『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

メモ 梶村秀樹先生の著作 再読リスト(2024年1月7日から2024年3月12日まで) 誤字脱字の修正一覧ふくむ

誤字脱字一覧



朝鮮語で語られる世界」

ちかっているわけな

ちがっているわけな







定住外国人としての在日朝鮮人

(11)

(11[#「11」は縦中横])



また。そうでなくても

また、そうでなくても



梛会

都会



冒瀆、旧字異字、底本ママ



注5参照

注5参照



「→」、底本では縦書きのため「↓」

「←」、底本では縦書きのため「↑」



「……移民として外国人を

「……移民として外国人を



「朝鮮からみた明治維新



教養大たち

教養人たち



奉仕しつづけたのだろうか?

 八月十五日

奉仕しつづけたのだろうか? 八月十五日







「差別の思想を生み出すことば」



なし


誤字脱字一覧

「なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか」

えいえいえと

えいえいと



承知しておられますか? 土地はどのようにして手に入れたのでしょうが? 土地はどのようにして手に入れたのでしょうか? 設備や建物をつくるのに実際に汗を流して働いたのは誰

承知しておられますか? 土地はどのようにして手に入れたのでしょうか? 設備や建物をつくるのに実際に汗を流して働いたのは誰



因として「あること

因としてあること



「論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見」

なし



誤字脱字一覧

「論文「自立した関係をめざして」に対する私の意見」



かんぐりを謝絶し、積極的な討論が深まることを望む主旨から、あらかじめ釘をさしておく。

右論文のほとんど最後に近く、結論とみなすべき部分に次のようなくだりがある。

かんぐりを謝絶し、積極的な討論が深まることを望む主旨から、あらかじめ釘をさしておく。



右論文のほとんど最後に近く、結論とみなすべき部分に次のようなくだりがある。



ムード的に操作[#「ムード的に操作」はママ]

ムード的に操作



統一課業[#「統一課業」はママ]

統一課業



朗らかな[#「朗らかな」はママ]

朗らかな







「旧韓末北関地域経済と内外交易」



論説 旧韓末北関地域経済と内外交易

旧韓末北関地域経済と内外交易



二、五二一人



二、五一二人






浤かに

確かに



目本の朝鮮侵入

日本の朝鮮侵入



少しづつ

ママ



[#ここでキャプション終わり]



貧しい日本人の間には、植民地時代にも、

[#ここでキャプション終わり]

貧しい日本人の間には、植民地時代にも、





「植民地朝鮮での日本人」



fig49966_15.png

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[#3字下げ]歴史と文学[#「歴史と文学」は大見出し][#地付き][1984年][#「[1984年]」は縦中横]



私はこのようなテーマの議論を得意としているわけではないし、自分が歴史家なのかどうかも心もとない日常なのだが、折角のお勧めなので、少し未熟な意見を開陳してみることにしたい。

[#3字下げ]歴史と文学[#「歴史と文学」は大見出し][#地付き][1984年][#「[1984年]」は縦中横]











私はこのようなテーマの議論を得意としているわけではないし、自分が歴史家なのかどうかも心もとない日常なのだが、折角のお勧めなので、少し未熟な意見を開陳してみることにしたい。



傾向か強いが、

傾向が強いが、





「申采浩の朝鮮古代史像」



[#3字下げ]申采浩の朝鮮古代史像[#「申采浩の朝鮮古代史像」は大見出し][#地付き][1978年][#「[1978年]」は縦中横]



はじめに[#1字下げ]はじめに[#「はじめに」は中見出し]

[#3字下げ]申采浩の朝鮮古代史像[#「申采浩の朝鮮古代史像」は大見出し][#地付き][1978年][#「[1978年]」は縦中横]









はじめに[#1字下げ]はじめに[#「はじめに」は中見出し]



(一) 運動経歴と思想の展開[#1字下げ]はじめに[#「はじめに」は中見出し]

[#1字下げ](一) 運動経歴と思想の展開[#「(一) 運動経歴と思想の展開」は中見出し]



(二) 啓蒙運動期の歴史観[#1字下げ]はじめに[#「はじめに」は中見出し]

[#1字下げ](二) 啓蒙運動期の歴史観[#「(二) 啓蒙運動期の歴史観」は中見出し]



(三)一九二〇年代の古代史研究[#1字下げ]はじめに[#「はじめに」は中見出し]

[#1字下げ](三)一九二〇年代の古代史研究[#「(三)一九二〇年代の古代史研究」は中見出し]



(四) 『朝鮮上古史』の朝鮮古代史像[#1字下げ]はじめに[#「はじめに」は中見出し]

[#1字下げ](四) 『朝鮮上古史』の朝鮮古代史像[#「(四) 『朝鮮上古史』の朝鮮古代史像」は中見出し]



[注[#「注」は太字]]

[注[#「注」は太字]]



[さんずい+貝]水は[くさかんむり+軒]

[さんずい+貝]水は[くさかんむり+軒]

調べたが、漢字が出ない



※[#「元のにょうの形+りっとう」]

※[#「頑のへん+りっとう」、第 3水準 1-14-60]



(12[#「12」は縦中横]) 『나라사랑』三集八三頁参照。

(12[#「12」は縦中横]) 『나라사랑』三集八三頁参照。



(14[#「14」は縦中横]) 『나라사랑』三集八八頁参照。なお、マルクス主義を選択しなかった理由については『全集』補遺所収「浪客の新年漫筆」参照。

(14[#「14」は縦中横]) 『나라사랑』三集八八頁参照。なお、マルクス主義を選択しなかった理由については『全集』補遺所収「浪客の新年漫筆」参照。



(25[#「25」は縦中横]) 「꿈하늘」(『全集』補遺一六一頁)。

(25[#「25」は縦中横]) 「꿈하늘」(『全集』補遺一六一頁)。



なお、一九一二年に彼が執筆したという「檀奇古事重刊序」という文が『全集』(下巻四八四~八六頁)に収められているが、これも、確かに申采浩の文であったとしても、史料の発見を喜んでいるだけで、檀君信仰を表明した文にはなっていないし、これ以降の論文で『檀奇古事』を史料に使うというようなことは、全くしていない。

[#ここから2字下げ、折り返して1字下げ]

なお、一九一二年に彼が執筆したという「檀奇古事重刊序」という文が『全集』(下巻四八四~八六頁)に収められているが、これも、確かに申采浩の文であったとしても、史料の発見を喜んでいるだけで、檀君信仰を表明した文にはなっていないし、これ以降の論文で『檀奇古事』を史料に使うというようなことは、全くしていない。

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]



[追記] 校正の途中で李万烈「丹斎申采浩の古代史認識試考」(『韓国史研究』一五号、一九七七年二月)という論文に目を通すことになった。右論文のモチーフは、本稿のそれとかなりよく似ている。しかし、個々の論点と全体像において、李教授の到達された見解と私のそれとは、全く一致するところと顕著に異なる所がある。だが、本稿の原稿は、一九七六年一二月にすでに編集委員の手に引き渡したものなので、その時点では右論文は公表されておらず、当然本稿には右論文を吟味した上での論評はふくまれていない。申采浩に関心のある読者には、取敢えず右論文を併せ読まれ、比較検討されるようにお願いしておきたい。

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]

[追記][#「[追記]」は太字] 校正の途中で李万烈「丹斎申采浩の古代史認識試考」(『韓国史研究』一五号、一九七七年二月)という論文に目を通すことになった。右論文のモチーフは、本稿のそれとかなりよく似ている。しかし、個々の論点と全体像において、李教授の到達された見解と私のそれとは、全く一致するところと顕著に異なる所がある。だが、本稿の原稿は、一九七六年一二月にすでに編集委員の手に引き渡したものなので、その時点では右論文は公表されておらず、当然本稿には右論文を吟味した上での論評はふくまれていない。申采浩に関心のある読者には、取敢えず右論文を併せ読まれ、比較検討されるようにお願いしておきたい。

[#ここで字下げ終わり]

[#地から1字上げ](一九七七年一〇月九日、再校の際に、筆者記す)













引用メモ

その観点から苦難の歴史が問い返され、生きる意味を見定めるよすがとして、苦難を背負いきれなかった史実と苦難を背負いえた史実とが、シビアに点検される。



意味としての歴史の領域は、別に専門家の独占物ではない。



歪められた歴史像を虚心に批判していく中で、おのずから意味のある歴史に到達しうると、彼は楽観的に考えていた。





皇国史観」「停滞史観」が同時代史までも染め上げていた日本帝国主義の植民地統治下の時代を、意味の観点から深くつかもうとする場合も同様である。確かに社会経済状態や民族解放闘争を概観しうるような史料は官製史料しかありえないのだが、それらはもともと限定された意味しか語らず、植民地統治の全体像を「意味として」とらえようとするならば、いかに断片的であれ、朝鮮語で語られた史料の世界にわけ入っていくほかないのである。



同時に、暴圧に屈せず、積極的・主体的に生きる民衆の生き生きとした姿をはじめてかいまみたのも、文学作品の中であった。私たちが沈熏の作品『常緑樹』を翻訳したときの、目からうろこが落ちるような体験は忘れがたい。一九三〇年代の朝鮮を、もっぱら官製史料の側からみるならば、そこに浮かんでくるのは、強力で横暴な統治者が受身な「物」のように民衆をさいなみ、民衆はただ「アイゴ、アイゴ」と悲鳴をあげながら空しく逃げまどうのみ、といったイメージである。そのイメージに基づいて、私たちは勝手に同情したり、偏見を持ったりしてきた。ところが、『常緑樹』に描き出されている農民たちのイメージは決して単にそういうものではない。確かに情況はすさまじいが、にもかかわらず農民たちは、人間的な生活感情をもって厳しい情況と対峙し、したたかに生き抜いている。この側面を欠落させた植民地民衆像は、「意味としてみた」従って「科学的」な民衆像として十全なものではなかったのである。



(51[#「51」は縦中横]) この部分は、文法的には「高句麗の[#「の」に傍点]」と訳されるべき原文であるが、それでは前後の意味が通らないので、このように訳出した(文法的にもこう訳すことはできる)。



誤字脱字一覧

朝鮮民族解放闘争史と国際共産主義運動



[#3字下げ]朝鮮民族解放闘争史と国際共産主義運動[#「朝鮮民族解放闘争史と国際共産主義運動」は大見出し][#地付き]〔1971年〕[#「〔1971年〕」は縦中横]



[#1字下げ]序章 朝鮮史の主人公としての朝鮮人民[#「序章 朝鮮史の主人公としての朝鮮人民」は中見出し]

[#3字下げ]朝鮮民族解放闘争史と国際共産主義運動[#「朝鮮民族解放闘争史と国際共産主義運動」は大見出し][#地付き]〔1971年〕[#「〔1971年〕」は縦中横]









[#1字下げ]序章 朝鮮史の主人公としての朝鮮人民[#「序章 朝鮮史の主人公としての朝鮮人民」は中見出し]







[王+奉]

※[#「王+奉」、第 3水準 1-88-9]



難かしさ

ママ



大物

人物



生まれねばやまぬ[#「生まれねばやまぬ」はママ]

生まれねばやまぬ



立だされている

立たされている



敞しい

厳しい



だげ

だけ



説き明す

ママ



全然少ない

ママ



文献10

文献10[#「10」は縦中横]



汚ない

ママ



レジメ[#「レジメ」はママ]

レジメ







・「中見出し」のほとんどを、「見出し」として扱わないことにする。かつ、「※小見出しよりもさらに下位の見出しには、注記しませんでした。」の一文を追加。

・〔注[#「注」は太字]〕のところに[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ][#ここで字下げ終わり]を追加


誤字脱字一覧

「八・一五以後の朝鮮人民」

大衆意議[#「大衆意議」はママ]

ママ



構力機構[#「構力機構」はママ]

ママ



比較的騒視

比較的軽視



分れて

ママ



※[#「恵」の「心」に代えて「日」、第 3水準 1-85-44]



起こったのは。もっぱら

起こったのは、もっぱら



南の大衆かそれを

南の大衆がそれを



[#1字下げ]2 李承晩の時代[#「○○」は太字][#「2 李承晩の時代[#「○○」は太字]」は小見出し

[#1字下げ]2 李承晩の時代[#「2 李承晩の時代」は太字][#「2 李承晩の時代[#「2 李承晩の時代」は太字]」は小見出し



北、朝鮮の政権は

北朝鮮の政権は



くり返ざれた

くり返された



叶いた[#「叶いた」はママ]

ママ



与件[#「与件」はママ]

与件













※入力者注

小見出しの字下げする文字数がそろっていない。




誤字脱字一覧

「排外主義克服のための朝鮮史



木阿彌

ママ



必要ない工夫かな

ママ



二段階として必要としている。

一段階として必要としている。



無関係ではない。と考えな

無関係ではない、と考えな



[参考文献]

[参考文献[#「参考文献」は太字]]













メモ

私は、はじめ質問の意図がなかなか、やっぱりのみこめなかった。のみこめない意識状態こそまさに問題だったと思います。



日本人である私個人の側にやらねばならない「必然性」があるはずだ。



これを逆にいえば、自分の専門領域の知識だけによって、いわば小手先で仕事をしていたことを暴露してしまったわけです。

やはり、「ひろしまタイムライン」のときに、テレビもひどいが、インターネットはもっとひどい、無神経だ、ぐらいのことをいったほうがよかった。インターネットは巨大な権力になっているのだから。



それを結局、自分を抜きにして、自分の外側にあるものとして、



それはお前の必然性を大声をあげてだれかに言うことではなくて、自分の内部においてはっきりさせておくことが、絶対必要であるという、非常に重要なことを指摘してくれていたんじゃないでしょうか。



むずかしさがあるが故に私自身を変えていく契機としてやっていくべきなのだ。

消費文化の強大化あたりから、変えること自体嫌がるようになった。それも、へりくつつきで。



しかしだからといって、それがすっきりしてしまってからでなければ具体的なことに入ってはいけないということじゃなくて、分からないなりに細心の注意を払いながら、やっていくことを避けるわけにはいかない。



切実な要求感の欠落



つまり全面的な価値体系が、空気のようにしみ込んできている帝国主義的なイデオロギー体系、あるいは社会関係の中で作り出されてしまっているということを、出発点において私たちは免れえないのではないかということです。



そのことを職業的な歴史家ではない、とくに若い二世・三世の在日朝鮮人青年が、いかに自分の歴史を、朝鮮の歴史を切実に求めているかということに気づくなかで、私は改めて感じさせられています。



私が例えば『東学史』(平凡社東洋文庫)という一冊の書物を翻訳すると、それにふれてさっそく自分自身の問題意識にかかわらせて問題提起を僕の方に投げかけてくれたのは、そういった切実な要求をもっている人たちでした。いうまでもなく、客観的に我々が知っているように、言葉さえも奪われ、しかも、「朝鮮人であるが故にだめだ」という日本人の差別観にさらされている中で、自分自身を取り戻そうとすると、やはり自分自身を人間として回復するということと、自分自身がその一員である朝鮮の歴史と朝鮮民族、それを自分の内部に取り戻すということは全く不可分である。それが彼の必然性でもあるわけです。容易ならない状況だけれども、なんとかそれを取り戻していかなければならないという気持ちが、おのずから朝鮮人にはあるわけです。

消費文化とインターネット文化



一つのエピソードがあります。ある朝鮮人が日本の歌謡曲を批判して「日本の歌謡曲には、雨が降ったり涙が出たり別れたり、悲しいというような言葉がふんだんに盛り込まれているが、どうもその中身がない。言葉だけだ。朝鮮の例えば民謡には、そんな大げさな言葉はそんなに出てこなくても、その歌の歌詞と旋律と全体の中に無限の悲しいという感情がちゃんとこもっているものだ。もともとそういう形でしか表現できないものじゃないのか、どうも日本の歌謡曲のはにせもののような気がしてならない」と言われた。そういわれて聞いてみると、確かにそんな気がします。例えばそういうようなことです。



それが結局、我々がインターナショナリズムへだんだん接近していく過程なんだろうと思います。

インターネット文化のインターナショナリズム幻想



自分の存在規定性がどこまでもついてまわる以上、逃げ場所はないんだと覚悟を決めなければならないと思います。

消費文化とインターネット文化



まず学校教育・日常生活・家庭環境・社会の中で作られる我々の普遍的な社会意識あるいは価値観、生活がいかに形作られているのかという点です。

結局どれが一番強いんだ、ということを梶村先生も言えない。



どこからでもつき崩す、とにかく崩せるところから崩していくほかはないわけで、それを手工業的にであれ何であれ、とにかくやりはじめなければならない。

どれが一番強いか言えないことが原因。



それは我々が引き継ぐべき伝統だという問題意識、アジア主義者の系列を再評価しようという問題提起を、例えば竹内好氏のような人すらが日韓闘争のころ、「日韓親善」イデオロギー攻撃が激化しているさなかに提起された。僕はたしかめてみたわけではないけれども、竹内好氏は少なくとも所説を今は撤回されているんじゃないかと思いますし、個人的なレッテル貼りをするつもりはないんですけれども、僕らがむしろ驚き、容易ならないと思ったのは、その一声に応じて「そうだ、そうだ」と、この観点を支持するエピゴーネンが、右翼ならともかく左翼らしき部分の中から続出したことです。



「日本人もけっこういい面もあったんだよ」といって、本当の問題をいわばごまかそう、避けて通ろうとする心情、それがすごく普遍化していることを「アジア主義」をめぐる議論の分布が象徴的に示しているんじゃないかと思います。当時の竹内好さんは思想的な良心をかけてそのような発言をされたと思います。主観的には、むしろ大真面目で、無意識のうちに独善を出してしまうという例であるからこそ僕らは、むしろこれを自分の問題として重要視しなければならないと思うのです。



そういう腰の定まらぬ批判じゃ有効ではないと思うのです。



朝鮮問題が特殊な問題として取り組まれるというのではなく、あらゆる問題を考える中で、朝鮮を決して忘れないということが必要だと思います。



実践的な過程の中で、一般論じゃない次元でしか明らかにしていくしかないように思います。

たとえば、インターネットは集合知ができなかった論、あれは、悪い意味での実感論だ、シンを食っていない。



朝鮮のことをある程度知っている人間が、中途半端に知ったことをすべてと思い込んでしまって、最も悪質な偏見の持ち主になることはよくあることのようです。最近、在日朝鮮人がこう言っています。「最近、朝鮮問題あるいは朝鮮文学について、不思議なほど日本人の関心が高まっている。今まで無視されていたことに比べればびっくりするくらいで、うれしいことのようだけれども、経験に照らして、あとの反動が恐ろしいとすら感じる。ずっと続けてほしいんだけれども、たえず、そういう逆転がまた起こりはしないかと心配になる」と。これはもちろん、関心を持つのがいけないのではなくて、持ち方があまりに軽薄で地道なものと思えない、という批判でしょうが、在日朝鮮人から見るとそう思わざるをえない、福沢諭吉のような手のひらの返し方を、今まで無数の日本人がくり返してきたんだということなのです。僕らは少なくともこのことを肝に銘じておく必要が非常にあるだろうと思います。

イーロン・マスクとかの問題



福田徳三の場合には、



そこへ、さらにウイットフォーゲルの例の「東洋的社会論」、いわゆる水びたしの理論が入ってきて、イメージにピッタリだというので、異常に流行することになる。これはマルクスのアジア的生産様式論の歪曲で、西欧近代のアジア観の図式をマルクス主義の上に強引に継ぎ木したようなものです。



ついでながら、今日、超越的な「反省」論議には事欠かないが、「日鮮同祖論」を口をきわめて批判しながら、停滞史観の方はなおほとんど問題にしえない人がいる。



しかし、それと同時に、例えば停滞論的な基軸から朝鮮史を見るような価値観そのものが、意欲をわかせなくしているとすれば、それ自体をひっくり返すことを追求しなければならない。

消費文化も、あるいみそうだ。目先の都合で全能感をもったり不能感をもったりしている。



(略)「内在的発展」という言葉に圧縮されるような姿勢が必要ではないかと気がついてきた。



朝鮮問題に生き生きとした関心を示せるような発想の根っ子がかけているのは、他者として蔑視しているからではないか。つまり認識の程度が義理でとおりいっぺんの浅いもので間にあわされてきた。



ところがそれが、知識としてのみ蓄積された。それと同じようにいわゆる経済過程が土台だという図式に暗黙のうちにささえられながら、いわゆる社会経済史を精密にたどってゆけばよいのだという発想が、僕たちが「内在的発展」という言葉から最初に引き出した意味だった。



またさらにそれを支えていた思想、例えば申采浩という人の精神の姿にふれ、うたれることに進むと思います。



居直りにもなる。そんな「反省」が必要なんじゃない。



それが道義論的に空転していったのも客観主義的なためだったと考えます。



えぐり出すような研究――既成の研究という概念にあてはまらないかも知れませんが

そんな言い方をしない方があるいはよかったのではないかと思うのです。朝鮮の歴史の中の、朝鮮の大衆運動の中の豊かさというべきものを、



内在的発展を追求すること、それで始まるし、しなければならない。そうしなければ何にもならないと言いたいわけです。



ブルジョア国家主義と根底的に闘うものとはいえない質だといってしまえばそれだけのことだ。



その点、少なくとも幸徳秋水社会主義者として自国の帝国主義を否定した点ではっきり違っている。『二〇世紀の怪物帝国主義』という著書を、

内在的発展のかずすくない例



容赦なく切っているという感じですね。旗田氏の場合もほぼ同じ発想ですが。僕が思いますには、幸徳のそういう限界は確かにあるが、



非常に具体的に自分自身の祖父・父・私と三代が、農工兼業の山村民から小学校教師・役人と営々として天皇制国家の枠組みのなかの忠良なる臣民として生き、またなり上がってきた生活意識の体系のようなもの、そこからおのずから、排外イデオロギーがしみ出てくるような原基を問題にしたいと思うのです。歴史学の範囲に入るかどうか分からないけれど、家の歴史の中での朝鮮とのかかわりを全面的に掘り起こしたら、ロマンチシズムより、もっと重いものが沈澱してこざるをえない、少なくとも私のばあい。

目指すべきもののはずなのに、ほとんど作業がない。



僕はとりわけ、南朝鮮に行く人といろいろな形で会う機会が少なからずあるのですが、とにかく一般意識のようなものが随分はっきりとあらわれてきてしまっている。日韓条約の前と比べると、悪い方にずっと変わってきているような気がする。



焼身自殺した全泰壱《チョンテイル》氏をはじめとする零細企業の下請けの下請けのまた下請けというようなひどい条件の中で、



権力をカサにきて理屈も何もなしに神がかった結論をおしつけるものだが、