『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第16章とちゅうから第18章まで(いちおう読書可能)

20240421
■00―■19、19分、スキャン31枚、202-263
20240425
■35-■41、6分、OCR、202-263、
■57-■56、59分、ざっと整理、202-245
20240426
■40-■39、59分、ざっと整理、作品みながら、246―263、ざっと整理ほぼおわり、傍点ふくめ
20240427
■19-■59、40分、読みながら校正、202-221
■42-■22、40分、読みながら校正、222-241、
■07―■47、40分、読みながら校正、242-263、
いちおう完了



がないのだということを、自分になっとくさせようとしたが、そんなことは、なんの役にもたたなかった。良心が頭をもちあげるたびに、いうのだ。「だが、おまえは、ジムが自由をもとめてにげだしたことを知ってるじゃないか、おまえは、岸にこぎつけていって、だれかに知らせることができるはずだ。」そのとおりなのだ――そういわれてみると、とてものがれようがないのだ。そこが、いたいところなのである。良心がいうのだ。「あの気のどくなワトソン嬢が、おまえになにをしたというのだ。あの女のどれいが、おまえのすぐ目のまえをにげていくのに、たったひとこと、あの女におしえてやるだけのこともせずに平気でいられるっていうのは、いったい、あの女にどんなうらみが、あるんだ。あの気のどくな年とった女が、おまえになにをしたというんで、おまえは、そんなにあの人にいじわるくするんだ。なあ、あの人は、おまえに本をおしえてくれたじゃないか。礼儀作法をおしえてくれたじゃないか。おまえに、できるだけよくしてくれようとしたじゃないか、それが、彼女がおまえにしてくれたことなんだ。」
 わたしは、すっかりはずかしくなり、なさけなくなって、死んでしまいたいくらいだった。わたしは、自分で自分をののしりながら、いかだの上をおちつきなくいったりきたりした。ジムも、そわそわして、あっちへいったり、こっちへきたりしながら、ときどき、わたしとすれちがった。わたしたちは、ふたりとも、じっとしていられなかったのだ。ジムは、おどりあがるたびにさけんだ。「ほうら、カイロだ!」そのたびに、わたしは、弾丸にからだをうちぬかれるような気がした。そして、もし、それがほんとうにカイロだったら、わたしは、自分のこのやりきれない気持ちのために死んでしまうだろうと思った。
 わたしがひそかに自問自答をやっているあいだじゅう、ジムは、大きな声でしゃべりたてていた。ジムは、こういうのだ。おれ、自由州についたら、まっさきに金をためるだ。一セントも使わねえだよ。そして、まにあうくらいたまったら、自分のかかあを買うだ、かかあは、ワトソン嬢がすんでいる、すぐ近くの農場の持ちものになってるだよ。それから、ふたりではたらいて、ふたりの子どもたちを買いもどすだ。もし、子どもたちの主人が売らねえといったら、どれい廃止論者にたのんで、ぬすんでもらうだ、と、そんなことをいっているのだった。
 その話をきいて、わたしは、ぞっとした。ジムがこんなに思いきったもののいいかたをしたことは、これまでに一度もなかった。自由になれそうだ、と考えたとたんに、なんという変化が、ジムのこころのなかにおこったことだろう。「黒人に一インチやれば、五インチのぞむ」という、むかしからのことわざどおりなのだ。だが、それはみんな、わたしの無ふんべつからおこったことなのである。ここにいるこの黒人は、わたしが、にげる手だすけをしてやったのもおなじなのだ。それが大っぴらににげだしてきて、子どもをぬすもうなどといっているのだ――しかも、その子どもは、わたしの知らない人の持ちものなのだ。わたしは、その人にひどいめにあわせられたことなど一度もないのだ。
 わたしは、ジムのいうことをきいて、彼がかわいそうになった。あんなことをいえば品格がさがるばかりではないか。わたしの良心は、これまでにないほどはげしく、わたしをゆりうごかした。とうとう、わたしは、自分の良心にむかっていった。「あんまりいじめないでくれ――いまからだって、おそくはないじゃないか――こんどあかりが見えたら、岸にこいでいって、知らせるからさ。」そうするとすぐに、わたしは、気がらくになり、気持ちもさっぱりとして、こころが羽のようにかるくなった。くしゃくしゃした気苦労など、あとかたもなくきえてしまった。わたしは、いっしんに、あかりを見はりつづけた。歌でもうたいたいような気分になった。まもなく、あかりが一つ見えた。ジムは、大声でさけびたてた。
「もう、でえじょうぶだだ。ハックさん、もう、でえじょうぶだよ。よろこんでくんなされ。とうとう、お待ちかねのカイロさままできたのだよ。おらあ、ちゃんとわかるだよ。」
 わたしは、いった。
「おれ、カヌーにのっていって見てくるよ、ジム。ちがうといけねえからな。」
 ジムは、とんでいって、カヌーの用意をし、古い上着をぬいでそのそこにしいて、わたしのすわり場をつくってくれ、それから、かいもわたしてくれた。こぎだすと、ジムがいった。
「もうすぐ、おらあ、うれしくてどなりちらすにちげえねえだ。そしてこういうだよ、なにもかも、みんな、ハックさんのおかげだって。おらあ、自由な人間になるだ。だが、ハックさんがいなかったら、とても自由になれなかっただ。ハックさんが、自由にしてくれただよ。ジムは、あんたをけっしてわすれねえだよ、ハックさん。あんたは、ジムがこれまでに持った友だちのうちで、いちばんええ友だちだだ。そのうえ、ジムがいま持っている、たったひとりの友だちだよ。」
 わたしは、ジムを密告しようと、大いそぎでこぎだしたのだが、ジムにそういわれると、せっかくはりつめていた勇気がくじけそうになった。わたしは、それからのろのろとこいだ。こぎだしてきて、よかったのか、わるかったのか、自分でも、はっきりわからなくなった。五十ヤードもはなれたとき、ジムがいった。
「えれえもんだ。やっぱり、うそをついたことのねえ、むかしながらのハックさんだだ。あんたは、このジムめに約束をまもった、たったひとりの白人の紳士だだよ。」
 ところでわたしは、すっかりよわってしまった。だが、おれは、どうしてもやらなければならないのだ――のがれることはできないのだ、と自分にいってきかせた。ちょうどこのとき、小舟が一そう近づいてきた。その小舟には、鉄砲を持った男が、ふたりのっていた。彼らが小舟をとめたので、わたしもカヌーをとめた。ひとりがいった。
「むこうにあるのは、なんだ?」
「ちっちゃないかだです。」
「おまえは、いかだのもんか。」
「そうです。」
「ほかに、なん人のっているんだ。」
「たったひとりです。」
「そうか。ずっと川上の、ほら、あの、でばなの川上でな、今夜、どれいが五人にげたんだ。おまえのいかだにのっているのは、白人か黒人か、どっちだ?」
 わたしは、すぐにはこたえられなかった。なんとかへんじをしようとしたのだが、ことばがでてこないのだ。一、二秒のあいだ、げんきをだしていってのけようかとがんばってみたが、それだけの勇気がでてこなかった――おくびょううさぎほどの勇気もでてこないのだ。わたしは、しだいに気力がなくなってきた。だから、うまいでたらめをいおうなどというもくろみはあきらめて、こたえた。
「白人です。」
「いってみたほうがよかあないかな。」
「どうかいってみてやってください」と、わたしはたのんだ。「のこっているのは、おやじなんですが、いってみてくれさえすりゃ、あんたがたは、きっとあのあかりのあるとこまで、いかだをひっぱっていくのをてつだってくれるにちがいありません。おやじは、病気なんです――それから、おっかあも、メアリー=アンもそうなんです。」
「ちぇっ、なんだってんだ。おれたちは、いそいでるんだぜ、おい。だが、ひっぱっていってやらなきゃなるまいな。さあ、どんどんかいをこいだ、いっしょにいってやるから。」
 わたしは、力を入れて、かいをこいだ。彼らも、けんめいにこいだ。一こぎ、二こぎしてからわたしはいった。
「おやじは、どんなにありがたがるかしれませんよ、ほんとです。いかだを岸にひっぱっていきたいから、おてつだいしてくれってたのむと、だれもかれも、さっさといってしまうんです。だって、ぼくひとりじゃ、ひっぱっていけないんですもの。」
「そうかい、そりゃ、ひでえやつらだな。だが、なんだかへんな話だぞ。おい、おとっつぁんは、どんな病気なんだい?」
「それは――そ――その――そうです、たいしたことはないんです。」
 彼らは、かいをこぐのをとめた。もう、すぐいかだの近くまできていた。ひとりがいった。
「おい、おまえ、うそをついているんだろう。おとっつぁんは、どんな病気なんだ? さあ、正直にいえ、そのほうがおまえのためなんだぞ。」
「いいますよ、あんた、いいますよ――でも、おねがいです。おきっぱなしにしていかないでください。そうしてくださるのが――その――その――紳士です。ぼく、綱をなげますから、それをひっぱって、さきになってこいでさえくれりゃ、そんなにいかだのそばまで近よらなくともすむんです――どうぞ、そうしてください。」
「おい、舟をもどせ、ジョン、舟をもどすんだ」と、ひとりがいった。彼らは、水をぎゃくにかきはじめた。
「そばへよるな、おい、子ども――きさまは風下へまわれ。ちぇっ! 風がこっちへふきつけるらしいぞ。おまえのおやじは、天然痘にかかっているんだな。おまえは、ちゃんとそれを知ってるんだ。なんだって、うちあけて、そういわなかったんだ、おまえは、天然痘をはやらせたいのか?」
「いいえね」と、わたしは、べそをかきながらいった。「まえには、だれにでもいったんですが、でもそういうと、みんなぼくたちをおいてきぼりにしていってしまうんです。」
「かわいそうに、おまえのいうことも、もっともなこった。おれたちは、しんからおまえに同情するぜ。だが、おれたちはな――そうよ、ちくしょう、天然痘にかかりたくないんだ。な、おい、こうすりゃいいんだ。自分で陸にあがろうなどとは、するんじゃねえぞ。そんなことされちゃ、なにもかも、めちゃくちゃだ。二十マイルばかりくだっていくと、川の左がわに町がある。そこにつくころには、もうすっかり、日があがっているからな、たすけをたのむときにゃ、みんな寒気がして、熱がでてねているからといってたのむんだぞ。また、へたなことをして、さとられるんじゃないぞ。いいか、おれたちは、おまえにしんせつにしてやろうってんだから、二十マイルくだらないうちは、あがるんじゃねえぞ。いい子だからなあ。そこのあのあかりな、あんなところにあがったって、いいことなんぞ、ちっともありゃしないんだ――あれは、ただの製材工場なんだからな。おい、おまえのおとっつぁんは、びんぼうだろう。きっと、ひどくこまっているにちがいねえんだ。いいか、二十ドル金貨をこの板の上にのせてやるからな、そばをながれていくとき、とるんだぞ。おまえをほっぽってくのは、とても気がひけるんだが。だが、まったくのところ、ほうそう神《がみ》さまなどにかかわりあっていちゃ、たまんねえからな。」
「待て、パーカー」と、もうひとりがいった。「おれも二十ドルのせてやるよ。さようなら。パーカーさんのいうとおりにするんだよ、そうすりゃ、まちがいがないからな。」
「そうだともおまえ――さようなら、さようなら。もし、にげだしたどれいを見つけたらな、てつだってもらって、つかまえるんだぜ。すこしは金になるからな。」
「さようなら、みなさん」と、わたしもいった。「できさえしたら、ぼく、にげだしたどれいなど、ひとりだってにがしゃしませんよ。」
 彼らがいってしまったので、わたしは、いかだにあがったが、気分がわるく、気持ちがしずんできた。自分がわるいことをしたということが、よくわかっているからだ。そのうえ、ただしいことをしようとしても、わたしには、とてもできないということもわかったからだ。ちいさいときからただしくそだてられなかったものには、よくなるあてがないのだ――いざという場合に、彼をささえて、ただしいことをさせる力がないので、彼は、まいってしまうのだ。それから、わたしはしばらく考えて、こころのなかでつぶやいた。かりにただしいことをしてジムをひきわたしたとしたら、おれはいまより気持ちがよくなるだろうか、いや、おれはいやな気持ちになるだろう――いまとおなじくらいいやな気持ちになるにちがいない。してみれば、ただしいことをするのはやっかいで、わるいことをするのがらくで、その報酬がおなじことだというのに、ただしいことをするのをおぼえたところで、なんの役にたつのだろう。わたしは、いきづまった。わたしはそれにこたえることができなかった。だから、わたしは、もうこのうえ、そんなことでくよくよするのは、よそうと思った。そのときそのときで、つごうのいいことをすることにきめた。
 わたしは、小屋のなかにはいっていったが、ジムはいなかった。わたしは、あたりを見まわした。ジムは、どこにもいない。
「ジム!」
「ここだよ、ハックさん。やつら、まだいっちまわねえだかね? 大きな声、だすでねえだよ。」
 ジムは、川のなかにはいって、とものかいの下で、はなだけだしているのだ。彼らがもう見えなくなってしまったというと、ジムは、いかだの上にはいあがってきた。
「おらあ、話をすっかりきいていただよ。だから、おらあ、川んなかにはいって、やつらがいかだにあがってきたら、岸へおよいでいくつもりだっただよ。そして、やつらがいってしまったら、またおよいで、いかだにもどってこようと思ってただ。だが、なんとあんたは、やつらをうまくだまかしてくれただ、ハックさん。あのいいぬけぶりときたら、まったく、すうっとしただよ。ほんとに、あのおかげで、ジムはたすかっただ――このおかげを、ジムは、けっしてわすれねえだだ、ぼっちゃん。」
 それから、わたしたちは、もらった金の話をした。それは、たいへんなもうけだった――ひとり二十ドルずつになる。これなら、もう蒸気船の甲板乗客にもなれるし、これだけの金があれば、どこの自由州のおくまででも、いきたいところまでいける、とジムがいった。これからいかだで二十マイルかかるとしても、たいしてとおいとは思わないが、いまいるここがカイロだったらありがたいのだが、とジムはいった。
 夜明け近くに、わたしたちは、いかだをつないだ。ジムは、いかだをうまくかくそうとして、とてもやかましかった。それから、一日じゅうかかって、荷物をいくつかにわけてしばって、いかだをのりすてる準備をととのえた。
 その晩の十時ごろ、わたしたちは、ずっと川下の左手のまがりめあたりに、どこかの町のあかりを見ながら、すすんでいた。
 わたしは、なんという町かきくために、カヌーにのってでかけた。じきにわたしは、ひとりの男が小舟《こぶね》を川におしだして、ながしづりのはえなわをおろしているところを見つけた。わたしは、こぎよせていってきいた。
「もしもし、あの町はカイロですか。」
「カイロかって? なにいってんだ。この、大ばかやろうめ!」
「なんていう町なんですか、ええ?」
「知りたきゃ、自分でいって見てこい。このやろう、もう半分間もここにいて、じゃまをしてみろ、こっぴどいめにあわせてやるから。」
 わたしは、いかだにこぎもどった。ジムは、ひどくがっかりしたが、わたしは、力をおとすんじゃない、このつぎこそカイロかもしれないからといった。
 夜明けまえに、また一つの町を通りかかったので、わたしは、またいってみようとした。だが、その町は高台になっていたから、やめにした。カイロのあたりには高台がないとジムがいっていたからである。わたしは、それをわすれていたのだ。わたしたちは、その日は、もうやすむことにして、かなり左手の岸に近い砂州にかくれた。わたしは、なんとなく、自信がなくなってきた。ジムもそのとおりだった。わたしは、いった。
「あのきりの晩に、おれたちは、カイロを通りこしてしまったのかもしれないな。」
「カイロのことなど、もういわねえようにしてくだされ、ハックさん。この、かわいそうな黒人にゃどうも運がねえようだ。おらあ、しょっちゅう、あのへびのぬけがらのたたりが、まだすんでねえんだと思ってるだよ。」
「おれは、あのへびのぬけがらを見つけなければよかったと思うよ、ジム――あんなものが、おれの目にはいらなきゃよかったんだ。」
「そいつあ、なにもあんたのおちどでねえだよ、ハックさん。あんたは、なにも知らなかっただもん。そんなこって、あんた、自分をせめねえがいいだ。」
 夜が明けてから見ると、岸べをながれているのは、はたして、きれいなオハイオ川の水だった。そして、そのむこうを、あいかわらず、ミシシッピのどろ水がながれていた。これで、カイロ上陸ののぞみは、まったくなくなったわけだ。
 わたしたちは、そうだんした。岸にあがったんじゃ、どうにもならないし、いかだで川をさかのぼるなんていうことは、もちろん、できないことだ。暗くなるまで待って、カヌーであとへひきかえし、なんとか、うまい機会をとらえるよりしかたがない。そこで、わたしたちは、これからのしごとにそなえて、げんきをやしなうために、はこやなぎのしげみのなかにもぐりこんでねむった。ところが、うす暗くなってから、いかだのところにもどっていってみると、カヌーがながされてしまっていた。
 わたしたちは、しばらくのあいだ、口もきけなかった。なにもいうひつようがないのだ。これもへびのぬけがらのたたりだということが、ふたりともよくわかっているからだ。話しあってみたところで、なんの役にもたたないのだ。なにかいえば、かえって、おたがいにとがめだてをしているようなことになるばかりだ。そんなことをしたら、きっと、このうえにも、不幸がふりかかってくるにちがいないのだ――つまり、わたしたちが、だまっているほうがいいのだということが、すっかり、のみこめるまで、不幸が、あとから、あとから、ふりかかってくるにちがいないのである。
 まもなく、わたしたちは、どうしたらいいかということを話しあったが、このままいかだでくだっていって、おりをみてカヌーを買いこみ、それにのってひきかえすよりしかたがないということになった。うちのおやじがよくやっていたように、あたりに人がいないとき、カヌーをそっとはいしゃくしようなどとは思わなかった。そんなことをしたら、あとをおいかけられるにきまっているからだ。
 そこで、わたしたちは、暗くなってから、いかだをおしだした。
 あのへびのぬけがらが、これだけわたしたちにたたったいまとなっても、まだ、へびのぬけがらをいじるのはおろかなことだと信じない人は、これからあと、へびのぬけがらが、どんなにわたしたちにたたったかを見るがいい。そうしたら、いやでも信じるようになるだろう。
 カヌーの買えそうな場所は、岸にいかだがつないである、そのむこうがわにあるものだ。だが、いかだは、どこにも見あたらなかった。だから、わたしたちは、三時間以上もながれをくだっていった。ところが、その晩は灰色にくもって、もやがかかってきた。もやは、きりについでいやなものだ。川のかたちがわからなくなるし、とおくが見えなくなるからだ。もうま夜中近くで、あたりはしずまりかえっていた。すると、そのとき、蒸気船が川をさかのぼってきた。わたしたちは、カンテラに火をつけた。蒸気船から見えるだろうと思ったのだ。のぼりの蒸気船なら、たいていわたしたちの近くを通らないで、むこうの砂州づたいに、かくれ岩にそったゆるやかなながれをもとめてのぼっていくのである。だが、このような晩には、まっこうから川にさからって、ま一文字に、しゃにむに水路をさかのぼってくるのだ。わたしたちには、船が、バタリバタリと、水をたたきながらすすんでくる音だけはきこえていた。だが、すぐま近にくるまで、よく船が見えなかった。船は、まっすぐにわたしたちをめがけてすすんでくる。それは、彼らのよくやるて[#「て」に傍点]で、さわらないで、どんなに近くいかだのそばを通りぬけられるか、ためしてみるのだ。汽船《きせん》の車輪《しゃりん》で、大《おお》がいをさらわれるようなことでもあると、水さき案内人が、頭をつきだして、げらげらとわらうのだ。そんなとき、彼らは、とてもうまくやったと、とくいになっているのだ。さて、蒸気船は、ぐんぐん近づいてきたが、わたしたちは、その船も、そんなことをやって、わたしたちのそばをすれすれに通っていこうとしているのだろう、と話しあった。ところが、その船は、ちっとも、よけようとするようすが見えなかった。大きな船だ。ぐんぐん近づいてくる。まるで、まわりにほたるの行列をとまらせた、ひとかたまりの黒雲のように見える。と思ううちに、とつぜん、ぬっと大きくなり、おびやかすようにせまってきた。一列に長くならんだ機関の戸が、どれもおいていて、それが、まっかにやけた歯のようにひかった。そして、ものすごく大きな船首と防舷材が、たちまちわたしたちの頭のま上に、ぐうっと、のしかかってきた。わたしたちにむかって、どなる声がきこえた。機関をとめさせるために鐘ががんがん鳴っていた。わめき声、けたたましい汽笛の音――そして、ジムがいっぽうのがわからとびこみ、わたしが、その反対がわからとびこんだとき、蒸気船は、まっこうからいかだをつきやぶった。
 わたしは、もぐった――そして、川のそこまでもぐりこもうとした。三十フィートの水かき車輪が、わたしの頭の上を通っていくのだから、車輪とのあいだに、じゅうぶんなゆとりがなければ、あぶなかったからだ。わたしは、いつでも、一分ぐらいは水のなかにもぐっていられるのだが、このときは、一分半ぐらいもぐっていたにちがいない。わたしは、むねが破裂しそうになったので、うかびあがろうと、大いそぎで、水をかいた。そして、わきの下のへんまでぽっこりうかびあがり、はなから水をふきだし、すこしばかり、ふうふうと息をついた。もちろん、川はすごいいきおいでながれているのだ。蒸気船は機関をとめてから十秒もすると、また機関をうごかしはじめたことは、いうまでもない。彼らは、いかだのりのことなど、たいして気にもとめていないからだ。だから、もう船のすがたは、ふかいもやのなかに見えなくなっていたが、水をかいて、川をのぼっていく音だけは、まだきこえていた。
 わたしは、大声で、十二、三べんジムをよんだ。だが、ぜんぜんへんじがなかった。そこで、わたしは、立ちおよぎをしているあいだにさわったあつい板につかまって、それをまえにおしながら、岸にむかっておよぎだした。だが、水のながれが左手の岸にむかっているということが、だんだんにわかってきた。してみると、自分はいま、川のおちあいのなかにいるということになる。だから、わたしは、むきをかえて、その方向におよぎだした。
 それは、よくある長いおちあいで、その斜流は二マイルもつづいていた。そのため、わたしは、それをのりきるのにずいぶん長いあいだかかった。そして、どうやらぶじにたどりついて、やっと岸によじのぼった。見とおしがいくらもきかないので、手さぐりで、でこぼこの土地を四分の一マイルあまりすすんでいくと、わたしは、いつのまにか、大きくて古風な丸太づくりの二むねつづきの家にいきあたった。走って通りぬけようとすると、犬がたくさんとびだしてきて、うなったり、ほえたりしながら、わたしにむかってきた。わたしは、こういうときには、ひと足もうごかないほうがいいのだということを、ちゃんと知っていた。
          17 グレンジャーフォード家の人びと
 一分間ぐらいたつと、だれか、窓から顔をださずに、大声でいった。
「こらっ、ほえるな。そこにいるのは、だれだ?」
「ぼくです。」と、わたしはいった。
「ぼくとは、だれだ?」
「はい、ジョージ=ジャクスンです。」
「なにか、用事があるのか。」
「用事じゃありません。ここを通りぬけたいだけなんですが、犬が通してくれないんです。」
「なんだって、こんな夜ふけに、こんなところをうろつきまわっているのだ、おい?」
「うろつきまわっているんじゃありません。ぼく、蒸気船からおっこちたんです。」
「やあ、そうか、おっこちたのか? だれか、あかりをつけろ。おまえの名は、なんといったかな?」
「ジョージ=ジャクスンです。ぼく、まだ子どもなんです。」
「な、おい、おまえがほんとうのことをいっているのなら、こわがらなくてもいいぞ――だれも、ひどいめにあわせはしないからな。だが、うごくんじゃないぞ。そこに、そのまま立っているのだ。だれか、ボブとトムをおこして、鉄砲を持ってこい。ジョージ=ジャクスン、そこにだれかいっしょにいるか。」
「いいえ、だれもいません。」
 家のなかで人びとのうごきまわる音がきこえてきた。あかりがもれてきた。さっきの男が、大きな声でどなった。
「あかりをひっこめろ、ペトシ、この大ばかものめ――なんという、考えなしだ。あかりは、入り口の戸のかげの床におけ。ボブ、おまえもトムもしたくができたら、ふたりとも、自分の位置につくんだ。」
「したくはできました。」
「ところで、ジョージ=ジャクスン、おまえは、シェパドスンのやつらを知っているか。」
「知りません。きいたこともありません。」
「そうか、たぶんそうだろうが、そうでないかもしれないぞ。さあ、もういい。まえへすすめ、ジョージ=ジャクスン。気をつけて、いそぐんじゃないぞ――うんと、ゆっくり、やってこいよ。だれかいっしょだったら、そいつは、あとにおいてこい――でてきたら、そいつは、うちころすぞ。さあ、こい。ゆっくりこい。戸は、自分でおしてあけろ――やっとはいれるだけあけるんだぞ、わかったか。」
 わたしは、いそがなかった。いそぎたくても、いそげなかった。わたしは、一歩また一歩と足をはこんだ。あたりはしんとしていて、もの音ひとつしないので、自分の心臓の音がきこえるような気がするだけだった。犬どもも、人間のようにしずかにしていた。だが、わたしのすこしうしろについてくるのだ。三段になっている丸本づくりの入り口階段のところまでいくと、錠をあけ、横木をはずし、かんぬきをぬく音がきこえた。戸に手をかけて、すこしずつ、しだいにおしていくと、だれかがいった。「ほら、それでたくさんだ――頭をつっこめ。」わたしは、いわれたとおりにした。しかし、わたしは、頭をちょんぎられるのではあるまいかと思った。
 ろうそくが、床の上においてあった。彼らは、みんなそこにあつまって、わたしを見つめているので、わたしも彼らを見かえした。それは二十五秒ぐらいのあいだであった。三人の大きな男が、わたしに鉄砲をむけていた。わたしは、ちぢみあがった。いちばん年かさの男は、髪が白くなっていて、六十歳ぐらいだった。あとふたりは、三十歳かそこらで――みな上品でりっぱな人たちだった――それから、頭の白い、とてもやさしそうな老婦人がいた。そのかげに、ふたりのわかい女がいたが、よく見えなかった。老紳士がいった。
「よし、あやしくはなさそうだ。はいれ。」
 わたしがはいるとすぐに、老紳士は、戸に錠をおろし、横木をかけ、かんぬきをさし、それからわかものたちに鉄砲を持ったままついてこいといった。そこで、みんなで大きな客間にはいった。床に、布でつくった、あたらしい敷物がしいてある。彼らは、おもて窓のほうから見えない片すみにかたまった――おもて窓のほうには、ひとりもいかなかった。彼らは、ろうそくを持って、わたしをよくながめてから、いった。「もちろん、こいつは、シェパドスンのうちのやつじゃないよ――まったく、ちっともシェパドスンのうちのやつらしいところはないよ。」それから、老人が、凶器を持っているかどうかしらべるが、いぞんはないだろうな、おまえをどうしようというのではない――ちょっとたしかめるだけだから、といった。そして、わたしのポケットをさぐったが、手をつっこまず、外からさわってみただけで、よろしいといった。それから、ゆっくりとくつろいで、すっかり身のうえを話してみろ、とわたしにいった。だが、老婦人がいった。
「なんですね、ソール、この子は、ずぶぬれになっているんですよ。おなかだって、すいていると思いませんの?」
「そのとおりだよ、レイケル――わしは、うっかりしていたのだよ。」
 そこで、老婦人がいった。
「ベツィ(これは黒人の女だ)、おまえ、大いそぎで、この子に、なにか食べるものを持ってきておやり、かわいそうじゃないか。それから、そこにいる娘たちのうちだれかいって、バックをおこして、あれに――なんだ、おまえさん、そこにいたのか。そいじゃね、バック、この子をつれていって、ぬれた服をぬがして、どれかおまえのかわいている服をきせてあげなさい。」
 バックは、わたしとおなじくらいの年かっこうで――十三か四か、からだは、わたしよりいくらか大きかった。彼は、うすぎたない頭をし、シャツをたった一まいきているだけだった。あくびをし、げんこつをおしこむようにして目をこすりながらやってきたのだが、それでも、片手で鉄砲をひきずっていた。彼は、いった。
「シェパドスンのやつらがおしかけてきたんじゃないのかい。」
 みんなは、そうじゃない、まちがえたのだといった。
「そうかい」と、バックがいった。「やつらがきたんだったら、おれが、ひとりはしとめてやったんだがな。」
 みんながわらった。すると、ボブがいった。
「なんだって、バック。やつらは、おれたちの頭の皮をひんむいてしまったかもしれないぜ、おまえが、こんなにおそくくるんじゃ。」
「うん、おれが、いちばんおしまいか、そいつぁよくないや。おれ、いつだって、だしてもらえないんだもん、だから、うでまえを見せる機会がないんだよ。」
「そんなことは、なんでもないぞ、バック」と、老人がいった。「いい機会はいくらでもくるからな、そうやきもきするな。さあ、むこうへいって、おかあさんにいわれたとおりにするんだね。」
 二階の彼のへやにあがっていくと、バックは、織りめのあらいシャツと、みじかいジャケットとズボンをだしてくれたので、わたしは、それにきがえた。わたしが、それをきているあいだに、バックは、わたしの名をきいたが、わたしがへんじもしないうちに、彼がおととい森のなかでつかまえた、青かけすと子うさぎの話をはじめた。そして、ろうそくがきえたとき、モーゼはどこにいたか、とわたしにきいた。わたしは、知らないといった。そんなことを、すこしもきいたことがないからだ。
「あてるんだよ」と、バックはいった。
「あてられっこないよ、そんなこと、まるできいたことがないんだもん。」
「でも、あてられるじゃないか。とてもやさしいんだぜ。」
「でも、どのろうそくだい?」と、わたしはきいた。
「なあに、どのろうそくだって、いいじゃないか」と、バックはいった。
「おれ、モーゼがどこにいたんだか、知らないんだよ。どこにいたんだい。」
「もちろん、やみのなかにいたんじゃないか。やみのなかにだよ。」
「ところで、モーゼがどこにいるか知ってんのに、きみはなにをおれにきいてるんだい。」
「なにをって、ちぇっ、なぞじゃないか。きみは、いつまでここにいるんだい。いつまでもいなきゃだめだぜ、ちょうど、景気がいいときなんだよ――いま学校なんかないんだ。きみは、自分で犬を持ってるかい。おれは、一ぴき持ってるんだぜ――こっぱを川んなかになげてやるとさ、とびこんでいって持ってくるんだ。きみは、日曜日に、頭を手入れをするのすきかい。そのほかにも、なんのかんのとばからしいことをやるのがさ。おれ、だいっきらいなんだけどなあ、おかあさんが、そうさせるんだ。このズボンぐらいいやなものって、ありゃしないよ。はいてたほうがいいのかもしれないけどさ、おれ、はかないほうがいいや。とても、むしむしするんだもん。服もう、きたかい。もういいんだね。さあ、いこう。きみ。」
 つめたいとうもろこしパンとつめたいコンビーフ、それからバターとバターミルク――下で、そういうものを、わたしのために用意しておいてくれた。わたしは、これまでに、こんなにうまいものにでっくわしたことがなかった。バックもおかあさんもほかの男たちも、みんなとうもろこしのくきでつくったパイプをだして、タバコをすいはじめた。すわないのは、でていった黒人の女と、ふたりの娘たちだけだった。彼らはみな、タバコをすいながら話をしたので、わたしも食いながらしゃべった。娘たちは、さしこをきて、髪をうしろにたらしていた。彼らは、わたしにいろいろなことをきくので、わたしは、こう話した。おやじとわたしと家族ぜんぶで、わたしたちは、アーカンソー州のずっと南はずれのちいさな農園でくらしていたのだ。ところが、姉のメアリー=アンがにげていって、結婚したが、消息がわからなくなったので、ビルがさがしにでかけていったが、ビルもゆくえ不明になってしまった。そのうちトムとモートが死《し》んだので、あとにのこったのは、わたしとおやじだけになってしまったのだ。そのうえ、おやじは、いろいろな難儀にあったので、まるはだかだった。だから、おやじが死ぬと、農園も人手にわたっていたから、わたしは、のこりものをまとめて、甲板乗客になって川をのぼってきたのだが、船からおっこちてしまったのだ。そんなわけで、わたしは、ここにやってきたのだ。そうわたしが話すと、彼らは、いたいなら、いつまでもここにいてもいいといった。もう夜明け近くになっていたので、それからみんなで寝床にはいった。わたしは、バックといっしょにねたが、朝になって目をさましたら、なんとしたことだ。わたしは、自分の名まえをわすれてしまっていたのである。だから、わたしは、一時間ばかり、ねたまま考えていた。そして、バックが目をさましたとき、いった。
「きみ、字がつづれるかい、バック。」
「つづれるさ。」
「おれの名なら、きっとつづれないぜ。」
「つづれないことがあるもんか。できるかできないか、かけをしろ。」
「よしきた。そいじゃ、つづってみろよ。」
「G-e-o-r-g-e=J-a-x-o-n《ジー イー オーアールジー イージェー エー エクス オー エヌ》――ほら、どうだい。」
「なるほど」と、わたしはいった。「つづれたよ。だが、おれ、きみにはつづれないと思ってたんだよ。なまやさしくつづれる名まえじゃないんだもん――ならわないでもすぐつづれるなんて。」
 わたしは、こっそりと、それをかきとめておいた。だれかに名まえをつづらせられることがあるかもしれないのだから、それをよくおぼえておいて、いつでも口をついてでるようにしておきたかったからだ。
 家族の人びとは、とてもしんせつだったし、家は、なかなかりっぱだった。わたしは、片いなかで、これほどりっぱな、しかも当世風な家を見たことがなかった。玄関の戸についているかけがねは、鉄やしか皮のひものついた木ではなかった。町の家とおなじように、まわす、しんちゅうのノブがついていた。客間には、寝台など一つもおいてなかったし、おいてあるようなようすもなかった。町でさえ、客間に寝台をおいてあるところが、ずいぶんたくさんあるのだ。そこをれんがでたたんだ大きな暖炉もあった。そのれんがは、水をかけて、ほかのれんがでみがいてあるので、赤くきれいになっていた。ところどころ、スペインかっ色という赤い水ペンキを、ぬってあるところもあったが、それは、町でやっているのとおなじだった。大きな丸太をのせることができるような、しんちゅうのまきわり台もあった。炉だなのまんなかには時計がおいてあった。その時計のまえがわのガラスの下半分には町の絵がかいであり、そのまんなかのまるいところが太陽になっていて、そのむこうで、ふりこがゆれているのが見えていた。チクタクというその音は、それはきれいだった。が、旅まわりの商人がやってきて、きれいにそうじをし、すっかり修繕したあとでも、その時計は、ボンボンと百五十も打つまで打ちやめないことがよくあった。こんな時計だが、彼らは、売って金にしようとはしないのだ。
 さて、この時計の両《りょう》がわに、ふうがわりなおうむ[#「おうむ」に傍点]がおいてあった。白墨《はくぼく》のようなものでつくったらしいのだが、なかなか、はてな色どりがしてあった。その一つのおうむのそばには、瀬戸物のねこがおいてあった。もう一つのおうむのそばには、瀬戸物の犬がおいてあった。そして、そのねこと犬は、おすと、キュウ、キュウと鳴いたが、口もあかなければ、顔つきもかえないし、おもしろがっているようでもなかった。はらの下のほうから、キュウ、キュウ、音がしてくるだけなのだ。そういうもののうしろには、野生七面鳥の羽でつくった大きなおうむが二つひろげてあった。へやのまんなかにあるテーブルの上には、瀬戸物のうつくしいかごがおいてあった。そのなかに、りんご、みかん、もも、ぶどうなどがいっぱいもってあった。それらのくだものはほんとうのくだものよりずっと赤くて、ずっと黄色くて、ずっときれいだった。だが、ほんものでないことは、かけたところから白い白墨みたいなものが、のぞいているのでわかった。
 そのテーブルには、うつくしい油布でつくったテーブルかけがかけてあって、その上に、両翼と両足とをひろげたわしが、青と赤でかいてあり、そのへりにも色がぬってあった。彼らの話によると、それは、はるばるフィラデルフィアからとりよせたものだということだった。テーブルの両はしには、また、本がなんさつも、きちんとかさねられていた。その一さつは、たくさん絵がはいっている、家庭用の大きな聖書であった。また一つは、『天路歴程《てんろれきてい》』で、家族をほうりだしていった男の物語だが、なんのために家出したかはかいてなかった。わたしは、ときどきかなり熱心によんだ。かいてあることはおもしろいが、しかし、かたくるしいものだった。もう一さつは、『友情のおくりもの』という宗教詩歌集で、うつくしい絵と詩でいっぱいになっていたが、わたしは、詩はよまなかった。ヘンリー=クレーの演説集もあった。それからガン博士の『家庭医学全書』もあった。それには、人が病気になったり死んだりしたとき、どうしたらいいかが、ぜんぶかいてあった。また、賛美歌の本も一さつあった。そのほかにも、ほかの本がたくさんあった。やなぎの枝でつくった、きゃしゃないすもおいてあった。そのいすは、まだすこしもいたんでいなかった――まんなかがふくろのようにへこんで、やぶれている、古バスケットのようないすではなかった。
 かべには、絵がかかっていた――おもに、ワシントンやラファイエットの絵や、戦争の絵、ハイランド=メアリーの絵や、それから「独立宣言書署名の図」といわれている絵などである。家のものたちが、クレヨン画といっている絵もなんまいかかかっていたが、それはここの死んだ娘が十五のとき、自分でかいたものだった。それは、わたしがこれまで見たどんな絵ともちがっていた――どれもたいてい、ふつうの絵より黒ずんでいた。一まいは、黒い衣装をつけたすらりとした婦人の絵であった。きものの胴がわきの下でほそくくくられ、両そでのなかほどにキャベツのようなふくらみがあった。そして、黒いベールのついた、黒い大きなシャベルのようなかたちの帽子をかぶっている。ほっそりとした白いくるぶしは、黒いテープで十文字にしばってあって、のみのようなかたちをした、ごくちいさな黒いスリッパをはいていた。そして、彼女は、しだれやなぎのかげの墓石に、右ひじでもの思わしげによりかかっている。左手はだらりとたれて、白いハンカチと手さげぶくろとをささえていた。絵の下には、つぎのようにかいてある。「もうわたしはあなたにおめにかかれないでしょう、ああ」もう一まいはわかい婦人の絵であった。彼女は髪の毛をまっすぐに頭のてっぺんへかきあげ、そこにまげをつけていた。まげのうしろにくしが、いすのよりかかりのようにそびえている。女は顔にハンカチをあててないているのだ。そして、片手に、死んだ小鳥をのせているが、その小鳥は、あおむいて、足を上にむけている。この絵の下には、「二度とあなたのやさしい声はきかれないでしょう、ああ」とかいてあった。またわかい女が、窓から月を見あげている絵もあった。彼女のほおには、なみだがながれていた。片手に封をきった手紙を持っている。その片はしに黒い封ろうがついていた。そして、くさりのついたロケットを、口につよくおしあてているのだ。この絵の下には、「あなたはいってしまったの、そうだ、いってしまった。ああ」とかいてあった。これらの絵は、みなよくかけていたが、どういうわけかわたしはすきになれなかった。というわけは、すこしでも気分のおもいときこの絵を見ると、わたしは、いつもいらいらしてくるからだ。この家の人たちは、ひとりのこらず、彼女の死をかなしんでいた。生きていれば、彼女は、このような絵をもっともっとたくさんかいだろうし、また人びとは、これらの絵を見るたびに、自分たちのうしなったものを考えるからである。だが、わたしは、このような彼女の気だてでは、墓場にいたほうがしあわせだろうと思った。彼女は病気になったとき、みんなが彼女の最大の大作といっている絵に、とりかかっていた。そのため、その絵ができあがるまで生かしておいてくださいというのが、彼女のまい日まい晩の祈りであったが、しかし、彼女は絵をかきあげずに死んだ。それは、白い長いガウンをきたわかい女が、橋のらんかんの上に立っている絵であった。その女は、髪をぜんぶうしろにたらして、いまにも川にとびこみそうにして、月を見あげている。なみだがほおをながれていた。そして、二本のうでをむねに組みあわせている。それからべつの二本のうでをまえにのばしている。それからもう二本のうでが、月にむかってさしのべられている。どの二本のうでがいちばんてきとうかと考えたのだ。だが、まえにもいったように、彼女は、どの二本のうでにしたらいいか、その決心がつかないうちに死んだのだ。だから、この絵は、彼女のへやの寝台の頭の上に、いまでもかけてあって、彼女の誕生日がめぐってくるたびに、人びとは、そこに花をかけるのだった。ほかのときには、この絵はちいさなカーテンでかくされていた。その絵のわかい女は、うつくしく、やさしい顔をしていたが、うでがあまりたくさんあるので、わたしには、ざんねんながら、なんとなくくものように見えるのだった。
 このわかい少女は、生きていたころ、きりぬき帳を持っていて、プレスビテリアン=オブザーバー紙から、死亡記事《しぼうきじ》や、不慮《ふりょ》の事故《じこ》や、病気《びょうき》でくるしんでいる人びとの記事などをきりぬいては、いつもそれにはっていた。そして、そのあいだに、自分でつくった詩をかいておいた。それは、とてもりっぱな詩だった。つぎの詩は、井戸におちて、おぼれ死んだ、スティーブン=ダウリング=ボッツという少年のためにつくった詩である。
[#3字下げ]死せるスティーブン・ダウリング=ボッツによせる詩[#「死せるスティーブン・ダウリング=ボッツによせる詩」は太字]
[#ここから2字下げ]
しかして、わかきスティーブンは病みたりしや
 しかして、わかきスティーブンは死したりしや
しかして、かなしむ人びとは、あいつどいしや
 しかして、会葬者らは、なきたりしや
いな、かくのごときは
 わかきスティーブン=ダウリング=ボッツの運命にあらざりき
かなしむ人びと、おおく彼のまわりにつどいたりしも
 そは、やまいにたおれしにはあらざりき
百日ぜきは、かの人のからだをくるしめず
 おそろしきふきでものするはしか[#「はしか」に傍点]も、彼をいためざりき
かくのごときものは、スティーブン=ダウリング=ボッツの
 聖なる名をそこなうこと、あたわざりき
さげすまれし愛も
 かなしみをもて、彼のまき毛の頭を打たず
胃病もまた
 わかきスティーブン=ダウリング=ボッツを打ちひしがざりき
おお、しかり。されば、なみだにくもる目もてきけ
 わがかたる彼のさだめを
彼がみたまは、つめたき世よりとびさりぬ
 その身はふかき井戸におちて
人びと、そをひきあげて水をはかせたれど
 ああ おそかりき
彼のみたまは、はるかなる空高くのぼりゆきたり
 善と偉大との国にあそばんと
[#ここで字下げ終わり]
 エメリン=グレンジャーフォードは、十四歳にもならないうちに、このような詩をつくることができたのだから、のちのち、どんなにりっぱな詩をつくれるようになったか、けんとうもつかないほどだ。バックの話によると、詩は彼女の口をついて、すらすらとでたということだ。むねに手をおいて考えなければならないようなことは、一度もなかった。いきおいよく一行かいて、それとうまくあうことばが見つからないと、さっさとそれをけして、またべつな一行をかき、そしてどんどんかきつづけていくのだ、とバックはいった。彼女は、詩をつくるのに、気むずかしくなかった。あわれっぽいことであるかぎり、題さえあたえてやれば、どんなことでも詩につくることができた。男でも、女でも、子どもでも、だれかが死ぬとすぐ、彼女は、死体がまだつめたくならないうちに、死人へのたむけの詩を持ってでかけた。となり近所の人びとは、一にお医者、二にエメリン、三に葬儀屋といっていた――葬儀屋が彼女よりさきになったことは、たった一度だった。それは、死人の名まえに韻をあわせることにてまどったからである。その名はホイッスラーというのであった。こののち、彼女の健康は、すぐれなくなった。彼女は、けっして病気をうったえなかったが、しかし、なんとなくやつれて、長くは生きていなかった。わたしは、彼女のかいた絵にあてられて、彼女のことをやりきれない女だと思うようになると、彼女が使っていたちいさなへやへ、よくあがっていって、古いきりぬき帳をだしてよんだ。かわいそうな子だった。わたしは、この家の家族が、死んだものもひっくるめて、ぜんぶすきになった。だからわたしは、いつまでもこの家の人びととなかよくしていたいと思った。かわいそうにも、エメリンは、自分が生きているあいだは、だれが死んでも、その人のために詩をつくってやったのだが、彼女が死んだあと、彼女のために詩をつくる人がひとりもいないのが、わたしには、ふつごうなような気がした。そこで、わたしは、いっしょうけんめいになって、一、二節、詩をつくろうとした。だが、どうしてもかきつづけられそうもなかった。エメリンのへやは、きちんときれいにかたづけられて、へやのなかにあるものはひとつのこらず、彼女が生きていたころのこのみどおりにおいてあった。そして、だれもこのへやではねなかった。老婦人は、黒人の召使がたくさんいるのにもかかわらず、自分でそのへやのそうじをしていた。そして、彼女はそのへやでずいぶんよくぬいものをしたが、聖書をよむときはたいていそのへやでよんだ。
 さて、わたしは、客間のことを話していたのであったが、そこの窓には、うつくしいカーテンがかかっていた。それは、白地に、城壁いっぱいにつる草のからんだ城と、水をのみにくる牛のむれの絵がかいてあるカーテンだった。このへやには、ちいさな古いピアノがおいてあったが、それは、がらくたピアノだった。けれども、娘たちが『さいごのくさりはたたれたり』をうたったり、『プラーハのたたかい』をひいたりしているのをきくのは、とてもたのしかった。かべはどのへやのかべも、しっくいでぬってあった。そして、たいていのへやには、敷物がしいてあった。また家の外がわはぜんぶ、白くぬられていた。
 この家は、二むねからなっていて、そのあいだの広いあき地には、屋根がかけられ、床がはってあった。だから日中には、よくそこにテーブルを持ちだすことがあった。そこにいると、すずしくて気持ちがよかった。これいじょういい場所など、あるものではない。そのうえ、料理はうまく、おまけに、たくさんでるのである。
                 18 活劇《かつげき》
 グレンジャーフォード大佐は、紳士だった。どこから見ても紳士だった。家族も、みんなりっぱな人たちであった。彼は、世間でよくいう、生まれのいい人だった。生まれがいいということは、馬にはもちろん、人にだってたいせつなことだということを、ダグラス後家さんがいっていた。そして、後家さんがわたしたちの町では第一流の貴族だということをみとめないものは、ひとりもいなかった。わたしのおやじでさえ、自分自身はどろなまず同様でありながら、そういっていたものだった。グレンジャーフォード大佐は、ひじょうにせいが高くて、やせていた。そして、あお黒いような顔色をし、あかみというものが、顔じゅうどこにもなかった。彼は、まい朝、そのほっそりした顔を、きれいにそったが、そのくちびるのうすいことといったらなかった。はなは高かったが、はなのあなは、とてもちいさかった。しかも、まゆ毛がふとくて、まっ黒な目が、ふかくおちこんでいたので、ほらあなのなかからのぞいているように見えた。ひたいは高く、くせのない白い髪が、長くのびて、かたまでたれさがっていた。手はほそくて長かった。そして、まい日かならずあらいたてのシャツをつけ、頭から足のさきまで、白いリンネルでつくった服をきちんときていたが、それがとてもまっ白なので、見ていると目がいたくなった。日曜日になると、彼はしんちゅうのボタンのついた青い燕尾服をきた。そして、銀のにぎりのついた、マホガニーのつえをたずさえて歩いた。彼には、うわついたところなどすこしもなく、大声をだしたことがなかった。彼は、このうえなしにしんせつだった――そして、だれにでも、それが感じられるので、みんなが彼を信頼するようになるのだった。彼はときおり、ほほえむことがあったが、その笑顔は、見ていても気持ちがよかった。だが、彼が自由の旗ざおのようにすっくと立ちあがり、彼のまゆ毛の下から、いなずまのような光がぴかり、ぴかりとひらめきだしたとなると、だれだって、まずまっさきに、木によじのぼって、それから、なにごとがおこったのか、ゆっくり観察したくなるのだった。彼は、だれにむかっても、行儀をよくしろといってきかせるひつようはなかった――彼のまえにでると、だれもかれも、みんな行儀がよかったからである。おまけに、彼といっしょにいるのをよろこばないものは、ひとりもなかった。ほとんど、いつでも、彼は日光だった――つまり、彼がいるところはいつでも、日があたっているように思われたのである。だが、彼が雲の峰のなかにかくれると、三十秒間ぐらいまっ暗になった。しかし、それだけで、ききめはじゅうぶんだった。それから一週間ぐらいは、二度とまちがいはおこらなかった。
 朝、彼と老夫人が二階からおりてくると、家族のものはぜんぶいすから立ちあがって、朝のあいさつをし、ふたりが席につくまでは、だれもこしをおろさなかった。それから、トムとボブが、卓上用の酒びんが入れてある食器だなのところにいって、コップに苦味チンキを酒にかきまぜて、それを彼にわたした。すると、彼は、そのコップを持ったまま、トムとボブが自分たちのぶんをつくるまで待っていた。それから、トムとボブがおじぎをして、「おとうさんとおかあさんとに、わたしたちのつとめをつくします」という。ふたりは、ごく、わずかに頭をさげて、ありがとうとこたえ、そこで親子三人が、コップをかたむける。つぎに、ボブとトムは、自分たちの水のみコップのそこにのこっているさとうとごくすこしばかりのウイスキーかりんご酒にさじいっぱいの水をついで、わたしとバックにわたしてくれる。そこで、わたしたちも老人夫婦のためにかんぱいをした。
 ボブがいちばん年上で、トムは二番めだった――ふたりとも、せいの高い、りっぱな男だ。かたはばか広く、顔は日にやけ、黒い髪の毛は長くのび、目はまっ黒だった。そして老紳士のように、白いリンネルの服をきちんとき、つばの広いパナマ帽をかぶっていた。
 それから、シャロット嬢がいる。彼女は、二十五歳だった。せいが高かった。誇りと気品にみちていた。そしていばった女であったが、おこっていないときは、とてもしんせつだった。だが、おこったとなると、父親とおなじで、その場で人をめいらせるような顔つきになった。が、彼女はうつくしかった。
 妹のソフィア嬢もきれいだったが、性質はシャロット嬢とはちがっていた。彼女は、はとのようにおとなしく、かわいらしく、まだ二十歳になったばかりだった。
 彼らは、めいめい、身のまわりの世話をさせる、つきそいの黒人を持っていた――バックでさえ持っていた。わたしは、人に自分のことをしてもらうことになれていなかったから、わたしのつきそいになった黒人は、ばかにらくだった。だが、バックの黒人ときたら、いつも、目のまわるほどいそがしかった。
 いまの家族は、それだけだったが、まえは、もっといたのだ――もう三人むすこがいたのだが、彼らはころされた。それから、死んだエメリンもいたのだ。
 老紳士は、たくさんの農場と百人以上もの黒人どれいを持っていた。ときどき、そのまわり十マイルから十五マイルぐらいのところから、おおぜいの人たちが馬にのってやってきて五日か六日とまっていった。そして、そのあたりや川で、大名あそびをするのである。ひるまは森のなかで、ダンスをしたり、ピクニックをしたりし、夜は夜で、家のなかで舞踏会をひらいた。それらの人びとは、たいてい、ここの家族の親類だった。男たちは、鉄砲をたずさえてきていた。みんな、りっぱな家柄の人びとであることはいうまでもなかった。
 その近くに、もう一つ家柄のりっぱな一族があった――五、六家族で――たいていはシェパドスンという名まえだった。その一族は、グレンジャーフォード一族におとらず、上品で、家柄がよく、金持ちで、えらそうだった。シェパドスン家とグレンジャーフォード家とは、この家から二マイルばかり川上にある、おなじ船着場を使っていた。だから、ときどき、みんなといっしょに船着場にでかけていくと、シェパドスン家の人びとがおおぜい、すばらしい馬にのってそこにいるのを、よく見かけた。
 ある日、バックとわたしが狩りをしながら森のなかへふかくはいりこんでいくと、馬のくる音がきこえてきた。ちょうどわたしたちは、道路をよこぎろうとしていたところだった。バックがいった。
「はやく! 森にとびこめ!」
 わたしたちは、森のなかにとびこむとすぐに、木の葉をすかしてのぞいてみた。まもなく、りっぱなわかものが、馬をとはして近づいてきた。そののりかたは、ゆったりとしていて、まるで軍人のようだった。くらのまえがわに、鉄砲をよこたえていた。わたしは、その男を、まえに見たことがあった。ハーネー=シェパドスンというわかものだ。わたしの耳のそばで、バックの鉄砲が鳴った。ハーネーの帽子が頭からころがりおちた。彼は、鉄砲をつかんで、わたしたちがかくれているところに、まっすぐ馬をのりいれてきた。だがわたしたちは待っていなかった。わたしたちは森をぬって走っていた。森は、そうしげっていなかったので、わたしは、弾をかわすために、かたごしにふりかえってみた。ハーネーがバックに鉄砲をむけているのが、二度見えた。だが、じきに、彼はひきかえしていった――帽子をひろうためだろうと思ったが、たしかめることはできなかった。わたしたちは、家につくまで、かけどおしだった。老紳士の目は、一瞬ぎらぎらとひかった――よろこんでいるのかもしれないとわたしは思った――それから、その顔がすこしおだやかになると、彼は、いくらかやさしい声でいった。
「わしは、やぶのかげからうつようなやりかたは、きらいだぞ。どうして、おまえは、道路にでていってやらなかったのだ。」
「シェパドスンのやつらは、そんなことをしやしませんよ、おとうさん。やつらは、いつだって、こすいことをするんです。」
 シャロット嬢は、バックがその話をしているあいだじゅう、女王のように頭をあげていた。はなのあなが大きくなり、目がひかっていた。トムとボブはふたりとも、顔をくもらせていたが、なにもいわなかった。ソフィア嬢は、さっとあお白くなったが、あいてがけがもなにもしなかったということがわかると、また顔色をとりもどした。
 わたしは、穀物倉の下手の木の下で、バックとふたりきりになると、すぐにきいた。
「きみは、あの男をころそうと思ったのかい、バック。」
「うん、そうだとも。」
「あの男は、きみになにかしたのかい。」
「あの男? あいつは、おれになにもしやしないよ。」
「そいじゃ、なんのために、ころそうとしたんだい。」
「なあに、なんのためもありゃしないさ――ただ、宿敵のためだよ。」
「しゅくてき[#「しゅくてき」に傍点]って、なんだい。」
「おやおや、おまえは、どこでそだったんだい。宿敵って、なんだか知らないのかい。」
「おれ、そんなこときいたこともないんだ――なんのこったい。」
「うん」と、バックは、いった。「宿敵ってな、こういうもんなんだよ――ひとりの男がほかの男とけんかして、そいつをころすのさ。すると、ころされたやつの兄弟が、ころしたやつをころす。するとまた、こんどころされたやつの兄弟が、あいてをころすというぐあいに、両方の兄弟たちが、おたがいにころしあうのさ。それから、いとこたちが、よこからこのけんかにわりこんでくる――そして、そのうちみんなころされてしまう、そうなると、宿敵はなくなるんだよ。だが、そいつは、よういにゃかたづかないんだ、長い年月かかるんだ。」
「この宿敵も長くかかってんのかい、バック。」
「うん、そうだ! こいつがはじまってから、三十年かそこらになるんだぜ。なんかもめごとがあったんでさ。そのらち[#「らち」に傍点]をあけるために、裁判《さいばん》ざたになったんだ。ところがいっぽうが負けたんで、そいつが、かったほうを鉄砲でうちころしたんだ――もちろん、そいつは、ごくあたりまえのことをしただけなんだ。だれだって、そうするよ。」
「どんなもめごとだったんだい、バック――土地のことでかい。」
「そうかもしれないがおれ、知らないよ。」
「ところで、だれがうったんだい。グレンジャーフォード家の人かい、それとも、シェパドスン家の人なのかい。」
「ちぇっ、おれそんなこと知るもんかい。ずっとむかしのことじゃないか。」
「知ってる人はいないのかい。」
「ああ、そうだ。おとうさんなら、知ってるかもしれないよ。それから、だれか年よりならね。でも、はじめなんでけんかしたのか、もうだれも知りゃしないさ。」
「ころされた人が、たくさんあるかい、バック。」
「うん、ずいぶん葬式がでたぜ。だが、いつでもころすとはきまってないんだ。おとうさんは、しかうち弾を、なん発か、くっているんだぜ。だが、そんなこと、どっちみち、たいしたことだと思ってないから、気にしちゃいないんだ。ボブだって狩猟ナイフですこしきられてるしさ、トムも一、二度けがさせられているんだ。」
「今年、だれかころされたかい、バック。」
「うん。こっちでもひとりころしたし、むこうでもひとりころしたよ。三月ばかりまえのことなんだ。いとこのバッドという、十四になる子が、川むこうの森を、馬で通ってたのさ。バッドめ、まぬけなことには武器を持ってなかったんだ。そして、さびしいところにくると、うしろから馬の足音がきこえてきたのさ。ふりかえってみると、年よりのボルディ=シェパドスンが、鉄砲を手に持って、白髪を風になびかせながら、おいかけてくるじゃないか。ところがバッドときたら、馬からとびおりて、やぶににげこまないでも、じゅうぶんにげきれると思ったもんさ。だから、ふたりは、負けずおとらず、五マイル以上もかけつづけたんだけどさ。老人のほうが、すこしずつおいつめてくるんだ。バッドは、もうかけてもだめだとわかったから、さいごに馬をとめて、ぐるりとむきなおったんだ。弾をせなかにうけて、ひきょうもんだと思われたくなかったからさ。そこへ、老人がかけつけてきて、バッドをうちころしたんだ。だが、その老人がとくいになっていられたのは、ほんのわずかのあいだだけだったんだよ。一週間もたたないうちに、うちの人たちが、その老人をころしたからさ。」
「その老人は、ひきょうもんなんだろう、バック。」
「ひきょうもんじゃないよ。ひきょうもんだなんて、とんでもないこった。シェパドスンのやつらには、ひきょうもんなどいないよ――ひとりだって、いやしないぜ。もちろん、グレンジャーフォード家にだって、いやしないけどさ。だって、その老人は、ある日、グレンジャーフォード家のもん、三人もあいてにして、一時間半もたたかってかったことがあるんだぜ。みんな馬にのってたんだけど、老人は、馬からとびおりると、まきがすこしばかりつんであるのをたてにしてさ、馬をまえに立たせて、弾よけにしたんだってさ。グレンジャーフォードの三人は、馬にのったまま、老人のまわりをとびまわって、老人めがけてめちゃくちゃにうったんだ。老人も、さかんにうちかえしてよこした。そいで老人と馬は、ずいぶん弾をうけ、ふかでをおってかえってったけど、でも、グレンジャーフォードの三人は、家にはこんでこられるしまつだったんだぜ――しかもさ、ひとりは死んでたし、もうひとりも、つぎの日死んじまったんだよ。こしぬけものをさがすなら、シェパドスンの一族のなかにいって時間をつぶすのは、むだなこった。あの一族には、ひきょうもんは、ひとりだっていやしないんだから。」
 つぎの日曜日、わたしたちは、みんな小馬にのって、教会にいった。三マイルばかりあった。男たちは鉄砲を持っていった。バックも持っていった。彼らは、その鉄砲を、ひざのあいだにはさんでいるか、すぐ手のとどくかべに立てかけておいた。シェパドスンの人たちもおなじようにしていた。説教は、なんのへんてつもなかった――兄弟愛だとか、なんだとかそういうたいくつなものばかりだった。だが、みんなは、いい説教だといって、家にかえる道みちもその話をし、信仰だとか、善行だとか、自由のめぐみだとか、宿命だとか、そういうことを山ほど話しあっていた。わたしは、なんのことか、さっぱりわからなかったから、こんなつまらない日曜日にでっくわしたことが、いままでにほとんどなかったような気がした。
 ひるの食事ののち一時間ばかり、みんなひるねをした。いすによりかかったままうとうとしているものもあれば、へやにひっこんでねている人もあった。それで、ひどくたいくつになった。バックも犬と、日なたにながながとねそべって、ぐっすりねこんでいた。わたしは、自分たちのへやにあがっていった。わたしもひとねいりしようと思ったのだ。すると、わたしはうつくしいソフィア嬢が自分のへやの入り口に立っているのに気がついた。彼女のへやは、わたしたちのへやのとなりだった。彼女は、わたしを自分のへやに入れて、そっと戸をしめると、あんたあたしがすき? ときいた。わたしは、すきだとこたえた。彼女は、すこしたのみたいことがあるんだけど、だれにもいってもらいたくないの、というので、わたしは、だれにもいわないといった。すると、彼女は教会に聖書をわすれてきたのだが、ほかの二さつの本のあいだにはさんで座席においてあるから、そっとぬけだしていって、とってきてもらいたいの。けれども、このことは、だれにもひとこともいうんじゃない、といった。わたしは、彼女ののぞみどおりにしてやるとこたえた。そこで、こっそり家をぬけだして、人目につかないようにして教会にいったが、教会には、だれひとりいなかった。戸に錠がかかっていないので、ぶたが一、二ひきはいりこんでいただけだった。わり材をしいた床は、夏はすずしいものだから、ぶたがすきなのだ。人なら、たいていお義理でしか教会にいかないのだが、ぶたはそうではなかった。
 わたしはなにかことがおこりそうな気がした。娘が聖書一さつぐらいで、あんなにやきもきするなんて、ただごとではない。そこで、わたしは、聖書をひとふりふってみた。と、ちいさな紙きれがおちてきた。〈二時半〉とかいてあった。わたしは、聖書のなかをくまなくしらべた。だが、そのほかにはなにひとつ見つからなかった。〈二時半〉だけでは、なんのことだがまるでけんとうもつかない。だから、わたしは、またその紙きれを聖書にはさんで、家にもどって二階にあがっていった。ソフィア嬢は、自分のへやの入り口に立って待っていた。彼女は、わたしをひっぱってへやに入れると、戸をしめた。そして、聖書のなかをそちこちのぞいていたが、とうとうその紙きれを見つけて、それをよむと、とてもうれしそうにした。そして、いきなりわたしをつかまえて、ぐいぐいだきしめ、あんたはほんとにいい子だから、だれにもだまっているのよ、といった。彼女は一分間ほど、顔をまっかにして、目をかがやかせていたので、すばらしくうつくしく見えた。わたしは、すっかりどぎもをぬかれてしまったが、ひと息ついてから、その紙にはなにがかいてあるのかときいた。すると、彼女は、おまえはこれをよんだのかとたずねた。よまないとこたえると、彼女は、さらに、おまえは字がよめるかときくから、わたしは、「いいえ、つづけた字はよめません」とこたえた。すると、彼女は、この紙きれは、ただ、場所《ばしょ》がわからなくならないようにはさんでおくしおり[#「しおり」に傍点]のかわりなんだから、さあ、もうむこうへいってあそんでいい、といった。
 わたしは、その紙きれのことを、あれこれと考えながら、川のほうに歩きだした。すると、すぐわたしの黒人が、あとからついてくるのに気がついた。家から見えなくなると、黒人は、ちょっとうしろをふりかえって、あたりを見まわしてから、走ってきていった。
「ジョージさん、あんた、沼地までいくなら、おれ、川にすんでいるどくへびがうんといるとこ、見せてあげるだよ。」
 わたしは、おかしいと思った。きのうも、そういったのだ。ものずきにも、川にすんでいるどくへびを、さがしまわってつかまえようとする人などいないということは、彼だって知っているはずなのだ。いったい、どうしようというのだろう。そこで、わたしはいった。
「いいとも、つれていってくれ。」
 あとについて、半マイルほど歩いていくと、こんどは、くるぶしぐらいまでのふかさの沼地にはいって、さらに半マイルばかりすすんだ。すると、ちいさな、たいらな地面にでた。そこは、かわいていて、木ややぶやつる草がふかくしげっていた。彼はいった。
「ふた足、み足、まっすぐはいりこんでいきなされ、ジョージさん。へびは、そこにいるだ。おれ、まえに見たことがあるで、見たくねえだ。」
 それから、彼は、水をバシャバシャとはねとばしながら、ぐんぐんもどっていったので、じきに木ぎのあいだにかくれてしまった。わたしはすこしすすんだ。まわりに、つる草がおいしげっている、寝室ぐらいの大きさのあき地にでた。すると、そこに、ひとりの男が、よこになってねむっていた――おどろいたことに、それは、ジムだった。
 わたしは、ジムをおこした。ジムがわたしを見たら、こしをぬかすほどおどろくだろうと思った。ところが、そうではなかった。ジムは、よろこんでなきだしそうになったが、おどろかなかった。ジムの話によると、あの夜、ジムは、わたしのあとについておよいできていたので、わたしのよび声を一度ももらさずきいていたのだが、へんじをすることができなかったのである。だれかに見つかって、またどれいにされたくなかったからだ。ジムはいった。
「おらあ、すこしばかりけがしたんで、はやくおよげなかったんだよ。だから、しまいごろになると、ずいぶんおくれただ。あんたは、陸にあがったが、そのとき、おらあどなってよばねえでも、陸にあがったら、おっつけると思っていただよ。だが、あの家が見えたとき、おらあ、ゆっくり歩きだしただ。あまりとおいので、あの家の人たちが、あんたにいってること、きこえなかっただ――おらあ、犬がおっかなかっただよ。だが、またすっかりしずかになったで、おらあ、あんたが家のなかにはいったことがわかっただ。だから、おらあ、森のなかにもぐりこんで、夜が明けるのを、待っていただ。朝はやく、黒人がなん人かやってきただ。のらしごとにいくためだだ。そして、おらあを見つけると、ここをおしえてくれただよ。ここなら、水があるから、犬がつけてこられねえだ。そして、まい晩食うものをはこんできてくれて、あんたがどうしてるか、おしえてくれただよ。」
「どうして、ジャックにいって、おれをはやくつれてこさせなかったんだい、ジム。」
「でもな、ハックさん、なんとかやれるようになるまでは、あんたをさわがせても役にたたねえだよ――だが、もう、なにもかもでえじょうぶだだ。おらあ、おりさえあれば、なべだの、平なべだの、食べものを買っていただし、夜は、あのいかだをなおして――」
「どのいかだだい、ジム。」
「おらあたちのいかだだよ。」
「あのいかだが、めちゃくちゃにならなかったってわけかい。」
「そうだだ、そうならなかっただよ。ずいぶんこわれはしただが――片っぽうのはしがね。だがたいしていためられなかっただよ。荷物は、あらましなくなってしまっただがね。おらあたち、あんなにふかくもぐっていかなかっただら、あんなに暗くなかっただら、あんなにきもをつぶさなかっただら、それによくいうように、かぼちゃ頭でなかっただら、いかだがどうなってたかわかったはずだだよ。だが、わからなかったほうがよかっただ。だって、いかだは、もうあたらしいのみたいに、すっかりできあがったからだだ。そして品物も、なくしたもののかわりに、あたらしいのをどっさり手に入れただからな。」
「ところで、おまえは、どうしてまた、あのいかだを手に入れたんだい、ジム――おまえがつかまえたのかい。」
「森のなかにいるおらあに、どうしていかだがひろえるだ。とんでもねえこっただ。そのへんの大まがりで、いかだが、川のそこのかれた立ち木にひっかかっているところを、黒人が見つけて、クリークのやなぎのなかにかくしておいただよ。そして、わけまえをだれがいちばんよけいとるかって、いいあっているのが、すぐ、おらあにきこえてきただ。そこでおらあ、そんなかにはいって、もんちゃくをかたづけてやっただよ。そのいかだ、おめえたちのもんでねえ、なあハックさん、あんたとおらあのだって。おめえたち、白人の紳士の財産をかっつぁらって、むちでぶんなぐられてえのかって、そういってきかしただよ。それから、おらあ、ひとりに十セントずつくれてやっただが、そしたらやつら、とてもよろこんで、もっといかだがながれてきて、また金持ちにしてくれねえかっていっていただよ。あの黒人どもは、おらあに、とてもよくしてくれただ。なんでも、なにかしてくれって一度たのむと、二度とたのまなくてよかっただよ。ぼっちゃん。あのジャックは、とてもいい黒人だだよ。そのうえ、ぬけめがねえだよ。」
「うん、あいつは、そうなんだ。おまえが、ここにいるなんてこと、おくびにもださなかったもんな。いくなら、どくへびがうんといるとこを見せてやるなんていうんだ。なにがおこったところで、まきこまれないですむからさ。だから、おれたちがいっしょにいるとこを見たなんて、けっしていいやしないぜ。それにはちがいないけど。」
 つぎの日のことは、あんまりくわしく話したくない。かんたんにきりつめて話そうと思う。明《あ》けがた近くに目がさめたので、わたしはねがえりをうって、またねいろうとしたのだが、そのときふと、いやにひっそりしているのに気がついた――だれひとりおきているようなけはいがない。いつもとちがっている。わたしは、それから、バックが寝床からいなくなっているのに気がついた。そこで、どうしたのかと思いながら、おきて、下におりていった――家のなかには、だれひとりいなかった。みょうにしんとしている。外もそのとおりだった。どうしたというんだろう。まきがつんであるところを通りかかると、ばったり、ジャックにでくわした。
「いったい、これは、どうしたっていうんだい。」
 ジャックがいった。
「知らねえだかね、ジョージさん。」
「うん」と、わたしはいった。
「知らないよ。」
「そうだかね、ソフィア嬢がにげただよ、ほんとににげただよ――いつのまにか夜のうちににげてしまっただよ――いつごろにげただかは、だれも知らねえだがね。あのわかいハーネー=シェパドスンといっしょになるために、にげただよ――ともかく、みんなは、そう思ってるだよ。うちの人たちが気がついたのは、半時間ばかりまえか――もうすこしまえだったかもしれねえだ――みんなは、またたくまにでていっただ。それ鉄砲だ、それ馬だって、こんなにさわいだこと、これまでになかっただ。女の人たちは親類の人たちをおこしにいっただし、ソールだんなと子どもたちは、あのわかものがソフィア嬢をつれて川をわたらねえうちにとっつかまえてころすために、鉄砲を持って、川岸の道をかけのぼっていっただよ。おれ、いまにむごいことがはじまると思っているだ。」
「バックは、おれをおこさないでいってしまったんだぜ。」
「ああ、そうかもしれねえだだ。みんなは、あんたをまきこむめえと思ってるだよ。バックさんは、鉄砲に弾をこめて、シェパドスンのやつらをだれかひとり、かならずとりこにしてくるといっていただ。そうだすとも、あそこには、シェパドスンのやつら、たくさんいるにちげえねえだから、うまくさえいけば、きっとひとりとりこにしてくるだだ。」
 わたしは、いそげるだけいそいで、川ぞいの道をのぼっていった。まもなく、とおくのほうから、鉄砲の音がきこえだした。わたしは、材木置場や蒸気船の船着場になっている木材の山が見えるところまでいってから、木ややぶ[#「やぶ」に傍点]の下をおしわけてすすみ、うまい場所《ばしょ》を見つけだして、はこやなぎの木のまた[#「また」に傍点]にのぼって、ながめた。そこなら、鉄砲の弾《たま》がこないからだ。その本のすこし前方に、材木が四フィートばかりの高さに、きちんとかさねられてあった。わたしは、最初そのかげにかくれようと思ったのだが、しかし、そこにかくれなかったのは、運がよかったのかもしれない。
 材本置場のまえのあき地で、男が四、五人、いきおいよく馬をのりまわしながら、ののしったり、どなったりしていた。船着場にそってつんである材木のかげにいる、ふたりの少年を攻撃しようとしているのだ。だが、彼らは、よりつきかねているのである。彼らのうちのひとりが、材木の山の川岸がわにからだをだすと、そのたびにかならず射撃をうけた。ふたりの少年は、材木のかげに、せなかあわせにうずくまっていたので、両がわを見はることができた。 そのうちに、男たちは、とびまわったり、どなったりするのをやめた。彼らは、材木置場のほうに、馬をすすめていった。すると、ひとりの少年が立ちあがって、材木のかげからしっかりとねらいをさだめて、ひとりをくらからうちおとした。ほかのものたちは、馬からとびおりて、きずついた男をひっつかんで、材木置場のほうへはこびだした。その瞬間、ふたりの少年がかけだした。だが、ふたりが、わたしののぼっている木のほうに、半分ばかりかけつけてきたとき、男たちがそれに気がついた。彼らは、見つけるとすぐ、馬にとびのっておいかけてきた。そして、ぐんぐんおいせまってきたが、おいつけなかった。少年たちは、ずっとさきにかけぬけていたからである。ふたりは、わたしの木のまえにある材木の山にとりつくと、さっとそのかげにかくれた。そしてまた、有利な立場にたった。ふたりのうちひとりは、バックだった。もうひとりは、十九歳ぐらいの、やせこけた少年であった。
 男たちは、そのまわりをかけまわっていたが、しばらくすると、どこかへいってしまった。わたしは、男たちのすがたが見えなくなるとすぐ、大声でさけんで、そのことをバックにおしえた。バックは、はじめ、わたしの声が木の上からきこえてくるのだということが、わからなかった。彼は、ひどくびっくりしていた。よく見はっていて、あいつらがまた見えたら、知らせてくれ、とバックはいった。なにかわるだくみをして、じきにもどってくるにちがいないというのだ。わたしは、木からおりたかったのだが、おりないことにした。バックは、なきながら、これからいとこのジョー(もうひとりの少年)とふたりで、きょうのうらみをはらすのだとさけびはじめた。おとうさんとふたりのにいさんをころされたが、敵も二、三人たおした。シェパドスンのやつらは、待ちぶせしていたのだ。おとうさんとにいさんたちは、親類の人たちがくるのを待っておればよかったのだ――シェパドスンのやつらは、とてもおおぜいだったのだ、と、そうバックはかたった。わたしは、ハーネーとソフィア嬢がどうなったかときいた。彼らは、もう川をわたっていたので、ぶじだった、とバックはこたえた。わたしは、そうきいてほっとした。だが、バックは、彼が、ハーネーをうった、あの日に彼をころしてしまわなかったことをひどくくやんだ――わたしは、人がこんなにくやしがるのを見たことがない。
 とつぜん、パン! パン! パン! と鉄砲が三、四発鳴った――さっきの男たちが、馬をすて、森のなかをまわって、うしろからしのびよってきたのだ。少年たちは、川のなかにとびこんだ――ふたりともきずついた――ふたりがながれにのっておよいでいくと、男たちは岸にそっておいかけ、鉄砲をぶっぱなしてさけんだ、「ころせ、ころせ。」そのため、わたしは、ひどく気持ちがわるくなり、あやうく木からおっこちるところだった。わたしには、このときのことをぜんぶ話すげんきがない――そんなことをしたらまた、むねがむかついてくるにちがいないからだ。わたしはこんなことを見るくらいなら、いかだをこわされたあの晩、ここにおよぎつかなければよかった、と思った。このときのことは、わすれようとしてもわすれられないのだ――わたしは、なんどもなんども、そのゆめを見るのである。
 わたしは、暗くなりだすまで、木の上にいた。こわくて、おりられなかったのだ。ときどき、ずうっととおくの森から、鉄砲の音がきこえてきた。鉄砲を持った男たちが、なん人かひとかたまりになって、馬をとばして、丸太置場のそばをかけぬけていくのが、二度も見えた。だから、まださわぎがおさまらないのだと思った。わたしは、ひどく気がめいってしまっていた。もう二度と、あの家に近よるまいと思った。こんなことになったのも、いくぶん、わたしにも責任があると思ったからだ。あの紙きれにかいてあることは、ソフィア嬢が、二時半にどこかでハーネーとおちあって、にげるという意味だったにちがいないのだ。わたしは、あの紙きれのことや、彼女のおかしなふるまいのことを、彼女の父親に話しておけばよかったのである。そうすれば、彼女をとじこめて、かぎをかけておいたにちがいないのだから、こんなおそろしいどさくさはおこらなかっただろう。
 本からおりると、わたしは、川岸ぞいにそっと、すこしくだっていった。すると、水ぎわに死体が二つころかっていた。わたしは、それを岸にひっぱりあげた。そして顔にきれをかけてやってから、大いそぎで、そこをはなれた。バックの顔にきれをかけてやるとき、わたしは、すこしないた。
バックは、わたしにとてもよくしてくれたのだ。
 もうすっかり暗くなっていた。わたしは、家には近づかないで、森のなかを通りぬけて、沼地にむかった。ジムは、いつものあの丘にいなかった。そこで、わたしは、大いそぎでクリークにむかい、やっきになって、やなぎをおしわけおしわけすすんだ。いっこくもはやく、いかだにとびのって、このおそろしい土地からのがれたいからだ。ところが、いかだがなくなっていた。わたしはこしがぬけた。一分間ぐらい、息もつけなかった。それから、大声でさけびたてた。二十五フィートとはなれていないところから、声がきこえてきた。
「おやまあ、あんただか、ぼっちゃん。さわぐでねえだ。」
 それは、ジムの声だった――わたしは、こんなにこころづよくきこえる声を、それまできいたことがなかった。わたしは、岸にそって走っていって、いかだにのりこんだ。ジムは、わたしをつかむと、ぐいぐいだきしめた。ジムも、わたしにあえて、こころからよろこんでいるのだ。
「ほんとにまあ、ぼっちゃん、おらあ、てっきり、あんたがまた死んだと思っていただよ。ジャックがここにきただがね、あんたが家へかえってこねえから、うたれたにちげえねえっていっただよ。だから、おらあ、たったいま、いかだをクリークの口までだそうとしていたところだだ。ジャックは、もう一度くるだが、きて、あんたがほんとに死んだといったら、おらあ、すぐいかだをおしだしで、でていかれるように、すっかり用意しておこうと思ってただ。なんとまあ、あんたがもどってきてくれたで、おらあ、とても、とてもうれしいだよ。ぼっちゃん。」
 わたしはいった。
「そうか――それは、よかった。みんなは、おれが見つからないから、ころされて、川をながれていったと思うにちがいないんだ――あそこんとこに、みんながそう思いちがえるようなものがあるんだよ――さあ、ぐずぐずしないで、いかだをおしだせ、ジム。ともかく、大川にでるまで、できるだけいそぐんだ。」
 わたしは、二マイルもこぎくだり、ミシシッピ川のまんなかに、いかだをこぎだすまでは、気が気でなかった。それから、めじるしのカンテラをあげた。わたしたちは、これでもう一度、自由になり、心配がなくなったと思った。わたしは、きのうからなんにも食べていなかった。そこで、ジムは、とうもろこしのかたやきパンとバターミルクと、それから、ぶた肉、キャベツ、やさいをだしてくれた――じょうずに料理したら、これほどうまいものはない――わたしは、それを食べながらジムと話をし、たのしくすごした。わたしは、宿敵からのがれることができたので、とてもうれしかったのだが、ジムもまた、沼地からのがれることができたので、ひどくよろこんでいた。けっきょく、いかだよりいい家はない、とわたしたちは話しあった。ほかのところは、きゅうくつで、息がつまりそうなのだが、いかだの上にいると、そんなことはなかった。いかだの上は、とてものんびりして、気がらくで、気持ちがいいのである。