ゴルゴ13だったかと思うが、「金さえあればわたしだってできる」というのはいくらでもあった。いまは、そういうものがない。
金さえあればともいわない、親がくだらないともいわない(精神病治療上の「毒親」のあつかいはここからはじまるはずだが)、先生がつまらないともいわない(オウム真理教事件でそういう話があった)、運が悪いともいわない。宗教的回心や悟りがほしいとも(たぶん)いわない。意欲がほしいともあんまりいわない。
じゃあなにがほしいんだ、といいたくなる。これはある種誇張した言い方だが、たぶんいい線いっている。対決にしろ共生にしろ、共にいきるということにはある種のずうずうしさが必要である。
だから、たとえば借金がへたなのである。