『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

2025年大阪万博の「展示すべて」をこえることは、あなたの給料3か月分、おおよそ50万円あれば十分である。これは、2025年大阪万博が中止されようがされまいがまったく関係ない。

すべて文化について語ることは、自己の(集団の、ではない)独創性についての(望むならば「生産性についても」でもかまわない)自信について語ることである。それ以外はただの時間つぶしにすぎない。いまの歴史認識運動は、自己の独創性について「他者からの抑圧」でしか語れないし、そもそも自己の独創性を語ってるのかも明確でないから、他人をひきよせない、というところがある。これは異論があるかもしれないが、まあ私が間違っていること自体はどうでもいい。
さて、2025年大阪万博の「展示すべて」をこえることは、あなたの給料3か月分、おおよそ50万円あれば十分である。わたしは真剣にこう主張する。これが自信というものだ。「これは、2025年大阪万博が中止されようがされまいがまったく関係ない。」というのは、万一にも誤解されないための補足である。
ディズニーと1970年大阪万博の「展示すべて」をこえることは、確かに難しいが、2025年大阪万博ならば、そんなに難しくない。
だいたい、こういわないと生きていること自体がつまらない。


メモ

こえることが可能のはずの著作物、「縄文土器 四次元との対話」(岡本太郎、19552年)「中世の庭 矛盾の技術」(岡本太郎、1955年~1956年)
「四次元との対話」というのが正しい。

決意をするからエネルギーが出てくるのであって、エネルギーがあるから決意をする、というのは重大な間違いである。

https://www.tokamachi-museum.jp/engine/wp-content/uploads/2020/03/books_hk_nenpo02.pdf

(4) ムアー(ヘンリー・ムーア)、ガボ(ナウム・ガボ)、ペヴスネール(アントワーヌ・ペヴスナー)、リプシッツ(ジャック・リプシッツ)、ゴンザレス(フリオ・ゴンザレス)、ジャコメッティ(アルベルト・ジャコメッティ)、カルダー(アレクサンダー・カルダー)が挙げられている。本文の図版には、ペヴスナーの《勝利の展開縦隊》(1946年)とガボの《空間の線的構成》(1949年)が登場する。

ロベール・ドローネ、1937年パリ万博に出品した作家のひとり。「ブレリオへ捧ぐ」を見れば、なんで縄文土器論や前衛に属する彫刻作品群と並べるのかがわかる。
岡本太郎、かなり早い時点で公共展示の作品という案を考えていた。
「中世の庭」、これと同じか越えるような批評は、どの立場からでも正直かなりむずかしいだろう。


エッフェル塔と飛行機、気球、飛行船
パリの街並みを描いている画家はたくさんいるのに、エッフェル塔は意外と書かれていない。
エッフェル塔ユトリロ、リヴィエール、アンリ・ルソー、ドローネー、シャガールデュフィ、フジタ。
飛行機、気球、飛行船、アンリ・ルソー、ドローネー、フジタ(フジタは戦争画だけ)