『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「死の家の記録」P289―292(1回目の校正完了)

になったかを事実に意識して、いかにも寂しい感じをいだかされたものである。新しいものに慣れなければならない、新しい世代を知らなければならない。わけてもわたしが飛びついて読んだのは、標題の下に親しい旧知の署名を見いたした論文である……しかし、そこにはもはや新しい名もいろいろ見いだされた。新人が登場したのである。わたしは貪るような気持ちで彼らを知ろうとあせり、手近にある書物があまりにも少なく、またそれを手に入れるのがきわめて困難なのを情けなく思った。もとは、以前の要塞参謀時代には、獄内へ本を持ち込むことさえ危険だったのである。捜索でもあった場合、『こんな本をどこから持って来たのだ。どこで手に入れたのだ? してみると、獄外のものと交渉があるな?………』などといったような質問がかならず始まるのだ。このような質問に対して、なんと答えることができよう?………こういうわけで、わたしは書物なしに暮らしているうちに、いつともなく自己の内部に沈潜して、自分で自分に問いを発し、それを解決しようと努め、ときにはそのためにみずから苦しんだものである……しかし、こんなことはいちいち語り尽くせるものではない!…
 わたしは冬入獄したので、したがって、自由な世界へ出て行くのもやはり冬、入って来たのと同じ月、同じ日でなければならない。わたしはどんなに一日千秋の思いで冬を待ちこがれたことか。夏の終わりごろに木の葉が黄ばみ、曠野の草が色|褪《あ》せていくのを、どんな楽しい気持ちで眺めたことか。しかし、やがて夏も過ぎ、秋風がうなり始めた。そのうちに早くも初雪がちらちらし始めた……ついに待ちに待ったその冬がやって来たのだ! わたしの心臓は偉大なる自由の予感に、ときどき奥深くしかも力強く鼓動し始めた。が、不思議にも時がたつにつれて、満期の日が近づけば近づくほど、わたしは次第次第に辛抱強くなっていった。いよいよ最後の日が迫ったころには、わたしはわれながら一驚を喫して、自分で自分を責めたほどである。わたしは自分がまったく冷淡に、無関心になったような気がしたのである。休息時間に庭で行き会う多くの囚人たちは、わたしに声をかけて、祝いを述べるのであった。
「アレクサンドル・ペトローヴィチ、やんがて自由な身になりなさるんだね、もうじきだ、もうじきだ。かわいそうなおれたちを置いてきぼりにしなさるんだ」
「ところで、マルトゥイノフ、きみだってもうすぐじゃないかね」とわたしは答えた。
「わっしかね? なあに、とんでもねえこった! まだ七年ばかりつれえ目をしなけりゃならねえんだよ……」
 こういって、そっと溜め息をつき、言葉をとめて、さながら未来でものぞいてみるように、放心した目つきをするのであった。……じっさい、多くのものは心の底から喜んでわたしを祝ってくれた。だれもかれもが愛想よくなったように思われた。わたしはあきらかに彼らにとってもう懲役仲間ではなくなったのだ。彼らは早くもわたしに別れを告げ始めた、貴族出のポーランド人で、K―チンスキイという、おとなしいつつましやかな若者は、わたしと同様、休息時間に庭をやたらに歩きまわるのが好きであった。きれいな空気と運動で健康を保ち、息苦しい夜の監房がもたらす害毒の埋め合わせをしようというのである。
「ぼくはあなたの出獄を首を長くして待っているんですよ」ある時、散歩時間にわたしと出あうと、彼はにこにこしながら話しかけた。「あなたが出て行かれると、その時はぼくも自分の出獄まであとちょうど一年だってことが、わかりますからね」
 ここでついでにいっておくが、すっかり空想に浸りきっていたのと、長いこと自由から離れてしまっていたために、わたしたち監獄にいる人間にとっては、自由なるものが真の自由よりも、つまりほんとうに現実に存在している自由よりも、何かいっそう自由なもののように思われていた。囚人たちは、現実の自由というものの概念を誇張していたが、それはすべての囚人にとっていかにもありそうな、自然なことであった。ぼろ服を着たつまらない従卒も、ただ頭を剃り落とされず、足枷をつけず警護兵なしで歩いているというだけの理由で、わたしたち囚人仲間ではほとんど王様のように思われ、囚人たちにくらべると、自由人の理想と見なされんばかりの有様だった。
 いよいよ最後の日を前に控えた晩、わたしはこれを名ごりに、例の柵に沿って監獄をぐるりとひとまわりした。この数年間に、わたしは幾千度この柵のそばをまわって歩いたことか! 監獄生活の最初の一年間、わたしはひとりしょんぼりと、打ちひしがれた気持ちでこの監房の裏手をさすらい歩いたものである。今でも覚えているが、当時わたしは、このさきまだ幾千日の日が残っているかを数え続けた。ああ、それはなんと昔の話になったことだろう! そうだ、この片隅はわたしたちの鷲が囚われの生活をしたところだ。またここは、わたしがよくペトロフと出会った場所だ。彼は今でもわたしのそばを離れずつきまとっている。ちょこちょこと走り寄って来て、わたしの考えていることを察しようとでもするかのように、黙って並んで歩きながら、さも心の中で何かに驚いてでもいるかのさまである。わたしは内心ひそかに、わが監房の黝《くろ》ずんだ丸太組みの建物に別れを告げた。当時はじめのころこの建物は、なんという無愛想な印象でわたしを驚かしたものだろう。あのころとくらべると、きっとまた一段と古びたに相違ないが、わたしにはそれが目立たないのである。この壁の中でどんなに多くの青春が葬られたことか、どれだけ偉大な力がここで空しく滅び去ったことか! こうなったら、何もかもいってしまわなければならない。じつにこの人たちはなみはずれた人間ばかりだった。彼らはおそらくわが国の民衆ぜんたいの中で最も才能ゆたかな、最も力強い人々なのではあるまいか。しかし、その逞しい力がいたずらに滅びたのだ。変則に、不当に、二度とふたたび返ることなく滅びたのだ。が、それはだれの罪だろう!
 じっさいだれの罪だろう?
 翌日の朝早く、まだみなが労役に出る前に、まだようやく東が白み始めたばかりのころ、わたしは囚人たち一同と告別するために、各監房をぜんぶひとまわりした。まめだらけの逞しい手がいくつともなく、さも懐かしげにわたしのほうへさし伸べられた。なかには、すっかり友達同士のように、しっかり握りしめてくれたものもあったが、しかしそんなのは少数であった。またあるものは、今にわたしが彼らとはまったく別な人間になるのだということを、もうちゃんとよくわきまえていた。わたしが町に知己を持っていて、ここからすぐに旦那がた[#「旦那がた」に傍点]のところへ出かけて行き、その旦那がたと対等の人間として席を並べる、ということを承知していたのである。彼らはこのことを心得ていたので、懐かしげに愛想よくわたしに別れを告げはしたものの、その態度は仲間同士というにははるかに遠く、旦那に対するようなものであった。なかにはわたしにそっぽを向けてしまって、荒々しい様子で、わたしの挨拶に答えようともしない者さえあった。またある者は、一種憎悪の色さえ浮かべてわたしをにらんだ。
 太鼓が鳴って、一同は労役へ出かけて行き、わたしは監獄に残った。スシーロフはこの朝、だれよりも真っ先に起きて、ちゃんと間に合うようにわたしのお茶をこさえようと、大わらわでやきもきしていた。かわいそうなスシーロフ! わたしが自分の着古した獄衣や、ルバシカや、足枷下や、いくらかの金を与えた時、彼はしくしく泣き出した。『わっしゃこんなもんじゃねえ、こんなもんじゃねえ!』やっとの思いでふるえる唇を抑えながら、彼はこういうのであった。『あんたという人をなくするわっしの心持ちがどんなものか、アレクサンドル・ペトローヴィチ、察しておくんなせえ! あんたがいなくなったら、あっしやここでだれを頼りにしたらいいんだ!』最後に、わたしはアキーム・アキームイチにも別れを告げた。
「あんたももうじきですよ?」とわたしは彼にいった。「わたしはまだ長いですよ、まだまだ長いことここにいなくちゃなりませんよ」と彼はわたしの手を握り締めながらつぶやいた。わたしは飛びついて彼の首筋に両手をまわした。こうして二人は接吻したのである。
 囚人たちが出て行ってから、十分ばかりたった時、わたしたちも監獄の外へ出た、もはや二度とふたたびここへ帰って来まいと心に誓いながら。――それはわたしと、来る時もいっしょだったわたしの仲間と、この二人だった。まず足枷をはずすために、鍛冶工場のほうへ行かなければならなかった。しかし、もう鉄砲を肩にした警護兵つきではなかった。わたしたちは下士といっしょに出かけたのである。同じ監房の囚人たちが、工兵の作業場でわたしたちの足枷をはずしてくれた。わたしは仲間の者がはずしてもらう間じっと待っていたが、やがて自分も鉄砧《かなとこ》のそばへ歩み寄った。鍛冶工たちはわたしに背中を向けさして、うしろからわたしの片足を持ち上げ、鉄砧の上に載せた……彼らはあわただしげな様子をしていた。すこしでも手ぎわよく上手にやろうと思ったのである。
「鋲《びょう》を、鋲をまずはじめに曲げるんだ!………」と年上のほうが指図した。「そいつをちゃんと載せて、そう、それでよしと……さあ、今度は金槌で……」
 足枷は落ちた。わたしはそれを拾い上げた……わたしは名ごりにそれを手に持って、もう一度眺めたかったのである。こんなものがつい今しがたまで自分の足についていたのに、いまさら驚きあきれる思いであった。
「じゃ、ご機嫌よう! ご機嫌よう!」と囚人たちはぶっきらぼうな、荒っぽい、しかしなにやら満足そうな声でいった。
 そうだ、ご機嫌よう! 自由、新しい生活、死からの復活……なんというすばらしい刹那であるか!

底本:「ドストエーフスキー全集 4」河出書房新社
   1970(昭和45)年2月15日初版第1刷発行
入力:いとうおちゃ
校正:
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