『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「「はだしのゲン」の掲載取りやめ 平和教育の教材、広島」(東京新聞)という記事にたいする提案――10歳から「賞金」をとるようにだけ方向づけるというのはどうだろうか

「はだしのゲン」の掲載取りやめ 平和教育の教材、広島:東京新聞 TOKYO Web

 広島市立の小中高校が取り組む「平和教育プログラム」の教材から、漫画「はだしのゲン」の掲載がなくなることが17日、市教育委員会への取材で分かった。市教委がプログラム内容を検討する中で「漫画の場面だけでは被爆の実相に迫りにくい」と判断し、家族を失った被爆者の体験と継承の内容に2023年度から変更する。
(略)
 はだしのゲンは、小学校低学年の3年生の学習部分に登場。ゲンたちが、身重の母親のために浪曲のまねごとをしてお金を稼ぎ、栄養不足を補うために食べさせようと池でコイを釣る場面を引用した。

インターネット上では、これが検閲だと思っている人が多いようだ。まあ、そのとおりだろう。しかし、わたしは、教育現場で、ほとんどの教師が生徒にまともに「歴史の全体」(だいたい意味はわかってもらえるはずだ)を教えられない可能性があっても、まったく、不思議ではないと考えている。そんなはずはない、というのは、日本の教育現場の現状に対する過大評価でしかない。個人で真剣にとりくんでいる教師には失礼な発言だとは思っているが、そう疑われてもおかしくない現状がある。

そこで提案がある。
教師が生徒に教えるのを全部やめる。10歳から39歳までの若い生徒を集めて、資料だけあたえて、あとは何にもいわない。それで1000文字以内で書かせる。世界中から書かせたものをあつめて、一番優れているものに5万円、二番目に優れているものに3万円、三番目に優れているものに1万円。もちろん、教師は自分の財布からカネをだす。
これならば、教師の負担も減るし、なにより、生徒は自分の書くものに自信をもつようになるはずである。このことがなにより大事である。
そう、いっさいズルなしで自分の言うこと書くことに自信をもたせることが「教育」の存在意義のはずである。
この方法にも問題がいくつもあるが、教師と生徒の関係をかなり平行にする、というのは重大な長所であり、生徒に自分の言うこと書くことに自信をもたせることに役立つはずである。


以下、付記。
反学校論、反教育論に近い論者は、「教室なんかどうやったって結局権威主義で子どもに本物の自信をつけられない。自分たちのやりかたのほうが子どもに本物の自信をあたえられる」といっていたと思うが、ごく最近、あんまりズルばかりする連中が多いので、「基礎はしっかり身につけてもらわないと困る」とトーンダウンせざるをえなくなっている(らしい)。まあ、これはわたしのただの印象論であってほしいし、学校でなくともすごいものは書ける、ということだけ守ってもらえればほかにいうことはない。


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髙橋 善逸は雷の呼吸・壱ノ型しか習得できなかった。獪岳はその事をバカにしていたわけですが、獪岳自身は逆に全ての基礎である壱ノ型だけ習得できなかった。結局、壱ノ型しかできなかった善逸が、壱ノ型を疎かにして鬼に堕ちた兄弟子を斬るということになるわけですから、鬼にならないために我々もそれぞれの壱ノ型を大切にしなければならないのかもしれませんね。皆さんの周辺にも、壱ノ型を疎かにしたことで鬼に堕ちたというような事例があるのではないですか?

今井 恐ろしい話だ……。

嶋 日本史界隈は洒落にならん事例が……。