『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

群馬、石川、そして大阪の知事。生死にかかわる問題の事実を簡単にねじまげている。つまり、現在に向き合うことができない上に、問題が起きるとすぐ卑劣な行動をとる。こういう人間はそれそうとうの賠償をしたうえで「隠居」すべきである。

隠居(いんきょ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

隠居(読み)いんきょ
精選版 日本国語大辞典 「隠居」の意味・読み・例文・類語
いん‐きょ【隠居】
〘名〙
① (━する) 世の中のわずらわしさを避けて山野など閑静な所に引きこもって暮らすこと。また、その人。隠棲。閑居。楽隠居。
続日本紀延暦二年(783)三月丙申「田麻呂、〈略〉十四年宥レ罪徴還隠二居蜷淵山中一、不レ預二時事一」
※今昔(1120頃か)一三「只隠居を好む心のみ有り」 〔論語‐季氏〕
② (━する) 官を辞し、世間での立場を退き、または家督を譲って世の中から遠ざかって暮らすこと。また、その人。また、一般的に、家長が生存中に、自分の自由意志によって、その権利を相続人に譲ること。また、その人。
※九暦‐九暦抄・天徳三年(959)一二月一四日「遣二殿上諸衛佐等一、令レ計二記京中隠居高年等之員一、為二恩給一云々」
浮世草子世間胸算用(1692)四「されば今迄は惣領どのに隠居(インキョ)したまへども、二男の家をもたれければ、又気を替て、そこへ隠居の望み」
③ 表舞台から去ること。身をかくすこと。
吾妻鏡‐文治二年(1186)三月一四日「前備前守源行家・前伊予守源義経等、姧心日積、謀逆露顕。逐於二都城外一、亡二命山沢一。隠居之所粗有二其聞一」
④ 「いんきょじょ(隠居所)」の略。
浮世草子西鶴織留(1694)一「母親、隠居(インキョ)の戸をあけて下女をおこし」
⑤ 江戸時代、公家または士分の者に科した刑の一つ。不行跡や取締不十分などを理由に、その地位を退かせ、その食祿をその子孫に譲らせること。
※わらんべ草(1660)五「大倉彌太郎虎明〈略〉寛文元年、十一月、隠居被二仰付一、同十九日、法躰也」
⑥ 老人。老人を呼ぶ場合、また老人の自称としても用いる。
滑稽本浮世床(1813‐23)初「こっちはねむくってならねへ。隠居(インキョ)さんこそ寝倦(ねあき)なはるから、夜の明るのを待兼なはるけれど」
⑦ 江戸時代、江戸小伝馬町の牢屋内には囚人達の私的な役人がいたが、そのうち官から命ぜられないで囚人たちの間で内々に決めた役人の名称。主要な牢内役人を退いた者を何々隠居などと呼んで優遇した(たとえば、大隠居、若隠居、隠居並)が、そのほか元入牢した際、名主をして牢法を心得ている者を「隅の隠居」、雪隠(せっちん)、すなわち便所への道にいる者を「つめ(雪隠のこと)の隠居」と呼ぶような例もある。
※歌舞伎・小袖曾我薊色縫(十六夜清心)(1859)序幕「(牢へ)行きゃア隠居と立てられて、見舞の初穂を喰ふ株だが」
かくれ‐い ‥ゐ【隠居】
〘名〙 隠れていること。また、その所。
※雅兼集(1135頃)「隠れゐの木くれの月のもるのみや紅葉散る夜のとりどころなる」
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デジタル大辞泉 「隠居」の意味・読み・例文・類語
いん‐きょ【隠居】
[名](スル)
1 官職・家業などから離れて、静かに暮らすこと。また、その人。民法旧規定では、戸主が生前に家督を相続人に譲ることをいう。「社長のポストを譲って隠居する」「御隠居さん」
2 俗世を離れて、山野に隠れ住むこと。また、その人。
3 江戸時代の刑罰の一。公家・武家で、不行跡などを理由に当主の地位を退かせ、俸禄をその子孫に譲渡させた。
[類語]閑居・隠遁・わび住まい・隠棲・隠退・老人・年寄り・老体・ロートル・年配者・高齢者・老い・シニア・老いぼれ・長老・老輩・老骨
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改訂新版 世界大百科事典 「隠居」の意味・わかりやすい解説
隠居 (いんきょ)

目次
煩雑な社会を逃れて山野に隠棲すること,官位を捨て家督を次代に譲って社会生活から遠ざかることを意味する。平安時代の貴族社会にあって隠居は退官を意味したが,武家社会では家督相続など家のあり方をあらわす重要な慣行となった。江戸時代の武家社会では,隠居と家督相続が同時に行われるのが普通である。隠居の契機は相続人の婚姻や,隠居人の年齢的肉体的諸条件による場合が多い。また江戸時代では公家・武家の不行跡者にたいする刑罰の一種で,不行跡者を現在の地位から強制的に退隠させ,法体させた場合も隠居と称されている。明治民法は家制度の中に江戸時代武家社会の隠居,相続の慣行を採用しているといわれている。

 民間の相続慣行は個々の家により異なるのではなく,地域的な民俗慣行として存在する。東北地方から日本海沿岸の地方では,隠居慣行は大家族制に覆われて希薄であり,東北地方を除く太平洋岸から瀬戸内地方,とくに九州・四国地方に別居,分住隠居の慣行が濃厚に残存していた。隠居慣行の分布する地域は大家族制にたいして,夫婦中心の小家族の成立を志向しており,隠居慣行のあり方は前近代社会の家の類型を探る手がかりとみなされている。
→家
執筆者:仲村 研

民間の隠居慣行
明治民法においては生前に戸主権を家督相続人のために放棄する行為を隠居とし,普通には戸主が満60歳以上であること(ただし女戸主の場合は何歳でもよい),および家督相続人をあらかじめ承認しておくことが規定されていたが,日本の各地で行われてきた隠居慣行はひとつの家族がその内部でいくつかの相対的に独立した生活単位(世帯)に分かれて生活する制度をいう。隠居はしたがってひとつの家族が複数の世帯に分かれるので隠居複世帯制ともいい,こうした隠居複世帯制を採用している家族を隠居制家族とよぶ。隠居制家族は家族内部の生活単位をとくに分離しない単世帯制家族とともに日本の家族のひとつの典型をなしていた。隠居における生活の分離は食事,住居,財産の使用,労働,祖先祭祀などさまざまな側面にわたっていたが,とくに別居,別財,別竈に示される住居,財産,食事の分離が重要であった。こうした意味における隠居は日本各地に広く分布しているが,その分布には一定の地域的差異が認められる。隠居の北限は福島県であり,これより西南の各地,すなわち茨城県,伊豆諸島,山梨県,愛知県,志摩半島滋賀県,瀬戸内海諸島,および四国・九州の各地に濃厚に分布している。これらの地域にあっても一定の条件下で例外なく徹底的に隠居慣行が行われている地域と不徹底な形で隠居が行われている地域とがある。また隠居は山村(畑作農村),平地水田農村,漁村のいずれでも行われており,生業上の条件や経済階層とは直接的な関係はみられない。隠居はかならずしも過去の家族制度ではなく,現在も行われている家族制度でもある。たとえば,家族の居住関係にのみ限定すれば,滋賀県のある地域で,隠居屋の建築が近年の流行となったり,また都市周辺に見られる新婚者の屋敷内別棟居住形態も一種の隠居の再生産といえよう。

 日本各地で行われている隠居は大別して親別居型と嗣子別居型に分けることができる。親別居型は親が隠居屋に移って隠居世帯を形成し複世帯となるものであって,隠居は一般にこの型が圧倒的に多い。嗣子別居型は相続人である嗣子が隠居屋に移って隠居世帯を一時形成し,のちに主屋世帯と居住の交換を行うものである。嗣子別居型隠居は滋賀県,瀬戸内海諸島,九州南部などで確認されており,隠居のなかでもとくに西南日本に分布が偏向している。隠居世帯形成の時期は嗣子別居型では相続人の結婚を契機とするものが多いが,親別居型は多様である。ひとつは長男の結婚と同時に親が隠居するものであって,この場合には次,三男以下の子女を隠居屋に同行することが多い。隠居者の年齢が比較的若く,まだ働きざかりの時点で隠居するから,隠居世帯に移っても生産活動を継続するのが一般的である。逆に長男の嫁は姑との同居期間が短く,いわゆる家風の伝達は微弱となる。いまひとつの形態は結婚,分家など子女の家族的展開が終了したのち,親夫婦のみで隠居する形であって,この場合には隠居者の年齢が高く,隠居世帯の生産諸活動も限定的である。とくに伊豆諸島のように婿入婚が行われている地域では嫁の夫家への引移りと隠居が同時に行われることが注目される。隠居は家族内における一時的な生活分離であるから,隠居者の死亡とともに隠居世帯は消滅し,家族は再び単世帯制となる。

 主屋世帯と隠居世帯の生活分離の程度は地域によってさまざまであり,伊豆諸島に顕著に見られるように別居,別財,別竈のきわめて独立性の高い隠居世帯もあれば,滋賀県のように住居のみを別にする独立性の低い隠居世帯もある。しかし住居をなんらかの形で分離するのは隠居の最低条件である。隠居屋はインキョヤ,ヘヤ,ツボネ,ヨマなど各地の民俗語彙でよばれているが,主屋よりは小さいもののイロリ,炊事場,便所,寝室など生活に必要な諸設備を備えている。隠居屋の多くは屋敷内にあり(徹底的に隠居を行う地域では恒常的な隠居屋が各家に備わっている),主屋とは入口が別々であり,正月には別に門松を飾る地域もある。漁村や山村では空家や他家の一部などを借りて隠居屋とする例も多い。食事の別は竈の別,すなわち別火を意味するが,これとは別に食事の好みの差という現実的意味も加味されている。また隠居屋は主屋と別の田畑を利用することが多く,こうした田畑はふつうインキョメンとよばれる。田畑の分割は隠居の高い独立性を保障し,労働の分離と家計の分離に関連している。位牌祭祀をはじめとする祖先祭祀を隠居と主屋のいずれが担当するかはまちまちであり,現実的に仏壇がどちらに置かれるかも地域差がある。伊豆利島のように位牌分けによって双方で位牌祭祀を行う例もある。隠居制家族においてこのような主屋と隠居屋の生活分離ばかりでなく,盆や正月における共食や隠居娘・隠居息子などを通じて連帯関係を保持している。隠居娘・隠居息子とは隠居屋で一時的に甘く育てられた子どもたちをいい,結婚に際して各地で〈隠居娘は300円安い〉などといわれているが,その本質は子どもを通じた主屋と隠居屋の連帯関係の保持にある。

 家族の構造との関連において隠居の社会的意義を考察すれば,隠居は長期的には親子関係を根幹とする直系家族にあって,短期的に夫婦単位に生活分離を行う点から夫婦関係を重視する家族制度とみなすことができる。したがって日本の家族は隠居制の視点から,東北日本を中心とする親子関係重視の非隠居制家族と西南日本を中心に分布する夫婦関係重視の隠居制家族との二つの類型に分けることが可能である。実際上のあり方は別として,夫婦関係重視の隠居制家族は,その点で現代の核家族と類似する側面をもつ家族類型ともいえよう。
執筆者:上野 和男

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「隠居」の意味・わかりやすい解説
隠居
いんきょ

家長が家長権、つまり家長としての地位、権限などを息子など継承者に譲渡して退隠の状態に入り、あわせて村落生活でも「家」の代表を次代に引き継ぐこと。明治民法では、戸主が生前に戸主権を家督相続人に譲ることをさし、諸種の規定を設けていた。隠居の語意は「隠れて居る」ということであったが、その内容は時代、地域や階層によってさまざまな展開を示した。平安時代の公家(くげ)社会では隠居は致仕退官を意味した。

 隠居をもって家督の譲渡をさすようになったのは戦国時代のことで、武将の間では家督を嫡子に譲り、自らは若干の財産を保留して退隠する風潮が広まった。この風は江戸時代の武家社会にも伝えられ、嫡子が成人妻帯して家長たるにふさわしい格式を備えると、相続と隠居をあわせ行った。別に罪科により家長権を剥奪(はくだつ)して隠居させる法もみられた。また町人社会には壮年の間に「若隠居」して、以後風流な生活を楽しむのを人生の理想とする傾向が生じた。それは「楽隠居」を形成し、これがしだいに隠居の一般通念となっていった。

 村落社会では現在も全国にわたり多様な隠居が認められる。とくに隠居者の生活はその居住、食事、経済などをめぐってさまざまである。たとえば隠居者の居所を取り上げても、隠居は同居隠居、別居隠居、分住隠居と3大別される。これは居所について、隠居者と継承者が屋棟(やむね)を同じくするかどうかによる分類である。なかでも別居隠居が隠居の主体をなしているが、これにも、隠居者夫婦だけが別棟の隠居屋に出る単独別居、継承者夫婦以外の家族員、つまり弟妹などを連れて出る家族別居があり、さらに長男の成人、結婚に際して次男以下を伴って隠居別居し、やがて隠居屋をもって次男以下の分家にあてる隠居分家の3種がみられる。ついで分住隠居とは、隠居に際して父親は本家に、母親は分家に分かれ住み、その後父母の葬式や年忌なども本分家別々にするものである。

 別居隠居ではしばしば食事、経済も別になり、一家のなかに複数の世帯を形成する。それは家族をもって世代別の居住を理想とする観念に基づくもので、ひいては夫婦家族(核家族)中心の家族構成をとるに至り、「家」の複世帯制を導くといえる。このような観念に支えられた隠居慣行は、福島県以南の太平洋岸各地、とくに伊豆諸島や三重県南部、紀伊半島、ついで瀬戸内海地方や四国、九州地方の各地に分布している。これらの地域はまた「末子相続」の慣行と重複する所も少なくなく、あわせて日本の家族慣行に独特な光彩を放っている。

[竹田 旦]

穂積陳重著『隠居論』(1915・有斐閣)』▽『竹田旦編『大間知篤三著作集 第1巻』(1975・未来社)』▽『竹田旦著『民俗慣行としての隠居の研究』(1964・未来社)』▽『竹田旦著『「家」をめぐる民俗研究』(1970・弘文堂)』

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百科事典マイペディア 「隠居」の意味・わかりやすい解説
隠居【いんきょ】

戸主が生存中に家長の権限,財産を次代に譲ること(家督相続)。民法旧規定で制度化され,隠居者は満60歳以上とされた。1947年の新民法で廃止されたが,まだ一部で行われている。関東以西の太平洋側や九州には別居・別食・別財型,日本海側・東北地方には同居・同食・同財型が多い。父親と母親が本家と分家に分住する型や隠居分家という特異な型もある。
→関連項目還暦
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「隠居」の意味・わかりやすい解説
隠居
いんきょ

本来の意味は官職を退いて自宅に籠居すること。言葉は平安時代からあったが,戸主が生存中に家督,財産を相続人に譲渡することを隠居と称するのは室町時代に始り,鎌倉時代に法制上の問題となった。江戸時代の武士の隠居には願い出によるものと刑罰によるものとがあったが,前者には老衰 (70歳以上) と病気との2種の理由が認められた。明治民法においては,生きているうちに戸主権を家督相続人のために放棄する行為を隠居とし,戸主が満 60歳以上であること,および相続人をあらかじめ承認しておくことが規定されていた。こうした法律で規定されたような隠居とは別に,広く行われてきた隠居制による家族形態も一般的である。