『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「辺見庸先生への手紙」

(都合上、[書評]タグをつける)
辺見庸氏へメールで送る予定として、以下の原稿を書いたが、メールアドレスも連絡先もわからなかった。また、角川書店あてのメールアドレスもどれが一番信用できるかよくわからなかったうえに、結局のところきちんと辺見氏に届くかどうか不安だったため、結局断念した。良い方法があるならば、コメント欄にて連絡お願いします)
(はっきりいって、こういう小さくない発言責任をおうものを公開するのは、筆者にも自信があるとはいえ一方ではまた不安があることも認めざるをえない)
(前半と後半、どちらに個人的な重点をおきたくなったかといえば、後者である。これは、”加害者の主体性再確立”にかかわっているからである。いろいろの他者とむきあうなからで、自分が認めた”よいもの”の、すべてとはいわないまでも、ほとんどをこの文章内にいれこんだと確信している。これもまた通過点と思うと気が重い)

まえおきはこちらの記事から。

はしりがき:辺見庸氏の発言に悪い意味で驚いた――「沖縄と国家」(2017年辺見庸目取真俊角川新書
http://d.hatena.ne.jp/s3731127306/20170811/1502452681



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作家・辺見庸先生へ

 私は坂本真一と申します。20代後半、日本人マジョリティ男性、一労働者です。

 はじめに、「先生」づけして書きました。これについては、本来権威嫌いと聞いている相手にたいしてこう書いていいのか迷いました。しかし、お互いに初対面であるため、次善の方法として、以下「辺見先生」とさせていただきます。もし「先生」づけなどしなくていいならば、ご指摘おねがいします。

 また、私の「よって立つ立場の弱さ」として、以下に書かせていただきます。
・私はマジョリティ男性であり、女性一般にたいしてまったく自慢できるような「よりよい性のための思考」をもっていないこと。もっとはっきりいえば、「レイプ・ファンタジー(相手女性はいついかなる場合でも男性のセックスを受け入れるという神話)」にいつ陥るかわからない不安を抱き続けていること。生きている女性も死んでいる女性も生きている男性も近づきすぎないようにとにかく気をつけていること。確信が持てないことに対してはせめて発言しないようにすることで自我をもちこたえているということ。
・辺見先生の著書は、「もの食うひとびと」一冊のみしか読了していないこと。
文学の力というものがよくわからないこと。
・最後に。辺見先生にくらべて、私は現代日本に対する絶望がはるかに及ばないこと。

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 長くなりましたが、本題に入らせていただきます。
 辺見先生、あなたは大きな問題発言をしました。そのことを指摘します。

 辺見先生、先生は「沖縄と国家」(2017年角川新書目取真俊氏との対談)のP121~122において、

「最低限でも、自分たちの父祖たちが世話になったことに、謙虚さと敬意を持つべきです」(大意)

と発言しておられます。おふたりが「慰安婦」問題でどのような発言をしているのか確認するために、立ち読みしてみたところ、この発言を見つけて非常に驚きました。
 日本兵(※1)と「慰安婦」(※2)の間においては、圧倒的かつ「慰安婦個人の力ではくつがえせない力の差があったことは、1991年の金学順氏の公開証言から26年の間に明らかになった個々の被害当事者の事例から、ゆるがしがたいことがひじょうに明白になっております。そもそも、一方が武器をもちもう一方が武器をもたないこと、兵士とは命令でうごくものである、という二点をふまえて少していねいに想像すれば、いかなる要求(※3)であれ「慰安婦」側に”実質的”拒否権がなかったと想定しないほうが不自然と私は考えます。
 また、一方的でまちがった「敬意」は結局「自己正当化」にしかなりません。これは「靖国神社」のありかたにつながる問題です。殺人ならばともかく、性暴力の臨床の現場ではこの「まちがった「敬意(※4)」」が非常に多く観察されることが何度も報告されています。辺見先生、あなたはそのような自己正当化をするような人間でありたくない、できることならばすぐにでも間違いをみとめたいと思わないでしょうか。
 さらに、辺見先生、上の発言でいう「世話」というのは何を念頭においておられたのでしょうか?
 「性的」なそれでしょうか? もしそうならば、先生は「性の相手を強制的にさせられる」ということが被害当事者にとってどういう意味をもつのか、明確な認識をもっておられないのでしょうか? これについて、1994年に姜徳景氏以下27名の朝鮮人被害当事者が東京地検に提出した告訴状(※5)に以下のように書いております。

 人間としての最小限の自尊心、人間に対する信頼を喪失した告訴人たちは、絶望の淵からようやく生きながらえてきました。



 私の調べた限りにおいて、この部分は平時・戦時の性暴力どちらにも成立します。それにしても、一人の被害当事者が物事の核心をずばりと指摘したことは真に評価すべきことであり、加害国の、特に男性は一人でも多く、この部分を一切の保留なく認めるかどうか真剣に考えるべきです。
 「性的」でないそれでしょうか? 仮想的にその場面だけきりとってみれば、それほど害がないように思われますが、しかし長い時間でみればこれもまた危険性があると私は観察しています。その理由は、そのような行為がかさなれば、いわゆる「同化」を進めてしまう、すくなくともその反対軸が弱まるだけであるということです。細かいことは省略しますが、「同化」というもので両者の信用はつくられません。これが沖縄の「集団自決」の最大の意味(の1つ)であるはずです。他人を罵倒することが悪であることはいうまでもありませんが、他人が自身の基準にどこまで従うかで“信用”するかどうかを判断することもまた悪であります。だからこそ、「民族自決権」という言葉が今に至るまで、たとえ建前であろうとも取り下げられないのではないでしょうか。

 辺見先生、なぜ(※6)”断絶”に気がつけなかったのですか? これについて自身の真実を語ることができるのは辺見先生のみです。私ができるのは、結局は推定のみです。しかし、これだけは断言できます。辺見先生が、意を決して語ってくださった多くの被害当事者の証言を、本に穴が開くほど読みこんで、

「「慰安婦」の最大の被害とは何か?」
「「慰安婦」の現在とっている行動の要因は何と何と何か?」
「「慰安婦」の一貫している最大の要求は誰に向けての何か?」

という設問を真剣にかつまっすぐに考えれば、まちがってもあの場面で「謙虚さと敬意」という単語が出てくるはずがないことが、”理解できる”はずです。ここで、私は“理解できる”とあえて書きました。私は、はっきり書きますが、”理解”は決して不可能ではありません。「それほど難しくない」とすら言っていいと思います。2015年末の「日韓合意」に激怒し反対する多数の被害当事者の発言を(くどいようですが)真剣にかつまっすぐにむきあえば、たとえば被害当事者の最大の要求が、「日本政府の・加害事実および責任の・明確かつあいまいさのない・公的宣言”」であることは明確です。いわば、日本政府は「まっすぐ逆方向を進んでいる」のです。辺見先生が該当書でそのようなことを指摘しなかったことは私にとって大変不満でした。なおつけくわえておきますが、加害国所属男性が、「慰安婦個人個人の精神の、あえて言うならば“強度”の一億分の一以下しか”共有”できないことはまぎれもない事実ですが、”共有可能”という事実もまた否定できないし、してはいけないと私は考えます(※7)。私もまた、過去にそのような両者の意志の”共有”が可能なのか、この可能性について奇怪にすら思うところが何度もありましたが、多数の被害当事者があれほど意を決している以上、こちら側の私もまた、意を決しなければならない・被害当事者たちの主張が正当であることはどうみてもゆるがしがたい・意を決しないのはどうみても間違っていると判断し、向こうみずと思いつついろいろとこころみたところ、結局のところ”可能性”を否定できないしまたしてはいけないことを自身のうちに確信しました。

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 辺見先生がこれからどう行動すべきか。これもまた結局は先生が決めるしかありません。しかし、このことに関して該当書と関係してどうしても私が指摘しておかないと納得できないことがあります。

 辺見先生が、別の場所で以下のような意味のことを発言しておられました。

「戦後の日本人は「左翼」もふくめて、結局、「なーんちゃって」という精神の人間しかいなかった。例外はなかった」

 私はこの発言を読んだとき、一瞬考え込みましたが、次の瞬間には「たとえレトリックだとしても、沖縄を念頭としたものだとしても、あんまりな発言だ。決して言ってはいけないことだ」と、怒りの感情が湧きました。歴史的事実をないものとしています。
 辺見先生、あなたは湯浅謙という元戦犯のことをご自身の著書でお書きになったことを伝え聞いています。湯浅氏は、まさに死ぬまで「認罪」の意思表示を貫きました。恥を忍んで、自身の仲間と共に出した季刊誌のなかで、自身が「慰安婦」に対してどういう存在であったかを明らかにした手記を公開しました。これはそれほど時間をへずして全世界にむけて公開されました。今でも公開されています(※8)。これのどこが、「「なーんちゃって」の精神」なのですか? 「「なーんちゃって」の精神」で死ぬまで国家の加害性否定論に反した意思表示ができるものなのですか? それとも、「極小数者は考えに入れずともよい」というのですか? それこそ、抵抗者たるものが絶対にしてはいけないことではないでしょうか。
 湯浅氏は、「認罪経験」を経た特殊な人間だからでしょうか? これもまた明確な反例があります。
 尾下大造という元兵士がいました(※9)。この人は、「軍人恩給は口止め料である、アジア各国の戦争被害者のことを考えれば筋が通らないから受け取らない」と1946年から2010年まで64年間、何度も妨害にあいながらも「軍人恩給を拒否」の意思表示を死ぬまで貫きました。この徹底した態度をたもった日本人の存在は、ゆるがしがたい歴史的事実なのです。辺見先生、尾下氏のことをどう説明するのですか?
 尾下氏は、「戦場体験」を経た特殊な人間だからでしょうか? たしかにそれは考えるに値すると思いますが、しかしこれもまた明確な反例があります。
 梶村秀樹という1935年生まれの歴史家がいました(※10)。ニム・ウェールズの書いた伝記「アリランの歌」に感動して朝鮮史をこころざし、1960年代日韓条約反対運動から研究キャリアをはじめ、1970年代に申采浩と咸錫憲に絶大な影響をうけながら「内在的発展論」と「排外主義克服のための朝鮮史」を提示、さらにその後の1980年代に「内在的発展論」のさらなる深化・「国境をまたぐ生活圏」(※11)の提示・「朝鮮からみた明治維新」によって竹内好を”決定的”にのりこえる可能性を提示、と人生をかけて深化をつづけました。そのため、1989年に亡くなったとき、法政大学キャンパスに設置された立て看板には、梶村氏に対して「革命的でさえあった」「(わたしたち朝鮮人は)日本人を信じることができた。」と最大限の評価がなされました。たしかに梶村氏は特異と言っていいほどまれな事例です。しかし、梶村氏が存在したことはまちがいなく事実なのです。
 くどいようですが、もう一度書きます。梶村秀樹氏のどこに「「なーんちゃって」の精神」があるのですか? 辺見先生、「こういう日本人がいれば他人に言い訳ができる」というようなものでは(もちろん)なく、「日本人全員がこの人を手本にすればいいのだが」という日本人をさがそうとしましたか?
 上に挙げた三人が、意思表示を文字通り死ぬまで貫徹させた、そのことの歴史的意味とはなんでしょうか? その一つは、その人生の存在自体によって、もはや私をふくめたマジョリティの、「後退しかない」との”立場”の根拠が、完全に破壊されたということです。もう一つは、「死ぬまで意思表示をすること」が後に続く人間(※12)を激励し、いわば「この人たちが、死後も”援軍”となること」を示したことです。最後の一つは、いろいろなみちすじはたしかにあれど、”抵抗”のために「このような人生・このような方法」からなにかしらをひきうけることがどうしてもさげがたいであろうという強い印象を後に続く人間に与えているということです。
 この三つをまとめると、こういう命題になります。「あの人のようになるべきだ! あの人たちをこえるべきだ!」

 他人の言いなりになることは恥ずべきことです。しかし、他人(※13)に向き合わないでいること、そしてそのことが原因で起こる大きなまちがいを認めずにいることもまた、同じぐらい恥ずべきことだと私は考えます。辺見先生もそれを認めると思います。

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 辺見先生、最後になりますが、私は主張します。

 上の発言を撤回し、該当書籍に訂正文を入れ、なぜこのような間違いを見逃してしまったのか、すくなくとも三年間の時間を徹底的に考えるべきです。

 私は、辺見先生はそうすべきだと、はっきり考えています。上に示した以上のことができるならば、なおそうすべきだと思います。辺見先生は、他者理解のため、「命がけの跳躍」をすべきです。元「慰安婦」たちは間違いなくそれをもとめています。長い目で見れば、早かれ遅かれそうするしかありません。また、「命がけの跳躍」は主体性を失うことではなく、いってみれば主体性を“鍛える”行動です(※14)。

 なにかの説明書のような単語の繰り返しの多い文章になってしまったことは認めます。私自身がなぜこのような立場にいたることができたのか、振り返りそして基礎づける作業はまだ残されていることも認めます。私自身が「待たせ賃」訴訟の原案(※15)を考え出したことによって短期的に安心してしまっていることも認めます。
 辺見先生、後輩たちの手本となるような、より悪くない男性のあり方をつくりだせるような、そういう返事をお待ちしております。



追伸:このメールの内容は本日中に私自身のブログに公開します。

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(※1)たとえ最下級であっても。
(※2)まれな場合をのぞいて。
(※3)性的な要求であれ命にかかわる要求であれ。
(※4)この場合、「感謝」というほうが適切と考えられますが。
(※5)「資料集 日本軍慰安婦」問題と「国民基金」」(2013年、鈴木裕子編・解説、梨の木舎)P094~099
(※6)“潜在的”性暴力加害予備者と性暴力被害当事者の間の。
(※7)この事実を保証しているのは、おそらくは、「私が性暴力にあうかもしれない」という可能性である、と現在考えています。
(※8)「湯浅謙「私が知る『従軍慰安j婦女』」 
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/yuasa_ianhu.htm
(※9)「小さき者たちの戦争」(2010年、福岡賢正、南方新社)に最晩年のインタビュー記録がある。
(※10)全体像を知るならば、「梶村秀樹著作集全6巻」(明石書店)を読まなくてはいけない。この著作集は大きな図書館に所蔵されている割合が高い。
(※11)「在住外国人としての在日朝鮮人」(「思想」1985年7月号)が初出。
(※12)これは30年単位の期間をへて、究極的には世界レベルにまで拡大されると考えることができる。
(※13)この言葉は様々な内実をもちますが。
(※14)これについては、上に挙げた梶村秀樹氏と関係して、「〈戦後〉の誕生―戦後日本と「朝鮮」の境界」(2017年、権赫泰・車承棋・中野敏男ほか、新泉社)
(※15)下記事を参照。われながらこの案は奇妙にもおもわれる。
「ブロク作成者「s3731127306」は、日本政府に対し、各種”待たせ賃”「110万2000円」と明確であいまいさのない”待たせた”ことへの「謝罪(を明記した文書)」を要求する。」http://d.hatena.ne.jp/s3731127306/99991231/1493028420

 

 

※本記事は「s3731127306の資料室」2017年09月22日作成記事を転載したものです。