『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

梶村秀樹著作集の復刊作業にかかわって その3 バブル崩壊以降を労働者として生きる人々へ 「戦後」をまっとうに生きようとした人々を見捨てた点で、「団塊の世代」と何もちがわない。何でごまかすのか!

題名の通りである。
「いわゆる団塊の世代」は金を使って、まっとうな人生から逃げた、と言っていい。
「いわゆるロスジェネ世代」は結局のところ、新自由主義と冷笑、それもつるむための道具としてのそれ、それを使ってまっとうな人生から逃げた、といわれてもしかたがない。
「いわゆる団塊の世代」の一番悪いところと、何もちがわない。何を反抗したつもりになっているのか。笑わせるな。
そういう時代において、クールジャパンとそれからインターネットのはなやかさとそうぞうしさは、その腐った性根を覆い隠すイチジクのはっぱとして機能している。それが不本意だったかどうかはともかく。
梶村秀樹先生への評価の不在があらわしていることの1つは、まちがいなくこれだ。

「いわゆるロスジェネ世代」にもいろいろな人々がいることはわたしも知っているつもりである。そして、新自由主義と冷笑に逃げた人の苦悩がニセモノだったとまでは私は断言しない。ただし、うすっぺらであり、本物の苦悩だったとはとてもみとめられない。これはまっとうさからの最低限の要求というものだ。

もうひとつ、冷笑に逃げた人たちへ。いまの冷笑文化は、ツルムための道具でもある。「ナニカグループ」問題あたりで、それがはっきりした。冷笑でつながった人間関係は、全部ニセモノである。いざというときは簡単に切られるぞ。