「中国・山西省日本軍生体解剖の記憶 (へいわの灯火ブックレット (5))」や「次世代に語りつぐ生体解剖の記憶―元軍医湯浅謙さんの戦後 (教科書に書かれなかった戦争)」で紹介されていた本。予想以上に物凄い内容の本であった。
陸軍軍医学校では石井四郎が講義をしていた。本格的な細菌戦の講義があったという。それどころか、人体実験の結果として得られた生首10体分以上を見せらせた。これは軍医学校の学生全員が見せられたという。また、学生たちは倫理的な反発を感じることなく、興奮していたという。1度だけだが、細菌戦用に使われる細菌の製造工場ラインも見学を許されたという。
著者の石田氏はビルマに配属された。インパール作戦の最中に牟田口廉也中将がいたという「料亭」とは、将校用の高級慰安所だったようである。
一番重要な生体解剖の内容。加害者はX軍医中尉(後に自殺した)とその部下の衛生兵。被害者は重慶軍のスパイと思われる男性2名(中国人かビルマ人かは不明)。
2名は麻酔なしでベッドに縛り付けられ、口をふさがれていた。1名の睾丸を切除したのち、腹を裂き小腸や胃などの内臓をとりだして殺害。もう1名は空気注射を行って殺害。
あまりのことなので衛生兵3人が反乱をおこしてX軍医を止めようとしたという。彼らは軍法会議にかけられたが、敗戦のために処分がうやむやになったという。
このX軍医は上の2名のほか、さらに2名を生体解剖で殺害した(著者と別の軍医が目撃したという)。また、人肉を兵隊の食事にまぜた疑惑もあるという。
このほか、軍事医学の本質、ビルマにおける「大東亜共栄圏」のハリボテぶり、「慰安所」にまつわる記述、ビルマにおける日本軍のずさんな作戦指導、著者が行った自殺ほう助など、紹介したい部分がたくさんある。
日本の古本屋で安く手に入るので、一読をお勧めする。
目次
悪魔の日本軍医*目次
プロローグ 私の「悪魔の飽食」 7
第一章 医師にとって戦争とは何だったか
陸軍軍医委託学生 16
軍陣医学を学ぶ 25
戦場の医師 31
軍陣医学の光と影(そのI)――鼻の移植―― 40
軍陣医学の光と影(その二)――凍傷の治療―― 47
石井四郎軍医少将の特殊講義 55
細菌兵器 61
「マルタ」 65
軍医学校時代のエピソード 68
第二章 ビルマ戦線での医の論理
ビルマ侵攻作戦 75
龍兵団第四野戦病院 81
マラリアの研究 88
宣撫としての医療 97
黒水熱の土侯の王子 105
麗しの王女 112
第三章 戦場の白い虹
インパール作戦始動 122
熱帯医学教育班 126
白霓《はくげい》――自い虹―― 134
慰安婦 138
酒場の女・チェリー m
戦場にかける恋 147
第四章 悪魔の生体実験
戦局の緊迫と兵士の動揺 158
現地人の離反 167
狂気の軍医中尉 171
戦慄の生体実験 175
七三一部隊の非道をこえる 184
転出 187
視察旅行 191
第五章 私も同胞を殺した
インパールへ 198
敗走 203
太陽のない世界 207<ダルマ兵> 211
スパイ・チェリー 215
崩壊 217
敗戦 223
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(2013年07月19日 追加)
P065~067
「マルタ」
そして、この石井特殊講義のなかで、ついに私たちは「マルタ」と対面することになる。それは、七三一部隊において細菌による人体実験に供された「マルタ」の生首であった。(中略)
正確な数字は忘れた。が、少なくとも十個以上あったことは、たしかである。これらのホルマリン漬にされたナマ首を、石井軍医少将は飛行機に乗せて、本家[#「本家」に傍点]まで運んできた。
(中略)
四十年後のいまでも、馬鼻疸菌の標本などはありありと思い出すことができるから、この講義は、医学的にはかなり効果的だったということになる。
黒い発疹がでていた。馬鼻疸菌のために、血液が壊死して、赤血球が破壊され、凝固した痕跡である。発疹の粒子の大きさはちょうど小豆大で、顔面に二十~三十個、まる坊主にした頭髪の中にも、頸部にも出ていた。
それらの標本を仔細に見せながら、石井軍医少将は、標本(マルタ)に馬鼻疽菌を感染させてから、死にいたる過程まで克明に説明した。
ことわるまでもないが、この場面、とくに私か石井閣下に目をかけられた結果、私ひとりだけ特別に観察を許されたのではないということである。すくなくとも軍医学校第二十二期生の三百名全員が、石井少将の説明にしたがって、順次、観察した。
ついでにいえば、『悪魔の飽食』では、七三一部隊の陳列室ではじめて、これらのナマ首を見たものは、思わず腰が抜け「大のおとなが、ヘナヘナとすわり込むほどのものだった」と証言されているが、私どもの軍医学校では、そのような反応を示したものは一人もなく、みんな、強い医学的関心をこめて観察していたようである。私もまた、そうであったことは、これまたいうまでもない。
P101
宣撫としての医療
八七頁の略図をもう一度見ていただきたい。龍第四野戦病院の西方に「慰安所」とあるのにお気づきであろう。ここでいる慰安、とはほかならぬ兵士たちの、性の解放所であり、内地でいえば、遊郭に当たる施設であった。兵士は「ピー屋」と呼んでいた。内地や、当時、領土として併呑していた朝鮮半島から募った慰安婦たちにサービスさせるのである。この頃、兵隊の月給七十円は、まるまる銃後の家族に送られ、それにプラスされる戦時手当の七十円が、現地で、軍票ルピーで支給されるというケースが多かったから、兵士たちの懐ぐあいは比較的によく、おおいに異国の慰安をたのしんでいたのであった。なお、この慰安所は、第四野戦病院に所属する兵士と、第五十六捜索隊センウイ地区駐屯司令部のためのものだった。
P138~141
この予期せぬ自然現象の大歓迎にくらべて、第四野戦病院の同僚たちにうらやましがられた将校専用の「翆香園《すいこうえん》」は、なんとも阿呆らしいかぎりの存在だった。
翆香園は、九州にある大きな料亭の出店である。日本から派遣された芸者を二十人あまりもかかえており、そのあでやかさといったら、とても前線にある兵士用の慰安施設の比ではなかった。
俗に兵士たちが「ピー屋」と呼んでいる慰安所のことについては、すでに触れた。たしかに、慰安[#「慰安」に傍点]してくれる女性がおり、男性[#「男性」に傍点]として欲情の吐け口にはなったが、要するに女の体がそこにあり、女体に重なって性を処理するという、ただそれだけの機械的な作業にしかすぎなかった。しかも、性病予防を厳重にするという意味で、作業[#「作業」に傍点]にあたっては「突撃一番」(コンドーム)の装着が義務づけられていた。難儀なことに、この突撃一番に象徴される兵士たちの性病予防の管理もまた、われわれ軍医の領域だった。
私の見たかぎりでは、それほどのことはなかったが、他の戦線で、慰安所がもっとも多忙をきわめているときには、兵士たちが建物の前に長蛇の行列をつくり、つぎの順番がまわってきた兵は、その段階で軍袴《ぐんこ》をずらして突撃一番を装着しておいて、前の兵が終えるやいなや、すみやかに突撃[#「突撃」に傍点]を敢行するという情景は有名である。こういう兵士《もののふ》たちの息もつかぬ猛攻に耐えうる慰安婦たちを「狼子《ろうし》軍」と呼んだ。なんという哀しい呼称だろうか。
それにくらべると、最後は同じく「突撃一番」の装着ではあっても、翠香園の夜は、それにいたる手順と状況がまるで違っていた。だいいち、この男のパラダイスヘ、しっかり突撃一番を握りしめて、目ばかりギラギラ光らせて、せかせかやってくる客など一人もいなかった。
まず酒を飲む。将校たちの宴のこともあれば、粋な一人客のこともある。酒は日本酒で、この頃まではまだふんだんにあった。輸送船で日本から運んできたものか、あるいは現地で醸造したのかそれは知らないが、かなりうまい酒たった。
酒席には芸者がつく。その芸者と、ねんごろ[#「ねんごろ」に傍点]になるのである。内地のお茶屋とまったく同じであり、内地のお茶屋といえば当時、よほどの御大家の旦那さんクラスしかシキイがまたげなかったのに、ここでは、将校(少尉以上)であれば、だれでも迎えてくれるのである。まったく、軍隊天国といえた。
むろん、私もメイミョウに到着して、かなり早い時期にこの軍用高級社交場を探険した。こちらの若さもあって、日本人芸者との一夜は、おおいに男として充実した。
が、なんとなく様子が違うのである。様子が違うというこのあたりの機微を、大正生まれの男性ならおわかりいただけると思う。巧言があり、令色があり、嬌声があり、男と女のきわどい会話があり、最後に男と女になっておおいにほたえる[#「ほたえる」に傍点]のではあるが、この間、心の片隅にどうも本気でモテてはいないなという思いが抜き難いのである。
無理もなかった。
この料亭の前には、夜になるといつも赤や黄の旗をつけた乗用車が、ずらりとならぶ。赤い旗は佐官旗で、少佐、中佐。黄色い旗は将官旗で、少将、中将の専用車をあらわしている。ついでながらビルマは、大将はいなかった。敗戦近くなって木村兵太郎中将が大将に昇進したぐらいである。話がずっと後にたるが、方面軍司令官河辺正文中将が、インパールの責任を問われて更迭され、代おってきたのがこの木村兵太郎中将であった。木村中将はラングーンを捨てて南のモールメンに逃げたのに大将に任官したのだから、日本軍はこの時点において「無謬《むびゅう》」という豪語を捨てたことになる。それを事実として立証するならば階級秩序の絶対性しかなく、その絶対性すらあやふやになったとき、無謬陸軍はもはや存在しえなくなるであろう。
ともかく、そういう次第でこの翠香園は、佐官・将官にとっての天国であり、その天国ぶりについては、戦場においてすら芸者の「落籍」が行なわれうるという、超戦場常識において裏づけられていた。落籍させたのは、牟田口中将である。この司令官の得意満面は、ついに旱香園の芸者ナンバーワンを司令官専用とし、なんと、軍司令官の官舎で夫婦同然の暮らしをしていた――と、これは噂であるが、おそらく事実であろう。
そういう超戦場常識を発揮できる魔人たちに対して、青白い青年将校がいくら軍票を浪費しても、モテるわけはなかったのである。
私がこのメイミョウにおいて「チェリー」と呼ぶきわめて蠱惑《こわく》的で、かつ危険なハーフ・カッシュと深い仲になるのも、実はこの翆香園への失望の反動といえよう(引用者註:このチェリーという女性はスパイであったことがP215~217で書かれている)。
P177~184
戦慄の生体実験
さて、以下に情況を書く。
この時期――というだけで、正確な日時の記憶はない。このあまりに衝撃的な事件については、忘備のためにある程度、詳細にわたるノートをとっておいたのだが、のもの敗走の際、これを納めた将校行李もろとも焼失してしまった。
私か、週番(当直)将校についた夜だった。
夕食をすませて、各病舎を巡察しているとき、呻き声の交錯した異様な物音を聞いた。どこかの病棟の患者の容体でも変おったのかと、声をたよりに東の病棟をくまなくまわったが、それらしき患者は一人もいない。しかも、物音がつづく。不審に思い、病舎の窓から外に目をやると、灯が一つ洩れていた。
もう一度、野戦病院の周辺図(八七頁)を御覧いただきたい。東病棟のさらに東の三角印が、その灯の洩れでた場所である。そこは畑であり、畑の中にいつの間にか、軍用テントが一張り張られていた。この天幕は前線に仮設して、傷兵の手術や処置を行なうための臨時の施設である。
そういう非常用の施設が設言されることがおおやけに、つまり長井院長の認可のもとに行なわれたのなら、当然、週番士官の私の手もとに報告がなければならない。なぜならば、私の巡察の任務は当然、その臨時の施設をも含まれているからであり、もし、巡察において臨時施設の異常を見落としたら、私の責任が問われることになるからである。 それが、ないところからすると、これはあくまでも非公式であり、つまりは「秘密」の何事かが行なわれていることになる。そこまで思い及んで、私にはピンときた。
〈X軍医中尉ではないか〉
ほかでもない。このX軍医中尉ついては、その頃から野戦病院内で「妙なことをしている」という噂が立っていたからである。が、さすがに若い私には、その「妙なこと」の中身までうかがい知ることはできなかったのである。
私は天幕に近づいて行った。
おりから雨季の真っ只中で、セソウイも猛烈にむし暑く、「秘密」の作業にもかかわらず、密閉した中で行なうことは不可能で、たしか四方のうち二方は開放状態だったと思う。灯は、そこから洩れていた。
灯は石油ランプだった。三つぶらさかっていた。
私は近寄って内部をたしかめると、思わず、棒立ちになった。天幕の中にはいつの間にか、あの重い手術用の台が二基、運び込まれており、しかも、その一基ずっに、全裸の男が緊縛されている。男たちはいずれも眼かくしされ、きつく猿轡をはめられて、両手は腕の部分立眉の二ヵ所、両肢は大腿部と膝とくるぶしの三ヵ所、それこそ身動きもつかぬほど、ロープで手術台に固定されている。
固定といっても、所詮は固い手術台にやわらかい人体をくくりつけたものだから、やはり、完全固定とはいかない。人体は、しきりに動く。腹部が大きく波打ち、手足も蛇のようにうねる。これから行なわれようとする酸鼻をまえに、まことに無残な観察だが、私は人体というものが、これほど柔軟なものとは思わなかった。とにかく、完璧なまでに緊縛されていても、実によく動くのである。
それだけではない、猿轡の下から声があふれ出る。口中にはいっぱいつめ物をされているにもかかわらず呻き声が出ると思ったのは、実は、口を通じての発声ではなくて、鼻孔から呼吸とともに噴き出してくるのであった。鼻が声を出すということについて、それは、生理学的になんの不思議でもない現象なのに、じつにその異現象に驚いたものであった。
私は戦慄した。
そして、たちどころに、これから行なわれようとすることを了解した。二つの生きたままの人体(もはや、人間というには彼らにとって冒涜であろう)は、昨日、あるいは今日まで、重慶軍のスパイとして、自軍に敵日本軍の情報を送りつづけてきた男たちだったに違いない。それを、センウイ駐屯司令部付の憲兵がつかまえ、銃殺刑をいい渡し、銃殺刑をいい渡し九段階で憲兵隊は敵スパイの死体として、この野戦病院へ送り込んできたはずであった。
憲兵隊の認定では「死体」だが、現に生きているという事実が、無残きわまりなかった。 実は、その前に、この同じ第四野戦病院で、生きている「死体」を見たことがある。生きている「死体」が、生理的に「死体」になるまで見とどけたことがある。死体と称された「生体」を、完全に死体にせしめたのは、Sという軍医大尉だった。医者が、その作業に手をくだした。その一部始終を、私を含めてかなり多くの人が見ていた。
場所は、野戦病院の中たった。たしか、病院隊長室のすぐ西あたりだったと思う。その一隅に穴が掘られ、その前に目隠しに後ろ手に縛られた敵スパイが、カエルのように抑えつけられていた。声はどうだったか、そういう場面には、はじめて出くわす私は、さすがに動転していて、そこまでの記憶はない。ただ、カエルを踏んづけたみたいな生体が死体に変化する直前という、いずれにしても厳粛な瞬間において、やや滑稽な格好だけは奇妙におぼえている。
S軍医大尉は、銃剣術五段という猛者だった。それが、軍刀の試し斬りをかねて銃殺代行をひき受けたのである。白刃は二度振りおろされた。ピュッと血が噴き出して、それが男の最後の生理の反応となった。死体は穴のなかに蹴り込まれ、兵隊がその上に土をかけた。弔いというような気分はみじんもなく、ゴキブリを一撃したあと、ちり紙でつまんでゴミ箱へ捨てたあとのような、妙にさばさばした顔つきだったことに、私は正直いって舌をまいたものである。階級だけは士官でも、実際に敵弾の中をくぐり、白兵戦を演じてきたあの兵隊たちにはとてもかなわない。
話をもどしてこの場面でも兵隊が三人いた。衛生兵たった。しかし、この場面ではさすがに、斬首刑にした敵兵の死体を始末した兵のような顔つきではなかった。三人とも手術着を着けながら顔をこわばらせて、二つの人体から目をそむけるようにしていた。
主宰者は、やはりX軍医中尉だった。ついでながら、私とX軍医との階級は同じであるが、私より先に中尉に任官しているので、先任将校といって軍律では上官に位置していた。つまり、もし仮にそのときの私が、人体実験という事の重大さに、ヘイグ条約的、人道的良識にしたがうにしても、阻止する力はいっさい、なかったのである。それどころか、逆に私が命じられて、助手をつとめさせられる結果になるであろう。
「いくぞ」とX中尉が低くいった言葉だけが、妙になまな宜しく耳底に残っている。それを合図に四人は大型のマスクをかけた。
最初に手がけたのは、なんと睾丸だった。衛生兵が陰嚢《いんのう》ごとひっぱり上げて裏側からおしひろげるようにしたところへ、X中尉の手なれたメスが入った。その一瞬、
「うおっ」と施術されている人体は鼻孔で咆哮し、上体が弓なりに反り、体中の筋肉という筋肉に苦悶が波打った。が、X中尉は手をやすめず白い玉を二つ掴み出していた。咆哮は何度もつづいた。白い玉はX中尉が掌でもてあそんだあと、無雑作に傍らのバヶツに投げ込んだ。そして、副睾丸を切開した。
それから開腹にたった。胸毛とから臍の下まで一直線にメスを下すと、真白な皮下脂肪と肉が、剥いだようになって出た。
「うおっ」
ともう一度、人体は咆哮した。咆哮が一声で絶えた。見ると体中が、まるで海辺に立つさざ波のようにすさまじいばかりにケイレンし、そのために、X中尉のつぎの施術の手がほんの一瞬止められた。その止めた手心とに、物凄い血が湧き出してきた。それを衛生兵は、汚れた布切れで抑える。止血の処置はしない。
その時点で、人体は悶絶していた。
X中尉の両手が開いた腹部にさし入れられると、黄褐色のヌルヌルした腸を引き出しにかかった。直腸から大腸へ、小腸へ、そして十二指腸へと、ぞろぞろと何メートルもあるのをたぐり出し、それを仔細に眺めては、根元をプツソと切って、バケツの中へ垂らし込んだ。ついで胃をとり出した。これも同じように眺めてバケツに捨てた。白味がかった膵臓、青黒くて大きい長ダ円型の肝臓。
私はかつて、「地獄絵」を見せられて、夜も眠れぬほどの恐怖をあじわったことがある。まだ学齢にも達せぬ頃たった。それは、例のトゲのいっぱいついた鉄棒をもった鬼が、その鉄棒で亡者を打ち砕き、あるいは亡者の腹を割いて、中の内臓やら肉を喰らっている図だった。それは、仏教画というよりも道徳的ないわゆる「勧善懲悪」のために描かれたもので、生きている間に悪行のかぎりをすると、こんな目にあわされるよという教訓のためのものだったが、子供心には心の半面でそんなことがありうるものかと疑いつつも、震え上るほど恐ろしかったものである。それが死後の世界どころか、この世において今、現に行なわれているのである。
ふと気がつくと、笛のような音がした。「ヒューヒュー」と不規則に鳴った。なんと、それは気配を察しているもう一人の人体の悲鳴であった。恐怖で咽喉が収縮して、声にならず呼吸だけが鼻孔をせわしく往復させている。その鼻孔を通過するときの加減で、笛のように鳴るのである。
見ると、X中尉も二人の衛生兵も、返り血で真っ赤に染まっていた。人間だけではない。天幕のいたるところに人血の飛沫《ひまつ》が付着して、ランプの灯に光っている。なんとも人血とは途方もなく飛ぶものである。
それから頭皮を剥ぎ、頭蓋を割り、白い脳味噌を調べ、両手、両足、首、胴と切断して、一体の大酸鼻はやっと終わりを告げた。この生体の完全なる生体としての解剖および解体という作業が、平和時に行なわれたなら、それこそ一大猟奇事件として、ニュースは世界を駈けめぐるであろう。それが、戦争という大殺戮事業中なるがゆえに、一人、いや二人のスパイの行方も追跡されることなく、おびただしい戦死者の数のなかに埋没してしまった。
残るもう一つの人体は、空気注入実験が行なわれた。三十CCの注射器に空気が入っている。それを静脈に注入するというのだ。
私達はたとえ〇・五CCの空気でも、注射時に人体に入れてはならないと、教育されていた。これがもし脳にまわると、たちまち脳軟化をおこし、植物人間と化すといわれていた。が、それについてはだれも生体に対して実験を報告したものがない。それが今、行なわれるのである。
最初三十CCばかりの空気が注入された。が、生体はあいかわらず笛を鳴らしつづける。六十CC、九十CCと空気が加えられ、ちょうど四回目、百二十CCの空気が入れられた頃から、緊縛した生体がけいれんをはじめた。
人間とは、これほど空気を入れられても死ななかったのか――実にこれが、おそらく医師として、人体実験による最初のなまなましい報告となろう。非道を行なった医師と、非道を目撃しながら阻止できなかった医師がいたことをありていに申しあげて、これを世への報告とする。
本書が絶版であり、証言の重大性および知名度の低さを考慮して、特に将校「慰安所」と人体実験の部分を長く引用した。もし(※著作権違反の申告があれば即座に削除します。)
※本記事は「s3731127306の資料室」2015年01月22日作成記事を転載したものです。