『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

『太陽の塔』『明日の神話』との対決を避けつづける日本の反体制運動は、はっきりいっておかしい。

今回の選挙結果に対する批判というか嘆きをみて、どうにも気になることがある。
「あなた」は、いまこの社会に「参加」していないのか?
「わたし」は、ある種の迂回をへてこの日本社会に「参加」している。
わたしがうんざりするのは、この「参加」に対するひねくれているうえに卑屈な態度である。悪い例が目立つという事だと思いたいが、たぶんちがうだろう。
岡本太郎は、ひねくれているように見える行動だったとは思う(本当はひねくれてなどいないのだが)、少なくとも本気で「参加」していた。奇妙な言い方だが、本当に「孤独」だったからこそ本気で「参加」することができた。
問題はこの(社会への)「参加」のあるべき姿である。『太陽の塔』はものすごいバランス感覚の上で成立した作品である。いま、これと似た「参加」は、ほぼ不可能だと思う。『明日の神話』と似た「参加」ならば、現在日本もなんかと可能だと思う。そこを考えない日本の反体制運動は、はっきりいっておかしい。オリンピックならば、「わたしスポーツは散歩ぐらいしかしないから」という不要論を出すことはできるが、万博の場合は「文化」まるごとを取り上げる必要がある。まあ、それは1970年大阪万博のみに限定できる、ともいえるが……。



付記
岡本太郎という人は、たとえどんなにふざけて見えても、自分の存在をかけて行動した。そこが、そこらへんのいやしい連中とまるで逆だ。あの連中は、おそらく「社会は商品」だと思っている。岡本太郎という人は「石ころのほうがすごい場合がある」と言い切る。