google検索の劣化して専門家はdiscordに行ってしまいインターネットには屑情報だけになってしまった - orangestar2
わたしはこの記事を、インターネット文化のねじれた勝利宣言だと考えている。
なにについての勝利宣言か。――「必要」を追求せずに、「名誉」と「金」を追求できる、もうちょっとの間は確実に、という(はっきりいって異常な)文化をつくることができた、という勝利宣言である。もちろん、これは本当ならばインターネット文化についての誇張したとらえかたなのだが、きわめて問題なのは、それを文化の参加者が自己認識としていとも簡単に認めてしまうことである。人生には、たとえ冗談でも、言ってはいけないことがある。
まず第一に、この記事には、「必要」またはそれに類する言葉がただの一度も使われていない。それを「専門知」という言葉で、はっきり言うが、すりかえている。あの人たちはすりかえているという認識がないのだから、
同時に、よく見ると、インターネット文化の「権威」はなくなってしまう、という意味の言葉も一度も使われてない。「記事」がなくなるとは書いてあるが、「権威」がなくなるとは書いていない。これは当然のことなのである。
それが最近は嘘だってわかってしまった。インターネットの情報やログというものは紙よりも消失が早く、10年前のログには殆どアクセスできない。10年残るサービスはほとんどなく、サービス終了とともにログも消失してしまう。何もかもが残らない。そして今、専門知はクローズドなサークルに独占されて、『インターネット集合知』という幻想も消えてしまった。
寂しいなあ、何とかならないかなあ、なんともならないんだろうなあ。
という風に思っています。
この文章は、少なくとも50%まちがっている。わたしだったらこう書く。
「「必要」を追求せず、自分のよりどころを見つめず、他人を見つめることも放棄し、つまらない「名誉心」と「小金」ばかり固執する。そしてつまらなくないものを追求するのをあれこれヘリクツをつけて追い出す。その結果、「いま、ここ」の強者にひたすらすりよる。その結果の一つがあの能登半島地震の政府対応をめぐってのなりふり構わない擁護「運動」だ。こんなインターネット文化の「権威」はさっさと全部なくなったほうが人々のためだ。」
こういう人が、たとえば梶村秀樹先生や浜田寿美男氏や中村哲氏のような、日の当たりにくいところで迷いながら自分の信じた道を進んだ人間を、ねじれた「名誉心」をよりどころに、カゲで見下していたのだろうか。そんなことを思うと、怒りより情けなさを感じる。わたしの記憶では、インターネット文化は、はじめのころから、自分のよりどころを見つめることから逃げていた。というより、過小評価と過大評価を出し入れすることで利益を得ていたと考えている。
念のために言うが、orangestar氏1人のことをいいたいわけでは絶対にない。同じような卑屈なことを考える人間がうんざりするほど多く、そしてそれが「死傷者が出るほどの大事件を起こす可能性が十分にある」から問題なのであり、わざわざこの記事で書いているのである。
もう少し整理したうえで、つづきを書く。
付記
無知の暴露 - apesnotmonkeysの日記
これが14年前か。