『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

『貧しき人々』(ドストエフスキー作、米川正夫訳)P005-P056(1回目の校正完了)

貧しき人々
フョードル・ミハイロヴィッチドストエフスキー
米川正夫

                                                                                                            • -

【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鳳仙花《ほうせんか》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)金碧|燦爛《さんらん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)[#ここから4字下げ、折り返して3字下げ]

                                                                                                            • -

[#ここから4字下げ、折り返して3字下げ]
 やれやれ、ああした物語の作者たちときたら、なにかためになる、気持ちのいい、心を楽しませるようなことを書こうとはせず、地下に秘められている秘密までいっさいがっさいほじくり出すのだ!………もういっそあの連中にものを書くことをさしとめてやるといい! まあ、いったいなんということだ。読んでいると……ついわれともなしに考えこんで、やがていろいろさまざまな、愚にもつかぬことが頭に浮かんでくる。まったくあの連中には書くことを禁止するがいい。ただもう頭から断然禁止してしまうのだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#7字下げ]*ヴェー・エフ・オドーエフスキイ公爵
[#ここから12字下げ、折り返して14字下げ]
[#ここから18字詰め]
*文学者、十九世紀三十年代における代表的インテリゲンチャ、ただし十二月党であった詩人のオドーエフスキイ(A・I)は別人。
[#ここで字詰め終わり]
[#ここで字下げ終わり]
[#改段]

 四月八日
 なにものにも代えがたきわがヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ!
 きのうわたしは幸福でした、すばらしく幸福でした、言葉につくされぬほど幸福でした! あれほど強情者だったあなたが、たとえ一生に一度だけにしろ、わたしのいうことを聞いてくれたんですもの。今晩、八時ごろに目をさまして(あなたもご承知のとおり、わたしは勤めから帰って来ると、一、二時間とろとろと眠るのが好きなので)、ろうそくを取り出し、紙をのべ、ベンをけずって、ふと何ごころなく、目を上げると、――まったくのところ、わたしは思わず胸がどきんとしました! あなたはやっぱりわたしの望みを、わたしのあわれな心の望みをさとってくれましたね! 見れば、あなたの窓かけの片隅がはしょられて、鳳仙花《ほうせんか》の鉢でとめられているではありませんか、あのときわたしがあなたに、におわしたのと、そっくりそのままです。そのときわたしはすぐに、あなたの顔が窓ぎわにちらりと動いたような気がしました。あなたがご自分の部屋からわたしのほうを眺めて、わたしのことを考えていてくださるような気がしたのです。ただあなたの愛らしい顔をよく見わけられなかったことが、どんなに残念だったかしれません! わたしなどでも、物の文色《あいろ》がまざまざと見えた時代もあるのですが、年をとるということは、なさけないものですね! 今ではこのとおり、いつもなんだか目先がちらちらするようなあんばいで、晩に、ほんのちょっとばかり仕事をしようと思ってなにか書きものをすると、あくる朝はさっそく、目が充血して涙がにじむというありさま、人前へ出るのもきまりが悪いくらいです。とはいいながら、わたしの心の中ではあなたの微笑が、あなたの優しい愛想のいい微笑が、さっと明るく輝きわたりました。すると、わたしの胸はちょうどあのときと同じような、――そら、ヴァーリンカ、おぼえているでしょう?――わたしがあなたを接吻したときと同じような気持ちでいっぱいになりました。いや、それどころか、あなたがそちらからかわいい指でわたしをおどかすような真似をしたのではないか、という気さえしたほどです。そうじゃありませんでしたか、いたずらっ子さん? どうかぜひともそのことを手紙にくわしく書いてよこしてください。
 とにかく、あなたの窓かけをはしょるという思いつきはいかがですか、ヴァーリンカ? じつに、素敵じゃありませんか? 仕事をしていても、床についても、目をさましても、あなたがそちらで、わたしのことを考え、わたしのことを思いおこして、しかも、あなたご自身も丈夫で楽しい気持ちでいらっしゃることが、それこそちゃんと、わかるんですからね。あなたが窓かけをおろすとそれはつまり、さようなら、マカール・アレクセエヴィチ、もう寝なくちゃなりませんわ! とおっしゃるわけだし、またそれをお上げになると、それはとりもなおさず、おはようございます、マカール・アレクセエヴィチ、よくおやすみになれまして、とか、でなければ、マカール・アレクセエヴィチ、おからだの具合はいかがでございます? わたしのほうはおかげさまで達者で、なんの変わりもございません! といったようなわけです。どうです、じつにうまい考えじゃありませんか、手紙もいらないほどです! まったく名案じゃありませんか? ところが、これはわたしの思いつきなんですからね! どうです、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ、わたしだってこういうことにかけたら相当なものでしょう?
 さて、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ、あえておしらせいたしますが、わたしは昨夜、思いのほかぐっすりとよく眠れたので、大いに満足している次第です。じっさい、新しい住まいに移ったときには馴れないために、いつも妙に寝つきのわるいものです、なにもかもちゃんとしているようで、しかもやっぱり、具合が違うのです! きょう、わたしは意気揚々として床から出ました、――なにもかもが好もしく楽しいのです! いったいどうしてけさはこんなにすばらしいのでしょう! 窓をあけると、お陽さまがうらうらと照って小鳥がさえずり、大気は春のかおりに息づいて、自然全体がよみがえったよう、――いや、そのほか、なにもかもそれにふさわしく、すべてが、さも春らしく調子を揃えています。わたしはきょうかなりいい気持ちで、ちょっと空想さえしてみたほどです、その空想というのが、みんなあなたのことなんですからね、ヴァーリンカ。わたしはあなたを空の鳥に比べてみました、人間を慰め、自然を飾るためにつくられた小鳥にね。そのときすぐに考えたことなんですが、ヴァーリンカ、浮世のわずらいのなかにあくせくと暮らしているわれわれ人間は、空飛ぶ鳥ののんきな罪のない幸福をうらやまなければならない、――そのほか、まあ、みんなこれと同じような似たり寄ったりのことを考えたので、つまり、こういったふうに、世間ばなれのした比較ばかり試みた次第です。わたしは一冊の本を持っていますが、ヴァーリンカ、その中にも同じようなことが書いてある、そういったふうのことばかりじつにくわしく書いてあるのです。わたしがこんなことを書くのは、人はさまざまな空想を描くものだという意味なのです。おまけに、今は春なので、考えることも非常に愉快な、ぴりっとした味のある凝ったことばかりで、心に浮かぶ空想も優しみをおび、なにもかもがばらいろに彩られています。つまり、それがいいたさに、こんなことをくだくだしく書いたのですが、しかしそのじつ、これはみんなその本から取ってきたのです。その中で作者はやはり同じような望みを詩で表わして、こんなふうに書いています。
[#2字下げ]『なにゆえわれは鳥ならぬ、猛き鳥ならぬ!』
 と、まあいった具合です。その中にはまだいろいろな思想が述べてあるけれど、しかしそんなことはどうでもいい! それよりも、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ、けさ、あなたはいったいどこへ行ったのです? わたしがまだ勤めに出る支度もしないうちに、あなたはもうそれこそ春の小鳥のように、さも浮き浮きした様子で部屋を出て、内庭を通りぬけたじゃありませんか。その姿を眺めているわたしはどんなに楽しかったか! ああ、ヴァーリンカ、ヴァーリンカ! あなた、くよくよしてはいけません。泣いたからとて、悲しみをいやすことができるものじゃありません。それはわたしがちゃんと知っています、経験で承知しています。今ではあなたもすっかり落ちついて、健康もいくらか回復なすった。ときに、あなたのフェドーラはどうしています? ああ、あれはなんという気立ての優しい女なんでしょう! ヴァーリンカ、あなたは今あの女と二人でどんなふうに暮らしていらっしゃるか、すべてのことに満足していられるかどうか、手紙で知らせてください。フェドーラは少々口やかましいけれど、そんなことは気にしないようになさい、ヴァーリンカ。かまわずにおくことです! あれはじつにいい女なんですから。
 わたしはこの家の女中のテレーザのことをもうお知らせしましたね、――これもやはり気の優しい忠実な女です。わたしは二人の手紙のことをどんなに心配したかしれません! どんなふうにやりとりしたものかと、思案に暮れているところへ、仕合わせにも神さまがひょっくりテレーザを授けてくだすったのです。あれは優しい、つつましやかな、口もろくにきけないような女です。しかし、かみさんはいやはや、なさけ容赦もない女で、まるでぼうぎれみたいにテレーザをこき使うのですからね。
 それにしても、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ、わたしはなんという裏長屋に落ちこんできたものでしょう! それにだいいち、部屋といったら! なにしろ、わたしは以前まるで蝦夷山鳥《えぞやまどり》よろしくの暮らしをしていたものです。あなたもご承知のとおり、わたしの住まいはつつましくひっそりとしていて、蠅が飛んでいると、そのはね音さえ聞こえたくらいです。ところが、ここは騒々しくて、てんでに大声にどなりたてるし、ごったがえしの騒ぎです! いや、あなたはここの造りがどんなになっているか、まだ夢にもごぞんじないのです。まあ、まっくらで不潔な、長い廊下を想像してみてください。右手は窓一つない壁で、左手は戸口、戸口、戸口と、まるで宿屋のように一列に続いている。さて、そうした住まいが別々の貸家になっているのですが、その中はどれもみなひと部屋しかないのに、そのひと部屋に二人ずつも、三人ずつも住んでいるのです。秩序もなにもあったものじゃない、――さながらノアの方舟《はこぶね》です! もっとも、みんないい人らしい様子で、なかなか教育もあり、学識も備えているふうです。中に一人の官吏がいますが(どこかしら文学方面に)関係しているのです)、博覧強記で、ホメロスとか、ブランベウスとか、その他さまざまな作者の話をして、あらゆることを論じるという、聡明な人物です! 将校が二人住んでいますが、これはしじゅうカルタばかりやっています。それから海軍少尉もいればイギリス人の教師もいます。――まあ、待っておいでなさい。ひとつあなたの気晴らしに、この次の手紙にはこの連中のことを諷刺的に書いてお目にかけましょう。つまり、すっかりありのままに、細大洩らさず、くわしく書きあげるのです。下宿のおかみはたいそう小柄な、身だしなみの悪い老婆で、一日だぶだぶした部屋着にスリッパという姿でうろつきまわり、朝から晩までテレーザにがみがみいっています。わたしが住んでいるのは台所で、いや、それよりもこういったほうがずっと正確でしょう、この家の台所のそばに、小さな部屋が一つあります(ことわっておかねばなりませんが、ここの台所は清潔で、明るくって、とても気持ちがいいのです)、それは小さな部屋で、まことにつつましやかな片隅です……つまり、それよりもこういったほうがよさそうです、台所は窓の三つもある大きな部屋だものですから、その横手の壁に沿って仕切りをしたのがわたしの住んでいるところで、要するに、きまった数以外に余分な部屋が一つできたわけです。なかなかゆったりしていて、落ちつきもよく、窓も一つあって、てっとり早くいえばなにもかも便利にできている。まあ、これがわたしの巣なのです。こういうわけですから、どうかあなたもそこに何か変わったことがあるのではないか、なにか秘密な意味があるのではないか、などと考えないでください。だって、なにぶん台所じゃないか! 台所の隅に仕切りをして住んでいるのじゃないか、とこうおっしゃるかもしれませんが、そんなことはなんでもありません。わたしは世間から離れてつつましく暮らしているのです、ひっそりと暮らしているのです。わたしはこの部屋に、寝台とテーブルと箪笥を一つずつ、それにいすを二脚すえて、聖像も壁にかけました。なるほど、こんなのよりもっといい部屋はあるにはあります、――ずっといい部屋があるかもしれませんが、しかし、何よりもかんじんなのは便利ということです。じっさい、わたしがこういうふうにしているのは、便利ということのためですから、あなたもなにかほかにわけがあるように思わないでください。あなたの部屋の窓は内庭を隔ててまともに見えています。庭といっても狭いものだから、立ち居のたびにあなたの姿が目に入るわけで、わたしのような味気ない暮らしをしているものには、なんといっても楽しみになるし、それに安くつきますからね。この家ではいちばん悪い部屋でも賄《まかな》いつき三十五ルーブリするのです。とても、わたしなどのお歯にあいません! ところで、わたしの部屋は七ルーブリで、それに、賄いが五ルーブリ、合計二十四ルーブリ半です([#割り注]この数字が普通の計算から見て違っているかのごとく見えるのは、当時のロシヤで紙幣と硬貨のあいだの値開きが非常に大きかったがためで、ここではその二つが混用されているのである[#割り注終わり])。以前はかっきり三十ルーブリ払っていたものですから、そのためにいろいろ不自由な目をしていました。お茶などもしょっちゅう飲むわけにいかなかったけれど、今度はそういうわけでお茶と砂糖の代が出てきたわけです。まったくのところ、お茶を飲まずにいるのは妙にきまりの悪いものです。ここに住んでいる人たちはみんな相当な連中ばかりなので、なお恥ずかしい気がします。そこで、ヴァーリンカ、他人のためにお茶を飲むようになってきます、見栄のために、お体裁に飲むようなものです。しかし、わたしは気まぐれな人間ではないから、そんなことなどはどうでもいいのです。まあ、考えてもごらんなさい、小遣銭だってたとえいくらかにもせよ、いることだし、それに靴だとか、着物だとかいうと、あとにいくら残るものですか。それで、わたしの月給はいっぱいいっぱいです。でも、わたしは不平などいわないで満足しています。それで十分なんですからね、現に、もう何年かのあいだこれで足りているのです。それに、賞与もときどきありますから。――では、さようなら、わたしの天使。わたしは今度、鳳仙花の鉢を二つと、ぜにあおいを買って来ました。――そう高くはありません。もしかしたら、あなたは木犀草がお好きかもしれませんね? それなら、木犀草もありますから、手紙で知らせてください。それに、どうかなにもかもできるだけくわしく書いてください。とにかく、わたしがこんな部屋を借りたからといって、なにか妙なことを考えたり、疑ったりしてはいけませんよ。とんでもない、これは便利さにかられてしたことなので、ただ便利という一点でわたしは誘惑されたのです。じつはわたしは貯金をしているのです。すこしずつ除《の》けておくようにしているのです。だから、少々くらいのお金なら手もとにありますよ。わたしがこんな意気地なしで、蠅のはねがさわっても怪我をしそうな人間だからといって、みくびらないでください。どうして、どうして、これでも腹はしっかりしているので、落ちついた堅固な魂を持った人間にふさわしい性格の持ち主なんですから。さようなら、わたしの天使! もう出勤の時刻がせまっているのに、大判の紙にかれこれ二枚も書いてしまいました。あなたの指に接吻します。それではまた。
[#5字下げ]あなたの卑しき下僕《しもべ》にして忠実無比の友
[#地から1字上げ]マカール・ジェーヴシキン

[#ここから1字下げ]
二伸 ひとつお願いがあります、どうかできるだけくわしく返事を書いてください。この手紙といっしょに菓子を一斤お贈りします、どうかよろしくめしあがれ、ただわたしのことを心配したり、不足に思ったりなさらないよう。では、さようなら、ヴァーリンカ。
[#ここで字下げ終わり]

 四月八日
 マカール・アレクセエヴィチさま!
 どうでしょう、とうとうあなたと喧嘩をしなければならないことになりましたわ。優しいマカール・アレクセエヴィチ。まったくのところ、わたしはあなたの贈り物をちょうだいするのがつらいくらいでございます。それがあなたにとって、どんなに高価なものか、そのためにあなたがどんなに不自由をお忍びになるかってことは、わたしちゃんとわかっていますもの。あなたは、ご自分になくてならないものさえも買わないで、辛抱していらっしゃるんですわ。わたしはなんにもいらない、まったくなんにもいらないって、あれほどあなたに申しあげたじゃありませんか。これまであなたがわたしのためにつくしてくだすったことに対しても、ご恩報じをする力がないんですからね。それに、あんな草花の鉢なんか、なんのためにくだすったんですの? まあ、鳳仙花ぐらいはいいとしても、ぜにあおいなんかなぜお買いになったんですの? たとえば、このぜにあおいのことみたいに、わたしがほんのひとことなんの気なしに口を滑らすと、あなたはもうさっそく買っておしまいになるんですもの。きっと高かったでしょうね? でも、なんてきれいな花なんでしょう! 小さな十字形の真紅の花。いったいどこでこんな見事なぜにあおいを手にお入れになりまして? わたしはいっとうよく目に立つ窓のまん中に据えました。わたしは床の上にもベンチを一つ置いて、そのべンチにもっといろんな花を並べますわ。ただわたし自分でお金持ちにならなくちゃなりません、どうかそうなれますように! フェドーラはもうそれこそ大変なよろこびようで、わたしたちの部屋は今まるで天国みたいにきれいであかるうございます! ところで、お菓子はなんのためにくださいましたの? でも、正直なところ、わたしは手紙を読むとすぐ、これはなにかただごとではないな、と悟りました。天国だの、春だの、薫りが漂うだの、小鳥がさえずるだのって、いったいなにごとでしょう、もしや詩でも入っているのではないかと思いましたわ。まったくあなたのお手紙に詩がないのがもの足りないだけでございましたわ、マカール・アレクセエヴィチ! 優しい感じ、ばらいろの空想、――なにもかもあの中に揃っているんですもの! 窓かけのことはわたし考えもしませんでしたわ。きっと鉢を置きかえたときひとりでにひっかかったのでしょう。お気の毒さま!
 ああ、マカール・アレクセエヴィチ! あなたがわたしをだまそうと思って、どんなにいいつくろいなすってもだめですわ、お金をご自分一人だけのことで使っているように見せかけるために、どんなにご自分の収入を計算しておみせになっても、わたしの目からなにひとつ包みかくしはできません。あなたがわたしのためになくてかなわぬものにさえ不自由していらっしゃるのは、見えすいています。早い話が、どうしてあなたはそんな部屋を借りようなんて気をおおこしになったんでしょう。だって、そんなところでは騒々しくって、落ちつかないでしょう。窮屈で不便なのはきまっていますわ。あなたは一人で静かにしているのがお好きなのに、いまあなたのまわりは大変なごたごたじゃありませんか! あなたの月給から推してみると、もっと立派な暮らしがおできになるはずです。フェドーラだってあなたのことを、もとは今と比べものにならないほどいい暮らしをしていらしたと申しています。いったいあなたは今までずっとこんなふうに、他人の台所の片隅を借りて、一人淋しく、喜びもなければ、愛想のいい親しい言葉も聞かず、不自由の中に暮らしておいでになったんでしょうか? ああ、わたしあなたがお気の毒でたまりません! せめてお体なりとおいといあそばせ、マカール・アレクセエヴィチ! あなたは目が鈍ってくるとおっしゃいますが、それならろうそくのあかりで書きものをするのをおよしなさいませ。そんなことをなさらなくてもよいではありませんか。あなたの職務にご熱心なことは、それでなくても長官のかたがたがごぞんじのことと思います。
 もう一度お願いいたしますが、どうかわたしのためにそんなにお金を使わないでくださいまし。あなたがわたしを愛してくださるのは承知していますし、それにあなたご自身お金持ちではないんですもの……けさは、わたしも楽しい気持ちで床を出ました。わたしはとても嬉しゅうございました。フェドーラはもう前から仕事をはじめて、おまけにわたしの仕事まで見つけてきてくれたんですの。わたしは大喜びで絹を買いに行ってくると、さっそく仕事にかかりました。午前中、こうして軽々とした気分で、とても楽しくすごしました! ところが、いまはまた、暗い考えばかりが浮かんで来て、心が沈み、胸がうずきとおしています。
 ああ、わたしはいったいどうなることでしょう、わたしの運命はどんなになるのでしょう! わたしは自分がこんな頼りない境遇にいて、未来というものを持っていず、自分がどうなることやら想像もできないのが、苦しくてたまりません。過去は振り返って見るのも恐ろしいくらいでございます。それは、思い出しただけでも胸が張り裂けそうな悲しいことに満ちています。わたしは自分を破滅させた悪い人たちを、一生、うらんで泣くことでしょう!
 暗くなってきました。そろそろ仕事にかからなければなりません。いろいろと書きたいこともありますけれど、ひまがありません、期限をきられた仕事なのです。急がなくては。そりゃ申すまでもなく、手紙ってものはいいもので、なんといっても気がまぎれます。でも、どうしてご自身ちっともいらしてくださいませんの? どういうわけですの、マカール・アレクセエヴィチ? だって、今度はお近くなりましたし、それにたまにはおひまだってつくれましょうに。どうぞいらしてくださいまし! わたしはお宅のテレーザに会いました。なんだかひどく病身らしくって、かわいそうになりました。わたしは二十コペイカお駄賃をやりました。そう! あやうく忘れるところでしたっけ、どうかぜひともあなたの暮らしぶりを、できるだけくわしく書いてくださいまし。あなたを取り巻いているのはどんな人たちか、またあなたはその人たちと折合いよく暮らしていらっしゃるかどうか、わたしそれをすっかり知りたくってたまらないんですの。よろしゅうございますか、きっと書いてくださいましね! きょうはわたし、わざと窓かけの端を折っておきます。どうか早目におやすみあそばせ、きのうは夜中ごろまであなたの窓にあかりがさしているのをお見かけいたしました。では、さようなら。きょうはなんだかくさくさして、もの淋しく、気が沈んでなりません! どうもそういう日らしゅうございます!さようなら。
[#5字下げ]あなたのヴァルヴァーラ・ドブロショーロヴァ

 四月八日
 ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナさま!
 そうです、わたしの親しい人、この不幸なわたしの身の上にそうした日がたしかにめぐって来たのです! さよう、あなたはこの老人をからかいましたね、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ! もっとも、悪いのはわたし自身です、なにもかもわたしのせいです。髪の数も残り少ないこの年になって、愛だの恋だの微妙なことをいいだすべきではなかったのです……それに、わたしはあえていいますが、人間というものは時として不思議なものです、じつに不思議千万なものです。どうかすると、いやはや! 何をしゃべり出すか、どんな与太を飛ばすか知れたものではない! しかも、それがどうなるか、どんな結果になるかというと、まるでどうにもなることではなく、われながらやりきれなくなるような、ばかげた結果を招くだけです! わたしは腹を立てているのではありません、ただいっさいのことを思い出すと、いまいましくてたまらないのです。あんなばかげたことを気取って書いたのが、いまいましいのです。しかも、きょうは役所へも、大気取りで意気揚々と出かけたものです、胸のうちが燦然と光り輝いていたのです。とつぜん、急にお祭のような気分になって、愉快でならなかったのです! それで役所の書類にも、元気いっぱいでとりかかったものですが、さあ、その結果はどうだったでしょう! あとでよくよくあたりを見まわすと、なにもかも旧態依然として、灰色で薄っ暗い。相も変わらぬインキのしみ、同じテーブルや書類、それにわたしも依然、もとのままです。これまでとすっかり同じことなのです。――いったい、なんだって天馬に跨るような真似をしたのでしょう? でも、どうしてみなこんなことになったのでしょう? 太陽がうらうらとさしのぼって、空か青々と澄みわたっていた! そのせいでしょうか。それに、窓の下の庭でいろんなごたごたしたことをやっているのに、かおりもなにもあったものではない! つまり、愚かにも、何もかもそんなふうに思われたのです。じっさいどうかすると人間は自分の気持ちをすっかり感ちがいして、でまかせのことを口走るものです。これは要するに、ばかばかしい熱情が有り余るためにおこることなのです。わたしは家へ帰ったというより、とぼとぼとたどりついた次第です。これというわけもないのに、頭が割れるように痛みました。もう泣きっ面に蜂というやつです(もしかしたら、背中から風邪を引きこんだのかもしれません)。わたしはうかうかと、春の到来を喜んで、薄い外套を着て出かけたのです。わたしの親しい人、あなたはわたしの感情をも、取りちがえています! あなたはその表白を、まったく別のほうへとったのです。わたしの心を鼓舞してくれたのは、父親としての好意です。まったく純粋な父親としての情合いなのです、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ。なぜなら、あなたが悲しいみなしご同然の身の上なので、わたしはあなたのために親身の父親の代わりになっているのです。これは、わたしが心の底から誠心誠意、肉親の気持ちで申し上げることなのです。まあ、なにはともあれ、わたしはずいぶん遠いものではあるけれど、あなたの親戚で、ことわざにも他人のはじまりということがあるにもせよ、やはり親類には相違ありません。それどころか、今ではいちばん近しい親類であり、保護者であります。というのは、あなたが当然の権利で真っ先に配慮と保護とをお求めになった人々の中に、裏切りと侮辱とを発見されたからです。ところで、詩のことについてはわたしはこう申しましょう、この年になって作詩の稽古などするのは不似合いな話です。詩なんてばかばかしい、今では学校でも子供が詩を作ると鞭で折檻する……まあ、それくらいのものですよ。
 ところで、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ、なぜあなたはわたしに便利はどうの落ちつきはどうのと、種々さまざまなことを書いておよこしになるのです? わたしは気むずかしくもなければ、わがままものでもないから、今までもけっしていま以上の暮らしをしたことはありません。そういうわけですから、いまさらこの年になって、何を気まぐれなどいうことがありましょう? ひもじくないだけにものを食べ、着るものにも、はくものにも、ことを欠いてはいないのに、なにか変わったことをする必要が、どこにありましょう! わたしは伯爵家の生まれではないのですからね! わたしの父親は貴族の身分ではなかったから、大勢の家族をかかえていながら、収入はわたしより少ないくらいでした。わたしはお坊ちゃん育ちではありません! もっとも、うち明け話がはじまった以上すっかりいってしまいますが、前の住まいが万事につけて、比べものにならないほどよかったのは事実で、今よりはずっとゆったりしていました。もちろん、いまの住まいも悪くなく、ある点ではかえって賑やかで、もしなんなら、風変わりでおもしろいくらいだといえるでしょう。それについてはけっして不平はないのですが、それでもやはり、前の住まいが名ごり惜しい。われわれ老人は、いや、中年の人間は、すべて古いものに対して、まるで血を分けたもののように馴れ親しむものです。その住まいは、ほんの小さな部屋で、壁なども……いや、わたしはなにをいっているのだろう! 壁といっても普通の壁と変わりはないので、そんなことは問題じゃありません。ただ総じて過去の思い出がふさぎの虫を呼びさますのです……妙なもので、苦しかったことでも、思い出となると、なんだか楽しいような気持ちがします。ときによると、いまいましい気のするほどいやなことでも、思い出の中では、なんとなく悪いところを洗い落として、なつかしい姿となって心に浮かんでくるものです。ヴァーリンカ、わたしたちは、というのは、わたしと亡くなった老主婦のことですが、わたしたちはもの静かに暮らしておりました。この老婆のことをわたしは今もの悲しい気持ちで思いおこしています! 善良な女で、間代も安くしてくれました。よく一尺もあるような長い編み針でいろんな端ぎれを編んで、蒲団のがわを作っていましたが、ただそれだけが仕事なのです。わたしたちは一つあかりをいっしょに使っていたので、したがって同じテーブルで仕事をしたわけです。おかみにはマーシャという孫娘がいました、――わたしはその娘をまだ赤ん坊時代からおぼえているので、――いまごろは十三ぐらいの娘さんになっているはずです。なかなかのいたずらっ子で、陽気なたちなので、いつもわたしたちを笑わしていました。こういうわけで、わたしたちは三人暮らしだったのです。よく長い冬の夜など円いテーブルを囲んで、お茶を飲み、それからおのおの仕事にかかったものです。おばあさんはマーシャが退屈しないように、そしてまたこのいたずらっ子がわるさをしないようにと、よく昔話をはじめました。その話のおもしろいことといったら! 子供でなくても、もののわかった賢い大人でさえつい聞き惚れるほどでしたよ。まったくです! こういうわたしなども、よくパイプを喫《ふ》かしながら、仕事のことも忘れて聞き惚れたものです。いたずらっ子の孫娘はもの思わしげな様子をして、ばらいろの頬を小さな手で支え、かわいらしい口をぽかんとあけている、そしてちょっとでもこわい話になると、ひしとばかりおばあさんに身をすり寄せるじゃありませんか。わたしたちはそれを眺めているのが好ましかったのです。こうしてろうそ
くが燃えつきるのにも気がつかず、ときにはおもてで吹雪が荒れ狂うのにも、雪嵐が吠えるのにも気がつかないくらいでした。わたしたちは楽しく暮らしたものですよ、ヴァーリンカ。こうしてほとんど二十年近くも、いっしょに過ごしたものです。――しかし、わたしはなんだってこんなことを長々としゃべったのでしょう! こんな話題はあなたにはおそらくお気に召さないでしょう。それに、わたしとしても、これを思いおこすのはそれほど楽な仕事ではないのです。――わけても今は、日暮れどきだからなおさらです。テレーザはなにかこそこそやっているし、わたしは頭痛がして、おまけに背中までがすこし痛みます。そこへもって来て、考えまでがなんだか変てこで、同じように病気でもしているかと思われるばかり。ヴァーリンカ、きょうはわたしは憂欝です。――ときに、わたしの親しい人、あなたはなんということを書いてよこすのです? どうしてわたしがあなたのところへ行けましょう? 人が何をいいだすか知れたものじゃありません。ただ、内庭を横切って行きさえすればいいのですが、隣り近所のものが見つけたら、なにやかやとうるさく根掘り葉掘りして、さあ、それからうわさや陰口がはじまり、とんでもない意味を押しつけられるに決まっています。いや、わたしの天使、それよりいっそ、あす教会の終夜祷でお会いしましょう、そのほうが利口で、わたしたち二人にとっても安全です。どうかわたしがこんな手紙を書いたからといって、とがめ立てしないでください。いま、読み返してみると、まことに取りとめもないことばかり。ヴァーリンカ、わたしは年とった無学な人間です。若いとき学問をしなかったので、いまさら勉強をはじめたところで、なにも頭に入りません。白状しますが、わたしはものを書くことなど得意でないので、なにか変わったことを書こうと思うと、くだらないうわごとばかり並べ立てるのは、人からいわれなくとも、冷やかされなくとも、自分で承知しています。――きょうあなたを、窓ぎわで見かけました、あなたがカーテンをおろしていられるところを見たのです。さようなら、さようなら、どうかお大事に! さようなら、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ。
[#5字下げ]あなたの無私の友なる
[#地から1字上げ]マカール・ジェーヴシキン

[#ここから1字下げ]
二伸 親しき友よ、今わたしはだれのことであろうとも諷刺めいたものなど書いてはおりません。ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ、わたしはわけもないのにげらげら笑いをするには、あまり年をとりすぎました! それに、わたし自身が他人のもの笑いになるでしょう、ロシヤのことわざにもいうとおり、人を呪わば穴二つ……ですからね。
[#ここで字下げ終わり]

 四月九日
 マカール・アレクセエヴィチさま!
 わたしのお友達でもあり、恩人でもあるマカール・アレクセエヴィチ、あなたはそんなにくよくよしたり気まぐれをおこしたりして、よくまあ恥ずかしくないことね。いったいあなたは腹をおたてになったんですの? ああ、わたしはよく軽はずみなことをいいます。でも、あなたがわたしのいったことを皮肉な冗談におとりになろうとは、思いもかけませんでした。どうか信じてくださいまし、わたしはけっしてあなたのお年やご性質をからかおうなんて、そんな失礼なことはいたしません。そんなことになったのは、みんなわたしが軽はずみなせいですけれど、それより退屈でたまらないからだったんですの。人間は退屈だと、どんなことでもしかねないものではないでしょうか? だって、わたしは、あなたがご自分の手紙のなかで、冗談をいおうとなすったのだと思ったんですもの。あなたがわたしを不満足に思っていらっしゃるのがわかったとき、わたしとても悲しくなりましたわ。いいえ、ちがいます、わたしの親切な恩人、もしあなたがわたしのことを情のない恩知らずなどとお疑いになるとすれば、それは間違いでございます。わたしだって心の中で、あなたがわたしのためにしてくだすったいっさいのことを、ありがたいと思うくらいのことはできますわ。あなたは悪い人たちや、その人たちの迫害や憎しみから、わたしを守ってくだすったんですもの。わたしは一生あなたのために神さまにお祈りいたします。ですから、もしわたしのお祈りが天に届いて、神さまがそれに耳を傾けてくださるなら、あなたはきっと幸福におなりなさいますわ。 わたしはきょうとても気分が悪いんですの。熱と寒けが代わりばんこにやって来るんですもの。フェドーラはたいへんわたしのことを心配してくれます。マカール・アレクセエヴィチ、あなたは家へ来るのを恥ずかしがっていらっしゃいますけど、そんなことつまらないじゃありませんか。それが他人にとってどうしたというんでしょう? あなたはわたしたちのお知合いですもの、それでたくさんじゃありませんか!……さようなら、マカール・アレクセエヴィチ。きょうはもう何も書くことがございません、それに書くこともできませんの、ひどく気分が悪いものですから。もう一度お願いいたしますが、どうかわたしに腹をお立てにならないでくださいまし。そして、わたしがいつもあなたを尊敬し、あなたに愛着を持っていることを信じてくださいまし。
[#5字下げ]だれよりもあなたに心服している
[#5字下げ]もっとも忠実なあなたの召使
[#地から1字上げ]ヴァルヴァーラ・ドブロショーロヴァ

 四月十二日
 ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナさま!
 ああ、あなたはいったいどうしたことでしょう! いつもいつもわたしをびっくりさせるじゃありませんか。わたしは手紙のたびごとに、体に気をつけて、薄着をしないように、天気の悪いときには外へ出ないように、万事に細かく気を配るようにと書いているのに、わたしの天使、あなたはわたしのいうことを聞かないじゃありませんか。いやはや、どうもあなたはまるで子供みたいだ。あなたはからだが弱いのです、まるでわらしべ同然、かよわいからだをしていらっしゃる、それはわたしがちゃんと知っています。ほんのちょっとでも風が吹くと、もう病気なさるんですからね。だから用心して、自分で自分のからだを大事にし、危いことは避けるようにして、友達を悲しませたり、しょげさせたりしないことですね。
 あなたのご希望によると、わたしの生活ぶりやわたしの周囲のことが知りたいそうですね。わたしの親しい人、喜んでとりいそぎお望みをかなえましょう。まず最初から書きはじめましょう。そのほうが順序だっていいと思います。だいいち、わたしたちの表玄関はごく月並みなものです。とりわけ、正面階段は幅が広くて、清潔で、光り輝き、鉄とマホガニイばかりでできています。そのかわり、裏階段はお話にも何にもなるものじゃありません、螺旋型になっていて、じめじめして汚らしくて、段々はこわれているし、壁といったら脂でべとべとして、ちょっと寄りかかっても手が粘りつくほどです。踊場という踊場にはトランクや、いすや、こわれた戸棚などが置いてあり、ぼろがいっぱいかけてあって、窓もところどころこわれており、塵や、ほこりや、玉子の殼や、魚の浮袋や、ありとあらゆる不潔物のつまった盥が置いてあって、その匂いのいやなこと……ひと口にいえば、よろしくないです。
 部屋の配置のことは、もう書きましたが、それはいうまでもなく便利にできています。それはそのとおりですが、どうも部屋の中が息苦しいのです。といって、いやな匂いがするわけではありませんが、ただなんとなく、もしこんないいかたができるとすれば、すこし腐ったような、つんと甘酸っぱいような匂いがするだけです。最初の印象は感心しかねますが、それもこれもたいしたことはなく、ものの二分もいると、消えてしまって、いつ消えたのかわからないくらいです。なぜなら、現に自分だって変にいやな匂いがするし、着物も匂うし、手も匂うし、なにもかも匂うけれども、まあ、それでも馴れてしまいますからね。この家では鷽《うそ》でさえころころ死んでしまいます。海軍少尉がもう五羽目を買ったのですが、ここの空気のなかでは生きていられない、それっきりの話です。台所は大きくて、広々として、明るいのです。もっとも、朝、魚や牛肉を焼いたりするときには、少々いやな匂いがたちこもって、それに到るところ水を流したり濡らしたりしますが、そのかわり、晩はほんとうに極楽です。ここの台所には到るところ古い洗濯物が繩で乾してあります。ところで、わたしの部屋は台所から遠くなく、というより、ほとんどくっついているものだから、洗濯物の匂いが少々ばかり気になりますが、平気です。すこし住んでいたら馴れっこになるでしょう。
 この家では、ヴァーリンカ、朝早くからごたごたがはじまります。みんなが目をさまして歩きまわったり、ことことやったりする、――それは用のある人や、勤めている人や、ただなんとなく自分勝手にそうしたい連中が起きだして来るのです。やがてみんなお茶を飲みだします。サモワールは大部分かみさんのもので、しかも数が少ないものだから、みんな順番で使うことになっています。もしだれか自分の番でもないのに、急須を持ってサモワールのそばへ行こうものなら、たちまちこっぴどくやられます。さて、わたしもはじめてのときそいつをやりかけたとき……しかし、こんなことを書いたところで仕方がない! つまり、そのときみんなと知合いになったのです。例の海軍少尉と、まず第一番に近つきになりました。非常に気さくな人で、両親のこと、トゥーラの県裁判所の陪席判事のところへ嫁いでいる姉のこと、クロンシュタットの町のこと、なにもかも話して聞かせてくれました。それから、万事につけてわたしのためになってやると約束して、さっそくお茶に招待してくれました。わたしは、たいていみんながカルタをやっている部屋でその人をさがし出しました。そこでわたしにお茶をご馳走してくれて、どうしてもいっしょに一六勝負をしろというのです。わたしをからかったのかどうか知りませんが、その連中は夜っぴて勝負を闘わしているのです。わたしが入って行ったときも、やっぱりやっていました。白墨、カルタの札、たばこのけむりなどが部屋いっぱいにちらちらもやもやしていて、目が痛くなるほどでしたよ。わたしは勝負などしなかったものだから、みんなはさっそくわたしのことを、哲学論をやっているといいましたっけ。それからはもうずっとだれ一人わたしに話しかける者はなかったので、わたしは正直なところ、結局そのほうが嬉しかった。もうこれからは、あの連中のところへ行きません、あれはばくちです、純然たるばくちです! それから文学の方面の勤めをしている役人のところでも、やはり毎晩集まりがあるけれども、しかしこのほうは気持ちがよろしい、おとなしくて、罪がなくて礼儀正しく、なにもかもこまやかなやりかたです。
 それから、ヴァーリンカ、もうひとつついでに申しますが、この家のおかみはじつに胸糞の悪くなるような女で、そのうえ、正真正銘の鬼婆です。あなたはテレーザを見ましたか? まったくあれの様子はなんということでしょう? まるで毛をむしられたひょろひょろの雛《ひよ》っ子よろしく、痩せさらばえているのです。家中に召使といったらたった二人、このテレーザと下男のヴァルドニだけです。べつになにか名前があるのかもしれませんが、当人はそういわれると返事をするし、みんなもこの男をそう呼んでいます。フィンランド人かなにかで、赤っ毛の、目っかちで、獅子っ鼻をした不作法もの。しじゅうテレーザと喧嘩をして、ほとんどつかみ合いをするほどです。総じて、ここはあまり居心地がよいとは申されません。夜なども、みんな一時に寝て静かになるというようなことはけっしてない。年じゅうどこかで起きていて、カルタをやっている、ときによると口にするも恥ずかしいようなことをおっぱじめるのです。今ではもうわたしもとにかく馴れてきましたが、それでもこんな乱痴気の中で家族持ちの人たちがどうして住んでいられるのかと、内々あきれている始末です。ある貧乏人の家族がおかみから部屋を一つ借りていますが、それはほかの部屋と並んでいるのではなく、別の側の片隅に一つだけ離れているのです。おとなしい連中といったら! だれもこの人たちのうわさを聞いたこともありません。一つきりの小さな部屋を仕切り板で仕切って、その中に住んでいるのです。主人はどこかの官吏だったのですが、七年ばかり前になにかわけがあって退職になり、今では
失業者になっている。苗字はゴルシコフといって、胡麻塩の頭をした小柄な男で、ひどく脂じみた、毛のすっかり擦り切れた服を着ていて、見るのも痛ましいくらい、わたしなんかよりずっとひどい服装《なり》をしています! みじめな、ひ弱そうな様子をしていて(ときどき廊下で出会うのです)、膝ががくがく慄え、手が慄え、頭が慄えるところを見ると、どうもなにか知らないが病気のせいらしい。臆病な男で、だれかれなしに人を恐れ、はじっこのほうをそっと通って行くという始末、わたしもどうかするとかなり内気なほうですが、この男はもっとひどいのです。家族というのは、細君と三人の子供で、いちばん上の男の子は父親そっくりの顔をしており、やっぱり同じようにひ弱そうです。細君は昔は相当の美人だったらしく、今でもその面影が残っていますが、かわいそうに、見るも哀れなぼろを着て歩いています。話に聞くと、この連中はおかみに借りができているとかで、おかみもなんとなく無愛想な態度を見せています。同様小耳に挟んだところでは、当のゴルシコフにはなにやらおもしろくないことがあって、そのために失職したのだそうです……別段、訴訟事件というほどのことでもなく、裁判沙汰になったというわけでもないけれども、どうやら予審ぐらいにはひっかかったらしい。しかし、真相はどうもわかりかねます。その連中の貧乏なことといったら、いやはやお話になりません! その部屋の中はいつも静かにひっそりしていて、まるで人など住んでいないようです。子供の声さえ聞こえません。ついぞ一度も子供たちがいたずらをしたり、遊んで騒いだりするようなこともないのですが、これはもうよくないしるしです。いつだったか、ある日の夕方、わたしはふとこの部屋の戸口の前を通りかかったことがあります。ちょうどそのとき、家の中がいつもに似ずしんかんとしていたものですから、内からすすり泣きの声が聞こえて来ました。それからひそひそいう声がして、またもやすすり泣きが聞こえるじゃありませんか。どうやら人が泣いている様子なんですが、それがじつにしんみりして、いかにも惨めな泣きかたなので、わたしは胸が張り裂けそうになりました。その後も夜っぴて、この貧しい人たちのことがわたしの頭を離れないで、ろくろく眠ることもできないほどでした。
 ではさようなら、わたしの大事な友達のヴァーリンカ! わたしは自分の力相応にいっさいのことを書いてみました。きょうは一日、朝から晩まであなたのことばかり考えています。わたしの親しい人よ、わたしの心はあなたのことを気づかって、傷み悩んでいます。なぜといって、あなたに暖い外套のないことを、わたしはちゃんと知っているのですからね。なにしろ、このペテルブルグの春というやつは、風が吹いたり、みぞれまじりの雨が降ったりして、――まったく命とりですよ、ヴァーリンカ! 陽気のけっこうなこと、くわばら、くわばらといいたいくらい! どうか文章をとがめ立てしないでください。文体などはないのですからね、ヴァーリンカ、てんで文体などというものはありゃしません。せめてもうすこしどうにかなっていたらと、それが残念です! ただどうかしてあなたの心を浮き立たせようと、頭に浮かぶままを書いただけなんです。ああ、もしわたしが多少なりとも学問をしていたら、また話は別なのですが、なにしろわたしの受けた教育ときたら、まったくお話にもなんにもなったものじゃありません。
[#5字下げ]つねに変わらぬ忠実なあなたの友
[#地から1字上げ]マカール・ジェーヴシキン

 四月二十五日
 マカール・アレクセエヴィチさま!
 きょう従妹《いとこ》のサーシャに会いました! なんて恐ろしいことでしょう! あのひとも、かわいそうに、やがて破滅するに相違ありません。これもわきのほうから聞きこんだのですが、アンナ・フョードロヴナは相変わらずわたしのことを探りつづけているそうです。どうやらいつまでたっても、わたしのあとをつけまわすことをやめそうもありません。あのひとったら、わたしをゆるして[#「わたしをゆるして」に傍点]、過去のいっさいを忘れてしまいたい、そのうちにかならず自分でわたしを訪ねて来る、とこんなことをいっているそうです。あのひとのいいぐさによると、あなたはわたしにとって親戚でもなんでもなく、あのひとのほうがずっと近い親類にあたるんですって。そして、あなたはわたしたちの家庭問題に口を出す権利などすこしもない、だからわたしがあなたのお情けを受けて、あなたの仕送りで暮らしているのは恥ずかしい、ぶしつけなことなんですって。あのひとはわたしのことを悪くいい、わたしを恩知らずだと責めています! あのひとがよくしてくれたことを忘れただの、わたしとおかあさまが飢え死するところを助けてくれたうえ、二年半以上もわたしたちを養って身銭を使っただの、おまけにまだわたしたちの借金まで棒引きにしてくれただのって、そんなことをいっているんですの。そのくせ、あのひとはおかあさまを容赦しようとはしなかったんですからね!、ああ、かわいそうなおかあさま、あのひとたちがわたしをどんな目にあわしたか、ごぞんじになったら! でも、神さまがちゃんと見ていらっしゃいますわ!………アンナ・フョードロヴナにいわせれば、わたしは自分がばかだったものだから幸運を取り逃がしたので、あのひとはわたしを幸福にしようと思って骨折っただけで、そのほかの点ではすこしも悪いことはない、ただわたしが自分で自分の名誉を守ることができなかった、というより、守ろうとしなかったのだそうです。では、いったいだれが悪いのでしょう、あきれた話ですわ! またあのひとはこうもいっています、ブイコフさんのしたことは徹頭徹尾正当で、ただどんな女とでも結婚するわけにはいかなかったのだ、なんて……でも、こんなことを書き立てたって仕方がありません! こんなうそっぱちを聞かされるのはなさけないことですわ、マカール・アレクセエヴィチ! わたしはこれからどうなっていくのやら、見当がつきません。わたしは慄えています、泣いています、慟哭しています。この手紙も、二時間からかかって書いたような始末ですの。わたしはすくなくとも、あのひとが済まないことをしたとあやまるだろうと思っていましたのに、いま聞けば、あのひとはこういうふうなんですの! わたしのお友達でもあり、わたしにとって唯一の味方でもあるマカール・アレクセエヴィチ、どうか後生ですから、ご心配くださいませんように! フェドーラはいつも大袈裟なので、わたし病気じゃありません。ただきのうおかあさまの法事にヴォルコーヴォの墓地に参りましたとき、ちょっと風邪を引いたばかりですの。なぜあなたはいっしょにいらしてくださいませんでしたの、あんなにお願いいたしましたのに。ああかわいそうな、かわいそうなおかあさま、もしもあなたが棺の中からおきあがって、あのひとたちがわたしに仕向けたことをお知りになったら、ご自分の目でごらんになったら!………
[#地から1字上げ]V・D

 五月二十日
 愛するヴァーリンカ!
 ぶどうをすこしばかりお送りします、回復期の病人にはこれがたいへんいいそうですし、それに医者も渇きをいやすのによいと申しています。だから、ほんの渇きをいやすだけのためにお届けします。あなたはこのあいだ、ばらがほしいといっていましたね、で、きょうそれをお送りします。食欲はありますか、ヴァーリンカ? これがいちばんかんじんなことです。でも、ありがたいことに、なにもかも過去のこととなり、終わりを告げてしまいました。わたしたちの不幸もこれですっかりおしまいになりそうです。天に感謝を捧げましょう! さて書物の件ですが、いまのところどこにも見つかりません。人の話では、一冊いい本があるとのことです。非常に高尚な文体で書いてあって、立派なものだという話です。わたしはまだ読んでいないけれど、ここの人たちがたいそうほめています。わたしはその本を頼んで置きましたが、届けてやると約束してくれました。しかし、あなたは読んでくれるでしょうか? なにしろ、こういうことにかけては、あなたもなかなか気まぐれやさんだから、あなたのお気に入るのは、骨が折れますよ。わたしはあなたという人を、ちゃんと知っていますよ。あなたはきっと相変わらず詩だとか、溜息だとか、愛のささやきだとかいうものがお入り用なんでしょう。――なに、詩も手に入れましょう、なにもかも手に入れましょう。その連中は筆写の手帖を一冊持っていますから。
 わたしは気楽に暮らしています。どうかわたしのことは心配しないでください。フェドーラがわたしのことをあなたに告げ口したのは、みんなでたらめです。あれに、おまえはうそをついたのだ、といっておやりなさい。あの金棒引きにぜひともそういってください!………わたしは新しい制服などけっして売りはしません、それに、いったいなんのために、なぜ売るのでしょう、考えてもごらんなさい。現にわたしは銀貨で四十ルーブリ賞与がもらえるという話ですもの、なんのために売るわけがありましょう? 心配はご無用。あれは邪推ぶかいのです。あのフェドーラという女は邪推ぶかいたちなんです。やがてわたしたちはのんきに暮らすようになるでしょう! ただ、あなたに丈夫になってもらわなければならない、わたしの天使、どうか丈夫になって、この年寄りを悲しませないでください。わたしが痩せたなんて、だれがあなたにそんなことをいったのでしょう? 中傷です、またしても例の中傷です! わたしは達者で、ぴんぴんしています。そして、われながらきまりが悪いくらい、肥ってきました。いつも満腹して、なにひとつ不自由なことはありません。ただあなたが丈夫にさえなってくださればいいのです! では、さようなら、わたしの天使、あなたの指を一本一本接吻します。
[#5字下げ]永久に変わることなきあなたの友
[#地から1字上げ]マカール・ジェーヴシキン

[#ここから1字下げ]
二伸 ああ、愛するヴァーリンカ、ほんとうにあなたはまたしてもなんということを書いたのでしょう?………なんという我ままなことをいうのです! いったいどうしてわたしがあなたのところへそうたびたび行かれると思います、どうしてそんなことができるか、おたずねしたいものですよ。夜の闇に乗じて来いとでもおっしゃるのですか。それだって、いまはほとんど夜([#割り注]ペテルブルグの白夜は五月ごろからそろそろ始まる[#割り注終わり])さえもないじゃありませんか、そういう季節になってきたのです。それでなくとも、わたしはあなたの病気中、あなたが人事不省になっていられたあいだじゅう、ほとんどそばを離れたことがないくらいなのです。そのときもどうしてそんなことをしてのけたのか、われながら合点がいかずにいる始末です。けれど、その後あなたのところへ通うのをやめましたが、それというのも、みんなが目引き袖引きして、根掘り葉掘りたずねるようになったからです。なにぶんここでは、さもなくてさえ妙な陰口が拡がっているのですからね。わたしはテレーザに望みをかけています。あれはおしゃべりではありません。が、それにしても、まあ、自分で考えてもごらんなさい、みんながわたしたちのことを残らず知ったらいったいどういうことになるでしょう? そのときはみんなが何を考え出して、どんなことをいうか知れたものじゃありません。そういうわけですから、あなたも心をしっかり強く持って、全快のときまで待ってください。そのときにはどこか家の外でお会いできるでしょう。
[#ここで字下げ終わり]

 六月一日
 おなつかしきマカール・アレクセエヴィチさま! わたしはあなたのお世話とお骨折りに報いるため、あなたの深い愛情に対するお礼として、なにかあなたに喜んでいただけるような、気持ちのいいことをしてさしあげたいという気が、しきりにいたしますので、とうとう退屈まぎれに箪笥の中をかきまわして、わたしの手帳をさがしだすことに決心いたしました。今お送りするのがそれでございます。それを書きはじめたのは、わたしがまだ幸福な生活をしている時分のことでした。あなたはよくわたしの以前の生活や、母のことや、ポクローフスコエ村のこと、わたしがアンナ・フョードロヴナのところへ身を寄せていた時分のこと、それから最後に、最近わたしの身の上に起こった不幸のことなどに好奇心をいだいて、いろいろとおたずねになったものでしたね。そして、わたしがなんのためとも知れず、自分の生活の束の間のできごとをなにかと書きとめておいたこの手帳を、是が非でも読ましてくれとおっしゃいましたから、この贈り物に心から満足していただけることと信じて疑いません。でも、わたしはこれを読み返してみて、なんだかうら悲しくなって来ました。この手帳の最後の一行を書きとめてからこのかた、わたしはもう二倍も年をとったような気がいたします。これはいろいろな時代に書いたものでございます。さようなら、マカール・アレクセエヴィチ! わたしこのごろひどく気がくさくさして、しょっちゅう不眠症に悩まされていますの。回復期ってほんとうに退屈なものですわね。
[#地から1字上げ]V・D

[#6字下げ]1
 父が亡くなったとき、わたしはやっと十四になったばかりであった。わたしの少女時代は生涯のもっとも幸福な時であった。この少女時代はこの土地ではなく、ここから遠く離れた地方の片田舎ではじまった。父はT県にあるP公爵の大きな領地の支配人をしていた。わたしたちは公爵の持ち村の一つに住んで、静かな、人目に立たぬ、幸福な暮らしをしていた……わたしはとてもおはねの子供だった。野原や、森や、庭の中を駆けずりまわるのが仕事で、だれもわたしのことなどかまうものはなかった。父はいつも仕事に追われているし、母は家政に忙しかった。わたしはなにひとつ教えてもらわなかったが、自分では結句それをいいことにしていた。いつも朝早くから家を飛び出して、池や、森や、草刈り場や、とりいれ場へ出かけて行った。――陽に焼けるのもかまわず、自分でもどこという当てもなく村を遠く離れて、薮で手足をひっかいたり、着物を破いたりしたのはいうまでもない、――あとで家へ帰って叱られるが、わたしは平気なのであった。
 わたしは一生、村を出ないで、そのまま一つところに暮らしていたら、どんなにか幸福だったろうという気がする。けれども、わたしはほんの子供の時分に、生まれ故郷を離れなければならなくなった。まだわたしがやっと十二のときに、一家はペテルブルグへ引き移ったのである。ああ、あのときの悲しい旅立ちを今でも淋しい気持ちで思い出す! 自分にとってなつかしいいっさいのものに別れを告げるとき、わたしはどんなに泣いたことか。今でもおぼえているが、わたしは父のくびにしがみついて、せめてもうすこしのあいだ村に残っているようにと、涙ながらに哀願したものである。父はわたしをどなりつけ、母はおろおろ泣いていた。いろんな都合でそうなったので、もう仕方がないのだと聞かされた。P老公爵が死んで、相続人たちが父に解雇を申しわたしたのである。父は、ペテルブルグに住む幾たりかの人の手で、多少の金を廻していた。ここで財政を立て直すには、どうしても自分がペテルブルグにいなければならぬ、と考えたのであった。こういった事情はすべて後になって母から聞いたのである。当地へつくと、わたしたちはペテルブルグ区へ居を定め、父が亡くなるまでずっとそこに住みついていた。
 新しい生活に馴れるということは、わたしにとってどんなに苦しかったかしれない! わたしたちがペテルブルグへ入ったのは秋であった。村を出るときは明るく晴れた暖い日で、野良仕事は終わりかかっているところだった。打穀場にはもう山のような禾堆《にお》がいくつとなくそびえ、鳥の群れがかまびすしく飛びかっていた。どこを見ても明るくて楽しかった。ところがここへついて町へ入ると、雨が降っている、腐りつくような秋の氷雨《ひさめ》で、欝陶しい、じめじめした天気であった。そして、往来の群集は目新しい見馴れない人たちで、無愛想な、さも不足らしい、怒ったような顔をしている! わたしたちは、どうやらこうやら落ちついた。みんながひどくあくせくして、しじゅうばたばたと忙しそうにしながら、新世帯を整えていたのを今でもおぼえている。父はいつも留守がちで、母は一刻もゆっくりしているときがなく、わたしはまったく忘れられた形であった。新しい住居で最初の一夜を過ごして、翌朝目をさましたときの気持ちは、わびしいものであった。わたしたちの住まいの窓は、どこかの黄色い塀に面していた。通りはいつもぬかるんでいて、たまに通る往来の人は、みんなひしとばかり外套に身をくるんでいた。誰も彼もが、ひどく寒そうであった。
 わたしたちの家の中は、毎日、朝から晩まで、言葉につくせぬほどのわびしさ悩ましさであった。親戚や親しい知人というものはほとんどなかった。父はアンナ・フョードロヴナと仲たがいしていた(父は彼女にいくらかの借金があったのだ)。用事で訪ねて来る人はかなり多かったが、たいていは口論したり、騒いだり、どなったりしていた。そういう訪問客のあったあとは、父はひどく機嫌を悪くして、怒りっぽくなるのであった。顔をしかめて、だれにもひと言も口をきかず、幾時間も幾時間も部屋の中を隅から隅へと歩きまわるのであった。そんなとき、母は父に話しかける勇気もなく、じっと黙りこんでいた。わたしはどこかの隅っこに引っこんで本を開き、身動きするのさえはばかりながら、おとなしくひっそりとしているのである。
 ペテルブルグへ着いてから、三《み》月ばかりして、わたしは寄宿学校へ入れられた。はじめのうちは他人のなかで暮らすのが淋しかった! なにもかもがそっけなくて無愛想であった。舎監たちは怒りんぼだし、生徒はみんなが口が悪いし、わたしはひどい野育ちだったのである。すべてが厳格で、そのやかましいこと! 何をするにも時間が決まっていて、食事はみんなといっしょだし、教師は退屈な人たちばかり、――そういったようなことがはじめわたしを苦しめ、悩ましたのである。そこへ入ってから、わたしは夜もおちおち寝られなかった。よく長い淋しい寒い夜をひと晩じゅう泣き明かすことがあった。晩になると、みんなが復習や、予習をはじめる。わたしは会話の本や単語帳を拡げて坐ったまま、身動きすらはばかるようにしているけれども、心の中では絶えずわが家のこと、父のこと母のこと、年とったばあやのこと、ぼあやのしてくれる昔話のこと、などを考えているのである……すると、急になんともいえないほどもの悲しくなって来る! わが家のことなら、どんなにつまらないことでも懐しく思い出されて来る。今ごろは、家にいたらどんなにか好い気持ちだろうと、そればかり、回心に思いつめるのであった! あの小さい部屋のサモワールのそばに、家の人たちといっしょに坐っていたら、さぞ暖くて、気持ちよく、ゆったりとくつろいでいられるだろう。そして、今ごろはおかあさんを固くしっかりと、熱い愛情をこめて抱き締めるであろうものを! こんなことをひたすら思いつめていると、やるせなさに自然と泣けて来て、胸の中でそっと涙を押し殺していると、単語も頭には入らない。こうして、あすの予習はできないでしまう。それから、ひと晩じゅう教師や校長や、女生徒たちの夢を見つづける。夜っぴて夢の中で宿題を繰り返し繰り返し暗記しているが、さてあくる日になってみると、なにひとつおぼえていない。その罰に教室の隅で膝をつかされ、食事もひと皿しか当てがってもらえない。わたしは、おそろしく沈みこんだ寂しい娘になってしまった。はじめのうち女生徒たちはみんなでわたしを笑ったり、からかったり、学課を答えるときに横から口を出してまごつかせたり、みんなで列を作って食事やお茶に行くときつねったり、なんていうこともないのにわたしのことを舎監に告げ口などするのであった。そのかわり、土曜日の夕方、ばあやがわたしを迎えに来てくれたときには、それこそ天に昇るような思いであった。わたしは嬉しさに気ちがいのようになり、ひしとばかりばあやを抱きしめるのであった。ばあやはわたしに着替えをさせ、外套にくるんでくれる。みちみちわたしのあとを追いかねて、一生懸命に走って来る。わたしは、のべつ幕なしにしゃべり立てては、ばあやにいろんな話をして聞かせる。こうして、嬉しさにいそいそしながら家へ帰りつくと、まるで十年も別れていたように、しっかりと家の人たちを抱きしめ、やがてさまざまな噂や話や物語がはじまる。わたしは一同に挨拶をし、笑ったり、駆けまわったり、飛びはねたりする。それから、父を相手のまじめな話がはじまって、学課のこと、教師のこと、フランス語のこと、ロモンドの文法のことなどが話題にのぼる、――こうして一同は心から楽しく、満足しきっているのであった。わたしは今でもこのときのことを思い出すと、こころ楽しい。わたしは一生懸命に勉強して、父の意にそおうと努めた。父がわたしのために、ありったけのものをはたきつくし、内々どんなに苦労しているかということは、わたしにもわかっていた。父は日一日と憂欝になり、不満げに怒りっぽくなっていった。彼の性格はすっかりそこなわれてしまった。事業がうまくいかないで、借金で首がまわらないようになったのである。母は父を怒らせまいと思って、泣くのさえはばかり、ひとこと口をきくのさえ恐れて、まるで病人のようになってしまった。しだいしだいに痩せ衰えていき、いやな咳までするようになった。よくわたしが寄宿舎から帰って来ると、みんなひどく沈んだ顔をしている。母はそっとかげで泣いているし、父はぷりぷり腹を立てている。やがて小言がはじまり、非難が出てくる。父はわたしに向かって、おまえはわしにすこしの喜びも慰めも与えてくれない、みんなはおまえのために、なくてかなわぬものまで不自由しているのに、おまえはいまだにフランス語が話せない、などといいだす。要するに、すべての失敗、すべての不幸、そのほかなにもかもの尻がわたしと母に持って来られるのであった。それにしても、どうしてあのかわいそうな母を苦しめることができたのだろう! 母を見ていると、わたしは胸の張り裂ける思いであった。頬はげっそりとこけ、目は落ち窪んで、顔にはまざまざと肺病やみの色が現われているのであった。わたしはだれよりもいっとうつらくあたられた。いつも、ほんの些細なことからはじまって、それからさきはもう、どんなことになるかわからないのである。いったいなんで小言をいわれているのか、わたしにもわからないようなことがしょっちゅうだった。なにひとつ小言の種にならぬものはなかった!………フランス語、わたしが大ばかものだということ、寄宿学校を経営している女が怠慢で頭が悪いということ、彼女がわたしたちの品行に心を配らないということ、父が今まで職を見つけかねているということ、ロモンドの文法はなっていない、それよりザポーリスキイのほうがはるかにすぐれているということ、わたしのためにたくさんの金を無駄に捨ててしまったということ、わたしは見たところ情のない石みたいな女だということ、――ひと口にいえば、わたしは貧乏くじを引いて、フランス語の会話や単語を暗記しながら、一生懸命にもがいているくせに、なにもかもわたし一人のせいにされてしまい、すべての責任を負わなければならないのであった! それかといって、父はけっしてわたしを愛していなかったのではない。それどころか、わたしにしても母にしても、目に入れても痛くないほどかわいがっていたのである。しかし、これはもうどうにもならないことで、そうした性分なのであった。
 さまざまな心労、悲嘆、失敗などが、不幸な父を極度にまで苦しめぬいた。彼は疑い深くなり、癇癖が激しくなった。しばしば絶望に近い状態におちいって、自分の健康をもおろそかにするようになったが、あるとき、風邪を引いたのがもとで突然やまいの床につき、あまり長くも苦しまないで、不意にあっけない最期を遂げてしまった。わたしたちはみんなこの打撃のために、四、五日のあいだはわれに返ることができないほどであった。母はまるで放心状態におちいってしまった。わたしは母の頭がどうかなるのではないかと心配したくらいである。父が亡くなると同時に、債権者たちがまるで地から湧いたように現われて、一度にどっと押しかけて来た。わたしたちは家にありったけのものを渡してしまった。わたしたちの小さな家は、ペテルブルグへ越して来てから半年ばかりして、父がペテルブルグ区に買い求めたものだったが、これも同様に売り払われた。そのほかのものはどんなふうに始末をしたのか知らないけれども、とにかくわたしたちは住む家もなければ、食べる物もない身の上になってしまった。母は身を削るような病いに苦しめられているので、わたしたちは自分の口をすごすこともできなければ、生活の方法も立たず、行く手にひかえているのは身の破滅ばかりであった。わたしはそのときちょうど満十四歳になっていた。わたしたちがこんなありさまでいるときに、おりふしアンナ・フョードロヴナが訪ねて来たのである。彼女はどこかの女地主とやらで、わたしたちには何か親類に当たると、口癖のようにいっていた。母も彼女のことを、親類には相違ないけれども、たいへん遠い親戚なのだといっていた。彼女は父の生きている時分には一度も訪ねて来たことがなかった。彼女は目に涙を浮かべて、心からわたしたちを気の毒に思うといい、わたしたちが父を失って世にも哀れな身の上になったことに同情を表し、結局、当の父が悪いのだとつけ加えた。彼女にいわせれば、父は分不相応の暮らしをし、あまり事業に深入りして、自分の力をたのみすぎたのだということである。彼女はわたしたちと隔てのないつき合いをしたいと申し出で、たがいにいやなことは忘れ合おうといった。母がそれに対して、こちらでは一度もいやな感じなんかいだいたことがないと答えたとき、彼女は涙ぐんで、母を教会へ連れて行き、気の毒な故人(彼女は父のことをそういったのである)のために、追善供養をしてくれた。そのあとで、彼女は改まって母と仲直りをした。
 それから、くどくどと長い前置きをしたあとで、アンナ・フョードロヴナはわたしたちの世にも哀れな、よるべもなければ頼りもない、天涯孤独の身の上を尾ひれをつけて述べ立てたうえ、彼女自身の言葉をかりていえば、自分のところへ身を寄せるようにといいだした。母はありがたく礼をいいはしたものの、長いこと思いきりがつかなかった。さればといって、ほかにとるべき方法がなく、にっちもさっちもいかなくなったので、とうとうアンナ・フョードロヴナに向かって、喜んで彼女の申し出を受けるむねを答えた。わたしたちが、ペテルブルグ区からヴァシーリエフスキイ島へ引き移った朝のことを、今でもまざまざとおぼえている。それはからからに晴れた寒い秋の朝であった。母は泣いていた。わたしは気が沈んでたまらなかった。なんともいいようのない恐ろしい悩みに、胸は張り裂けそうになり、魂は押しひしがれるよう……まことに苦しいときであった………………………………………………………………………………

[#6字下げ]2
 最初わたしたちが、というのはわたしと母が、新しい住まいにまだ馴染みきれないでいるあいだは、二人ながら、アンナ・フョードロヴナのところにいるのが、妙に気づまりで、薄気味の悪いような気持ちだった。アンナ・フョードロヴナは、六丁目にある自分の持ち家に暮らしていた。その家には、さっぱりした部屋がみんなで五間《いつま》あった。その中の三つをアンナ・フョードロヴナと、わたしの従妹にあたるサーシャとが使っていた。それはこの家に養われている父も母もないみなし児であった。それから一つの部屋にはわたしたちが住み、その隣りにあるもう一つの部屋には、アンナ・フョードロヴナのもとに下宿している一人の貧乏な大学生が入っていた。名をポクローフスキイといった。アンナ・フョードロヴナはなかなか立派に暮らしていて、思ったよりは裕福らしかった。けれども、その財産状態は謎であったし、していることも曖昧だった。彼女はいつも忙しそうにして、年じゅう、なにか心配ごとのありそうな様子で、一日に何度も何度も外出した。しかし、いったいなにをしているのやら、何をやきもきしているのやら、また何のために忙しくしているのやら、わたしにはかいもく想像がつかなかった。彼女は手広く交際していて、その範囲も種々雑多であった。しょっちゅう客が出入りしていて、どういう人たちかとんと見当がつかなかったけれど、いつもなにか用事ありげにほんのちょっと坐っていくばかりであった。母は表の呼鈴が鳴るやいなや、いつもわたしを自分の部屋へ連れもどすのであった。そのため、アンナ・フョードロヴナはひどく母に腹を立てて、あんたがたはあまり気位が高すぎる、それは身分不相応な高慢というもので、なにも自慢するようなことはないではないかと、のべつ百万遍のように繰り返し、幾時間も幾時間も、とめ度がないのであった。わたしはその当時、こんなに高慢だ高慢だと責められるわけがわからなかった。それと同様に、なぜ母がアンナ・フョードロヴナと同居するのを躊躇したかというわけが、今ごろになってようやくわかって来た。すくなくとも推察することはできるのである。アンナ・フョードロヴナは腹の黒い女で、のべつわたしたちをいじめていた。いったいどういうわけで彼女がわたしたちを自分の家へ呼んだのか、それはいまだにわたしにとって謎となっている。はじめのうち、彼女はわたしたちにかなり優しくしてくれた、――が、その後わたしたちがほんとうに頼りない身の上で、どこへも行くところがないのを見抜いてしまうと、もうあけすけに自分の本性を現わしてしまった。しばらくしてから、わたしにはひどく愛想がよくなって、なんだかいやらしいほどちやほやし、おべっかまでいうようになったが、はじめはわたしも母といっしょにつらい思いをしたものである。彼女はひっきりなしにわたしたちを責めて、自分の恩をいい立てるのを仕事のようにしていた。他人に向かっては、わたしたちのことを、貧しい親戚といって紹介した。つまり、よるべのない寡婦とみなし児であるが、自分は、キリスト教徒の愛ということを考えるので、お情けに自家《うち》へ引き取ってやったのだ、と吹聴したものである。食事のときなど、わたしたちが皿からなにか一つ取るたびに目を光らせるくせに、もしわたしたちが食べないでいようものなら、またしてもうるさい文句がはじまるのである。あんたがたは家のものをいやがりなさるようだが、あまりえり好みをするものではない、わたしらは身分相応のもので満足しているけれど、あんたがたの家だってこれより立派なご馳走があるかどうか、怪しいものさ、などといった調子である。父のことなど年じゅうあしざまにいって、あの人は人よりもえらくなろうと思って、かえってつまらないことになってしまい、女房子を路頭に迷わすようなありさまだ、もしキリスト教徒らしい心を持った、同情心の深い、有徳な親戚がなかったら、往来で飢え死するような羽目になったかもしれやしない、などといいたい放題のことをしゃべり散らすのであった! それを聞いていると、つらいというよりあさましくなって来た。母はしじゅう泣いてばかりいた。母の健康は一日一日と衰えていき、目に見えて痩せ細った。でも、わたしたちは朝から晩まで働いた。注文の仕事をさがしてきて、せっせと縫い物をしたのである。それがひどく、アンナ・フョードロヴナの気に入らなかった。わたしの家は流行衣裳の仕立屋じゃありませんからね、と彼女はのべつ言い言いした。しかし、着物も作らなければならず、不時のものいりにすこしでも貯えをしておかなければならないから、自分の金を持っているということは是が非でも必要だった。わたしたちは、万一の場合のために貯金をして、やがてそのうちにどこかへ引き移ることができるだろうと、そんなことを楽しみにしていたのである。けれど、母はわずかに残っていた健康を内職仕事ですりへらしてしまった。彼女は日一日と衰えていった。病気は目に見えて、まるで虫のように彼女の命を食い破って、墓場へ引きずって行くのであった。わたしはすべてを見、すべてを感じ、すべてをわが身に受けて苦しんだ。これらのことがなにもかも、現在わたしの見ている前で展開されたのである!
 日は経っていったが、来る日も来る日も、前の日と似たりよったりであった。わたしたちはひっそりと暮らしていたので、なんだか都会に住んでいるような気がしなかった。アンナ・フョードロヴナは自分の主権を完全に意識するにしたがって、だんだんと穏やかになっていった。もっとも、彼女にさからおうなどとは、だれにもせよ夢にも考えられないのであった。わたしたちの部屋は、一筋の廊下で彼女の住まいと隔てられていたが、わたしたちの隣りには、もう前にもいったように、ポクローフスキイが住んでいた。彼はサーシャにフランス語、ドイツ語、歴史、地理、――つまり、アンナ・フョードロヴナの言葉をかりると、いっさいの学問を教えて、そのかわりに、彼女から部屋と食事をあてがわれていた。サーシャはおてんばでいたずらっ子ではあったが、たいへんさとりの早い娘であった。彼女はそのとき十三になっていた。アンナ・フョードロヴナは母に向かって、ヴァーリャは寄宿学校を卒業しなかったのだから、いっしょに勉強させたらどうだろうといった。母はよろこんで同意した。で、わたしはまる一年間、サーシャといっしょにポクローフスキイの教えを受けたのである。
 ポクローフスキイは貧しい、それこそほんとうに貧しい青年であった。彼の健康は不断の勉学を許さなかったので、わたしたちが彼のことを大学生とよんでいたのは、ただ昔からの慣わしに従ったまでである。彼はつつましやかにおとなしく、ひっそりと暮らしていたので、わたしたちの部屋からは物音一つ聞こえないくらいであった。ちょっと見たところ、とても様子がおかしかった。いかにも不器用らしい歩きかたをして、さもぎごちないお辞儀の仕方をし、妙に風変わりな話しぶりをするので、わたしははじめのうち彼を見ると笑わずにはいられなかった。サーシャはのべつ彼にいたずらをした。わけても授業中はそれがひどかった。おまけに彼は癇の強い性質で、のべつ腹を立てては、ちょっとしたつまらないことにも、前後を忘れてわたしたちをどなりつけ、わたしたちのことで不平をいい、よく授業をしさしにして、ぷりぷり怒りながら、自分の部屋へひっこんでしまうのであった。自分の部屋では、いちんち書物に向かっていた。彼はたくさんの書物を持っていたが、いずれも高価な珍しいものばかりであった。彼はまだ二、三軒、家庭教師をし、いくらかの謝礼を貰っていたので、金が手に入るが早いか、さっそく本を買いに出かけて行った。
 そのうちに、おいおいとわたしは彼を親しく知るようになった。彼はわたしの出会ったすべての人の中で、だれよりも善良な、だれよりも優れた人物であった。母もこの人を心から尊敬していた。その後、彼はわたしにとって無二の親友となった。――もちろん、母に次いでの親友なのである。
 はじめのあいだ、わたしはもう大きななりをしているくせに、サーシャといっしょになっていたずらをしていた。よくわたしたちは、どうしてポクローフスキイをからかって怒らせたものかと、幾時間も幾時間も頭をひねったものである。彼が腹を立てると、ひどく滑稽だったので、わたしたちはそれがおもしろくてたまらなかったのである(わたしはそれを思い出しただけでも恥ずかしくなる)。あるときわたしたちは何かのことで、ほとんど涙ぐまんばかり彼に腹を立てさせた。そのとき彼が、『意地の悪い子供たち』とつぶやいたのが、はっきりわたしの耳に入った。わたしは不意にどぎまぎしてしまった。恥ずかしくもあれば、悲しくもあり、また彼が気の毒にもなって来た。わたしは耳のつけ根まで赤くなって、ほとんど目に涙を浮かべんばかりにおろおろしながら、どうか気を落ちつけてもらいたい、わたしたちの愚にもつかない悪ふざけに腹を立てないでほしい、と一生懸命に頼んだけれども、彼は本をぱたりと閉じ、授業を途中でやめにして、自分の部屋へ帰ってしまった。わたしはその日いちんち後悔の念に悶え苦しんだ。わたしたちみたいな子供があんな残酷なことをして、あの人を泣かんばかりに怒らせたのだと思うと、わたしは矢も楯もたまらなかった。つまり、わたしたちは彼の涙を待ちもうけていたのだ、つまり、わたしたちはそれを望んでいたのだ、つまり、わたしたちはまんまと彼の堪忍袋の緒を切らさしたのだ! つまり、わたしたちはあの不幸な貧しい人に、自分の苦しい運命を無理やり思い出させたのだ! わたしはいまいましさと、わびしさと、慚愧の念のために、ひと晩じゅうまんじりともしなかった。悔悟はこころをやわらげるというが、それは反対である。どうしてわたしの悲しみに自尊心までが混りこんだのか、自分でもわからない。わたしは彼に子供扱いをしてもらいたくなかった。そのときわたしは十五になっていたのである。
 その日からというもの、どうかしてポクローフスキイがわたしに対する意見を突如として一変するように仕向けたいものと、数限りない計画を立てながら、さまざまに心を砕きはじめた。けれども、わたしはどうかすると臆病で、内気になるのであった。こういう立場におかれると、わたしはなにひとつ思いきったことができなくなり、ただ空想にとどまっているばかりであった。(が、それはどんな空想だったろう!)しかし、サーシャと悪ふざけをすることだけはやめてしまった。彼もわたしたちに腹を立てなくなったが、わたしの自負心はそれだけでは承知できなかった。
 ここでわたしは、今まで見たすべての人の中でもっとも不思議な、もっとも興味のある、もっとも哀れな一人の人間について、数言を費しておこう。わたしが今ここでこの人物のことをいいだしたのは、ほかでもない、今まで彼にほとんどなんの注意も払っていなかったからである。つまり、ポクローフスキイに関係のあるすべてのことが、突然わたしの注意をひきはじめたのだ! わたしたちの家へは、ときどき一人の老人が姿を見せた。よごれたひどい着物を着た、小さな体でしらが頭の、鈍重な、ぎごちない、ひと口にいえば、なんともいいようのないほど奇妙な老人なのである。一見したところ、何かを恥じているのではないか、自分自身をきまり悪がっているのではないか、というふうにも考えられるのであった。そのために、彼はいつも妙に身をちぢめて、体をくねくねさせていた。そういった変な身ぶり、手真似を見ると、これはたしかに気が変なのに相違ないと、ほとんど誤りなしに断言できるほどであった。よくわたしたちの家へ来ても、玄関のガラス戸のそばに立ったまま、家の中へ入るのをはばかっている様子だった。そのとき、わたしなり、サーシャなり、彼に好意を持っているのがわかっている召使なり、だれなりとそばを通りかかるものがあると、彼はさっそく手を振って、自分のそばへ呼び招き、さまざまな手真似をして見せたあげく、家にはだれも遠慮なものはいないから、勝手に入ってかまわないというしるしに、相手が頭を振って招き入れるようにすると、老人ははじめてそろそろと戸をあけ、さも嬉しそうににこにこして、満足のあまり揉み手をしながら、爪立ちで真っすぐにポクローフスキイの部屋に通って行った。それが彼の父親なのである。
 その後、わたしはこの哀れな老人の身の上を残らず詳細に知った。彼はかつてどこかに勤めていたが、まるっきり能のない人間なので、いちばん低い位置に置かれ、いちばんつまらない仕事をしていた。先妻(大学生ポクローフスキイの母)が死んだとき、彼は再婚しようという気をおこして、町人出の女をめとった。新しい細君が来ると、家の中はすっかりどんでん返しになってしまった。だれも彼も、この女のために生きている空もないありさまであった。彼女はみんなをすっかり手玉に取ったのである。大学生のポクローフスキイは、そのころまだ十歳ばかり、ほんの子供であった。継母は彼を憎んだが、幼いポクローフスキイのために、運命の神が救助の手をさしのべた。官吏であった父ポクローフスキイの知人であり、かつては恩人であったブイコフという地主が、幼い子供を引き取って世話をすることになり、どこかの学校へ入れてやった。彼がこの子に興味を持ったのは、亡くなった母親を知っていたからである。彼女は、まだ娘時分にアンナ・フョードロヴナの世話になり、その肝いりで、官吏ポクローフスキイのところへ嫁入ったのである。アンナ・フョードロヴナの親しい知己であり、友達であるブイコフ氏は、寛大心にかられて、五千ルーブリという持参金を花嫁に持たせてやった。その金がどこへどうなったかはわからない。アンナ・フョードロヴナがこんなふうに話して聞かせてくれたのである。当の大学生のポクローフスキイは、いっさい自分の家庭内の事情を口にするのを好まなかった。人の話によると、彼の母親は非常な美人だったそうで、なぜ彼女がああいうつまらない人間と結婚するようなまずいことをしたのか。わたしは不思議でしょうがない……彼女は結婚後四年ばかしで、まだ若いさかりに死んでしまった。
 小学校を出ると、若いポクローフスキイはどこかの中学校に入り、それから大学へ進んだ。ブイコフ氏はしょっちゅうペテルブルグヘ出ていたので、ここでも引き続き彼の世話をしていた。ポクローフスキイは健康を害したため、大学で勉強を続けることができなくなった。ブイコフ氏は彼をアンナ・フョードロヴナに紹介した。自分でわざわざ紹介したのである。こうして、若いポクローフスキイは、サーシャに必要ないっさいの授業をしてやるという条件で、この家へ食客に住みこんだのであった。
 一方、ポクローフスキイ老人は、非道な細君にいびられるために、なによりたちの悪い道楽に身を持ちくずし、ほとんど年じゅう酒びたりになっていた。細君は彼を打擲《ちょうちゃく》し、台所へ追いやってそこで暮らさした。とどのつまり、彼は細君の折檻にも、非道なあしらいにも馴れっこになって、愚痴ひとつこぼさないようになってしまった。まださほどよぼよぼの老人でもなかったが、不節制のために、ほとんどぼけてしまっていた。彼の内部に残っていた人間らしい高潔な感情の唯一の徴候は、わが子に対する限りない愛情であった。話によると、若いポクローフスキイは、亡くなった母親に瓜二つだそうである。優しかった先妻の思い出が、滅びつくした老人の心に、こうした限りない愛情を生みだしたのではあるまいか? 老人は息子のことよりほかには、なにひとつ話すこともできなかった。そして、しじゅうきまって週に二回ずつ彼を訪れるのであった、それより以上、足繁くやって来るのをはばかった。というのは、若いポクローフスキイが父の訪問をひどくいやがったからである。彼の持っているすべての欠点の中で、もっとも重大なものとして第一にあげなければならないことは、この父親に対する軽蔑であるのはいうまでもない。もっとも、老人のほうもどうかすると、この世でこれほどいやな、やりきれない人間はないと思われることもあった。だいいち、彼はおそろしく好奇心が強かったし、第二には、思いきってくだらない辻つまの合わぬ話や質問で、しじゅう息子の勉強の邪魔をしたからであり、また最後に、どうかすると酒気をおびてやって来るのであった。息子はすこしずつ老人を感化して、さまざまな悪癖や、つまらぬ好奇心や、とめ度のない饒舌を矯正していき、ついには父親が彼の言葉を神の託宣のように傾聴して、その許しがなければ口も開かないように、仕込んだのである。
 哀れな老人は自分のペーチンカ(彼は息子をそう呼んでいた)に驚嘆し、嬉しくて嬉しくてたまらないのであった。息子のところへ訪ねて来るときは、ほとんどいつも、妙に心配らしいおどおどした顔つきをしていた。おそらく、息子がどんなふうに自分を迎えてくれるか、わからないからであろう。いつもたいてい、長いこと内へ入るのを躊躇していた。たまたまわたしがそこに居合わせると、彼はものの二十分ばかりも、ペーチンカの様子はどんなふうか? 体の具合はいいだろうか? 機嫌はいいかどうか、なにか大事な仕事をしてはいないだろうか? いったいどんなことをやっているのか? 書きものでもしているか、本でも読んでいるか、それともなにか考えごとでもしているだろうか? などと根掘り葉掘りするのであった。わたしが彼を元気づけてすっかり安心させてやると、老人はやっとのことで、入って行くことに腹を決め、そろりそろりと用心ぶかく戸を開き、はじめまず頭だけ突っこんでみる。息子が、べつに腹を立てないでうなずいて見せると、彼はそっと部屋へ入って、外套と帽子、――これはいつも揉みくたになっていて、穴だらけで鍔《つば》が取れかかっているのだが、――これらのものを脱いで釘にかける。すべて静かに音のしないようにやるのである。それから、どこかのいすに注意ぶかく腰をおろし、息子から寸時も目を離さず、ペーチンカの機嫌がどんなふうか推察しようとして、その一挙一動をものがさない。もし息子がちょっとでも機嫌を悪くしており、老人がそれに気づくと、彼はすぐさま席を立って、『わしはな、ペーチンカ、ただほんのちょっと寄ってみただけなんだよ、わたしは遠道を歩いて、ちょうどそばを通りかかったもんだから、ちょっと休ませてもらおうと思って寄ったんだよ』といいわけして、さて無言のままおとなしく例の外套と帽子をとり、またもやそろっと戸をあけて、胸の中にこみあげてくる悲しみをおさえて、それを息子には取られまいと、しいて作り笑いをしながら立ち去るのであった。
 しかし、息子がこころよく父を迎え入れるようなときには、老人は嬉しさのあまり有頂天であった。満足の情がその顔にも、身ぶりにも、全体の動作にも、しぜんと顔をのぞけるのであった。もし息子がなにか話しかけようものなら、老人はいつでも体をすこしいすから浮かして、小さな声でうやうやしく、ほとんど卑屈なくらい丁寧に返事をして、かならずえり抜きの言葉づかい、――というのは、滑稽きわまるいいまわしをしようと、大わらわであった。しかし、彼は弁口の才を賦与されていなかった。いつもおどおどして、まごついてしまい、手の置き場はおろか、身の置き場さえわからないようになり、その後でいつまでも口の中で返事の文句をつぶやいていたが、それはまるで、自分の言葉を訂正しようとでもする様子であった。もしうまく返事ができると、老人は気取った恰好をして、チョッキや、ネクタイや、上衣などを直して、自分の品位を見せるのであった。ときによると、すっかり元気づいて、大胆になり、いすからそっと立ちあがって本棚に近寄り、なにかその中の一冊を手に取って、その本がなんであろうとおかまいなく、その場で、なにか読んで見るような真似までした。しかもそれをするのに、自分はまるでいつも息子の書物を勝手にいじることができるので、息子の愛想がいいのはべつに珍しいことではない、とでもいいたそうに、わざとらしく無関心な、冷淡な態度をとるのであった。しかし、わたしはあるとき偶然、ポクローフスキイが父に向かって、本にさわらないでくれといったときに、哀れな父親がすっかりどぎまぎしてしまったのを、現に自分で見たことがある。彼はまごまごしてあわてふためき、本をさかさにして棚へ戻した。それから、失策を正そうとして本をひっくりかえすと、今度は背と反対のほうをこちらへ向けてしまった。彼は真っ赤になってにやにや笑うだけで、どうして自分の罪をつぐなったらいいか、わからないのであった。ポクローフスキイはしじゅう父親に意見して、その悪癖をだんだんと矯正していった。三度ほどつづけてしらふでいるところを見たら、別れぎわに二十五コペイカか、五十コペイカか、ときにはそれ以上の金を父親に握らしてやった。ときには靴だの、ネクタイだの、チョッキだの買ってやることもあった。そのかわり、老人はそういう新調の品を身につけると、まるで雄鶏のように得々然としていた。ときどき彼はわたしたちの部屋にもやって来た。わたしとサーシャに鶏の形をした生姜餅や、りんごなどを持って来て、わたしたちを相手にのべつペーチンカの話ばかりした。どうかまじめに勉強して、よくいうことを聞くようにとわたしたちに頼みこみ、ペーチンカは善い息子だ、人の手本になるような息子だ、そのうえおまけに学問のある息子だ、と言い言いした。そういいながら、彼はいかにもおかしな顔つきで、左の目をぱちぱちとさせ、なんともいえないおもしろい顔つきをして見せたので、わたしたちは我慢しきれなくなり、腹の底からきゃっきゃっと笑いくずれたものである。母は彼をほんとうに好いていた。老人はアンナ・フョードロヴナを憎んでいたが、そのくせ彼女の前へ出ると小さくなって、ぐうの音も出ないのであった。
 そのうちに間もなく、わたしはポクローフスキイの授業を受けることをやめてしまった。彼は相変わらずわたしを子供扱いにして、サーシャと同列のおてんばのように考えていた。わたしは以前の行状を直そうと懸命に努めていたので、彼のそうした態度がつらくてたまらなかった。けれども、わたしは無視されていた。そのために、わたしはしだいにいらいらしてきた。わたしは教室外でほとんど一度もポクローフスキイと話をしたことがなく、それにまた話すこともできなかった。ただどぎまぎしてあかくなり、そのあとでどこかの隅っこへ行って、いまいましさに泣きだすのであった。
 それがどんな結末をつけることやら、見当もつかなかったが、ある奇妙な偶然が、わたしたちの接近を助けることになった。ある日の夕方のこと、母がアンナ・フョードロヴナのところに坐りこんでいる間に、わたしはそっとポクローフスキイの部屋に入って行った。彼が留守のことを知っていながら、どうして彼の部屋へ入って行く気になったのか、まったく自分ながらわけがわからないほどである。わたしたちはもう一年からうえ、隣り同士の部屋に住んでいたのに、それまでわたしは一度も彼の部屋を覗いてみたことがなかった。そのときわたしの心臓はどきどきと激しく鼓動して、今にも胸から飛び出すかと思われるばかりであった。わたしは一種特別な好奇心をもって、あたりを見まわした。ポクローフスキイの部屋の装飾はひどく貧しいもので、全体がごたごたしていた。壁には五段の長い書棚がとりつけられていた。テーブルの上にもいすの上にも紙がのっていた。書物と紙! 不思議な想念が頭に浮かんだが、それと同時に、不快ないまわしい感じが心を領した。わたしの友情やわたしの愛する心だけでは、彼にとってもの足りないのだ、といったような気がしたのである。あの人は学者なのに、わたしはばかな娘で、なんにも知らず、なにも読んでいない、一冊の本も読んでいないのだ……そう思って、わたしは羨望の念をいだきながら、本のぎっしりつまっている長い棚を見やった。いまいましさ、悩ましさ、それになにかしらもの狂おしい気持ちがわたしをとらえた。わたしは、彼の持っている本をみんな一つ残らず読んでしまいたい、すこしも早く読みつくしたいという慾望を感じ、即座にそれを実行しようと決心した。よくはわからないけれども、彼の知っていることをすっかり習いおぼえたら、その友情に価する女になれるだろう、とこんなふうに考えたのかもしれない。わたしはいきなり、手近な書棚へ飛んで行った。なんの考えもなく、足をとめようともせず、手当たりしだいの本を、一冊つかみ出した。それは埃まみれになった、古い一巻であった。あかくなったりあおくなったりして、胸騒ぎと恐ろしさに慄えながら、夜、母が寝入ったら夜間燈の光で読もうと腹をきめて、書物を自分の部屋へこっそり持って帰った。
 けれども、わたしのいまいましさはどんなだったろう。部屋へ帰っていそいそと書物をひらいてみると、それは一面しみに食われて、半分くさったような古いラテン語の本であった。わたしは時を移さず引っ返した。本を棚にもどそうとしたとたんに、廊下で物音がして、だれやら近づいて来る足音が聞こえた。わたしはあわてて急ぎだしたが、このいまいましい書物は、ぎっしりとほかの書物に挟まれていたので、わたしがその一冊を抜き取ったとき、残りの書物が全部ひとりでに拡がって、ぴったり隙間をふさいでしまったので、いまはもとの仲間を入れる余地がなくなってしまったのである。その書物を押しこむだけの力が、わたしにはなかった。でも、ありったけの力をこめて、棚の本をぐっと押した。すると、棚を支えていた錆釘が、いまにも折れてやろうと、わざわざこの刹那を待ちかまえていたように、他愛なく折れてしまったのである。棚の一方の端がどしんと落ちた。書物は騒々しい音を立てて床に飛び散った。扉が開いて、ポクローフスキイが部屋に入って来た。
 ことわっておくが、彼は、だれにもせよ、他人が自分の部屋で主人顔をするのを、我慢できないたちであった。彼の書物に手を触れた人間は、それこそどんな目にあうかわからないのだ! ありとあらゆる型をした、大小も厚さも種々さまざまな書物が棚からどっと落ちて、けし飛び、テーブルやいすの下、部屋いっぱいにはねちったとき、わたしの恐ろしさはどんなであったか、ご想像を願いたい。わたしは、逃げだそうとしたけれど、もう遅かった。『おしまいだ』とわたしは思った。『いよいよおしまいだ! わたしはだめになった、身の破滅だ! 十やそこいらの子供みたいに悪ふざけをしたのだ、おてんばが過ぎたのだ。わたしはばかな小娘だ! 大きな大ばか娘だ!』
 ポクローフスキイは、かんかんになって腹を立てた。『ちぇっ、まだこんなことまでしでかすなんて!』と彼は叫んだ。『こんないたずらをして、いったい恥ずかしくないんですか!………いつになったらすこしおとなしくなるんです?』そういって、自分で本を拾い集めにかかった。わたしはそれを手伝おうと身をかがめた。『いいです、いいです』と彼は叫んだ。『それよりか、頼まれもしないところへ入りこまないようにしてもらいたいもんですね』こうはいったものの、わたしの従順な態度にやや心をやわらげて、今度はもう静かに言葉をつづけたが、教師の権利を利用して、ついこのあいだまでの教訓めいた調子であった。『ねえ、いったいあなたはいつになったら大人になるんです、いつになったら考えがつくんです? まあ、自分の様子を見てごらんなさい。だって、あなたはもう赤ちゃんじゃないでしょう、ちっちゃな子供とは違うでしょう。あなたはもう十五になるんじゃありませんか!』こういいながら、おそらくほんとうに自分のいったとおり、わたしがもうちっちゃな子供でないかどうか確かめるらしく、ちらとわたしを見たかと思うと、耳のつけ根まで真っ赤になった。わたしは、わけがわからず、彼の前に立ったまま、びっくりして目を皿のようにして、相手を見つめた。彼は立ちあがって、もじもじした様子でわたしのそばへ寄り、ひどくまごつきながら、何かいい出した。なにやら謝っているらしかったが、たぶんわたしがこんな大きな娘であることに、今はじめて気がついたのを、申しわけなく思ったのであろう。そのうちに、ようやくわたしも合点がいった。そのときわたしは、自分がどうなったのかまるでおぼえがない。わたしはどぎまぎしてとほうにくれ、ポクローフスキイよりもっとあかくなった。わたしは両手で顔を隠すなり、部屋の外へ駆けだした。
 わたしはこのうえどうしたらいいのかわからず、恥ずかしさに身の置き場も知らなかった。彼の部屋にいるところを見つかったということだけでも、顔から火が出る思いであった! まる三日間というもの、彼の顔を見ることもできなかった。わたしは涙の出るほど赤面した。思いきって恐ろしい考えと、同時に滑稽きわまる考えが、わたしの頭を渦巻いていた。中でも、飛び離れてばかばかしいのは、彼のところへ行ってすっかり話し合い、なにもかも包みかくさずうち明けたすえ、わたしがあんなことをしたのは、小娘で考えが足りなかったからではなく、いいことがしたかったためであることを説明しよう、とこんなふうに考えたことである。わたしはすんでのことで、思いきって出かけようとしたが、いいあんばいに、それだけの勇気がなかった。もしそんな真似をしたら、どんなことになったか、思いやるだにぞっとする! いまでも、わたしはそれを思い出すと、気恥ずかしいくらいである。
 それから二、三日たって、母が急に危篤になった。もう二日ばかり床を離れないでいたのが、三日目の夜に熱が高くなり、うわごとをいいだしたのである。わたしはもうまるひと晩、母の看病をして、まんじりともしなかった。枕もとに坐って飲みものを与えたり、きまりきまりの時間に薬をすすめたりした。二日目の晩には、わたしもへとへとに疲れてしまった。ときおり眠けがさして来て、目の前がぼうと青く霞み、目がまわってきた。わたしは今にも疲労のあまり倒れそうになったが、母の弱々しい呻き声にわれに返って、ぶるぶると身ぶるいしながら、ちょっとつかの間、目をさました。けれど、やがてまた睡魔のとりこになった。わたしは苦しんだ。自分でもよくわからないし、はっきり思い出すこともできないが、眠けと闘っている悩ましい瞬間に、なにかしら恐ろしい夢や幻が、わたしの乱れた頭を訪れるのであった。わたしはぞっとして目をさました。部屋の中は薄暗くて、夜間燈は今にも消えそうになり、幾筋かの光が突然ぱっと部屋じゅうに射すかと思うと、今度はおぼつかなげに壁の上をちらちらして、やがてすっかり消えてしまう。わたしはなぜか恐ろしくなった。えたいの知れない恐怖がおそって来るのであった。わたしの想像は恐ろしい夢のために掻き立てられ、胸は哀愁に締めつけられた……わたしはいすから跳びあがると、一種悩ましい、恐ろしいほど胸苦しい感じに駆られて、思わずきゃっと叫び声を上げた。そのとき、扉があいて、ポクローフスキイが部屋の中へ入って来た。 わたしは、彼の腕の中でわれに返ったのをおぼえているだけである。彼はそっとわたしを肘掛けいすの上にのせ、水を一杯持って来たのち、あとからあとからと質問の雨を降らせた。わたしは彼になんと答えたかおぼえがない。『あなたは病気なんです。あなた自身ひどい病気にかかっているのです』と彼はわたしの手をとってそういった。『あなたは熱がありますよ、それじゃ自分で自分を台なしにしてしまいます、あなたは自分の体をかまわなさすぎます。さあ、気を落ちつけて、横におなんなさい、そして、すこしおやすみなさい。二時間たったらおこして上げるから、すこし静かにしていらっしゃい……さあ、横におなりなさい、横におなりなさいったら!』と彼はわたしにひとことも言葉を返させないで、こんなふうにいいつづけた。疲労がわたしの最後の力を奪ったのである。わたしはぐったりして、瞼がひとりでにふさがった。ちょっと三十分ばかり眠ろうと腹を決めて、肘掛けいすにもたれたかと思うと、朝までぐっすり寝てしまった。ポクローフスキイは、母に薬を飲ませる時間になって、はじめてわたしを呼びおこした。
 翌日、わたしは昼のあいだにちょっと休息して、今度こそは居眠りをすまいとかたく決心し、ふたたび母の枕もとに坐ろうとした。すると、十一時ごろに、ポクローフスキイが入口の扉を叩いた。わたしが戸を開くと、『あなた、一人きりで坐っていると退屈でしょう』と彼はいった。『さあ、この本を貸してあげましょう、読んでごらんなさい。なんといっても、さほど退屈でなくなりましょうよ』わたしは受け取った。どんな書物だったか、今ではおぼえがない。わたしはその晩、夜っぴて眠らなかったけれども、ほとんどその本をのぞいても見なかったような気がする。不思議な胸騒ぎのために眠れなかったのである。わたしは一つところにじっとしていられなかった。幾度も肘掛けいすから立ちあがっては、部屋の中を歩きだした。一種の精神的な満足感がわたしの全身にみなぎっていた。ポクローフスキイがこんなにまで気をつけてくれるのが嬉しかった。彼がわたしのことを心配して、こころづかいを見せてくれるのを誇らしく感じた。わたしは夜っぴてあれこれと考えつづけ、空想にふけった。ポクローフスキイはそれきり顔をのぞけなかった。わたしも彼の来ないことがわかっていたので、あくる晩のことをいろいろ想像してみた。
 その次の晩、家の者がみんな寝静まったとき、ポクローフスキイは自分の部屋の戸をあけて、しきいぎわに立ったままわたしと話をはじめた。そのとき、二人がたがいにどんな話をしたか、今ではひとこともおぼえていない。ただ記憶しているのは、わたしがおどおどしたり、まごついたり、自分で自分をいまいましく思ったりしながら、ひたすら話が終わるのを待ちこがれていたことばかりである。そのくせ自分ではさし向かいの話を望んでいて、まる一日そのことばかり空想しながら、問いや答えをあらかじめこしらえておいたのである……この晩から、わたしたちの友情の最初の絆が結ばれた。母の病中ずっととおして、わたしたちは毎晩、幾時間かをともに過ごした。わたしはだんだんと自分の内気な性質を克服していったけれども、いつも別れたあとでは、なにかしら自分で自分に不満を覚え、われながら腹立たしくなるのであった。とはいうものの、わたしのために彼があのいまいましい書物のことを忘れがちなのを見て、わたしは秘かな喜びと誇らしい満足を感じた。あるとき、たまたま冗談半分に、例の書物が棚から落ちたときのことに話が移っていった。それは不思議な一瞬であった、わたしはどうしたものか、あまりにも[#「あまりにも」に傍点]率直な、まっ正直な気持ちになっていたのである。熱情と、不思議な感激につられて、わたしは彼になにもかも白状してしまった。……勉強して、なにやかや知りたいと思ったこと、いつまでも子供扱いにされるのがいまいましかったこと、などをうち明けた……繰り返していうが、わたしはじつに妙な気分になっていたのである。心がやわらいで、目には涙が浮かんでいた。――わたしはなにひとつ包み隠しをせず、すっかりなにからなにまで話してしまった、――彼に対するわたしの友情から、彼を愛し、彼と心を一つにして暮らし、彼を慰め落ちつかせたいという願望に至るまで、残らず話してしまった。彼はなんとなく驚きまごついた様子で、妙なふうにわたしを見つめたが、ひとこともものはいわなかった。わたしは突然、いいようもなく、苦しくもの悲しい気持ちになった。わたしは彼に理解されないでいるような気がした、もしかしたら笑われているのではないか、と思った。わたしはふいに子供のように泣きだした。と思うと、しゃくり泣きになってきて、どうしても止めることができなかった。それはまるでなにかの発作みたいであった。彼はわたしの両手をとって接吻し、自分の胸にひしと押し当てた。そして、なだめたり慰めたりするのであった。彼はひどく感動していた。そのとき、彼がなんといったかおぼえていないけれども、わたしはただ泣いたり笑ったり、また泣きだしたり、顔をあからめたりするばかりで、嬉しさのあまりひとことも口がきけなかった。しかし、わたしは興奮してはいたものの、ポクローフスキイの態度に、やはりなにか当惑したような、わざとらしいところがあるのに気づいた。どうやら彼は、わたしが前後を忘れて有頂天になり、とつぜん焙のように熱烈な友情を吐露したのに、あきれかえっていたらしい。もしかしたら、彼ははじめ好奇心をよびおこされただけかもしれない。けれども、のちになって、その煮えきらない様子は消え失せた。彼はわたしと同じような単純率直な心持ちで、わたしの愛情や、わたしの歓迎の言葉、わたしの注意を受けいれてくれ、真の友達として、また肉親の同胞として、同じような注意と友情をもってこたえてくれるようになった。わたしの心は温く楽しかった……わたしはなにひとつ包み隠しをしなかった。彼もすっかりそれを見抜いて、日一日とわたしに愛着を増していくのであった。
 こうした悩ましい、しかも同時に楽しい夜のあいびきのとき、不仕合わせな病める母の枕もとで、震えおののく燈明の光に照らされながら、わたしたち二人がどんなことを語り合ったか、まったくのところ、よくはおぼえていない……頭に浮かんでくること、胸からほとばしり出ること、自然に口をついて出る言葉、そんなことを語り合うわたしたちは、ほとんど幸福だったということができよう……おお、それはわびしくも喜ばしい時代であった。――なにもかもいっしょくたで、いまこの時分のことを思いおこすと、わたしは悲しくもあれば喜ばしくもなって来る。思い出というものは、嬉しいことであれ、悲しいことであれ、つねに悩ましいものである。すくなくとも、わたしはそうなのである。けれど、この悩ましさも、甘い味わいがするのだ。心が重苦しく、やるせなく沈んでくるとき、思い出は気分をすがすがしくさせ、よみがえらせてくれる。それは苦熱の一日が終わったのち、しっとりとした夕方が来て、日中の炎天に焼かれた哀れな弱々しい花が、露のしずくによみがえるようなものである。
 母は快方に向かったが、わたしはいつまでも、夜な夜なその枕べに付き添っていた。ポクローフスキイはしょっちゅうわたしに本を持って来てくれた。はじめわたしは居眠りをしないために読んでいたが、やがてしだいに注意をこめるようになり、ついにはむさぼり読むようになった。今まで想像もしなかった新しい未知のものが、突如として数限りなくわたしの眼前に開けて来た。新しい思想、新しい印象が、一度にどっと奔流のようにわたしの心に流れこんだ。新しい印象を受けいれるのに、興奮と、困惑と、努力とを要すれば要するほど、わたしの魂はますます震撼を感ずるのであった。それらの印象はわたしの心に息つく暇も与えず、一時にとつぜん群れをなして乱れ入った。一種不思議な混沌としたものが、わたしの全存在を掻き乱しはじめた。けれども、この精神的な強制は、わたしを完全に混乱させることはできなかったし、またその力もなかった。わたしはあまりに空想的だったので、それがわたしを救ったのである。
 母の病気がいよいよ平癒したとき、わたしたちの夜のあいびきも長いお話も、うち切りとなった。わたしたちはほんのときどき、言葉をかわすことしかできなかった。それはたいていつまらない、たいして意味のないような言葉にすぎなかったが、わたしはそれらのすべてに独自の意味をつけ、一人合点の価値を与えるのが楽しかった。わたしの生活は充実し、わたしは幸福だった。それは穏かに静かな幸福だった。こうして幾週間か過ぎた……
 あるとき、わたしたちのところヘポクローフスキイ老人が入って来た。彼は長いことわたしたちを相手におしゃべりをしたが、いつになく浮き浮きとして、元気で口まめだった。笑ったり、自己流の洒落をいったりしたあげく、とうとう自分の有頂天になっている謎を解いて聞かせた。彼の説明によると、かっきり一週間たつとペーチンカの誕生日が来るので、そのときにはきっと息子のところへやって来る、そして新しいチョッキを着用するばかりでなく、細君も彼に新しい靴を買うように約束したとのことである。ひと口にいえば、老人はすっかり幸福な気分になりきって、頭に浮かんで来ることを、一つ残さずしゃべり立てるのであった。
 彼の誕生日! この誕生日は昼も夜もわたしを落ちつかせてくれなかった。わたしは、ぜひともポクローフスキイに自分の友情を証明して、何か贈り物をしようと決心した。が、何を贈ったものだろう? とどのつまり、わたしは書物を贈ろうと考えついた。彼が最新版のプーシキン全集をほしがっているのを知っていたので、プーシキンを買うことに腹を決めた。わたしの手もとには、内職で儲けた自分のお金が三十ルーブリばかりあった。このお金は、新しい着物を買うために取っておいたものである。さっそくわたしは、年取った台所女のマトリョーナを使いに出して、プーシキン全集がどれくらいするか尋ねにやった。すると困ったことには、全十一巻の定価は装幀料をも含めて、すくなくとも六十ルーブリはするとのことであった。どこからそんな金を手に入れよう? わたしは思案に思案を重ねたが、さてどうしたらいいかわからなかった。母に頼むのは気が進まなかった。もちろん、母はかならず手伝ってくれるに違いないけれど、そうすれば家じゅうのものがこの贈り物のことを知ってしまう。のみならず、この贈り物は、ポクローフスキイがまる一年間骨折ってくれた謝礼ということになってしまう。ところが、わたしはみんなに内緒で、一人で贈り物がしたかったのである。彼の骨折に対しては、わたしは自分の友情以外いっさい謝礼などしないで、永久に恩に着たかったのである。とうとう、わたしはこの窮境を切り抜ける方法を考え出した。
 勧工場《ゴスチーヌイ・ドヴォール》の古本屋では、うまく交渉さえすれば、どうかするとあまり使わない、ほとんど真新しい本を半値で買えるということを、わたしは知っていた。で、ぜひとも勧工場へ行こうと腹を決めた。偶然ことはとんとん拍子にいった。その翌日は、わたしたちのほうでも、アンナ・フョードロヴナのほうでも、そとへ出なければならない用事ができたが、母は加減がすぐれなかったし、アンナ・フョードロヴナは、いいあんばいに不精をきめこんだので、いっさいの使いがわたし一人に押しつけられたのである。で、わたしはマトリョーナといっしょに出かけた。
 さいわいにも、わたしはさっそくプーシキンを見つけた。しかも、きわめて美しい装幀の本であった。そこで、値段のかけあいをはじめた。はじめは普通の本屋よりも高くふっかけたが、やがてわたしが幾度も出て行く真似をして主人を吊ったので、たいした骨も折らずにうんと値引きさせ、結局、銀貨十ルーブリだけでいいということになった。この駆けひきが、わたしには愉快でたまらなかった!………かわいそうなマトリョーナは、いったいこの人はどうしたのだろうとあきれかえり、なんのためにこんなにたくさんの本を買う気になったのか、合点がいかないのであった。けれども、なんとしよう! わたしの全財産は紙幣で三十ルーブリだけであった。しかも、古本屋はそれより一コペイカも負けようとしなかった。そこで、わたしはさんざん頼んで、とうとう拝み倒しに成功した。彼は値引きを承知したが、しかしそれはただの二ルーブリ半であった。しかも、あなたがかわいいお嬢さんだから、これだけの値引きも承知したので、ほかの人だったら金輪際まけるところではなかったのだ、と一生懸命になって口説き立てた。しかし、その二ルーブリ半が足りないのであった! わたしはくやしさに泣きだしそうになった。けれども、まったく思いがけない事情が、わたしをこの悲しみから救いだしてくれた。
 わたしのいるところから、あまり遠くない別の本屋の前に、ふとポクローフスキイ老人を見かけた。そのまわりには、四、五人の古本屋が集まっていた。彼らは老人をすっかりまごつかせ、とほうにくれさせてしまったのである。一人一人のものが自分の商品をすすめたが、そのすすめる本が種種まちまちで、しかも老人はどれもこれも買いたいのであった! 哀れな老人は妙にしょんぼりと彼らのあいだにたたずんで、すすめられる書物のどれに手を出していいのかわからないでいた。わたしはそのそばに寄って、ここで何をしているのかとたずねた。老人はわたしを見てひどく喜んだ。彼はわたしを夢中になるほど愛していた、それはペーチンカを愛する気持ちにも劣らないくらいだったかもしれない。『いや、なに、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ、本を買っているところなんで』と彼は答えた。『ペーチンカに本を買ってやろうと思って。もうやがて間もなくあれの誕生日が来るが、あれは本が好きなんでね、わしはあれのためにその本を買っているところなんで……』老人はいつもおかしなもののいいかたをしていたが、いまはそのうえにおそろしく狼狽しているのであった。どの本に当たってみても、みな銀貨で一ルーブリ、二ルーブリ、三ルーブリというのばかりであった。そこで彼は、もう大きな本の値を聞こうともせず、ただうらやましそうにちょっと眺めて、ぱらぱらとページをめくり、手の中でひねくりまわして、またもとの場所へもどすのであった。『だめだ、だめだ、これは高すぎる』と彼は、小声でいった。『まあ、こっちのほうからなにか一つ』といいながら、彼は薄っぺらなパンフレットや、唱歌集や、文集などをひねくりはじめた。それはみんなひどい安物ばかりだった。『まあ、なんだってこんなものを買おうとなさるんですの』とわたしは問いかけた。『みんなひどいやくざな本ばかりじゃありませんか』『ああ、そうじゃない』と彼は答えた。『そんなことはないよ、まあ、よく見てごらん、ここにはなかなかいい本があるから、とてもいい本があるから!』この最後の言葉を彼はさも哀れっぽくいって、歌でもうたうように言葉じりを引いた。それは、なぜよい本は高いのだろうと、いまいましさに泣きだしかねない様子に見受けられた。いまにもひとしずくの涙が、あおざめた頬から赤い鼻にしたたり落ちんばかりであった。わたしは彼に、どれだけお金を持っているかとたずねた。『さあ、それなんですよ』こういって哀れな老人は油じみた新聞紙にくるんだ金を、ありったけ取り出した。『これが五十コペイカ、これが二十コペイカ、それから銅銭が二十』わたしはいきなり彼を、自分の本屋へ引っ張って行った。『ほら、十一冊も揃った本がみんなで三十二ルーブリと五十コペイカなんですよ、わたしが三十ルーブリ持っていますから、それに二ルーブリと五十コペイカ足してくださいな。わたしたち二人でこの本をすっかり買い取って、いっしょに贈り物にしようじゃありませんか』老人は喜びに有頂天になって、自分の金をありったけさらけ出した。古本屋はこの二人共同の全集を、ぜんぶ彼に持たせた。老人はポケットというポケットにその本を突っこんだうえ、両手にも持ち、脇の下にもかかえて、あすはそっと内緒で、全部の本をわたしのところへ持って来ると約束したのち、自分の家へ持って帰った。
 あくる日、老人は息子のところへ来た。例によって、一時間ばかり息子の部屋ですごしたのち、わたしたちの部屋へやって来て、このうえもなく滑稽な秘密めかしい顔つきで、わたしのそばへ腰をおろした。まずはじめ微笑を浮かべて、自分がある秘密の持ち主だという誇らしい満足感に両手を摺り合わせながら、本はすっかり完全に目立たぬようこっちへ運んで来て、台所の片隅でマトリョーナの監視のもとに置かれていると、わたしに報告するのであった。それから話題は自然の順序として、一同の待ちこがれているお祝いのことに移っていった。やがて、老人は何をめいめいが贈り物にするかということを、くどくどと話しはじめた。彼がこの問題に深入りして、その話をすればするほど、彼の胸にはなにか一物があって、当人はそれをいいだせずにいる、その勇気がないどころか、むしろ恐れてさえいるということが、だんだん目について来るのであった。わたしはじっと押し黙って待ちもうけていた。今までわたしが彼の奇妙な身ぶり、手真似、しかめ顔、左の目をぱちつかせる癖などの中に、たやすく読み取っていた内心の喜びや、秘密の満足は、すっかり消え失せていた。彼は一刻ごとに、いよいよ不安になり、悩ましげになっていった。ついに彼はこらえきれなくなった。
『ときに』と彼はおずおずと小声にきり出した。『ときに、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ……どうでしょう、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ?………』老人はおそろしくまごついていた。
『ねえ、いよいよあれの誕生日が来たら、あの本のうち十冊だけとって、それをご自分であれに贈ってください、つまり自分のものとしてべつに贈るんですな。そうしたら、わたしは第十一巻を一冊とって、やはり自分で贈り物にしますよ、つまり自分のものとして別にするんですよ。そらね、こうすれば、あなたにも贈るものがあるし、わたしにもなにか贈るものがあって、二人ともお祝いができるわけじゃありませんか』そういって老人はまごついてしまい、口をつぐんだ。わたしは彼を見やった。彼は臆病らしい期待の表情で、わたしの宣告を待っているのであった。『まあ、どうしてあなたはいっしょに贈り物をするのがおいやなんですの、サバール・ペトローヴィチ?』『いや、べつに、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ、ただなんということなしに……わたしはなにぶんその……』要するに、老人はすっかりまごついてしまって真っ赤になり、同じことばかり繰り返して動きが取れないのであった。
『じつはですな』と彼はついにこう説明した。『わたしは、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ、ときどき気ままをおこしましてな、……いや、あえていいますが、わたしはいつも気ままをおこしているのです。年じゅう気ままをおこしております……よくないことに執着を持ちましてな……つまり、その、陽気が寒かったり、またときにいろいろなおもしろくないことがあって妙に気が沈んで来たり、それともなにか悪いことでも持ちあがったりすると、もうさっそく辛抱しきれないで気ままをおこし、つい飲まないでもいい酒を過ごしてしまうのです。ペトルーシヤはこれをたいへんいやがりましてな、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ、ご承知でもありましょうが、腹を立ててわたしを叱ったあげく、いろんなお説教をやりだす始末です。そこでですな、わたしは今度自分の贈り物をして、きっと良くなって見せる、現に身持ちが良くなって来たということを、あれに証明してやりたいと思いましてな。つまり、本を買うためにわたしが金を貯めた、長いことかかって貯めたということを、見せてやりたいのですよ。なぜといって、ときたまペトルーシャが小遣いをくれるときででもなければ、わたしはほとんど金というものを持っていたことがないんですからな。あれもそのことはちゃんと承知しております。こういうわけだから、あれもわたしの金の使いみちを知って、わたしがこんなにしているのも、ただあれ一人だけのためだということを、わかってくれるでしょうよ』
 わたしは老人がかわいそうでたまらなくなったので、長くも思案しなかった。老人は心配そうにわたしを見つめている。『ねえ、サバール・ペトローヴィチ』とわたしはいった。『あなた、あの本をぜんぶご自分であげることになさいな』『全部とはどんなふうに? つまり、あの本をみんなですか?』『ええ、そうよ、あの本をみんな』『わたしのものとして?』『ええ、あなたのものとして』『わたし一人だけのものとして? つまり、わたしだけの名前で?』『ええ、そうよ、あなただけの名前で……』わたしはごく明瞭に説明したつもりだったけれども、老人はずいぶん長いあいだ、わたしのいうことが合点ゆかないのであった。
『ははあ、なるほど』と彼はしばらく考えこんだのちにいった。『なるほど! それはたいへんけっこうだ、とてもけっこうなお話だが、しかしあなたはいったいどうします、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ?』『いえね、わたしはなんにも贈り物しませんわ』『なんですと!』と老人は仰天せんばかりに叫んだ。『じゃ、あなたはペーチンカになにも贈り物をしないんですか、あれになにもやりたくないというんですか?』老人はほんとうに仰天してしまった。この瞬間、彼は自分の申し出を断念しかねないありさまであった。それというのも、わたしも同様、彼の息子になにか贈り物ができるようにという、ただその一心であった。この老人はじつに好人物だったのである! わたしはそれに対して、自分もなにか贈り物をしたいのはやまやまだけれど、しかし彼の喜びを奪いたくないのだ、と答えた。『もしあなたの息子さんが満足してくだすって、それにあなたも喜んでくださるなら』とわたしはつけ加えた。『わたしもやっぱり嬉しゅうございますわ。なぜって、心の中で人知れず、自分がほんとうに贈り物をしたような気持ちがするでしょうからね』これで老人はすっかり安心した。彼はそれからまだ二時間も、わたしたちの部屋ですごしたが、そのあいだ。しじゅう一つところにじっとしていることができないで、立ちあがったり、ごそごそ動きまわったり、なにか音を立てたり、サーシャとふざけたり、内緒でわたしを接吻したり、わたしの手をつねったり、見つからぬようにアンナ・フョードロヴナにしかめ面をして見せたりした。とうとうアンナ・フョードロヴナは彼を家から追い出してしまった。ひと口にいえば、老人は今までついぞ一度もなかったろうと思われるほど、嬉しさに羽目をはずしたのである。
 めでたい祝いの日が来ると、彼はかっきり十一時という時刻に、祈祷式から真っすぐにやって来た。体裁よくつぎを当てた燕尾服の下には、案のじょう、新しいチョッキを着こみ、靴も新しいのをはいていた。両手には本の包みを一つずつ持っていた。そのとき、わたしたちはうちそろってアンナ・フョードロヴナの広間に集まり、コーヒーを飲んでいた(ちょうど日曜日のことであった)。たしか老人は、プーシキンはなかなかいい詩を書く、ということから話の口をきったようにおぼえている。それから、脱線したりまごついたりしながら、だしぬけに、人間は身持ちをよくしなければいけない、身持ちが悪いと、それはつまりわがままになっている証拠で、悪い習慣は、人間を台なしにし、破滅に導くものだ、というような話に移った。それから、不節制のおそるべき実例をいくつかあげたすえ、自分はこのあいだからすっかり心を入れ替えて、今では、他人にうしろ指をさされぬような立派な身持ちになった、と結論した。自分は以前も、息子の意見が正しいと感じていたし、ずっと昔からなにもかも承知して、胸にたたんでいたのだけれども、今度こそは本当に謹慎することにした、その証拠には、長いあいだかかって貯めた金で本を買い、それを息子に贈り物にするのだ、とつけ加えた。
 わたしは哀れな老人の言葉を聞きながら、涙と笑いを制することができなかった。これでも、いざとなればいっぱしうそがつけるのだ! 書物はポクローフスキイの部屋へ運ばれ、棚の上に並べられた。ポクローフスキイはたちまち真相を看破した。老人は食事に招待された。この日はわたしたち一同、だれも彼も浮き浮きしていた。食事のあとで、罰金遊びをしたりカルタを闘わしたりした。サーシャははしゃぎまわっていた。わたしも彼女にひけをとらなかった。ポクローフスキイは、しじゅうわたしのことに気をつけて、さし向かいで話をする機会を絶えず求めていたが、わたしはそれに応じなかった。それはこの四年間で最も楽しい一日であった。
 さて、これからは悲しい苦しい思い出ばかりで、わたしの不幸な時代の物語がはじまるのである。おそらくそのために、わたしのペンは進みが鈍くなり、先をつづけて書きたがらないであろう。それゆえにこそ、わたしはああも夢中になり、あれだけの愛情をこめて、わたしの幸福な時代に送ったちっぽけな生活を、細かい端々に至るまで、記憶の底から呼びさまそうとしたのであろう。しかし、その時代は短かった。悲しみ、どす黒い悲しみがそれに代わって、いつ果てるとも知れないのである。
 わたしの不幸は、ポクローフスキイの病気と死とともにはじまった。
 彼は、わたしがここに書いた最後の出来ごとから二か月ばかりして、発病した。それまで、まだ一定の地位というものを持っていなかった彼は、この二か月の間、寝食を忘れて生計の道を求めつづけた。すべて肺病患者の例にもれず、彼は最後の瞬間まで、まだまだ長く生きられるという希望を捨てなかった。どこかの教員の口を世話してもらったが、彼はこの職に対して嫌悪の念をいだいていた。それかといって、どこかの官庁に勤めることは健康が許さない。そのうえに、見習期間が終わって初任給の額が決まるまで、長いこと待たなければならなかった。てっとり早くいえば、いたるところにただ失敗のみを見いだしたのである。そのために、彼の性格もすさんでいった。健康もそこなわれていたが、彼はそれに気がつかなかった。やがて秋が忍び寄った。彼は毎日のように薄い外套を着て、用事に出かけて行った。どこかで職にありつくために、平身低頭して頼みまわるのだが、これが彼には内心とてもつらかったのである。こうして足を濡らし、全身雨に打たれたために、とうとう病の床につき、それきりふたたび起《た》たれぬ身となったのである……秋もふけた十月の終わりに、彼は死んでいった。
 わたしは彼の病中、ほとんどその部屋を去らず、彼の看病をし、世話をした。徹夜することもたびたびあった。彼は意識のはっきりしていることはまれで、たいていはうわごとばかりいっていた。就職のこと、自分の蔵書のこと、わたしのこと、父親のこと、そのほか取りとめのないことを口走るのであった。……そのときわたしははじめて、今まで自分の知らなかった、夢にも想像していなかった多くの事情を知ったのである。病気のはじめごろ、家の人たちはみんな妙な目でわたしを見ていた。アンナ・フョードロヴナはしきりに首をひねっていた。けれども、わたしは平気でみんなの目を見返してやったので、もはやわたしがポクローフスキイの世話をするからとて、非難がましいことをいわなくなった――すくなくとも母はそうであった。
 ときおりポクローフスキイはわたしの顔を見わけたが、しかしそんなことはたまであった。彼はほとんど四六時中、前後不覚なのであった。どうかすると、ひと晩じゅう取りとめのないあいまいな言葉で、いつまでもいつまでもだれかと話をしていた。そのしわがれた声は、彼の狭い部屋の中で、陰にこもった響きを立てて、まるで棺の中で話をしているようであった。そんなとき、わたしは薄気味わるくなった。わけても最後の夜などは、彼はまるで気でも狂っているようであった。おそろしく苦しみ悶えて、その呻き声はわたしの胸を掻きむしるのであった。家じゅうのものが妙におびえたようなふうであった。アンナ・フョードロヴナは、どうかすこしも早く引き取ってくださるようにと、絶えず神に祈っていた。医者が呼び迎えられた。医者は、朝までにはかならず死ぬだろうといった。
 ポクローフスキイ老人は、息子の部屋の戸のすぐ傍の廊下で、まるひと晩すごした。そこになにかむしろのようなものを敷いてもらったのである。彼はのべつ部屋へ入って来た。その様子は見るのも恐ろしいほどであった。すっかり悲しみに打ちひしがれて、まるで感覚もなければ、意識もないように思われた。その頭は恐怖のためにぶるぶると慄えていた。そして、全身を慄わしながら、しじゅうなにか口の中でつぶやき、なにやら自問自答しているのであった。わたしは、老人が悲しみのあまり発狂しそうな気がした。
 夜明け前に、心痛に疲れ果てた老人は、例のむしろの上で死人のように寝入ってしまった。七時過ぎたころ、息子の臨終が迫ったので、わたしは父親を呼びおこした。ポクローフスキイは、完全に意識を取りもどして、わたしたち一同に別れを告げた。なんという不思議! わたしは泣くことができなかった。けれども、心はずたずたに引き裂かれるようであった。
 が、なによりわたしを苦しめさいなんだのは、最後の瞬間であった。彼はこわばった舌でなにやらいつまでも頼みつづけたが、わたしはその言葉をなにひとつ理解できなかった。わたしの心は苦痛に張り裂けんばかりであった! まる一時間ばかり、彼は不安げな様子で、なにか絶えずやるせなげに、冷たくなっていく手でなにかの合図をしようと努め、やがてふたたびしわがれた響きのない声で、さもあわれっぽく哀願しはじめた。けれども、彼の言葉はなんの連絡もないただの響きなので、わたしはまたもやなにひとつ理解することができなかった。わたしは家の人たちを彼のそばへつれて行って、末期の水を飲ませた。が、彼は相変わらず悲しげに頭を振るのであった。とうとう、わたしは彼の望みがわかった。彼は窓のカーテンを上げ、よろい戸をあけてくれと頼んでいるのであった。おそらくいまわのきわにこの世界を眺め、太陽の光を見たくなったのであろう。わたしはさっとカーテンを引いた。けれど、ようやくはじまりかかったこの日は、瀕死の病人のまさに消えなんとする哀れな命と同じように、もの悲しくどんよりしていた。太陽の姿は見えなかった。雲が灰色の幕で空をおおいかくしているのであった。それは雨に曇ったわびしい空模様であった。ぬか雨が窓のガラスをたたき、冷たい汚らしい水が幾すじもその上を流れていた。あたりはどんよりと薄暗かった。青ざめた光線がかろうじて部屋の中へさしこんで、聖像の前にともされた燈明の震えがちな光を奪いかねていた。瀕死の病人はさもさもわびしげにわたしを眺めて、頭を振った。それから間もなく息をひきとった。
 葬式はアンナ・フョードロヴナが自分で指図をした。ごくごく粗末な棺が買われ、荷馬車が雇われた。諸がかりの埋め合わせに、アンナ・フョードロヴナは故人の書物と道具を全部おさえてしまった。老人は彼女にくってかかって大騒ぎをしたあげく、できるだけの書物を取りもどして、ポケットというポケットに押しこみ、帽子の中にまで入れて、三日間というもの、持って行けるところならどこへでもそれを持ち歩いた。教会へ行かなければならなくなったときでさえ、それを手離そうとしなかった。この三日間、彼はまるで腑抜けのようにぼけてしまって、なにかしら妙に気がかりらしい様子で、しじゅう棺のまわりを忙しそうに動きまわっていた。そして、故人の上にのせてある花環を直したり、ろうそくを取り替えて新しくともしたりするのであった。見たところ、何ごとにも考えをちゃんと固定させることができなかったらしい。母もアンナ・フョードロヴナも、教会の葬式に列席しなかった。母は病気だったし、アンナ・フョードロヴナはすっかり支度ができてしまったのに、ポクローフスキイ老人と喧嘩をして、行くのをやめてしまった。で、結局、わたしと老人だけになってしまった。式のあいだにわたしは一種の恐怖、――未来の予感とでもいうようなものにおそわれた。わたしは式の終わりまで立ちとおすのが、やっとの思いであった。ついに棺に蓋がされ、釘が打たれ、荷馬車に載せて運び出された。わたしは通りのはずれまで見送ったばかりであった。馬車は※[#「足へん+鉋のつくり」、第 3水準 1-92-34]《だく》で走りだした。老人はそのあとから走りながら、大きな声で泣き立てた。その泣き声は駆けだす歩調とともに慄えて、ちぎれちぎれに聞こえるのであった。哀れな老人は帽子を落としたが、立ちどまってそれを拾おうともしなかった。頭は雨で濡れしょぼけていた。風が吹きおこった。氷雨が彼の顔を鞭打ち、針のように刺すのであった。が、老人はそうした天候にも気づかないらしく、泣き声をあげて、柩車の反対側に駆け移ったり、またもとの側に走りもどったりした。古ぼけたフロックの裾が、翼のように風にひるがえった。ポケットというポケットからは、本が顔をのぞけていた。手の中には、なにか大判の本を持っていたが、彼はそれをひしとばかり抱きしめるのであった。通行の人は帽子をとって、十字を切った。中には足をとめて、哀れな老人のさまをあきれ顔に見つめるものもあった。書物はのべつ、彼のポケットから、ぬかるみの上に落ちた。人が呼びとめて、その落としものを教えてくれると、彼は拾い上げて、またもや棺のあとを追いかけるのであった。通りの角のところで、一人の年とった女乞食が棺の供に立ち、彼の道づれになった。ついに、荷馬車は町角をまがって、わたしの目から姿を消してしまった。わたしは家へ帰ると、たえがたい悩みをいだきながら、母の胸に身を投じた。わたしは、ひしとばかり母を両手に抱きしめて接吻し、恐ろしげに身を寄せながら、しゃくりあげて泣きだした。最後の友である母を自分の抱擁の中に抱きとめて、死の手に渡すまいとするかのように……けれども、死はすでに不幸な母のそばに立っていたのである………………………………………………………………………………………………………………………………

 六月十一日
 マカール・アレクセエヴィチ、きのうは島へ散歩におつれくださいまして、ほんとうにありがとうございました。あそこはとてもすがすがしくて、気持ちがよろしゅうございました、そして緑の見事なこと! わたし、もうずいぶん長いこと、青いものを見ませんでした。わたしは病気のあいだじゅう、自分はどうしても死ななければならない、きっと死ぬに相違ない、という気がしていました。ですから、きのうわたしがどんな気持ちでいたか、どんなふうに感じたかは、よろしくお察しを願います! わたしがきのうあんなに沈みがちだったからといって、どうか腹を立てないでくださいまし。わたしはとてもいい気持ちで、心が軽かったのですけれど、わたしという人間は、いつもこのうえなく気持ちのいいときに、なぜかもの悲しくなるんですの。わたしが泣いたのはなんでもありません。なぜこんなにしじゅう泣いてばかりいるのか、自分でもわからないくらいです。わたしは神経がいらいらして、痛いほどものを感じるんですの。わたしの印象は病的でございます。一点の雲もない青白い空、落日、たそがれの静けさ、そういったものがなにもかも……わたし、もうなんといったらいいかわかりませんけど、きのうはすべての印象を、苦しく悩ましく受けいれるような気分になっていたので、胸がいっぱいになって、ひとりでに泣けてきましたの。でも、なんのためにこんなことを書いているのでしょう? こんなことは自分の心にもはっきりつかめないのですもの、口で伝えるのは、なおさらむずかしいことですわ。けれど、あなたは、わたしの気持ちをわかってくださるかもしれませんね。うら悲しさと、笑いたいような気持ち! あなたはほんとうになんていいかたでしょう、マカール・アレクセエヴィチ! きのうあなたはわたしの感じていることを読み取ろうとして、しきりにわたしの目を見つめていらっしゃいましたね、そしてわたしの喜びをともに喜んでくださいましたね。ちょっとした灌木の茂みであろうと、並木道であろうと、水の流れであろうと――立ち止って、まるで自分の領地でも見せるようなふうに、気取った恰好でわたしの前に立ちながら、絶えずわたしの目をのぞいてごらんになるのですもの。それはあなたが善良な心を持っていらっしゃる証拠ですわ、マカール・アレクセエヴィチ。だからわたしはあなたが好きなんですの。では、さようなら。きょうわたしはまた加減が悪いのです、きのう足を濡らしたものですから、それで風邪を引いたのでしょう。フェドーラもなにか加減が悪いとかいって、きょうはわたしたち二人とも病人ですの。わたしをお忘れにならないで、なるべくしょっちゅういらしってくださいまし。
[#地から4字上げ]あなたの
[#地から1字上げ]V・D

 六月十二日
 わたしの愛するヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ!
 きのうのことをすっかりほんとうの詩に書いてくださることとばかり思っていましたが、あなたのお手紙はただの書簡箋一枚きりでした。わたしがこんなことを申し上げるのは、ほかでもありません。あなたがその書簡箋にお書きになったことはほんの僅かばかりですが、そのかわりなみはずれて上手にうまくできているからです。自然の景色も、さまざまな田舎の情景も、その他感情に関するいっさいのことも、――ひと口にいえば、あなたはなにもかもじつにうまく書いておられます。ところが、わたしにはその才能がありません。たとえ十ページ書きなぐっても、結局、なにひとつとしてものにならず、なにも書き現わすことができないのです。わたしはもう試してみました。わたしの親しい人、あなたはわたしのことを気だての優しい、悪気のない、周囲の者に害を加えることのできない人間で、自然の中に現われる主の恵みを理解しているとか、その他さまざまな讃辞をささげてくださいました。それはすべてそのとおりです、まったくそのとおりに違いありません。わたしはほんとうにあなたのおっしゃるとおりの人間で、自分でもそれを知っています。しかし、あなたの書いていらっしゃるのを読むと、胸は自然と感動にみちて、そのあとからいろいろな苦しい考えが浮かんでくる。まあ、聞いてください、あなたになにかのことをお話ししましょう。
 まず手はじめとして申しますが、わたしが官途についたときには、やっと十七になったばかりでしたから、わたしの勤務生活もやがて間もなくまる三十年になるわけです。いやはや、わたしもかなり制服を着破ったものです。その間に大人になって、賢くもなれば、いろいろな人も見てきました。だから、いいかげん、生活をしてきた、たしかにこの世の中を渡ってきたといえるわけで、一度などは授勲の上申さえしてもらったくらいです。あなたはほんとうになさらないかもしれませんが、ほんとうのことです、あなたにはうそをつきません。ところが、どうでしょう、それを何もかも邪魔する悪い連中が現われたのです。あえて申しますが、わたしは教育のない愚かな人間かもしれないけれど、心はほかのだれと比べてみても変わったところはありません。そこで、ヴァーリンカ、その悪人がわたしにどんなことをしたか知っていますか? そいつらのしたことは、口にするのもけがらわしいほどです。なぜそんなことをしたかというと、ほかでもない、わたしがつつましい人間だからです! わたしがおとなしい人のいい男だからです! わたしという人間が、彼らがお気に召さなかった。そこで、なにもかもがわたしに当たってくるようになったのです。そもそものおこりは、『マカール・アレクセエヴィチ、きみはああだ、こうだ』というのがはじまりで、それから『もうマカール・アレクセエヴィチに頼まなくてもいいよ』ということになり、とどのつまりは、『そりゃもうマカール・アレクセエヴィチに決まってるさ!』と片づけられてしまったのです。どうです、こういう始末になったのですよ。なにもかもマカール・アレクセエヴィチのせいにして、マカール・アレクセエヴィチを役所じゅうのことわざにまでしてしまいました。わたしをことわざにして、悪口の種にしただけではあきたらず、わたしの靴、制服、髪の毛、わたしの顔かたち、何から何までとやかくいうようになりました。なにもかもが彼らのお気に召さない、いっさいがっさいつくり直さなけりゃならない、といったわけです! なにしろ、これはいつの昔からか、毎日のように繰り返されているので、わたしは馴れてしまいました。それというのも、わたしがなんにでも馴れるからです、おとなしい人間だからです、つまらない人間だからです。が、それにしても、どうしてこんな目にあうのでしょう、わたしがだれかに悪いことでもしたのでしょうか? だれかの官等でも横どりしたのでしょうか? 上官の前で他人のことをあしざまにいったのでしょうか? 賞与を余分にねだったのでしょうか? 何か人を中傷するような真似でもしたのでしょうか? いやいや、もしあなたがそんなことをお考えになったら、罪というものです! なんの、わたしにそんなことができるものですか? わたしが狡猾な真似をしたり、虚栄心に負けたりするような素質があるかどうか、まあ、あなたよく見てください。ああ、それならば、どうしてわたしはこんな目にあわなければならないのでしょう? 現にあなたは、わたしを相当な人間と認めていてくださるが、そのあなたは彼らをみんな束にしたよりも段ちがいに優れていらっしゃる。ところで、人間のもっとも大きな美徳というのはそもそもなんでしょう? ついこのあいだ、エフスターフィ・イヴァーノヴィチがわたしとさし向かいの話の中で、人間として最大の美徳は、上手に金を儲けることだ、といいましたよ。それはもちろん、冗談ですが(冗談だということは、わたしにもわかっています)、その中に含まれている教訓は、ほかでもない、だれにもせよ、他人の厄介になるな、ということです。ところが、わたしは現にだれの厄介にもなっていません! わたしにもちゃんと自分のパンがあります、なるほど、それはただのつまらないパンで、ときにはこつこつのこともあります。しかし、それは自分の勤労で天下晴れて手に入れて、他人からとやかくいわれることなしに、食べていけるものです。さあ、そのうえどうしろというのです! わたしが浄書なんかやっているのはたいした仕事じゃない、それは自分でも承知していますが、とにかくわたしはそれを誇りとしています。額に汗して働いているのですからね。まあ、いったいわたしが浄書をしているからとて、それがほんとうにどうしたのでしょう?浄書するのが罪悪だ、とでもいうのでしょうか?『あの男は浄書している!』『あの小役人は浄書している!』さあ、そこに、いったいどんな破廉恥があるのでしょう? きちんとしたきれいな筆跡で、見た目も気持ちがよいし、上官も満足していてくださる。わたしは閣下のために最も重要な書類を浄書しています。そりゃもう文章なんかは、なっていません、いまいましいことながら、自分でもなっていないのを承知しています。だからこそ、勤めのほうも出世ができなければ、現に今でもあなたに宛てて書く手紙も、いっこうにしゃれたいいまわしも使わず、ただ心に浮かぶままを、率直に書いている次第です……これらのことはわたしも自分で残らず承知なのです。とはいうものの、もしみんなが文章を作りだしたら、そのときはだれが浄書をするのでしょう? さあ、ひとつこの質問を提出しますから、あなたに答えをしていただきましょう。そこで、わたしはいま自分がなくてかなわぬ必要な人間であることを自覚しているので、くだらぬ悪口でまごつかされはしません。まあ、あるいは古鼠かもしれません、もし似ているというならそうしておきましょう! しかし、この古鼠が必要なのです、この古鼠が益をもたらすのです、人はこの古鼠をたよりにして、賞与までくれるのです。――つまり、この鼠はそういった種類のものなんです! しかし、こんな話はもうたくさん、わたしはこんなことをいいだすつもりではなかったのですが、ついすこしばかり興奮したのです。が、それにしても、ときおり自分の正しいことを意識するのは、気持ちのよいものです。さようなら、わたしの親しい人、わたしの愛する人、わたしの善良な慰安者、さようなら! ぜひお寄りします、かならず寄ってお見舞いします。それまであなたも寂しがらずに辛抱してください。本を持ってまいります。では、さようなら、ヴァーリンカ。
[#地から4字上げ]あなたに心からの好意を寄する
[#地から1字上げ]マカール・ジェーヴシキン

 六月二十日
 マカール・アレクセエヴィチさま!
 取り急ぎ、一筆さしあげます。期限をきられた仕事を仕上げるところなので、気がせいておりますから。ほかでもございませんが、いまちょうどいい売り物が出ているのでございます。フェドーラの話では、ある知合いの人が真新しい制服と、下着と、チョッキと、帽子を売りたいと申しているそうで、しかも、それがみんなたいへん格安だとのことでございます。あなた、それをお買いになってはいかがでございます。だって、あなたはいまご不自由のない身で、お金も持っていらっしゃるのですもの。現にご自分で金を持っているとおっしゃったではありませんか。どうかお金を惜しがらないでお買いなさいまし。なにしろ必要なものばかりですから。まあ、一度ご自分の姿を見てごらんなさいまし。ほんとうにあなたはなんて古い服を着ていらっしゃるのでしょう。恥ずかしいじゃありませんか! どこもかしこもつぎ当てだらけなんですもの。それでいて、新しい服も持ってはいらっしゃらない。あなたはあるとおっしゃいますが、ないことはちゃんとわかっています。あなたがどこへどう手放しておしまいになったのか、それは神さまがご照覧でございます。とにかく、わたしのいうことを聞いて、どうかお買いになりますよう。わたしのためにぜひそうしてくださいまし。わたしを愛していらっしゃるのなら、お買いになってくださいまし。
 あなたはわたしに下着を贈ってくださいましたが、でも、マカール・アレクセエヴィチ、そんなことをなすったら、破産しておしまいになるじゃありませんか。わたしのためにどれだけのお金をお使いになったか、考えても恐ろしいくらいですわ! 冗談じゃありません。ああ、あなたはほんとうに無駄使いがお好きねえ! わたし、あれはなくてもすむので、なにもかもまったく無駄なことですわ。あなたがわたしを愛してくださるのは承知しています、それは信じて疑いません。贈り物でそれを証明なさるのは、ほんとうに余計なことでございます。わたしとしては、あなたからそういうものをお受けするのが心苦しいのです。それがあなたにどれだけ大変なことか、わたしにはわかっているんですもの。これを最後に申しあげますが、もうたくさんです! よろしゅうございますか? お願いです、手をあわして頼みます。マカール・アレクセエヴィチ、あなたはわたしの覚え書きの続きを送るように、しまいまで書きあげるようにとのご希望ですが、わたしはいま、現に書いてあるだけでも、いったいどうして書けたのかわからないくらいです! 今となっては、自分の過去を語るだけの気力がありません。そんなことは考えたくもないほどです。あのころのことを思い出すと、恐ろしくなってまいりますの。とりわけ、自分の哀れな子供を、あの怪物どもの餌食に残していった不幸な母について語ることは、わたしにとってなにより切ないのでございます。あれを思い出しただけでも、心臓に血の滲むような気がいたします。それはまだあまりになまなましいことなので、もう一年の余にもなりますけれど、わたしは気を落ちつけるどころか、われに返る暇もないくらいでございます。でも、あなたはすっかりごぞんじでいらっしゃいますね。
 アンナ・フョードロヴナがいま何を考えているかということは、もうあなたに申し上げました。あのひとはかえってわたしを恩知らずだといって非難し、ブイコフ氏とぐるになっているというのは、うそだと否定しています! あのひとはわたしに自分のところへ来るようにとすすめています。あのひとにいわせれば、わたしは悪い道に踏みこんで、乞食同然の真似をしているのだそうです。そして、もしわたしがあのひとのところへ帰って行けば、あのひとがブイコフ氏とのいきさつを円満に納め、わたしに対するあの男の罪をすっかりつぐなわせる、とこう申すのでございます。あのひとの話だと、ブイコフ氏はわたしに持参金をやりたいといっているそうですが、まあ、あんな人たちのことはどうだってかまいません! わたしはここでフェドーラや、あなたといっしょに住んでいればけっこうです。フェドーラのわたしに対する愛着ぶりは、亡くなった乳母を思い出させます。あなたは遠い親戚ではありますが、ご自分の名誉にかけてわたしを守ってくださいます。あんな人たちのことなんか知りませんわ。できることなら、あの人たちのことを忘れてしまいたいと思います。いったいあの人たちはわたしにどんな用があるのでしょう? フェドーラは、そんなことはみんな根もないうわさで、あの人たちもそのうちにわたしをかまわなくなるだろうといっています。どうかそうあってくれますように!
[#地から1字上げ]V・D

 六月二十一日
 わが愛する人よ!
 書きたいと思いながら、さて何からはじめたものかわかりません。いまわたしがあなたとこんなふうに暮らしているのは、なんと不思議なことではありませんか。こういうのは、ほかでもありません。今までこんなに楽しく日を過ごしたことがないからです。いや、まったく神さまのおかげで、小さな家と家庭を恵まれたような気持ちです! あなたはわたしの子供です。なんといういい娘《こ》でしょう! それにしても、なんだってわたしのお贈りした四枚の下着のことをかれこれおっしゃるのです。それはあなたにとって必要だったのじゃありませんか、――わたしはフェドーラから聞きました。それに、あなたに満足を与えるのが、わたしにとっては格別の幸福なんです。これはもうわたしの楽しみなんだから、あなたはかまわないでおいてください。わたしのことはうっちゃっておいて、とやかく逆らわないでください。わたしはこれまで、かつてこんな気持ちになったことがありません。いまはじめて生活へ乗りだしたような思いです。第一、わたしは二重に生活をしているのです、というのは、あなたがごく近くに住んでいて、わたしを慰めてくださるし、第二には、同宿の隣人ラタジャーエフがきょうわたしをお茶に招待してくれたからです。これは例のときどき文学会をやっている役人です。今夜その集まりがあって、みんなで文学を読むのです。わたしたちは今こういう生活をしているのです。あなた、たいしたものじゃありませんか! では、さようなら、わたしはべつに取り立ててこうという目的もなく、ただ、自分の無事なことをお知らせするために、この手紙を書いたのです。それからあなたは、ぬいとりに使う色絹がいるといって、テレーザにことづけておよこしになりましたが、買いますとも、買いますとも、その絹の切れを買って来ます。あすにもさっそくあなたを心から満足させてさしあげます。どこへ買いに行けばよいかも心得ております。では、きょうはこれで。
[#地から10字上げ]あなたの真実の友
[#地から1字上げ]マカール・ジェーヴシキン

 六月二十二日
 ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナさま!
 とりあえずお知らせしますが、わたしたちの住まいでまことに悲惨な出来ごとがおこりました。じつにじつに同情にあたいする出来ごとなのです! けさ、四時過ぎに、ゴルシコフの子供が死んだのです。原因はよく知りませんが、猩紅熱かなにかでしょう。しかし、そんなことはどうでもかまいません! わたしはゴルシコフのところへくやみに行きました。いやはや、その貧しいこと! おまけに、ひどい乱脈なのです。それも無理がらぬことで、一家族が全部一つの部屋に住んでいて、ただお体裁に衝立で間が仕切ってあるだけなのです。そこにはもう小さな棺が置いてありました。――ありふれたものですが、かなり小ぎれいな棺で、出来合いを買ったのです。その子は九つばかりの男の子で、なかなか末の見こみがあったとのこと。みんなの様子を見ていると、かわいそうになってきましたよ、ヴァーリンカ! 母親は泣いてこそいなかったけれど、ひどく沈みきって、そのなりの貧しいこと。もしかしたら、一人だけ肩の荷がおりたので、みんなほっとしているのかもしれません。なにしろまだ二人残っているのですからね。一人は乳飲児で、もう一人は六つをすこし越したくらいの小さな女の子です。しかし、小さな子供が、しかも現在血を分けたわが子が苦しんでいるのを見ながら、どうしてやることもできないのは、まったくどんなにつらいことでしょう! 父親は古いあぶらじみた燕尾服を着て、こわれたいすに腰かけている。涙が頬を流れていましたが、それはおそらく悲しいからではなく、ただ目が腐りかかって、くせになったのかもしれません。じつに妙な男で、なにか話しかけると、顔を赤くしてまごつくばかり、なんと答えていいかもわからないのです。小さな女の子は、棺にもたれて立っていましたが、かわいそうに、なんともいえない寂しそうな、もの思わしげな様子をしておりました! わたしは小さな子供が考えこんでいるのを見るのが嫌いなのです、ヴァーリンカ。見てると、いやな気持ちになってきます! なにかぼろぎれで作った人形が、そのそばの床の上にころがっているが、それを持って遊ぼうともせず、指一本唇に当てたまま、じっと立って身動きもしない。おかみが菓子をやると、受け取りはしたものの、口に入れない。わびしいことです、ヴァーリンカ、そうじゃありませんか?
[#地から1字上げ]マカール・ジェーヴシキン

 六月二十五日
 親切なマカール・アレクセエヴィチ!
 あなたのご本をお返しいたします。ほんとうにやくざな本! 手に取ることもできないようなものです。あなたはいったいどこからこんなたいした宝ものを掘り出しなすったのでしょう? 冗談はさておき、あなたは、こんな本がお好きなんですの、マカール・アレクセエヴィチ? 先日ある人が、なにか読むものを貸してあげると約束してくれましたから、もしお望みでしたらおまわしいたします。では、きょうはこれでさよならにしましょう。まったくこれ以上書いている暇がございませんの。
[#地から1字上げ]V・D

 六月二十六日
 愛するヴァーリンカ! じつのところ、わたしはあの本を読まなかったのです。もっとも、多少は読んでみて、くだらないことを書いているな、とは思いました。ただ人を笑わせるためのくすぐりにすぎないと思いながら、なに、これでもほんとうは愉快なものに相違ない、ひょっとしたら、ヴァーリンカの気に入るかもしれない、そう思って、いきなりあなたに届けてしまったのです。
 今度ラタジャーエフが、ほんとうに文学的なものをなにか貸してやると約束しましたから、まあ、それであなたも本に不自由しなくなるでしょう。ラタジャーエフは物のわかる男で、専門家です。自分でも書いていますが、じつにその書きかたといったら! とても筆が達者で、立派な文章です。つまり一つ一つの言葉に無限の含蓄があって、たとえば、わたしがときどきファルドニやテレーザに話すようなごくつまらない、それこそほんとうにありふれた俗な言葉を使っても、ちゃんと立派な文章になっているのです。わたしはこの人の集まりにもちょいちょい出かけます。わたしたちがたばこを喫《ふ》かしていると、ラタジャーエフが読んで聞かせる、朝の五時ごろまで読みつづけるのを、わたしたちはじっと聞いているのです。あれはもう文学じゃなくて、すばらしいご馳走です! じつに見事なもので、花ですな、まったく花とよりいいかたがない、どのページをとって見ても、花束が編めるくらいですよ! ラタジャーエフは愛想のよい親切な優しい人物です。まあ、わたしなんかはこの男にくらべたらそもそもなんでしょう? ゼロです。彼は名声のある人だが、わたしはそもそもなんでしょう? まるで生きていないも同様です。ところが、その彼がわたしに好意を寄せてくれるのです。わたしは彼のためになにやかや浄書してやります。ヴァーリンカ、そこになにかからくりがあるのだ、彼がわたしに好意を寄せてくれるのは、つまりわたしが浄書をしてやるからだ、そんなことを思ってはいけません。あなた、世間の陰口などほんとうにしてはいけません。卑劣な陰口をほんとうにしないでください! いや、それはわたしが勝手に自分の意志で、彼を喜ばせるためにしてやるので、彼がわたしに好意を寄せるのは、これもわたしを喜ばせるためにしているだけの話です。わたしは細かい心づかいのこもった好意というものを理解します。彼は親切な、きわめて親切な人間で類のない文士です。
 ヴァーリンカ、文学というものは良いものですな、じつに良いものですね。わたしはそのことをおとといはじめてラタジャーエフの口から知りました。文学は深味のあるものです! 人の心を堅固にし、教訓を与えてくれる、――まあ、そういったいろいろのことが、すっかり彼らの本に書いてあるのです。たいへんよく書いてありました! 文学は絵のようなものである。つまり、ある意味において絵であり、鏡である。情熱の表現であり、じつに微妙な批評であり、教訓であり、記録である。わたしは彼らのところで、すっかりこのほうの通になってしまいました。うち明けた話が、彼らのあいだに坐って聞いていると(それは、みんなと同じようにたばこくらい喫かしていてもいいのですが)、――彼らが意見を闘わしたり、いろいろの問題を論じたりするのを聞いていると、そうなると、もうわたしはただ黙っているばかりです。そうなると、わたしやあなたなどは、頭から黙りこんでいるより仕方がありません。わたしなどはまったくのでくの坊同然で、われながら気恥ずかしくなるくらい、そこでみんなの話に、せめてひとことでも半ことでも口をはさみたいものと、ひと晩じゅう頭をひねってみるけれど、そのひとことが、まるでわざとのように出てこない! そこで、ヴァーリンカ、自分があれでもなければこれでもない中途半端な人間なのが、ついかわいそうになってきます。ことわざにもいう、体ばかり大きくなって、知恵はお留守というやつです。じっさいいまのわたしはひまなとき何をしているのでしょう? 阿呆みたいにぐうたら寝ているばかりです。そんなことをしていないで、つまらなく眠りこけているあいだに、なにか気持ちのいい仕事でもしたらよさそうなものだ。机に向かってものでも書いたら、自分のためにもなれば、他人もおもしろがってくれる。それにだいいち、あの連中がそれでどれだけ取っているかごぞんじですか、あいた口がふさがらないくらいですよ! 早い話が、ラタジャーエフにしたところで、どのくらいとっていると思います! あの男にして見れば、一台分(印刷紙十六ページ)の原稿を書くのがなんでしょう? どうかすると、一日に五台分も書くのですが、なんでも人の話では、一台分三百ルーブリも取るそうです。なにかちょっとした話を書いたり、なにか珍しいことを書くと、もう五百ルーブリです。いやでも応でもそれだけよこせ、身の皮を剥いでもそれだけよこせ! なんです。ときによると、千ルーブリくらいふところにねじこむことがある! とこんなことをいっています! どうです、ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナ? いや、それどころか! あの男は詩を書いた手帳を一冊持っています。みんなちょっとした短い詩ばかりですが、それが七千ルーブリだというのです、七千ルーブリでなければ売らないといっています。まあ、考えてもごらんなさい! これはもう立派な不動産じゃありませんか、大きな家が一軒建つというものです! あの男の話だと、五千ルーブリまでは出すといったけれど、それでも承知しなかったそうです。わたしは忠告してやりましたよ、きみ、取りたまえ、やつらから五千ルーブリふんだくって、唾でも吐きかけてやりたまえ、なにしろ五千ルーブリといえば大金じゃないか! というと、なあに、あの悪党めら、七千ルーブリ出すよ、とこうなんです。なかなか抜け目のない男です! ところで、こういう話になって来たから、わたしもその気になって『イタリア人の情熱』から一か所ぬき書きしてお目にかけましょう。これは彼の作品の名前なんです。ヴヴァーリンカ、まあひとつ読んで批評してください。
「……ヴラジーミルは身震いした。と、情熱がもの狂わしく彼の身内に湧き立って、血が燃えあがった……
「伯爵夫人、――と彼は叫んだ。――伯爵夫人。あなたはこの情熱がどんなに恐ろしいものか、この狂乱がどんなに底知れぬものであるかごぞんじですか? いや、わたしの空想はわたしを欺きませんでした! わたしは恋しています、有頂天になるほど、激しく、もの狂わしく恋しています! あなたの夫の血をぜんぶ流しても、わたしの魂の沸きたつ激しい歓喜を消すことはできません! ささたる障害は、わたしの悩み疲れた胸を焼きただらす、いっさいを破壊するような地獄の業火を、消しとめることはできません。おお、ジナイーダ、ジナイーダ!。
「――ヴラジーミル!………伯爵夫人は彼の肩に身を寄せかけながら、前後を忘れてささやいた。……
「ジナイーダ! と歓喜に燃えるスメリスキイが叫んだ。
「彼の胸からは溜息が爆発した。情熱の火は、すさまじい焔を立てて愛の祭壇に燃えあがり、不幸な殉難者たちの胸を焼きただらした。
「ヴラジーミル!………と伯爵夫人は恍惚としてささやいた。その胸は高まり、頬は真紅に染まり、目は燃えたった………
 新しい恐るべき結婚はついに成った!………………………………………………………………………………
「三十分を経て、老伯爵が妻の閨房へ入った。
「どうだね、おまえ、珍客さまのためにサモワールの支度をいいつけようかね?――と彼は妻の頬を軽く叩いていった」
 さて、ひとつおたずねしますが、これを読んでどうお思いになります。なるほど、すこし不謹慎です、それはいうまでもありませんが、そのかわり立派です。立派なことはたしかに立派です! では、もう一つ『エルマークジュレイカ』という小説から、ちょっとした、抜萃をさしていただきます。 こういうところを想像してください。シベリアを征服した乱暴な恐ろしいコサックのエルマーク([#割り注]チモフェイ、十六世紀の中葉にシベリア西部を征服して、これをイヴァン雷帝に献じたコサックの首領[#割り注終わり])が、人質に取られたシベリア王クチュームの娘ジュレイカに恋したのです。それはご承知のとおり、例のイヴァン雷帝時代のことで、次にかかげるのがエルマークジュレイカの対話です。
「――おまえはわしを愛しているのか、ジュレイカ! おお、もう一度いってくれ、もう一度……
「――愛しております、エルマーク! とジュレイカはささやいた。
「天と地よ、汝らに感謝する! わしは幸福だ……汝らは、わしの浪立ち騒ぐ心が少年時代より追い求めていたすべてのものを与えてくれた。わが道しるべの星よ、さてこそおまえはわしをここまで導いたのだ。ウラルの山を越えて、はるばるここへ導いてくれたのだ! わしは世界じゅうのものにわしのジュレイカを見せてやる、さすれば狂暴な怪物に等しい人間どもも、わしをそしることはできまい! おお、もしも彼らに彼女の優しい心の秘めたる悩みがわかったら、もしも彼らがわしのジュレイカの一滴の涙にこもる哀詩をことごとく読み取ることができたなら! おお、その涙を接吻で拭い