『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「賠償金を際限なくとられる」という言説に対する批判

 2017年現在の日本において、日本軍慰安婦」問題について(これだけではないが)、「賠償金を際限なくとられる」という悪質な宣伝をする日本人とその共犯の非日本人がはいてすているほどいる。
 この言説は2つの意味でまちがっている。
 1番目、被害当事者の世界観に基づいて。被害当事者(とその支援者)は、まず第一日本政府に対して「明確かつあいまさいのない謝罪」を求めている。だからこそ、それをごまかした(少なくとも結果としてはそうなった)アジア女性基金は反対されたのである。筆者は何度でも指摘するが、金だけですむならばアジア女性基金でとっくに解決している。
 2番目、加害当事者の世界観に基づいて。加害者側、つまり日本政府とその賛同者の”ホンネ”とてらしあわせても、実は金が最大の問題ではないことを指摘する必要がある。2015年12月28日の「日韓合意(筆者に言わせれば米仲介日韓談合だが)」でも、それこそ日本政府は気前よく10億円だした。アジア女性基金発足の時、基金反対者が指摘していたことだが、「もし基金発足後に新しく申告してくる被害者が大勢あらわれたらどうするつもりなのか」という指摘があった。どの資料だったか忘れたが、基金賛成者にもそれを不安視する人がいたはずだ。2015年時点でも、その指摘は成立する余地がある。なるほど、被害当事者自身は12+70=82歳以上と高齢であり、多数がすでに死亡していると推定される。しかしその親族ならば? 82-20=62歳とみて、まだまだ多くの申告がなされる可能性は十分ありうる。韓国の認定制度においても、たしか被害当事者死亡後の申告が可能だったはずであるし、少なくとも中国山西省の場合においては被害当事者・南二僕氏は裁判開始の何年も前に死亡していたが、日本の裁判所において被害事実の認定がなされている。韓国(というより南北朝鮮をはじめとするすべての地域)において、被害当事者死後の被害認定が原理的に不可能なわけではない。「日韓合意」においては、日韓の間で外務官僚による裏交渉がなされたという疑惑がある。ぬけめない外務官僚が上のことに気がつかないわけがない。

https://www.youtube.com/watch?v=lrWCuGRxQRU&feature=share

 「平和の碑」(いわゆる「少女像」)についても同じことが指摘できる。「あんな像の1つや2つで韓国人が満足するならほっとけばよい。どうせ世の中は金と力だ。大国日本に韓国が逆らえるわけがない」と日本政府とその賛同者が(表に出して言うか言わないかは別として)判断することだってありえないことではない。1980年代以降の教科書問題あたり以降において、日本政府のホンネはこのあたりで大きく間違っていないと、推測できる。ではなぜ、大使一時帰還というオオゴトまでして像を排除しようとしたのか? 単なる国内向けポーズであるだけではなく、もっと深いホンネの部分に関係していると筆者は考えている。1994年の時点で被害当事者・姜徳景氏は、以下のように正しく見抜いていた。

http://doi-toshikuni.net/j/column/20151229.html

姜徳景(カン・ドクキョン)「お金を出すのが嫌だというわけではないのよ。彼らは過去の事を歴史に残さないようにするためだよ。(名誉を傷つけず)きれいな国民でいたいわけさ」(注:強調は引用者)

 

 そう、日本政府とその賛同者のホンネはこうのはずだ。

「私たちの(ひとりよがりな)プライド・体面を傷付けるんじゃない!」

 このことをはっきり認識する必要がある。日本政府とその賛同者はこのホンネを隠して金の問題にすりかえている。自分の”影”を勝手に相手におっかぶせているのである。筆者の責任ではっきり言う。汚いことこの上ない。正直言ってこれを書くのは非常に心苦しい。「自分たちの上にいる日本政府というもののホンネは本当にこうなのだろうか? 何かのまちがいではないか?」と思いたくなるぐらいだ。しかし、現実をきちんと整理してみると、この説が一番真実に近いとしか筆者には考えられない。「”何かのまちがいではないか?”とは怪しからんやつだ。”倭奴””臣民”の残りカスが残っているようだ。そんなやつはどうも信用ならん」と思った本記事の読者がいるであろう。残念だが、筆者もそれを認めざるをえない。だからこそ筆者は、読者に対して批判的に自分の記事を読んでもらうことを(少なくとも意識的には)望んでいることをここに表明したい。
 なげかわしいのは、左派を自認するうちでも、上の主張に大甘な(もしかしたらはまりこんでぬけだせなくなっている?)日本人の多いことである。「帝国の慰安婦」問題の後でもいいから、きちんとした証言記録や文献にあたって、上で指摘した、ひとりよがりで百害あって一利なしの”プライド”を徹底的に批判することは可能なはずだ。それこそ韓国人や(各国)フェミニストによく思われたい・信用されたいという理由であってもかまわないぐらいである。そうしないのはなぜか。その人に”ひとりよがりなプライド”が多少なりとも残っているからだとしか考えられない。
 この記事の読者もそう思わないだろうか?



追記:このごろいくつも記事を書いている。その理由の一つは、筆者が結論していることが、ほかの多くの人に(批判的にでも)検討されたり共有されたりしているわけではないのではないかという深い深い不安が筆者にあるからだ。筆者の考えすぎであればとは思っているのだが、「帝国の慰安婦」問題のあとは特に、いわゆる(主流)言論人に対する深い深い深い不安が消せないでいる。あの人たちがしっかりしていれば、筆者は資料の電子化作業に集中できたと思う。もしかして、あのときの54人による声明は、日本の人文学文学の”一線をこえてしまった宣言”、もっといえば”不渡り宣言”ではないかと考えている。だったらそれこそ”倒産”後の”再建”策を考えなければいけないはずだ。一般の書籍購入者としては、”不良品”にクレームを申し立てることしかできないのがくやしいうえになさけないことだが。
 もうはっきり言っておくが、ただの一個人である筆者としては、本当は極力いいたくなのだがいわざるをえない。なんの理由でもって、ただの一般人でも明白にわかる、この問題をめぐる日本社会の異常さが、日本においてほぼ最良の環境で”勉強”してきた人間たちにわからないのか、と。
 また、以下の54人の声明の中に河野洋平がいることに筆者はそこまでおどろいておらず、保守政治家・河野のリアリズムが国内の極右状況に”折れて”ある程度の方向転換した結果だと筆者は認識している。もとをただせば、1993年からの河野洋平を手放しで賞賛するわけにもいかない。河野談話こそ文言をこまかく検討すれば、戦後責任を求める諸外国の人々に対応する日本の保守政治のリアリズム産物であるとしか思えないからだ。だからこそ、左派政治家村山富市もこの声明に署名していることの悪影響には愕然とせざるをえない。この点、挺対協側の認識は正確であるとみとめざるをえない。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140213/1392306674
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120902/p1
http://ianfukansai.blog.fc2.com/blog-entry-32.html

 最後に、かなり強い調子で記事を書いたことは自覚している。それはことの深刻さがそうさせているものだ。これでも怒りと失望と不信を何分の一かにおさえている。何度も言うが、日本社会の主流がしっかりしてくれれば、筆者はこんな記事をかかずにすむのだ。






http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/26/park-yuha-charge-remonstrance_n_8659272.html

検察庁の起訴文は同書の韓国語版について「虚偽の事実」を記していると断じ、その具体例を列挙していますが、それは朴氏の意図を虚心に理解しようとせず、予断と誤解に基づいて下された判断だと考えざるを得ません。何よりも、この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、むしろ慰安婦の方々の哀しみの深さと複雑さが、韓国民のみならず日本の読者にも伝わったと感じています。」

(筆者コメント:加害者もしくは加害者側に味方する人間があっちでいいことをいい、こっちで決定的にわるいことを口に出すのは、DVや性暴力をめぐる現場ではよくあることではないのか?)

賛同人: 浅野豊美蘭信三、石川好、入江昭岩崎稔上野千鶴子、大河原昭夫、大沼保昭大江健三郎、ウイリアムグライムス、小倉紀蔵小此木政夫、アンドルー・ゴードン、加藤千香子、加納実紀川村湊、木宮正史、栗栖薫子、グレゴリー・クラーク河野洋平、古城佳子、小針進小森陽一酒井直樹島田雅彦千田有紀、添谷芳秀、高橋源一郎竹内栄美子田中明彦茅野裕城子、津島佑子東郷和彦中川成美中沢けい中島岳志成田龍一西成彦西川祐子、トマス・バーガー、波多野澄雄、馬場公彦、平井久志、藤井貞和藤原帰一星野智幸村山富市、マイク・モチズキ、本橋哲也、安尾芳典、山田孝男四方田犬彦、李相哲、若宮啓文(計54名、五十音順
(強調は引用者による、あとで過去の言動を調べる予定である)



[書き忘れたことを午後に追加]
 筆者は、上の54人のように「帝国の慰安婦」を擁護している人々、年寄りから若者、男性も女性も、どのような人も、「帝国の慰安婦」のどこがどうまちがっているか過不足なくきっちり謝罪文を書きしるしてほしいと考えている。人間、まっすぐに正解にたどりつくよりも、おおまちがいからひきかえしたあとに正解にたどりつくことのほうがよほどいいのではないだろうか。ふりかえって考えてみると、戦後日本で尊敬すべき人たちというのは、十五年戦争からの”反省”を自己の核心としていたはずである。それがとても不徹底だったから今現在この異常な状況なのであるが。
 筆者個人のことを書く。筆者は、「帝国の慰安婦」自体が大きな問題をもっている本だということはすぐわかったのだが、上の54人の署名文にきっちり反論しきれない部分があるのがわかって、まだ自分に”倭奴””臣民”の残りカスがのこっているのを自覚した。大きく2つ理由があって、一つは「いいことも書いている」という趣旨の反論。これについては上の[筆者コメント]で再反論しておいた。もう一つは、「では「日本軍慰安婦」被害当事者には主体性は存在しないのか?」という反論。これについては筆者は考えた上で、3つほど、主体性について指摘することができることに気がついた。1つ目は脱走(金学順氏など)、2つ目は自決拒絶(朴永心氏)、3つ目は”1991年から今現在まで”証言活動をしていること自体。3つ目が特に重要だと考えている。そもそも、戦時だろうが平時だろうが性暴力被害者が顔と実名を出して証言すること自体非常に難しいことなのである(韓国の被害者にも匿名のままの人は多い)。これと、現在の東アジアにおける日本国の政治的経済的強さをあわせて考えると、「帝国の慰安婦」を賞賛した人々が、現在の(韓国在住者だけでなく各国の)被害当事者の何を見て”いない”かが筆者には少しはわかるようになった。この”落差”は目の前にあって気がつこうとしないとなかなか気がつかないもののようだ。

 

 

 ※本記事は「s3731127306の資料室」2017年07月15日作成記事を転載したものです。