[#5字下げ]一一[#「一一」は中見出し]
コズヌイシェフがポクローフスコエ村へ到着したときは、レーヴィンにとって最も悩ましい日の一つであった。
それは農村において、最も繁忙をきわめる労働期で、百姓ぜんたいが、他のいかなる生活条件にも示すことのないような、自己犠牲的精神の異常な緊張を、労働の中に発揮するときであった。その緊張ぶりは、もしそれを発揮する当の人々が値ぶみしたら、きわめて高く評価されたに相違ないが、しかしそれは毎年くりかえされることだし、そのうえ、この緊張の結果はあまりにも単純平凡なものであった。
裸麦や燕麦を刈り取ったり、運んだり、草場を刈り上げたり、休田を鋤《す》き返したり、麦をこなしたり、冬越しの畑に種|蒔《ま》きしたり――そういうことはすべて単純で、あたりまえのことのように思われた。が、それをすべて残りなく仕上げるためには、この三四週間のあいだ、村じゅうのものが老幼の分ちなく、クワスと、葱《ねぎ》と、黒パンを食糧としながら、一昼夜のうち二三時間より眠らないで、穀束を運んだり叩いたりしながら、ふだんより三倍もよけいに働かねばならないのである。しかも、それが毎年、ロシヤ全国で行われているのであった。
生涯の大部分を田舎で、民衆との接触の中にすごしたレーヴィンは、いつも農繁期になると、この民衆一般の興奮が、自分にも伝染するような気がした。
彼は朝早く馬に乗って、第一回の裸麦の蒔きつけに出かけ、燕麦の禾堆《にお》つみに立ち会って、妻とその姉の起きだすころに家へ帰り、いっしょにコーヒーを飲んで、今度は徒歩で農園に出かけた。そこでは、新たに据えつけられた種子用の打穀機《こなしき》を、運転させることになっていたのである。
レーヴィンはこの日いちんち、管理人や百姓たちと話していても、わが家で妻や、ドリイや、その子供たちや、舅《しゅうと》などと話していても、このごろ農場関係の仕事以外、たえず心にかかっている一つのこと、ただ一つのことばかり考えつづけて、あらゆるものの中に、自分の疑問にたいする関係を求めるのであった。『われとはなんであるか? 自分はどこにいるのか? なんのために自分はここにいるのか?』
レーヴィンは、まだ香《か》ぐわしい葉のへばりついた榛《はん》の木舞《こま》いが、皮を剥いだ泥楊《どろやなぎ》の生木の桁《けた》にぴったりくっついている、藁屋根を新しく葺《ふ》き変えた穀倉の、ひんやりした小陰に立って、麦を叩くたびに立ち昇る、乾いた、いがらっぽいにおいのする埃が舞い狂っている開け放しの門越しに、やけるような太陽の光線に照らされている打穀場《こなしば》の草や、納屋から運び出されたばかりの新しい藁や、ちちと鳴きながら屋根の下へ飛びこんで、翼をはためかせながら門の明り取りにとまる、頭の斑《まだら》になった胸の白い燕や、薄暗く埃っぽい穀倉の中でごそごそ動いている百姓たちなどを、かわるがわる打ちながめながら、奇妙な物思いにふけっているのであった。
『なんのためにあんなことをするんだろう?』と彼は考えた。『なんのためにおれはここに立って、あの連中を働かせているんだろう? なんだってあの連中はみんなあくせくして、おれに忠勤ぶりを見せようと骨折っているのだろう? あのおなじみのマトリョーナ婆さんは、なんだってああ一生懸命になっているのだ?(あの婆さんは、火事のときに梁《はり》が落ちたものだから、おれが治療してやったっけ)』黒く日に焼けたあらわな足で、打穀場《こなしば》のでこぼこした固い土間を力を入れて踏みながら、熊手で穀物を掻き集めているやせた百姓女をじっと見ながら、彼はこう考えるのであった。『あのときはあれで癒《なお》ったけれど、今日明日でなければ十年後には、あの女も土の中に埋められて、あとには何一つ残りゃしない。それから、あの器用な優しい手つきで穂を叩いている、赤いスカートをはいたおしゃれの女だって、やっぱり同じように、土の中に埋められるのだ。あの斑《まだら》の去勢馬だって、もう長いことはありゃしない』腹を重々しく波打たせ、鼻孔を大きく開いて忙しそうに呼吸しながら、大きな車輪をまわしている馬を見ながら、彼はこんなことを考えた。『あいつも土に埋められるんだ。あの縮れた頤鬚《あごひげ》に糠《ぬか》をいっぱいくっつけて、肩が抜けて白い肌を見せているルバーシカを着た差し役のフョードルも、土をかぶせられてしまうんだ。それなのに、あいつは穀束をむいたり、何か指図したり、女房どもをどなりつけたり、動力輪の調革《ベルト》をすばやくなおしたりしている。何より重大なのは、あの連中ばかりでなく、おれ自身も土に埋められて、あとに何一つ残らないってことだ。いったいなんのためだ?』
彼はこういうことを考えながら、それと同時に、一時間にどれだけ打穀《こな》されたか検討をつけるために、時計を出して見た。それを基礎にして、一日の仕事を割り当てるために、彼は知っておかなければならないのであった。
『もうやがて一時になるのに、やっと三つ目の禾堆《にお》にかかったばかりだ』とレーヴィンは考え、差し役のそばへよって、機械の轟音をどなり負かしながら、もう少しゆっくり入れるように注意した。
「あまり入れ方が多すぎるんだよ。フョードル! 見ろ、つかえてるじゃないか、だからはかがいかんのだ。もっと加減しろよ!」
汗の上に埃がついて黒い顔をしたフョードルは、その返事に何やらわめいたが、相変らずレーヴィンの思うようにはしなかった。
レーヴィンは機械のそばへ近より、フョードルをおしのけて、自分で麦を機械に差しこみはじめた。
もう間近に迫っている百姓たちの昼食時まで働いた後、彼は差し役といっしょに穀倉を出て、種子のために規則ただしく打穀場《こなしば》に積んである、黄色い裸麦のそばに足をとめて、そこで何かと話しこんだ。
差し役は、遠い村から来たものであった。以前レーヴィンはこの村の土地を、組合組織にして貸していたが、今では宿屋に賃貸しにしていた。
レーヴィンは、差し役のフョードルとこの土地の話をして、来年は、その村でも裕福なよい百姓とされているプラトンが、その土地を借りてくれないだろうか、とたずねた。
「地代が高《たけ》えで、プラトンにゃ払《はれ》え切れねえでごぜえますべ、コンスタンチン・ドミートリッチ」汗ばんだ胸の中から、麦の穂をつまみ出しながら、フョードルはそう答えた。
「じゃ、どうしてキリーロフには払いきれるんだい?」
「ミチューハに(と彼は宿屋の亭主のことを、さげすむようにこういった)払え切れねえでどうしますだ、コンスタンチン・ドミートリッチ! あいつなら、しぼれるだけのものをしぼって、ちゃんともうけますだよ。あいつぁキリスト信者だって容赦しねえだから、ところが、フォカーヌイチ小父《おじ》は(彼はプラトン老人のことをこういった)他人の生皮を剥《は》ぐようなこたあいたしませんや。ときにゃ貸してやったり、ときにや容赦してやったりしますでな。とてもやりきれますめえよ。なんちったって人間だでな」
「いったいプラトンほどうして容赦するんだね?」
「そりゃ、その、つまり、人さまざまだからでごぜえますよ。自分の欲のためだけに暮して、ミチューハみてえに、おのれの腹を肥《こ》やすことばっか考《かんげ》えてるものもありゃ、フォカーヌイチみてえな正直な年寄りは、魂のために生きて、神さまのこと覚えておりますだよ」
「神さまのことを覚えてるって、なんのことだい? 魂のために生きるって、なんのことだい?」とレーヴィンはほとんど叫ぶようにいった。
「なんのことって、わかりきっておりますよ。正直に、神さまの掟《おきて》どおりに生きるのでごぜえますよ。全く人間ていろいろさまざまで、現に旦那さまだって、やっぱり人を泣かせるようなこたあなさらねえ」
「そうか、そうか、じゃ、さよなら!」とレーヴィンは興奮のあまり、息を切らしながらそういうと、くるりと向きなおって、ステッキをとり、さっさとわが家をさして歩きだした。フォカーヌイチが正直に、神さまの掟どおりに、魂のために生きているという、百姓の言葉を聞くと同時に、ばくぜんとしてはいるけれども重大な想念が、どこかしら、今まで閉じこめられていたところから、群をなしてほとばしり出たような思いであった。それらの想念は輝かしい光で、彼に目つぶしを食わせながら、一つの目的をさして、彼の頭の中を渦巻きはじめた。
[#5字下げ]一二[#「一二」は中見出し]
レーヴィンは大股に街道を歩きながら、自分の思想というよりも(彼はまだそれを分析することができなかった)今まで経験したことのない心の状態に、耳を澄ますのであった。
あの百姓のいったひと言は、彼の心に電気のような作用を起して、常に彼を見棄てることのないちりぢりばらばらな、力のない、断片的なおびただしい想念を、忽然《こつぜん》として変貌させ、一つに凝集させたのである。これらの想念は、彼が土地の賃貸しの話をしているあいだにも、自身意識しないままに、彼の心を捕えていたのである。
彼は心の中に、何か新しいものを感じた。それがなんであるかは、まだわからなかったけれども、喜びの念をもってその新しい何ものかをまさぐってみた。
『自分の欲のためでなく、神さまのために生きなくちゃならない。が、いったいどんな神だろう? あの男のいったこと以上に、無意味なことはいえないくらいだ。あの男にいわせれば、自分の欲のために生きちゃいけない。つまり、われわれに理解しうること、われわれをひきつけること、われわれの望むことのために生きないで、何かしら得体《えたい》の知れないもののために――だれひとり理解することも、定義することもできない、神のために生きなくちゃならないのだ。それで、どうだ? おれはフョードルのこの無意味な言葉を、理解しなかったろうか? 理解したうえに、その真理を疑ったろうか? ばかばかしい、あいまいな、正確を欠いたものと思ったろうか?
『いや、おれはあの男の考えているとおり、完全に理解したのだ。今までの生涯で、何を理解したよりも、ずっと明瞭に理解したのだ。今までおれは一度も、この真理を疑ったこともないし、また疑うこともできやしない。おれひとりだけでなく、すべての人が、世界中の人が、ただこれのみを理解しているのだ。ただこれ一つだけを疑わないで、いつもその点で一致しているのだ。
『ところが、おれは奇蹟を求めていた。そして、おれを説き伏せてくれる奇蹟を見いださないといって、残念がっていたのだ。物質的な奇蹟は、おれを誘惑したかもしれないが、常に現存していて、四方からおれをとり囲んでいる、唯一の可能な奇蹟に気がつかなかったのだ!
『フョードルは、宿屋のキリーロフが腹を肥やすために生きている、といった。それはよくわかる、理屈に合った話だ。われわれはだれでも、理性を有する生物として、腹を肥やすため以外の生き方はできない。ところが、その同じフョードルが出しぬけに、腹を肥やすために生きるのはよくない、正直に神さまのために生きなくちゃならんというと、おれはただ暗示だけで、それを理解した! おれにしても、何百年前に生きていた何百万という人にしても、いま生きているすべての人にしても――百姓も、心の貧しい人々も、そのことを考えたり、書いたりした賢人たちも、あいまいな言葉で、同じことをいっている人たちも、すべてはただこの一点だけで、なんのために生くべきか、善とはなんであるか、という点だけで一致している。おれはすべての人とともに、ただ一つ堅固な、疑いを容れぬ、明々白々の知識をもっている。その知識は、理性で説明することはできない。それは理性の圏外《けんがい》にあって、なんらの原因ももっていなければ、なんらの結果をも有しえないのだ。
『もし善が原因をもっていたら、それはもはや善ではない。もしそれが結果、報酬をもてば、やはり善とはいえない。したがって、善は因果の連鎖《れんさ》の外にあるのだ。
『しかも、それをおれは知っている。われわれはすべてそれを知っている。
『これ以上に大きな奇蹟が、はたしてありうるだろうか?
『いったいおれは、いっさいの解決を発見したのだろうか、おれの煩悶はもうすっかり終りになったのだろうか?』暑さも疲労も覚えず、長い煩悶の癒《いや》されたという気持をいだいて、埃っぽい道をすたすた歩きながら、レーヴィンは心に思った。その気持は、あまりにも喜ばしいものだったので、彼は本当と思えないような気がした。彼は興奮のあまり息を切らし、もはや先へ歩いて行く力がなく、街道からはずれて森へ入り、泥楊《どろやなぎ》の木陰の、まだ刈らない草の上に腰をおろした。彼は汗ばんだ頭から帽子をとり、片手で肘杖ついて、みずみずしい、ふんわりした森の草に身を横たえた。
『そうだ、ひとつはっきりさせて、よく理解しなくちゃならない』目の前にある、人の足に踏まれない草を見つめ、速生草の茎を伝って昇る途中、スヌイトカの葉にさえぎられて、まごまごしている甲虫の運動に目を凝《こ》らしながら、彼はこんなことを考えた。『いったいおれは何を発見したのだろう?』甲虫のじゃまをしないように、スヌイトカの葉を除けて、彼はこう自問した。『おれは何を喜んでいるのだろう? 何を発見したというのだ?
『なんにも発見しやしない。ただ自分の知っていることを認識したばかりだ。過去ばかりでなく現在でも、おれに生命を与えている力を理解したのだ。おれは虚偽から解放されて、真の主人を認識したのだ。
『以前おれは、自分の体の中でも、この草や甲虫の体の中でも(や、こいつめ、おれの出してやった草を嫌って、羽をひろげて飛んでっちまった)物理的、化学的、生理的法則によって、物質の交換が行われている、とそういったものだ。われわれすべての内部では、あの泥楊も、雲も、ぼやっとした汚点《しみ》もひっくるめて、発展作用が成就されているのだ。だが、発展といって、何から何へ発展するのだ? 無限の発展と闘争だ……まるで無限の中に何か方向や、闘争がありうるかのようにさ! おれはこの探究に、思考力を最大限に緊張させたにもかかわらず、やはり人生の意義も、自分の動機や努力の意義も啓示されないといって、ふしぎに思ったものだが、今おれは、人生の意義がわかったといっている。つまり、神のために、霊魂のために生きるということだ。しかも、この意義は明瞭であるにもかかわらず、神秘で摩訶《まか》ふしぎである。存在するいっさいのものの意義も、そのとおりだ。そうだ、慢心だ』くるりと腹ばいになって、草の茎を折らないように、丹念に縛《しば》り合わせながら、彼はこうひとりごちた。
「慢心ばかりじゃなく、愚鈍なのだ。が、何よりおもなのは狡猾《こうかつ》だ、ほかならぬこの狡猾だ。つまり、まやかしだ』と彼はくりかえした
それから、最近、二年ばかりのあいだに経験した思想の流れを、もういちど手みじかに点検してみた。その発端になったのは、不治の病にとりつかれた愛する兄を見たとき、疑いもなくまざまざと浮んだ、死という想念なのである。
そのときはじめて、すべて人間の前途には苦痛と、死と、永遠の忘却のほか、何ものもないということを、はっきりと理解した彼は、こんなふうに生きてはいかれない、人生が何かの悪魔の毒々しい嘲笑と思われないような解釈を見つけるか、さもなければ、自殺するよりほかない、とそう決心したのである。
しかし、彼はそのどちらをもしなかった。依然として生活し、思索し、感じつづけたのみならず、そのころ結婚さえもして、生の意義を考えずにいるときは、多くの喜びを経験し、幸福であった。
そもそもこれは何を意味するのか? ほかでもない、彼の生活はよかったが、考えが悪かった、ということになるのである。
彼は、母親の乳とともに吸いこんだ精神的真理によって(みずから意識しないけれども)、生活していたのであるが、ものを考えるときには、その真理を認めないばかりか、つとめてそれを避けようとしていたのである。
今となってみると、彼は自分を育て上げた信仰によってのみ、生きて行くことができるのは、明々白々であった。
『もしこの信仰をもたないで、おのれの欲のためでなく、神のために生きなくてはならぬということを知らなかったら、おれはどんな人間になっていただろう。どんなふうに生涯をすごしてきただろう、きっと強盗をしたり、嘘をついたり、人殺しをやったりしたことだろう。おれの生活で、おもな喜びとなっているものは、何一つなかったに相違ない』そこで想像の力を最大限に緊張させてみたけれども、もし今まで自分の生活目標となっていたものを知らずにいたら、必ずそうなっていたに相違ないと思われる野獣的な人間を、心に描くことができなかった。
『おれは、自分の疑問にたいする答えを探究した。ところが、思考はその疑問にたいする答えを与えてくれなかった――思考は疑問に不均衡《ふきんこう》なものだったのだ。この答えを与えてくれたのは、生活それ自身であって、何が善であり、何が悪であるかに関するおれの知識の中に啓示してくれたのだ。その知識たるや、おれが何ものかによって獲得《かくとく》したのではなく、すべての人と同様に授けられたのだ。授けられた[#「授けられた」に傍点]というのは、どこからも手に入れるわけにいかなかったからだ。
『いったいどこからおれはそれを手に入れたのだ? おれははたして自分の理性によって、隣人は愛すべきである、絞め殺すものでない、という真理に到達したのだろうか? おれは子供の時分に、人からそれを聞かされて、喜んでそれを信じたのだ。なぜなら、自分の魂の中にあることをいわれたからだ。ではだれが、それを発見したのだろう? 理性じゃない、理性が発見したのは生存競争だ、自分の欲望の満足を妨げるものは、だれもかれも絞め殺してしまえ、と要求する法則だ。これが理性の結論なのだ。他人を愛せよなどという法則を、理性が発見するわけにいかない。それは不合理なのだから』
[#5字下げ]一三[#「一三」は中見出し]
ふとレーヴィンは、このあいだドリイと子供たちのあいだに演じられた一場面を思い出した。子供たちは大人がいなくなったとき、蝋燭の火で木苺《きいちご》を焼いたり、牛乳を噴水のように口ヘ流しこんだりしはじめた。ドリイはその現場を見つけて、レーヴィンのいる目の前で、お説教をはじめた――『おまえたちが台なしにしているものを作るのに、大人がどんなに骨を折らなくてはならないか、もしおまえたちが茶碗をこわしなどしたら、おまえたちはお茶が飲めなくなってしまうし、牛乳をこぼしてしまったら、何も食べるものがなくなって、おまえたちは飢え死にしなくてはならない』
そのときレーヴィンを驚かしたのは、母のこういう言葉を聞いている子供たちの、おちついた、退屈そうな、不信の表情であった。彼らはただ、おもしろい遊びごとをやめさせられたのに、しょげているだけで、母のいうことなどは、ひと言も本当にしていなかった。また、本当にできるはずもなかった。なぜなら、彼らは自分たちの利用している事物の全体を、想像することができず、したがって、自分たちの破壊しているものが生命の糧《かて》であるということを、思い描くことができないからである。
『そんなことは、みんなわかりきっている』と彼らは考えたのである。『そんなことなんか、何もおもしろくもなけりゃ、大切でもありゃしない。だって、そんなものはいつでもあるし、これから先もあるにきまっているもの。いつもいつも、おんなじことばかりだ。何も僕たちがそんなことを考える必要はありゃしない。そんなものはもう現にあるんだもの。僕たちは何か新しい、自分自身のものが考え出したいのだ。そこで、木苺を茶碗に入れて、それを蝋燭の火であぶったり、牛乳をお互の口ヘ噴水みたいに流しこむことを、考え出したのだ。これはおもしろくって、珍しくって、茶碗から飲むのとくらべて、何も悪いことはありゃしない』
『われわれも理性でもって、自然力の意味や、人生の意義を探究することによって、それと同じことをしているのじゃないか。おれもそれをやったのだ』と彼は思索をつづけた。
『すべて哲学的理論などというものも、人間にふさわしくない奇妙なやりかたで、とくの昔から知っていること、それがなければ生きて行けないほど、正確に知っていることを知らせているが、これも要するに、子供たちのしていることと同じではないか? どの哲学者の理論の展開をとってみても、前もって人生のおもな意義を、あの百姓フョードルと同じようにまちがいなく(もっとも、あれ以上に明晰《めいせき》ではないが)、承知しているくせに、ただいかがわしい知的道程を経て、万人周知の事実に帰っていくのが、まざまざと見え透いているではないか?
『まあ、かりに子供たちばかりおっぽり出して、かってにものをさがさせたり、食器をつくらせたり、牛乳を搾《しぼ》らせたりしたら、どうだろう? 彼らは悪ふざけするだろうか? きっと飢え死にするにきまっている。さて、そこでわれわれが唯一の神や、創造主に関する観念もなく、善に関する観念もなく、道徳的悪についての説明もなしに、情欲や思念のままにおっぽり出されたら、どうだろう!
『さあ、こういう観念なしに、何かを建設してみるがいい!
『われわれはただ破壊するばかりだ、なぜなら、精神的に満腹しているからだ。全く子供と同じことだ!
『百姓と共通の知識、ただこれのみが魂の平安を授けてくれる喜ばしい知識は、どこから来ておれに宿っているのだろう? どこからおれは取って来たのだろう?
『おれはキリスト教徒として、神という観念の中に育てられ、キリスト教のもたらす精神的恩恵によって全生活をみたし、全存在をその恩恵に充満し、それによって生きていながら、子供のようにわけもわからず、自分の生活の原動力を破壊している。いや、破壊しようとしている。ところが、生涯における重大な危機が訪れると、寒さと飢えを感じた子供のように、おれは神のほうへ向っている。そして、悪戯《いたずら》のために母親に叱《しか》られた子供たちより、もっと平然たる気持で、気まぐれにひと暴れしようとした自分の子供じみた試みは、別にたいした罰を受けはしまいと、たかをくくっているのだ。
『そうだ、おれの知っていることは、理性で知ったのではない。これはおれに与えられたものだ、啓示されたものだ。これは心情によって知ったのだ、教会の宣《の》べ教えている主要なものにたいする信仰で知ったのだ。
『教会? そうだ、教会だ!』とレーヴィンはくりかえして、ごろりと寝返りを打ち、肘杖をついて、はるかかなたから川の反対側の岸に近づいてくる、家畜の群を見つめにかかった。
『しかし、おれは教会の教えるいっさいを、信ずることができるだろうか?』と考えながら、彼はおのれみずからを試み、今の平安をくつがえすおそれのある事情を、残らず思い浮べようとした。彼は教会の教えの中で、常に最も奇怪に感じられ、自分の心を惑《まど》わしていたものを、わざと記憶の底から呼びさました。『創造とは? いったいおれは存在ということを、なんで説明していたのかしら? 存在で説明していたのか? 無によってか? 悪魔、罪――おれは悪をなんで説明するつもりだ? 贖罪者《しょくざいしゃ》とは?……
『いや、おれはなんにも、なんにも知らない。ただ、すべての人とともに聞かされていることを除《の》けては、知るわけにはいかないのだ』
すると今では、教会の信条の中には一つとして、最も重要なもの、すなわち神にたいする信仰、人間の唯一の使命としての善にたいする信仰を、打ち砕くようなものはないような気がした。
教会の信条の一つ一つに、欲望ならぬ真実にたいする奉仕の信仰を、あてはめることができた。一つ一つの信条が、それに牴触《ていしょく》しないばかりでなく、むしろたえず地上に発顕《はつげん》するおもなる奇蹟が成就されるためには、必要かくべからざるものであった。奇蹟というのはほかでもない、一人一人の人間が、幾千万という種々雑多な人々とともに――賢者、愚者、小児、老人とともに――百姓、リヴォフ、キチイ、乞食、帝王とともに――まごうかたもなくただ一つのことを理解して、かの霊の生活を建設できるということなのである。ただこの生活のためにのみ、生きて行く価値があり、この生活のみをわれらは尊重するのである。
彼はいま仰向きに寝ころんで、一点の雲もない高い大空をながめていた。『あれが無限の空間であって、巨大な穹窿《まるてんじょう》でないということは、おれもちゃんと知っている。にもかかわらず、どんなに目を細くしても、どんなに視力を緊張さしても、丸くないものも見えなければ、はてしのないものをも見ることができない。無限の空間ということは、ちゃんと承知しているくせに、空色の堅固な穹窿《まるてんじょう》を認めているこのおれは、疑う余地もなく正当なのだ。そのむこうを見ようとして、一生懸命になってるおれよりも正当なのだ』
レーヴィンはすでに考えるのをやめて、何やら喜ばしげに、仔細《しさい》らしく語り合っている神秘の声に、耳を傾けてでもいるような気特になった。
『いったいこれが信仰なのだろうか?』おのれの幸福を信ずることを恐れながら、彼はこう考えた。『おお、神さま、感謝します!』こみ上げてくる慟哭《どうこく》をのみこみ、のみこみ、両眼をみたす涙を両手で拭きながら、彼は思わず口走った。
[#5字下げ]一四[#「一四」は中見出し]
レーヴィンは前方に目を放って、家畜の群を認めたが、つづいて、黒馬《あお》をつけた自分の家の馬車と、馭者の姿が目に入った。馭者は家畜の方へ行って、牧夫と何やら話していた。そのうちに、もう轍《わだち》の響きと、馬の鼻を鳴らす音が身近に聞えた。しかし、彼は自分の想念にのみつくされていたので、なんのために、馭者がやって来たのかを、考えもしなかった。
彼がやっとそのことを思い浮べたのは、馭者がもうすっかり間近に来て、声をかけたときであった。
「奥さまがお呼びでございます。お兄さまと、それからもう一人、どこかの旦那さまがお見えになりました」
レーヴィンは馬車に乗って、手綱を取った。
さながら夢からさめたように、レーヴィンは長いあいだわれに返ることができなかった。腿《もも》のあいだや、手綱の摺《す》れる頸のあたりに、泡のわき出ている肥えた馬や、自分のそばに坐っている馭者のイヴァンを見まわしているうちに、自分が兄の来訪を待っていたことや、自分がいつまでも帰ってこないので、たぶん妻が心配しているだろう、というようなことを思い起した。そして、兄といっしょに来た客はだれだろうと、一生懸命に推察をめぐらした。今では兄も、妻も、未知の客も、前とは違ったふうに心に描かれてきた。もはやすべての人との関係が、別なものになるような気がするのであった。
『兄とのあいだには、今までいつもあったような、よそよそしさがなくなるだろう――議論だってしなくなる。キチイとは決していさかいをしないし、客にたいしては、それがだれであろうとも、優しく親切にするのだ。召使、たとえばこのイヴァンとの関係も、すっかり別になってしまうのだ』
じれったそうに鼻を鳴らし、しきりに駆けだしたがっている逸物《いつもつ》の馬を、短い手綱でひきしめながら、レーヴィンは並んで坐っているイヴァンをじろじろ見まわした。イヴァンは、仕事を取りあげられたために、自分の手のやり場に困って、風にふくらむルバーシカをのべつ引っ張っていた。レーヴィンはこの男と話をはじめるのに、適当な口実を肚の中でさがしていた。彼は、馭者に向って、馬の腹帯の締め方が高すぎたといおうと思ったが、それでは非難がましくなりそうだった。ところがレーヴィンは、もっと愛想のいい話がしたかったのである。しかし、ほかに話の種が浮んでこなかった。
「どうぞ右へ取って下さいまし、そこに切り株がありますから」レーヴィンの持っている手綱をなおしながら、馭者はこういった。
「おい、お願いだから、人にさわったり、指図したりしないでくれ!」馭者の干渉がいまいましく、レーヴィンはこういい返した。彼はいつも干渉されると、癪にさわるのであった。とすぐさま、今の心の状態は、現実にふれたときの自分を、たちまち一変さすだろうという想像が、いかに誤りであったかを悟って、悵然《ちょうぜん》とした。
家から十町ばかりのとこまでくると、レーヴィンはむこうから走ってくるグリーシャと、ターニャに気がついた。
「コスチャ叔父さん、お母さまも、お祖父さまも、セルゲイ叔父さんも、こちらへ来てらっしゃるわよ。それから、もう一人だれか知らない人も」馬車によじ登りながら、彼らはそういった。
「いったいだれだね?」
「とてもこわい人よ! 手をこんなふうにして」馬車の中で身を起して、カタヴァーソフの身ぶりをまねながら、ターニャはこういった。
「それは年寄りかね、若い人かね?」ターニャの身ぶりでだれかを思い起しながら、レーヴィンは笑い笑いたずねた。
『ああ、とにかく不快な人間でなければいいが!』とレーヴィンは考えた。
道の角を曲って、むこうから来る人たちを目にしたとき、はじめてレーヴィンは、麦藁帽子をかぶったカタヴァーソフに気がついた。彼は、ターニャがしてみせたのとそっくり同じかっこうで、両手をふりふり歩いていた。
カタヴァーソフは、哲学を談ずるのが大好きであった。しかも、その哲学に関する観念たるや、一度も哲学を勉強したことのない自然科学者たちから受けたものである。レーヴィンは最近モスクワで、彼とずいぶん議論したものであった。
一度そういう議論をしたとき、明らかにカタヴァーソフは、自分のほうが勝ちだと思ったらしいことがあるが、この友人を見て、レーヴィンが第一に思い浮べたのは、このときのことであった。
『いや、おれはもう議論したり、軽率に自分の意見を吐いたりなんか、金輪際《こんりんざい》しやしない』と彼は考えた。
車からおりて、兄やカタヴァーソフにあいさつをすますと、レーヴィンは妻のことをたずねた。
「ミーチャをコーロックヘ連れて行きましたわ(それは邸のそばにある森のことであった)あすこでうまく寝かしつけようと思って。なにしろ、家の中は暑いものですからね」とドリイはいった。
レーヴィンはいつも妻に向って、赤ん坊を森へ連れ出してはいけない、それは危険だからといって、さし止めていたので、この報告は不愉快であった。
「赤ん坊を抱いて、あっちからこっちと、場所を変えてばかりいるのだよ」と老公は微笑しながらいった。「わしは一度あの娘《こ》に、赤ん坊を氷室へ連れて行ってみたらどうだ、と勧めてやったよ」
「キチイは、養蜂場へ行こうとしましたのよ。あなたがあすこにいらっしゃると思ってね。わたしたちも、養蜂場へ行くとこなんですの」とドリイはいった。
「どうだね、何をやっている?」ほかの連中から離れて、弟といっしょに並びながら、コズヌイシェフはこうたずねた。
「いや、別に何も。いつものとおり、農場の経営をやっていますよ」とレーヴィンは答えた。「ところで、兄さんはどうです、ゆっくりできますか? ずいぶん前から待っていたんですよ」
「二週間ばかりの予定だ。モスクワにとてもたくさん仕事があるのでね」
そういったとき、兄弟の目がぴったり合った。レーヴィンはつね日ごろ、ことに今はなおさら強く、兄と親しい関係を結びたい、わけてもざっくばらんな関係を結びたい、と望んでいるにもかかわらず、兄を見るのがばつの悪いような感じがした。彼は目を伏せて、なんといっていいかわからずにいた。
コズヌイシェフの喜びそうな話題――モスクワの仕事という言葉で匂わせたセルビヤ戦争や、スラヴ問題から兄の気持をそらしそうな話題を、心の中であれかこれかと選り分けながら、レーヴィンはコズヌイシェフの著書のことをいいだした。
「どうです、あなたの本について書評が出ましたか?」と彼はたずねた。
コズヌイシェフは、この問いのわざとらしさに微笑した。
「だれもそんなことを気にしちゃいないよ、僕自身がその随一だ」と彼はいった。「ごらんなさい、ダーリヤ・アレクサンドロヴナ、雨が来そうですよ」泥楊《どろやなぎ》の梢に現われた白い綿雲を、傘でさしながら、彼はそうつけ足した。
たったそれだけの言葉で、あれほどレーヴィンの避けたがっていた、敵視というほどではないけれども、おたがい同士の冷たい関係が、早くも兄弟のあいだにふたたび固定してしまった。
レーヴィンはカタヴァーソフのそばへよった。
「君がここへくる気になったのは、本当にいいことでしたね」と彼は話しかけた。
「前から来たいと思っていたのでね。今度こそうんと話しましょうよ、いいですか。スペンサーは読んでしまいましたか?」
「いや、しまいまで読んでいません」とレーヴィンは答えた。「もっとも、今ではスペンサーも、僕に必要がなくなったけれど」
「え、どうして? それはおもしろい、なぜ?」
「ほかでもありません、僕の心を占めている問題の解決は、スペンサーやそれに類似の人たちの中に発見できないってことを、いよいよ確信したからです。今では……」
しかし、カタヴァーソフのおちついた、楽しそうな表情が、ふいにレーヴィンをはっとさせた。彼はこの会話でぶちこわした先ほどの気分が、なごり惜しくなったので、つい今しがたの決意を思い出して、口をつぐんでしまった。
「まあ、あとで話しましょう」と彼はつけ足した。「もし養蜂場へ行くのでしたら、こっちへいらっしゃい、この径《みち》づたいに」と彼は一同に向って、こういった。
細い径をたどって、一方のがわが鮮かな三色|菫《すみれ》におおわれ、まんなかには暗緑色をしたばいけい[#「ばいけい」に傍点]草が、高い叢《くさむら》をなして生い繁っている、まだ草を刈ってない森の中の空地へ出たとき、レーヴィンは客人たちを若い泥楊のすがすがしく深い木陰にあるベンチと、木の切株に腰かけさせて(それは、養蜂場の訪問者で、蜂を恐れる人のために、わざわざ用意されたものである)、自分は小舎のほうへ歩いていった。子供や大人にパン、胡瓜《きゅうり》、取り立ての蜂蜜などを、持ってくるためである。
なるべく急激な動作をしないように気をつけ、いよいよ頻繁にそばをかすめて飛び過ぎる蜂のうなりに、耳を澄ましながら、彼は径づたいに小舎へたどりついた。入口のすぐそばで、一匹の蜜蜂が彼の頤鬚《あごひげ》にからまって、ぶんぶんいいだしたが、彼は用心ぶかくそれを放してやった。小暗い入口の間へ入ると、壁の木釘にかかっている網をとって頭にかぶり、両手をポケットヘつっこんで、垣根を結いめぐらした養蜂場へ入った。そこでは、草を刈り取った跡へ、それぞれ自分の歴史をもった、なじみの深い古い蜂の巣が、規則ただしい列をなして、しなの木皮で杙《くい》に縛りつけてあり、編垣の上には、今年入れたばかりの新しい巣がかけてあった。巣の出入口には、仕事休みをしている職蜂と雄蜂が、一つところをぐるぐる廻ったり、ぶっつかったりして、目がちらちらするようであった。そのあいだに、獲物をもった蜂や、獲物を取りに行く蜂が、花をつけている菩提樹の森をさしたり、反対に巣の方へむかったりしながら、同一線上を飛びかわしていた。
仕事にいそしんで、すばやく飛びすぎる蜂や、のらくらとうなりつづけている雄蜂や、不安げに敵の侵略から自分の財産を守って、今にもさしてやろうと身がまえている護衛蜂など、種々さまざまなうなり声が、たえず耳の中で響いていた。囲いのほうでは、老人が箍《たが》を削っていて、レーヴィンの姿は目に入らなかった。レーヴィンは老人に声をかけず、養蜂場のまんなかに足を止めた。
彼は、一人きりになれたのがうれしかった。早くも自分の気分を卑俗にしてしまった現実からのがれて、われに帰りたかったのである。
彼は今のあいだに、もうイヴァンに腹をたてたり、兄に冷淡な態度を見せたり、カタヴァーソフに軽はずみな口をきいたりしたことを、思い出した。
『いったいあれは、ほんのつかのまの気分にすぎなかったのだろうか、あのまま通りすぎて、なんの痕跡も残さないのだろうか?』と彼は考えた。
しかし、その瞬間、彼はあのときの気分に帰ることができた。そして、何かしら新しい重大なものが、自分の内部に生じたのを感じて、彼はうれしくてたまらなかった。現実はただほんの一時、彼の発見した精神的な平安を曇らしただけで、それは彼の内部に完全に残っていた。
それはちょうど、蜜蜂のようなものであった。彼らはいまレーヴィンの周囲を飛びめぐって、脅威を感じさせ、気をまぎらせて、完全な生理的平安を奪うので、レーヴィンはそれを避けるために、体を縮めなければならなかったが、それと同様に、さまざまな生活上の配慮が、馬車に乗った瞬間から彼をとりまいて、精神的な自由を奪ったのである。けれどもそれは、彼がそのただなかにいたあいだのことにすぎなかった。あたかも蜂の脅威にもかかわらず、彼の肉体的な力がいささかも損われなかったように、新に意識した精神的な力は、彼の内部に完全に残っていたのである。
[#5字下げ]一五[#「一五」は中見出し]
「ああ、そうそう、コスチャ、セルゲイ・イヴァーヌイチが、こちらへいらっしゃる途中、だれとごいっしょだったと思って?」子供らに胡瓜や蜜を分けてやってから、ドリイがこういった。「ヴロンスキイなのよ! あの人はセルビヤヘ出征なさるんですって」
「しかも、一人だけじゃなくて、自費で編成した中隊を引率しているんです!」とカタヴァーソフはいった。
「そりゃあの男には似合ってますよ」とレーヴィンは答えた。「しかし、いったい今でもやはり、義勇兵が出て行くんですかねえ」と彼はコズヌイシェフを見て、つけ加えた。
コズヌイシェフは返事をしないで、白い蜜のかたまりの入っている茶碗の中から、溶けた蜜にまみれて半死半生の蜂を、切れないナイフで用心ぶかく救い出していた。
「出て行ってますとも、しかもその盛んなことといったら! 昨日の停車場の光景を、君に見せたいくらいでしたよ」大きな音を立てて胡瓜をかじりながら、カタヴァーソフはいった。
「いやはや、いったいそれはなんと解釈すればいいのだろう? セルゲイ・イヴァーノヴィッチ、お願いだから、ひとつ説明してくださらんか、あの義勇兵たちはどこへ行くんです、だれと戦争するんですな?」と老公がたずねた。明らかに、レーヴィンのいないあいだにはじまった話の続きらしい。
「トルコ兵とですよ」蜜のために黒くなって、頼りなげに脚を動かしている蜂を救い出して、ナイフの上からしっかりした泥楊の葉に移しながら、コズヌイシェフはおだやかな微笑とともに、そういった。
「だが、いったいだれがトルコに宣戦を布告したんです? イヴァン・イヴァーノヴィッチ・ラゴーゾフや、伯爵夫人のリジヤ・イヴァーノヴナや、シュタール夫人などですかね?」
「だれも宣戦の布告なんかしやしません。みんなが同胞の苦痛に同情して、それを援助しようと望んでいるだけです」とコズヌイシェフは答えた。
「いや、公爵がいっておられるのは、援助のことじゃなくって」とレーヴィンは舅《しゅうと》の味方をしながら、口をだした。「戦争のことなんですよ。個々の人間は、政府の許可なしに戦争に参加することはできない、それを公爵はいっておられるのです」
「コスチャ、気をつけて、これ蜜蜂よ! 全くよ、わたしたちさされてしまってよ!」とドリイは黄蜂を払いのけながらいった。
「なに、これは蜜蜂じゃない、黄蜂ですよ」とレーヴィンはいった。
「さあ、さあ、聞きましょう、君の理論はどういうんです?」とカタヴァーソフは明らかに、議論に巻きこみたげなふうで、にやにやしながらレーヴィンに問いかけた。「なぜ個々の人間は権利がないんです?」
「なに、僕の理論はこれだけのものです。戦争は、一方からいうと、じつに動物的な、残酷な、恐ろしいことで、いかなる人といえども――僕はあえて、キリスト教徒とはいいません――戦争開始の責任を、個人として引き受けることはできません。それができるのは、その使命を与えられており、不可避的に戦争に狩り立てられた政府あるのみです。また一方からみると、科学からいっても、常識からいっても、国家の政治、特に戦争については、国民はおのれ一個の意志を放棄しなければなりません」
コズヌイシェフとカタヴァーソフは、いつでも用意のできている駁論《ばくろん》をひっさげて、同時に口を開いた。
「ところが、そこなんですよ、君、政府が国民の意志を実行しない場合があるんでね。そのときは社会がおのれの意志を表示するんですよ」とカタヴァーソフはいった。
しかしコズヌイシェフは、どうやらこの反駁には不感服らしかった。彼はカタヴァーソフの言葉に眉をひそめて、別のことをいいだした。
「いや、おまえの問題の置き方がまちがっているよ。この場合、問題は宣戦布告じゃなくて、単に人間的、キリスト教的感情の表明なんだ。血を同じゅうし、信仰を同じゅうしている同胞が殺戮《さつりく》されている。いや、信仰を同じゅうした同胞でなくたってかまわない、ただの子供や、女や、老人が殺戮されているとしよう。すると義憤が生じて、ロシヤ人はそうした恐怖を中絶させよう、援助の手をさしのべようとして蹶起《けっき》する。ひとつこんな場合を想像してごらん、おまえが往来を歩いていると、酔っぱらいが女か子供を撲《なぐ》っているのが、目に入るとしよう。そのときおまえは、その酔っぱらいに宣戦布告されてるかどうか、なんてことを自問しないで、いきなりそいつに飛びかかって、被害者を守ってやるだろうと思うが」
「しかし、殺しはしないでしょう」とレーヴィンはいった。
「いや、おまえはきっと殺すよ」
「わかりませんね。もし僕がそんな場面を見たら、端的に自分の感情に身をまかせるでしょうが、前からどうということはできません。ところが、スラヴ民族の迫害ということにたいしては、そういう端的な感情を持ち合わせていませんし、またそういうものはありえないのです」
「あるいは、おまえにはないかもしれない。が、ほかのものにとっては、それがあるのだ」とコズヌイシェフは思わず、眉をひそめながらいった。「民衆のあいだには、『けがれた回教徒』の軛《くびき》のもとに苦しんでいる正教の人々に関する伝説が、生きているのだからね。民衆は自分の同胞の苦難を聞いて、それを問題にしはじめたのだ」
「そうかもしれません」とレーヴィンは、話をそらすような口調でいった。「しかし、僕の目にはそれが見えません。僕自身も民衆なんですが、僕はそれを感じませんからね」
「いや、現にわしだって」と老公が口を入れた。「わしは外国で暮して、新聞を読んでおったが、正直な話、ブルガリヤで恐ろしい事件がもちあがるまでは、どうしてロシヤ人が急にスラヴの同胞を好きになったのか、どうしておれはその同胞にたいして愛情を感じないのか、とんと合点がいかなかったよ。おれはいったい片輪《かたわ》なのか、それとも、カルルスバードの鉱泉がききすぎたのかなと思って、ひどく悲観したものだよ。ところが、ここへ帰ってみて、やっと安心した。わしのほかにも、ただロシヤだけに興味をもって、スラヴの同胞に無関心な人たちのあることがわかったのでな。このコンスタンチンもそうだ」
「個人の意見は、この際なんの意味もありませんよ」とコズヌイシェフがいった。「ロシヤぜんたいが、民衆が、意見を表示しているときですもの、個人の意見なぞに用はありません」
「いや、失礼だが、わしにはそれが見えないのでな。民衆は芋《いも》の煮えたもごぞんじなしだ」
「うそよ。パパ……どうして知らないことがあるもんですか? この日曜日に教会でどうでした?」一座の話に耳を傾けていたドリイが、口を出した。「ちょっとタオルをちょうだい」にこにこしながら子供たちを見ている爺さんに、彼女はそういった。「みんなが知らないなんて、そんなことありませんわ……」
「いったい日曜日に、教会でどんなことがあったのだい? 司祭は書いたものを読めといいつけられて、そいつを読んだんだが、みんなはなんのことやらわからないで、いつものお説教のときと同じように、ため息をついたばかりだよ」と老公はつづけた。「それから、魂の救いになるような仕事のために、これから教会の中で金を集める、と申し渡したもんだから、そこでやつらは、一コペイカずつとり出して渡したが、なんのためやら自分じゃわからないのさ」
「民衆が知らないはずはありません。自分の運命にたいする直感は、いつも民衆の内部にありますから、今のような場合には、自然とわかるものですよ」とコズヌイシェフは、蜜蜂飼いの老人を見ながら、断定的にこういった。
白髪《しらが》まじりの黒い頤鬚《あごひげ》を生やした、濃い銀髪の美しい老人は、蜜蜂入りの鉢を持って、背が高いので上から見おろすように、愛想よくおちつきはらって、旦那がたをながめながら、じっと立っていたが、明らかに何一つわからなかったし、またわかりたいとも思わないらしかった。
「そりゃ全くそのとおりでごぜえます」コズヌイシェフの言葉にたいして、ものものしく頭をふりながら、爺さんはこういった。
「まあ、ひとつこの男にきいてごらんなさい。なんにも知らないし、なんにも考えちゃいないから」とレーヴィンはいった。「ミハイルイチ、おまえ、戦争のことを聞いたかい?」と彼は爺さんに話しかけた。「ほら、教会で読んで聞かしてもらったろう? おまえあれをどう思う? われわれはキリスト教徒のために、戦争しなくちゃならないかい?」
「わしら何かんげえることがありますべえ? アレクサンドル・ニコラエヴィッチが、皇帝さまが、わしらのかわりに考えて下せえますだ。皇帝さまのほうが、よくおわかりだで……もっとパンを持ってきますべえか? 坊ちゃんもっとあげますべえか?」パンの皮まで噛っているグリーシャを指さしながら、彼はドリイに問いかけた。
「僕は何もきく必要はないよ」とコズヌイシェフはいった。「われわれは、正義のために奉仕しようとして、いっさいのものをなげうってさ、ロシヤのありとあらゆる地方から集って、端的に明瞭に自分の考えと目的を表明している人たちを、何百人、何千人といって見てきた、いや、現に見ているんだからね。彼らはなけなしの金を寄付したり、自分で戦争に出かけたりして、なんのためかってことをはっきりいっているよ。これはいったいなにを意味するんだね?」
「それは僕にいわせると、こういう意味なんです」とレーヴィンは、そろそろ熱くなりながら答えた。「八千万の国民の中には、どんなときだって、社会的位置を失って、プガチョフの徒党の中だろうが、ヒヴァだろうが、セルビヤだろうか、いつでも飛び出して行く無鉄砲な連中が、今のように何百人くらいなものじゃない、何万だっていますよ……」
「私はそういってるじゃないか。何百人どころじゃないって。それに、無鉄砲な連中じゃなくて、民衆のすぐれた代表者なんだよ!」とコズヌイシェフは、自分にとって最後の所有物を守ろうとするような、いらいらした調子でいった。
「じゃ、寄付金はどういうことなんだね? この点では、もう全民衆が自分の意志を表明しているんだよ」
「その『民衆』という言葉が、じつにばくぜんとしてるんでね」とレーヴィンは答えた。「村役場の書記や、学校教師や、それから百姓のうち、千人に一人くらいは、なんのことかわかっているかも知れませんが、そのほかの八千万は、このミハイルイチと同じように、自分の意志を表示しないばかりか、自分の意志を表示すべき事件について、なんの観念ももっていないんですからね。これが民衆の意志だなどという権利が、どうしてあるものですか?」