『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ハックルベリー=フィンの冒険(マーク=トウェイン作、吉田甲子太郎訳)、第8章とちゅうから第16章とちゅうまで(いちおう読書可能)

20240414
■43-■48、5分、OCR、101-151
■49―■54、5分、OCR、152-200、
20240418
■04-■10、15分、ざっとせいり、作品見ながら、101-140
20240419
■18―■33、15分、ざっとせいり、101-119
20240420
■20-■04、44分、ざっとせいり、130-168
■35-■21、46分、ざっとせいり、160-201
■30―■00、30分、101-115、読みながら校正
20240421
■25-■24、59分、116-144、読みながら校正
■57-■56、59分、145-181、読みながら校正
20240424
気分が悪い
■28―■48、20分、182-191、読みながら校正
20240425
調子がわるかった。いまもわるい。
■39-■55、16分、192-201、読みながら校正

オーリンズには売らねえといってただよ。でも、ついこのごろ、どれい買いが、あのへんにきてることに、おらあ気がついただ。それで、心配になってきただよ。ところで、ある晩、ずいぶんおそくなってからだだ、おらあこっそりと戸口のところにいってみたら、戸がしっかりしまっていなかっただ。そして、あの女が、後家さんに、おらあをオーリンズに売るつもりだ、といってるのを、おらあきいただ。あの女は、おらあを売りたかねえのだが、おらあ八百ドルに売れるだで、あの女は、その大金に目がくらんだだよ。後家さんは、あの女に、そうさせねえようにしようとしただが、おらあ、そのあとなどきいていられなかっただ。おらあ、いきなりとびだしただ。
 おらあ、外にでると、すっとんで、丘をかけおりただよ。そして、町のすこし上の岸で、舟をぬすむべと考えただが、人がまだおきていただ。んだから、川っぷちの、あのぶっけえりかけたおけ屋の店にかくれて、みんながいなくなるのを待ってただ。おらあ、そこに一晩じゅうかくれていただよ。だれかかれかが、しょっちゅううろうろしていたでな。朝の六時ごろになると、小舟が通りだしただ。そして、八時か九時ごろ通っていく舟は、どれもこれもまあ、あんたのおやじさんが町にきて、あんたがころされたといったって話をしてるだ。あとのほうのなんそうかの舟は、あんたがころされたところを見にいく女や男で、いっぱいだっただよ。その人たちは、しばらく岸に舟をつけて、ひとやすみしてから、たっていっただで、おらあ、その人たちの話から、人ごろしのことがすっかりわかっただ。おらあ、あんたがころされたで、とてもかなしかっただよ、ハックさん。だが、もう、かなしくなくなっただよ。
 おらあ、そこのかんなくずの下に、一日じゅういただ。はらがへったが、でも、おらあ、おっかねえことなかっただ。あの女と後家さんは、朝めしがすんだらすぐ、野外説教会にでかけていって、一日じゅういねえことを知っていたからだよ。それに、おらあ、夜が明けると、家畜をつれて、外へでていくことを、あの人は知ってるだから、おらあが、そのあたりにいねえでも、なんとも思わねえからだよ。あの人たちは、暗くならねえうちは、おらあのいねえのに、気がつかねえだよ。ほかの召使だって、おらあのいねえのに、気がつきはしねえだ。あいつらは、あの人たちがいなくなるとすぐ、外にとびだして、あそびほうけているからだだ。
 ところで、暗くなってから、おらあ、川っぷちの道にでて、家のねえところまで、二マイル以上も、川岸をのぼっただよ。おらあ、もう、こころをきめていただ。ずっと歩いてにげようとすれば、犬にあとをつけられるだ。また、舟をぬすんで川をこえたら、舟がねえのに気づかれるだ。そして、むこうっぷちのどこかにあがったかがわかるだし、どっちへおっかけていけばいいか、わかるだ。ね、そうでねえだかね。だから、おらあ、いかだをさがさなくちゃならねえと考えていただ。いかだなら、あとをのこさねえだ。
 そのうちに、川岸のでっぱなをまわってくるあかりが一つ見えただ。そこでおらあ、川にとびこんで、丸太につかまって、それをおしながら、川の半分以上もおよいでいっただよ。そして、流木のあいだにまじって、頭をひくくして、なんとか、ながれにさからっておよいでいるうちに、いかだがきただ。それでおらあ、いかだのとも[#「とも」に傍点]におよいでいって、つかまっただ。すると、空がくもって、ちょっとのあいだ、たんと暗くなっていただよ。だからおらあ、はいあがって、板子の上にねただ。いかだの人たちは、ずっとむこうの、あかりのある、まんなかのほうにいたんでな。川の水はふえ、ながれははやかっただ。だから、おらあ、朝の四時までには、二十五マイルも川をくだっていると思っただ。そうしたら、夜明けのすぐまえに、こっそりと川にはいって岸におよいでいって、イリノイがわの森ににげこもうと思っていただよ。
 だが、おらあ、運がわるかっただ。この島のさきっぽのとこまできたとき、ひとりの男が、カンテラを持って、とものほうにやってきただ。おらあ、ぐずぐずしていられねえと思ったから、そっとすべりおちて、この島にむかって、およぎだしただ。ところで、おらあ、この島、どこからでもあがれると思っていただが、あがれねえだ――岸ががけになってるもんなあ。島のしりまでおよいできて、やっとこさ、うまいとこを見つけただよ。森のなかにはいってから、おらあ、やつらがカンテラをふりまわしているかぎり、もう二度といかだには、手をだすめえと考えただよ。おらあ、パイプとひとかたまりの固形タバコとマッチを、帽子のなかに入れて持っていただが、それがぬれなかったで、まったくたすかっただよ。」
「そいじゃ、それからずっと、おまえは、肉もパンも食わなかったのかい。どうして、どろがめをつかまえなかったんだい。」
「どうして、つかまえるだ? 万が一、ふんづけたところで、すべって、つかまりはしねえだ。どうして、石をぶっけるだ。どうして、夜、石をぶっつけられるだ。おらあ、ひるまは、岸にでられねえじゃねえか。」
「ああ、そうだったな。おまえは、ずっと、森のなかにいなきゃならなかったんだね。おまえ、みんなが、大砲をうつのきいたかい。」
「ああ、きいただよ。おらあ、みんながあんたをさがしているのを知っていただ。ここを通るのを見ていただよ――やぶのなかから見ていただよ。」
 小鳥のひなが五、六ぱ、一、二ヤードとんでは、ちょいちょい立ちどまりながら、近づいてきた。それは、雨になるしるしだ、とジムはいった。にわとりのひなが、そんなとびかたをするのは、雨になるしるしなのだから、小鳥のひながそういうとびかたをしても、それはおなじことだと思う、と、ジムはいった。わたしは、小鳥をつかまえようとしたが、ジムにとめられた。ジムは、そんなことをしたら、死ぬというのだ、むかし、おやじが大病でねていたとき、家のものがだれか、一わの小鳥をつかまえてきたのを見て、ばあさんが、おやじは死ぬといったが、ほんとうにおやじは死んでしまった、とジムは話した。
 それから、食べものをこしらえるとき、ものの数をかぞえてはいけない、そんなことをしたら、不幸がやってくる、とジムはいった。太陽がしずんでから、テーブルかけをふってもおなじだともいった。それからまた、だれかみつばちの巣を持っている人が死んだら、つぎの朝の太陽があがらないうちに、そのことをはちどもにおしえてやらなければならない。そうしないと、はちは、よわりきって、はたらかなくなり、死んでしまう、とジムはいった。また、みつばちはばかものをささないといった。が、わたしは、それは信じなかった。わたしは、なんども、自分をささせてみようとしたけれど、ささなかったからだ。
 わたしは、まえから、こんなようなことはいくつかきいていた。だがそれでぜんぶというわけではなかった。ジムは、迷信のことなら、なんでも知っていた。彼は、自分の知らないことは、まずないといっていた。わたしには、どんなまえ知らせでも、みんな不幸のまえ知らせのように見えるのだが、なにか、幸運のまえ知らせというものはないのかと、ジムにきいてみた。
「とてもすくねえだよ――それに、そんなもの、生きてる人の役にはたたねえだよ。幸運がこようってとき、どうして、それを知りてえだ。幸運をよせつけめえてのかね?」それから、ジムはいった。「あんたのうでにどっさり毛がはえて、むねにもどっさり毛がはえてたら、それ、あんたが金持ちになるまえ知らせだよ。そうだとも、そういうまえ知らせなら、いくらか役にたつだ。金持ちになるのは、うんとさきのことだからな。いいかね、あんたは、はじめのうち長いあいだ、びんぼうしなきゃならねえかもしれねえだ。そんなとき、そのまえ知らせで、だんだんに金持ちになるってこと知らなかったら、あんたは、がっかりして、自殺するかもしれねえだ。」
「おまえは、うでとむねに毛がはえているかい、ジム。」
「そんなこと、なんだってきくだ。これ、見えねえだかね。」
「ところで、おまえは、金持ちなのかい。」
「そうじゃねえだよ。でもおらあ、一度金持ちだったし、これからまた、金持ちになるだよ。おらあ、まえに十四ドル持ってただが、やまをやって、すっぽりなくしただ。」
「なんのやまをやったんだい、ジム。」
「そうさね、はじめは品物に手をだしただよ。」
「どんな品物だい?」
「もちろん、生きている品物――家畜だよ。おらあ、一頭のめ牛に十ドルかけただ。だが、おらあもう、家畜に金をかけるような、あぶねえことはしねえだよ。そのめ牛はかってるうちに、ころりと死んだだからね。」
「それで、まるまる十ドルそんをしたのかい。」
「ふうん、みんなは、そんしなかっただよ。九ドルなくしただけだ。おらあ、その皮と油を、一ドル十セントで売っただから。」
「それじゃ、五ドル十セントのこっていたんだね。そのあと、やまはやらなかったのかい。」
「そうだとも。ところであんた、年よりのブラディシュさんの、一本足の黒人を知ってるだろう? あいつが銀行をこしらえて、いうだよ。だれでも一ドルあずけたら、年のくれに、四ドルよけいにもらえるだって。そいで、黒人は、ひとりのこらずはいっただが、みんなは、たいした金は持ってなかっただ。大金持ちってのは、おらあひとりだっただ。そこで、おらあ、四ドル以上くれとがんばっただ。そして、四ドル以上くれなければ、おらあ自分で銀行をはじめるっていってやっただ。ところが、そいつは、おらあにおなじ商売をさせたかあなかっただ。なぜって、そいつは、二つの銀行がたっていけるほどのしごとはないというんだ。それで、そいつは、おらが五ドルあずけたら、年のくれには、三十五ドルはらうっていっただよ。うんだから、おらあ、五ドルあずけただ。それからおらあ、その三十五ドルをもとでにして、すぐにそいつをぐるぐるまわして、もうけようと思っていただ。ボブという黒人がいるだが、ちょうどそいつが、いかだをひろっただ。だんなはそれを知らなかっただ。そいで、おらあ、そのいかだをボブから買って、年のくれがきたら三十五ドルはらうといっただ。だが、その晩のうちに、だれかにいかだをぬすまれただ。そのうえ、そのあした、一本足のやろうは、銀行がつぶれたっていっただよ。そんなわけで、だれも、一セントももらえなかっただよ。」
「あとの十セントはどうしたんだい、ジム。」
「ああ、そいつは、おらあ使うべと考えていたところ、おらあ、ゆめを見ただよ。そのゆめが、おらあに、その金を、バラムっていう黒人にやれっていうだ――バラムのろばでとおっているやつだよ。あいつのばかなことは、わかっているでねえか。だが、みんな、バラムをしあわせだっていうてるだが、おらあは、しあわせでなかっただ。ゆめのおつげだと、バラムは、その十セントをもとでにして、おらあに大金をもうけてくれるっていうだ。ところで、バラムがその金を持って教会にいくと、説教師が、びんぼうなものに金をやったものは、キリストさまに金をかしたのだから、その金は、かならず百倍になってもどってくるといっただ。だから、バラムは、その十セントをびんぼうなやつにやって、どうなるか、じっとこころ待ちにしていただ。」
「それからどういうことになったい、ジム。」
「どういうことにもなりゃしねえさ。おらあ、なんとしても、その金をとりもどすことができなかっただ。バラムにもできなかっただ。おらあ、でえじょうぶだとわからないうちは、もう二度と、金をかさねえだよ。あの説教師め、百倍になってけえってくるなんていうだ! なあに、おらあ、あの十セントが、そのまま、けえってきさえしたら、それでいうことはねえだ。ひょっこりもどってきたら、どんなにうれしいかしれねえになあ。」
「なあに、それでいいんだよ、ジム、いまにまた、金持ちになれるんだものな。」
「そうだとも、それに、考えてみりゃあ、いまだって、おらあ金持ちだよ。おらあこの自分を持ってるだ、そして、このからだには八百ドルのねうちがあるだからな。おらあ、あの金がおしかっただ、が、いまじゃもうおしいとは思わねえだよ。」
      09 島《しま》の生活《せいかつ》、はじまる
 わたしは、ちょうど島のまんなかあたりにある、ある場所を見にいきたいと思った。それは、探検ちゅうに見つけておいたところだ。そこで、わたしたちはでかけたが、じきにそこへついた。この島は、長さがたった三マイル、はばか四分の一マイルしかなかったからだ。
 その場所は、かなりほそ長い土地で、四十フィートばかりの高さの、けわしい丘というか、山の背というか、そのようなところにあった。山腹は両がわとも、とてもけわしく、ふかいやぶになっているので、その頂上にのぼるのに、わたしたちは、ひどく骨がおれた。わたしたちは、その丘をのぼったり、くだったり、ぐるぐる歩きまわったりした。そのうちに、わたしたちは、頂上近くのイリノイがわで、かなり大きな岩あなを見つけた。ほらあなは、へやを二つ三つあわせたくらい広く、しかも、ジムがまっすぐ立つことができた。なかはすずしかった。ジムは、すぐにわたしたちの持ちものをそのなかへはこびこみたがった。だが、わたしは、しじゅうこんなとこへのぼったり、おりたりするのはいやだといった。
 ジムは、カヌーをうまいところにかくして、持ちものをみんな、このほらあなのなかにはこびこんでおきさえしたら、だれかがやってきたときには、このほらあなに走りこめばいいのだ、そうすれば、犬をつれてこないかぎり、わたしたちは見つかりっこないといった。そればかりか、小鳥どもが雨がふるといっているのに、あんたは持ちものをぬらしたいのかといった。
 そこで、わたしたちは、カヌーのところまでもどっていって、カヌーをほらあなの下のところまでこぎあげてきてから、いっしょうけんめいになって、持ちものをみんなほらあなにかつぎあげた。それから、すぐ近くに、やなぎがふかくしげっているところを見つけて、そこにカヌーをかくした。わたしたちは、つり糸からさかなをなんびきかはずし、またその糸をしかけてから、ひるの食事の用意にとりかかった。
 ほらあなの入り口は、大きなたるをころがしこめるくらい大きかった。そのうえ、入り口の片がわの床がすこしつきでていて、そこがたいらになっているので、たき火をするのにつごうがよかった。だから、そこで火をたいて、ひるの食事をこしらえた。
 わたしたちは、ほらあなのなかに、敷物のかわりに毛布をしいて、そこでひるめしを食った。荷物は、みんな、そのおくの手近なところにおいた。まもなく、うす暗くなってきて、かみなりが鳴り、いなびかりがはじまった。小鳥のまえ知らせは、まちがっていなかったのだ。じきに雨がふりだした。どしゃぶりだった。風もすごかった。こんなすごい風は、わたしははじめてだった。いつもくる、夏のあらしの一つなのだが、とても暗くて、ほらあなの外は、あお黒く見えたが、すばらしくもあった。雨がもうれつないきおいでたたきつけているので、すこしさきの木は、ぼんやりと、くもの巣のように見えた。そこへ風がゴオーッとふいてくると、木はまがり、葉のうらが白く見えた。それから、なにもかもひきさいてしまいそうな、すごい風が、ゴオーッとうなってきて、木ぎの枝を、気でもくるったようにゆさぶった。つづいて、きゅうに、いっそうあお黒く、まっ暗になったと思うと、ぴかっと――後光でもさしたように明るくなって、その瞬間、ずっととおくあらしのなかで、まえには見えなかった、数百ヤードもむこうの木ぎのこずえが、おどりくるっているのが見えた。たちまちまた、おそろしくまっ暗になると、こんどは、かみなりが、すさまじい音をたててくだけだ。それから、バリバリ、ゴロゴロ、パリパリととどろきながら、世界のむこうがわのほうへと、空をころげおちていった。ちょうど、あきだるがいくつも、階段をころげていくように――長い階段だと、たるは、ゴロンゴロンと、まったく、よくはずむものである。
「ジム、ここは、いいとこだね」と、わたしはいった。「おれ、ほかんとこにはいきたくなくなったよ。さかなと、とうもろこしパンのあついのを、すこしとってくれ。さかなは、大きれのとこだぜ。」
「ね、あんたがここにきたのは、このジムのおかげだよ。あんたは、下の森のなかで、めしも食えず、おまけに、おぼれかけていたかもしれねえのだ。そうにちげえねえだよ、ぼっちゃん。ひよこは、雨のふるのを知ってるだから、きっと、小鳥だってわかってるだよ。」
 川は、水がふえだし、十日か十二日も増水しつづけたので、とうとう岸をこえてしまった。島のひくいところや、イリノイがわの低地では、三フィートから四フィートも水がでた。イリノイがわの岸までの川はばは、数マイルにひろがった。だが、ミズーリ州がわの岸までは、まえとおなじ川はば――つまり、半マイルだった――そっちがわの川岸はきり立ったがけになっているからだった。
 ひるま、わたしたちは、島じゅうをカヌーでこぎまわった。外では、太陽がぎらぎらてっているのに、ふかい森のなかは、とてもすずしく、うす暗かった。わたしたちは、木ぎのあいだを、でたりはいったり、ぐるぐるこぎまわったのだが、つる草がいっぱいたれさがっているところにつきあたってしまい、もどるか、べつな道をいかなければならないこともあった。大きな木がたおれていると、どの木にもきっと、うさぎかへびか、そんな動物がのっかっていた。島が水びたしになって一日二日たつと、うさぎは、はらをへらして、すっかりげんきがなくなってしまった。だから、つかまえる気なら、まっすぐカヌーをこぎよせていって、いくらでもつかまえることができた。だが、へびとかめは、そうはいかなかった――彼らは、すうっと水のなかににげていくからだ。ほらあなのある山の背は、それらの生きものでいっぱいになった。うさぎでもへびでも、かおうと思えばいくらでもかうことができた。
 ある晩、わたしたちは、材木のいかだの一部をひろった。すばらしい松板《まついた》だ。はばか十二フィート、長さは十五、六フィートぐらいで、表面のところが六、七インチ水面からでていた――がっちりしたたいらな床板だった。ひるま、山からきりだしたままの丸太がながれていくのを、よく見かけたが、わたしたちは、手をださなかった。わたしたちは、ひるまは、すがたをあらわさないことにしていたのだ。
 またある晩、明けがた近くに、わたしたちが、島の突端のところまでいってみたとき、木造家屋が一けん、島の西がわをながれてきた。その家は、二階づくりだったが、ひどくいっぽうへかたむいていた。わたしたちは、カヌーをこぎだして、その家にはいりこんだ――二階の窓からもぐりこんだのだ。しかし、なかはとても暗くて、なにも見えなかったので、わたしたちは、カヌーをしっかりつなぎ、そのなかにすわって、夜が明けるのを待っていた。
 島じりまでくだらないうちに、夜が白みだしてきた。それで、わたしたちは、窓からなかをのぞいてみた。寝台が一つあった。それからテーブルが一つと、古ぼけたいすが二つ見えた。床の上には、いろんなものがちらばっていた。かべには、服がなんちゃくか、ぶらさがっていた。むこうの床のすみに、なにか、人間のようなものが、のびていた。それで、ジムがいった。
「もしもし、あんた。」
 しかし、人間らしいものは身じろぎもしなかった。そこで、わたしも大きな声でよんでみた。すぐ、ジムがいった。
「あの男は、ねむってるでねえ――死んでいるだ。あんたは、じっとしてなされ――おらあがいってみるだから。」
 ジムは、はいっていって、からだをかがめてのぞきこんでからいった。
「死びとだだ。ほんとに、死びとだだ。おまけに、まるはだかだだ。せなかをうたれてるだ。死んでから、二日か三日になるだ。はいってきなされ、ハックさん、だが、顔は見るでねえぞ――おっかねえからな。」
 わたしは、けっして死人のほうを見なかった。ジムは、死人の上にぼろをなげかけたが、そんなことをするひつようはなかった。わたしは、死人など見たくなかったのだ。床の上には、手あかによごれたトランプが、たくさんちらばっていた。古いウイスキーのびんも、なん本かころがっていた。それから、黒い布でつくったふく面用の顔おおいが二つおちていたかべには木炭で、このうえなしに下等なもんくと絵がいちめんにらくがきしてあった。きたないキャラコのドレスが二ちゃくと女の夏帽子が一つ、それに、女の下着がなんまいかかべにかかっていた。また、男の衣類もなんちゃくかかかっていた。わたしたちは、それらのものをカヌーにつみこんだ――そのうちに役にたつかもしれないからだ。床の上に、古い、まだらあみの男の子の麦わら帽子がおちていたので、わたしは、それをひろった。それから、赤ん坊にのませるための布の乳首をつけた、からの牛乳びんがあった。そのびんもひろっておきたかったのだが、それはこわれていた。それから、みすぼらしい古ばこが一つと、ちょうつがいのこわれた古い毛皮ばりのトランクが一つあった。二つとも、口があいていたが、めぼしいものは、なにひとつはいっていなかった。こんなにとりちらしてあるところからみると、うちのものが、大いそぎでにげだし、あわてふためいていたので、なんにも持ちだすひまがなかったのだろうと、わたしたちは思った。
 わたしたちは、古いブリキのカンテラ一つ、柄のない肉きりぼうちょうを一ちょう、どこの店で買っても二十五セントはする、まあたらしい、バーローじるしのナイフを一つ手に入れた。それから、たくさんの牛脂製のろうそくと、ブリキのろうそく立て、ひょうたんとブリキのコップ一つずつをちょうだいした。そして、寝台からうすぎたないさしこのかけぶとんをひっぺがし、また針やピンやみつろうやボタンや糸などがはいっているあみぶくろと、一ちょうのおのと、すこしばかりのくぎとを見つけた。そのあとで、とほうもなく大きなつり針がついている、わたしの小指ぐらいのふとさのつり糸一本、雄じかの皮一まき、皮でつくった犬の首輪と馬の蹄鉄、なん本かの、はり紙のないくすりびんなどが手にはいった。そして、いよいよ、その家からでようとしたとき、わたしは、かなりじょうとうの、馬をとかすくしを一つ見つけた。ジムも、きたないバイオリンの弓と木の義足を一つ見つけた。ひもがとれていたが、それさえなおせば、りっぱに使える義足だった。だが、それは、わたしには長すぎたし、ジムにはみじかすぎた。それでもわたしたちは、そこらじゅうをさがしたが、もう片方は見つからなかった。
 そんなわけで、ぜんたいからいうと、わたしたちは、たいへんなもうけものをした。いよいよカヌーをこぎだそうとすると、わたしたちは、島から四分の一マイルも下にながされてきていたうえに、もうすっかり夜が明けていた。そこでわたしは、ジムをカヌーのなかにねかせて、さしこのかけぶとんをすっぽりとかぶせた。ジムがおきていたら、ずいぶんとおくからでも、黒人だとわかるからだ。わたしは、イリノイがわの岸にこぎよせようとしたのだが、やっとこぎよせたときには、ほとんど半マイルも川下におしながされていた。それからわたしは、岸の下のよどみをそっとこぎのぼったのだが、なにごともおこらなかったし、人にもであわなかった。わたしたちは、ぶじにほらあなへかえりついた。
        10 ジム、がらがらへびにかまれる
 朝めしのあと、わたしは、さっきの死人のことを話しあって、どうしてころされたのか、たしかめようとしたが、ジムはいやがった。そんな話をしたら、なにかわるいことがおこるというのだ。そのうえ幽霊になってでてきて、わたしたちをなやますかもしれない。ほうむってもらわない人は、うめてもらって、やすらかな気持ちになっている人よりも、幽霊になって歩きまわりたがるものだ、とジムはいうのだ。それは、いかにももっともらしくきこえたので、わたしは、そのうえ死人のことを口にしなかった。だが、わたしは、どうしても、死人のことを考えずにはいられなかった。だれがあの男をうちころしたのか、そしてなんのためにうちころしたのか知りたかったのだ。
 わたしたちは、とってきた服を、あれこれとかきまわして見てるうちに、毛布でつくった古外《ふるがい》とうのうらに銀貨で八ドルぬいこまれているのを見つけた。ジムは、あの家の人たちは、この外とうをぬすんできたのにちがいないといった。金をここにぬいこんであるのを知っていたなら、外とうをおきっぱなしにしていくはずがないというのだ。わたしは、あの家の人たちが、あの男をころしたにちがいないといったが、ジムは、そんな話をするのはよせといった。そこで、わたしはいった。
「おまえは、あの死人の話をすると、不幸がくると思ってるけどさ、でも、さきおととい、山の背の頂上で、おれがへびのぬけがらを見つけて、持ってったとき、おまえ、なんていったい。手でへびのぬけがらをさわるくらい、おそろしい不幸をまねくことはないといったじゃないか。ところが、こんなのが、おまえのいう不幸かい。おれたちはこんなにいろんなものをかきあつめてきたうえ、八ドルももうけだしゃないか。こんな不幸なら、おれ、まい日あってもいいぜ、ジム。」
「なんだって、ぼっちゃん、なんだって。あんまりよろこびなさるでねえ。そのうちに、くるだよ。おらあのいったこと、おぼえてなさるがいい、いまにくるだ。」
 不幸は、ほんとうにやってきた。この話をしたのは、火曜日だった。ところで、金曜日のひるめしのあと、わたしたちは、山の背のてっぺんにねころんで、タバコをとりだした。わたしは、もうすこしタバコをとってこようと思って、ほらあなへいくと、そこにがらがらへびがいた。わたしは、それをころしてしまってから、いかにも生きているようにとぐろをまかせて、ジムの毛布のすそのほうにおいた。ジムがこいつを見つけたときは、さぞおもしろいだろうと思ったからだ。ところが、夜になると、わたしはへびのことをすっかりわすれてしまっていた。わたしがあかりをつけていると、ジムは、その毛布の上にどんとねころんだ。するとそこに、ころされたへびのおかみさんだが亭主だかがきていて、ジムをかんだのだ。
 ジムは、わめき声をあげて、とびあがった。どくへびがとぐろをまいて、いまにも第二の攻撃にうつろうとしているのが、あかりでまっさきに見えた。その瞬間、わたしはぼうでへびをたたきのめした。ジムは、おやじのウイスキーのびんをつかんで、がぶがぶとのみはじめた。
 ジムは、はだしだったので、かかとのまんなかをへびにかまれたのだ。みんな、わたしのばかからおこったことだ。死んだへびをなけておくと、どこへでも、かならず死んだへびのつれあいがやってきて、そのまわりにとぐろをまいているものだということを、わたしはわすれていたのだ。ジムは、へびの首をちょんぎって、とおくへなげてくれといった。それから、へびの皮をむいて、その身を一きれやいてくれといった。わたしがいわれたとおりにしてやると、ジムは、それを食って、これは、へびのどくをけすのに役にたつのだといった。ジムは、また、がらがら鳴るへびのしっぽをわたしにきりとらせて、それを手首にまきつけさせた。ジムは、それも役にたつのだといった。わたしは、こっそりとほらあなからぬけだして、へびをずっととおくのやぶのなかになげてやった。なろうことなら、それがみんなわたしのばかさからおこったことだということを、ジムに知らせたくなかったのだ。
 ジムは、ぐいぐいウイスキーをあおったので、ときどき、頭がへんになって、あばれまわったり、わめきたてたりした。だが、正気にかえるたびに、ウイスキーをのんだ。足は、大きくふくれあがり、すねもおなじようにふくれてきた。だが、そのうちに、ウイスキーのききめがあらわれてきたので、このぶんなら、ジムはだいじょうぶだ、とわたしは思った。しかし、わたしなら、おやじのウイスキーにやられるよりは、へびにかまれたほうがましだ、と思った。
 ジムは、四日四晩《よっかよばん》ねていた。すると、すっかりはれ[#「はれ」に傍点]がひいて、またもとどおりげんきになった。わたしは、もう二度とへびのぬけがらに手をふれまいとこころをきめた。その結果がどんなにおそろしいか、もうわかったからだ。ジムは、こんどはあんたも、おれのいうことを信用すると思うだ、といった。そして、へびのぬけがらをいじくると、とほうもなくおそろしい不幸をまねくのだから、おれたちには、へびのぬけがらのたたりがまだつづくかもしれない、といった。へびのぬけがらを手にとるぐらいなら、新月を左のかたごしに千べんでも見るともいった。そういわれると、わたしもそんな気がしてきた。それまで、わたしは、新月を左のかたごしに見るなんてことは、まったく不注意きわまる、ばかげきったことで、けっしてしてはならないことだと考えていたのだった。なんでも、ハンク=バンカーじいさんは、新月を左のかたごしに見たことがあるといって、じまんしていたということだ。ところが、それから二年とたたないうちに、よっぱらって、玉つくりの高い塔からおっこちて、じいさんは、せんべいのようにぺしゃんこにつぶれてしまった。それで、棺おけにおさめるかわりに、二まいの戸板にはさんでほうむったということだ。だが、わたしは、それを自分の目で見たわけではない。おやじからそうきいたのだ。とにかく、それは、ばかもののように、左のかたごしに新月を見たためにおこったことなのだ。
 さて、いく日がたつうちに、水はひいて、川はまた岸と岸とのあいだをながれるようになった。そこで、まずわたしたちがかかったことは、あの大きなつり針に、皮をむいたうさぎのえさをつけて、それをしかけ、人間のように大きななまずをとったことだ。長さが六フィート二インチで、おもさは二百ポンド以上もあった。もちろん、わたしたちには、それをとっておさえることはできなかった。いや、なまずイリノイがわの岸へはねとばされたかもしれないくらいだ。わたしたちは、そこにすわったまま、なまずが、あばれまわって、死ぬまで待っていた。なまずの胃からは、しんちゅうのボタンやまるい玉や、いろいろながらくたがでてきた。その玉を、おのでわってみると、なかには糸巻きがはいっていた。ジムは、こんなに皮がかぶさって、玉になっているのだから、この糸巻きは、ずいぶん長いあいだ、なまずのはらにはいっていたのだといった。わたしは、これまでミシシッピ川で、こんなに大きななまずがとれたことはあるまいと思った。ジムも、これより大きななまずを見たことがない、といった。川むこうの村へ持っていけば、たいへんな金になることだろう。村の市場では、こういう大きなさかなは、一ポンドいくらできり売りするのだ、みんなが、すこしずつ買っていく、なまずの肉は、雪のように白くて、フライにするとうまいのだ。
 つぎの日、わたしは、たいくつで、おもしろくなくなったので、ジムになにかぱっとめさきのかわったことをしたいものだといった。そっと川をわたっていって、むこうのようすをさぐってこようかといってみた。その思いつきは、ジムの気に入ったが、ジムは、暗くなってから、よく気をつけていかなければだめだ、といった。それから、ジムは、いろいろと考えていたが、あんたあの古服をきて、女の子にばけられないかといった。それも、いい思いつきだ。そこで、キャラコのガウンのすそを、みじかくつめ、わたしは、ズボンのすそをひざまでめくりあげて、それをきた。ジムは、そのうしろをぐっとつまみあげて、ホックでとめてくれたので、ガウンは、かっこうよくわたしのからだにあった。わたしは、つばの広い女の子の夏帽子をかぶって、あごの下でひもをむすんだので、だれかわたしの顔をのぞいてみようとしたところで、えんとつのつぎめから下をのぞくようにまっ暗だった。ジムは、ひるまでも、あんただということがだれにもわかるまいといった。わたしは、一日じゅう女の服をきるこつをおぼえる練習をしたので、しまいに、なかなかじょうずにきこなせるようになった。しかし、ジムは歩きかたが、女の子らしくないといった。それから、ズボンのポケットに手を入れるために、ガウンをたくしあげるのをやめなければだめだ、といった。わたしは気をつけたので、いっそううまくきこなせるようになった。
 暗くなるとすぐ、わたしは、カヌーにのって、イリノイがわの岸にそってこぎのぼった。
 わたしは、渡し船の船着場のすこし下から、町にむかって川をよこぎりだした。そして、ながれにおしながされて、町の下はずれについた。わたしは、カヌーをつないでから、川岸にそって歩きだした。長いあいだあき家になっていたほったて小屋に、あかりがついていた。わたしは、だれがすみついたのだろう、とふしぎに思った。だから、こっそりとしのびよっていって、窓からのぞいてみた。四十歳ぐらいの女がひとり、松板《まついた》のテーブルにろうそくを立てて、そのそばで、あみものをしていた。見おぼえのない顔だ。よそものなのだ。わたしの知らない顔が、この町にある気づかいがないのだ。見も知らない女にあうなんてもっけのさいわいだった。みんながわたしの声をおぼえていて、見やぶられるかもしれないので、わたしは、ここまでやってはきたものの、心配になり、へこたれかけていたからだ。もしこの女が、このちいさな町に二日もいるのなら、わたしが知りたいことを、みんなおしえてくれるかもしれないのだ。そこで、わたしは、戸をたたいた。だが、自分が女の子だということをわすれまいと決心《けっしん》した。
        11 ハック、女の子になる
「おはいり」と、女がいったので、わたしは、なかにはいった。「おかけ。」
 わたしは、いすにこしをおろした。女は、つやのあるちいさな目で、わたしを見まもって、いった。 「おまえさんの名まえは、なんていうの。」
「サラ=ウィリアムズといいますの。」
「どこにすんでいるの。この近くかい。」
「いいえ。ホーカービルですの、七マイル下の。ずっと歩いてきたんで、あたし、すっかりくたびれてしまいましたわ。」
「それじゃ、おなかもすいているだろう。なにかあげようね。」
「いいえ、おかみさん、おなかは、すいてませんわ。とてもぺこぺこになりましたから、二マイル川下のお百姓さんで、ごちそうになってきたんですもの。もう、すいてませんわ。だから、こんなに、おそくなったんですの。おかあさんが病気でねているのですけど、お金もなにもないでしょう。それであたし、アブナー=モーアおじさんに知らせにきたんです。おかあさんの話だと、おじさんは、この町の上のほうにすんでるってことですの。おかみさんは、おじさんのことを知りません?」
「知らないよ、まだ、だれも知らないんだよ。ここにきてから、二週間にもならないんだからね。町の上のはずれまでは、まだまだとおいよ。今晩は、ここにとまっていったほうがいいよ。さあ、帽子をおとり。」
「いいえ。すこしやすませていただいたら、あたし、でかけようと思いますわ。暗くてもこわくありませんもの。」
 女は、あんたをひとりではやれないが、そのうち、一時間半もしたら、夫がかえってくるから、おくらせてあげようといった。それから、彼女は、夫のことや、川上の親類のことや川下の親類のことを話しはじめた。むかしは、もっといいくらしをしていたということも話した。だから、そのままそっとしていればいいのに、この町にきて、大しくじりをしたということも話した――そして、それからそれへと話しつづけるので、しまいに、わたしは、町のようすをさぐろうとして、こんな家にはいりこんで、とんでもないしくじりをしたと思った。
 だが、そのうちに、彼女の話は、おやじや殺人事件のことにおちていったので、わたしは、すっかりよろこんで、彼女のおしゃべりをつづけさせた。彼女は、わたしとトム=ソーヤーが一万二千ドル(ただし、彼女は、それを二万ドルにふやした)見つけたことや、おやじのことを、なにもかものこらずしゃべりたてた。そして、おやじがどんなにやくざものであったか、そして、またハックもどんなにやくざものであったかということを話してから、いよいよ話は、わたしがころされるところまですすんできた。わたしはいった。
「だれがころしたのかしら? その人ごろしの話は、ホーカービルでもずいぶんききましたけど、だれがハックをころしたのか、まだわかっていませんの。」
「そうだろうとも。だれがハックをころしたか知りたがっている人は、世間にはずいぶんあるんだよ。おとっつぁんのワインが、ハックをころしたんだっていってる人もいるよ。」
「まさか――そうかしら?」
「たいていの人は、最初は、そう考えたんだよ。あの人は知るまいが、もうすこしで、私刑《リンチ》になるところだったよ。でも夜にならないうちに、みんなの考えがかわって、ジムというにげた黒人どれいがころしたことになったのさ。」
「どうして彼が――」
 わたしは、口をつぐんだ。だまっていたほうがいいと思ったのだ。彼女は、わたしが口をさんだことなど、まったく気がつかないで、話しつづけた。
「その黒人はね、ハック=フィンがころされたその晩に、いなくなったんだよ。だから、その黒人に、賞金がかかっているのさ――三百ドルだよ。それから、おとっつぁんのフィンにも賞金がかかっていてね――これは、二百ドル。あのおとっつぁんはね、人ごろしのあったつぎの朝、町にきて、その話をして、それからみんなといっしょに渡し船にのってさ、死体をさがしにいったんだけど、それがすむとすぐ、さっさとどこかへいってしまったのさ。みんなは、夜にならないうちに、その人を私刑にかけようとしてたんだけどね、ところが、つぎの日、その黒人が、いなくなってたのがわかったんだよ。人ごろしのあった晩の十時から見えなくなったんだってさ。それでね、みんなは人ごろしを、その黒人におしつけたんだよ。そして、そんなさわぎでごったがえしているところに、つぎの日、ハックのおとっつぁんがかえってきてさ、判事のサッチャーさんとこへいって、わあわあなきさわいで、イリノイじゅうその黒人をさがすから、お金をくれっていったんだって。判事さんがいくらかやると、その晩よっぱらって、とても人相のよくないふたりのよそものと、夜中すぎまでうろつきまわっていたけど、そいつらとどこかへいってしまったんだよ。そしてね、それっきりかえってこないもんだから、みんなはこのさわぎのほとぼりがすこしさめるまではきっとかえってこないだろうと思っているのさ。どうしてかっていうと、みんなはあの男が自分でむすこをころしておきながら、強盗がころしたようにしくみ、訴訟で長いあいだいざこざしないで、ハックのお金を手に入れようとしているんだ、と思ってるからだよ。あの男なら、そんなこともしかねないって、だれでもいってるよ。ほんとにずるい人だよ。一年間かえってこなきゃ、なにもかもうまくいくんだからね。だれも、しょうこをあげられないんだもの、一年たてば、なにもかもおさまるんだからね。そして、あの人は、やすやすとハックのお金をもらえることになるんだものね。」
「ええ、あたしも、そう思いますわ、おかみさん、そういうやりかたなら、うまくいきそうですもの。そいで、その黒人がころしたと思ってる人は、ひとりもいなくなりましたの。」
「どうして、どうして、そんなわけにはいかないよ。黒人がころしたと思っている人は、ずいぶんおおぜいいるよ。そのうちにそいつをつかまえて、おどかして、いやでもおうでもどろをはかせることになるかもしれないよ。」
「そいじや、まだ黒人をさがしているんですの。」
「おやおや、あんたは、ほんとに罪がないわね。だれにでもひろえる、三百ドルという大金が、年じゅうごろごろころかっているものかい。人によっちゃ、そいつは、まだそうとおくまでいっていないと思っているんだよ。わたしも、そのひとりさ――でも、わたしは、そうはいいふらしはしないよ。二、三日まえだがね、このとなりべやにすんでいる年より夫婦と話してたら、あの人たちが、ひょいというじゃないか。ほら、むこうのジャクソン島という島には、まだだれもいってみないようだって。そいでね、わたしは、あの島にだれもすんでいないのかときいたんだよ。すると、そう、だれもすんでいないっていうんだよ。わたしは、もうなにもいわなかったけど、ちょっと考えたんだよ。一日二日まえのことだけど、島のとっぱなのあたりから、けむりがたちのぼっているのが、たしかに見えたような気がしたんだよ。
 だから、わたし、きっと黒人があの島にかくれているのだ、と思ったのさ。ともかく、さがしてみるねうちはあると思ったのだよ。それから、一度もけむりは見えないから、あれがその黒人なら、もういってしまったのかもしれないけどさ、でも、うちの人が、これから見にいくところなんだよ――なかまとふたりでね。うちの人は、川上にいってたんだけど、きょうかえってきたんで、かえってくるとすぐ、わたしはその話をしてやったんだよ。二時間ばかりまえにさ。」
 わたしは、心配で、じっとしていられなくなった。なにか手でいじりまわさないではいられなかった。だから、わたしは、テーブルの上から針をとって、糸を通そうとした。手がふるえて、うまく通せなかった。女がおしゃべりをやめたので、顔をあげると、彼女は、いかにもおかしそうに、すこしわらいをふくんで、わたしを見ていた。わたしは、針と糸をおいて、彼女の話がおもしろかったようなふりをした――ほんとうにおもしろかったのだが――わたしはいった。
「三百ドルとは、大金ですわね、おかみさんがもらえたらいいのに。だんなさんは、今晩島にいくんですの。」
「ああ、そうだよ。さっきいったなかまとね。ボートをかりたり、鉄砲がもう一ちょうかりられるかどうか、さがしに、川上にいっているんだよ。夜中すぎには、あの島へいくにちがいないよ。」
「夜が明けるまで待っていたら、なおよくさがせるんじゃありません。」
「とんでもない。そんなことしたら、あいてのほうからも、よく見えるじゃないかい。夜中すぎなら、たいてい黒人もねているだろうしさ。こっそり森のなかを歩きまわっているうちに、暗いから、なおよくたき火が見つかるんじゃないのかい。そいつが、たき火をしているとすりゃね。」
「あたし、そうとは気がつかなかったんですの。」
 女は、いかにもおかしそうにわたしを見まもっているので、わたしは、なんとなくいごこちがわるくなった。じきに、彼女がいった。
「おまえさんの名は、なんていったっけね。」
「メ、メアリー=ウィリアムズですわ。」
 なんだか、まえにはメアリーといわなかったような気がした。わたしは顔をあげられなかった――サラといったような気がするのだ。わたしは、うごきがとれなくなった。そして、それが顔にでていないだろうかと気になった。女がなにかいってくれたらなあと思った。彼女がだまっていればいるほど、わたしは、おちつけなくなってきた。ちょうどそのとき、女がいった。
「おまえさん、はじめにはいってきたとき、サラといわなかったかい。」
「ええ、そうですわ、おかみさん、あたし、そういいましたわ。サラ=メアリー=ウィリアムズといいますの。サラというのは、あたしの洗礼名なんですの。サラとよぶ人もありますし、メアリーという人もありますわ。」
「おや、そういうわけだったのかい。」
「そうですわ、おかみさん。」
 それで、わたしは、すこし気がらくになったが、とにかく、ここからはやくでたいと思った。わたしは、まだ顔もあげられないのだ。
 ところで、彼女は、またおしゃべりをはじめた。世のなかがどんなに不景気だとか、どんなにびんぼうしてくらしているとか、ここでは、ねずみがまるで自分の家ででもあるかのように、気ままかってにあばれまわっているとか、そのようなことを話しつづけたので、わたしもまた気がかるくなった。ねずみは、彼女のいうとおりだった。へやのすみのあなから、ひっきりなしに、ちょろ、ちょろっとはなをつきだすのだ。ひとりのときは、なにかねずみにぶっつけるものを手近においとかないと、やすまるひまもない、と彼女はいった。鉛のぼうをねじってむすんでまるめたものを見せて、いつもはうまくぶっつけられるのだが、二日まえにうでをくじいてしまっているから、きょうは、ねらったとおりぶっつけられるかどうかわからない、といった。だが、彼女は、機会をねらって、いきなりそれをねずみにたたきつけた。だが、それは、ひどくねらいがはずれたばかりか、「あ、いたっ!」と、彼女がいった。ひどくうでにひびいたのだ。それから、こんどはあんたがやってごらんなさい、とわたしにいった。わたしは、ここのおやじさんがかえってこないうちにでていきたいと思っていたが、もちろん、そんなそぶりは見せなかった。わたしは、鉛のかたまりをとって、まっさきにはなをだしたねずみめがけてたたきつけた。ねずみがそこにじっとしていたら、こっぴどくやられたにちがいなかった。女はとてもうまい、このつぎはしとめられると思う、といった。彼女は、立っていって、鉛のかたまりをひろってきてくれたが、それといっしょに、糸を一たば持ってきた。わたしにまくのをてつだわせようというのだ。わたしが両手をあげると、彼女は、糸のたばをわたしの手にかけた。それから、彼女自身のことや夫のことを話しだした。だが、彼女は、きゅうにその話をやめて、いった。
「ねずみから目をはなすんじゃないよ、鉛は、ひざの上においたほうがいいんだよ。すぐとれるようにね。」
 そういったかと思うと、彼女は、鉛のかたまりをわたしのひざにおとしたので、わたしは、両ひざをあわせて、その上に鉛のかたまりをうけとめた。彼女は、おしゃべりをつづけていた。だが、一分ぐらいで口をつぐんでしまった。それから、糸をはずし、わたしをまっこうから見つめて、いかにもおもしろそうに、いった。
「さあ、おまえさんの名、ほんとは、なんていうんだい。」
「な、なんですって、おかみさん。」
「ほんとうの名は、なんていうのだい。ビルかい、トムかい、ボブかい――でなきゃ、なんていうのさ。」
 わたしは、木の葉のようにふるえていたにちがいなかった。どうしたらいいのか、まるでわからなくなってしまったのだ。だが、わたしは、いった。
「どうぞ、あたしみたいなかわいそうな女の子をからかわないでください、おかみさん。あたしがここにいておじゃまになるんなら、あたし――」
「なあに、じゃまでもなんでもないよ。そこにすわっておいで。わたしはね、あんたをひどいめにあわせようとも、密告しようとも思っちゃいないんだからさ。あんたのひみつを、正直にお話し。わたしを信用してさ。わたしは、ひみつをまもってあげるばかりか、あんたをたすけてもあげるよ。あんたがたすけてほしいなら、うちの人だってたすけてくれるわよ。あんたは、にげてきた奉公人だっていうだけじゃないの。そんなこと、なんでもありゃしないわ。ちっともわるいことじゃないわ。おまえさんは、ひどいあつかいをうけたんで、にげる決心をしたんだね。ほんとに、密告なんかしやしないよ。さあ、すっかりお話し、いい子だからね。」
 そこで、わたしは、これいじょう女の子のふりをしていても、もう役にもたたないのだから、すっかり白状して、なにもかも話すから、あなたも約束を反古にしないでくれとたのんだ。それから、わたしは、こんな話をした――おやじもおふくろも死んでしまったので、わたしは、法律の年季契約で、この川から三十マイルもおくにひっこんだいなかの、いやしい老農夫のところに奉公にやられたのだが、その老農夫が、とてもひどくするので、わたしは、このうえしんぼうしきれなくなったのだ。ところが、老農夫が二日家をあけたので、わたしは、このときとばかり、娘の古い服をぬすんで、にげだし、三晩でここまで三十マイルやってきたのだ。わたしは、夜だけ歩いて、ひるまは、かくれてねむってきた。そのうえ、家からパンと肉のはいったふくろを持ちだしてきたので、それでここまでもちこたえられた、と、そんな話をした。それから、わたしは、アブナー=モーアおじさんは、きっとわたしをみてくれると思うから、このゴーシェンの町をめざしてやってきたのだといった。
「ゴーシェンだって、おまえさん? ここはゴーシェンじゃないよ。ここは、セント=ピータースバークだよ。ゴーシェンなら、ここから十マイルも川上だよ、ここがゴーシェンだなんて、だれがおまえさんにおしえたんだい。」
「だれって、けさ夜明けにあった男です。いつものようにねむるため、森んなかにはいろうとしていると、ちょうどそのときであったんです。道が二つにわかれたら、右のほうにいくがいい、そうすれば、五マイルでゴーシェンにつくっておしえてくれたんです。」
「よっぱらっていたんだね、その人は。おまえさんは、まるっきりうそをきかされたんだよ。」
「そういえば、よっぱらってるようなかっこうをしてだけれど、でも、そんなこと、もうどうだってかまいません。ぼく、夜明けまえに、ゴーシェンにつきたいんです。」
「ちょっとお待ち、おべんとうをこしらえてあげるから。持っていったほうがいいよ。」
 彼女は、わたしにべんとうをこしらえてくれてから、いった。
「いいかい、牛がねているとき、まえとうしろと、どちらからさきに立ちあがるんだい。さあ、はやくこたえるんだよ――だまって考えてないでさ。どっちの足から立ちあがる。」
「うしろ足からです、おかみさん。」
「そう、そいじゃ、馬は。」
「まえ足からです。おかみさん。」
「こけは、木のどっちがわにはえるかい。」
「北がわです。」
「もし十五頭の牛が、山のはらで草を食っていたとしたら、そのうちなん頭が、おなじほうに頭をむけて食っている。」
「十五頭ぜんぶです、おかみさん。」
「そのとおりだよ、おまえさんは、いなかでくらしていたにちがいないよ。わたしはね、おまえさんが、またわたしをだまそうとしているんじゃないかと思ったのだよ。さあ、おまえさんのほんとうの名は、なんていうの。」
「ジョージ=ピーターズてんです。おかみさん。」
「そうかい、わすれるんじゃないよ、ジョージ。ここをたつまえにわすれてしまって、エレグザンダーだなんていって、それで、しっぽをつかまれると、じつは、ジョージ=エレグザンダーというんです、なんていいぬけをするようじゃだめだよ。そんな古ぼけたキャラコのきものなんかきて、女の人のそばへ近よるんじゃないよ。女の子のふりなんかしたって、まるで、なってないんだからね。でも、あいてが男ならだませるかもしれないがね。それに、おまえ、針に糸を通すときにだってさ。糸をじっと持っていて、そっちへ針を持っていくもんじゃないよ。針をじっと持っていて、それに糸を通すようにするもんだよ。女なら、たいていそうするんだが、男は、いつもぎゃくなことをするものさ。それから、ねずみかなにかにものをぶっつけるときは、つま立ちになって、ぐっとのびあがって、手を頭の上から、いかにも不器用に持っていって、ねずみから六、七フィートもけんとうちがいのところにぶつけるもんだよ。かたを使って、うでをぎこちなくつっぱらかして、ほうるもんだよ、女の子らしくね。男の子のように、うでをよこに持っていって、手首とひじでなげるんじゃないよ。それから、いいかい、女の子なら、ひざの上でなにかをうけようとするときには、ひざをひらくものさ、おまえさんが鉛のかたまりをうけたときのように、ひざをくっつけはしないよ。いいかね。わたしは、おまえさんが、針に糸を通そうとしたとき、男の子だってことをかぎつけたんだよ。そして、それをたしかめるために、いろんなことをやらせてみたのさ。さあ、おまえさんのおじさんとこに、いそいでおいき、サラ=メアリー=ウィリアムズ=ジョージ=エレグザンダー=ピーターズさん。もし、こまったことがおこったら、ユーディス=ロフタス夫人にそういっておよこし、それがわたしだからね。できるだけのことをして、たすけてあげるよ。ずっと川づたいの道をいくんだよ。こんど歩いて旅行するときは、くつとくつしたを持っていくんだね、川づたいの道は、岩だらけだから。ゴーシェンについたら、足はひどいことになっているかもしれないよ。」
 わたしは、川岸を五十ヤードばかりのぼっていってから、またその道をぎゃくもどりし、カヌーのあるところに、こっそりかえった。そこは、女の家からかなり川下だった。わたしはカヌーにとびのると、大いそぎでこぎだした。ちょうど島の突端へこぎよせるのにつごうのいいところまでさかのぼって、それから、わたしは、川をよこぎりはじめた。もう顔をかくしているにはおよばなかったから、夏帽子をぬいだ。川のまんなか近くにこぎでたとき、時計が鳴りだすのがきこえたので、わたしは手をやすめて、耳をすました。時計の音は、川づらをわたって、かすかではあるが、はっきりときこえてきた――十一時だ。島につくと、息がきれかかっていたが、わたしは、息をつくひまもなく、すぐに森のなかにはいりこみ、まえに野宿していたところへいった。そして、そこの、小高い、かわいた場所に、あかあかと火をたいた。
 それから、わたしは、カヌーにとびのって、わたしたちの居場所まで一マイル半、死にものぐるいになってカヌーをこいだ。そして、岸にあがると、森のなかを、ぬかるみなどおかまいなしにつきすすんで、山の背にのぼり、ほらあなにとびこんだ。ジムは、ねていた。地べたに、ぐっすりとねこんでいるのだ。わたしは、ジムをたたきおこして、いった。
「おきて、てきぱきうごくんだ、ジム、一分間をあらそうんだ。おっ手がくるぞ。」
 ジムは、なにもたずねなかったし、ひとことも口をきかなかった。だが、それから半時間のはたらきかたで、ジムが、どんなにこわがっていたかがわかった。その半時間のあいだに、わたしたちは、持っているものはなにひとつのこさずいかだにつみこみ、いかだを、かくしておいたやなぎにおおわれた入《い》り江《え》から、いつでもおしだせるように用意をした。わたしたちは、まずほらあなのたき火をけし、それからあとは、ろうそくの火を外にもらさないようにした。
 わたしは、カヌーを岸からすこしこぎだして、あたりをながめてみた。だが、あたりにボートがいたにしても、見えるはずはなかった。おぼろな星あかりで、とても見わけがつかなかったからだ。そこで、わたしたちは、いかだをおしだして、そっと、木かげをぬって川をくだり、息をころして、島じりを通りすぎた――ひとことも、ものをいわずに。
         12 逃亡《とうぼう》――難破船《なんぱせん》
 もう午前一時近くにちがいなかった。わたしたちは、ようやく島のではずれまで川をくだったが、いかだのすすみかたは、ひどく、のろいように思われた。もし、ボートがやってきたら、わたしたちは、カヌーにのって、イリノイの岸ににげることにしていた。だが、さいわい、ボートがおいかけてこなかったので、大だすかりだった。なぜかというと、わたしたちは、鉄砲と、つり糸と、食べものとをカヌーに入れておかなければいけないということを、まったくわすれていたからである。ひどくあわてていたので、そこまで考えがまわらなかったのだ。なにもかもいかだにのせておくというのは、いい考えではなかった。
 もしあの男が島へいったら、きっとわたしがたいた野宿のたき火を見つけて、そこで一晩じゅうジムがもどってくるのを見はっているだろう、とわたしは思った。とにかく、彼らは、わたしたちの近くにはあらわれなかった。わたしのたいておいたたき火が、彼らをだませなかったとしても、それは、わたしのせいではないのだ。わたしは彼らに、いちばんやすっぽいてをもちいたのだ。
 夜が白みはじめるとすぐ、わたしたちは、イリノイがわへ大きくまがりこんでいるところにある砂州にいかだをつないだ。それから、おので、はこやなぎの枝をきって、それをいかだの上にかぶせた。すると、そこだけ川岸《かわぎし》にがけくずれができているように見えた。このへんで砂州というのは、ながれてきた砂がたまって、その上に、はこやなぎがまぐわ[#「まぐわ」に傍点]の歯のように密生した場所のことだ。
 ミズーリ州がわの岸には、山があり、イリノイ州がわの岸は、ふかい大森林になっていた。そして、そのへんでは、水路がミズーリ州がわの岸にそってながれているので、わたしたちは、一日じゅうそこにかくれていて、ミズーリ州がわの岸ぞいにくだっていくいかだだの蒸気船や大河のながれにさからって、中流をさかのぼっていく、のぼり蒸気船をながめてくらした。わたしは、あの女とおしゃべりをしたときのことを、みんなジムに話した。すると、ジムは、ぬけめのねえ女だ、その女が自分でおっかけてきたら、じっとして、野宿のたき火など見はってねえだよ――きっと、犬をつれてくるにきまっているだから、といった。そこで、わたしは、どうして、その女はおやじさんに犬をつれていくようにいわなかったのだろうといいかえした。すると、ジムは、きっとその女は、男どもがでかけるまぎわになって、犬のことを考えついたのだ。それで、彼らは犬をかりに町の上のほうまで、いかなければならなかったので、時間が、うんとおくれちまったのにちがいない。そうでなかったら、おれたちは、村から十六、七マイルも川下の、この砂州にきていられなかったろう――そうだ、まちがいなく、おれたちはまたもとの町につれもどされていたにちがいない、といった。そこでわたしは、彼らがおいつかないかぎり、おいつかない理由など、どうだってかまわないんだといった。
 暗くなりだしたとき、わたしたちは、はこやなぎのしげみから頭をつきだして、川上や川下や、それから、川むこうを見わたしたが、なにも見えなかった。そこで、ジムはいかだの上がわの板をなんまいかぬきとって、いごこちのいい小屋をいかだの上につくった。やけつくようにあつい日や雨の日に、はいっているためだ。しかも持ちものをぬらさないですむからだ。ジムは、その小屋に、いかだの表面より一フィートあまり高い床をつくった。だから、もう蒸気船の波がおしよせてきても、毛布にも波がかからなくなった。またわたしたちは、小屋のまんなかに五、六インチ土をもって、それがくずれないように、そのまわりをわくでかこった。じめじめする日や、さむい日に、たき火をするためだ。小屋のなかなので、たき火をしても、外からは見えるはずがないのだ。また、かじをとるかい[#「かい」に傍点]も一本、予備にこしらえた。一本ぐらい、川のなかのたおれ木などにひっかかって、おれるかもしれないからだ。古カンテラをぶらさげておく、みじかいまた木も立てた。蒸気船がくだってきたら、いつでもそれにあかりをつけて、いかだにのりかけられないようにするためだ。だが、のぼりの蒸気船には、〈川のおちあい〉でいきちがったときでなければ、あかりをつけなくてもよかった。川水がまだまだ高くて、ごくひくい川岸は、いまでも水につかっているので、のぼりの船は、いつも水路を通るとはきまっていないで、ながれのゆるいところをさがして、のぼっていくからである。
 この二日めの夜、わたしたちは、一時間四マイル以上のはやさのながれにのって、七、八時間くだった。わたしたちはさかなをとったり、話をしたり、またときどきおよいでは、ねむけをさましたりした。あおむけにねて星を見あげながら、しずかに大きな川をくだっていくのは、なんとなく気のひきしまるものだった。わたしたちは、大きな声で話しあう気には、どうしても、なれなかったし、めったに、大声でわらいもしなかった。わらうにしても、ほんの小声で、くすくすとわらうだけだった。だいたいからいうと、お天気もようはとてもよかったし、これという事故は一度もおこらなかった――その晩も、つぎの晩も、そのつぎの晩も。
 まい晩、わたしたちは、どこかの町を通りすぎたが、まっ暗な山腹にある町などは、まるで光の花園のように、きらきらとひかって見えた。家など、一けんも見えないのだ。五日めの夜、セント=ルイスの町を通ったが、明るいことといったら、全世界がぱっとかがやいているように見えた。セント=ピータースバークでの話だと、セント=ルイスには、二万から三万の人がすんでいるということだったが、わたしは、そのしずかな晩、午前二時だというのに、すばらしい光の海がひろがっているのを見るまでは、人びとの話を信じたことはなかった。町からは、もの音ひとつきこえず、みんなねしずまっていた。
 わたしは、そののち、まい晩十時ごろになると、そっとちいさい村にあがって、ひきわりとうもろこしか、ベーコンか、なにか食べものを、十セントから十五セントぐらい買うようにした。ときには、ちゃんとねぐらについていないにわとりのひなをくすねて、持ってかえることもあった。おやじはいつも、機会があったら、ひなをとっておくがいい、自分でいらなくても、ほしい人がいくらでもいる。善行はわすれられることなしだからな、といっていた。わたしは、おやじが自分でひなをほしがらないときなど、一度も見たことがなかったが、とにかく、おやじは、よくそういっていたものだ。
 朝、夜明けまえに、わたしは、とうもろこし畑にしのびこんで、すいかだとか、まくわうりだとか、かぼちゃだとか、実のいらないとうもろこしだとかいうようなものを、はいしゃくしてきた。おやじは、いつでも、いつかその代金をはらう気さえあれば、はいしゃくしてきてもかまわないといっていた。だが、後家さんは、はいしゃくするということは、ぬすむということのおだやかないいかたにすぎない。りっぱな人なら、そんなことはしないもんだといっていた。ジムは、後家さんもなかばただしく、おやじもなかばただしいと思うといった。だから、われわれのとるべき最良の方法は、たくさんの品物のなかから、二、三のものをえらびだして、その品じなはもう借用しないと宣言することである――そうすれば、そのほかの品物を借用することは、いっこうさしつかえないというのが、ジムの考えだった。そこで、わたしたちは川をくだりながら、一晩じゅう話しあって、すいかをやめるか、カンタロープ(メロンの一種)をやめるか、まくわうりをやめるか、それともなにかもっとほかのものをやめにするか、ちゃんときめておこうとした。そして、夜明け近くになってからやっと、話がまとまった。山りんごと柿をやめることにしたのだ。そうきめるまで、わたしたちは、気持ちがおちつかなかったが、しかし、そうきまると、すっかり気持ちがらくになった。そして、そうきまったことが、わたしには、うれしかった。山りんごはうまくないし、柿がじゅくするには、まだ二、三か月もまがあったからである。
 わたしたちは、朝、ばかっぱやくおきだしてきた水鳥や、夕がたいつまでもねぐらにかえっていかない水鳥を、ときどきうちおとした。だから、ぜんたいからみると、わたしたちは、なかなかぜいたくなくらしをしていたのである。
 セント=ルイスをすぎてから五日めの夜中すぎに、わたしたちは、大あらしにあった。かみなりが鳴り、いなずまがひかり、見えるかぎり、しのつく雨だった。わたしたちは、小屋のなかにはいって、いかだをながれにまかせた。いなびかりがさっとひかると、まえをまっすぐながれていく大川と、両岸の高い岩だらけのがけが、かっとてらしだされた。そのうちに、わたしがいった。「おーい、ジム、むこうを見ろ!」岩の上にのりかけて、蒸気船が難破しているのだ。そして、わたしたちは、それにむかって、まっすぐにながれていくのだ。いなびかりで、その蒸気船が、はっきり見えた。その船は、いっぽうへかたむいて、上甲板の一部を水面からのぞかせている。いなずまがひかるたびにえんとつをひっぱっているほそいくさりの一本一本から、大きなベルのそばにあるいすや、そのいすの背にぶらさがっている、つばのたれさがった古帽子などまで、手にとるように見えるのだった。
 さて、それは、夜ふけのことであり、あらしのなかのことでもあり、すべてが、ひどく神秘的な感じだったので、わたしは、難破船がたいそうものがなしげに、またさびしそうに、川のまんなかによこたわっているのを見ると、少年らしいふしぎな気持ちにとらえられた。そのうちに、わたしはその船にのりこんで、そっと、すこし歩きまわり、どんなものがそこにあるのか見たいと思うようになった。そこで、わたしはいった。
「あの船に、あがってみないかい、ジム。」
 だが、ジムは、最初は、頭から反対した。ジムは、いうのだ。
「おらあ、難破船など、うろうろ見物しにいきたかねえだよ。おれたちは、なに不足なくくらしてるだ。聖書にもかいてあるでねえか、『足《た》れるをもってよしとす』とね。あの難破船には、きっと番人がいるだよ。」
「番人だって! とんでもねえ。番をしてなきゃならないものなんて、上甲板の船室と水さき案内べやのほか、なんにもないじゃないか。あの上甲板の船室と水さき案内べやの番をするために、だれがこんな晩に、いのちがけで、あんなところにいるもんか。それにあの船は、いつなんどきこわれて、おしながされるかもわからないんだぜ。」
 ジムは、それには、なにもいうことがなかったので、だまっていた。
「おまけに」と、わたしはいった。「船長の寝室から、なにかいいものをしっけいしてこられるかもしれないぜ。タバコなら、きっとあるよ――現金で、一本五セントもするやつがさ。蒸気船の船長は、いつだって金持ちなんだ。月に六十ドルもとるんだよ。だから、やつらがほしいとなったら、金に糸めはつけないんだ。さあ、ろうそくを一本、ポケットにつっこんどけ。おれは、どうしたって、あの船のなかをひとさがししてこなきゃあ、気がすまないんだよ、ジム。トム=ソーヤーだったら、これを見のがすと思うかい。どんなことがあったって、見のがしゃしないぜ。そして、こういうのを冒険だっていばるんだ――いばるにきまっているよ。トムならそれがいのちがけのあぶないしごとだって、あの難破船にあがるにちがいないんだ。そのうえ、とても気どってみせたり――えらそうな顔をしたりすることだろうな。きっと、天国を発見したときの、クリストファー=コロンブスよろしくっていうかっこうにちがいないぜ。ああ、トム=ソーヤーがここにいてくれたらなあ。」
 ジムは、ちょっとぶつぶついっていたが、わたしのいうことにしたがった。だが、おれたちは、できるだけ口をきかないようにし、しゃべるときは、ごく小声でしゃべらなければならない、とジムはいった。いなびかりが、ちょうどいいときに、難破船をてらしだしてくれたので、わたしたちは、右舷のデリックのところにいかだをつけて、そこにしっかりとつないだ。
 そこの甲板は、水面から高くでていた。わたしたちは、かたむいた甲板をふんで、暗いなかを、左舷へむかって、上甲板船室のほうへと、そっとおりていった。なにしろまっ暗で、どこになにがあるのかまるでわからなかったので、そっと、足でさぐりながら、両手をひろげて、えんとつをひっぱっているほそいくさりをよけてすすんでいった。じきに天窓の前端につきあたったので、その上によじのぼった。そして一歩ふみだしたら、そこは船長室の戸口のまえだった。そのへやの戸があいていて、おどろいたことに、ずっとむこうの下のほうにあかりがついているのが、上甲板の船室を通して見えた。わたしたちは、はっとした。同時に、むこうのほうからひくい人の声がきこえてくるような気がした。
 ジムは、とても気持ちがわるくなってきたから、むこうへいこう、とわたしにささやいた。わたしもしょうちして、いかだにもどろうとした。だが、ちょうどそのとき、なき声でものをいうのがきこえてきた。
「ああ、おねがいだ、ころさないでくれ。けっして人にはしゃべらないから。」
 べつな声が大声でいった。
「うそだ、ジム=ターナー。まえにもそのて[#「て」に傍点]を使いやがったじゃねえか。きさまときたら、いつもわけまえ以上のものをよこせといっては、それをせしめてきたんだ。よこさなきゃ、ばらすとどくづきやかってな。だが、こんどもそのつもりでぬかしたんだろうが、ざま見やがれ。きさまみたいに、いやしくって、あてにならねえやつは、この国には、ほかにはねえぞ。」
 このとき、ジムは、もう、いかだのほうへ歩きだしていた。わたしは、好奇心をおさえきれなかった。トム=ソーヤーなら、いまさらしりごみはしまいと思った。だから、おれもしりごみなんかするもんか、どんなことがおこっているのか見とどけてやれと思った。そこで、わたしは、四つんばいになって、まっ暗やみのなかを、船尾のほうへはっていった。しまいに、わたしと上甲板船室の横廊下とのあいだには、船室が一つあるだけになった。すると、そこに、手と足をしばられた男がひとり、床の上にころがされていた。そのそばに、男がふたり立っていたが、ひとりはうす暗いカンテラを持ち、もうひとりは、ピストルをにぎって、その男を見おろしているのだ。ピストルをにぎっている男が床にころがされている男の頭に、ピストルをつきつけて、いった。
「おれは、こいつをやっちまいたいんだ。とうぜんやったってかまやしねえんだ――おい、このしみったれスカンクやろうめ!」
 床にころがされている男は、そのたびにちぢみあがって、いった。
「ああ、後生だ、ころさないでくれ。ビル。けっして、人にはしゃべらねえから。」
 その男が、そういうたびごとに、カンテラを持った男がわらっていった。
「たしかに、しゃべらねえだろうさ。きさまときたら、それよりほんとうのことをいったためしがねえんだからな。それだけは、まちがいっこなしだ。」
 それから、もう一度いった。
「こいつのおがみっぷりを見ろよ。おれたちが、こいつをやっつけて、しばってしまわなかったら、こいつは、おれたちふたりをころしていたにちがいねえんだ。それも、なんのためだ? まったく、なんの理由もなく、ただおれたちがおれたちの権利を主張したというだけで――たったそれだけの理由でだ。だが、きさまが、二度と人をおどかせねえことだけは、うけあいだよ、ジム=ターナー。ピストルをしまえよ、ビル。」
「いやだ、ジェーク=パッカード。おれは、こいつをころすほうに賛成なんだ――こいつは、ハットフィールドじじいを、まったくおなじ手ぐちでころしたじゃあねえか――こいつにだって、じゅうぶんころされるねうちがあるんだ。」
「だが、おれは、ころしたくねえのだ。それにはわけがあるんだ。」
「ああ、そういってくれるのはありがてえよ、ジェーク=パッカード。おれは、一生おまえの恩はわすれねえよ」
と、床の上の男が、べそをかきながらいった。
 パッカードは、そのことばに、耳もかさなかった。彼はカンテラをくぎにかけると、わたしのいるまっ暗なほうへやってきながら、ビルを手でまねいた。わたしは、できるだけすばやく二ヤードばかりあとにさがったが、船がひどくかたむいていたので、すばやくにげることはできなかった。だから、ふんづけられて、とっつかまらないように、わたしは上がわの専用室にはいりこんだ。パッカードは、暗やみのなかを手さぐりでやってきたが、わたしがいる専用室のところまでくると、
「ここだ――ここにはいれよ。」
 そういって、パッカードがはいってきた。つづいて、ビルがはいってきた。わたしは、彼らがはいってくるまえに、上のねだなにもぐりこんでいた。そして、すっかりおいつめられてしまったので、こんなところへこなければよかったと思った。ふたりは、そこに立ったまま、ねだなに手をかけながら、話しだした。すがたは見えないのだが、彼らがのんでいるウイスキーのにおいで、ふたりがどこにいるのかわかった。だからわたしは、自分がウイスキーをのんでいなくてよかったと思った。だが、のんでいようがいまいが、たいしたちがいはなかった。いつまでもこんなところにおいつめられたままで、息をせずにはいられないからだ。わたしは、しんそこからこわくなった。それに、息もはずませずに、こんな話をきいていられるものではない。彼らは、ひくい声だが、本気になって話しあっているのだ。ビルは、ターナーをころそうとしているのだ。
「あいつは、ばらすといってたから、きっとばらすよ。おれたちがいま、おれたちのわけまえをあいつにやったところで、どうにもなるものじゃねえ。けんかをして、あんなひどいめにあわせたあとだからさ。まちがいなく、あいつは、おかみの手をおれたちにむけてよこすにきまっている。きっとだよ。おれは、あんなやつは、やっかいばらいするほうに賛成なんだ。」
「おれも、不賛成じゃねえよ。」と、パッカードがおちつきはらって、いった。
「なあんだ、ばかばかしい。おれはまた、おめえは反対なのかと考えていたところなんだ。そうか、そいじゃ、それでいいんだ。いって、やっつけちまおうじゃねえか。」
「ちょっと待て。おれにも、いいたいことがある。いいかい。うつのもいい、だが、どうしてもやってしまわなきゃならないなら、もっとおだやかな方法があるのだ。おれは、こういいたいのだ――もしもだな、自分の身をきけんにさらさねえで、しかも、おなじようにうまく目的をたっする方法が、ほかにあるとしたら、なにも自分の首になわのかかるようなあぶない橋をわたるのはつまらねえ考えだ、そうじゃないか。」
「ちげえねえ、そのとおりだよ。だが、おめえ、こんなときに、どうしようというんだい。」
「うん、おれの考えではな――寝室をあらいざらいさがして、見おとしていた品物をすっかりかきあつめたら、岸にこいでいって、品物をかくすのだ。それから、この難破船がばらばらになってながれていくまで、待っているんだよ。それにはあと二時間とはかかりはしないよ。どうだ? やつは、おぼれて死ぬだけだ。だれのとが[#「とが」に傍点]にもなりはしない。やつをころすより、そのほうが、よっぽどましじゃねえか。おれは、なんとかころさないですむかぎり、人をころすことには不賛成なんだ。人をころすのは、ふんべつのたりねえことだし、いい習慣でもねえよ。そうじゃねえか?」
「うん、おめえのいうとおりだよ。だが、船が、こわれてながされていかなかったら、どうするんだ?」
「それもそうだ。だがとにかく、二時間待ってみたらどうだ。」
「それじゃ、そうするか。さあ、いこう。」
 彼らがでていったので、わたしは、ひや汗だらけになってねだなからぬけだした。そして船首のほうへはっていった。そこは、うるしのように暗かった。わたしは、かすれたような小声でよんだ。「ジム!」すると、すぐわたしのひじのところから、うめくようなジムのへんじがきこえてきた。わたしはいった。
「いそげ、ジム。ぐずぐずして、うめいているひまなどないぞ。むこうに、人ごろしどもがいるんだ。あいつらがこの難破船からにげだせないように、あいつらのボートをさがしてながしてやってしまわなきゃ、あいつらのなかまのひとりが、ひどいめにあうんだ。だが、あいつらのボートを見つけさえすれば、あいつらぜんぶに、ほえづらかかしてやることができるんだ――保安官が、あいつらをつかまえるだろうから。いそげ、大いそぎだ。おれは左舷をさがすから、おまえは、右舷をさがせ。いかだのところからはじめるんだ。そして――」
「おやっ! いかだは? いかだがねえだ。たいへんだ。綱がきれて、ながされてしまっただ。おれたちは、おいてきぼりくっただ。」
          13 わるものたちのいのち
 わたしは、息がつまって、気がとおくなりそうになった。人ごろしのなかまといっしょに、難破船にとじこめられようとは! だが、めそめそしているときではないのだ。もう、なんとしても、そのボートをさがさなければならないのだ――それを、自分たちのものにしなければならないのだ。そこで、わたしたちは、ぶるぶるふるえながら、左舷にそっとおりていったが、そのはかどらないことといったら――船尾にたどりつくのに、一週間もかかったような気がした。ボートなど、かげもかたちもなかった。ジムは、もう一歩も歩けそうもないといいだした――とてもこわくて、もう力もなにもぬけてしまった、といった。だが、さあ歩くんだ、こんな難破船の上においてきぼりくったら、たいへんなことになるぞ、とわたしはいった。そこで、また、うろうろと歩きだした。上甲板船室《じょうかんぱんせんしつ》の後部《こうぶ》をめざしてすすんでいくと、やっと、そこにでた。天窓のふちは、もう水につかっていた。わたしたちは、よろい戸からよろい戸へとぶらさがりながら、天窓の上をまえへまえへとすすんだ。横廊下のすぐそばまでいくと、はたして、そこに小舟があった。だが、あやうく見おとすところだった。わたしは、こんなにありがたいと思ったことはなかった。つぎの瞬間、わたしは、それにのろうとした。とたんに、戸があいて、ひとりの男が、わたしから二フィートばかりのところに頭をつきだした。わたしは、もうだめだとかんねんした。ところが、男がきゅうに頭をひっこめて、いった。
「そのカンテラを、見えないようにひっこめろ、ビル。」
 その男は、なにかはいったふくろをボートのなかになげこんでから、自分ものりこんできてすわった。パッカードだった。それから、ビルもでてきて、のりこんだ。パッカードが、ひくい声でいった。
「もういいぞ――こぎだせ。」
 わたしは、すっかり力がぬけて、もうこれ以上、よろい戸にぶらさがっていられそうもなかった。ビルがいった。
「待てよ――おめえ、あいつのからだをしらべてみたかい。」
「いや。おめえは?」
「しらべねえ。あいつは、まだわけまえの現金を持ってるはずだぜ。」
「そうか。そいじゃ、もどそう。品物だけ持ってって、現金をおいていくってて[#「て」に傍点]はねえからな。」
「な、おい、あいつは、おれらのやろうとしていることを感づいてるだろうか。」
「感づきはしめえ。だが、とにかく、現金はとってこなきゃ、さあ、いこう。」
 そこで、彼らは、ボートからあがって、船のなかにはいっていった。
 船がこちらがわにかたむいているので、戸は、パタンとしまった。半秒以内に、わたしは、ボートにのっていた。ジムも、わたしのあとからころげこんできた。わたしは、ナイフをだして、ロープをきった。わたしたちは、ながれだした。
 わたしたちは、かいに手をかけなかった。口もきかなければ、ささやきもしなかった。息さえころしていた。わたしたちは、死んだようにおしだまったまま、すごいはやさで、おしながされた。外輪のおおいのはしをすぎ、船首もすぎた。一、二秒もすると、わたしたちは、もう難破船から百ヤードも下にきていた。そして、難破船は、やみのなかにすいこまれて、かげもかたちも見えなくなってしまった。もう、だいじょうぶだった。わたしたちは、たすかったのだ。
 三、四百ヤードくだったとき、上甲板船室《じょうかんぱんせんしつ》の戸口で、カンテラが、ちいさな火《ひ》の粉《こ》のように、ちらりと見えた。悪漢どもが、ボートのないのに気がつき、自分たちも、もうジム=ターナーとおなじようなはめになったことがわかったのだと、わたしたちは思った。
 それから、ジムは、かいをにぎって、わたしたちの、いかだをおいはじめた。ところが、わたしは、このときになって、はじめて、悪漢どものことが、心配になりだした――いままでそんなゆとりがなかったのだ。たとえ人ごろしどもでも、こんなはめにおいこまれたら、どんなにおそろしいことだろうと考えはじめたのだ。わたし自身、いつか人ごろしにならないとはかぎらないのだ。そんなとき、こんなはめにあわされたらどうだろう。そこで、わたしは、ジムにいった。
「なあ、ジム、最初にあかりが見えたら、その百ヤード川上か川下の、おまえとボートがかくれているのにつごうのいいところに、ボートをつけようや。そうしたら、おれ、あがっていって、なにかうまい話をでっちあげてさ、だれかにいってもらって、あの人ごろしどもを、すくいだしてもらってやろうよ。そうすりゃ、あいつらは年貢のおさめどきがきて、首をしめられるまで生きていられらあな。」
 だが、この考えは、失敗におわった。じきにまた、あらしがおそってきたばかりか、こんどのあらしは、まえのよりひどかったからである。雨がそそぐようにふり、あかりは、一つも見えないのだ。みんなねてしまっているのだ、とわたしは思った。わたしたちは、目を見はって、あかりとわたしたちのいかだをさがしながら、すさまじいいきおいで川をくだっていった。だいぶたってから、雨はあがったが、雲がのこっていて、まだ、いなずまが、ぴかり、ぴかりとひかっていた。まもなく、いなずまのひらめきで、なにか黒いものが、わたしたちのさきをながれていくのが見えた。わたしたちは、それにむかってすすんでいった。
 それは、わたしたちのいかだだった。それにまたのったときのうれしさといったら、なかった。やがて川下の右岸に、あかりが一つ見つかった。だから、わたしはあそこへいこうといった。ボートは、あの難破船から人ごろしどもがぬすんだ品物で、半分ぐらいいっぱいになっていた。その品物をふたりで、さっさといかだにはこんで、すっかりつみこんでから、わたしは、ジムに、おまえは、いかだをながしていって、二マイルぐらいくだったらカンテラをつけて、わたしがいくまでつけっぱなしにしておいてくれ、とたのんだ。それからわたしは、ボートのオールをにぎって、川岸のあかりにむかってこぎだした。近づいてみると、さらに三つ四つのあかりが、山腹にひかっていた。村があるのだ。わたしは、岸のあかりの川上にボートをこぎよせてから、オールをあげて、ボートをながれにまかせた。わたしは、あかりのそばを通りすぎたが、それは、とても大きな渡し船の船首の旗ざおにぶらさがっているカンテラだった。わたしは、番人をさがしまわったが、どこでねむっているのかわからなかった。だが、そのうちに、やっこさんが、船首の繋柱《けいちゅう》の上にすわりこみ、頭を両ひざのあいだにつっこんで、ねむっているのを見つけた。わたしは、そのかたを二、三度そっとつついてから、なきだした。
 番人は、はっとしたように、目をさましたが、あいてがちいさな子どもだとわかると、大きなあくびとせのびをして、それからいった。
「おい、どうしたんだ。なくなよ、おい。どうしたのだ。」
「おとっつぁんと、おっかあと、妹と、それから――」
 そういって、わたしは、なきくずれた。
「おい、いったい、どうしたのだ。まあ、そんなになくなよ。おれたちはな、だれだって、ひどいめにあわなければならないんだ。おまえの不幸だって、そのうち、すっかりよくなるよ。おとっつぁんやおっかあが、どうしたというのだ。」
「みんなが――みんなが――あなたは、この船の番人なんてすか。」
「そうだよ」と、彼は、いかにもうれしそうなようすでいった。「おれはな、この船の船長で、持ち主で、水さき案内人で、運転手で、番人で、しかも船荷がかりの水夫というわけさ。そのうえ、ときによっては、荷物にもなれば、お客さんにもなるのだよ。おれはな、ジム=ホーンバックじいさんのような金持ちではないから、トムやディックやハリーに、あのじいさんのように気まえをよくしたり、金をばらまいてやるこたあできねえよ。だがな、おれは、じいさんになんどもいってやったもんさ、あんたと身分をとりかえるのは、まっぴらだって。なぜって、船のりのくらしが、おれの性にぴったりとあってるからだ。それに、町から二マイルもはなれた、なにひとつおもしれえことのねえところに、だれがすむものか、おまえさんの金をぜんぶくれたって、その身代を倍にしてくれたって、ごめんこうむる、とおれはいってやったのだよ。それから――」
 わたしは、それをさえぎって、いった。
「みんなは、もうひと息という、あぶないせとぎわに立っているんです。そして――」
「だれがだ?」
「だれかって、おとっつぁんとおっかあと妹と、それから、フッカー嬢がです。あなたがもし、この渡し船をだして、あそこまでのぼってくだされば――」
「川上のどこだい。みんなは、どこにいるのだ。」
「難破船にいるんです。」
「どんな難破船だい。」
「どんなって、難破船は一そうしかありません。」
「なに、おまえは、ウォルター=スコット号のことをいってるのじゃあるまいな。」
「そうです、その船です。」
「えっ! いったいまあ、そのれんじゅうは、あんなところでなにをしているのだい。」
「なにもみんな、わざわざいったんじゃありませんよ。」
「そりゃそうだろうとも。たいへんだ。はやくにげださねえと、みんないのちがないぞ。いったいぜんたい、なんだって、そんなはめ[#「はめ」に傍点]になっちまったのだ。」
「おちついてください。フッカー嬢は、川上の、あの町にきていたんです。」
「うん、ブースの船着場にだな――それから。」
「お嬢さんは、ブースの船着場にきていたんです。そして、ちょうど日ぐれに、黒人の下女をひとりつれて、お友だちの家に――なんといいましたか、名はわすれましたが――一晩どまりに、馬をわたす渡《わた》し船《ぶね》にのってでかけたんです。ところが、かじをとるかい[#「かい」に傍点]をながしてしまったので、船はぐるぐるまわって、船尾をさきにして、二マイルもおしながされて、あの難破船に、よこっぱらをぶっつけちゃったんです。そのため、渡し番も、下女も、馬もみんなゆくえ不明になってしまったんですが、でも、フッカー嬢は、あの難破船にとりついて、あがったんです。ところが、暗くなって一時間ばかりしてから、ぼくらも、商売用の平底船にのってくだってきたんですが、とてもまっ暗なものだから、難破船が目のまえにくるまで、気がつかなかったんです。だから、ぼくらの船もよこっぱらをぶっつけちまったんです。でも、ビル=フィップルのほか、ぼくらはみんなたすかりましたが――ああ、ビルは、とてもいいやつだったんです――かわりに、ぼくが死んだらよかったのにと思うくらいです、ほんとに。」
「そいつぁまあ、とんでもねえことになったもんだ。それで、みんなはどうした。」
「そうです、ぼくらは、大きな声で気ちがいのようにどなりたてたんです。ところが、あそこの川はばは広いでしょう、だから、だれにもきこえなかったんです。そいでおとっつぁんが、だれか岸におよいでって、どうにかしてすくいをもとめなければならないというんです。およげるのは、ぼくだけでしたから、ぼく、むちゅうになって岸へおよぎだしたんです。フッカー嬢は、すぐにたすけてくれる人が見つからなかったら、ここへきてわたしのおじさんをさがしなさい、そうすれば、手くばりをしてくれるから、といいました。ぼくは、ここから一マイルばかり川下におよぎつきました。それからずっと、たすけてくれる人をさがしながら、ここまでやってきたんです。だが、みんなは、『なんだって、こんなにおそく、こんなに水かさがふえているというのにか。だめの皮だよ。蒸気渡しへいってたのむがいいよ』っていうんです。だから、あなたがもし、いってくだされば――」
「よしきた、かならずおれがいってやる。くそっ! なんでもかんでも、いくぞ。だがな、だれがそのお礼をだすのだい。おまえのおとっつぁんが――」
「そんなことは、心配ありません。フッカー嬢が、はっきりいいました。ホーンバックおじさんが――」
「へえ! あの人が、その女のおじさんか。おい、ずっとむこうにあかりが見えるな、おまえは、あれをめあてにしていって、あそこから西にまがっていくんだ。四分の一マイルばかりいくと、居酒屋があるからな。そこで、ジム=ホーンバックさんの家をおしえてもらえ。ホーンバックさんが、かんじょうをはらってくれるからな。とちゅうで道くさをくっていっちゃだめだぞ、あの人にとっちゃ、だいじな知らせなんだからな。あなたが町につかないうちに、渡し船のおやじが、姪ごさんを、ちゃんとおたすけもうしておきますから、というんだぞ。さあ、げんきをだしていけ。おれは、このかどをまかって、機関士をおこしにいくからな。」
 わたしは、そのあかりにむかって歩きだしたが、番人がかどをまがるとすぐにひきかえして、小舟《こぶね》にもどり、あか[#「あか」に傍点]をくみだした。それから、岸べのゆるやかなながれを六百ヤードばかりこぎのぼっていって、材木船のあいだにはいりこんだ。渡し船がでていくのをたしかめないうちは、安心できなかったからだ。だが、ようするにわたしは、人ごろしどものために、こんなに骨をおったことを、むしろ気持ちよく感じていた。あんな人ごろしどものために心配する人など、ざらにはないと思ったからだ。わたしは、後家さんがこのことを知ったらなあと思った。後家さんは、ならずものどもをたすけたわたしを、誇りに思うにちがいないのだ。というわけは、後家さんや善人たちは、ならずものとか大山師《おおやまし》とか、そういうものに、もっとも興味を持っているからである。
 ところで、まもなく、うす黒いぼんやりとしたかたまりになって、難破船がながれてきた。わたしは、ひやりとなって、身ぶるいがでたが、すぐに難破船にむかってこぎだした。船はほとんどしずんでしまっているので、そんななかに人が生きていられるものではないということが、わたしにもひとめでわかった。わたしは、難破船のまわりをこぎまわって、おういおういとよんでみた。しかし、なんのへんじもなかった。しんとしずまりかえっている。あの人ごろしどものことを考えて、わたしは、すこしこころがおもくなった。だが、それほどおもくなったわけではない。あいつらだって、なかまのひとりを見ごろしにしようとしたのだから、わたしだってそれぐらいのことができないはずはない、と考えたからだ。
 そのとき、渡しの蒸気船が近づいてきた。そこで、わたしは長い斜流にのって、川の中流へおしだしていった。そして、目のとどかないところまでくだってから、こぐ手をやすめてひと息ついた。ふりかえってみると、渡し船は、ぐるぐる難破船のまわりをまわって、フッカー嬢の死がいをさがしていた。船長は、彼女の死がいをホーンバックさんがほしがることを知っているからだ。だが、まもなく、渡し船は、さがすのをやめて、岸にひきあげていったので、わたしも、ボートをこいでぐんぐん川をくだりはじめた。
 ジムがだしておいたあかりが見えるまでに、ずいぶん長いことかかったような気がした。そのうえ、あかりが見えたときでさえ、そのあかりが千マイル以上もむこうにあるように思われた。わたしがいかだについたときには、東のほうが、すこしばかり白みかけてきていた。そこでわたしたちは、ある島にこいでいって、いかだをかくし、ボートをしずめ、それから、よこになって、死んだようにねむった。
          14 フランス人はフランス語
 やがて、わたしたちは、目がさめたので、人ごろしどもが難破船からぬすんだ品物をひっかきまわしてみた。長ぐつ、毛布、服、そのほかにもいろいろな品物や、たくさんの本や、望遠鏡などがでてきた。タバコは三ぱこもでてきた。わたしたちはふたりとも、これまでに、こんなにもの持ちになったことはなかった。タバコは、すばらしくじょうとうなやつだった。午後、わたしたちは、のんびりとやすんで、話しあったり、またわたしは、本をよんだりして、なかなかたのしくすごした。わたしは、難破船のなかでおこったことや、渡し蒸気船であったことを、すっかりジムに話してから、こういうことを冒険というのだといった。だが、ジムは、もう冒険はごめんだといった。あんたは上甲板室《じょうかんぱんしつ》にはいっていったが、おれが、はいもどっていかだにのろうとすると、いかだがねえので、おれはもう死ぬんだと思っただよ。どっちみちもうだめだと思ったんだ。おれ、たすけてもらわねえことにゃ、おぼれて死んでしまうし、たとえまた、だれかにたすけられたところで、その人は賞金をもらうために、おれを家におくりかえすにきまっている。そうすればすぐに、ワトソン嬢がおれを南に売りとばすにちがいないのだ。ほんとだよ、と、そうジムはいった。事実、そのとおりなのだ。ジムのいうことは、いつでも、たいていまちかっていない。ジムは、教育をうけてはいないが、ひじょうにすぐれた頭を持っているのだ。
 わたしは、ジムに、王さまや、公爵や、伯爵や、そういう人たちのことを、いろいろとよんできかせた。そして、そういう人たちが、どんなにぴかぴかひかる服をき、どんなふうをしているかということや、おたがいに、ミスターとはよばないで、陛下だとか閣下だとか、そんなふうによんでいるということもきかせた。ジムは、目玉をぐるぐるうごかして、おもしろがった。ジムはいった。
「おらあ、そんな人が、そんなにいっぺえいると知らなかっただよ。ソロモン王さまのほかは、ほとんどきいたことがねえだ。だが、トランプの王さまもかぞえればべつだだ。王さまは、月給なんぼとってるだね?」
「なんぼとるって? そりゃ、とりたきゃ、月に千ドルだってとれるさ。ほしいだけ、いくらでもとれるんだ。なにもかにも、みんな王さまのものだからな。」
「そいつはおもしろいだろうな? そいで王さまどもは、どんなしごとしているだ、ハックさん。」
「なんだって、そんなばかなことをいうんだい。なにもしてやしないよ。あの人たちは、のらりくらりしているだけさ。」
「へえ、ほんとに、そうだだか。」
「ほんとに、そうさ。のらりくらりしているだけさ――でも、戦争のときは、べつかもしれないぜ。戦争にはいくんだからな。だが、ほかのときは、まったく、のらりくらりしてるか、たか狩りにいくぐらいのもんさ――用といっては、たか狩りにいったり、ぺっぺっとつばをはいたり――しっ! ――なんか、音がきこえはしないかい。」
 わたしたちは、とびだしていってみた。だが、それは、ずっと川下《かわしも》のみさき[#「みさき」に傍点]をまわってくる蒸気船の機関からふきだしているしぶきの音だった。わたしたちは、もとの場所にもどった。
「うん、そうだ」と、わたしはいった。「そのほかんときは、議会にいって、すったもんだはじめてさ、みんなが自分の思うとおりにならないと、そいつらの首をちょんぎってしまうのさ。だが、だいたいは、ハーレムでぶらぶらしてるよ。」
「どこでだって?」
「ハーレムでさ。」
「ハーレムって、なんのこっただね。」
「おくさんたちを入れておくところさ、おまえは、ハーレムを知らないのかい。ソロモンだって、持ってたんだぜ。そして、百万人ぐらいおくさんを持ってたんだ。」
「うん、そうだだ。おらあ――おらあ、すっかりわすれてただよ。ハーレムって、下宿屋のことだだね。子どもべやはうんとさわがしいこったろう。それにおくさんたちはえらくけんかをするにちげえねえだ。そこで、さわぎがいよいよひどくなるってわけか。だのに、世間じゃあ、ソロモンを、いままででいちばんかしこい人だといってるんだ。おらあ、そんなこと信じられねえだよ。だって、そんなかしこい人が朝から晩まで、そんなやかましいところで、くらすはずはねえじゃねえか。まったくの話がよ――かしこい人なら、機関工場をこしらえるだ。そうすれば、やすみたくなったとき、機関工場をしめることができるだよ。」
「そうかな、でもさ、とにかく、ソロモンは、いちばんかしこい人だったんだよ。後家さんが自分で、おれにそう話してくれたんだから。」
「後家さんのいうことなど、おらあ、なんだって、かまやしねえだよ。おまけに、ソロモンも、かしこい人でなかっただよ。おらあ見たこともねえような、おっそろしいことしただ。あんた、ソロモンが二つにさこうとした子どものこと、知ってなさるだか。」
「うん、知ってるとも、後家さんがおしえてくれたもん。」
「ああそうか。あんなにむごい考えって、世のなかにあるものでねえだ。あんたも、ちょっと考えてみなされ。そこにきり株があるだ、ほら――それをひとりの女とするだ。ここには、あんたがいる――あんたが、もうひとりの女だだ。そして、おらあが、ソロモンで、ここにある一ドルさつを子どもだとするだよ。ふたりの女どもは両方とも子どもを自分のものだといいはってるだ。おらあ、どうすると思うだね? 知恵のある人なら、だれでも、となり近所を走りまわって、さつがだれのものかききだして、ほんとうの持ち主に、そのままやぶかねえでわたしてやるでねえだかね? ところが、そうはしねえで、さつを二つにぶっさいて、半分はあんたに、もう半分は、もうひとりの女にくれてやるだ。ソロモンは、子どもをそうしようとしただよ。おらあ、あんたにききてえだ。半分のさつが、なんの役にたつだね? ――なにも買えやしねえ。それから、半分の子どもが、なんの役にたつだかね? そんな半分にきった子どもなんか、百万人くれるといったって、おらあ、一文だってだしゃあしねえだよ。」
「もう、たくさんだ、ジム。おまえのいうことは、まるっきりけんとうはずれだ――ちぇっ! 千マイルも的《まと》がはずれてらあ。」
「だれが? おらおかか? じょうだんでねえ。的がきいてあきれるだ。おらあにだって、知恵のあるなしぐれえ、すぐわかるだよ。あんなやりかたは、ばかけているだよ。もともとどうするかっていうのは、半分の子どものことについてではねえ。まるのまんまの子どものことについてだだ。まるごとの子どもをどうするかってときに、そいつを半分の子どもでかたづけることができると思ってるやつは、雨がふってきたのに、雨やどりをすることを知らねえやつだだ。ソロモンのことなんか、もういわねえでもらいてえもんだ。ハックさん、おらあ、よく知ってるだから。」
「だがなあ、おまえには、だいじなとこがわかっていねえんだよ。」
「だいじなとこもなにもねえだよ。自分がどれだけのことを知っているかってことぐらいわかってるだ。いいだかね、あんた、ほんとにだいじなことは、ずっとそこのほうにあるだだよ――ずっとふかいところにな。それは、ソロモンのそだちにあるだだ。あんた、子どもがひとりかふたりしかねえ人のことを考えてみなされ。そんな人が、子どもをむだにするだかね? しやしねえだ。まちがっても、そんなことできねえだよ。そんな人は、子どものねうち知ってるからだよ。だが、子どもが五百人もあって、家のなかをかけまわってる人のことも考えてみなされ、そうなると、話がちがってくるだよ。そんな人は、子どもを、ねこのようにぞうさなく二つにさくだ。まだまだ、子どもがうんとのこってるだからね。子どものひとりやふたり、よけいでもすくなくても、ソロモンは、どうでもよかっただよ、ふんとだだ。」
 わたしは、こんな黒人《こくじん》を見たことがない。ジムは、一度なにかを思いこんだがさいご、もう二度とその考えからぬけだすことができないのだ。これほどソロモンをぼろくそにいった黒人も、ジムがはじめてだ。だからわたしは、ほかの王さまの話をはじめて、ソロモンの話はやめにした。わたしは、ルイ十六世の話をしたのだ。その人は、ずっとむかし、フランスで首をちょんぎられた人だ。そしてその人の子どもドーフィンは、王さまになる人だったが、とらえられて、牢屋《ろうや》にぶちこまれ、そこで死んだ、ともいわれている――そんな話をジムにしてきかせた。
「かあいそうな子どもだだね。」
「でもさ、その子どもが、牢屋をぶちやぶってさ、アメリカににげてきたっていってる人もいるんだぜ。」
「そりゃ、よかっただ! だが、ずいぶんさびしいことだべね――この国には、王さまはいねえだもの、なあハックさん?」
「そりゃあ、いねえさ。」
「そいじゃ、その人、つとめ口ねえだね。どうしてくらすだ?」
「さあ、おれにもわからないよ。おまわりさんになる人もあるだろうしさ。フランス語をおしえている人もあるよ。」
「なんだって? ハックさん、フランス人は、おらあたちとおなじことばを話すんじゃねえのかい?」
「ちがうよ、ジム。おまえには、フランス人が話してることばなんて、ひとことだってわかりはしないぜ――たったひとことだってさ。」
「へえ、そいつぁまた、おどろいたこった! どういうわけだだね?」
「知らないよ、だが、そうなんだ。おれ、そいつらのわけのわからないことばを、本ですこしおぼえたのさ、だれかやってきて、おまえに、ポリ・ブー・フランジー――といったらよ、おまえ、なんのこったと思う?」
「なんとも思いやしねえだ。おらあ、そいつの頭をたたきわってやるだ――そいつが、白人でなかったらね。黒人が、おらあにそんなふうな口をきいてみろ、おらあ、だれだってかんべんしておかねえだだ。」
「とんでもない、おまえの悪口をいってるんじゃないんだよ。そいつは、おまえはフランス語を話せるかっていってるだけなんだぜ。」
「そうだかね、そいじゃ、どうして、はっきりそういわねえだよ?」
「ちゃーんと、そういってるんだよ。それが、フランス人のいいかたなのさ。」
「へえ、とてもおかしないいかただな。おらあ、そんないいかた、二度とききたくねえだ。なにがなんだか、さっぱりわからねえもんな。」
「な、ジム、ねこはおれたちとおなじ口をきくかい。」
「ふうん、きかねえだ。」
「じゃ、牛は?」
「牛もそうだだ。」
「ねこは、牛のように話すかい、牛は、ねこのような口をきくかい。」
「ううん、きかねえだよ。」
「ねこと牛が、おたがいにちがった口をきくのは、あたりまえのことで、まちがっちゃいないだろう?」
「そりゃあそうだよ。」
「それから、ねこだの牛が、おれたちとちがった話しかたをするのも、あたりまえのことで、まちがっちゃいねえだろう?」
「そりゃあ、そうだとも。」
「そいじゃ、フランス人が、おれたちとちがった話しかたをするのがどうして、おかしくって、まちがっているのさ? さあ、へんじをしてみろ。」
「ねこは人間だかね、ハックさん?」
「そうじゃないさ。」
「そうだろうが。だから、ねこは、けっして人間のような口をきかねえだよ。牛は人間だかね? ――そいから、牛はねこだかね?」
「どっちも、そうじゃないよ。」
「そうだろうが。だから、牛は、人間のような口も、ねこのような口もきかねえでも、ちっともふしぎはねえだよ。フランス人は、人間だだかね?」
「そうだとも。」
「そんなら、いったいなんだって、フランス人は人間のように話をしねえのだね。さあ、へんじをきかしてもらいてえものだ。」
 わたしは、話をするだけむだだと思った――この男に議論のしかたをおしえることは、できないことなのだ。だからわたしはあきらめた。
         15 まことのこころ
 わたしたちは、あと三晩かそこらで、カイロにつけると思った。カイロは、イリノイ州の南のはずれにあって、そこで、オハイオ川がミズーリ川にながれこんでいる。わたしたちは、そこへいこうと思っていたのだ。そして、その町でいかだを売って、蒸気船にのり、オハイオ川をさかのぼって、自由州にいくつもりだった。そうすれば、なにもかも、めんどうなことがなくなるのだ。
 さて、二日《ふつか》めの晩、きりがおりてきたので、わたしたちは、いかだをつなぐために砂州にむかった。きりのなかをくだろうとしても、うまくいくはずはなかったからだ。わたしはいかだをむすびつける綱を持って、カヌーにのり、すこしさきにでていったが、砂州には、ちいさな若木のほかには、綱をむすびつけるのにてきとうな木がはえていなかった。わたしは、きり立ったがけのはしにはえている一本の若木に綱をまきつけた。だが、そこはながれがつよかった。いかだは、いきおいよくくだってくると、その若木を根こそぎにして、ながれさっていった。きりは、だんだんふかくなってくる。それを見ると、わたしは、おじけがついてきて、ちょっとのあいだ、身うごきもできずにいたらしかった――気がついてみると、いかだは見えなくなっていた。二十ヤードさきの見とおしもきかない。わたしは、カヌーにとびこみ、いっさんに船尾にいった。そして、かいをにぎってひとこぎして、カヌーをもどそうとした。ところが、カヌーはうごかなかった。あわてていたので、カヌーの綱をとくのをわすれていたのだ。わたしは、あがっていって、綱をとこうとしたが、気がたかぶっていたので、手がふるえて、どうにもならなかった。
 わたしは、そこの岸をはなれるとすぐ、いっしょうけんめいにカヌーをこいで、砂州にそって、いかだをおいはじめた。砂州のあるうちはよかったが、しかし、砂州は、六十ヤードと長くはなかった。そのはしをすぎたとたんに、わたしは、ふかいまっ白なきりのなかになげこまれた。わたしは、まるで死んだ人間同様で、どっちにいったらいいのか、けんとうもつかなくなった。
 わたしは、すぐ、カヌーをこいではだめだと思った。そんなことをしたら、岸か砂州かなにかにぶっかるだけなのだ。わたしは、じっとすわって、カヌーをながれるままにまかせたが、こんなときに、じっと手をつかねていなければならないということは、ひどく気のもめるものだ。わたしは、おーいとよんで、耳をすました。どこか、ずっと川下のほうから、かすかにおーいとよびかえす声がきこえてきた。わたしは、いきおいづいた。わたしは、きこえてきた声をおって突進した、いっしんに耳をすまして。つぎに声がきこえてきたとき、わたしは、自分が方向をまちがえて、はるかに右へそれていたことに気づいた。またそのつぎにきこえてきたときには、わたしはずっとその左のほうへそれていた――それに、いっこう、声のほうに近づいてもいなかった。わたしは、ぐるぐるまわって、あっちへいったり、こっちへきたり、またべつなほうへいったりしていたのに、声のほうは、たえずまっすぐ前方へすすんでいたからである。
 ジムのばかめ、なんだって、ブリキのなべをたたくことを考えつかないんだ、とわたしは思った。それをしじゅうたたいてくれていたらいいのだが、ジムは、一度もなべをたたかないのだ。声と声とのあいだのしずけさといったら、なんともやりきれないのだ。ところで、勇気をだしてがんばりつづけていくと、じきに、うしろからおーいとよぶ声がきこえてきた。わたしは、すっかりまごついてしまった。それがだれかほかの人がよんでいる声でないとしたら、わたしの頭がおかしくなったにちがいないと思った。
 わたしは、かいをほうりだした。また、よび声がきこえてきた。やはりうしろからであったが、こんどは、声のした場所がちがっていた。それからもつづけて、よぶ声がきこえてきたが、そのたびに、声のする場所がちがっていた。わたしは、どなりかえしつづけたが、そのうちに、こんどは声がまえのほうからきこえてきた。わたしは、ながれのためにカヌーのへさきが川下にむけられたのだ、と気がついた。そして、さけんでいるのがジムであって、ほかのいかだのりでさえなければ、もうたすかったと思った。きりのなかでは、だれの声だかわからなかった。というのは、きりのなかではもののかたちがかわって見えるし、声はちがったひびきかたをするからである。
 さけび声はなおつづいていたが、じきに、わたしは、大きな木が、おばけのようにぼんやりと見えている、きり立った岸にむかってながされだした。と思うまもなく、ぐいと左のほうにおしながされて、そのそばをくだり、水底の無数のかれた立ち木がゴウゴウとうなり、ながれがその木立のあいだをすごいいきおいで、ほとばしっているところにはいりこんだ。
 一、二秒もすると、あたりはまた、白いふかいきりにつつまれて、しずかになった。わたしは、じっとすわったまま、心臓の鼓動に耳をかたむけていた。そして、心臓が百も打つあいだ、息もしないでいたにちがいない。
 それから、わたしはやっと息をついた。なりゆきが、なにもかも、のみこめたのだ。あのきり立った岸は島で、ジムは、わたしとは反対がわをくだっていったのだ。それも十分ぐらいで通りこせるような砂州ではない。大きな木のしげっている本式の島なのだ。長さ五、六マイル、はばは半マイル以上もあるにちがいないのだ。
 わたしは、十五分ぐらい、しずかにして、耳をそばだてていた。もちろん、カヌーは、一時間四マイルから五マイルぐらいのはやさでながれているのだが、すこしもながれているような気がしなかった。水の上に、じっとよこたわっているようにしか感じられないのだ。水のそこの立ち木がそばを通りすぎていくのが、ちらっと見えでもすると、自分がどんなにはやくながれているかなどとは思わないで、かえって、はっと息をとめて、おや、あの立ち木はなんとすごいいきおいでながれていくんだろう、と考えられるくらいなのだ。夜、ただひとり、きりのなかをそんなふうにしてながれていくのを、おそろしいともさびしいとも思わないものがあったら、一度でいいからやってみるといい――わかるはずだ。
 それから半時間ばかりのあいだ、わたしは、ときどき大きな声でさけんでみた。とうとうしまいに、ずっととおくのほうからへんじがきこえてきたので、わたしは、おいかけようとした。だが、おいかけることができなかった。両がわに、ぼんやりとではあるが、ちらっ、ちらっと砂州が見えるところをみると、わたしは、砂州の巣のなかにはいりこんでしまっているからだ――ときには、砂州砂州のあいだの水路が、とてもせまくなっていた。ほかにも、目には見えない砂州があった。その岸にひっかかっている、かれ木やごみくずなどにぶっかる水の音で、そこに砂州のあることがわかった。さて、砂州のあいだからきこえていたさけび声は、そのあとじきにきこえなくなった。だから、わたしは、けっきょく、ほんのちょっと、それをおっかけようとしただけだった。おっかけたところで、きつね火をおうより、なおしまつにおえないからだ。なにしろ、こんなにあっちへいったりこっちへきたりして、しかも、あんなにはやく、あんなにたびたび場所をかえる音など、めったにあるものではないと思った。
 わたしは、川のなかにつっ立っている島にぶっからないようにするために、四、五回も、カヌーをその岸から力いっぱいつきはなさなければならなかった。だから、いかだも、しじゅう岸にぶつかっているにちがいないと思った。そうでなければ、いかだは、ずっとさきにいってしまい、声などきこえなくなっているはずなのである――いかだの速度はカヌーよりすこしはやいのだ。
 さて、そのうちにまた、ひろびろとした川にでたらしかったが、どこからもなんの声もまるっきりきこえてこなかった。わたしは、ジムが水底の立ち木にのりあげて、それっきりおだぶつになったにちがいないと思った。わたしは、くたくたにつかれきっていたので、カヌーのなかによこになり、もうくよくよするのはよそう、と思った。もちろんわたしはねむりたくはなかったが、とてもねむくて、どうすることもできなかった。だから、ほんのちょっとだけ、うたたねをすることにした。
 だが、どうも、うたたねをしたどころではなかったらしい。目がさめると、星がきらきらとかがやいて、きりはあとかたもなくはれていた。そして、わたしは、船尾をさきにして、大きく川のうねっているところを、ものすごいいきおいでくだっていたのである。はじめわたしは、どこにいるのかわからなかった。ゆめを見ているのではないかと思った。いろいろなことを思いだしはじめたときでも、それは、先週のことをぼんやり思いだしているようなこころもちだった。
 そのへんの川は、とても広く、両岸には、大きな木が、ふかくしげっていた。星あかりで見るので、それは、まるでがっちりした城壁のように見えた。ずっと川下のほうを見わたすと、黒いものがぽつんと川つらにうかんでいた。わたしは、それをめあてにしてすすんでいったが、いってみると、それは、しっかりむすびつけられた二本の材木だった。それから、また黒いものがぽつんと見えたので、それをおった。それから、もうひとつ。だがこんどは、うまくぶちあたった。それは、わたしたちのいかだだったのだ。
 おいつくと、ジムは、右手をかじをとるかいにかけたまま、頭をひざにはさんでねむっていた。もう一本のかいは、おれてしまい、いかだの上には、木の葉や枝やどろがちらばっていた。してみると、ずいぶんひどいめにあってきたものらしい。
 わたしは、カヌーをしっかりとむすびつけてから、いかだにあがって、ジムのはなさきによこになった。そして、あくびをし、こぶしをジムにつきつけて、いった。
「おい、ジム、おれ、ねむってたかい、どうしておこしてくれなかったんだい。」
「おやおや、ハックさんだが? あんた、死ななかっただか――おぼれなかっただか――かえってきただね? ゆめじゃああんめえか。ぼっちゃん、おらあ、ほんとのような気がしねえだよ。さあ、顔を見せてくんなせえ、からだにさわらせてくんなせえ。なるほど死んではいねえだ。生きて、たっしゃで、もとのハックさんそのままで、けえってきただ――そっくりむかしのハックさんだ。ありがてえこった!」
「どうしたんだい、ジム? おまえ、よっぱらってるんじゃないのかい。」
「よっぱらう? おらあ、よっぱらってるというだか? おらあ、よっぱらうひまがあっただか?」
「なんだって、そいじゃ、そんなでたらめをいうんだい。」
「おらあ、なに、でたらめいっただ?」
「なにって? だっておまえは、おれがかえってきたとかなんだとか、そんな世《よ》まいごとをいってたじゃないか。まるで、おれが、ここにいなかったみたいにさ。」
「ハックさん――ハック=フィンさんや、おらあの目を見るだよ。じっと見るだよ。あんたは、どこにもいかなかっただか?」
「いかなかったかって? いったいぜんたい、おまえは、なにをいっているのさ。おれ、どこにもいきゃしなかったぜ。おれが、どこへいくんだい?」
「へえ、大将、こらあ、話がへんだだ、ふんとに、おらあ、おらあだかね、それとも、おらあ、だれだかね? おらあ、ここにいるだか、それとも、どこにいるだ? さあ、おらあ、それが知りてえだ。」
「そうかい。おまえは、まちがいなく、ここにいるよ。でも、おまえは、頭がこんぐらかってしまって、ばかになっちまったんだよ、ジム。」
「そうかなあ。そんじゃ、おらあのきくことに、へんじをしてもらいてえ。あんたは、カヌーにのって、綱を砂州にむすびつけにいったでねえだか?」
「ううん、そんなこと、しやしなかったよ。砂州って、なんなんだい? おれ、砂州なんか、一つも見やしなかったぜ。」
砂州が見えなかっただ? ね、綱がほどけて、いかだがどんどんながれたでねえか、あんたとカヌーを、うしろのきりのなかにのこしてだよ。」
「きりって、なんのこったい?」
「ほら、あのきりだ――一晩じゅうかかっていた、あのきりだだ。それに、あんた、よばわらなかっただか。おらあもよばわっただろうが。そのうち、島がいっぺえあるとこで、ごちゃくちゃになってしまい、ひとりが迷子になり、もうひとりも、迷子みたいになってしまったでねえだか。どこにいるのか、わからなかったからだだ。それから、おらあ、なんどもなんども、いきなり島にぶっつかって、ひでえめにあい、おぼれそうになりはしなかっただか。さあ、そうでねえだか、大将――ちがうだか? へんじするだよ。」
「うん、おれには、なんのこったか、さっぱりわからないよ、ジム。おれはきりも島も見なかったぜ。ひどいめにもなんにもあいもしなかったしさ、おれは、おまえが十分ばかりまえにねむるまで、ここにすわって、一晩じゅうおまえと話してたんだよ。それから、おれもねむったらしいけどさ。そのあいだに、おまえがよっぱらうなんてこと、できやしないんだから、おまえはきっと、ゆめを見てたんだよ。」
「なにいってるだ。十分のあいだに、おらあ、そんなにいっぺえゆめ見られるだかね?」
「なにがなんだって、おまえは、ゆめを見ていたんだよ。だって、そんなこと、なんにもおこりゃしなかったんだぜ。」
「だが、ハックさん、おらあ、なにもかもはっきりと――」
「どんなにはっきりしてたところで、やっぱりおんなじこったよ。まるっきり根も葉もないことなんだもん。おれ、ずっとここにいたんだから、ちゃんと、わかってるんだよ。」
 ジムは、五分間ばかり、ひとことも口をきかないで、そこにすわったまま、考えこんでいた。それから、いった。
「なるほどなあ、それじゃ、おらあ、それをゆめで見たことにしておこうや、ハックさん。だが、おらあ、とんでもねえすげえゆめ見たものだよ。おらあ、ゆめ見て、こんなにくたびれちまったこたあ、これまで一度もねえだよ。」
「そうかい。そういうこともあるだろうよ。ゆめででも、ときによると、ひどくくたびれることがあるからな。それにしても、そいつあ、すげえゆめだったね。どんなゆめか、ひとつ、みんな話してくれないか、ジム。」
 そこで、ジムは、あらためて、ゆめのことをはじめからおわりまで、すっかり話した。それは、できごとそのままにはちがいなかったが、だいぶ、尾ひれがつけてあった。それから、ジムは、おれ、このゆめのなぞをとかなきゃならねえだ。このゆめ、いましめのために見せられただから、といった。そして、最初の砂州は、おれたちになにかしんせつなことをしてくれようとしている男をあらわしているのだが、ながれは、そのしんせつな男から、おれたちをひきはなそうとする、もうひとりべつな男をあらわしていたのだ、といった。よび声は、いましめて、そのいましめは、これからもときどきやってくるから、そのときすぐに、なんとかして、そのいましめの意味をさとるようにしないと、おれたちは、不幸をさけられないどころか、反対に、不幸のなかにひきずりこまれてしまう。たくさんの砂州は、おれたちが、今後、けんかっぱやい人たちや、いろいろな下等な人たちとのあいだにひきおこすかもしれない、いざこざをあらわしているだだ。だが、おれたちは、しごとに身を入れて、そんなやつらに口ごたえをしたり、おこらせたりさえしなければ、そこからこぎぬけて、きりのなかからもでられ、自由州という、大きな川にはいりこめるのだ。そして、心配ごとなど、一つもなくなるのだ、とそうジムはかたった。
 さっき、わたしがいかだにあがったすぐあとで、かなりこい雲がでてきていたが、やがてまた、晴れようとしていた。
「なるほどね、そこんとこまでは、なかなかうまくとけたよ、ジム」と、わたしはいった。「だが、そこにある、その品物は、どういうなぞなんだい。」
 わたしは、いかだの上の木の葉や、ごみくずや、おれたかいを指さした。もう、このときには、そういうものが、はっきり見えていた。
 ジムは、ごみくずとわたしの顔を見くらべた。ジムの頭にはゆめがすっかりこびりついているので、きゅうにそのゆめをふりすてて、現実の事実を事実として考えることが、すぐにはできないらしいのだ。だが、やっと、事実がはっきりのみこめると、ジムは、にこりともしないで、わたしを見つめて、いった。
「あれが、なにをあらわしているだかって? よし、いってきかせてやるだ。おらあ、はたらいたり、あんたをよんだりして、とてもつかれたで、ねむってしまっただが、そんとき、あんたがいなくなったこと考えて、おらあ、むねがはりさけそうだった。そして、自分がどうなろうと、いかだがどうなろうとかまやしねえと思っただよ。だが、おらあが目をさますと、あんたが、ぶじで、たっしゃでかえってなさるじゃねえだか。おらあ、なみだがでただ。もうすこしで、ぺたりとすわって、あんたの足にキスするところだっただ。とてもうれしかっただ。ところが、あんたときたら、うそをついて、このジムをばかにしようと、それだけ考えていなさっただ。ほら、あそこにあるがらくたは、ごみくずだだ。そしてな、友だちの頭にどろをのっけて、はじをかかせようとするようなやつは、人間のくずだだ。」
 それから、ジムは、ゆっくり立ちあがって、小屋のほうに歩いていった。そして、それっきり、ひとこともいわずに、小屋のなかにはいってしまった。だが、それでじゅうぶんだった。わたしは、自分がとてもいやしく感じられたので、たとえジムの足にキスをしてもいいから、彼のことばを撤回してもらいたいと思った。
 わたしは、黒人にあやまる決心をするのに、十五分もかかった。だが、けっきょく、あやまった。しかし、わたしは、その後、あやまったことを後悔したことなど一度もなかった。そして、それからというもの、ジムをだますような下等ないたずらをけっしてしなかった。このときだって、こんなにジムをかなしませることを知っていたなら、わたしは、ジムをだますようなことをしなかったのだ。
           16 どっちが正義か
 わたしたちは、一日じゅうねむった。そして、夜、出発した。大きないかだのすこしうしろからついていくことにしたのだが、そのいかだの長いことといったらなかった。すっかり通りすぎるのに、長い行列ほども時間がかかった。そのいかだはまえとうしろに、長い大がい[#「がい」に傍点]を、それぞれ、四ちょうずつそなえていた。わたしたちは、このいかだは、きっと、三十人ぐらいのいかだ師がのっているにちがいないと思った。大きな小屋が、たがいにとおくはなれて、五つたっていた。そして、まんなかには、むきだしのたき火がたいてあった。まえとうしろには、高い旗ざおが立っている。見るからにりっぱないかだだった。こんなすばらしいいかだのいかだ師になれたらたいしたものだと思った。
 わたしたちが、川が、大きくうねっているところまでくだったころ、夜はすっかりくもって、あつくなった。川はばは、とても広くて、両岸には、おいしげった森が、城壁のように立ちふさがっていた。森には、ほとんど、とぎれているところがなく、あかりももれてこなかった。わたしたちは、カイロのことを話しあったが、カイロについたとしても、そこがカイロかどうかわかるだろうかと思った。わたしは、たぶん、わからないだろうといった。カイロには十二けんばかりの家しかないということだから、ひょっとして、どの家にもあかりがついていなかったら、どうして、その町を通りすぎようとしていることがわたしたちにわかるだろう。ジムは、二つの大きな川がおちあっているはずだから、それでわかるといった。だが、わたしは、島じりを通りすぎて、またもとの川にでたのだと、思わないともかぎらないじゃないか、といった。これには、ジムもよわった。わたしも不安になった。だから、問題は、どうしたらいいかということになった。わたしは、こんどあかりが見えたらすぐこぎつけていって、おやじがあとからあきない舟でやってくるのだが、まだしんまいなものだから、カイロまでどのくらいあるかおしえてもらいたい、ときいてくるのがいい、といった。ジムが、それはうまい考えだと賛成したので、わたしたちは、そうすることにきめた。そしてタバコを一ぷくして、あかりが見えるのを待ちかまえた。
 しごとといえば、ぬけめなく町を見はっていて、町を見のがさないようにすることだけだった。ジムは、おれがきっとあかりを見つけるといった。なぜかというと、あかりを見つけたとたんに、彼は自由な人間になれるはずだったからである。だが、それを見おとしたらさいご、またどれいの国にはいってしまって、もう二度と自由になれる機会はこないのだ、と、ジムはいうのだった。彼は、ひっきりなしにとびあがって、いった。
「ほうら、あれ、カイロでねえか。」
 だが、それはカイロではなかった。それは、きつね火とか、ほたる火とかよばれているやつだった。そのたびに、ジムは、またすわって、もとのとおり見はりをつづけた。ジムは、もうすぐ自由になれると思うと、からだじゅうがふるえて、あつくなってくるといった。ところで、ジムのいうことをきくと、わたしもまた、ほんとうにからだじゅうがふるえて、あつくなってきた。ジムがもうすぐ自由になるのだということを、わたしも考えはじめたからである――ジムをにがしてしまったら、だれが、そのせめをおわなければならないのだろう? そうだ、わたしなのだ。わたしは、その考えを、わたしの良心からもぎとることが、なんとしてもできなかった。そのため、わたしは、ひどく心配になって、おちついていられなくなった。ひとところにじっとしていることができなくなった。わたしは、わたしのしていることがどんなことか、これまでに一度も、じっくりと考えてみなかったのである。だが、こんどは考えたのだ。わたしは、その考えにつきまとわれて、だんだんつらくなってきた。ジムをその正当な所有者ワトソン嬢からにがしたのは、わたしではない。だから、わたしには責任