ざっとこの30年間のインターネット文化を見ていて、第一に考えざるをえないことはインターネット文化が人間の生き死にについてまともな自信をもっていないということだ。
たとえば、インターネット文化が30年間も聖書(たとえば日本語版)の共有財産化をできなかったら、それはなにかが根本的に欠けているという事だろう。
米川正夫訳ドストエフスキー四大長編の共有財産化が、法的条件がクリアされた7年後もまだできていないということ。これは、はっきりいってダラクではないか? まあ、有料電子書籍は作成されているが……。
コロナとの闘い4年目に、読書バリアフリーをとりあげた小説が有名文学賞を受賞して、そこに対して自分のこととして反応できない人が多いという事。現時点の判断として、文化のダラクと考えたほうがいい。
これはついでだが、「インターネット老人会」で検索して、青空文庫をあげる人が1人もいなかったときがあった。あれはショックだった。技術を消費財としてしか考えていないのではないか?