『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

わたしの、本気の反万博論 その67 大阪万博会場で一番目立っているリング型大屋根、建設費はいくらだったら納得できるか(未完成だが、意外と価値のあるメモになる)

リング型大屋根、建設費はいくらだったら納得できるか

「わたし」は税金を払っているのだから、自由な注文者の立場で、建設費がいくらだったら納得できるか、というより、どのような条件でどのぐらいの建設費だったら納得できるか、いくらでも注文できる立場にある。ということで、どんどん注文することにする。スジのとおったまっとうな注文をしようとすることだけはお約束する。

まず、地盤の弱い大阪府夢洲は、大型建設物を立てるのは論外。今のままでは、2025年4月までに建物が傾くか崩れる可能性がある。(夢洲に大型建設物を建て始めてから2年以内)
そして、今のきびしい財政状況で仮設というのも論外。BIEにたのんで最初から30年は耐えられる常設建築物にしないと、高いと思うのが当然。維新のバカどもは、はったりだけで生きてきたとすら思えるのに、この程度のハッタリもできないのか、正直驚くが。

大阪万博会場の大屋根が組み立て開始、1周2kmの世界最大級の木造建築物へ第一歩 | 日経クロステック(xTECH)

 2025年日本国際博覧会協会は2023年7月3日、同年6月30日から大阪・関西万博の会場となる大阪・夢洲(ゆめしま)で、会場のシンボルとなる大屋根(リング)の組み立てを開始したと発表した。

わたしは運よく、海沿いで海水面から約16メートル以上の「展望台」に上る機会を得た。16メートル以上というと、だいたい6階建てのビルからながめ(3.2×5=16)と考えればいいだろう。
のその時の感想を言うと、海側ならば海風と波の見える海水面は2回以上見る価値があるといえるが、陸側の建物が並ぶゴミゴミした場所など、1回もみなくても十分、といったところだろう。ためしてみればいい。

率直な感想としては、ただの展望台としての機能ならば、入場料1000円以上は絶対無理。500円でも厳しいだろう。望遠鏡をだせばなんとか500円とれるだろう。こんなことをいったら、あの万博協会のバカどもがマネするかもしれないが。


350億円÷3000万人≒1167円。
素直な感想を言えば、もっと高くつくかとおもったが、意外と安くなった、といえよう。一人1170円とればいいというのだから。
夢洲大阪万博会場に3000万人も来るわけがないが。
あれ、そういえば、この計算、2024年5月10日現在、やったのはわたしだけ?

ちなみに、だれでも写真で見たことがあるローマのコロッセオは、
工事完了年は西暦80年で、維持期間約1940年、長径187.5m、短径156.5mの楕円形、4階建てで高さは48m[34]、推定5万人から8万7千人の観客を収容できた
2019年には、「約760万人がコロッセオに観光に訪れた[11]」(どういう観光かは不明)。
「天井部分は開放されているが、日除け用の天幕を張る設備があった。皇帝席には1日中直射日光が当たらないように設計されており、また一般の観客席についても1日に20分以上日光が当たらないように工夫がされていた。」
(このwiki記事は写真があって有益)

コロッセオ - Wikipedia
Colosseum - Wikipedia
Колизей – Уикипедия
كولوسيوم - ويكيبيديا
콜로세움 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전



20メートルではなく30メートルあるいは40メートルにするとどうなるか。
直径650メートルではなく、200メートルあるいは300メートルにするとどうなるか。
夢洲ではなく、街中に設置するとどうなるか。
多少はましになる。
正直、高さ15メートルぐらいの建物はいま、団地などたくさんあるから、意外とショボく感じる。工場や造船所の建物なども高さ15メートルぐらいある。
夏や冬など、外に立っているのに厳しい時期は、物好き以外だれも来ないぞ。夏はカンカン照り、冬は風のふきさらし。考えただけで耐えられない。

設計者の松本(氏)の意見
空を見上げて人類の一体化を感じる。

花火でもあげればいいだろ。
上で盆踊りをすればいい。

不便な海上、じゃなかった、会場だ。直径650メートルだから、対面が見えないだろ。

人が住むスペースがない。

大阪万博全体の話だが、空飛ぶ車が駄目になった時に、自分が万博で一番目立とうと考える出展者はいないらしい。

20240512追加
ごく最近、海岸すぐそばの、海抜約20メートルの場所を訪問した。その結果わかったことがある。
海側を見るのは確かに景色もいいし風もここちいい。しかし、1年にせいぜい3回行けばあきる。そして、山側はたいてい建物がならんでいるだけだから、5分もすればすぐあきる。10分ぐらい歩いてまわったからまちがいない。ただ海や建物や芝生を見せるならば、入場料1回500円でも高い。
20メートルの建物というのは意外とショボく感じる、なぜかといえば、5階建て以上の団地とかの建物は珍しくないからである。
ちなみに、ちなみに、だれでも写真で見たことがあるローマのコロッセオは、4階建てで高さは48m[34]、長径187.5m、短径156.5mの楕円形、推定5万人から8万7千人の観客を収容できた。
それと、高さ20メートル、長さ2000メートルの、内部をどうして無駄にするのか。1970年大阪万博の大屋根は、人が住めるようにできていた。
メモ、正直350億円かけて展望台もどきをつくるべきではない。
それにしても給料や研究費をけずられている国立施設の学芸員などの知識階層は、なぜ大屋根の「価値に対しての建設費の高さ」をぶっ叩かないのか。私が知らないだと思いたいが、あれではなめられてもしょうがないめんがあるな、と思う。わたしは、地頭のいい人間は多少の時間と予算をかけてでもその頭をフルにつかうべきだと素直に考えている。そうやっていないから、正直信用できない。
1970年大阪万博で、太陽の塔内部と大屋根内部に行った、こう感じたこう思ったという証言を、わたしは見たことがない。