『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

2024-03-19から1日間の記事一覧

後藤和智氏の論理を悪用すると、年下になるにしたがって、年上のクソな論理をそのまま極端にマネしている、最低の連中ということになりかねない。事態はもっとややこしくて、たとえば年下が年上に反発するていをとって自分に都合よく論理をねじまげていたりするのではないか。ただなあ、「年下だからといって、クソをクソと見抜けないと思うなバカ!」って言っている若者、本当に少ない。わたしの勘違いなら本当にいいのだが、成田みたいなのが東大祭りの「運営」に招待されるんだから、なめるなというは正直難しいぞ。

そういえば、宮台真司氏が信用できるかどうかちゃんと考えていそうな人といってパッと思いつく人って、後藤氏ともう一人、仁藤氏だったりする。仁藤氏の場合、なんかのインタビューで、宮台氏個人の名前をだしていないから、「出した方がいいじゃないのかな…

わたしの、本気の反万博論 その37 はてながどうのツイッターがどうのという道具の話の前に、答えてくれたその人に感謝して後で恩返ししますよ、と示すのが先に決まってるだろ。なに黙殺してんだ。そうでないと別のことも黙殺できないからあんなことしてんだろ。……これ、当たってたらそうとうおそろしいことやってるぞ。

インターネットはまだ人力判断なのだから、人間に恩返ししようというのがあるべきだろ。思い出してみると、最初の頃から人力判断という前提を重んじてはいなかったぞ。「わたし」が、中西新太郎氏や押川剛氏のようなミョウだが観察力を鍛えている人の言って…

わたしの、本気の反万博論 その36 フィクション作品のどこそれに優勢思想、じゃなかった、優生思想があらわれていることなど、あまり意味がないのではないか。一時の優勢、つまりランキング至上主義と対決する気が、本当に、ほとんどないのだから。眼力がないってことになるから、失礼ではある。でも、この30年間、カフカやフォークナーやメルヴィルのようなランキングに対する敗者復活戦って、思い浮かばない。いろいろしゃべってはいるけど、結局あれはただよっているだけではないか、という疑問がずうっとある。

ほかにもいろいろ理由があるだろうけど、ランキング至上主義をつきはなさない時点で、公平な感覚とはいえない。2004年のTVアニメ『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』において、遺伝子解析で理想的とされる仕事を強要する悪役のプランが、当時の視聴者には否定…

後藤和智氏へ、「若者」にも、強いものにすりよりたい連中が山ほどいる。一人の人間がそこで激しく揺れ動いている事すらあるようだ。そこを見極めないと、簡単に切り捨てられてしまう。現に、「わたし」が切り捨てられた。「わたし」の落ち度を批判されることも無く。そこが一番怒らせたことだ。発信しているのに発信されないとか、いとも簡単に他人まかせにするのには驚いてしまう。

わたしの、本気の反万博論 その35 たとえ反ナショナリズムのためという理由であっても、1967年の新井真一氏のあの決断を否定するのは、認めるべき歴史の否定であり、人間の誇りにかかわる最重要な決断を黙殺してしまうダメな行為だ。あれをこえることだけを考えるんだ。わたしは断言する。

1967年6月8日、東京都青山の岡本太郎宅を訪れた新井真一(1970年大阪万博事務方トップ)はこんなことを言った。 「先生以外には誰もほかに考えていません。七〇年三月十五日からと会期も決定し、間もなく世界中に参加招請状を発送します。その中心になるテー…

わたしの、本気の反万博論 その34 つるむのは罪であり、やすっぽい薬物でもある。インターネット文化が万博より劣っている最大の理由の一つは、そこを思い切り肥大化させたからだ。

族 | 押川剛 公式ブログもうね、集合知なんていうのは言うな! その前に「朝鮮精神」、じゃなかった、「挑戦精神」をもてと言いたくなる。 これはついでだが、在日朝鮮人運動などのマイノリティ運動でも、もっとインターネット文化に対して「挑戦精神」をも…

わたしの、本気の反万博論 その33 成田悠輔氏とその賛同者は、「ワタシを生んだのは、水俣病患者を見捨てた団塊の世代だ!」とは言わなかった。今この時が「団塊の世代」をまとめて、どんなにゆがんでいても、正当に批判する最後のチャンスだった。それを言わない、その時点であの連中の「歴史認識」が危険なほど荒廃していることが確定した。結局、「団塊の世代」がもっているミエと権力とカネに目がくらんでいると断言していい。吉村現大阪知事も、まったく同じで「団塊の世代」に都合よくすりよっている。1980年から数え

「団塊の世代」自体ではなく、「団塊の世代」がもっているものにすりよっている。 なんだここだけ言えばよかったのか。なんだ単純なはなしなのか。もう少しつけくわえることがあるかもしれないが。

わたしの、本気の反万博論 その32 2024年3月時点で、インターネット上で、網野善彦氏を中心とする奥能登の旧家時国家研究が具体的にどういうものだったかの情報は、神奈川大学日本常民文化研究所の情報をのぞけば、本当にうすい。どうやっても7年かかった、ということが強調されていない。

受託研究 輪島市・上時国家文書・時国家文書調査業務 | 調査と研究 | 神奈川大学日本常民文化研究所網野氏らの本にちゃんと、どうやっても7年かかっただろう、ということが書かれてあるのに 最低でも7年かかった、という、人文学というか人間の判断にとっ…

わたしの、本気の反万博論 その31 ふりかえって実に異様としか思えないが、反体制運動でも、「いいね機能」に対する総合的批判というのは、あとまわしになっている。生徒に依存症に近い状態の人がいるだろう、高校大学の先生のアカウントでも、「いいね機能」批判ははっきりあとまわしにしている。

たとえば「ひろしまタイムライン」のときにそれがはっきりした。イーロン・マスクの強引な管理体制変更の批判のときも、「いいね機能はずせるようにしたらホントは人間の健全な生活のためによいのでは」という批判は、多少はあるが、ほとんどあとまわしだっ…