『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

注釈メモ 「論説 旧韓末北関地域経済と内外交易」「朝鮮語で語られる世界」「竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」「朝鮮からみた明治維新」「歴史と文学 朝鮮の場合」「解放前の在日朝鮮人運動史」「解放後の在日朝鮮人運動」「定住外国人としての在日朝鮮人」「論文「自立した関係をめざして」に対する私の意見」「論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見」など(梶村秀樹)

竹内好」という単語がふくまれる論文
竹内好氏の「アジア主義の展望」の一解釈」「排外主義克服のための朝鮮史(第一章)」「朝鮮からみた現代東アジア」「第1巻解説 梶村秀樹著作集」「朝鮮近代史の若干の問題」「現在の「日本ナショナリズム」論について」「「日本人の朝鮮観」の成立根拠について――「アジア主義」再評価論批判」「亜州和親会をめぐってーー明治における在日アジア人の周辺」「朝鮮からみた明治維新
梶村秀樹先生と竹内好氏との関係はどうしても徹底的に調べておかない「内在的発展」の描き方の核心部分がわからなくなると判断した。今考えても、わたしの判断は大英断だったといえる。

「論説 旧韓末北関地域経済と内外交易」
以下、CiNiiで公開されている。
旧韓末北関地域経済と内外交易 | CiNii Research


・この論文には、「内在的発展」という単語がまったく使われていない。「内在的」という単語もない。「自主的」「主体的」「独自性」「国民経済」「ユニーク」「活気に満ちた」「科学的」「生産様式」という単語はある。
・メモ
かとうけいきせんせい

どこの国でも黒字
ユニーク
資本蓄積

 本稿では、こうした北関地域経済の開港期以降の展開を、歴史的条件に対する積極的・能動的対応の側面からとらえ、日本側によって容易に制御しえない経済活動領域が存在したことを浮びあがらせることを目的としたい(7)。具体的には、史料上の制約から、まず当地域経済がかかわる隔地間交易の進展の軌跡を追うことになるが、それは、域内における社会的分業の進展等について、今後の研究の手がかりを得ることにもつながると思う。


やがて南部朝鮮地域において、対日貿易を通じての従属経済化の軌道から脱出することは、植民地化へ向かう政治状況の進行ともあいまって、しだいに困難の度を増していくのだが、その点、対日貿易とは異質な関係を内包するウラジオ貿易をもつ北関地方は、一九〇〇年代以降においても、その肯定的な刺激によって条件づけられた域内経済の発展の可能性をなお保持していたといいうる。
 もとより一般的に資本主義的発展の決定的要因は域内的諸条件であろうが、事実として貿易黒字による蓄積の可能性をもたらすような積極的な外国貿易の存在が、どこの国でも重要な役割を果たしてきたことはまちがいない。そこで以下、北関地域固有の国際貿易関係の進展状況を具体的におさえながら、その域内経済的意義を考えてみることにしよう。


(略)この北関―ウラジオ国際航路はさしもの日本商人も手の及ばぬところであり、朝鮮人商人主導で開発されていったのである。いまその詳細を摘記しておこう。
 こうした汽船便ウラジオ航路を創始したのは浦潮在住の帰化朝鮮人金秉学で、一九〇一年のことであった。「本年(一九〇一年)六月以来、露国帰化韓人金秉学ナルモノ、自家商用ノ生牛輸出ヲ目的トシテ本邦汽船幸照丸三四八トンヲ雇用シ、当城津港及元山浦潮港間ノ運輸航路ヲ開始シ、本年一一月ニ至リテ航路閉止ヲ告ゲタルモ、本航路ノ開始ニヨリテ当港対外国貿易ノ通路始メテ開通セラレ、ソレガタメ当港及ビ附近ノ地方ニマデ利益的影響ヲ及ボシタル真ニ少々ナラザルモノトス(35)」という。なお翌一九〇二年には牛疫が流行し、ロシア側の検疫制度が厳しく行われたため全般的に生牛の形態での輸出は不振であり、御用商人でもあった金秉学は他に転進して、この事業からは手を引いていくことになる。そして後を継いでこの汽船便生牛輸出を行ったのが、やはりウラジオ在住商人であった崔鳳俊であった。崔鳳俊は仁川の堀力太郎所有の京畿丸四二〇トンを雇用して、一九〇三年四月に初航海、以後、元山-城津―浦潮間を盛んに運航した。日露戦争中は中断を余儀なくされたけれども、戦後もこの事業を再開し、京畿丸だけでなく五洋丸等も雇用してこの事業を拡大し、一九一二年に破産するまで継続した(36)。
 かくしてウラジオ向け生牛輸出の拠点となっていく城津港は、もともと元山等に比べて日本商人の勢力が相対的に弱く、


とすれば、朝鮮人住民による輸移入総額一八〇万円余は輸移出所得で充分まかなわれうる額であり、不健全な収支の要因はもっぱら日本人サイドにあることが明らかだ、と高坂は主張する。高坂はまた、この地域の日本の軍事機関等の建設支出や官庁経費等の日常的支出額を積算して、軍隊と官庁がこの地域で民間に散布した金額が約一七〇~一八〇万円に達しており、これが前述の日本人の需要の源泉、また域外交易収支赤字の原因にほかならないとして、上記の推論を裏付けているのである。
 高坂のこの推計はかなり確からしいものと思われるが、そうとすれば、一九一〇年代初頭、北関地域における日本人経済は、軍港ウラジオにおける帝政ロシアの消費経済と酷似した不健全な消費経済であったのに対し、同地域の朝鮮人経済には、植民地化前の活気に満ちた地域経済の名残りがなお認められ、地域内自給性を強めつつも、総体として健全な域外交易収支をなお維持していた、ということになるのである。ただし、植民地的制度の枠組の中で、それはさらなる発展の展望を見出しえなくなっていたことも見落としてはなるまい。

[注]
(2) 地域経済ないし地域経済圏という用語はやや多義的だが、ここでは道程度の範囲を指す広い意味に用いることにする。
(略)
(4) 北関地方という用語もまたやや多義的だが、本稿では、狭義の北関地方、つまり六鎮ないし咸鏡北道地方に限定することなく、この地方を中心としつつも、咸興以北の地域全般を漠然とやや広く指す、当時の史料の用語法に従うこととしたい。


再評価、もっと俗ないいかたをすれば、売れるようにするにはどうすべきか。まず過去の例を調べる。じっと見つめる。
「ポータブル・フォークナー」「ゴッホの手紙・ひまわり7枚、星月夜、アルルの跳ね橋」「ある奴隷少女に起こった出来事」「観察・判決・流刑地にて・変身・審判・城・田舎医者・断食芸人」「分断を生きる・半難民の位置から・過ぎ去らない人々」「非ユダヤユダヤ人」「第三の警官」「ドグラ・マグラ」「別れる理由・寓話」「北へ遷りゆく時」「徳川家光のウサギ」「賜物」「戯曲人類館」「家の馬鹿息子」「泥棒日記」「女中たち・バルコン」「夢・眠るジプシー女」「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」「燃える草原」「ヤーコプ・フォン・グンテン」「オバケのQ太郎」「無人島に生きる十六人」「ベルリン・アレクサンダー広場」「サリエーリ 生涯と作品 モーツァルトに消された宮廷楽長」「自分の中に毒を持て」「日本中世の村落」「荘園(永原慶二)」「刀狩り(藤木久志)」「幕末政治と倒幕運動」「向う岸からの世界史―一つの四八年革命史論」「匪賊の社会史」「エチカ・神学政治論(スピノザ)」