『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

わたしの、本気の反万博論 その14ー1 東京新聞の記事「万博が抱える黒歴史「人間動物園」~」の読者の反応批判その1

https://www.tokyo-np.co.jp/article/296493
この記事、いろいろつけくわえるべきことがあるのだが、それにしてもこの記事の読者の反応にはひじょうに落胆させられる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/296493
なぜ、「わたしが先に書けたのに」、いや、一番乗り競争はどうでもよい、「わたしはもっと《いいもの》を書けるのに」と言わないのか。わたしはふかい怒りと悲しみを感じる。

万博というものの場合、つきはなして見たとき、インターネットや資料館やなんやらのどこかに、判断材料はほぼそろっている。
たとえば、『万博の歴史』(平野暁臣)の第2章にこういう記述がある。
「文明と野蛮

(1904年)セントルイス民俗学展示は(略)敷地面積は数十ヘクタールに及び、まさしくサファリパークに匹敵する規模でした。」
たぶん、インターネット上でここを引用したのは、わたしが世界で最初だとおもう。少なくとも2025年万博と関連づけた引用は、わたしがはじめてのはず。そんなことは、ぜんぜんうれしくないことであって、注意力があればだれでもできることだ。
ここでの読者の反応は、はっきりいうと、卑屈(だれに対して? まだつきつめていない)。たぶん、つるみたがる性根もだいぶからんでいるのだと思う。1兆円以上の事業の批判で、卑屈さは命とりである。(つづく)








































 彼らとは別れて済州島に行き釜山から汽車で慶州に行ったときのことだ。同行した人から 「このあたりは、とりわけ日本人に対して険悪な感情を持っている。何かあるといけませんから、汽車の中では絶対に日本語を話さないで下さい」
 と言われた。汽車は満員だった。通路に立って、ゆられながら車窓にひろがる景色に見惚れた。一面の田圃、広告や立看板が一つもない。それが清らかで、自然の営みという感じがする。その時代はまだセマウル運動がはじまったばかりで、村は昔のままの藁屋根の家が身を寄せあって点在している(藁屋根は非衛生だというので、この運動が浸透すると、壊されてしまい農村風景は一変した)。その風情が自由で、自然で、いかにも人間くさい。
「ほら、見ろ見ろ。いいねえ。あの形。一つ一つみんな違うだろう。ちょっと傾いてるところが何ともいえない」
 岡本太郎は眼を輝かし、身をのり出して大喜び。日本語を話さないようにと言われたことなんか、もうすっかり忘れている。私も嬉しくなってしまって、
「ほら、あっちも。いいですねえ」
 二人で飛びあがらんばかり、感激していた。しばらくすると、窓際の席に坐っていた工員風の男の人が、むっとした顔でこちらを見て、立ち上るや、
「ここへ坐りなさい」
 日本語なのだ。この辺の人は日本語がわかるのだろう。さっきから私たちが無邪気に、手放しで喜んでいるのをじっと聞いていたらしい。坐りなさい、と言っても、そんな――日本人には悪感情を持っているというのに。
「いいえ。結構ですから」
 恐縮して、遠慮するのに、
「坐りなさい!」
 命令調だ。
 仕方なくその席に坐ろうとした。すると反対側の窓際に坐っていた人がやおら立ち上り、
「こっちの方が景色がいい。ここに坐りなさい」
 席を譲る人同士、喧嘩になりそうな勢い。韓国の人は激しい。やっとより強硬な人の方に坐らせて貰った。その隣りの人が私のために譲って下さり、いつものように太郎の発言をメモすることも出来たし、有難かった。
 席を譲ってくれた人は怒ったような顔で、向うの出口に近いところに行って立ち、新聞をひろげていた。……日本人なんかに席を譲るなんて、いまいましい。だがあいつらが、あんまり嬉しそうに喜んでいたから、そう言ってやらずにはいられなかったんだ。畜生! そう言っているのが聞えてくるような顔つきだった。
 汽車を下りてから、事の成り行きをハラハラして見ていた連れの人が、
「びっくりしました。この線で、日本人に席を譲るなんて、前代未聞ですよ。恐らくあの人は、今日のことを一生忘れないでしょう」

岡本太郎が、いる』(岡本敏子)より引用。この2人の、生きる決意といえばいいのか、なんといえばいいのかわからないのだが、とにかく「それ」は、朝鮮近代史を卑屈でなく生きた人々にとって、こういうふうにしてでも受け入れるべきものだったようだ。

 まず、最も重要なこととして、在日朝鮮人の実存を徹底的に理解しぬこうとする姿勢。現実が多様で動いている以上、これはどこまでいってもきりがない課題であって、何でも分ってしまったように思い上った瞬間、一旦成立した自立した関係も、たちまちくずれ去ってしまう。この点は、理解の深さが、関係の深さを規定するというほど重要であると思う。これなしには、見当ちがいのことを「いわねばならない」と思いこんでしまう。
 次に、おのれを凝視し続ける執拗さ。関係を持続させていくなかで、たえず自分が何者であるかをみつめつづける態度。
 次に、自然さ。まず、「頭が上らない」と一面的に自己規定し、次にそれではいけないと思うと相手のだめなことばかりをいいつのればいいと思い定めるような、どこまでいっても、あらわれ方はちがうが棒を呑んだようにぎこちない、観念的で一方的な関係設定の姿勢を克服しなければならない。

『論文「朝鮮統一は在日朝鮮人問題を解決するか」に対する私の意見』(梶村秀樹先生、2024年内に著作が復刊予定)の結論部分より引用。
この3人、決意の質は、ほとんどちがわなかったようである。