『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

わたしは、だいたい2018年ごろからの「通俗道徳」「客分意識」という言葉の流行をあまり信用していない。いろいろ理由はあるが、最大の理由の一つは、日本の人権意識のなさをこの2つの言葉をつかって批判する論者が、同じレベルで「無敵の人(という「自暴自棄」のひどくゆがんだいいかえ)」のことを批評しようとしないから。

別の言い方をすれば、「人々の救済願望」を批評できないから。

ただし、安丸良夫氏と牧原憲夫氏、当人はのぞく。とくに、安丸良夫氏の「人々の救済願望」分析→「出口なお」論、あれはそんな簡単にこえられるものではないだろう。

わたしはだいたい、重みなしに言葉を使う論者を、政治的立場という条件をおいてもあまり信用していない。そういうことは、文体に出る。

〈特別報告〉「民衆史」と戦後歴史学 | CiNii Research

これは記憶で書くが、hokusyu氏がどこかで「西村ひろゆきは通俗道徳は否定するが、公共性の感覚が無いので危険」というようなことを書いていた。それは安丸氏の視点からみれば、半分以上ただしいが、ある種の西洋優位史観ではないだろうか。

それと、これはわたしが個人的にうんざりしているのだが、最近の「通俗道徳」という単語の流行には、安丸良夫氏ぬきでやっている。安丸良夫氏の人生が背負ったものぬきの「通俗道徳論」。「人々の救済願望」を分析する論が、そんなあやふやな、というか「自称中立」、いやこれはいいすぎか、「客観主義」みたいなことでいいとはおもえない。安丸良夫氏がなぜ「悲観主義」をかかげながら学問をやっていたのか。そこを認めずにものを書くのは、つまらない。