『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

書く予定の原稿

梶村秀樹先生の著作とドストエフスキー米川正夫訳)の著作、電子化どちらをどうさきにすすめるべきか、公開投票。

大阪万博の正当性を徹底的に否定するための公開投票。
万博自体の正当性が無い理由。100文字以内で。100文字以内というのが重要。
2025年大阪万博が信用できない理由5位まで。100文字以内で。
1、夢洲の地盤。2、残業規制撤廃を言い出したこと。ここまで人命にかかわる。
2、回転ずしやればとプロパンガス使えば→これはつまり、最初からまっとうなやるきがない、ということを暴露してしまったということだ。事業というものの生命線を最初から切ってしまっている。
3、たぶん3位は、予算のせいでやめた事業がない。事業というものの生命線が崩壊している。
4、1970年大阪万博と対決する気が無い。表面的なところだけ現在に持ってきている。批判者のほとんどもここで止まっている。

再読メモ
アーカイブス、衛生兵やく8人、ひめゆり→看護兵5人、軍医?人、



はっきりいわねばならない。朝鮮精神、じゃなかった、挑戦精神のないやつはなにやらせてもだめ。そして、インターネット技術のいわば内側に挑戦精神をもりたてるものは、なにもない。集合知がどうのこうのいう前にそこをはっきりさせるべき。


これはイベント史のインパール戦というだけでは足りない。規模とリアルな歴史の重要性からいって重要性からいってレイテ戦である。
2025年大阪万博として一番意味のある事業5位まで、そして2025年大阪万博として一番意味のない事業5位まで、理由を100文字以内で。
団塊世代批判だけではまったくたりない、バブル以後の精神批判。

記事の保存。しかし、私個人の保存だけでは意味がない。

ロスジェネ時代の精神批判。信用と公益性と自助と自主独立のあるべきすがた。オタク批判だけではまったくたりない。消費文化批判とマルクスのいう疎外批判が必要。

文春、朝日新聞の幹部、ニタニタ、コメント欄の内容は衝撃的。コメント欄にああいうコメントをしている人間は、人間に対する信用というものをまるでわかっていない。

生身の人間全体をみるということ、見るという作業そのもの。

2ちゃんねる、5時間、時給2000円、参加費1時間2000円。どっちがよかったか。

ツイッター(またはSNS)の欠点とはなにか、インターネット文化ではどう考えられているか? 見る目があるかどうか。


後藤和智氏と嶋理人氏とのかみあわない対決。後藤氏はやっぱり甘い。フランスと比べれば、やはり抵抗運動の広がりが薄いのはわかっているはず。それと、若者自身の大半が、未熟でも自分を守ろうとしていないことを指摘していない。後藤氏ですら、自分をまもっている若者から先に助けろと言っているわけである。本当に、悲しい事である。若かろうが若くなかろうが、人生と自分の行動の意味づけを投げ出している(ように見える)人を助けるのがあとまわしになるのは当然である。嶋氏も、「私はまがりなりにも教師です、ダメな教え子であっても見捨るなんてことは絶対ない!」と言い切ればいいのに。