『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「対談 沖縄を生きるということ」(2017年、鹿野政直・新城郁夫、岩波書店)

〇目次

まえがき―新城郁夫(xiii)

対談Ⅰ いくさ世といのち――二〇一五年五月八日(001)

 1 闘いの中に息づく「沖縄の思想」(003)
   国会前での遭遇/阿波根昌鴻さんのこと(003)/非暴力の闘いをつくる(005)/今の闘いに受け継がれていること/沖縄を学ぶ意義/身体から発想する/沖縄では思想は文学の形をとる/逃亡を許す運動
 2 沖縄戦は今も続いている(033)
   「沖縄戦記録」を読む/戦後も繰り返される死/基地をなくす闘い――「移設論」を超えて/基地は取引の対象にならない
 3 沖縄からの呼びかけ(052)
   沖縄は歴史の交差点/沖縄との遭遇――鹿野政直の場合/沖縄と向き合う/新城郁夫の場合/歴史学に復讐する/沖縄史を日本史に衝突させる/戯曲「人類館」が突きつけるもの

対談Ⅱ 当事者性――二〇一五年七月一五日(073)
 1 復帰(返還)を問い直す(075)
   「占領再編ツール」としての沖縄返還/「施政権返還」の欺瞞/「玉音」の呪縛/ともに生きようとする意志
 2 当事者性をめぐって(097)
   「沖縄人」と「沖縄びと」/「本土」の人間としての戸惑い/まず自分を変えたい/歴史学なんかどうでもいい/ビカミングアウトヤクザ文学研究
 3 沖縄を生きる思想(121)
   再び「基地引き取り論」をめぐって/「仮住まい」「やさしさ」/「返ってくる沖縄、帰ってこない沖縄人」/沖縄を生きる思想

対談Ⅲ 未来へ――――二〇一六年一二月五日(073)
 1 「現場」をつくりだす人びと(143)
   なぜ高江を訪れたのか/concerned citizenの声/現場で体験したこと/運動の中心にあるもの/生き続ける沖縄戦の記憶
 2 語り始められた未来(159)
   「アピール」への共感と違和感/沖縄/琉球?/本土/ヤマト?/「人種主義」をどう超えるか/いくつもの「小さな里」/新しい運動体としての沖縄

沖縄をもっと知るための読書案内(181)
あとがき―鹿野政直(185)




〇概要



〇引用

P167~169

 「人種主義」をどう超えるか

鹿野 でも沖縄に向かうとき、「上から目線」は今も深く私たちを侵蝕しています。最近の一つの例として、池原夏樹さんが『琉球新報』と『朝日新聞』に、高江を訪問したことについて書いておられます。敢えてほぼ同じ内容のものを、沖縄本土メディアに寄稿されたそうです(「琉球新報」二〇一六年一〇月三一日「「土人」「シナ人」暴言 沖縄差別の深層 上」。『朝日新聞』同年一一月二日「内地から見る沖縄問題「植民地の叛乱」の構図」)。
 その中で、「内地から」、「内地の人たち」という表現が何度か出てきます。この点は、池澤さんの出身地である北海道では常用されているせいだとしても、『朝日新聞』のコラムの出だしには、恩納村《おんなそん》の図書館から講演に呼ばれて、前の日に急に思い立って高江を見に行くことにした、とある。それで「新川ダムの先にある反対派のテントを訪れ、リーダーの山城博治さんに挨拶し、集まったみなさんを労《ねぎら》った」と。訪問記ですね。同じコラムで「東京政府警察庁にあるのは、遠い植民地の叛乱という構図」と指摘されていますが、「労う」姿勢は、「上から目線」そのものです。池澤さんは、かつては沖縄にも暮らして、沖縄の理解者と自他共に認められている方でしょう。その人がこういう言葉を二〇一六年一〇~一一月の段階で、高江の側に立っているという意識でもって書いている。
新城 なるほど。ちょっと痛い言葉ですね。なんだか「国見」、あるいは「行幸」のようですね。
(略)



P121~125

3 沖縄を生きる思想

 再び「基地引き取り論」をめぐって

鹿野 「沖縄を生きる思想」とは、沖縄にいる人もそうでない人もつないで開けていくという思想だ、ということは分かるんですが。そこでやっぱり、くどいようですが、私には「本土」の人間としての規定性がある。加害の面で見られるというか、実際にそうであって。じゃあその場合にどうするかという問題があるわけですよ。
 で、再び、「基地を引き取れ」と言われた時どうするかという問題になるのですが、私は基本的には、「本土」の人間は、いかに苦しくてもそれを断っていくべきだと。ともかく。そして基地廃止という方向に向かって踏ん張っていくということ以外にないと思っているんだ。
 基地移設論・移転論というものには、安保否定論では永遠に時間がかかってしまうのに対して基地移設論だったらすぐに実現できる、というような幻想を誘うという、変なからくりがある。しかし、現実にはそんなことは余計にできません。本土の人間が仮に、嘉手納基地と北部訓練場だけを引き取りましょう、そうすればそうとう平等に近いでしょう、なんて言って、「はいそうですか」とアメリカが聞きますか。
 その意味で棊地引き取り論は、アメリカに対して実に甘い見通しに立っている。だが実際には私たちは、日米安保条約というアメリカが仕組んで日本政府が呼応した鉄の環のなかにある。そのアメリカにとって日本とは、というとき、なによりも世界戦略上、基地を最大限に自由に使用できる陸地、かつて中曽根康弘が言ったように「不沈空母」たるところにある。米軍の戦略は、徹底的に自国本位にその存在を賭けて、他国民をモノ視するほどの傲岸さをもって、すりよるこの国の指導層と利益共同体を形づくりつつ、がっちり「国民」を捉え込んでいる。議論が国内での基地のやりとりへとすべると、そういう米国の責任をそれだけ解除することになる。
 「本土」の人間として、基地廃止をめざすのなら、むしろ逆に、安保条約が国民生活を実態面で規制している日米地位協定の改定を、それぞれの地域の人びとの次元、また自治体の次元で手を組んで、要求してゆくことではないかと思う。それが、米国の手先同然の日本政府を矢面に立たせ、ひいては米国の姿を浮び上がらせ、日米安保の再検討からその廃止にいたる道筋になる。同時に、いまの瞬間においてわずかでも、沖縄を他人事とする姿勢を改め沖縄につながる営為になると思います。いうことはまどろっこしいけれど、「基地移設論」への対案ということでいえば、「地位協定改定要求案」です。それが「国民」としての責任だと思う。
新城 私も、鹿野さんがおっしゃる通りと感じます。というのも、基地移設論では、日米地位協定の根本的な問題が間えなと思うんです。そして、そのことと直につながることとして、私は、沖縄の闘いの七〇年に学んでほしいと。つまり基地のもとで生きるということの現実を知ってほしいということです。それは、ただ平和にいきたいということであって、基地を誰かが負担することを前提にした運動ではななかったと思うんです。
 しかも基地移設-引き取り論で問題なのは、解決者は日本人しかいない、と言っていることです。移設の引き取り論の人びとが言っているところの日本人、「本土」とは具体的に誰のことか分明ではありませんし、この「日本人」に対する「沖縄人」というのも、具体的に誰を指し誰を指していないかも分からない。しかも、私はその「解決」という言葉が怖いんです。沖縄問題を解決するためには、と言いますが、解決という言葉の中には、何か終わらせたいという響きがある。しかし沖縄の人間が生きる問題というのは、そう簡単に終わりますかね。
 私は最近、「慰安婦問題解決のために」という言葉を聞くのがどうしても嫌なんです。つまり、慰安婦の方が生きてこられた時間に対して、「解決」などという言葉を発すること自体が、何と失礼なと思うんです。人が生きてきて傷を受けている時に、それを解決する、解決する能力が自分たちにはあるという考え方。そしてこのやり方が早い、あなたが生きているうちにお金は出せるとか。全く理解しがたい残酷さに満ち満ちている、酷すぎます。日本という国家に謝らせることはできるでしょうし、謝罪させないといけません。しかし、実際に国家補償ができたとしても、謝罪は終わらないはずです。だって歴史の責任はそう簡単に終わってはいけないわけで。解決という言葉がもっている傲慢さに気づくべきだと思うんです。 私などは、基地引き取り論にもそのような傲慢さを感じるのです。「基地をもっていけ」と言いながらも苦しんでいるような沖縄の人たちに、そう言うんだから自分たちが引き取るよ、と言ってしまったら、沖縄の人たちの「いのち」の理念というのは全部奪われてしまって、基地は少なくなったとしても、そのあと沖縄の人たちに残るのは、深い空虚な感じだと思います。(略)
鹿野 そうです。(略)ともかくどんなに苦しくても、それぞれがノーと言い、せめて地位協定改定論を各地で出して、日米政府を追い詰めていくということでしか、先行きがないと私は思います。
新城 砂川《すながわ》闘争を描いた亀井文夫監督の映画を見たんですね(『流血の記録・砂川』一九五六年)。中野好夫《なかのとしお》さんが木の上に登って写真を撮っていたり、いろんな映像が出てくるんですが、その中で比嘉さんっていう沖縄から来た青年が、この東京での、在日米軍立川飛行場の拡張をめぐっての闘いに学んでいる、自分たちはこれを沖縄にもって帰る。と言っていて、胸打たれました。つまり、砂川の闘いを沖縄の人が闘い、逆に言うと砂川の人たちが沖縄の闘いを闘っている、そういうことはずっと今も続いているわけです。
鹿野 そうですね。阿波棍昌鴻さんだってね、砂川で日本山妙法寺闘争小屋というのを見て、これだ、と思ったわけです。それで伊江島に「団結道場」をつくった。
新城 やっぱりみんな無意識のうちに連動していますね。

 

P036~038

鹿野 確かに、自分でも、戦後五〇年の九五年のときに、戦争が遠ざかるというよりは、むしろ戦争がもういっぺん揺り戻されてきているという意識はありました。けれども私の申し上げるのは、戦争自体をもっと書くところから始めるべきではなかったかということなのです。たとえば、復帰をはさんで刊行された『沖縄県史』の第九巻と第一〇巻が「沖縄戦記録」1と2になっているのですが、あそこで語られていることを、もっときちんと書くところから出発すべきではなかったという気持ちが、私としては引っ掛かっているのです。
 その「沖縄戦記録」のことや、1の中心になった名嘉正八郎さんのことは『沖縄の戦後思想を考える』でも少し触れましたが、1(『沖縄県史』第九巻、一九七一年)と2(同第一〇巻、一九七四年)では編集方針がガラッと変わってしまっているんですね。
新城 しかも復帰を挟んで、1は琉球政府編、2は沖縄県教育委員会編で刊行されています。
鹿野 私は1の方が好きなんです。
新城 私もそうです。
鹿野 2になると、かなり編集されているというか、生の声をずいぶんきちんと分類してしまっていますね。それはやっぱり一九七〇年代になってからのいろいろな、歴史としてきちんと事実を押さえておくべきだということが背景にあるのでしょう。1の方は事実誤認もはなはだしいものがいっぱいあるとか、加害者意識がないというような批判もありますが。そういう批判を見るとき私は、歴史学がひどく抑圧性をもっていると思う。
新城 私なんか自分が文学なものですから、人は思い出すたびに戦争を生きるのであって、そこにいわば実証的な厳密性とか、物証的な正しさみたいな基準をもちこむことは本来できないと思うんです。そのつど沖縄戦が生き返らされるという形で、語るあり方が変わっていくのはむしろ当然だと。そこに、あえて言うならば、文学的な想像力というものが働くとしたら、それは必然だと思っているんです。つまり、そういう形でしか「戦争は二度としない」ということは血肉化できないと思うんですね。
 「沖縄戦記録」1を見ると、あれはおそらく初めて、それまで戦争について話せなかった人たちが、たとえば公民館に集まって、あれを見たんだ、あそこでやったね、と今まで言えなかったようなことをやっと言えたのだと思うのです。けれどもやっぱりまだ暗中模索というか、戦争をどうやって言葉にできるかという戸惑いみたいなものも全部含めて、そこにはあると思いますね。
鹿野 あれはすごい記録だと思います。私は昔、要するに事実がどうであったかよりも、その人にとって真実と思うことが事実なんだ、そこから汲みとらないのが歴史学が駄目なところだと、乱暴で舌足らずで理論化されていないのですが、そう言ったことがあります。
沖縄戦記録」1は「人びとが語る戦争」として本当に画期的な仕事です。役場からの通達によって集められたという面もあるけれども、話すことに対する強い拒否感と、でもやっぱり話し出すともう、どんどん言ってしまうという面とが、噴きでている。
 そこでの言葉づかいでなかなか面白いと思うのは、たとえば「叩き斬られる」という表現が出てくるんですね。日本軍に「叩き斬られる」というのです。それが話者の間で普通に飛び交っている。叩き斬るとは文字通り軍刀でもって斬ることです。その一方で「大砲で叩き斬られた」なんて言っている。殺されることが叩き斬られるという言葉に置き換えられている。これは日本軍が絶えず言った言葉に違いないわけです。だからその言葉一つとっても、住民と日本軍の位置関係というのが非常にはっきりする。ところが、「沖縄戦記録」2ではそういうものが全然捨象されてしまって、人びとが生きた、呼吸する空気っていうのが全くなくなっている。
 それから、「友軍」という言葉。あれも極めて微妙なニュアンスがありますね。これは敵軍に対して友軍なんだから、本来自分たちを助けに来るものであるということなんだけど。友軍の方が怖かったという発言がよくあります。友軍というのは、何かやっぱりよそから助けに来てくれる感じがある。
新城 よそ者という感じ。
鹿野 「我が軍」じゃないから。やっぱりよそから助けに来る。そこに一種の沖縄の人びとの日本軍に対する拒否感というのがあるんじゃなかろうかと思ったりもしますね、これは私の想像ですが。そういった言葉を、1の編集に携わった作家の宮城聡さんなども、もう本当にとりつかれたように、魅入られたように、なるべくそれを残そう、残そうとしていますね。話を聞いていて、検察官になったような気持ちがすると言っているんだな。
(略)





索引
004 阿波根昌鴻
006 あれだけの眼力、あれだけ胆の据わった人の前に出たら、私自身が吹き飛んでしまうだろうと。
012 「ペンは鍬よりも重し」
014 山城博治
015 仲程昌徳/伊佐真一
021 そこが何も変わっていない、というのが運動の成果なんですね。
029 この国自体がもう既に穏やかに集団自決に向かっている気がします。/社会的資源ででもあるかのように言う。ちょっと言葉がきついかもしれませんが、あれは国に殺された人たちであって
030 阿部小涼
032 「ねばならぬ」ということの究極は何かというと、やっぱり死ですよ。死なねばならないと。死を忌避する人間は非国民。そこが極めて明確な基準だったわけですから。
035 「大江・岩波裁判
037 「沖縄戦記録」1は「人びとが語る戦争」として本当に画期的な仕事です。
042 翻って言うと1の場合は、何か奇妙なもの、変なものがいっぱい「入り込んでいるような気がします。
044 「行動する女たちの会」
050 おかしなやり方だな
053 「未然形沖縄」は歴史の中に隠れているんじゃないかという気がした   (←作成者コメント、「未発の契機」!)
054 儀間カマド
056 鹿野『歴史を学ぶこと』
057 一九九五年のあの少女暴行事件
058 自殺
059 『水滴』
061 『「鳥島」は入っているか――歴史意識の現在と歴史学』(岩波書店、一九八八年)
066 上野千鶴子
067 私は沖縄史をそれこそ、さっきの「ぶつかってきた」じゃないけれども、日本史に衝突させればいいと思います。
070 朝鮮戦争ベトナム戦争の時の沖縄/「従軍慰安婦
075 「日本占領再編ツールとしての沖縄返還
080 マルクス
081 「帰りなん、いざ」
082 「施政権返還」という言葉にこだわり通したのは
083 大浜信泉若泉敬
084 「豆記者」
097 中野重治《なかのしげはる》
098 【資料3】中野重治「「本土沖縄化」という言い方の件」
/(『中野重治全集』第二四巻、筑摩書房、一九九八年。仮名づかいを一部あらためた)
109 だから、非常に極端に言うと、ある意味で、他人様はどうでもよくなければね、女性史なんてやりませんよ。
110 歴史学はどうでもいいってどこかで公言しているんだけど。憎まれているところもあるんです。/そうすると、自分がやっていることは、自分がこの沖縄でどう変われるかということだけなんですね。そうしないと生きられないって言ったら大げさですが、もっと自由に生きられる空間があるはずだという願いがあるだけなんです。
111 そういうことをやっていて、どこかで人とぶつかると言うか、接続する。あるいはそこで何かレスポンスが返ってくる。そういうところだけつながっていればいいや、という感じですね。/『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏男のまなざし』(沖縄タイムズ社、一九九〇年)
112 『戦前・「家」の思想』(叢書「身体の思想」九、創文社、一九八三年)
113 結局自分の心の経験を吐き出すことでしか出発的ないと思った。/
114 灰色が威張っているんだ。
116 自分の養分は不安定
117 岡本恵徳、仲程昌徳という二人の沖縄現代文学研究者
119 「(負荷が)ある必要がある」
125 亀井文夫/(『流血の記録・砂川』一九五六年)/中野好夫/「団結道場
127 安里清信/阿部岳/山城博治
129 両者がべったりしない
131 「揮発性の言葉」/黒羽清隆さん(一九三四―八七)/もともとは石川啄木の言葉/だから「無断転用を許す」と。
132 内山秀夫(一九三〇―二〇〇八)
137 大槻健/宮本憲一
138 萩野芳夫/(「沖縄の土地と現実」『世界』一九六二年三月号)
143 『高江――森が泣いている』(藤本幸久・影山あさ子共同監督)
146 リラックス体操
152 疎開船「対馬丸
153 島袋文子
155 真鍋禎男
156 「離脱」の道を考えざるを得ない
158 『昭和天皇実録 第九』(宮内庁編、東京書籍、二〇一六年)
166 むしろ自分の枠組みを揺さぶる何かを巻き込む力なのですね。その関係なしには自分の今後はないような。
167 池澤夏樹
170 だれもがもうちょっと息苦しくなく生きられるような、そういう世の中ができてほしい
173 国場幸太郎 『沖縄の歩み』(牧書店、一九七三年)


◎付記1:読書案内(P181~183より、著者と題名のみ記載)

鹿野政直がすすめる本
阿波根昌鴻『米軍農民――沖縄県伊江島
新川明『琉球処分以後』
新川明『新南島風土記
伊波普猷『古琉球
・岡本恵徳『「沖縄」に生きる思想――岡本恵徳批評集』
・岡本恵徳/高橋敏夫編『沖縄文学選――日本文学のエッジからの問い』
・金城芳夫『なはをんな一代記』
・国場幸太郎『沖縄の歩み』
仲宗根政善ひめゆりと生きて 仲宗根政善日記』
琉球政府編集発行『沖縄県史』第九巻(「沖縄戦記録」1)


●新城郁夫がすすめる本
仲程昌徳沖縄の戦記』
・『中屋幸吉遺稿集 名前よ立って歩け――沖縄戦世代の軌跡』
・金城重明『「集団自決」を心に刻んで――沖縄キリスト者の絶望からの精神史』
・『山之口貘詩文集』
大江健三郎沖縄ノート
・屋嘉比収『沖縄戦米軍占領史を学びなおす――記憶をいかに継承するか』
比嘉春潮沖縄の歳月――自伝的回想から』
伊波普猷沖縄女性史』
新崎盛暉『沖縄現代史
・高里鈴代『沖縄の女たち――女性の人権と基地・軍隊


女性史家の鈴木裕子氏が本書の書評を書いているので興味のある方は読むことをお勧めする。
https://ci.nii.ac.jp/naid/40021429866

 

 

 ※本記事は「s3731127306の資料室」2018年02月11日作成記事を転載したものです。