『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「作家・目取真俊先生への手紙」

(都合上、[書評]タグをつける)
目取真俊氏へメールで送る予定として、以下の原稿を書いたが、ご自身のブログ
「海鳴りの島から」http://blog.goo.ne.jp/awamori777
にコメント欄もメールアドレス表記もないことがわかった。考えてみれば、反対運動で余計な攻撃を受け内容にこのような措置をとられたものと推定する。また、角川書店あてのメールアドレスもどれが一番信用できるかよくわからなかったうえに、結局のところきちんと辺見氏に届くかどうか不安だったため、結局断念した。良い方法があるならば、誰かコメント欄にて連絡お願いします)
(昨日も書いたことだが、はっきりいって、こういう小さくない発言責任をおうものを公開するのは、筆者にも自分の書いたことに自信があるとはいえ、一方ではまた不安があることも認めざるをえない)
(明日時間があれば、中野敏男氏の、ある論文を紹介する予定である。)
(この手紙とはまた別の件ではあるが、私がどうしても世界に再評価させたい人物の一人がこの梶村秀樹氏なのである。私が、とてつもないことをぶちあげてやがるとだれかがおもうかもしれないが、世界に向かって堂々とぶちあげられる人間を知らない人間は不安定である・できればあんたもいっしょにぶちあげればいい、と私は思う。)

------------------------------------------------------------------------------------------
 私は坂本真一と申します。20代後半、ヤマトマジョリティ男性、一労働者です。

 はじめに、「先生」づけして書きました。これについては、本来権威嫌いと聞いている相手にたいしてこう書いていいのか迷いました。しかし、お互いに初対面であるため、次善の方法として、以下「辺見先生」とさせていただきます。もし「先生」づけなどしなくていいならば、ご指摘おねがいします。

 また、私の「よって立つ立場の弱さ」として、以下に書かせていただきます。
・私はマジョリティ男性であり、女性一般にたいしてまったく自慢できるような「よりよい性のための思考」をもっていないこと。もっとはっきりいえば、「レイプ・ファンタジー(相手女性はいついかなる場合でも男性のセックスを受け入れるという神話)」にいつ陥るかわからない不安を抱き続けていること。生きている女性も死んでいる女性も生きている男性も近づきすぎないようにとにかく気をつけていること。確信が持てないことに対してはせめて発言しないようにすることで自我をもちこたえているということ。
・目取真先生の著書は、「沖縄「戦後」ゼロ年」一冊のみしか読了していないこと。
文学の力というものがよくわからないこと。
・最後に。目取真先生にくらべて、私は現代ヤマトゥ(つまりは自身に)に対する絶望がはるかに及ばないこと。

------------------------------------------------------------------------------------------

 長くなりましたが、本題に入らせていただきます。
 目取真先生、あなたは大きな問題発言をみのがしてしまわれました。そのことを指摘します。

 目取真先生、先生は「沖縄と国家」(2017年角川新書目取真俊氏との対談)のP121~122において、辺見先生の

「最低限でも、自分たちの父祖たちが世話になったことに、謙虚さと敬意を持つべきです」(大意)

と発言しておられたことに対して何ら批判しませんでした。おふたりが「慰安婦」問題でどのような発言をしているのか確認するために、立ち読みしてみたところ、この発言を見つけて非常に驚きました。
 日本兵(※1)と「慰安婦」(※2)の間においては、圧倒的かつ「慰安婦」個人の力ではくつがえせない力の差があったことは、1991年の金学順氏の公開証言から26年の間に明らかになった個々の被害当事者の事例から、ゆるがしがたいことがひじょうに明白になっております。そもそも、一方が武器をもちもう一方が武器をもたないこと、兵士とは命令でうごくものである、という二点をふまえて少していねいに想像すれば、いかなる要求(※3)であれ「慰安婦」側に”実質的”拒否権がなかったと想定しないほうが不自然と私は考えます。
 また、(こちらのほうがもっと重要ですが)一方的でまちがった(被害者への)「敬意」は結局「自己正当化」にしかなりません。これは「靖国神社」のありかたにつながる問題です。殺人ならばともかく、性暴力の臨床の現場ではこの「まちがった「敬意(※4)」」が非常に多く観察されることが何度も報告されています。
目取真先生、なぜあなたはこのような辺見先生の“問題発言”を見逃してしまったのでしょうか? 

------------------------------------------------------------------------------------------

 この点に関して、一つ気になることがあります。該当書籍は購入しておらず、記憶によってしか書く事ができないのですが、たしか目取真先生はこのように発言しておられました。

 南洋諸島の島々に慰霊祭に行くと、沖縄人がこんなにもあちこちにつれていかれたことをおもいしって驚きました(大意)。

 目取真先生、この発言は「ウチナンチュ」(※5)の植民地支配“加担”責任を無視しているのではないでしょうか(※6)? 2010年に亡くなられた沖縄史家の屋嘉比収氏が、台湾における「ウチナンチュ」の植民地支配責任についてより深く研究しようとしていたということをどう考えておられますか(※7)? 
 もしかしたら、目取真先生は、この過去の植民地支配“加担”責任に対して、まず最初に対してどのようにしたらよいか、わからないのでしょうか?
 このようなことを書く事が大変不遜極まることは、私もおよばずながら承知しているつもりです。もちろん私も、上の設問に対して十全とした答えを持っているわけではありません。そんなことはあまりにも途方もないことで、口が裂けてもいえないことです。しかし、この問題圏を考えるときに、避けがたい一つの集団――「中国帰還者連絡会」の存在を指摘せねばなりません。私が5年ほど前でしたか、会と会員の出版した本を約10冊、ていねいに読みこみ(※8)、この人たちの「認罪」経過を細かく追跡していくと、はじめから「完全な反省」が存在するわけではなく、「事実認定→最初の小さな反省→~~→(ある時点での)“命懸けの跳躍”→~~」という経過(※9)になっていることが判明しました。もしその「反省」が他者との責任関係における真実をついているのならば、事実認定からはじめることは、なんらためらう必要はないということです。
 これと非常に深い関係にある経験をした人物として、朝鮮史家の梶村秀樹氏(※10)という人がいます。梶村氏は、1968年に自身の所属していた日本朝鮮研究所が差別発言問題で糾弾された後に、最初に「私の反省」(1969年)を書き、その次に「差別の思想を生み出すことば」(1975年)という記事、さらにその次に「朝鮮人差別とことば」(1986年)という本を発表して、自身の反省と認識を深めていきました。

 目取真先生、先生がこれからどのような選択をするかどうか、結局は先生にかかっていることであるを認めたうえで、私は主張します。

・辺見先生の発言は、「慰安婦」のおかれていた深刻な状況の意味づけを真逆にすらとらえている問題発言であったことを認めること。
・問題発言をみのがしたことは、自身の“何か”が足りなかったことが原因だということを認めること。
・この“何か”の正体を、少なくとも三年間かけてじっくりとつきとめること。

 私は出せるものをすべてつぎこんでこの文章を書きました。目取真先生、後輩たちの手本となるような、より悪くない男性のあり方をつくりだせるような、そういう返事をお待ちしております(※11)。


追伸:このメールの内容はすべて本日中に私自身のブログに公開します。

------------------------------------------------------------------------------------------

(※1)たとえ最下級であっても。
(※2)まれな場合をのぞいて。
(※3)性的な要求であれ命にかかわる要求であれ。
(※4)この場合、「感謝」というほうが適切と考えられますが。
(※5)目取真先生、この単語をヤマトンチュが簡単につかうことができないと思いますので、あえて「」をつけさせていただきます。
(※6)該当書の別のところでそのことにきちんと書いておられるのならば、ぜひご指摘ください。私は必ず、そのことをすみやかに謝罪いたしします。
(※7)このことはどこかでたしかに読んだことがあるのですが、その文献がどうしてもみつからないため、「<近代沖縄>の知識人:島袋全発の軌道」(2010年、吉川弘文館)にそのような問題意識種子があることを指摘しておきます。
(※8)撫順と太原戦犯収容所には、奄美諸島出身者が最低一人(島亜壇氏)、沖縄出身者が最低一人(糸満盛信氏)がいたことが判明しました。前者については限定部数だったようですが、「島亜壇 : 日中友好と平和を貫いた生涯」という本が存在します。後者については、私が知る限りその後の足取りは不明ですが、ベルリン自由大学の以下ページに糸満氏の記述があります。
http://www.geschkult.fu-berlin.de/e/japanische_selbstzeugnisse/band_drei/03.html
(※9)論文「加害の語りと日中戦後和解--被害者が受け入れる反省とは何か」および「寛大さへの応答から戦争責任へ--ある元兵士の「終わりなき認罪」をめぐって」に登場する、元戦犯の森原一氏と難波靖直氏の聞き取り内容が非常に参考になります。CiNiiにて閲覧可能。
(※10)全体像を知るならば、「梶村秀樹著作集全6巻」(明石書店)を読まなくてはいけない。この著作集は大きな図書館に所蔵されている割合が高い。
(※11)私も力ははるかおよばずと思いながら、なにかしなければと、以下の案を考え、自身のブログ冒頭に掲載しております。
「ブロク作成者「s3731127306」は、日本政府に対し、各種”待たせ賃”「110万2000円」と明確であいまいさのない”待たせた”ことへの「謝罪(を明記した文書)」を要求する。」http://d.hatena.ne.jp/s3731127306/99991231/14930

 

 

※本記事は「s3731127306の資料室」2017年09月23日作成記事を転載したものです。