつれてくることだ。さあ、かえるがいい――〈半かけ男〉もいっしょにつれてな。」――こういうと、彼は、銃を左うでにかまえて、撃鉄をあげた。
 人びとは、どっとうしろにさがると、すぐ、ちりぢりばらばらになって、四方八方ににげだした。バック=ハークネスは、すっかり器量をさげて、彼らのあとについてにげていった。わたしは、そこにいたければいられたのだが、長居をしたいとは思わなかった。
 わたしは、サーカスがかかっているところにもどった。うらがわをぶらついていると、番人が通りすぎていったので、わたしは、すぐ、テントの下からもぐりこんだ。わたしは、二十ドル金貨と、ほかにも、いくらか金を持っていたのだが、むだな金は使わないほうがいいと思った。こんなにとおく、家からはなれ、見も知らない人びとのなかにいるのだから、いつなんどき金がいるようになるかわからないからである。いくら用心ぶかくしても、用心しすぎるということはない。ほかに方法がないときなら、サーカスで金を使ってもしかたがないと思うが、しかし、サーカスで金をむだ使いするなんて、ばかげたことだ。
 それは、すばらしいサーカスだった。彼らが全員、ふたりずつ、男と女が一組になって、馬をのりいれてきたときは、まったく目がさめるようだった。男は、ももひきとアンダーシャツをきただけで、くつもはかず、あぶみもつけず、両手をゆったりとももの上にのせている――その数は、二十人ぐらいだったろう――女たちは、みんな、うつくしい顔色をしていて、なんともいえないほどきれいだった。そして、ほんものの女王たちの一隊のように、なん万ドルもするような衣装をき、ダイヤモンドをきらきらさせていた。まったくみごとだった。わたしは、こんなにすばらしいものを見たことがなかった。やがて、彼らは、ひとり、またひとりと、つぎつぎに馬のせなかに立ちあがると、波のうねりのように、しなやかに馬場をまわりはじめた。男たちは、見あげるような高いところで、テントの屋根をよけて、頭をぴょいぴょいとさげながら、すれすれに通りすぎていくのだが、とてもせが高く、けいかいで、まっすぐしゃんと立っていた。また、女たちのばらの花びらのような衣装は、彼女たちのしりのまわりで、ふわりふわりと絹のようにはためいているので、彼女たちは、とてもきれいな日がさのように見えた。
 まもなく、彼らは、だんだんはやくまわりはじめた。そして、みんなでおどりだした。まず、片足を空中に高くあげ、つぎに、もういっぽうの足をあげるのだ。馬は、いよいよ首をつきだし、まえのめりになってかけ、座がしらは、まんなかの柱のまわりをぐるぐるまわりながら、むちを鳴らして、「はい! ――はい!」とさけんでいる。すると、道化師が座かしらのうしろで、じょうだんをいってまぜっかえす。そのうちに、いっせいに馬のたづなをはなした。そして、女たちは、両手を組んで、しりにあて、男たちは、うで組みをした。するとこんどは、馬どもが、ぐっとまえのめりになって、思いきりせなかをまるくした! と、やがて、つぎつぎと馬場のなかにとびこみ、世にもしとやかなおじぎをして、さっとかけさっていった。観衆は、やんやと手をたたいて、気もくるわんばかりのありさまだった。
 さて、このサーカスは、はじめからおわりまで、びっくりするようなことばかりして見せた。そして、そのあいだじゅう、道化師が、おどりまわったので、見物人は、はらをよじってわらいこけた。座がしらがひとこというと、まばたきするまもおかず、道化師が、とてもおかしいことをいいかえした。そんなにいろいろなことを、にわかに、しかも、つぼをはずさずに、どうして考えつけるのか、わたしには、わからなかった。わたしなら、一年かかったところで、そんなことばを思いつけなかったろう。まもなく、ひとりのよっぱらいが、馬場のなかにはいろうとした――おれ、馬にのってみてえんだ。馬をのりまわすことにかけちゃ、おらあ、だれにも負けはしねえぜ、と、彼はいった。サーカスの人たちは、いいくるめて、馬場に入れまいとしたが、その男は、耳をかそうともしなかった。そのため、曲芸は、はたととまってしまった。すると、見物人はその男をどなりつけて、からかったので、彼は気ちがいのようになって、あばれだした。そのため、人びとは、かんしゃくをおこし、おおぜいの男が、席を立って、馬場をめがけてどっとおしよせながらいった。「そいつをぶちのめせ! ほっぽりだしちまえ!」女たちも、ひとりふたり、かなきり声をだしてさけびはじめた。そこで、座がしらが、みじかい口上をのべ、みなさま、おしずかにねがいます。もしこのかたが、このうえさわがないとおっしゃるなら、わたしは、馬にのせてあげてもよいとぞんじます。もっともこれは、このかたが、馬をのりまわせると思うならでございますが、といった。みんなは、おもしろがって、しょうちしたので、彼は、馬にまたがった。と思うと、もう、馬は大あばれにあばれて、とびあがったり、はねまわったりしだした。ふたりのサーカスの男が、馬のたづなにぶらさがって、馬をおさえようとした。よっぱらいは、馬の首にしがみついたが、馬がはねあがるたびに、かかとが空中におどりあがった。見物人は、総立ちになって、さけび、なみだがでるほどわらいこけた。だが、曲馬団員の努力にもかかわらず、とうとうさいごに、馬は、たづなをふりきって、もうれつないきおいで、馬場をかけまわりはじめたので、のんだくれは、つっぷして、首にしがみついたが、片足がずりおちて、地面につきそうになった。と思うと、こんどは、もういっぽうの足が、ぶらさがってきて地面につきそうになる。見物人は、すっかり熱狂した。けれども、わたしは、ちっとも、おもしろくもおかしくもなかった。とてもあぶなかったので、ぶるぶるふるえながら見まもっていたのだ。だが、じきに、彼は、あっちへよろよろ、こっちへよろよろしながらも、なんとか馬にまたがりなおして、たづなをつかんだ。と思うと、たちまち馬の上にとびあがりざま、たづなをはなして、しゃんと立ってしまった! 馬はあいかわらず火がついたように、かけまわっている。彼は、すっくりと立ったまま、よっぱらったことなど一度もないように、自由に、ここちよげにのりまわしている――そして、それから服をぬいで、なげはじめた。かたっぱしから、どんどんぬいでなげあげたので、空中は、服だらけになったように見えた。ぜんぶで、十七まいも服をぬいだのだ。すると、そこにあらわれたのは、すらりとした、美男の曲馬師だった。彼は、だれもこれまでに見たこともないような、ぴかぴかする服をき、むちで馬をせめながら、いせいよく馬をのりまわしていた――そしてさいごに、馬場のなかからとびだして、おじぎをし、おどりながら楽屋にはいっていった。見物人は、よろこんだり、びっくりしたりで、わいわいさわぎたてた。
 そのときになって、座がしらは、まんまとだまされたのに気がついたのだが、そのまぬけづらといったらなかった。というわけは、よっぱらいは、座員のひとりだったのだ。彼は、このしゃれを、ひとりでくふうしておいて、だれにもうちあけていなかったのである。ところで、わたしは、完全にいっぱいくわされたので、とてもはずかしかった。わたしなら、千ドルもらったって、この座がしらの立場にたつようなことはしないだろう。世のなかには、このサーカスよりもっと大きくて、すばらしいサーカスがあるかもしれないが、わたしは、まだ、そんなのにぶつかったことはない。とにかく、このサーカスは、わたしには、とてもおもしろかった。このサーカスだったら、いつでもひいきにしてやるつもりだ。
 さて、この晩、わたしたちは、芝居をやった。だが、見物人は、たった十二人ばかりしかこなかった――やっと費用がはらえるだけだった。そのうえ、見物人は、しじゅうげらげらわらっているので、公爵は、かんかんにはらをたてた。見物人たちは、ねむっている少年をひとりのこして、芝居のおわらないうちに、みんなかえってしまった。公爵は、アーカンソーのばかものどもには、シェークスピア劇では、ていどが高すぎるんだ。あいつらが見たがっているのは、ばかばかしい喜劇なんだ――いや、それよりもっとていどのひくいものかもしれない、といった。それなら、あいつらのおこのみにあわせることにしようといった。そこで、つぎの朝、なんまいかの大きな包装紙と黒インクをとりだして、ビラをかき、それを村じゅうにはりつけた。ビラには、つぎのようにかいてあった。
[#ここから2字下げ]
お屋敷にて!
三晩かぎり!
有名《ゆうめい》な世界的悲劇役者《せかいてきひげきやくしゃ》
ロンドンおよび大陸諸座出演《たいりくしょざしゅっえん》の
二代目 デイビッド=ギャリック!
および初代 エドマンド=キーン!
だしものはスリルにとむ悲劇
王のきりん
または
怪物王!!
入場料《にゅうじょうりょう》五十セント
[#ここで字下げ終わり]
そしていちばん下に、いちばん大きな字で、つぎのようにかきくわえた。
[#2字下げ]婦人、子どもは入場おことわり
「なあ、おい」と、公爵はいった。「このさいごの一行のもんくをかきくわえて、それでも見物人がよってこなかったら、おれは、アーカンソーを見そこなったんだ。」
                    23 いっぱいくわせる
 さて、公爵と王さまは、その日一日、いっしょうけんめいになって、舞台を組みたてたり、カーテンをはったり、フットライトのろうそくをならべたりした。そして、この晩は、ちょっとのまに、身うごきもできないほど大入りになった。いよいよはいりきれなくなると、公爵は、木戸番をやめて、うら手からまわって、舞台にあがり、カーテンのまえに立って、みじかい演説をして、この悲劇をほめたたえ、これほどスリルにとんだ悲劇はないのだといった。それから、この悲劇をじまんしたり、主役をする初代エドマンド=キーンのてまえみそ[#「てまえみそ」に傍点]をならべたりした。そして、見物人の期待がじゅうぶんふくれあがったところで、カーテンをまきあげた。するとすぐ、王さまが、すっぱだかのまま、四つんばいになってはねおとりながらでてきた。からだいっぱい、いろいろな色で、輪だのしまだのがかきつけてあった。まるで虹のようにみごとだった。そして――いや、そのほかの身じたくなど、どうでもいい。それは、まったくでたらめなものだったが、ひどくおかしかった。見物人たちは、はらをかかえて大わらいをし、王さまが、はねておどってかけまわり、そして、身をおどらせて道具だてのかげにきえていくと、彼らは、どっとどよめいて、やんやの拍手をしたので、王さまは、またでてきて、はねておどった。それから、そのあとで見物人たちはもう一度、王さまにそれをやらせた。まったく、このばかじじいのはねおどるかっこうを見たら、牛だってわらうにちがいなかった。
 それから、公爵は、カーテンをおろして、見物人におじぎをすると、「この偉大なる悲劇は、あと二晩しかごらんにいれられません。ともうしますわけは、ロンドンでの契約期日がせっぱくしているからであります。ロンドンでは、この悲劇上演のためドルーリー=レイン座の座席が、ぜんぶとうに売りきれているからでございます」といった。それからすぐ、もう一度おじぎをすると、「もしみなさまの御意にめし、お役にたちましたら、この悲劇をみなさまがたのお友だちにおひろめくださいまして、見物におさそいしてくだされば、ほんとうにありがたきしあわせとぞんじます」といった。
 二十人もの人が、どなりだした。
「なあんだ、これでおわったのか。これっきりなのか。」
 公爵は、「さようでございます」といった。するとただちに、ひとそうどうもちあがった。だれもかれも「くわされたぞ!」と、どなり、気ちがいのようにたけりたって、舞台と悲劇役者におそいかかろうとした。だが、大きな、りっぱな顔つきをした男が、こしかけの上にとびあがって、さけんだ。
「待て! みんな、ひとこときいてくれ。」人びとは、立ちどまって、耳をそばだてた。「われわれは、いっぱいくわされた――それも、ひどくくわされた。だが、この町ぜんたいのわらいものになりたくないと、おれは思うんだ。といって、このまま、なんとしても、なきねいりはしたくないと思うのだ。うん、そうだ、われわれは、ここをしずかにでていって、この芝居をほめたてて、ほかのれんじゅうにも、みんな、いっぱいくわしてやるこった! そうすりゃ、みんなおなじ舟にのったことになる。上ふんべつじゃないか。」「そのとおりだ――判事さんのいうとおりだ」と、みんながさけんだ。「それじゃ、そうするんだ――くわされたことなど、ひとこともいうんじゃないぞ。さあ、家にかえって、みんなに、この悲劇を見にくるように、すすめるんだ。」
 つぎの日になると、この芝居がすばらしかったという話で町じゅうがもちきりになった。この晩もまた、芝居小屋は、身うごきもできないほどの満員になったので、わたしたちは、おなじようにその見物人たちにもいっぱいくわせた。公爵と王さまとわたしは、いかだにもどってから、晩のめしを食った。そのうち、ま夜中ごろになると、彼らはわたしとジムにいかだをこぎださせて、川をくだった。そして、町から二マイルばかりくだってから、いかだを岸につけて、それをかくさせた。
 三日めの晩も、芝居小屋は、われかえるほどの入りだった。だが、こんどは、あたらしい見物人ではなく、まえの二晩にきたれんじゅうだった。わたしは、木戸口で、公爵のそばに立っていたので、見物にはいる人がだれもかれも、ポケットをふくらませていたり、あるいは、外とうの下になにかをしのばせているのに気がついた――しかも、それはけっしていいにおいのものではなかった。わたしは、たるではかるほど、たくさんのくさったたまごのにおいや、くさったキャベツのにおいのようなものをかいだ。もしまた、わたしに、ねこの死がいが近くにあるのをかぎつける力があるのだとすれば――そして、わたしは、りっぱにその力を持っていると思っているのだが――たしかに、六十四ひきもねこの死がいが持ちこまれていた。わたしは、ちょっとなかにはいってみたが、あまりにいろいろなにおいがしていて、いたたまれなかった。さて、もうひとりもはいれる余地がなくなると、公爵は、ひとりの男に二十五セントやって、ちょっと木戸番をしていてくれるようにたのんでから、外をまわって舞台のうら口のほうへ歩きだしたので、わたしもそのあとについていった。だが、かどをまがって、暗がりにはいったとたんに、公爵がいった。
「家がなくなるまで、大いそぎで歩け、そして家がなくなったら、全速力で、いかだまで走るんだ。」
 わたしは、そのとおりにやった。公爵もそうした。わたしたちは、同時にいかだについた。そして、二秒とたたないうちに、わたしたちは、いかだにあかりもつけず、ひっそりと川をくだり、ななめに川のまんなかにじりじりとこぎだしていった。口をきくものは、ひとりもいなかった。わたしは、かわいそうに、王さまが、観衆からひどいめにあわされているだろうと思った。ところが、そんなことはなかった。じきに、王さまが、小屋からはいだしてきたのだ。そしていった。
「おい、公爵、こんどのしごとは、どんなぐあいにいったんだ。」王さまは、はじめから、町へはいかなかったのであった。
 わたしたちは、暗くしたまま、その村から十マイルばかりくだった。それから、あかりをつけて、夕めしを食った。王さまと公爵は、うまく町のれんじゅうのうらをかいたことを話しあって、わらいくずれた。公爵は、いうのだ。
青二才め、さいづち頭め! おれはな、最初の晩の見物人どもが、口をぬぐって、あとのれんじゅうをそそのかし、つれてくることを知ってたのさ。それから、三日めの晩、やつらが、こんどはおれたちの番だってわけで、待ちぶせしてることもわかってたんだ。そうだとも、こんどはやつらの番だったんだが、やつらにどんなしかえしができたか知りたいもんさ。やつらが、あれからどんなことをやったか、知りたいもんだよ。やつらがその気になりさえすりゃ、あれから、ピクニックだってできたんだぜ――やつらは、食べものをずいぶんたくさん持ちこんでいたからなあ。」
 このわるものどもは、三晩で、四百六十五ドルせしめた。わたしは、こんなにたくさんの金が、こんなにやすやすと、手にはいったのを、はじめて見た。
 やがて、彼らが、ねむっていびきをかきはじめると、ジムがいった。
「この王さまどものやりかたったら、あんた、びっくりしねえだかね、ハックさん?」
「いいや」と、わたしはいった。「びっくりなんかしやしないさ。」
「なぜしねえだ、ハックさん?」
「うん、ああいうのが、王さまの生まれつきなんだから、びっくりしやしないんだよ。おれ、王さまって、みんなおなじだと思ってるのさ。」
「だがね、ハックさん、おれたちの王さまたちときたら、まったくのわるものだよ。ふんとに、そうだだ。あいつらは、正真正銘《しょうしんしょうめい》のわるものだだ。」
「うん、おれもそれをいってるのさ。おれの知ってるところじゃ、王さまって、たいていみんなわるものなんだ。」
「そうだかね。」
「一度王さまのことをよめば――すぐわかるよ。ヘンリー八世を見るといい。おれたちの王さまなど、ヘンリー八世にくらべたら、日曜学校の先生ぐらいまじめなほうなんだぜ。また、チャールズ二世を見てみるといいよ。それから、ルイ十四世をさ、ルイ十五世をさ、ジェームズ二世をさ、エドワード二世をさ、それから、リチャード三世をさ、そのうえ四十人もの王さまを見てみるといい。このほかにも、むかしの、サクソンの七王国時代を見てみるがいいさ。ずいぶんじだらくなくらしをして、さわぎをまきおこした王さまもいるんだぜ。ほんとうに、おまえ、ヘンリー八世の全盛時代を見なきゃだめさ。ぱっと花がさいたように、さかんだったんだ。彼は、まい日あたらしいおくさんと結婚しちゃ、つぎの朝になると、彼女の首をちょんぎったんだ。しかもさ、たまごを持ってこいと命じるように、しゃあしゃあとして、やってのけたんだぜ。『ネル=グイン(イギリス国王チャールズ二世の妃。以下、ハックは、イギリス歴代の国王がおこなったことをヘンリー八世のこととして話している)をひっぱってこい』と、彼がいうのさ。家来たちが、彼女をつれてくる。つぎの朝になると、『彼女の首をはねてしまえ!』それで、家来たちは、彼女の首をちょんぎる。『ジェーン=ショーア(イギリス国王エドワード四世の妃)をひっぱってこい』と、彼がいう。彼女は、御前《ごぜん》にまかりでる。つぎの朝になると、『あれの首をはねろ!』家来たちが、首をちょんぎる。『美女ローザマン(イギリス国王ヘンリー二世の妃)をよびだせ』うつくしいローザマンは、ベルにおうじてまかりでるんだ。つぎの朝になると、また『彼女の首をはねてしまえ!』だ。そのうえ、彼は、彼女たちの、ひとりひとりに、まい晩、一つずつ物語をさせたんだぜ。そしてさ、そんなふうにして、むさぼるように、千一も話をためてからさ、彼は、それをぜんぶ一さつの本にして、土地測量台帳(審判日の台帳)と名をつけたんだ――いい名まえで、その事情を、よくつたえているよ。おまえは、王さまというものを知らないんだよ、ジム。でも、おれには、わかってるんだ。おれたちのいかだにのっている、このわるものどもなんざあ、おれが歴史で見たうちじゃ、いちばん罪のないほうなんだよ。
 ところでヘンリー八世(ハックのまちがいで、事実はイギリス国王ジョージ三世)ときたら、このアメリカとひとそうどうおこそうと考えたもんさ。彼は、どんなふうにして、アメリカをせめたか――警告《けいこく》をあたえたか――それとも、せいせいどうどうとふるまったか。とんでもない。ふいにボストン港内の船から茶ばこをぜんぶ海にたたきこんで、独立宣言の布告をだして(この一連の行為はアメリカ側の行為)からさ、さあ、くるならきてみろ、とぬかしやがったんだ。こんなのが、彼の流儀だったんだ――けっして、せいせいどうどうとふるまうなんてことは、なかったんだ。彼は、父のウェリントン公爵(ヘンリー八世の父はヘンリー七世である)をうたがっていた。さて、それで、彼は、どうしたか、だ。出頭を命じたか。なんの――おやじを酒だるに入れて、ねこのように水づけにしてしまったのさ。だれか、金を彼の手近に、おきわすれていったとしたら――彼は、どうしたと思う? 彼は、せしめてしまうんだ。彼が、なにかする約束をして金をとっても、そこにすわって、彼がそれをするのを見ていなかったら――彼は、どうしたと思う。彼は、きっと、反対のことをしたんだぜ。彼が口をひらいたら――どうなったと思う? 大いそぎで口をつぐまないかぎり、きまって、うそがとびだすのさ。ヘンリーとは、そんな男だったんだ。もしおれたちが、この王さまたちのかわりに、ヘンリーをいかだにのせていたらさ、ヘンリーは、この王さまたちより、ずっとこっぴどく、あの町をペテンにかけたにちがいないんだ。だが、おれだって、この王さまたちを、小ひつじだとはいいやしないさ。やつらのやる、ひどい事実を見りゃ、じっさい小ひつじじゃないんだもんな。でも、とにかくさ、この王さまたちは、ヘンリー八世にくらべたら、ものの数じゃないよ。つまり、おれのいってることは、王さまはなんといったって王さまなんだから、おおめに見てやらなきゃならないってことなんだよ。ぜんたいからいって、王さまなんてものは、とてもあほらしいものなんだ。やつらは、そういうふうにそだっているんだよ。」
「でも、この王さまは、ずいぶんはなもちにならねえだだよ、ハックさん。」
「そうだよ、王さまって、みんなそうなんだよ、ジム。どんなにひどくっても、おれたちには、どうにもならないんだ。歴史を見たって、どうしたらいいか、手だてがかいてないんだよ。」
「ところが、公爵だだがね、あの男のほうが、どうかすると、かなりいい人だだ。」
「うん、公爵はちがうさ。でも、五十歩百歩だよ。この公爵は、公爵としちや、なかなかひどいほうなんだ。彼がよっぱらったらさいご、近目の人には、王さまと見わけがつきやしないよ。」
「そうだだかね、とにかく、おらあ、こういうやつらは、もうまっぴらだだよ、ハックさん。おらあ、これいじょう、がまんできねえだ。」
「おれだって、そうなんだよ、ジム。だが、おれたちは、もう、やつらをせおいこんでしまってるんだから、やつらがどんなものかってことをこころに入れておいて、おおめに見てやらなきゃならないんだ。おれ、王さまなんかのいない国があったらなあ、と思うことがあるぜ。」
 こいつらがほんとうの王さまでも公爵でもないということをジムに話したところで、なんの役にたつのだ? なんの役にもたちはしない。そればかりか、わたしがいったとおり、彼らとほんとうの王さまとの区別などつきはしないのだ。
 わたしは、ねた。そして、こうたいしてわたしが見はる時間がきても、ジムは、わたしをおこさなかった。ジムは、よくそうしてくれるのである。わたしが目をさますと、ちょうど、夜が明けかけていたが、ジムは、そこにすわったまま、頭をひざのあいだに入れて、なげきかなしんでいた。わたしは、ほっぽらかしたまま、見むきもしなかった。ジムがなにをうめきかなしんでいるのか、わたしは知っていた。とおく川上にいる妻と子どものことを思いだして、すっかりしおれてしまい、ホームシックにかかっているのだ。とおく家をはなれたのは、こんどがはじめてだからだ。そして、白人がその妻や子を思うのとまったくおなじように、ジムも自分の家族のことを案じているのだ、と、わたしは信じている。そんなことはあるまいと思う人かおるかもしれないが、わたしは、じっさいそう思うのである。ジムは、わたしがねむっていると思うと、夜、よくそんなふうにしてうめきかなしみながら、いっていた。「かわいそうなリザベスや! かわいそうな、ジョニーや! とても、せつねえだ。おらあ、もうおめえたちとあえようたあ思えねえだよ、二度とな!」ジムは、とても気だてのやさしい黒人だった。
 だが、わたしは、このとき、なんということもなく、ジムの妻や子どものことを、ジムと話しはじめた。やがて、ジムは、いった。
「おらあ、いましがた、むこうの川岸から、なにかピシャリとものをたたくような音がきこえてきたで、そいで、あのちいさなリザベスをひどいめにあわせたときのことを思いだして、気持ちがわるくなっただよ。あの娘は、まだ四つくらいだっただ。猩紅熱にかかって、とてもひどいめにあっただよ。そしてある日のこと、あの娘が、おらあのそばに立っていただで、おらあいいつけただ。『戸をしめろ!』って。あの娘は、戸をしめようともしねえで、おっ立ったまま、にやにやわらってるだ。おらあ、はらがたりたで、大きな声をだして、もう一度いっただ。『きこえねえのか、このがきめ! 戸をしめろ!』あの娘は、やっぱりにやにやしながら、おなじように、つっ立っているでねえか。おらあ、かっとなって、どなっただ。『なにがなんでも、いうこと、きかしてやるだぞ!』そういうがはやいか、おらあ、いきなりよこっつらをはりとばしてやったで、リザベスは、ぶったおれただよ。それから、おらあ、べつなへやにいって、十分ばかりいて、もどっていくと、戸は、まだあけっぱなしになっていただ。そして、戸口のそばに、あの娘が立っていただが、あの娘は、うつむいて、かなしそうにないているでねえだか。おらあ気がくるいそうになっただ。とびかかっていこうとしただ。だが、ちょうどそのとき――その戸は、うちがわにあく戸だっただが――ちょうどそのときだだよ、風がさっとふいてきて、あの娘のうしろの戸を、パタンとしめただ――だのに、なんとしたことだ、あの娘は、よけようともしねえだ。おらあ、あぶなく息がつまっただ。ふんとにおらあ、そのときのおらあ――おらあの――気持ちは、なんといったらええだか、わからねえだ。おらあ、ぶるぶるふるえながら、へやからはいだしただ。そして、はいながら、そろそろと戸をあけて、そっとしずかに、あの娘のうしろから顔をだして、ふいに、ばあっといってみただ。できるだけ、大きな声でだだよ。だが、あの娘は、身じろぎもしねえだ。ああ、ハックさん、おらあなきだしながら、あの娘をだきあげて、いっただよ。『ああ、かわいそうな、かわいい娘や! 全能の神さま、このあわれなジムをゆるしてくだされ。おらあ、生きてるかぎり、けっして自分をゆるしはしねえだから!』ああ、あの娘は、まるっきり耳もきこえず、口もきけなかっただよ、ハックさん。まるっきり、耳もきこえず、口もきけず――おらあ、そんなに、あの娘をひどいめにあわせただよ。」
          24 王さま、ばける
 つぎの日、日ぐれに、わたしたちは、川のまんなかにある、ちいさなやなぎのはえている砂州の木かげにいかだをつけた。川の両岸には、村があった。公爵と王さまは、それらの村でひとしごとする計画をたてはじめた。ジムは、あまり時間がかからないしごとにしてくんなされ、綱でしばられて、一日じゅう小屋のなかにいるのは、おらあ、とてもつれえし、うんざりするだから、といって、公爵にたのんだ。そうだ、わたしたちは、ジムをひとりおいていくときには、ジムをしばっておかなければならなかったのだ。もしジムが、しばられずに、ひとりいるところを、だれかに見つかったなら、ジムは、にげだした黒人のように、見えないからである。そこで、公爵は、一日じゅう綱でしばられているのは、なかなかつらいだろうから、なにか、そうしないでもすむ方法をくふうしようといった。
 公爵は、ひじょうに頭がよかったから、じきに考えついた。彼は、リア王の衣装をジムにきせた――それは、長いキャラコのガウンだった。白い馬の毛でつくったかつらをかぶせ、ほおひげをつけさせた。それから、芝居で使う顔料をだして、ジムの顔や手や、耳や首をぜんぶ、くすんだ青ひと色にぬりつぶした。その青さといったら、九日間も水づけになっていた人のようだった。まったく、ジムは、これまで見たこともないような、おそろしい顔をして、狂暴そうになった。公爵は、ちいさな板きれをだして、それに、つぎのようにかいた。
[#2字下げ]病気のアラビア人――ただし、気がふれていないときは、害をなさず
 そして、公爵は、その板きれを木ずりにくぎでとめると、その木ずりを、小屋の四、五歩まえのところに立てた。ジムは、まんぞくした。まい日二年間もしばられているような待ちどおしい思いをしながら、音がするたびに、びくびくしてふるえているよりは、このほうがずっとましだといった。公爵は、ジムにのんびりやっているがいい、もしだれかきて手だしでもしたら、いきなり小屋からとびだして、すこしあばれ、一、二度野獣のようにほえろ。そうすれば、彼らは、ジムをほったらかして、大いそぎでにげていってしまうだろうといった。それは、まったくいい考えであった。だが、あたりまえの人なら、ジムがほえだすまで、ジムのそばにいないだろう。ジムは、死んだ人のように見えるばかりでなく、死人よりもっとおそろしい形相をしているのだ。
 このわるものどもは、また、型やぶりの「怪物劇」をやりたがった。すごく、金がもうかるからだ。だが、「怪物劇」のうわさがつたわってきているかもしれないから、彼らは、ぶじに怪物劇がやれるとは考えなかった。しかし、ほかにうまいしごとを考えだすことができなかった。そこで、とうとうさいごに、公爵は、ひとやすみしてから、一、二時間頭をはたらかして、このアーカンソー村でなにかやれる芝居があるかどうか考えてみようといった。ところが、王さまときたら、計画などたてないで、ぶらりと、もうひとつの村にわたっていって、もうけしごとがあるかどうかは神さまのおみちびきにまかせようといった――これは、悪魔のみちびきだ、と、わたしは思った。ところで、わたしたちは、このまえとまったところで、みんな、できあいの服を買ってきていた。王さまは、その服をきると、わたしにも、自分の服をきろといった。もちろん、わたしは、いわれたとおりにした。王さまの服は、まっ黒だったので、とてもえらそうに、しかつめらしく見えた。わたしは、服装がどんなに人柄をかえるかということを、いままで知らなかった。それまで、王さまは、なんともいやしいならずもののように見えていたのだ。だが、あたらしい服をきて、あたらしい白いビーバー帽をぬいで、おじぎをし、にっこりほほえむと、王さまは、おしだしがりっぱで、善良で、しゅしょうげなので、たったいま、はこ船からあがってきたばかりの老人ノアその人のように見えた。ジムは、カヌーをそうじしたので、わたしは、いつでもこぎだせるように、かいをにぎった。町から三マイルばかり川上のみさきの下の川岸に、大きな蒸気船が一そうとまっていた――荷をつむために、二時間もまえからそこにいたのだ。王さまがいった。
「こんなりっぱな身なりをしてるんだから、おれは、セント=ルイスとかシンシナチとか、そういう大きな都会からやってきたことにしたほうがよかろうな。さあ、あの蒸気船にやってくれ、ハックルベリー。あの蒸気船にのって、あの村にいくことにしよう。」
 わたしは、蒸気船にのりにいくのに、どうのこうのと、二度といいつけられるようなことはなかった。わたしは、村から半マイルばかり川上の岸にこぎよせてから、きり立った岸にそって、ゆるいながれのなかをすすんでいった。すると、まもなく、わたしたちは、人のよさそうな、わる気のない顔つきをした村のわかものが、丸太にこしかけて、顔の汗をふいているのにであった。ものすごくあつかったからだ。その男は、大きな旅行かばんを二つ、そばにおいていた。
「岸につけろ」と、王さまがいった。わたしは、カヌーを岸につけた。「どこへいくんだね、きみ?」
「あの蒸気船にいくんです。オーリンズにいくんです。」
「おのりなさい」と、王さまはいった。「ちょっと待ちなさい、かばんは、召使にはこばせてあげよう。陸にあがって、あのかたに手をかしてあげろ、アドルファス。」それは、わたしのことだった。
 わたしは、陸にとびあがっていって、てつだってやった。それから、わたしたちは三人で、また川をのぼりはじめた。わかものは、とてもありがたがった。こんな天気に、かばんを二つも持って歩くのは、とても骨がおれるといった。彼は、王さまに、どこへいくかときいたので、王さまは、川をくだってきて、けさむこうの村についたのだが、これから、二、三マイル川上の農場に、むかしの友だちをたずねていくところだと話した。わかものがいった。
「ぼく、最初あなたをお見かけしたとき、こうひとりごとをいったんですよ。『あの人がきっと、ウィルクスさんだ。ほんのひと足ちがいだった』とね。だが、すぐまた、ぼくは、いったんです。『いやいや、ウィルクスさんじゃないらしいぞ。ウィルクスさんだったら、川をこぎのぼってくるはずがないんだ』ってね。あなたは、ウィルクスさんじゃないんでしょう。」
「いいえ、ちがいますよ。わしの名は、ブロジェット――エレグザンダー=ブロシェットといいますじゃ――神につかえる身ですから、エレグザンダー=ブロシェット師とてももうさなければならんでしょうかな。だが、ウィルクスさんがおまにあいにならなかったことを、わしは、やはり、お気のどくにぞんじますよ。そのかた、そのためごそんでもなすったら――そんなこと、ないといいですがな。」
「いいえ、まにあわなかったからって、財産をそんするようなことはすこしもありませんよ。まちがいなく、手にはいるんですからね。ただ、兄弟のピーターさんの死にめにあえないんです――ウィルクスさんは、それでも平気かどうかわかりませんがね――だが、ピーターさんは、なににもまして、ひとめあいたがっていたんですよ。この三週間というもの、ほかのことなど、なにひとつしゃべりませんでした。ふたりは、子どものときいっしょにくらしただけで、そののち一度もあっていないんです――そのうえ、兄弟のウィリアムになると、まるっきりあったこともないんです――その人は、耳がきこえず、口もきけないんです。このウィリアムというのは、せいぜい年がいったところで、三十歳か三十五歳ぐらいなんです。ピーターさんはジョージさんとふたりだけで、ここに移住してきたんです。ジョージさんという兄弟は、結婚しているんですが、ジョージさんもそのおくさんも、去年なくなったんです。いま、生きのこっているのは、ハーベーさんとウィリアムのふたりだけなんですが、さっきもうしあげたように、ふたりとも、もう死にめにあえないんですよ。」
「だれか、こいというたよりをだしたのですか。」
「ええ、だしましたとも、いまから一、二か月まえ、ピーターさんが病気になったときだしたんですよ。こんどは、とてもなおりそうもないというもんですからね。なんといっても、ピーターさんは、もう年だったんです。それに、ジョージさんの娘たちといやあ、赤毛のメアリー=ジェーンのほかは、まだおさなすぎて、ピーターさんの話しあいてにもならなかったんです。そんなわけでジョージさんと、そのおくさんが死んでからというもの、ピーターさんは、なんとなくさびしそうで、あまり長生きしていたそうではなかったんです。ハーベーさんには、むやみにあいたがっていました――そういえば、ウィリアムにもあいたがってましたがね――ピーターさんときたら、遺言書をつくることなど、しんぼうできない人だったからです。それでも、ハーベーさんに手紙をかきのこして、お金のかくし場所をおしえ、またジョージさんの娘たちにも、こまることのないように、てきとうに財産をわけてやってくれとたのんでるんです。ジョージさんが、一セントものこさなかったからです。みんなで総がかりで、やっと、その手紙をかかせたんですよ。」
「きみは、どうして、ハーベーさんがこないと思うのかな。いったい、彼は、どこにすんでいるのだね?」
「イギリスにすんでいるんですよ――シェフィールドに――そこで牧師をしてるんです――この国にきたことがないんです。とても、こっちにくるひまがないんですよ――そればかりか、手紙をまだうけとってないかもしれませんよ。」
「お気のどくなことだな、お気のどくな。ご兄弟にもあえずなくなられたとは、かわいそうに。ところで、きみは、オーリンズにいくのだといったね?」
「そうです。でも、それは、旅行の一部分にすぎないんですよ。来週の水曜日に船にのって、リオデジャネイロにいくんです。おじさんが、すんでるんです。」
「それはそれは、長い旅行ですな。だが、なかなかたのしいでしょうな。わしもいきたいものだ。ところで、メアリー=ジェーンが長女なのかね。ほかの子たちは、いくつなんだね。」
「メアリー=ジェーンは十九歳です。スーザンは十五で。それから、ジョアンナは十四歳ぐらいです――この子は、いっしょうけんめいになって善行をつもうとしているのです。みつくち[#「みつくち」に傍点]なんですがね。」
「かわいそうに、娘たちがたった三人、このつめたい世のなかにのこされたとは。」
「ところが、もっとたいへんなことになるところだったんです。でも、ピーターさんにはお友だちがたくさんいて、そのかたたちがあの娘たちのめんどうをみてやってるんです。バプテスト派の牧師のホブスンさん、執事のロット=ハビーさん、ベン=トラッカーさん、アブナー=シャックルフォードさん、弁護士のレビー=ベルさん、医者のロビンスンさん、それから、その人たちのおくさんがたや、未亡人のハートレーさん、そのほかにも――そうです。おおぜいいるんです。でも、いまいった人たちは、ピーターさんがとくにしたしくしていたかたがたで、国への手紙には、よくこの人たちのことをかいたんです。だから、ハーベーさんは、ここにつきさえすりゃすぐ、どこに友だちがいるか、わかるんです。」
 さて、王さまは、つぎつぎ質問をして、そのわかものが知っていることを、あらいざらいぜんぶききだした。その町にすんでいる人びとのことや、その町にある、あらゆることをききだしたのだ。ウィルクス家のことも、ひとつのこらずきいた。ピーターの職業もきいた――彼はなめし皮屋だった。ジョージの職業もきいた――彼は、大工だった。ハーベーの職業もきいた――非国教派の牧師だった。そのほかにも、あれやこれやと、いろいろききだした。そして、それから王さまはいった。
「きみは、どうして、あの蒸気船まで歩いていこうとしていたのだね?」
「なぜって、あれは、オーリンズゆきの蒸気船なんて、村にとまらないかもしれないと思ったからですよ。つみ荷のおおいときは、よんでもとまってくれないんです。シンシナチじたての汽船なら、とまってくれますがね。だが、あの汽船は、セントルイスじたてなんです。」
「ピーター=ウィルクスさんは、いいくらしをしていたのかね?」
「ええ、そうです。とても裕福なんです。家屋や土地を持っていましたからね。現金でも、三、四千ドル、どこかにかくしているってことですよ。」
「きみは、いつ死んだといったっけかね?」「そんなことはいいませんでしたが、死んだのは、ゆうべです。」
「お葬式は、たぶん、あすですね?」
「そうです。おひるごろです。」
「さてさて、なんとも。たいへんかなしいことですな。だがわれわれは、いつかは、あの世にいかなければならないのだ。だから、しておきたいのは、そのときのかくごですな。そうすれば、なんの心配もない。」
「そうです、それがいちばんいいことなんです。母も、しじゅうそういっていましたよ。」
 わたしたちが蒸気船にこぎつけたとき、荷づみはもうおわりかけていた。汽船は、じきに出帆した。王さまは、汽船にのろうなどとひとこともいわなかったので、けっきょく、わたしは、蒸気船にのりそこねた。汽船がでていってしまうと、王さまは、また一マイルばかりこぎのぼらせた。さびしいところにきた。王さまは、すぐ岸にあがっていった。
「さあ、大いそぎでもどって、公爵をここにつれてこい。あたらしい旅行かばんも持ってこい。もしあいつが、むこうがわにいっていたら、むこうがわへいって、あいつをつれてくるんだぞ。それから、あいつに、金にあかして身なりをととのえてこい、といえ。さあ、こぎだせ。」
 わたしは、王さまがなにをしようとしているのか、わかった。だが、もちろん、わたしは、なにもいわなかった。公爵をつれてくると、わたしたちは、まず、カヌーをかくした。そして、丸太にこしをおろして、王さまは、わかものがいったことをそっくりそのまま、公爵に話した――ひとことものこらず話した。そして、その話をしているあいだじゅう、王さまは、イギリス人のようにしゃべろうとつとめていた。やくざものとしてはなかなかじょうずだった。わたしには、そのまねができないから、まねようとは思わないが、王さまは、ほんとうに、とてもじょうずにしゃべった。それから、王さまは、いった。
「おめえ、耳がきこえず、口もきけねえ男のまねが、できるかな、ビルジウォーター。」
 公爵は、そんなことなら、おれにまかせておいてくれ、舞台で、そいつをやったことがあるのだといった。そこで、彼らは、蒸気船がくるのを待った。正午と日ぐれの、ちょうどまんなかごろの時刻に、ちいさな汽船が二そう、川をくだってきたが、それは、ずっと川上からやってきた汽船ではなかった。だが、とうとうしまいに、大きな蒸気船がくだってきた。ふたりは、大きな声でよびかけた。蒸気船が、はしけ[#「はしけ」に傍点]をだしてよこした。わたしたちは、蒸気船にのりこんだ。シンシナチからきた船だった。だが、わたしたちが、ほんの四、五マイルだけくだろうとしているのだと知ると、船員たちは、かんかんにおこって、わたしたちをののしり、陸《りく》にあげてやらないといった。だが、王さまは、おちついたものだった。彼《かれ》はいった。
「もしお客さんがだね、はしけでのせたりおろしたりしてもらうのに、一マイルにつき、ひとりあたり一ドルずつはらったら、どんな蒸気船だって、お客さんをのせてくれるんじゃないかな、どうだね?」
 すると、彼らは、おだやかになって、そんならいいといった。そして、村につくと、はしけで、わたしたちをあげてくれた。このはしけが近づいていくのを見ると、二ダースばかりの人びとが岸にあつまってきた。
「どなたか、ピーター=ウィルクスさんのすんでいるところをおしえてくれませんか」と、王さまがいうと、彼らは、ちらっとたがいに目を見かわして、「どうだい、いわないこっちゃないだろう」と、いうように、うなずきあった。それからひとりが、ものしずかな、おだやかな調子でいった。
「お気のどくですが、なんともはや、ウィルクスさんが、きのうの晩まですんでいたところしかおおしえできません。」
 まったくとつぜん、このいやしい、年とった生きものは、わっとくずおれて、その男にたおれかかり、そして、そのかたにあごをのせて、そのせなかでなきわめいて、いった。
「ああ、なんとしたことだ。ああ――かわいそうな兄弟よ――もう死んでしまったのか。もうあうことができないのか。つらいことじゃ、かなしいことじゃ!」 そして、なきながら、うしろをふりむいて、公爵に、まのぬけた手まねをした。もちろん、公爵は、旅行かばんをおとして、わっとなきだした。わたしは、このふたりの山師ぐらいひどいやつに、これまでにであったことがない。
 ところで、人びとは、ふたりのまわりにあつまって、ふたりをいたわり、あれやこれやとやさしいことばをかけながら、旅行かばんを丘の上まではこびあげてくれた。そして、彼らによりかかって、ふたりがなくにまかせながら、ピーターの臨終のことをすっかり王さまに話したので、王さまは、またそれをぜんぶ、手まねで公爵につたえた。そして、ふたりとも、そのなめし皮屋の死を、この世にもないほど、ひどくなげきかなしんでみせた。じっさい、こんな話ってあったものではない。人類であることがはずかしい。
              25 死人のまえで
 二分間もすると、この知らせは、町じゅうにひろまったので、人びとが、四方八方からかけあつまってくるのが見えた。なかには、上着のそでに手を通しながらかけてくるものもあった。じきにわたしたちは、群集のまんなかにとりかこまれて歩きだした。その足音は、兵隊の行進のようにひびいた。窓という窓、出入り口の庭という庭には、人がいっぱいだった。そして、ひっきりなしに、だれかが、垣根ごしにいっている。
「あれが、ピーターさんの身内の人たちかい?」
 すると、一隊になって、とっとと歩いているだれかがこたえる。
「うん、そうだともよ。」
 わたしたちが、その家につくと、家のまえの往来は人びとでうずまった。入り口に、娘が三人立っていた。メアリー=ジェーンは、赤毛だったが、だが、そんなことは、なんでもない。彼女は、きれいで、その顔と目は、こうごうしくかがやいていた。おじさんたちがきたというので、とてもよろこんでいるからだ。王さまが両うでをひろげると、メアリー=ジェーンが、そのなかにとびこんでいった。みつくちの娘は、公爵にとびついた。そして、彼らは、だきあって、キスをした。たいていの人は、すくなくとも女の人たちは、彼らがやっとあえてよろこんでいるのを見て、うれしなきをした。
 王さまが、ひじでそっと公爵をつついた――わたしは、それに気がついた――それから、王さまは、あたりを見まわして、むこうのすみの、いすを二つならべた上に棺おけがおいてあるのに目をむけた。そして、王さまと公爵は、片手をおたがいのかたにかけあい、もういっぽうの手で、目をこすりながら、ゆっくりと、しかも、まじめくさって、棺おけのほうへ歩きだした。人びとは、あとずさって、道をあけた。話し声やもの音は、ぴたりとやみ、人びとは、「しっ!」といった。そして、だれもかれも、帽子をとって、頭をたれた。そのしずかなことといったら、ピンをおとしても、きこえたにちがいない。ふたりは、棺おけのそばへいくと、かがみこんでなかをのぞき、ひとめ見るとすぐ、わっとなきだしたが、そのなき声の大きいことといったら、オーリンズまでもきこえそうだった。ふたりはたがいに、あいてのかたにうでをまわし、かたにあごをのせあった。それから三分間、いや四分間ぐらいだろうか、彼らは、なみだをなかすこと、なかすこと、わたしは、ふたりの男がこんなになみだをながしたのをまだ見たことがない。人びともおなじようになみだをながした。わたしは、こんなにしめっぽい場面にあったのは、はじめてだった。それから、王さまと公爵は、両がわからひざまずいて、ひたいを棺おけにもたせかけ、祈りをささげるようなふりをした。ところが、このもくとうが、ひどく人びとを感動させた。人びとは、だれもかれも、なきくずれ、声高くすすりあげはじめた――気のどくな娘たちもそうだった。女たちは、ほとんどひとりのこらず、だまって娘たちのところへいき、まじめくさってそのひたいにキスをした。それから、娘たちの頭に手をのせ、なみだをながしながら空を見あげて、わっとなきだした。そして、すすりないては目をこすりながら、ひきさがり、つぎの女にその番をゆずった。わたしは、こんなにむねのわるくなるようなことを、これまで見たこともなかった。
 さて、王さまは、やがて立ちあがると、すこしまえにすすみでて、こうふんして一場のあいさつをのべた。が、それは、そっくり、なみだとたわごとでできていた。この病人《ディズイーズド》(死人《ディスイースト》をまちがえて病人《ディズイーズド》といったのだ)をうしなったことはもちろん、長い長い四千マイルの旅をしてきながら、生きているうちに病人《びょうにん》(死人《しにん》)にあえなかったことは、わたしとこのあわれな弟にとっては、しのぶにたえないほどの試練でございます。だが、この試練も、みなさまがたのこころからのご同情と聖なるなみだによって、わたしたちには、さわやかで、神聖なものとなりました。ですから、わたくしも弟もこころからかんしゃいたしておりますが、ことばには、あまりにも力がなく、よそよそしいものですから、口では、なんとももうしあげられません、と、そのようなたわごとやいやらしい感傷を、たくさんのべたてた。とうとうしまいに、わたしは、むねがわるくなった。それから、王さまは、いかにも信心ぶかそうになきながらアーメンといった。そして、なにもすることがなくなると、むねもはりさけそうになきつづけた。
 さて、王さまの話がおわるとすぐ、むこうの人ごみのなかで、だれか、神をほめたたえる歌をうたいだした。すると、みんなも、その歌声にあわせて、力いっぱいうたいだした。そのために、人びとはこうふんし、教会の礼拝がおわったときのような気持ちになった。音楽は、いいものである。お談義やたわごとのあとでは、音楽はなおさら、さわやかに誠実に、気持ちよくひびいた。
 それから、王さまは、またおしゃべりをはじめて、この家族のおもだったお友だちのかたがなん人か、今晩ここで、わたしたちといっしょに食事をされ、病人(死人)のなきがらのそばでおつや[#「おつや」に傍点]をしてくだされば、わたしも姪《めい》たちもどんなにうれしいかしれません、といった。あそこによこになっている、かのかわいそうな弟が、もし口がきけたなら、どなたとどなたを名ざすか、わたしは知っております。なぜといいますと、そのかたがたは、わたしたちにたいへんしたしい名まえで、彼の手紙のなかに、しばしばでてきた名まえだからです。それで、わたしは、そのかたがたの名まえをもうしあげましょう。すなわち、つぎのかたがたでございます。――牧師のホブスンさん、執事のロット=ハービーさん、ベン=ラッカーさん、アブナー=シャックルフォードさん、レビー=ベルさん、お医者さんのロビンスンさんとそのかたがたのおくさまたち、それからハートレー未亡人です、と王さまは、いった。
 牧師のホブスンと医者のロビンスンは、村はずれまで、いっしょに狩りにいっていた――つまり、医者は、病人をあの世へおくりに、牧師は、引導をわたしにいっていたのだ。弁護士のベルは、しごとのことで、ずっと川上のルイスビルにいっていた。だが、そのほかの人たちは、みんないあわせたので、近づいていって、王さまと握手をし、かんしゃし、話しあった。それから公爵とも握手をしたが、口はきかなかった。ただ、ほほえみながら、あほうのよりあいみたいに、ぺこぺこ頭をさげた。そのあいだじゅう、公爵は、いろいろな手まねをしながら、口のきけない赤ん坊のように、しじゅう「ぐう、ぐう――ぐう、ぐう、ぐう」といっていた。
 王さまは、べらべらしゃべりつづけた。町じゅうのたいがいの人や犬のことを、その名をあげて、いかにも知っているかのようにたずねた。また、そのときそのとき、町におこった、いろいろなちいさいできごとまで話した。さらに、ジョージの家族やピーターのことについても話をした。そして、それらのことを、ピーターがかいてよこしたようなふりをした。だが、それは、うそ八百なのだ。わたしたちが、カヌーにのせて、蒸気船におくりとどけてやった、あのわかいばかものから、一つ一つききだしたことなのだ。
 そのあとで、メアリー=ジェーンが、父親ののこした手紙を持ってきた。王さまは、大きな声でそれをよみ、よみながらないた。手紙には、住宅と金貨で三千ドルを、娘たちにあたえるとかいてあった。また、なめし皮工場(それは、なかなかもうかっていた)となんげんかのかし家と土地(時価七千ドルばかり)と、それから金貨で三千ドルを、ハーベーとウィリアムにおくるとかいてあった。そして、その六千ドルの金貨が、地下室のどこにかくしてあるかも、かいてあった。そこで、このふたりのペテン師どもは、そこへいってとってきて、いっさいを公明正大にやろうといいだした。そして、わたしに、ろうそくを持ってついてこいといった。わたしたちは、地下室にはいると、うしろの戸をしめた。彼らは、ふくろをさがしだすと、それを床の上にあけた。すばらしいみものだった。みんな黄色の坊や(金貨)なのだ。じっさい、王さまが目の色をかえてよろこぶさまといったら! 彼は、公爵のかたをたたいていった。
「こりゃ、ほんとに、すてきだぞ! いや、そうだとも、まったくだとも! な、ビルジー、怪物劇なんぞの、およぶところじゃねえ、そうじゃねえか。」
 公爵は、そのとおりだといった。彼らは、黄色の坊やをいじくりまわしては、指のあいだから、チャリンチャリンと床の上におとした。王さまがいった。
「ごたごたいうじゃねえぞ。おれたちの役わりは、金持ちの死人の兄弟で、そして、その遺産うけとり人の代表になって、外国からきたことになってるんだからな、ビルジー。これというのも、神さまにおまかせした、おかげだぜ。とどのつまり、それがいちばんいいやりかたなのさ。おれは、これまで、いろいろやってみたが、それよりいい方法は、ほかにゃあないんだ。」
 たいがいの人なら、だれだって、その金貨のかさを見ただけでまんぞくし、かんじょうをしなかったろう。だが彼らは、そうではなかった。かぞえてみなければしょうちできなかった。そこで、彼らは、それをかぞえた。その結果、四百五十ドルたりないことがわかった。王さまは、いった。
「ちくしょう、四百五十ドルは、どうしやがったんだろう。」
 彼らは、しばらくのあいだ、首をかしげていたが、へやじゅうをひっかきまわして、さがしはじめた。それから、公爵がいった。
「そうだよ、あいつは、かなりの重病人だったんで、まちがえたにちげえねえよ――そうだとも、そんなことは、うっちゃらかしておきゃあ、いいんだ。そして、だまってるこったよ。そのくらいなくたって、へいちゃらだ。」
「ふん、そうだとも、そんなはした金なんざあ、なくったって、かまやしねえよ。そんなものにこだわってるんじゃねえんだ――おれは、かんじょうのことを考えているんだ。おれたちは、ぜったいに公明正大にやりたいんだよ。この金を、上にひきずりあげてみんなのまえでかんじょうしたいんだ――そうすりゃ、うたがわれるふしはねえからな。だが、死人が六千ドルあるといってるのに、たりねえままにしておいちゃあ――」
「待てよ」と、公爵はいった。「おれたちで、不足ぶんをおぎなっておこうじゃねえか。」公爵は、ポケットから黄色の坊やたちをとりだしはしめた。
「そりゃ、まったくいい考えだ、公爵――おめえは、すばらしく血のめぐりのいい頭を持っているもんだな」と、王さまはいった。「あの怪物劇のおかげで、またたすかるよ。」王さまも、黄色いやっこさん(金貨《きんか》)をとりだして、つみかさねはじめた。
 それは、彼らにしてみれば、身をきられる思いであったが、きっかり六千ドルそろえた。
「おい」と、公爵がいった。「もうひとつ、いいことを考えついたぜ。上にいって、この金をかんじょうしたら、すぐ、そっくりそのまま、娘たちにやっちまおうじゃねえか。」
「ああ、公爵、手をにぎらせてくれ! そんな目もくらむようなすばらしい考えなんて、人間の考えつけるこっちゃねえ。おれは、おめえほどすげえ頭を持ったやつに、あったことがねえよ。ああ、そいつは、妙案だ。それなら、まちがいがねえ。たとえ、やつらがうたがいを持ってるにしても、それではれるわけだ。」
 わたしたちが上にあがっていくと、みんなテーブルのまわりにあっまってきた。王さまは、金をかぞえて、一山三百ドルずつにつみあげた――二十のみごとな小山ができた。みんなは、がっかりしたような目つきをして、それをながめ、舌なめずりをした。それから、彼らが金貨をかきあつめてふくろに入れると、王さまは、とくいそうにむねをそらせた。また演説をはじめるためだ。彼は、いった。
「みなさん、永眠して、あそこによこたわっている、わたしのあわれな兄弟は、浮き世にとりのこされたものどもに、おしみなくものをあたえました。彼は、愛し、めんどうをみていた、あわれな小ひつじたちに、すなわちこの父もなく、母もない娘たちに、おしみなくものをあたえたのです。そうです、彼をしたしく知っているわたしどもの考えでは、彼がもし、ウィリアムとわたしに気がねをしなかったら、この娘たちに、もっとおしみなくものをあたえたにちがいありません。そうではないでしょうか、みなさん。それについては、わたしは、なんのうたがいも持っていません。さて、それでは、このようなときに、故人の遺志をはばむ兄弟は、どんな兄弟でありましょうか。また、このようなとき、彼が愛していた、これらの、かわいい、かわいそうな小ひつじたちから金をうばう――そうです、金をうばうのです――金をうばうおじたちは、どんなおじたちでありましょうか。もしわたしが、ウィリアムを知っているなら――わたしは知っているつもりなのですが――彼も――ええと、ちょっときいてみましょう。」
 王さまは、うしろをふりむいて、いろいろな手まねをして公爵に話しかけた。公爵は、まぬけたばかものみたいに、王さまを見ていたが、それからとつぜん、その意味がわかったように、うれしそうにして、いっしょうけんめいになって、ぐう、ぐうといいながら、王さまにとびついていき、十五回も王さまにだきついてからやめた。ついで、王さまはいった。
「わたしは、こうくるとわかっていました。いまのようすから、彼がどう思っているか、どなたにもなっとくがいったと思います。さあ、メアリー=ジェーン、スーザン、ジョアンナ、この金をうけとりなさい――みんな、とるんだよ。あそこによこたわっている人のおくりものなのだ。つめたくなっていても、よろこんでいてくださるよ。」
 メアリー=ジェーンが、王さまにとびついた。スーザンとみつくちの娘は、公爵にとびついていった。そして、わたしがこれまで見たこともないように、彼らは、だきあい、キスをしあった。人びとはみんな、目になみだをためてよっていき、このペテン師どもの手がちぎれるばかりに握手をして、いうのだった。
「まあ、いいかたがたですこと!――なんとまあ、りっぱな!――よくもまあ、そんなに!」
 さて、じきにまた、人びとは、病人(死人)の話をはじめ、彼がどんなにいい人であったか、また彼をうしなったことがどんなに大きなそんしつであるかということなどをいろいろと話しだした。すると、まもなく、鉄のようなあごをした大男が、外から人びとをかきわけながらはいってきたが、彼は、つっ立ったまま、じっと話をきいたり、気をつけたりしているだけで、ひとことも口をきかなかった。人びともまた、なにひとつ、彼に話しかけなかった。というわけは、王さまが話をしているので、人びとは、その話をきくのにいっしょうけんめいだったからだ。王さまは、いっていた――なにかの話のとちゅうだった――。
「――あの人たちは、病人(死人)のとくべつにしたしいお友だちですから。そういうわけで、あのかたがたを、今晩ここにおまねきしたのです。だが、あすは、みなさまにきていただきたいと思います――ひとりのこらずです。ともうすわけは、彼は、すべての人を尊敬し、すべての人をすいていましたから、彼の|とむらいの酒宴《ヒューネラル・オージイズ》は、みなさんでしていただくのがとうぜんだからです。」
 こんなふうにして、王さまはよた[#「よた」に傍点]をとばしつづけた。しかも、自分で自分の演説にききほれているように、たえず〈とむらいの酒宴〉ということばを使った。とうとうしまいに、公爵は、しんぼうしきれなくなった。そこで、ちいさな紙きれに「葬式《オブシクイズ》だ、このばかじじい」とかいて、それをたたみ、ぐう、ぐういいながらでていって、人びとの頭ごしに、王さまにわたした。王さまは、それをよんで、ポケットにしまってからいった。
「かわいそうなウィリアム、彼は、あのとおりくるしみのなかにありながらも、こころは、いつもただしいのです。彼は、みなさんをおとむらいによんでくれと、わたしにたのんでいるのです。みなさんをよろこんでむかえるようにと、わたしにのぞんでいるのです。そんなことまで心配しなくてもよかったのですがね――わたしが、ちょうどいま、みなさんにそうもうしあげていたところですから。」
 それからまた、王さまは話しつづけた。とてもおちつきはらっているが、まえとおなじように、ちょいちょい〈とむらいの酒宴〉ということばをはさんだ。そして、そのことばを三度めに使ったとき、王さまは、いった。
「わたしは、酒宴《オージイズ》といっていますが、それは、ふつうのいいかただから、そうもうしているのではなく、むしろ、ふつうのいいかたでないから、そうもうしているのであります――葬式《オブシクイズ》というのがふつうのいいかたです――だが、酒宴《オージイズ》のほうがただしいいいかただから、そうもうしているのです。葬式《オブシクイズ》ということばは、イギリスでは、もう使われておりません――もう、すたれたのです。イギリスでは、いまは、酒宴《オージイズ》といっているのです。酒宴のほうがいいのです。そのほうが、みんながいおうとしていることを、いっそう正確にいいあらわしているからです。それは、ギリシア語のオルゴー、すなわち、外がわの、戸外の、外へ、とヘブライ語の、ジースム、すなわち、うえる、おおう、よってくる、うずめるということなどからきていることばなのです。そういうわけで、とむらいの酒宴とは、戸外の、または、おおやけの葬式のことなのです。」
 これは、いままでにないふできだった。そうだ、あの鉄あごの男が、王さまの目のまえで、わっはっはとわらいだしたのだ。みんな、ぎくりとした。そしていった。「どうしたんです、お医者さん。」それから、アブナー=シャックルフォードがいった。
「どうしたんです、ロビンスンさん、あんたは、まだ、なにもきかなかったのですか? このかたは、ハーベー=ウィルクスさんですよ。」
 王さまは、しきりにほほえみながら、手をさしだして、いった。
「あなたが、弟のお友だちのお医者さんですか、わたしは――」
「手をひっこめろ!」と、医者はいった。「きさまは、イギリス人らしくしゃべっているつもりなんだろう! そんなへたくそなまねは、きいたこともないぞ。きさまが、ピーター=ウィルクスの兄弟だって! このペテン師め、きさまは、ペテン師なんだ!」
 一同のさわぎといったら! 人びとは、医者をとりまいて、彼をしずめようとした。そして、ハーベーがどんなにいろいろな方法で自分がその本人であることをしょうこだてたかということや、ひとりひとりの名まで、犬の名まえさえ知っていたということを説明しようとした。そして、ハーベーの感情やかわいそうな娘たちの気持ちを害したりなどしないでくれとたのんだ。だが、なんの役にもたたなかった。医者は、おかまいなしにどなりつづけた。そして、イギリス人のふりをして、しかもこいつみたいなへんちくりんなイギリス語のまねをするやつらは、みんなペテン師か、うそつきだ、といった。かわいそうに、娘たちは、王さまにとりすがって、ないていた。するととつぜん、医者は、娘たちのほうにむきなおった。そして、いった。
「わしは、あんたがたのおとうさんの友だちだったし、またあんたがたの友だちだ。それで、わしは正直なあんたがたの友だちとして、また、あんたがたを損害と難儀からまもるために、あんたがたに注意する。そのならずものに背をむけたまえ。そして、あほらしい、自称のギリシア語とヘブライ語を使う、無学なごろつきと手をきりたまえ。こいつは、もっとも見えすいたかたり[#「かたり」に傍点]なのです――名まえや事実《じじつ》など、いくらあげたって、なんにもなりません。こいつは、ここにくるとちゅう、どこかできいてきたのです。そんなものがなんのしょうこになるんです。ここにいる友だちは、もっとしっかりしてくれなけりゃあいけないのに、ばかなものだから、ばかな友だちたちのおかげであんたがたまでだまされるようなことになったのです。メアリー=ジェーン=ウィルクスさん、あんたは、わしがあんたの友だちだということを知っているはずだ。そして、わたくしごころのない友だちだということを知っているはずです。さあ、わしのいうことをききたまえ。この、おかしなわるものをたたきだしなさい――どうぞ、そうしてください。どうです?」
 メアリー=ジェーンは、すっくと立ちなおった。そのきれいなことといったら! 彼女は、いった。
「これが、あたしのこたえです。」彼女は、金のふくろを持ちあげて、王さまの手のなかにおしこんで、いった。「この六千ドルをとってください。そして、あたしと妹たちのために、どうにでも、おすきなように投資してください。うけとりなどいりませんわ。」
 それから、彼女が、王さまの片がわにだきついたものだから、スーザンとみつくちの娘は、その反対がわにしがみついた。みんなは、手をたたいて、床をふみ鳴らした。まるで、あらしのようだった。同時に、王さまは、しゃんと頭をおこして、まんぞくそうにほほえんだ。医者は、いった。
「わかりました。わしは、この事件から、きれいさっぱり、手をひきましょう。だが、あんたがたが、この日のことを考えるたびに気持ちがわるくなる日がくるということを、わしは、あんたがたに警告しておきますぞ。」そういって、医者は、でていった。
「よろしいとも、お医者さん」と、王さまは、医者をなぶるような調子でいった。「そのときは、あんたをよびにやりましょうわい。」それで、みんな、どっとわらった。そして、とてもうまいあてこすりだといった。
           26 ハック、義侠心をおこす
 さて、みんながかえってしまうと、王さまは、あきべやのぐあいがどうなっているか、メアリー=ジェーンにたずねた。すると、彼女は、あいているへやは一つありますが、そのへやを、ウィリアムおじさんのにしたらいいでしょうといった。ハーベーおじさんには、あたしのへやをあけて、おあげします。このほうが、すこし広いのです。あたしは、妹たちのへやにいって、たたみ寝台にねます。それから、屋根うらは、ちいさな納戸になっていて、わらぶとんがおいてあります、と、彼女はいった。王さまは、その納戸はわしの従者のにしたらいいといった――従者とは、わたしのことだ。
 そこで、メアリー=ジェーンは、わたしたちを上につれていって、そのへやべやを見せてくれた。質素ではあるが、いいへやだった。彼女は、ハーベーおじさんのじゃまになるなら、自分の上着や手まわりのものは、はこびださせます、といった。だが、王さまは、それにはおよばないといった。長いきものが、ずらりとかべにかかっていた。そして、すそが床までたれているキャラコのカーテンが、そのまえにひいてあった。片すみには、古い毛皮のトランクがおいてあった。もういっぽうのすみには、ギターのはこがあった。また、女の子がへやをひきたてるためにかざるような、きれいなおもちゃや、かわいいが、くだらないものが、へやじゅうにおいてあった。王さまは、こういうかざりものがいっぱいあったほうが、ずっと家庭的で気持ちがいいから、このままにしておいてくれ、といった。公爵のへやは、とてもちいさかったが、なかなかいいへやだった。わたしの納戸も、わるくなかった。
 その晩、彼らは、大夕食会をひらいた。よばれた男や女は、みんな出席した。わたしは、王さまと公爵がかけているいすのうしろに立って、ふたりに給仕をした。ほかの人たちの給仕は、黒人たちがした。メアリー=ジェーンは、テーブルの上座に、スーザンとならんでこしをかけて、このビスケットは、なんとまずいんだろう、このさとうづけは、なんてそまつなんだろう、この鳥のフライは、なんてわるくておまけにかたいんだろう――とかなんとか、いろいろ、つまらないことをしゃべりたてていた。これは、おせじをいわせるために、女たちが、いつもやるて[#「て」に傍点]なのだ。お客たちは、みんな、どの食べものもとびきりじょうとうだということを知っているから、いや、どうして、とてもじょうとうだといった。
 そして、お客たちは、「どうすれば、ビスケットを、こうこんがりとおやきになれるんですの?」とか、「このおいしいつけものは、どこでお買いになったんですの?」といったような、つまらないことをしゃべりつづけるのだった。どの夕食会でも、お客たちの話すことは、たいてい、そんなことにきまっていた。、[#「。、」はママ]
 食事がすんで、みんなが、黒人たちをてつだってあとかたづけをしているあいだに、わたしとみつくちの娘は、台所でのこりものを食べて、夕食をすませた。娘は、ねほりはほりイギリスのことをきくので、わたしは、ときどきひやひやした。
「あんた、王さまを見たことがあって?」
「どの王さまだい、ウィリアム四世かい。うん、あるとも――うちの教会にくるんだぜ。」
 わたしは、ウィリアム四世がなん年もまえに死んだことを知っていたのだが、そんなことは、おくびにもださなかった。そして、わたしが、彼はうちの教会にくるといったので、彼女はこうたずねた。
「おや――いつもくるの?」
「うん――いつもくるとも。王さまの座席は、ぼくたちの反対がわにあるんだ――説教台のむこうがわにあるんだよ。」
「あたし、王さまは、ロンドンにいるんだと思うけど?」
「うん、そうだよ。ほかに、どこにいるってんだい。」
「だって、あんたは、シェフィールドにすんでるんじゃないの?」
 わたしは、はたといきづまってしまった。それでいいのがれる方法を考えるあいだ、鳥の骨がのどにひっかかったふりをしなければならなかった。それから、わたしは、いった。
「ぼくはさ、王さまがシェフィールドにきているあいだは、いつでもうちの教会にくるってことをいってるんだよ。夏のあいだだけのことだけど、海水浴をしにくるんだ。」
「まあ、なにいってんの――シェフィールドは、海岸じゃあないわよ。」
「うん、だれが海岸だっていったい。」
「まあ、あんたがいったじゃあないの。」
「ぼくは、いいやあしないよ。」
「いったわよ。」
「いわないったら。」
「いいましたよ。」
「そんなこと、ひとこともいいやあしないじゃないか。」
「そいじや、なんていったの。」
「王さまは海水温浴をしにくるといったんだよ――ぼくは、海水温浴といったんだぜ。」
「そんなら、海岸でもないのに、どうして、海水温浴ができるの。」
「ねえ、きみ」と、わたしはいった。「きみは、コングレス鉱泉を見たことがあるかい。」
「あってよ。」
「そいじや、その鉱泉を手に入れるためには、コングレスまでいかなきゃならないのかい。」
「まあ、そんなことないわ。」
「じゃあ、ウィリアム四世だって、海水温浴をするために、海岸までいかなくったっていいじゃないか。」
「そいじゃ、どうやって海の水を手に入れるの。」
「この国の人たちが、コングレス鉱泉を手に入れるのとおんなじさ――たるにつめて、持ってくるんだよ。シェフィールドの宮殿には、かまどがいくつもあるから、王さまは、海水をわかさせるんだ。海岸では、そんなにたくさんの海水をわかすことができないんだ。設備がないからね。」
「ああ、やっとわかったわ。はじめっからそういってくれりゃ、すぐわかったのに。」
 彼女がそういったので、わたしは、やっと急場をきりぬけたことを知って、気がらくになり、ほっとした。それから、彼女はいった。
「あんたも教会にいくの?」
「うん、いつもね。」
「どこにすわるの?」
「もちろん、ぼくたちの席にだよ。」
「ぼくたちのって、だれの?」
「だれのって、ぼくたちの――きみ、ハーベーおじさんのだよ。」
「おじさんのですって? おじさんに座席がいるの?」
「かけるのに、いるじゃないか。どうして、おじさんには座席がないと思うんだい?」
「どうしてって、あたし、おじさんは、説教壇にいると思うのよ。」
 南無三、わたしは、彼女のおじさんが牧師だということをわすれていたのだ。そして、またいきづまってしまったので、わたしは、また鳥の骨がのどにつかえたふりをして考えた。そして、いった。
「ちぇっ! きみは、教会には、牧師がひとりしかいないと思ってるのかい。」
「まあ、どうして、なん人もひつようなの。」
「なんだって! 王さまのまえで説教するのに、ひとりでたくさんだってのかい。ぼく、きみみたいな女の子、はじめてだよ。牧師は、十七人以上もいるんだぜ。」
「十七人、おやまあ! お説教がそんなに長くちゃ、あたし、とてもおしまいまでがまんできないわ。あたし、そんなにまでして、神さまの栄光にあずからなくてもいいわ。十七人がお説教するんじゃ、一週間もかかるにちがいないわ。」
「ちぇっ! おなじ日に、十七人そろって、説教なんかしやしないよ――するのは、たったひとりだよ。」
「そいじゃ、ほかの牧師たちはなにをしてるの。」
「ああ、たいしたことをしてやしないよ。ぶらぶら立っていたり、おさい銭あつめの皿をまわしたり――なにか、そんなことをしてるんだ。だが、たいていは、なんにもしてやしないよ。」
「そいじゃ、なんのためにいるの。」
「なんのためって、ていさいのためだよ。きみは、なんにも知らないのかい。」
「そうよ。あたし、そんなばからしいことは、知りたくもないわ。イギリスじゃ、召使は、どんなふうにあつかわれているの。あたしたちが黒人をあつかうより、いい待遇なの。」
「いや、召使といや、イギリスじゃ、人の数にはいらないんだ。犬よりも、もっとひどくあつかうんだよ。」
「やすみの日はないの? クリスマスや、新年や、独立記念日なんかに、あたしたちがしてるように?」
「まあ、ききたまえ。それだけでも、きみは、イギリスヘいったことがないってことがわかるよ。いいかい、みつく[#「みつく」に傍点]――あの、ジョアンナ、イギリスの召使《めしつかい》は、年がら年じゅうやすみなしなんだ。サーカスにだって、劇場にだって黒人の見せものにだって、どっこにもいけないんだ。」
「教会《きょうかい》へも?」
「教会へだってだよ。」
「だって、あんたは、いつも、教会へいってたんじゃないの。」
 わたしは、またつっかえてしまった。わたしは、自分が王さまの召使だということをわすれていたのだ。だが、わたしは、すぐちょっとした説明を思いついた。従者は、ふつうの召使とちがって、いきたかろうが、いきたくなかろうが、かならず教会へいって、家族といっしょにいなければならないのだ。それは法律できめられているのだから、と、そうわたしはいった。だが、うまく説明できなかったので、わたしがそういっても、彼女は、なっとくしなかった。彼女はいった。
「あんたは、うそばっかしいってるんじゃないの、ほんとはどうなのよ。」
「うそなんていってないよ、ほんとに。」と、わたしはいいかえした。
「みんなほんとのこと?」
「みんなほんとのことだよ。うそなんか、ひとつもいってやしないぜ。」
「そいじゃ、この本に手をおいて、そういってちょうだい。」
 それはなんでもないただの字びきだったので、わたしはその本に手をのせて、そういった。そうしたら、彼女は、すこしはまんぞくしたらしかった。そして、いった。
「そう、そいじゃ、すこしは信じるわ。でも、あとは、どうしたって信じられないわ。」
「信じられないって、なんのことなの? ジョアンナ。」と、メアリー=ジェーンが台所にはいってきながらいった。そのあとから、スーザンもついてきた。
「あんた、この人にそんなことをいってはわるいわ。お気のどくよ。この人は、家族からとおくはなれてきている外国人なんだもの。あんただって、そんなことをいわれたらいやじゃない。」
「あんたったら、いつもそうだわ、メアリー――あたしまだなんにもしやしないのに、口をだして、ほかの人の加勢をしたがるんだわ。ほんとにあたし、この人になんにもしやしないのよ。この人、うそをついているようだから、わたし、そっくり信じられないっていったのよ。あたしがいったのは、たったそれっきりよ。それっくらいのこといわれたって、この人、平気だと思うわ。」
「あたしは、それっくらいとか、これっくらいとかいうことを問題にしてるんじゃないのよ。この人は、うちにきてる、外国の人なんだから、そんなことをいっちゃいけないのよ。あんたがこの人の立場にいたら、はずかしい思いをするにちがいないわ。だから、よその人にはずかしい思いをさせるようなことは、いっちゃいけないのよ。」
「だって、メアリー、この人は、いうのよ。」
「この人がなんていおうと、それは、かまわないのよ――そんなことは、どうでもいいの。問題は、あんたがこの人にしんせつにしてあげなきゃならないってことなのよ。そして国をはなれていること、家族といっしょにいないってことを、この人に思いださせるようなことは、いっちゃいけないってことなのよ。」
 わたしは、こころのなかで思った。あのへびのような、いやらしいやつが、金をぬすもうとしてねらっているのは、この娘なのだ。そして、わたしもそのしごとに一役かっているのだ。
 それから、スーザンが口をだした。そして、思いがけないことには、彼女も、みつくちに、さんざんこごとをいった。
 わたしは、こころのなかで、この娘もまた、わたしがてつだって、あのへびのようないやらしいやつに金をぬすませようとしている、もうひとりの犠牲者なのだと思った。
 メアリーは、スーザンにかわって、さらに、くりかえしくりかえしこごとをいった――それが、彼女の流儀だった。だから、こごとがすんだときには、かわいそうに、みつくちは、たつせ[#「たつせ」に傍点]がなかった。彼女は、大声をあげてなきだした。
「そいじゃ、いいわ」と、姉たちはいった。「この人におわびをしなさいな。」
 彼女は、そこで、ごめんなさいといった。しかも、とてもきれいにいった。それが、あまりにもきれいないいかただったので、きいていて気持ちがよかった。わたしは、もっとうんとうそがつきたくなった。そうすればもう一度、ごめんなさいが、きけるからだ。
 あのへびのような王さまに、わたしは、この娘からも金をうばわせようとしているのだ、と思った。みつくちがあやまると、彼女たちは、みんなで、なんとかして、わたしをくつろがせ、わたしが味方のなかにいるのだということを、わからせようとつとめた。そのために、わたしは、とても、自分が下等で、いやらしく感じられた。だから、わたしは、いよいよこころをきめた。あの金を、この娘たちのために、きっとかくしてみせよう、もしそれができなかったら、くたばってしまおう、と決心したのだ。
 そこで、わたしは、いそいででていった――みんなにはもうすこししたらねるつもりだとあいさつして、そこをでてきたのだった。ひとりになってから、わたしは、問題をよく考えてみた。こっそり医者のところにいって、ペテン師どもを密告しようか。いや――そんなことは、だめだ。医者は、だれが密告をしたかいうかもしれないからだ。そうなると、わたしは、王さまと公爵に、ひどいめにあわされるかもしれない。こっそりメアリー=ジェーンのところにいって、話してみようか。いや――そんなことはできない。彼女の顔つきから、きっと、彼らはなにかを感づくだろう。金を持っているのは、やつらなのだから、やつらは、すぐさまそっとぬけだして、金を持ってにげてしまうにちがいないのだ。そこで彼女たちがほかの人にたすけをもとめるようなことになると、わたしは、ことがかたづかないうちにわるものどもの相棒だと思われることになるかもしれない。そうだ、いい方法は、たったひとつだ。なんとかしてわたしが、あの金をぬすむのだ。わたしがぬすんだということをうたがわれないような方法で、なんとかしてぬすむのだ。やつらは、うまいもうけしごとを見つけたのだから、この家族と町の人びとをごまかして、すっかりしぼりとるまでは、ここをさりはしないだろう。だから、そのあいだに、わたしは、いくらでも機会を見つけられるにちがいない。わたしは金をぬすんで、どこかへかくすことにしよう。そして、そのうち、川をずっとくだってから、手紙をかいて、どこに金をかくしておいたか、メアリー=ジェーンにおしえてやろう。だが、できるなら、今晩かくしたほうがいいのだ。ことによると、医者は、口でいったほど、きれいさっぱりと手をひいてはいないかもしれない。そうなると、王さまたちが、医者をおそれて、ここからにげだすようたことにならないともかぎらないからだ。
 そこで、わたしは、彼らのへやへいってさがしてみよう、と思った。二階の廊下はまっ暗だったが、公爵のへやが見つかった。わたしは、手さぐりでさがしはじめた。だが王さまが、金を自分の手もとにおかないで、だれかにあずけておくはずがないということを、わたしは思いだした。そこで、王さまのへやにいってさがしはじめた。だが、ろうそくなしでは、なにひとつできないことがわかった。けれど、もちろん、ろうそくをつけるわけにはいかなかった。そこで、べつな方法でやらなければならないと考えた――つまり、王さまたちを待ちぶせしていて、ぬすみぎきするのだ。ちょうどこのとき、王さまたちがやってくる足音がきこえてきた。わたしは、寝台の下ににげこもうと思って、寝台を手さぐりでさがした。だが、寝台は、わたしが考えていたところにはなかった。そのうちに、メアリー=ジェーンの長いきものをおおいかくしているカーテンに手がさわった。そこで、わたしは、そのかげにとびこんで、ガウンのなかにかくれ、身うごきひとつしないで、じっとそこに立っていた。
 彼らは、はいってきて、戸をしめた。そして、公爵はまず第一に、かがみこんで、寝台の下をのぞいた。わたしは、寝台をさがしたとき、それが見つからなくてよかったと思った。しかし、なにかうしろ暗いことをするときには、だれだって、寝台の下にかくれるのがあたりまえなのだ。ふたりともこしをかけると、王さまがいった。
「さて、どんなことだな? なるべく、手みじかに話してくれ。ここにいて、下でやつらにおれたちのうわさをさせておくよりは、下にいて、かなしげな声をたてていたほうがいいからな。」
「うん、こういうわけなんだよ。王さま、おれは、心配なんだ。おちついちゃ、いられねえんだ。あの医者が気にかかるんだ。それで、あんたの計画をききたいんだ。おれにもひとつ考えがあるがね、おれとしちゃ、これがまず安全な考えだと思ってるんだが。」
「どういう考えなのだ、公爵?」
「おれの考えってのは、あしたの朝、三時まえに、この家からそっとぬけだしたほうがいいってことだよ。つまり、手にはいった金だけ持って、はやいとこ、川下へにげるということなんだ。ことに、金は、あんなにやすやすと、おれたちの手にもどってきたんだからな――まるで、頭にぶっつけられたみたいにさ。あとでとりかえさなきゃならねえと思っていたときによ。おれは、さっさと、旗をまいてにげだしたほうがいいと思うんだよ。」
 その話をきいて、わたしは、気持ちがわるくなった。一、二時間まえなら、もうすこしちがっていたかもしれないのだが、いまは、そうきいただけで、気持ちがわるくなり、がっかりした。王さまは、あらあらしくいった。
「なんだって! あとの財産を、売りとばさねえのか、ばかのようににげだして、七、八千ドルものねうちのある財産を、人手にわたしちまうっていうのか――みんなりっぱな、すぐ買い手のつく品物なのに。」
 公爵は、ぶつくさ、不平をいった。彼は、金貨のふくろだけでたくさんだから、これいじょうふかいりしたくない――おおぜいのみなし子たちから、根こそぎうばいとりたくはないといった。
「おやおや、なにをいってるのだ」と、王さまはいった。「おれたちは、あの娘たちから、この金よりほかに、なにひとつとらねえことになるんだぞ。被害者は、財産を買うやつらなのだ。というわけはな、財産がおれたちのもんでねえということがわかりゃすぐに――こいつは、おれたちがずらかりゃ、じきにわかることだが――その売買は、無効になって、みんなもとの持ち主にもどるのだ。ここのみなし子たちは、家をかえしてもらえるんだから、それだけありゃ、あいつらには、たくさんだ。あの娘たちは、わかくてぴちぴちしてるんだからな、かせいで、らくらくくらしていける。こまりはしねえよ。な、よく考えてみるのだ――ここの娘たちよりこまっている人間が世のなかにはいく千人もいるのだ。なんだって、不平なんかいえるもんか。」
 さて、王さまは、公爵がいいなりになるまで、さんざ公爵をときつけた。そのため、とうとうしまいに、公爵は、負けてしまって、そうしようといった。だが、公爵は、ここに長居するのは、まったくばかげたことだ、あの医者がつきまとっているのだからな、といった。だが、王さまは、いった。
「医者のやろうがなんだ。なんだって、あいつを気にしなきゃならないんだ。おれたちは、町のばかどもをみんな、おれたちの味方にしてるじゃねえか。」
 そこで、彼らは、いまにも下におりていきそうになった。公爵がいった。
「金のかくし場所は、いいかい。」
 このことばをきいて、わたしは、げんきづいた。なにかうまいことがききだせるかと思ったからだ。王さまは、いった。
「どうしてだ?」
「どうしてって、メアリー=ジェーンは、これから喪に服することになるからよ。そうすりゃ、まず、へやのそうじがかりの黒人に、このぼろ服を、はこに入れて持ちだすようにいいつけるじゃねえか。あんたは、黒人が、金にでっくわしても、手をださねえと思ってるのかい。」
「おめえの頭は、また人なみになったな、公爵。」
と、王さまはいった。そして、わたしから二、三フィートはなれたカーテンの下をさぐりはじめた。わたしは、ぴったりとかべにひっついて、じっと息をころしていたが、からだは、ぶるぶるふるえていた。そして、わたしをつかまえたら、こいつらは、なんというだろうと考えた。もしつかまったら、どうしたらいいかということも、あれこれと考えた。だが、わたしが思うことの半分も考えないうちに、王さまは、ふくろをさぐりだした。わたしがそばにいようとは、ゆめにも思っていないのだ。彼らは、ふくろを持っていって、羽ぶとんの下のわらぶとんのおおいのさけめにおしこんで、わらの一、二フィートおくにつっこんだ。そして、これでだいじょうぶだといった。召使は、羽ぶとんをしきなおすだけで、わらぶとんをひっくりかえすようなことは、一年に二度くらいしかないからだ。だから、もうぬすまれる気づかいはなかった。
 だが、わたしのほうが、うわ手だった。わたしは、彼らが階段を半分もおりていかないうちに、金のふくろをひきずりだしていた。わたしは、手さぐりで納戸にあがっていって、そこにふくろをかくし、もっとうまくふくろのしまつのできる機会を待った。わたしは、どこか、家の外にかくしたほうがいいと考えた。王さまたちが、ふくろがなくなっているのに気がついたらさいご、うちじゅうをくまなくさがすにちがいないからだ。そんなことぐらい、わかりきったことだ。それで、わたしは、服をきたまま、寝床にはいった。だが、わたしは、このしごとをはやくしまつしてしまおうとやきもきしていたので、ねむろうとしても、おちおちねむれなかった。そのうちに、王さまと公爵があがってくる音がきこえてきた。そこで、わたしは、ふとんからころげだしていって、はしご段のあがり口にあごをつけて、はらばいになった。そして、なにかおこるか見はっていたが、なにもおこらなかった。
 わたしは、それから、夜がふけて、もの音ひとつしなくなり、明けがたのもの音がするには、まだまのあるころまで、そうして見はっていた。それから、そっとはしご段をすべりおりた。
           27 金ぶくろのゆくえは?
 わたしは、ふたりのへやの戸口のところへはっていって、耳をすました。彼らは、いびきをかいていた。そこで、わたしは、つまさきで歩いて、しゅびよく下におりた。どこからも、もの音ひとつきこえなかった。食堂の戸のわれめからのぞいてみると、おつやの人たちがひとりのこらず、いすにこしかけたままぐっすりねこんでいた。そして、客間とのさかい戸は、むこうへおいていた。客間には、死がいがおいてあるのだ。ろうそくが一本ずつ、どっちのへやにもともっている。わたしは、食堂を通って、あいている戸から客間へはいった。すると客間のもういっぽうの戸もあいていた。だが、客間には、ピーターの死がいのほかにはだれもいなかった。そこで、わたしは思いきって死がいのそばを通り、玄関へでた。だが、そこの戸には錠がかかっていて、かぎはなかった。ちょうどこのとき、だれか階段をおりてくる足音が、うしろのほうからきこえてきた。わたしは客間にかけこんで、いそいであたりを見まわしたが、ふくろのかくせる場所は、棺おけのなかのほかなかった。そのふたが一フィートばかりはずれていて、そこに、ぬれた布をかけた死人の顔と経かたびら[#「かたびら」に傍点]が見えていかねた。わたしは、金のふくろをふた[#「ふた」に傍点]の下へ、死人が十字《じゅうじ》に組んだうでのおくへとおしこんだ。死がいがとてもつめたかったので、わたしは、ぞっとした。それから、わたしは、客間にかけもどって、戸のうしろにかくれた。
 おりてきたのは、メアリー=ジェーンだった。彼女は、しずかに棺おけのところへいくと、ひざまずいて、なかをのぞいた。それから、ハンカチをだしたので、うしろむきだし、声もきこえなかったが、なきだしたことがわかった。わたしは、そっとぬけだし、食堂を通りぬけながら、だれにも見つからなかったかどうか、たしかめたほうがいいと思った。だから、戸のわれめからのぞいてみたが、なんの異状もなかった。おつやの人たちは、身じろぎひとつしていない。
 わたしは、そっと上にあがって、寝床にはいったが、いろいろ、苦労したり、きけんをおかしたのに、こんな結果になったので、なんとなくゆううつだった。あれが、いまおいてきたところにあればいいがな、と、わたしは思った。というわけは、わたしたちが百マイルか二百マイル川をくだってから、そのことを、メアリー=ジェーンに手紙で知らせてやれば、彼女は、死がいをほりおこして、またあれを手に入れることができるからだ。だが、そういうふうには、なりそうもない。棺おけのふたにくぎを打つとき、たぶん、見つけられるだろう。そして、王さまがまたそれを手に入れる。そうしたら、こんどこそ、王さまは、二度とあれを持ちだす機会を人にあたえるようなことはしないだろう。もちろん、わたしは、そっと下におりていって、金のふくろを棺おけのなかからとりだしたいのは、やまやまだったが、とても、そんなことをやってみる気にはなれなかった。もう、すこしずつ、夜が明けかけているのだから、じきに、だれかおつやの人がおきだして、わたしをつかまえるかもしれない――だれからあずかったのでもない六千ドルを持っているところを、つかまるかもしれないのだ。わたしは、そんなことになるのは、ごめんだと思った。
 朝、下におりてみると、客間はしめられ、おつやの人たちは、もうかえったあとだった。うちの人たちとハートレー未亡人と王さまと公爵のほか、だれもいなかった。わたしは、なにかもちあがっているかどうかと、彼らの顔色に気をつけたが、わからなかった。
 ひるすこしまえに、葬儀屋がやとい人をひとりつれてやってきた。そして、へやのまんなかにいすを二つおいて、棺おけをその上にのせた。それから、あるだけのいすをならべ、さらに、となり近所からもかりあつめて、廊下と客間と食堂を、いすでいっぱいにした。棺おけのふたは、まえのままになっていたが、人がおおぜいまわりにいるので、わたしは、棺おけのなかをのぞきにいけなかった。
 人びとが、へやのなかにはいりはじめた。ペテン師どもと娘たちは、棺おけの頭のところにすわった。それから半時間ほど、人びとは、一列になって、ゆっくりと順じゅんにすすんでいった。そして、死人の顔を見たり、なかには、なみだをこぼしていく人もあった。とてもしずかで、おごそかだった。ただ娘たちとペテン師どもだけが、目にハンカチをあてて、うつむいたまま、ちいさくすすりないていた。足をひきずる音と、はなをかむ音のほかは、なにもきこえなかった――というわけは、人びとは、教会はべつとして、おとむらいで、いちばんさかんにはなをかむからだ。
 そこが人で身うごきもできないようになると、葬儀屋は、黒い手ぶくろをはめて、すべるように歩きまわった。そして、一種のものやわらかなようすで、さいごのしまつをし、人や道具を気持ちよく整頓したのだが、そのあいだまるでねこのように音をたてなかった。彼は、けっして口をきかなかった。人をうごかしたり、おくれてきた人びとをなかにおしこんだり、通路をあけたりするのに、彼は、うなずいたり、手であいずをしたりしてやってのけた。それから、彼は、かべを背にして、席についた。わたしは、これまでに、彼ほどしずかに、しかも、こっそりと歩く男を見たことがなかった。おまけに、彼はどんなときにもけっしてわらわなかった。
 ちいさなオルガンがかりてきてあった――こわれたやつだ。すっかり用意ができると、わかい女が、そのまえにすわってひきはじめた。それは、かなりギイギイという、はらいたをおこすような音をだしたが、みんな、それにあわせてうたった。わたしの考えでは、ピーターだけが、いいことをした、たったひとりの人だと思った。それから、牧師のホブスンが、ゆっくりと、おごそかに口をひらいて、話しはじめた。すると、たちまち、地下室で大さわぎがおこった。さわぎのもとは、たかが一ぴきの犬だったが、そのやかましいことといったらなかった。しかも、そのさわぎはいつまでもつづいた。牧師は、棺おけのまえに立って、待っていなければならなかった――なにを考えているのか、自分でわからなくなるほどうるさかった。まったくこまったことだった。みんな、どうしていいか、わからないらしかった。だが、じきに、足の長い葬儀屋が、「気をもみなさるな――わたしにおまかせなさい」というように、牧師にあいずをするのが見えた。それから、彼は、からだをかがめて、かべづたいに、そっと歩きだした。そのかただけが、みんなの頭ごしに見えた。そして、彼が、すべるように歩いていくあいだにも、さわぎはますます大きくなるいっぽうだった。やがて、彼は、へやのすみを、ずうっとまわって、地下室にきえていった。それから二秒ばかりすると、ピシャッとものを打つ音がきこえてきた。犬は、ひと声、ふた声、びっくりするような鳴き声をたてたが、ぴたりと鳴きやんだ。そして、あたりが、しいんとなった。牧師は、さっき話しやめたところから、またおごそかに話しつづけた。一、二分すると、葬儀屋のせなかとかたが、また、かべぎわをすべるようにもどってきた。そして、へやの三つのすみをぐるりとまわってから、のびあがり、口に手をあてて、人びとの頭ごしに、牧師のほうに首をのばして、「犬が、ねずみをとったんですよ」と、しわがれ声で、ささやいた。それから、またからだをかがめて、かべづたいに、自分の居場所にもどった。いうまでもなく、人びとはまんぞくした。彼らは、なぜ犬がさわいだのか、知りたがっていたからだ。こういうことは、なんでもなくできることなのだが、人間は、このようなちいさいことで、人にあがめられたり、すかれたりするものなのだ。この葬儀屋ほど、この町で人気のある人は、なかった。
 さて、おとむらいの説教は、ありかたい説教ではあったが、とても長くてたいくつだった。それがすむと、こんどは、王さまが、でしゃばって、いつもの、くだらない話をはじめた。そして、ようよう、その話がおわると、葬儀屋が、ねじまわしを持って、そっと棺おけの上にあがった。わたしは、どきどきしながら、いっしょうけんめい、彼を見まもった。だが、彼は、よけいなことはせずに、そっと、ふたをすべらして、そのまま、しっかりとねじくぎでとめた。さあ、こまった! 棺おけのなかに、金がまだはいっているかどうか、わからないからだ。だれか、こっそり、あのふくろを持ちだしていたら、と思った――いったい、メアリー=ジェーンに、手紙をかいたほうがいいのか、わるいのか。死がいをほりおこしてみて、なにもなかったら、彼女は、わたしをどう思うだろう。へたをすると、おいつめられて、牢屋にぶちこまれるぞ、と、わたしは思った。だまって、そっとしておいて、ぜんぜん手紙などかかないほうがいいかもしれない。ことは、すっかりこんがらかってしまった。よくしようと思って、わたしは、百倍もわるくしてしまったのだ。なまじ、手だしなんかしなければよかった。
 みんなで彼をほうむって、わたしたちは家にかえってきた。それから、わたしは、また、みんなの顔色をうかがいはじめた――そうせずにはいられなかった。気がおちつかなかった。だが、なんにもならなかった。みんなの顔色からは、なにひとつさぐりだせなかった。
 王さまは、その晩、近くの家いえを訪問して歩いて、みんなをうれしがらせた。そのあいそうのいいことといったら、なかった。そして、イギリスにいる信徒が待ちこがれているだろうから、大いそぎですぐ財産のしまつをつけて、国へかえらなければならない、と、みんなに話した。そして、いそいでかえらなければならないことをとてもざんねんがった。みんなもざんねんがった。もっと長くいてもらいたいのだが、長居できないわけもわかる、とみんなはいった。それから、王さまは、ウィリアムとふたりで、娘たちを国へつれてかえるといいだした。それがまた、みんなをよろこばせた。そうしてもらえば、娘たちが、なに不自由なく、親類のなかでくらせると思ったからだ。またそれは、娘たちをよろこばせた――彼女たちは、うきうきしだして、おじの死んだことなど、すっかりわすれてしまった。どんなにしてもいいから、できるだけはやく財産を売ってください。もう決心はついていますから、と、彼女たちは、王さまにいった。かわいそうに、娘たちは、あんなによろこんで、しあわせそうにしているが、ほんとうは、ひどくだまされ、あざむかれているのだと思うと、わたしはむねがいたんだ。だが、口だしをして、なにもかもひっくりかえしてしまい、それでいてこのわたし自身が安全な方法は、思いつかなかった。
 ところが、王さまときたら、家も黒人たちも、そのほかいっさいの財産を、すぐさま競売にせずにはおかなかった――競売は葬式の二日あとだった。だが、買いたければ、そのまえに、個人的に買えたのだ。
 そんなわけで、葬式のつぎの日のひるごろ、娘たちのよろこびは、まずひとゆれした。ふたりのどれい買いがやってきたので、王さまは、黒人たちをそうとうの値段で、彼らに売りはらい、三日後ばらいの為替手形をうけとったからだ。そのため、ふたりのむすこは、川上のメンフィスに、母親は、川下のオーリンズにつれていかれた。かわいそうに、娘たちと黒人たちの、かなしみようといったらなかった。彼らは、たがいに手をとりあってなき、あまりはげしくなげくので、わたしは、見ているのがつらかった。黒人の親子が、自分の目のまえで、ひきはなされたり、この町から売られていったりしようとはゆめにも思わなかった、と娘たちはいった。わたしは、この娘たちと黒人たちが、たがいに首にだきついて、ないていたあわれなありさまを、けっしてわすれることができない。もし、この売買が無効で、黒人たちが、一、二週間のうちに、また家にかえってくるということを、知らなかったら、わたしは、たえられなくなって、この悪党どものことをぶちまけずにはいられなかったろう。
 このことで、町は大さわぎになった。おおぜいの人びとが、つよく談判をもちかけてきて、そんなふうに母親と子どもたちをひきはなすのは、はずべきことだ、といった。このことは、さぎ師どもに、いくらかこたえた。だが、王さまは、公爵がいろいろいさめたにもかかわらず、おしきってしまったので、公爵はとてもおどおどしていた。
 つぎの日が競売日だった。朝すっかり明るくなってから、王さまと公爵が、屋根うらのわたしの納戸にあがってきて、わたしをおこした。その顔つきから、わたしは、なにかことがおこったのだなということがわかった。王さまがいった。
「きさま、おとといの晩、おれのへやにはいらなかったか。」
「いいえ、はいりません、陛下。」――わたしは、わたしたちのなかまだけのときには、いつも彼を陛下とよんでいた。
「きのうも、ゆうべも、はいらなかったか。」
「はいりませんでした、陛下。」
「さあ正直にいえ――うそをいうんじゃねえぞ。」
「うそじゃありません、陛下。ほんとうのことをいってるんです。ぼくは、メアリー=ジェーンさんが、陛下と公爵をつれていって、あのへやをあなたがたに見せたときっきり、あのへやに近よったこともありません。」
 公爵がいった。
「おまえ、だれか、あのへやにはいるのを見なかったか。」
「いいえ、閣下、見かけなかったように思います。」
「よく考えてみろ。」
 わたしは、しばらく考えてから、ここだと思った。それで、わたしはいった。
「そうです。黒人がはいっていくところを、なん回も見ました。」
 ふたりは、ぎくっとして、まるで思いもよらなかったというような顔をした。が、すぐまた、なるほど、そういうことがあったかもしれないという顔をした。公爵がいった。
「なんだって? あいつらがぜんぶそろってか。」
「いいえ――すくなくとも、ぜんぶそろっていたことはありません――みんながぜんぶそろってでてきたのは、たった一度しか見かけなかったように思います。」
「おい、そいつは、いつのこった?」
「葬式の日です。あの日の朝です。ぼく、あの日はねぼうをしたんですから、朝はやくのことではありません。はしごをおりようとしていると、黒人たちのすがたが見えたんです。」
「そうか。それから、それからやつらは、なにをしていたんだ? どんなことをやっていた?」
「なにもしてませんでした。ぼくの見たところじゃ、べつにこれということはしていませんでした。こっそりとでていっただけです。だからぼくは、黒人どもが、陛下がおきていると思って、陛下のへやのそうじかなにかするためにはいっていったんだ、と思ったんです。そしたら、陛下はまだねていたので、自分たちの足音でおこさずにすむことなら、そのままねさせておくほうが、めんどうがないと思って、そっとでていくのだと思ったんです。」
「えっ、そりゃしまったぞ!」と、王さまはいった。ふたりとも、とてもよわったような、まのぬけた顔をした。そして、そこにつっ立ったまま、ちょっと、考えこんで、頭をかきむしっていた。とつぜん、公爵が、いらいらしたような声で、くっくとわらいだして、いった。
「やつらの手ぎわのあざやかなことったら、天下一品じゃねえか。やつらは、この土地からはなれるのをかなしんでいるようなふりをした! それで、おれはもちろん、やつらがかなしがっているのだと思った。あんただってそう思ったし、だれもかれも、そう思ったんだ。黒人にお芝居の才能がねえなんて、もう、おれのまえでいうんじゃねえぞ。ねえおい、やつらのあのてにかかっちゃ、だれだってひっかかるじゃねえか。おれの考えじゃ、やつらは金もうけのもとでになるよ。おれに、金と芝居小屋があったら、黒人芝居をうつぜ。これいじょうのもうけしごとはねえからな。ところが、おれたちときたら、やつらを二そく三文に売っちまったじゃねえか。そのうえ、その二そく三文の金も、まだ手にはいってねえのだ。おい、あの二そく三文は、どこにあるんだい――あの手形はさ。」
「とりたててもらうために、銀行にあるよ。ほかに、どこにおいておくっていうのだ?」
「そうか、そいじゃいい。ありがてえ。」
 わたしは、すこしおずおずした調子で、いった。
「なにか、よくないことがおこったんですか。」
 王さまは、くるりとわたしのほうをむいて、どなった。
「きさまの知ったことじゃねえ、よけいなことに口をださずに、自分のしごとをやっていろ――なんかすることがあったらな。この町にいるうちは、それをわすれるんじゃねえぞ――いいか?」
 それから、王さまは、公爵にいった。
「じっとがまんして、なんにもいわねえこったぞ。だまってるのが、いちばんだ。」
 はしごをおりかけながら、公爵は、またくっくっとわらっていった。
「はや売りのちょっぴりもうけか。いいしごとさ――ほんとに。」
 王さまは、公爵にあたりちらしていった。
「おれは、できるだけうまくやろうと思ったから、あんなにいそいで、やつらを売ったのだ。一文のもうけにもならねえで、大ぞんをして、から手でかえるとしても、それは、おればかりのせいじゃねえぞ。」
「そうだとも、おれのいうことさえきいてりゃあ、いままでこの家にぐずぐずしているのは黒人どもで、おれたちは、とっくに、ずらかっていたはずだよ。」
 王さまは、自分があやうくならないていど、負けずにやりかえした。それから、くるりとうしろをふりむいて、またわたしにつっかかってきた。黒人どもが王さまのへやからこっそりでてくるのを見ていながら、なぜおしえにこなかったかといって、わたしをこきおろした――どんなばかだって、なにかあったということぐらい気づくだろう、ともいった。それからしばらく、自分自身をのろっていたが、それもこれも、夜おそくまでおきていて、あの朝、朝ねぼうをしていれば、こんなことにはならなかったのだ。もうこんなことは、二度とするものか、といった。こうして、ふたりは、しゃべりながらでていった。わたしは、なにもかも黒人たちになすりつけながらも、だからといって、なにひとつ彼らをきずつけないですんだので、とてもうれしかった。
           28 ジェーンのおどろき
 そのうち、おきる時間になった。そこでわたしは、はしごをおりて、下へいこうとした。娘たちのへやのまえを通りかかると、メアリー=ジェーンが、古い毛皮のトランクをあけたまま、そのそばにすわっていた。彼女は、荷物をつめていたのだ――イギリスヘいくしたくをしているところなのだ。だが、彼女は、このとき、たたんだガウンをひざの上にのせて、両手を顔にあててないていた。わたしは見すごすにしのびなかった。もちろん、だれでもそうだろう。わたしは、なかへはいっていった。
「メアリー=ジェーンさん、あなたは、人びとがこまってるのを見ちゃいられないでしょうね。ぼくだって、そうです――たいていのときは。なぜないてるのか、わけを話してくれませんか。」
 そこで、彼女は、話してくれた。彼女は、黒人たちのために、ないていたのだった――わたしの思ったとおりだ。彼女は、イギリスゆきのたのしい旅行も、だいなしになったといった。黒人の母親と子どもたちが、もう二度とあえなくなったことを思うと、自分はイギリスにいったところで、しあわせになれっこがない――といったかと思うと、こんどは、まえよりはげしく、わっと声をたててないた。そして、両手をふりあげて、いった。
「ああ、ほんとにまあ、あの人たちが、おたがいに一生あえなくなってしまったと思うと!」
「でも、あえますよ――二週間もしないうちに――ぼく、知ってるんです。」
 おっと、思わず口がすべってしまった! そして、あっと思うまもなく、彼女は、さっと、わたしの首にうでをまきつけて、もう一度そういって、もう一度そういって、もう一度そういって、と、せがんだ。
 わたしは、なんの用意もなく口をすべらせ、しかも、とんでもないいいすぎをしたことに気がついた。だが、もう、のっぴきならないはめにおちていた。わたしは、ちょっと考えさせてくれとたのんだ。彼女は、もどかしそうに、じりじりしながら、そこにすわっていたが、とてもうつくしかった。そして、いたんでいる歯をぬいてもらった人のように、うれしそうにも、気がらくそうにも見えた。そこで、わたしは、じっくり考えてみた。うごきがとれなくなった場合、ほんとうのことをうちあけるのは、ずいぶんあぶないことだと思った。といったところで、わたしには、その経験がないのだから、はっきりそうだとはいいきれなかった。だが、とにかく、そう思われたけれども、この場合は、ほんとうのことをいったほうが、うそをいうよりはよほど安全なような気がした。このことを、こころにとめておいて、いつか、じっくり考えてみなければならない。とてもみょうちきりんな、ややっこしいことだからだ。こんなことにてあったのは、はじめてだ。とうとうさいごに、わたしは、いちかばちか、やってみよう。こんどだけは、ほんとうのことをいおう。火薬のたるの上にすわって、どこへはねとばされるか見るために、火薬に火をつけるようなものだけど、と思った。それで、わたしは、いった。
「メアリー=ジェーンさん。この町からちょっとはなれたとこで、あなたが三、四日とまってられるとこがありませんか。」
「ええ、ありますわ、ロスロップさんの家が。どうしてですの。」
「なぜでもかまわないのです。あの人たちがまたおたがいに――二週間以内に――この家のなかであえるということを、ぼくがどうして知ってるか、あなたに話し――知ってるわけをちゃんと話したら――あなたは、ロスロップさんの家へいって、四日とまっててくれますか。」
「四日!」と、彼女はいった。「一年だってとまってますわ。」
「そうですか」と、わたしはいった。「ぼくは、ただ、あなたがそう口約束をしてくれりゃいいんです――ほかの人たちの聖書のちかいより、むしろ、あなたのその口約束だけで、けっこうなんです。」
 彼女は、にっこりほほえんで、顔をあからめたが、とてもうつくしかった。わたしはいった。「かまわなかったら、ぼく、戸をしめて――錠をおろしますよ。」
 わたしは、錠をかけてから、もどっていって、またこしをおろして、いった。
「声をたててはいけませんよ。おちついて、気をしっかり持ってきいてください。ぼくは、ほんとうのことをいわなくちゃならないんです。だから、あなたは、勇気をださなきゃだめです。メアリーさん。それは、ふゆかいなことで、きくのもつらくなることだからです。でも、しかたがないんです。あなたがたの、あのおじさんたちは、ぜんぜん、おじさんでもなんでもありません。あいつらは、一組のさぎ師なんです――正真正銘のやま師なんです。さあ、これでいちばんわるいことはいってしまいましたから、あとは、かなりらくにしんぼうできます。」
 いうまでもなく、それは、彼女をひどくゆすぶった。だが、わたしは、もう、難所を通りこしたので、ずんずん話をすすめた。彼女の目は、いかりのために、いよいよはげしくもえたつばかりだったが、わたしは、なにもかも話した。最初、蒸気船にいこうとしていたわかいばかものにであったことから話しはじめ、正面玄関のところで、彼女が王さまのむねにとびついていったので、王さまが彼女に十六ぺんも十七へんもキスをしたところまで、いっさいがっさい話した――すると、彼女は、とびあがって、顔をまっかにしながらいった。
「ちくしょうめ! さあ、一分だって、ほっておくもんか――一秒だって――あいつらに、タールをぬり、羽をまぶして、川にぶっこんでやる!」
 わたしは、いった。
「もっともです。でも、あなたは、それよりさきにロスロップさんの家にいくんじゃなかったんですか。そうでなかったら――」
「ああ、あたし、なにを考えてるんでしょう!」そういって、彼女は、すぐまたこしをおろした。「あたしのいったこと、気にしないでね――どうぞ気にしないで――ね、どうぞ気にしないで――ね、気にしないわね?」彼女は、その絹のような手をわたしの手の上にのせた。わたしは、そうされたまますぐ死んでしまいたいといった。「あたし、そんなことゆめにも考えていなかったので、かっとしたのよ」と、彼女はいった。「さあ、さきを話してください、もうかっとしないわ。どうしたらいいか、おしえてくだされば、どんなにだって、あんたのいうとおりにしますわ。」
「ところで」と、わたしはいった。「あいつらは、らんぼうな悪党なんです。あのふたりのさぎ師どもは。だが、ぼくは、もうしばらく、あいつらといっしょに旅をしなきゃならなくなってるんです。いやでも、おうでもです――そのわけは、いわないほうがいいでしょう。もしあなたが、あいつらのことをばらすなら、この町の人たちが、ぼくをふたりの手からすくいだしてくれるでしょうから、ぼくだけは、いいかもしれません。だが、あなたの知らないもうひとりの人間が、たいへんなめにあうにちがいないんです。ぼくたちは、その人もすくわなきゃならないじゃありませんか。そうでしょう。そんなわけで、あいつらのことをばらすわけにいかなくなるんです。」
 そう話しているうちに、うまい考えがうかんできた。わたしとジムが、どうしたらペテン師どもの手からのがれられるかがわかったのだ。それは、彼らを牢屋に入れて、それからすぐ、ここをたちのくことだ。だが、わたしは、まっぴるま、いかだで川をくだりたくないと思った。ふたりきりだと、あやしまれたとき、わたしひとりで、それにこたえなければならないからだ。だから、わたしは、今晩かなりおそくなるまで、この計画を実行にうつしたくなかった。わたしはいった。
「メアリー=ジェーンさん、どうすればいいか、おしえてあげましょう。そうすれば、あなたも、ロスロップさんの家に、そんなに長くいないでもいいのです。そのうちまでは、どれぐらいあるんです。」
「四マイルたらずですの――ここからおくへ、まっすぐいったいなかなんです。」
「そうですか、それでけっこうです。そいじゃ、あなたは、さっさとそこへいって、今夜の九時か九時半までかくれていて、それから、そこの人にたのんで、おくってきてもらいなさい――なにか用事ができたといってね。もし十一時まえにかえってきたら、この窓にろうそくを立ててください。そして、ぼくがここにやってこなくっても、十一時までは待ってください。十一時になってもこなかったら、ぼくがいってしまった、どこかへたちのいてしまった、そして、だいじょうぶだと思ってください。それでこんどは、外にでていって、さぎ師どものことをいいふらして、やつらを牢屋に入れてください。」
「そうですか」と、彼女はいった。「そのとおりにします。」
「でももし、ぼくがにげきれないで、あいつらといっしょにとらえられるようなことになったら、ぼくがまえになにもかもあなたに話したということを、みんなに話してくれなきゃなりません。そして、できるだけ、ぼくを弁護してください。」
「弁護しますとも! きっとしますわ。あなたの髪の毛一本にだって、さわらせやしませんわ」と、彼女はいったが、そういったとき、彼女のはなのあながふくれ、目はぱちりとまばたいた。
「もしにげおおせたら」と、わたしはいった。「ぼくは、あのわるものどもがあなたのおじさんたちでないということを証明しに、ここにやってきません。ここにいたとしても、証明などできないんです。ぼくは、あいつらがさぎ師でごろつきだと断言できるだけなんです。そ