『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

[映画『月』のかなり重大な批判評論を追記]まっとうな人生は、まっとうでない人生に、かならずまさる。そこに、殺人の必要性はない。

[映画『月』のかなり重大な批判をした評論を追記します]
【FUCK①】生活支援員が観た映画「月」評~前編~|東京ニトロ
【FUCK②③】生活支援員が観た映画「月」評~後編~|東京ニトロ



映画『月』が好評のようである。障がい者運動にかかわっているひとたちの、心願につらなるものであるのだろう。
しかし、原作者の辺見庸氏が、一方で奇妙な失敗をしていることが、わたしの思考に重くのしかかる。

「辺見庸先生への手紙」 - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

この件について、辺見氏からも、どちらの愛読者からも、なんのコメントも無い。いったい、歴史学にたつ鹿野政直氏と文学にたつ辺見庸氏とどっちがまっとうだというのか! 本当に驚くべき失敗だ。

わたしは、断言する。まっとうな人生は、まっとうでない人生に、かならずまさる。そこに、殺人の必要性はない。
ここを失敗する障がい者運動は、わたしにいわせれば、協力したいとはとても思えない。

辺見氏にくらべて「軟弱」かもしれないが、わたしは保坂和志という人の、以下の文章を思い出す。

彼が彼として生きる(『小説の自由』10) - 保坂和志official web site

一度決定的に歪められた人格、感情、思考を克服したり修復したりするあり方について、どういう風に表現するのが適当なのか、私にはわからないからここまでしか書けないが、社会的にみてどうこうなのではなくて、ペリー・スミス個人として、人格を持って生きる機会を与えられた存在として、本当の自分を生きる時間を与えられるべきだということだ。

「えーっ、保坂さん!
保坂さんは前々回に『私の中には他者の言葉しかない』とかって、言ってたじゃないですかあ。
それがいきなり『本当の自分』ですかあ。
それって、矛盾してますよ。」

こういうことを言う人とは口をききたくない。というか、こういう議論に巻き込まれるときっと私は議論という枠の中では言い負かされてしまうだろう。私に言えることはただ、「おまえだってそれぐらいのことは本当はわかってんだよ。相手を言い負かしていい気になってて、おまえの人生に何があるんだよ。人生を見ろよ。人生を!」
ということぐらいだ。
宗教を信じられていた時代だったら簡単だった。しかし宗教への敬意は私自身が使っている言葉によって踏みにじられている。私たちが使っている言葉は全体として宗教への敬意が失なわれたモードに乗っているのだから、私が一言しゃべるたびに宗教から遠ざかるだろう。
論理的に体系立てて言うことはできないけれど、人間には崇高さを目指す本性がある。そこはもう直観を信じるしかない。

(略)

犯罪者はさしあたり自分に都合のいい他者の言葉だけを選ぶ。だから限定された他者の言葉しか彼の中にはない。つまり他者の言葉の群れが彼の中で構築されていないということで、「本当の自分」というのは他者の言葉が構築された状態を指すのかもしれない。——が、「他者の言葉」というたった一つの考えにとらわれて、こんなことをうだうだ書き並べるより、やっぱり「人間には崇高さを目指す本性がある」という直観で言い切った方が、ずっと広がりがある。

最後に。
辺見さん、あんた、本当に真剣な人だよ。それは100%みとめる。だから、「軟弱」な人間が大嫌いなんでしょ。それはわかる。でも、石頭はやめなよ。人生、ほんとうに損するよ。なんで、「軟弱」なわたしがこういわなければいけないんだよ。愛読者は、いってやれないのか。