『太陽の塔』(1970年作、大阪府所有)について必ず知っておくべき情報をてっていてきに考える

[B! 万博] おお、岡本太郎批判にそのまま使えそうだ。本来は万博会場全体の予算であ..


この記事を読んで、いくつかかけている重大な情報があり、全体として読む価値の落ちた記事になっていないと思った。最初はコメントしようと考えたが、独立の記事にしたほうがいいと判断し、「『太陽の塔』(1970年作、大阪府所有)について必ず知っておくべき情報をてっていてきに考える」という記事を書くことにした。啓蒙のためでもあり、自分の頭の整理のためでもあり、またほかの理由もある。それはあとで書くことにする。

まずここから考えてみる。『太陽の塔』は、「1本の柱」のような形である。
この「1本の柱」、人の流れとの関係は一切考えられていないのか? 実はまったく逆である。
これについて、岡本太郎自身が「観客流動の問題」が原点(のひとつ)だったとはっきり書いている。
1970年大阪万博の万博協会側の注文の大枠を要約すると、こうなる。「テーマ展示場は広場に作る。高さ30メートルの大屋根もつくる。広場と大屋根に人を最大限集めてくれ、ただし渋滞をさせないでくれ。」これが注文の大枠の条件だった。
これに対して、岡本太郎の出した結論は、「広場から大屋根を一本の動線(「1本の柱」)でつなぐ。ほかのものはつくらない。→長い1本道をつくる(これを専門用語で「ところてん方式」というらしい)」
『テーマ展示 基本構想(1967年、岡本太郎)』という文書がある。わたしがしるかぎり、この文書に言及している例はほぼないが、きわめて重要である。



これは考えてみればきわめて基本的なことなので、だれでもわかる。

  • 太陽の塔』の建設を推進した万博協会側の功労者はだれか?

わたしの見るかぎり、大阪万博協会会長「石坂泰三」の判断がかなり貢献している。
1968年の許可を出す場で、石坂氏はこう言った。「うむ、これさえあれば、もう万博は成功です。あとは、何も無くて良い。」(これは岡本敏子氏の『岡本太郎に乾杯』の記述による)
そして、丹下健三氏のフォローもあったと思われる。
実際、20年以上たった時点で、そうなったといっていい。
それと、太陽の塔はあの外側の部分は当時の金額で6億3千万円、「生命の樹」や展示などをふくめて約25億円。だいたい現在の価値に換算するにはだいたい5倍すればいいので、31億5千万円。実はふつうのマンションの団地ぐらいの値段(だったか)であり、また、ほかのテーマ館とくらべて、外側の部分は意外と安いのである。技術的にはほぼ例がないのでかなり難しかったと複数の関係者は語っているが。




太陽の塔とは – 「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)
内訳が見つからない。





つまり、である。状況と各種資料を見るかぎり、

予算案の問題は確かにあったのだろう。資料によると、テーマ館予算は最初10億円(当時)。そのご、岡本太郎氏が大蔵省に行って直接要求して約25億円になった。これは、「つかみ金」という特例の会計処理だったという。

おそらく、優先順位の第一位は、民俗資料の購入プラス太陽の塔(外側)だったのだろう。

最初に戻るが、「途中で発覚し慌てて止めようとしたが時すでに遅し。あの塔が完成した」というのは、まったくのまちがいなのである。案を出してから会長が認めたのだから。だいたい、だめだと思ったら、たとえば大屋根に穴をあけず、ただの大きい柱プラス大屋根の中での展示にすればすんだのである。
なんでこんなおぼえちがいをしたのか、わたしには一つ仮説がある。2024年現在と1968年で、人々の士気にあまりにも断絶があり過ぎるからだ。この書き手はあまりに巨大な断絶から目をそらし、無意識に2024年の社会の現実に、『太陽の塔』をめぐる人々の行動をあわせてしまった。このスジはそれほどまちがっているともおもえない。これだけではないとはおもうが。





20240903、約20分、わたしは睡眠を大事にするから。
20240904、約10分ぷらす10分。またかきなおさないと。
20240905、約15分。またかきなおさないと。


















いい注文がなけれあいいものができるはずがない。こんな大事なことがわからなくなる過程があった。

「先生以外には誰もほかに考えていません。七〇年三月十五日からと会期も決定し、間もなく世界中に参加招請状を発送します。その中心になるテーマ館です。いま十億の予算があります。この予算を全部お渡しして、お任せしますから。どのようにお使い下さっても、口は出しません。もし絵を一枚描いて、これがテーマだよとおっしゃれば、それでも結構です。」
「うむ、これさえあれば、もう万博は成功です。あとは、何も無くて良い。」
宇宙のはてより、遠く感じてしまうときがある。そんなものは完全にまやかしにすぎないのに。

2024年現在の世界史における判断。たぶん30年ぐらい前から、世界史の上でそもそも太陽の塔以上のものをつくる必要も失われたうえに、その気力も失われた。ツタンカーメンのマスクがつくれなくなったように。中村哲氏がいい例だが、「本当の」ライフラインを守ることのみににありったけの気力をそそいだほうがいい人生を歩める。「創作家」氾濫の時代はそういう時代の必要に対するある種の保守反動(もっと単純に「逃げ」でいいか)にほかならない。過激反動なんかではない。
わたしは勝手に日本の(世界の)反体制運動家は、『太陽の塔』をこえるものをつくれなくて悔しいとおもっているのではと考えていたが、これはまちがいだった。同じ土俵に上がっていないのだから、悔しいと思っているはずがない。そもそもスケールがデカすぎて、考えからはずしている。これこそ思考の負の遺産。皮肉なことに、例外の一人が糸井重里氏。