『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

「死の家の記録」P097―144(1回目の校正完了)

うしているのもあり、十年のもある。その多くは強盗なのだ。その中にただ一人だけ、どうやら貴族出らしい男を見かけた。彼はかつてどこかで勤めていたとのことである。ひそひそとささやくような、しおらしい口のききかたをして、甘ったるい微笑を浮かべていた。彼はわたしたちに自分の鎖を見せ、具合よく寝台に横になるやりかたをして見せた。これこそきっと、それ相当にたいしたしろものだったに相違ない! 彼らはみんな概して操行温順で、自分の境遇に満足しているらしく思われるが、しかしその一人一人が、すこしも早く鉄鎖の刑期を終わろうと、一生懸命に望んでいるのであった。ちょっと考えると、なんのためだろうという気がするけれども、それはこういうわけなのである。――その時は、煉瓦の丸天井の低くおっかぶさって来るような、息苦しい、饐《す》えたような部屋を出て、監獄の内庭を歩くことができる……ただそれだけの話である。監獄から外へ出してもらうことは、もうこんりんざいありはしない。鎖から離してもらった囚人は、それこそ死ぬまで足枷を付けられたまま、監獄に永久にとじ込められるのだ、ということは彼らも自分で承知している。ちゃんと承知していながら、それでも、一日も早く鉄鎖の刑期を終わりたくて、矢も楯もたまらないのだ。まったくこの希望がなかったら、死にもせず発狂もしないで、どうして五年も六年も鎖に繋がれていることができよう? まただれがそのような試練に堪えうるものぞ? わたしは労働が自分を救い、自分の健康と肉体を鍛えてくれるだろうと感じた。絶え間のない精神的不安、いらいらした神経、締めきられた監房の空気などは、完全にわたしを崩壊さしてしまったに違いない。なるべく頻繁に外気を吸って、毎日へとへとに疲れ、重荷を運ぶ習慣をつける、そうすれば、すくなくとも、自分を救うことができるだろう、――とわたしは考えた。自分の心身を強固にして、健康な、元気にみち満ちた、若々しい人間のままで、老い込まずに出獄することができるだろう。わたしのこの考えは間違ってはいなかった。労働と運動はわたしのためにきわめて有益であった。わたしは、仲間(貴族出)の一人が監獄の中で、蝋燭のようにやせ細っていく有様を眺めて、慄然としたものである。彼がわたしといっしょに入獄した時には、まだ若い、美しい、溌剌とした人間であったが、出て行く時には白髪あたまの、足腰立たぬ、喘息持ちのなかば廃人であった。いや、とわたしはこの男を見ながら考えた、――おれは生きたい、だから見ごと生きて見せよう、と。そのかわり、わたしが仕事をしたがるからといって、はじめのうちは囚人たちからひどい目にあった。彼らは長いあいだ、軽蔑と嘲笑でちくちくわたしに当たったものである。けれど、わたしはだれの顔色もいっさい見ないで、元気よくどこへなり出かけて行った。たとえば、雪花石膏を焼いたり、搗《つ》いたりするような仕事だが、これはわたしがはじめて知った労働のひとつである。それは楽な仕事であった。工兵隊の長官は、できるだけ貴族出の囚人の労役を軽くするように、心がけてくれた。ただし、これはけっして不当な目こぼしではなく、正しいやりかたなのである。半分ぐらいしか力がなくて、今まで一度も労働したことのない人間に、境遇からいって生え抜きの労働者に与えるのと同じ仕事を要求するのは、奇妙な話ではあるまいか。しかし、この『目こぼし』は、いつもかならずというわけではなく、むしろ内証にしてもらうほどであった。この点に関しては、外部から厳重な監視の目を受けていたのである。荒仕事をしなければならないような場合も、かなりしょっちゅうあった。そんな時はもちろん、貴族出の者はほかの囚人よりも、二倍の苦痛を忍ばなければならなかった。雪花石膏の仕事には、たいてい老人か、体力の弱いものが三、四人指名されたが、もちろん、われわれもその中に数えられるのであった。なおそのほかに、仕事をよくわきまえているほんとうの労働者がさし向けられた。おおむね数年間ひき続いて、いつも同じアルマーソフというのが、その任に当たっていた。荒々しい様子をした、色の浅黒い、もう大分の年輩らしい、交際ぎらいの、気むずかしい男であった。彼は心底からわたしたちを軽蔑していた。もっとも、ひどく無口な男なので、わたしたちに口小言をいうのさえ億劫がるほどだった。雪花石膏を焼いたり搗いたりする小屋も、やはり荒涼とした険しい川岸に立っていた。冬、ことにどんより曇った日に河の面や、はるか向こう岸を眺めているのは、わびしいものであった。なにかしら憂欝な、心を掻きむしるようなものが、この野生のままの茫漠たる風景の中に感じられた。しかし、果てのない白々とした雪のシーツの上に、陽がきらきらと輝く時のほうが、かえってひとしお苦しいぐらいであった。河の対岸から始まって南のほうへ千五百露里も、一枚の白布をひろげたようにのびている曠野を見ると、そのままどこかへ飛んで行ってしまいたい思いがした。アルマーソフはたいてい黙りこくって、厳しい顔つきで仕事に取りかかった。わたしたちは、ほんとうに彼の手伝いができないのを、恥じ入っているような具合であった。ところが彼は、わたしたちが自分の罪をしみじみと感じて、無能を悔いるように仕向けるかのごとく、わざと自分一人で仕事を取りしきり、わたしたちからなんの手助けも求めないのであった。が、仕事といっても、ただわたしたちが運んだ雪花石膏を竃《かまど》に積み上げて、それを焚きつけるだけのことであった。翌日、石膏がじゅうぶんに焼けた時、それを竈から取り出すのであった。わたしたちはめいめい重い木槌をもって、特別の箱に石膏を填め、それを細かく砕きにかかるのであった。これはなんともいえぬ楽しい仕事であった。脆い石膏は見るみるうちに、まっ白なきらきらと光る粉に変わって、じつに具合よくきれいに砕けてしまう。わたしたちは重い木槌を振り上げて、われながら胸がすっとするほどの一撃を食らわす。そのうちにすっかり疲れてしまうけれども、同時に気分が軽くなる。頬は赤みを帯び、血の循環が早くなる。そうなると、もうアルマーソフも、まるで幼い子供でも見るように、わたしたちを寛大な目で眺める。そして、鷹揚にパイプをぷかぷかやり出すのだが、それでも何か口をきく段になると、やっぱりぶつぶついわずにはいられないのだ。もっとも、彼はだれに対してもそんなふうなので、そのじつ、人のいい男らしかった。
 もうひとつわたしのさし向けられた労役は、工場で轆轤《ろくろ》の車をまわすことであった。それは大きな重い車だった。それをまわすには、容易ならぬ努力が必要であった。ことに挽物師《ひきものし》(工兵隊所属工場のもの)が、何か階段の手すりとか、大きなテーブルの足とか、どこかの役人が使う官庁用の家具とか、ほとんど丸太一本そのまま使わなければならないような仕事をする時は、なおさらであった。そういった場合には、一人ではとてもまわしきれないので、普通二人さし向けられた。わたしともう一人の貴族である。こういったわけで、この仕事は幾年かの間、何か挽《ひ》くものがありさえすれば、わたしたち二人のものとなってしまった。Bは胸を病んでいるまだ若い男で、力のない、ひ弱な人間だった。彼はわたしより一年ばかり早く、二人の仲間といっしょに入獄した。その一人は獄内生活の間じゅう、夜昼なしに神様に祈りとおして(そのために、囚人たちから深く尊敬されていた)、まだわたしのいるうちに死んでしまった老人であり、もう一人はまだごく年の若い、紅顔のみずみずしい、大胆で力のある青年であった。彼は道中のなかばで倒れたBをひっ背負《しょ》って、そのまま七百露里ずっと歩きつづけたのである。彼ら二人の間の友情は見ものであった。Bはりっぱに教育もあり、高潔な人間で、寛大な性格を備えていたが、病気に害《そこ》なわれて、いらだたしくなっていた。わたしたちはいっしょに車をまわしたが、それはわたしたちに興味を感じさせたほどである。この労働は、わたしにとっていい運動になった。
 わたしはまた雪を掻くことも別して好きであった。それはたいてい吹雪のあとで、冬季にはずいぶんしばしば行なわれた。一昼夜も吹雪が続いた後は、どうかすると、家が窓の半分どころまで雪に蔽われたが、中にはほとんど全部埋まってしまうのもあった。そういう時、もう吹雪がやんで太陽がのぞくと、わたしたちは大勢いく組かになって、ときには獄内全部のものが、官有の建物から雪を掻きのけるために、外へ追い出されるのであった。おのおののものにシャベルが渡され、一同に対してひとまとめの請負仕事が指定される。時とすると、どうして片づけられるかと、茫然とするような仕事を命ぜられたが、みんな仲よく仕事にかかった。たったいま積もったばかりで、表面だけ軽く凍っているさらさらした雪は、大きな塊となってうまくシャベルに載り、四方八方へほうり出される。すると、空中で光り輝く埃となって飛び散るのであった。シャベルは、太陽に輝く白い大塊の中に気持ちよく食い込む。囚人たちは、この仕事だとほとんどいつも楽しく働いた。新鮮な冬の空気と、運動とが、彼らを興奮させるのであったいい同は次第に浮き浮きして来た。高らかな笑い声、叫び、洒落《しゃれ》などが聞こえだす。やがて雪合戦が始まるが、もちろん、一分間も経つと、笑ったり浮かれたりすることのきらいな、分別臭い連中にどなりつけられずにはすまないので、一同の前後を忘れた浮かれ気分は、たいてい悪口で幕になるのであった。
 わたしはだんだんすこしずつ交際の範囲をもひろめていった。とはいえ、自分のほうから知己を作ろうなどとは、考えていなかった。わたしは依然として落ちつかず、気むずかしくて、疑ぐり深かった。わたしの交際は自然に始まったのである。まず第一にわたしを訪問するようになったのは、ペトロフという囚人であった。わたしはあえて訪問[#「訪問」に傍点]といったばかりでなく、とくにこの言葉に力を入れるものである。ペトロフは特別囚で、わたしの所からはいちばん離れた監房にいた。わたしたち二人の間には、なんの関係もなさそうに思われた。共通点などというものも断じてなかったし、またあるべきはずがなかった。ところが、ペトロフはわたしの入獄当初、ほとんど毎日のようにわたしの監房へ訪ねて来るか、休み時間に、わたしができるだけ人目を避けて、獄舎の裏手を歩きまわっているとき、わたしを呼びとめたりするのを、義務のように心得ているらしかった。はじめわたしはそれが不愉快であった。しかし、間もなく、その訪問を気晴らしのように感じるほどになった。どうしたものか、彼はうまくそんなふうに仕向けたのである。そのくせ、彼はけっしてとくにつき合い上手な、口数の多い人間ではなかったのだ。見たところ、あまり背の高くない、逞しい骨格をした、すばしっこくて、ちょこちょこした、かなり気持ちのいい顔立ちの男であった。顔色が青白く、頬骨が広く、大胆な目つきをして白い歯が細かくびっしりと並び、下唇の裏にはいつも噛みたばこをひとつまみくっつけていた。唇にたばこを付けるのは、多くの囚人の間でひとつの習慣となっていた。彼は年より若く見えた。ほんとうは四十がらみであったけれども、見かけは三十そこそこに思われた。彼はいつもわたしに話をするとき、いっこうにこだわりのない態度を持し、完全に対等の立場をとっていた。つまり、きわめて申し分のない、細かい心づかいの行き届いた態度なのである。たとえば、わたしが孤独を求めていることに気がつくと、彼はものの二分ばかり話をすると、すぐに向こうへ行ってしまった。しかも、そのたびに、わたしが彼を相手にしたことに対して礼をいうのであった。これなどはもちろん、監獄じゅうのだれに対してもかつてしないことであった。面白いことには、こうした関係が最初の間ばかりでなく、数年の間ずっと続いたのである。しかも、彼が心からわたしに敬服しきっていたにもかかわらず、その関係はついぞこれ以上親しいものにはならなかった。いったい彼はわたしから何を求めたのか、なんのために毎日のこのこわたしのところへやって来たのか、今でも解しかねるくらいである。その後、彼は偶然、わたしのものを盗んだこともあるが、それはほんのはずみ[#「はずみ」に傍点]でしたことなのである。金の無心をしたことはほとんど一度もなかったから、彼がわたしのところへやって来たのはけっして金のためでもなければ、何かほかに思惑《おもわく》があったわけでもないのだ。
 それからまたどういうわけか知らないが、わたしはいつもこんな気がしていた、――彼はわたしといっしょに監獄の中に住んでいるのではなく、遠く離れた町で別の家に住んでおり、ただほんの足ついでに監獄を訪問して、新しい出来ごとを聞いたり、わたしに見舞いをいったり、わたしたち一同がどんなふうに暮らしているかを見に来たのだ、といったような感じなのである。彼はまるでどこかにだれかを残して来て、その人が自分を待っているか、さもなければ、どこかに何かしさしの仕事があるかのように、いつもせかせかと急いでいた。そのくせ、ひどくあわてている様子もないのだ。彼の目つきもなんとなく変であった。大胆不敵な、いくらか嘲笑の陰を帯びた視線をじっと据えているが、それは相手を素通りして、どこか遠方を見つめているような具合であった。つまり、鼻のさきにある対象物の陰から、さらに遠い所にある別の何物かを見分けようとしているように思われた。それが彼の顔に放心したような趣きを与えた。わたしはときどき、ペトロフがわたしのそばを離れてどこへ行くのか、わざと見定めようとした。いったい、だれがそんなに彼を待ち焦れているのだろう! しかし、彼はそそくさとわたしのそばを立ち去ると、どこかの監房なり炊事場なりへ足を向けて、そこで話をしている人のそばにすわり込み、じっと注意ぶかく耳を傾け、どうかすると自分でも話の仲間に入って、おおいに熱くなってしゃべり出すことがあるけれども、そのあとでなんだか不意にぽつんと言葉を切って、黙り込んでしまう。しかし、彼は話をしているにもせよ、黙ってすわっているにもせよ、それはほんの通りがかりのついでにやっているまでの話で、どこかあるところに用事があって、そこで自分を待つ人がいる、といった様子が見えるのであった。何よりも不思議なのは、彼がけっしてどんな仕事も持たないということであった。彼は完全に無為に暮らした(規定の労役を除くのはもちろんである)。彼は何ひとつ腕に職がなかったので、したがって、ほとんどいつも無一文であった。が、彼は金のことなぞさしてくよくよしなかった。さて、彼はわたしを相手にどんな話をしたかというと、その話もご当人同様、奇妙なものであった。たとえば、わたしがどこか監獄の裏手を一人で歩いているのを見かけると、彼は不意にくるりと踵を転じてわたしのほうへやって来る。彼はいつも足早に歩いて、いつも急激に向きをかえる。歩いて来るのだけれど、まるで駆け寄るようなふうであった。
「今日は」
「今日は」
「お邪魔じゃごぜえませんかね?」
「いや」
「わっしゃあんたにひとつナポレン([#割り注]ナポレオン三世[#割り注終わり])のことをききてえんですがね。あれは十二年にロシヤヘやって来たのと親類に当たるんでしたっけね?」(ペトロフは少年兵あがりで、読み書きができたのである)
「親類だよ」
「大統領だってことだが、いったいどんなもんでがしょ?」
 彼はいつも早口に、とぎれとぎれの調子で問いかけた。まるで、何かすこしも早く知らなければならないことでもあるようなあんばいだった。いわば、一刻の猶予もできない、きわめて重要な事件で、調査でもしているかのよう。
 わたしは彼がどういう大統領であるかを説明し、おそらく近いうちに皇帝になるだろうと付け加えた。
「そりゃ、どうしてですね?」
 わたしはその点をもできるだけ説明してやった。ペトロフはわたしのほうへ耳さえ傾けながら、注意深く聞いていたが、完全に理解して、機敏に頭の中で照らし合わしてみるのであった。
「ふむ……ところで、アレクサンドル・ペトローヴィチ、ひとつあんたにおたずねしてえことがあるんですが、なんでも手が踵まで届いて、大きさも一等高い人間ぐれえの猿がいるっていう話だが、そりゃほんとうでがすかね?」
「ああ、そんなのもいるよ」
「いったい、そりゃどんなんでがすね?」
 わたしはそれをも知ってるかぎり説明して聞かせた。
「そいつあどこに棲んでいるんだね?」
「熱い国さ。スマトラ島なんかにもいるよ」
「そりゃアメリカのことですかね? あっちじゃ人間が頭を下にして歩くっていうが、いったいどういうわけでがすかね?」
「頭を下にして歩くわけじゃない。きみがたずねるのは対蹠人《アンチポード》のことだろう」
 わたしはアメリカがどういう国であるかを説明し、アンチポードとは何をいうのか、できるかぎり納得のいくよう話してやった。彼はただアンチポードのことだけをきくために、わざわざ駆けつけたもののように、注意ぶかく耳をすましていた。
「ああ、なるほど! ところで、わっしゃ去年ラヴァリエル伯爵夫人の話を読んだんでがすよ、アレフィエフ副官から本を借りてね。いったいありゃほんとうのこってすかね、それともただの作りごとかしらん、ジュマって人の書いたもんだが」
「もちろん、作りごとさ」
「じゃ、さよなら。どうもありがとう」
 こういって、ペトロフは姿を消した。まったくのところ、わたしたちはほとんどこんな調子でしか話をしたことがないのである。
 わたしは彼のことをいろいろきき合わせてみた。わたしがこの男と交際を始めたことを知ったMは、わたしに警告さえしたほどである。彼のいうところによると、多くの徒刑囚は彼に恐怖の念を植えつけた。ことに入獄の当初がそうであった、けれども、だれ一人として、あのガージンですらも、ペトロフほど彼に恐ろしい印象を与えたものはない、とのことであった。
「あれは囚人全部の中で、いちばん思いきったことをやりかねない、いちばん恐ろしいやつです」とMはいった。「あいつはどんなことでもやっつけるたちの人間ですよ。もしやつの頭に何か気紛れが浮かんだら、何ものの前にも躊躇なんかしやしません。ひょいとそんな気が起こったら、あなただって殺してしまいますよ。しかも、眉ひとつ動かさないで平気で殺したうえ、後悔なんてすることじゃありません。わたしはあいつのことを、正気じゃないとさえ思っていますよ」
 この評言は烈しくわたしの興味をそそった。しかしMは、なぜそんなふうに思われるかということについて、完全な説明をすることができなかった。ここに不思議なことがある、わたしはその後も数年間ずっと引き続いてペトロフを知り、ほとんど毎日のように彼と話をしていたし、彼のほうでもしじゅうわたしに信服してくれた(もっとも、どういうわけかわたしにはとんと合点がいかないが)。――その数年間というもの、彼は獄内でちゃんと真正面《まとも》な暮らしをして、何ひとつ恐ろしいことなどしでかさなかったにもかかわらず、わたしはいつも彼の顔を見、彼と話をしながら、なるほど、Mのいったことはほんとうだ、ペトロフはだれよりもいちばん向こう見ずな恐ろしい男で、自分を抑えつける力をもったものなど、いっさい認めない人間であるかもしれない、とこんなふうに確信した。なぜそんな感じがしたのか、これまたわたしには答えができないのだ。
 もっとも、ここで断わっておくが、このペトロフは、例の体刑に呼び出されたとき要塞参謀を殺そうとした男で、そのとき少佐は刑の直前にその場を立ち去って、囚人の言葉をかりると、「奇蹟で命拾いをした」のである。そのほかもう一度、これは懲役に来る前のことだったが、たまたま連隊長が教練のとき、彼をなぐったことがある。おそらく彼はそれまでたびたびなぐられたに相違ないが、その時はどうにも我慢ができないで、白昼、整列した隊の面前で、公然と自分の連隊長を刺し殺したのである。もっとも、わたしはこの事件の顛末を詳しくは知らない。彼は一度も、わたしにその話をして聞かせたことがないのだ。もちろん、これは彼の本性が忽然として、残りなくそのままさらけ出されたためであって、瞬間的な発作に過ぎない。が、それでも、こうした発作は彼としてきわめてまれなのであった。彼はまったく分別があっておとなしかった。彼の内部には、烈しい灼けつくような情熱が潜んでいたのだが、その真っ赤におこった炭火は、いつも灰をかぶって静かに燃え続けていたのである。たとえば、ほかの囚人たちに見られるようなから威張りや、虚栄心などは、ついぞ一度も影すら見受けたことがない。喧嘩をすることもまれだったかわりに、だれともとくに親しくはなかった。例外といえば、シロートキンぐらいなものであったが、それさえこの若者が彼に必要な時だけに限られていた。ただし、わたしも一度彼が本気で怒ったのを見たことがある。何かの品物が彼の手に渡らなかった。分配のとき、彼を除けものにしたのである。喧嘩の相手は背の高い力持ちの一般囚人で、ヴァシーリイ・アントーノフという男だった。意地悪の喧嘩好きで、皮肉屋で、なかなか度胸の据わった男である。彼らは長いことどなり合っていた。わたしは、たかだかただのなぐり合いでけりがつくのだろうと思った。というのは、ペトロフはほんのときたまではあるけれど、どうかすると、囚人の中でもいちばん下等な人間と同じようにつかみ合いをしたり、悪口をついたりすることがあったからである。が、この時はそんなふうとは違っていた。ペトロフはとつぜん、さっと顔色を変えた。唇がわなわなとふるえて紫色になって来た。息をするのさえ苦しそうであった。彼は席を立ちあがって、跣《はだし》の足音を立てず、ゆっくりゆっくりと(彼は夏になると、跣で歩きまわるのが好きだった)、アントーノフのほうへ近づいて行った。不意に、今までがやがやと騒々しかった監房の中が、しんと静まり返って、蠅の唸る音さえ聞こえるほどであった。一同はどうなることかと、待ちかまえていた。アントーノフは彼を目がけておどりあがった。その顔色といったら、見ていられないくらいであった……わたしはたまりかねて、監房の外へ出てしまった。まだ入り口階段を下りきらないうちに、斬り殺される人間の叫び声が耳に入るものと思っていたのである。しかし、事件はこの時も無事にすんだ。アントーノフは、まだペトロフがそばまで近づかぬうちに、無言のまま大急ぎで争いのもとになった品物をほうり出した(問題は何やらひどいぼろっ切れ、何かの裏にする布のことだったのである)。もちろん、二分ばかりたってから、アントーノフは、とにかく自分の気休めとお体裁に、ちょっとばかり相手に悪口をたたきつけた。自分がそれほど臆病風を吹かせたのではない、ということを見せたかったのである。しかし、ペトロフはそんな悪態などには耳もかさず、返事さえもしなかった。問題は悪口のつき合いなどではない、事件が自分のほうへ有利に解決したのである。彼は大満悦のていでそのぼろ切れを取りあげた。十五分もたったころには、彼はもう前のとおり、いかにもすることがなくて困っている者のように、どこかで面白い話を始めないかしらん、そうすればそこへ自分も顔を突っ込んで聞いてやるのだが、とでもいいたそうな様子で、監獄中をうろつきまわっていた。彼はなんにでも一応興味を感じるらしかったが、どうしたものか、たいていの場合は、結局、すべてのことに無関心になって、なすこともなく獄内をぶらぶら歩きまわり、あっちへ行ってみたり、こっちへ来てみたりするばかりであった。彼はまた一人の労働者に比較することもできよう。仕事をやらしたら、もりもりと捗《はか》のいく頑丈な労働者でありながら、今のところ仕事がもらえないので、それを待っている間、ぼんやりすわって小さな子供を相手に遊んでいる、といったようなふうである。
 それからまた、なぜ彼が監獄などで暮らしているのか、どうして逃亡しないのか、わたしにはわけがわからなかった。もし真剣にその気になったら、彼はいささかの躊躇もなく逃亡したに相違ない。ペトロフのような人間にあっては、理性が君臨しているのは、ただ彼らが何かの欲望を起こさないでいる間だけである。いったん欲望を起こしたら、もはやそれを妨げるものは、この世に何ひとつありはしない。彼は巧みに逃亡して一同を欺き、一週間くらいは飲まず食わずで、どこかの森の中か、川っぷちの葦原の中にでも、潜伏していることができたろう、わたしはそれを信じて疑わない。しかし、見受けたところ、彼はまだそうした考えが頭に浮かばず、心からそれを望むというところまでいっていなかったらしい。たいして目に立つほどの判断力や、特別しっかりした常識といったようなものは、ついぞ一度もこの男に認められなかった。こういうふうの人間は、はじめからたったひとつの思想を持って生まれて来るので、これが生涯、彼らを無意識にあちらこちらへと引きまわす。こうして、彼らは自分の望みにぴったり合うような仕事を見つけ出すまで、一生うろつきまわるのである。しかし、いったんそういう仕事が見つかったとなれば、もう命を投げ出してもかまわないのだ。わたしはときおり、なぐられた腹いせに上官を殺したような男が、どうしてこの監獄ではああも従順に笞の下に身を横たえるのかと、不思議に思うことがあった。彼は酒の持ち込みを見つかった時、ちょいちょい笞刑を食らったものである。腕に職のないすべての囚人の例に洩れず、彼もときどき酒の持ち込みをやった。けれど彼は笞の下に身を横たえるのでも、ちゃんと自分で得心がいったればこそ、つまり、当然の報いと意識したためである、そういったふうに見受けられた。もしそうでなかったら、よしんば殺されても、こんりんざい、笞の下に身を投げ出すようなことはしなかったに相違ない。
 また彼は一見して、わたしに心服しているにもかかわらず、ちょいちょいわたしの物を盗むことがあるので、それにもわたしはびっくりさせられた。こういうことは、周期的にやって来るらしかった。わたしの聖書を盗んだのも、彼の仕業である。わたしは、その本をちょっとそこまで持って行ってくれと、彼に頼んだだけなのである。その間ほんの五、六歩に過ぎなかったのだが、彼は途中で早くも買い手を見つけて売り飛ばし、さっそく飲んでしまった。おそらく飲みたくてたまらなくなったのだろう。彼は何かしたくてたまらなくなれば、是が非でも[#「是が非でも」に傍点]それを実行せずにはおかないのだ。こういう人間は二十五コペイカのはした金のために人殺しをして、それでウォートカの小びんを買って飲みかねないのだが、それでいてまた、時によると、何十万ルーブリ持った人でも見過ごしてしまうのである。その晩、彼は自分のほうからわたしにその盗みを白状したが、しかしいっこうきまり悪そうな様子も後悔の色もなく、ごくありふれたことでも話すように、平気でけろりとしていた。わたしはうんと小言をいおうと思った。それに、聖書も惜しくてならなかった。彼はべつにいらいらするでもなく、むしろきわめて殊勝げに耳を傾けていた。そしてわたしに相槌を打って、聖書はたいへん有益な書物だ、などといいながら、今それがわたしの手もとになくなったのを、衷心《ちゅうしん》から残念がったけれど、しかし自分が盗んだのを後悔するのではけっしてなかった。その様子があまり自信たっぷりなので、わたしはすぐさま怒るのをやめてしまった。彼はおそらく、ああいうことをした以上、小言を聞かずにすますわけにはいかない、そうだとすればどうか腹の癒《い》えるほどどなりつけて、気晴らしをしてもらいたい、しかしほんとうのところをいえば、こんなことはみなくだらない話で、まじめな人間なら口にするのもきまりが悪いほどばかげたことなのだ、とこんなふうに考えながら、わたしの小言を辛抱して聞いていたのだろう。どうやら彼は概して、わたしを子供扱いにしていたらしい。世の中のごく単純なことさえもわきまえない赤ん坊同然と心得ていたのだ。たとえば、わたしが彼に向かって、学問や書物以外のことを話し出すと、彼は返事だけはするけれど、それはただ礼儀上やむを得ぬこととして、ごく簡単な受け答えですますのであった。よくわたしは一人で自問してみた、――あの男はよくおれに書物のことを質問するが、あんな知識があの男になんの役に立つのだろう? 彼を相手にそんなふうの話をしている間に、わたしはときどき素知らぬふりをしながら、いったいこの男|自分《ひと》をからかっているのではないかしらんと、こっそり横目に相手を眺めたものである。が、そんなことは露ほどもなく、彼はたいていまじめに注意ぶかく聞いているのであった。もっとも、非常に注意して聞くというほどでもないので、この点がどうかすると、わたしにいまいましい感じをいだかせた。彼の質問ぶりは正確で、はっきりしていたが、答えを聞いても、新しい知識にさして感心したふうもなく、むしろぼんやりした態度さえ示した……それからなお、わたしはこんなふうの感じがした、――彼はわたしという人間のことを、ほかの者と同じように話すこともできない人間で、本の話以外にはなんにもわけがわからないばかりか、理解する能力さえ持っていない、だからかまわずにそっとしておけばいいのだと、かくべつ頭をひねりもしないで、簡単に決め込んでいるらしい。
 わたしは、彼がわたしを愛してさえもいるに相違ないと確信したので、それにひどく面食らった。彼はわたしをまだじゅうぶんに成長しきらない、一人前になっていない人間あつかいにして、そのために特殊な同情をいだくようになったのか(すべて強者は弱者に対して、この種の同情を本能的に感じるものだから、彼もわたしを弱者と見なしたのか)、そこはわたしにもわからない。そういった気持ちも、彼がわたしのものを盗む邪魔にはならなかったが、彼は盗みをしながらも、わたしを憐んだにちがいないと確信する。
『やれやれ』と彼はわたしの持ちものに手をかけながら、こんなことを考えたかもしれない。『いったいなんていう男だろう、自分の持ちものもちゃんと守ることができねえなんて!』しかし、つまりそれがために、彼はわたしを愛していたらしい。彼自身もある時ふと何かの拍子に、「あんたって人はあんまり心が好すぎる」。それで「あんまりさっぱりしていなさるもんだから、なんだかお気の毒になるくらいでがすよ。でもね、アレクサンドル・ペトローヴィチ、わっしがあんたをばかにしているなんて思っちゃいけませんぜ」と彼はややあって付け加えた。「わっしや、なんの底意もなく、しんからいったんだからね」
 こういった人間は、その生涯のうちに、時として、たとえば、何か急激な民衆ぜんたいの運動とか、社会的事変とかが起こった場合、突如として大きくはっきり姿を現わし、人々の注目をひき、こうして一時にその活動力を名残りなく発揮することがある。彼らは文字や言葉の人ではないから、その事件の発頭人やおもな指導者にはなれない、がその重要な実行者となって、まず第一にことに着手する人々である。べつに仰々しい叫びなどを立てないで、単純にことを始めるが、そのかわり、真っ先におもな障害物を飛び越えて、躊躇もしなければ恐怖もなく、まっしぐらに危険に立ち向かうのだ、――すると、すべての者はそのあとに従って、盲目的に突進し、最後の城壁にまで押し寄せて、そこで通常一命を落とすのである。わたしは、ペトロフが無事に一生を終わろうとは信じない。彼はある時期が来たら、一挙にすべてを片づけてしまう人間である。彼がまだ今日まで無事にいるとすれば、それは要するに、時期が来なかっただけのことであろう。とはいうものの、なんともわかったものではない。もしかしたら、頭の白くなるまで生きながらえて、当てもなくあちこちと流浪《さすら》いながら、穏やかに老衰で死んでいくかもしれない。しかし、わたしの気持ちからいえば、この男は監獄じゅうでいちばん向こう見ずな人間だといったMの言葉は、ほんとうのように思われる。

[#3字下げ]8 向こう見ずな人間――ルーチカ[#「8 向こう見ずな人間――ルーチカ」は中見出し]

 向こう見ずな連中について語るのは困難である。どこでもそうであるが、監獄にもそういう人間はあまり大勢いなかった。なるほど、見たところいかにも怖そうな人間はいる。みんなの話を聞いて想像してみただけでも、わきへ避けたくなるような人間もいる。なにかしら自分でも説明しがたいような感情のために、わたしははじめのうち、これらの人々を避けて通るようにさえしたものである。が、その後、わたしは多くの点で見解を変えるようになった。最も恐るべき殺人犯人に対してすらそうであった。なかには殺人犯でなくても、六人も人を殺して食らい込んだ男より、かえってものすごいやつがいる。ある種の犯罪にいたっては、きわめて初歩的な観念さえ持つことができないような場合があるのだ。それほどにまで、こうした犯罪の遂行には、奇怪な点が多く含まれているのである。わたしがこんなことをいうのはほかでもない、わが国の下層民の間では、きわめて驚くべき原因から、ある種の殺人犯が生じるからである。たとえば、次のようなタイプの犯人がいる、しかも、非常にしばしば見受けられるのだ。その男は静かにおとなしく暮らしている。苦しい運命を背負いながら、じっと辛抱している。かりにその男を百姓としてもよし、邸づとめの下男としても、町人、または兵隊としてもよい。とつぜん、心の絃《いと》でもぷつりと切れたかのように、彼はたえきれなくなって、自分の敵であり迫害者である人間を、短刀でぷすりと刺してしまう。さて、そこから奇妙なことが始まるのである。その男は一時、忽然として常軌を逸してしまうのだ。彼はまず第一に自分の圧迫者である敵を殺した。それはもちろん、悪いことではあるが、話はわかっている。そこにはちゃんと動機があるのだから。ところが、それからあとは、敵でもなんでもない人間を殺し始める、手当たり次第の人間を斬るのだ。ちょっと乱暴なことをいったからとか、目つきが気に食わんとか、数を丁度にするためだとかいって、人を斬るのだ。さもなくば、ただ『道をあけろ、邪魔をするな、おれさまのお通りだ!』といったような気持ちでやっつけてしまう。まるで酒に酔ったか、熱に浮かされているような具合である。それはあたかも、禁じられていた一線を飛び越えてしまうと、もはや自分にとって神聖なものはなくなったのだと、その気持ちを楽しみ始めたかのようである。こうして、あらゆる掟や権力を一挙に飛び越してしまい、思いきって放埒な無制限の自由を享楽し、この恐怖に胸のしびれるような感覚を味わいたくて、しじゅうむずむずしているような具合である(恐怖の情は、彼といえども、心に感じないではいられぬはずである)。のみならず、彼は恐ろしい刑罰が自分を待ち受けていることを知っている。これらすべては、ちょうど人が高い塔の上から足下の深淵に吸い込まれそうな気がして、ついにはいっそ自分から真っ逆さまに飛び込んでしまいたいと思う、あの感覚に似ているかもしれない。すこしも早くやっつけよう、そうすれば、ことはおしまいだ! これは今までろくろく目に立たずにいたごくおとなしい人にさえままあることなのだ。なかには、こういう混沌とした気持ちの中で、自分で自分に見惚れるような連中さえある。今までいじけ込んでいた度が強ければ強いほど、今度は人の前で見得を切って、強面になりたいという気持ちが、いっそう烈しいのである。彼らはこうして、人の怖がるのを楽しみ、自分が他人に呼びさます嫌悪を愛翫するのだ。彼らはみずから一種の絶望[#「絶望」に傍点]を装う。そして、このような『絶望した人間』はどうかすると、自分のほうですこしでも早く刑罰を受けようと待ち望むことがある。この付け焼刃の絶望[#「絶望」に傍点]を身に着けているのが、ついにはわれながらたえがたくなって、ひと思いにばっさり[#「ばっさり」に傍点]やってもらおうという気になるのだ。ここで面白いのは、こういった気分やこうした付け焼刃のから元気は、多くの場合、笞刑を受けるまでずっと続いているが、笞刑がすむと、ぷっつり断ち切ったようになくなってしまうことである。まるで、ほんとうにそのために定められた法則によって、何か一種正式な期限が指定されてでもいるような具合である。そこで当人は、とつぜんおとなしくなって、今までの元気はどこへやら、見るかげもない意気地なしに早変わりしてしまう。笞刑の場ではめそめそして、人々にゆるしを乞いなどするのである。やがて、監獄へ入って来るところを見ると、いっこうにふるわない鼻たれ小僧よろしくの男で、いじけ込んでいる様子さえ見えるので、『いったいこれが五人も六人も人殺しをしたという当人なのだろうか?』とあきれ返るくらいなものである。
 もちろん、彼らの中には監獄へ入っても、急にはおとなしくならないものもいる。依然として何か、から威張り、慢心といったようなものが残っているのだ。いわば、どうだい、おれはてめえたちの考えているような人間じゃねえぞ、なにしろ『六人の命を縮めたんだからな』といったわけである。しかし、とどのつまりは、彼らもやはりおとなしくなってしまう。どうかすると、かつて『やけっぱち』であったころに、一生に一ペんだけやった大散財や、大胆不敵なふるまいを思い起こして、それをせめてもの心やりにする。そして、ちょっとでもおめでたい相手を見つけると、いかにもえらそうに勿体《もったい》ぶって、ひと芝居うって相手を煙に巻き、自分の功名談をして聞かせるのが大好きなのである。もっとも、自分のほうで話したくてたまらない、などということはそぶりにも見せない。どうだ、おれはこんな人間なのだぞ! というわけなのである。
 それにしても、この自尊に満ちた虚栄心が、いかに精緻にして巧妙な方法で保護されることか、また時として、これらの物語がいかにもの憂げな無造作な態度で語られることか! 話し手の調子はもとよりその一語一語に、いかに研究を重ねた伊達《だて》ぶりがうかがわれることか! それに、この連中はいったいどこでそうした技巧を習い覚えたのだろう!
 そういった入獄当座のことであるが、ある夜長の晩に、なすこともなく、悩ましい気持ちで寝板に身を横たえながら、わたしはこういう物語のひとつを聞いたが、まだ経験を積んでいなかったので、その話し手を何かたいした恐ろしい悪党のように思い、前代未聞の鉄のごとき意志の持ち主であるかのごとくに信じてしまった。そのくせ、当時、わたしは、ペトロフをほとんどからかわんばかりにしていたのである。その時の話題は、彼ルカ・クジミッチがほかならぬ自分の楽しみだけのために、さる少佐をばらしたということであった。このルカ・クジミッチは、わたしが前にちょっと話した同じ監房にいる小ロシヤ出の若い囚人で、尖り鼻の、小さなやせた男である。彼はほんとうのところロシヤ人で、ただ南方で生まれたというだけのことである。たしか地主邸に勤めていたらしい。彼にはまったく何かしら鋭い、鼻っぱしの強いところがあった。『山椒《さんしょ》は小粒でもぴりりとからい』というやつである。しかし囚人は本能的に人を見分けるものである。みんなはあまり彼を尊敬していなかった。これを監獄ふうにいうと、『あんまりやつを尊敬していなかった』のである。彼はむやみに自尊心が強かった。その晩、彼は寝板の上にすわって、シャツを縫っていた。肌着の仕立てがこの男の商売なのであった。そのそばには少々知恵の足りない、感じの鈍い、しかし善良で愛想のいい若者がすわっていた。これは、寝床を隣り合わせにしているコブイリンという、肉づきのいい背の高い囚人であった。ルーチカは隣り同士なので、よく彼と喧嘩をした。概して彼は上から見くだすような、人をばかにした態度で暴君のようにふるまったが、コブイリンはおめでたい性質のために、それと気づかずにいたというところもいくらかあった。彼は毛の長靴下を編みながら、気のない様子でルーチカの話を聞いていた。こちらは、かなりの大きな声で大っぴらにしゃべり立てる。彼はコブイリンだけに話しているようなふりをしていたけれども、そのじつ、みんなに聞いてもらいたくてしようがなかったのである。
「そこで、兄弟、おれは国のほうからCへ送られたんだよ」と彼は針を動かしながらいい出した。「つまり宿なしってわけでよ」
「それはいつのこったね、だいぶ前の話かね?」とコブイリンがきいた。
「やがて今に豌豆《えんどう》が熟れると、まる一年になるってわけさ。さて、Kの町まで来ると、おれはいっときそこの監獄へ入れられた。見ると、そこには十二人ばかりのやつが食らい込んでいたが、みんな小ロシヤの者ばかしで、背が高くて、どっしりと頑丈なからだつきで、まるで牡牛さ。そのくせ、みんないやにおとなしいんだ。食い物ときたらひでえもんで、おまけにそこの少佐のやつが、みんなを自分の思うずんぶん[#「ずんぶん」に傍点]に引きずりまわしてるじゃねえか(ルーチカはわざと言葉を訛らしたのである)。おりあ一日二日じっと見ていたが、みんな意気地なしの連中ばかりだ。そこで、いってやったよ、なんだっててめえっちはあんなばか野郎に勝手な真似をさしておくんだ? 『ふむ、それじゃ自分で奴さんと談判して来るがいい!』そういって、みんなはにやにやおれを笑ってやがるじゃねえか。おれあなんにもいわねえで黙っていたよ」
「ところが、そこに一人とてもおかしな小ロシヤ人がいてな、兄弟」と彼は出し抜けにコブイリンを打っちゃらかして、みんなのほうに振り向きながらつけ加えた。「裁判で判決を受けた時のことから、裁判官と話をしたことなんか、くどくどいっちゃ、おいおい泣き出すじゃねえか、国にゃ女房子が残っているとかなんとかいってな。そういうご当人は、大きな図体をした胡麻塩頭の太っちょじゃねえか。『おれあ判事にいろいろ泣きついたが』とそいつがいうのさ。『まるっきりききめがありゃしねえ! 判事の畜生め、いつまでもいつまでも何か書いてばかりいやがる。そこで、おれあ口の中でそういってやった、この野郎、くたばってしまやがれ、そばで見物してやるから! ってな。それでも判事め、やっぱり書いて書いて書きまくってるんだ、まるで歌でも書いているみてえにさ!………それで、おれもいよいよお陀仏になってしまったよ!』おい、ヴァーシャ、糸をくんねえか、こんな監獄の腐れ糸、しようがありゃしねえ」
「こりゃ市場のだよ」とヴァーシャは糸を渡しながら答えた。「おれたちの仕立て工場の糸のほうが上等だよ。この間ネヴァリードを買いにやったが、やつめ、手に負えねえ性悪女《しょうわるおんな》のところから買って来やがって!」とルーチカは明りにすかして、糸を通しながら言葉を続けた。
「馴染《なじ》みのとこだな、つまり」
「そうよ、馴染みのとこよ」
「そこで、どうだね、その少佐はどうしたい?」と、すっかり除《の》け者にされたコブイリンが問いかけた。
 そこがルーチカの思う壺だったのである。しかし、彼はいきなり自分の物語を続けようとしなかったばかりか、コブイリンには一顧の注意をも払わないようなふりさえしていた。悠々と糸の始末をして、落ちついた大儀そうな恰好であぐらを組み直すと、その時ようやく口を切った。
「とうとうおれは仲間の小ロシヤ人を焚きつけて、少佐に会いたいとごて出したもんだ。おれはもう朝のうちから刀《どす》を隣のやつから借りて、そいつをかくしておいたよ、つまり、万一の用心によ。少佐のやつ、かんかんになってやって来た。さあ野郎ども、臆病風を吹かしちゃいけねえぜ、とおれはいったもんだが、奴さんたちはもう睾丸を縮みあがらしちゃって、ぶるぶるふるえてるじゃねえか! そこへ少佐が駆け込んで来た。酔っぱらっていやがるんだ。『ここにいるのはだれだと思う! どうしてここにいるのか知っとるか! おれは皇帝《ツアー》だぞ、おれは神様だぞ!』」
「やつが『おれはツアーだぞ、神様だぞ』というが早いか、おれはいきなり前に出て行った」とルーチカは続けた。「刀《どす》は袖の中にしのばせてあるんだ」
「『いや、少佐殿』といいながら、おりあじりじりと相手のそばへ寄って行ったのさ。『いいえね、少佐殿、あなたがわっしらのツアーで神様だなんて、どうしてそんなことがあるんでごぜえます?』
『ははあ、それじゃきさまだな、あれはきさまのさし金だな』と少佐はどなりやがった。『謀叛人め!』
『いや』といいながら、おれはやはりじりじりとそばへ寄ったもんだ。『いや、少佐殿、あなたもちゃんと先刻ご承知のことと思いやすが、全知全能の神様ってものはただ一人きりでさあね。それにツアーだってただおひとかただけで、それは神様がご自分で、わっしらみんなの上に据えてくだすったんでごぜえますよ。あなたなんざあ、ただの少佐だけで、ツアーのお情けとご自分のお手柄で、わっしらの長官になったばかりじゃごぜえませんか』
『な、な、な、なんだと!』とやつはいい出したが、息がつまってあとが出ねえのさ。ひどく面くらやがったわけだ。
『なにもくそもあるもんか』というが早いか、おれはいきなりやつに飛びかかって、ちょうど腹の真ん中へずぶっと刀《どす》を突き刺してやった。うまくいったものよ。奴さん、そこへぶっ倒れて、ただ足をばたばたさせるばかりさ。おれあ刀をほうり出して、
『野郎ども、見たか、さあ、あいつを担いで行け!』」
 ここでわたしはちょっと横道へ入ることにしよう。不幸にも『おれはツアーだぞ、おれは神様だぞ』とか、その他これに類した多くの表現は、昔多くの長官たちの間でさかんに使われたものである。ただし、断わっておかなければならないが、こうした長官は、いまあまりたくさん残っていないのみならず、まったく跡を絶ってしまったかもしれない。もうひとつ注意しておくが、こういう表現でとくに見得を切ったのは――見得を切ることを好んだのは、おおむね下士あがりの隊長であった。将校という官位が、彼らの臓腑をでんぐり返し、同時に頭をぼっとさせてしまったらしい。長いこと下積みの仕事で汗水垂らし、部下としてのあらゆる段階をこえて来たあとで、急に自分が将校となり、長官となり、お上品な仲間に入っているのを見たとき、不慣れなのと、うちょうてんになったために、自分の力と価値に関する観念を、誇張しがちなものである。もちろん、それは自分に従属する部下に対しての話であって、長上の前へ出ると、彼らは相変わらずなんの必要もないのに、多くの長官に反感を催させるほど、卑屈な態度をとるのである。こうした卑屈な連中のなかには、上長官の前へ出ると、自分は将校でこそあるけれども、下士出身なので、『いつも自分の地位は心得ております』と特別な感動さえいだきながら、いそいで吹聴するものさえある。ところが、部下の者に向かった時には、ほとんど無限の権力を持った命令者になりすますのだ。もちろん、いまどき『おれは皇帝だぞ、おれは神様だぞ』などとわめき立てるような連中があるかどうか、おそらくそんなのはどこにも見当たらないだろう。が、それにもかかわらず、わたしはとにかく注意しておくが、上官のこういったふうのいいまわしほど、囚人たちのみならず一般に下級の官吏たちの癪に障るものはないのである。こうした厚かましいうぬぼれや、頭の押え手がないという誇張した考えは、いかに従順な人間の心にも憎悪を呼びさまし、ついには堪忍袋の緒を切らせるものである。幸いにも、これらはすべてほとんど過去のことであり、しかもその当時から、当局によって厳重に取り締まられていたものである。そうした実例はわたしも多少知っている。
 概して、いやに嵩《かさ》にかかった無造作な態度や、汚いものでも扱うような応対ぶりなどは、すべて下級のものをいらだたせるものである。長官たちの間には、たとえば囚人についても、食事をじゅうぶんにしてやって、衣服その他の設備をよくしてやり、すべてを法規どおりに実施してやりさえすれば、それでことは足りると思っているような連中がいる。が、これも同様に考えちがいである。たとえだれであろうとも、どんなに卑しい境遇に落ちた人間でも、かならず本能的にしろ、無意識的にしろ、自分の人間としての価値に対して尊敬を要求する。囚人は自分が囚人であり、社会の除《の》け者であることを自分でも承知して、上官に対するおのれの位置を心得ている。しかし、いかなる烙印、いかなる足枷をもってしても、彼が人間であることを忘れさせるわけにはいかない。彼はじじつ、人間なのであるから、したがって人間らしく扱わなければならないのだ。ああ! じっさい人間らしい[#「人間らしい」に傍点]扱いというのは、もうとっくに神の面影の薄れているようなものさえも、人間らしくすることができるのである。こういう、『不仕合わせな人々』こそ、いちばん人間らしく扱ってやらなければならない。それは彼らにとって救いであり、喜びである。わたしはそうした善良高潔な長官に、いくたりか出会った。また、彼らがこれらの敗残者に及ぼした影響をも、見て知っている。ほんのふた言み言優しい言葉をかけてもらっただけで、囚人たちは精神的に復活せんばかりなのである。彼らは子供のように喜び、子供のように愛し始めるのだ。なおひとつ不思議な事実を指摘しておこう。囚人たちはあまりに馴れ馴れしい、あまりにも[#「あまりにも」に傍点]人の好すぎる長官の態度を喜ばないのである。彼らは長官を長官として尊敬したがっているのに、これではなんだか尊敬できなくなるのである。囚人たちは長官が勲章をいくつも持っており、風采も堂々として、さらにえらい長官のお覚えがめでたく、厳格で、貫禄があって、公明正大で、自分の品位を守っていく、そういうふうであるのが好ましいのだ。囚人たちはそうした長官をむしろ喜ぶのである。自分の品位もりっぱに保ったし、囚人たちにもいやな思いをさせなかった、してみると、何もかもりっぱにうまくいったというわけである…………………………………
「それじゃあ、きっとおまえは小っぴどい目にあわされたろうな!」とコブイリンが落ちつき払ってたずねた。
「ふむ! そりゃ小っぴどい目にあわされたよ、おめえ、たしかに小っぴどい目にあわされたとも。アレイ、鋏《はさみ》を貸してくんねえか? おい、どうしたんだ、みんな、きょうはマイダンをやんねえのかい?」
「とっくの昔に有り金を呑んじまったのよ」とヴァーシャがいった。「もしそうでなかったら、今ごろはやっていたかもしれねえのだがな」
「もし、だって! モスクワだったら、その『もし』で百両貸してもらえるんだがな」とルーチカが応じた。
「ところで、ルーチカ、おめえはその一件でいくつちょうだいしたんだい?」とコブイリンがまた話の縒《より》をもどした。
「そうさな、兄弟、百五つばかりちょうだいしたよ。いや、兄弟衆、うそも隠しもねえ、おりああやうくなぐり殺されるところだったよ」とルーチカは、またもやコブイリンをそっちのけにしてしゃべり出した。「そこで、この百五つっていうやつが決まった時、隊ぜんたいの兵隊が本式にずらりと並んで、そこへおれが引き出されたんだ。それまで、おりあ一度も笞の味を知らなかったのさ。見物が黒山のように押しかけて来たよ、強盗の人殺しが罰を受けるところを見てやろうってわけで、町じゅうのものが集まったのさ。その見物連中のばかさ加減ときたら、お話にもなんにもなりゃしねえ。執行人がおれを素っ裸にして、俯向きに寝かせておいて、『さあいいか、食らわすぞ』ってどなりゃがる。どうなることかと待っていると、まずひとつぴしっと来やがった。おりあ声を立てようとして、口をあけたものの、声さえ出ねえ始末だ。つまり、息がとまっちまったのさ。二つめを食らわされた時にゃ、まあ、ほんとうにするかしねえか、とにかくおりあ、二つ[#「二つ」に傍点]と数える声も聞こえねえくらいだった。ふと気がついて見ると、十七と数える声が聞こえるじゃねえか、こんな調子でおりあその後で四度も拷問台から下ろされて、三十分ずつ息抜きさしてもらったよ。水なんかぶっかけやがってね。おりあ目をむいて、きょとんとみんなの顔を見ながら、『これでいよいよお陀仏だ……』と考えたものよ」
「でも、死ななかったじゃねえか?」とコブイリンは無邪気な調子でいった。
 ルーチカはさもさもばかにしきったような目つきで、彼をじろりと見まわした。どっとばかり笑い声が起こった。
「よくよくのぼんつくだなあ!」
「こいつ、天井のとこが少々どうかしていやがるんだ」とルーチカは、こんな男を相手に話なんか始めたのを、後悔するようにいった。
「つまり知恵が足りねえんだ」とヴァーシャがとどめを刺した。
 ルーチカは六人も人を殺したが、獄内ではついぞだれひとり彼を恐れるものはなかった。もっとも、彼自身は心ひそかに、恐ろしいやつという名が売りたかったらしい様子なのである……

[#3字下げ]9 イサイ・フォミッチ――[#「9 イサイ・フォミッチ――」は中見出し]
[#5字下げ]風呂屋――バクルーシンの話[#「風呂屋――バクルーシンの話」は中見出し]

 そろそろ降誕祭が近づいて来た。囚人たちはなんとなく改まった気持ちで、それを待ち受けていたし、わたしも彼らを眺めているうちに、やはり何か異常なものを待ち設けるようになって来た。祭の四日ばかり前に、わたしたちは風呂へ連れて行かれた。わたしの在監当時、ことに入獄の一、二年間というものは、囚人が入浴につれて行かれることはまれであった。一同は喜んで支度を始めた。時刻は午後ということになっていたので、その午後はずっと労役がないわけであった。わたしたちの監房でだれよりもいちばん喜んで、いそいそしだしたのは、この物語の第四章ですでに一言しておいたユダヤ人の徒刑囚イサイ・フォミッチ・ブムシュテインであった。彼は頭がぼっとして、感覚がなくなるほど湯気で蒸されるのが好きだった。今でもわたしは古い記憶をくり返して、たまたま徒刑時代の入浴のことを思い起こすと(それは忘れずにいるだけの値打ちがあるのだ)そのつど、すぐさま画面の前景に現われて来るのは、わたしの徒刑生活の仲間であり、監房からいって同宿であるイサイ・フォミッチの世にも満足そうな、忘れようにも忘れられない顔つきである。いやはや、なんという滑稽な面白い男であったろう! 彼のからだつきのことはすでに数言を費しておいた。年は五十がらみで、精のない皺だらけな顔には、双の頬と額のところに見るも恐ろしい烙印を押され、やせてひ弱そうな、若鶏そっくりの白いからだをしていた。その顔には、たえず何ものにも揺るがされることのない自己満足、というより、むしろうっとりするほどの幸福感が描かれていた。どうやら、彼は徒刑場へ来たことを、いささかも悔んでいないらしかった。彼はもともと金銀細工師で、しかもこの町にそのほうの職人がいなかったので、町の旦那がたや役人たちの注文を受けて、たえず金銀細工の仕事ばかりをしていた。彼はたとえいくらかなりとも、とにかく手間賃をもらっていた。金に不自由するどころか、むしろ裕福に暮らしていたが、しかし金はせっせと積み立てて、監獄じゅうの者に質草を取っては貸し付けていた。彼は自分のサモワールも持っていれば、気の利いた敷蒲団、茶碗、食器ひと揃いなども調えていた。町のユダヤ人たちも彼とつきあって、保護者の態度をとっていた。土曜日ごとに、彼は護送つきで町にあるユダヤ教の礼拝堂へ出かけるなど(それは法律で許されていたのだ)、すこぶる暢気に暮らしていたが、それでも『女房をもらう』ために、十二年の刑期を勤め上げるのを、一日千秋の思いで待っていたのである。この男には無邪気と、愚鈍と、狡猾《こうかつ》と、大胆と、単純と、臆病と、高慢と、厚顔とが、滑稽このうえもない混合をなしていた。囚人たちはいっこう彼のことを笑おうとせず、ほんの気晴らしにからかうだけなので、それがわたしにはひどく不思議に思われた。あきらかに、イサイ・フォミッチは一同の気晴らしになり、年じゅうなぐさみ者になっていた。『あいつはここじゃかけ替えのない人間だ、イサイ・フォミッチにかまうじゃねえぞ』と囚人たちはいっていた。イサイ・フォミッチも、なんのためかということは承知していながら、自分が大事にされているのをいかにも自慢そうにしていた。それが囚人たちには面白くてたまらないのであった。
 彼がこの徒刑場へ来た時の様子はこっけいきわまるものであった(わたしの来る前だったが、わたしは人から話を聞いていた)。ある夕方、休息時間に、一人のユダヤ人が送られて来て、いま衛兵所で頭を剃られているから、間もなくここへ入って来るだろうといううわさが獄内へひろまった。そのころ、徒刑場には一人のユダヤ人もいなかったのである。囚人たちは首を長くして待ちかまえ、彼が門を入って来ると、いきなりぐるりを取り巻いた。監獄付きの下士が彼を普通監房へ連れて行って、寝板の上の居場所を示した。イサイ・フォミッチは袋を手に持っていたが、その中には官から支給された物や、私有品などが入っていた。彼は袋を下に置いて、寝板の上にはいあがり、目をあげて人の顔を見ようという気力もなく、あぐらをかいてそこへすわり込んでしまった。その周囲には笑い声が起こり、彼がユダヤ人であることを仄めかす監獄式の洒落が飛ばされた。とつぜん、一人の若い囚人が、人垣を押し分けて進み出た。その手には思いきって古ぼけた、汚れてぼろぼろになった夏のズボンと、官給品の裏地をおまけに添えて持っていた。彼はイサイ・フォミッチのそばに腰をおろして、ぽんとその肩をたたいた。
「よう、おっさん、おらあここで六年の間おめえの来るのを待ちこがれていたんだぜ。さあ、これを見てくんねえ、うんと貸してくれるかい?」
 こういって、彼は持参のぼろを相手の前へひろげた。
 イサイ・フォミッチは、監獄へ入ると同時に、すっかりおじけづいてしまって、ひしひしと自分を取り巻いた群集の、嘲けるような笑いを浮かべた、醜悪な、ものすごい顔をまともに見る勇気もなく、気おくれがして、まだひと言も口をきくことができないでいたくせに、この質草を見るが早いか、いきなりぶるっと武者ぶるいして、勢いよく指さきでそのぼろをいじくり始めた。はては明りにまで透かして見るのであった。一同は彼が何をいうかと待っていた。
「どうだい、銀貨一ルーブリはまさか出してくれめえな? それだけの値打ちはあるんだが!」と質草を持って来た男は、イサイ・フォミッチに目をぱちぱちさせて見せながら、言葉を続けた。
「銀貨一ルーブリはだめだが、七コペイカなら、貸してやるよ」
 これがイサイ・フォミッチの獄内で発した最初の言葉であった。一同は腹をかかえて笑った。
「七コペイカ! ええ、それじゃ七コペイカでもいいからよこせ。てめえは果報者だな? いいか、しっかり預かるんだぜ、失くしたらてめえの首がねえぞ」
「利息が三コペイカだから、みんなで十コペイカになるよ」
 ユダヤ人はふるえる声でちぎれちぎれにこういいながら、ポケットに手を突っ込んで金をさがしさがし、おっかなびっくりで囚人たちを見まわすのであった。彼はひどくいじけているくせに、商売だけはしたかったのである。
「一年に三コペイカなのかね、その利息の金ってえのは?」
「いんや、一年じゃねえ、ひと月にだよ」
「このユダヤ人め、がっちりしてやがるな。ときに、おめえの名はなんていうんだい?」
「イサイ・フォミッチてんで」
「いや、イサイ・フォミッチ、おめえはここでさきざき大きに仕上げるだろうぜ! あばよ」
 イサイ・フォミッチは、もう一度質草をあらためてから、丁寧に畳んで、囚人たちが相変わらず声高に笑い続けている中で、さも大事そうに自分の袋の中へ押し込んだ。
 じっさい、一同は彼を愛してさえいるかのようであった。ほとんどみんなが彼に借金していたにもかかわらず、だれ一人として彼を侮辱するものなどはなかった。ご当人の彼も雌鶏のように人が好くて、みんなが自分に好感をいだいているのを見ると、妙に元気づいてさえ来たが、それもきわめて単純な滑稽味を伴なっているので、すぐ大目にみてもらえるのであった。今までたくさんのユダヤ人を知っていたルーチカは、よく彼をからかったが、それはけっして悪意からでなく、ただちょっと面白半分のためで、よく人が犬や、鸚鵡《おうむ》や、芸を仕込んだ獣などを相手にして、面白がるのと同じようなふうであった。イサイ・フォミッチもそれをよく承知しているので、いささかも腹を立てず、いともたくみに洒落のめした。
「おい、ジュウ、ぶんなぐってくれるぞ!」
「おめえがおれを一つなぐったら、こっちは十なぐり返すぞ」とイサイ・フォミッチは侠《いさ》み肌の調子で答える。
「この汚らわしい疥癬《かいせん》かきめ!」
疥癬かきでも大きなお世話だい」
疥癬かきのジュウ!」
「なんだろうと、かんだろうとかまってもらうめえ。疥癬かきだってこっちや金持ちだあ。お銭《あし》がこのとおり」
「キリストを売りやがったくせに」
「それだってかまやしねえさ」
「うめえぞ、イサイ・フォミッチ、えれえもんだ! こいつに手出しをしねえがいいぜ、なにしろここじゃ掛け替えのねえ人間だからな!」と囚人たちはどっと笑い崩れながら叫ぶ。
「やい、ジュウ、笞を食らって、シベリヤへやられるぞ」
「なに、今だってもうシベリヤにいるじゃねえか」
「もっと遠くへやられるんだ」
「なにかね、そこにも神様はいらっしゃるかね?」
「そりゃ、いらっしゃるにゃいらっしゃるさ」
「ふむ、それならかまわねえ。神様がいらっしゃって、お銭さえありゃ、どこへ行っても楽なもんだよ」
「えれえぞ、イサイ・フォミッチ、たしかにえれえやつらしい!」とまわりでみんなが囃し立てる。イサイ・フォミッチは、自分がからかわれていることを承知しながら、元気そうにしていた。
 一同の賞讃がいかにもうれしくてたまらない様子で、彼は監房じゅうへ響くような細い最高音で、リャ、リャ、リャ、リャ、リャ! とうたい出すのであった。なにかしらばかげた滑稽な節で、彼が徒刑生活のあいだしじゅううたっていた、ただ一つの、歌詞のない歌であった。その後、わたしと親しく知るようになってから、彼は誓いまで立てながら、こんなことをわたしに力説したものである。これこそ六十万のユダヤ人が黒海を渡る時、老若男女、声を合わせてうたった歌であり、またその時の節であって、すべてのユダヤ人は祭典の時とか、敵に勝った場合など、かならずこの節をうたわなければならぬことになっている。
 毎週、土曜日の前夜、つまり金曜日の晩には、イサイ・フォミッチが安息日の祈りをする様を見るために、ほかの監房の連中までが、わたしたちのところへわざわざやって来たものである。イサイ・フォミッチは罪のないほら吹きで、みえ[#「みえ」に傍点]坊だったので、一同がこうして好奇心を示してくれるのに、満足すら感じたくらいである。彼はペダントじみるほどわざとらしいもったいをつけて、片隅に自分の小さなテーブルを据え、クロースを掛け、その上に本をひろげて、蝋燭を二本立て、何かぶつぶつと秘文《ひもん》を唱えながら、自分の袈裟《けさ》(彼の発音はけしゃ[#「けしゃ」に傍点]なのである)をまといはじめる。それは、けばけばしい色をした毛織の上っ張りで、彼はそれを大切に箱の中にしまっているのであった。両の手には手甲のようなものをつけ、頭にはちょうど額の真上に、なにかしら小さな木箱を紐で縛りつけた。そのために、イサイ・フォミッチの額から、何か滑稽な角でも生えたような恰好になるのであった。それから、やがて祈祷が始まる。彼は歌でもうたうような調子で唱えたり、わめいたり、唾を吐いたり、ぐるぐると向きを変えたり、荒々しい滑稽な身ぶりをしたりした。もちろん、それはみんな祈祷の儀式として定められていることなので、それだけならなにもおかしいことも不思議なこともないわけだったが、滑稽なのは、イサイ・フォミッチがわたしたちの前でわざと気取って、自分の儀式をひけらかしているらしく思われる点であった。不意に両手で頭を押えて、泣きじゃくりしながら祈祷を唱え出す。そのすすり泣きがだんだん烈しくなると、彼は萎《な》え衰えた様子で、ほとんど咆哮の声を上げんばかりに、方船《はこぶね》を額につけた頭を書物の上にうつぶせる。かと思うととつぜん、烈しいすすり泣きの間からたかだかと笑い声を立てて、なにかしら感動にみちた、同時に荘重な、幸福が溢れて力抜けのしたような声で、歌でもうたうように誦文《じゅもん》を唱え出す。「どうだ、あの夢中になってやがることは!」と囚人たちはよくいったものである。ある時、わたしはイサイーフォミッチに、いったいそのすすり泣きと、すすり泣きから急に幸福と法悦に変わっていくあの荘重な推移は、いったいなにを意味するのかときいてみた。イサイ・フォミッチは、わたしからこんなふうに根掘り葉掘りされるのをひどく喜んだ。彼はさっそく説明してくれた。この哀泣と慟哭は、エルサレムの喪失という思想を表わすのであって、この思想を表わすべき時には、できるだけ烈しく慟哭して、できるだけ強く胸を打つようにと、聖典にもそう定められてある。しかし、最も烈しい慟哭の間に、彼イサイ・フォミッチはとつぜん[#「とつぜん」に傍点](このとつぜん[#「とつぜん」に傍点]も同じく聖典の定むるところである)、何げなくといったような形で、ユダヤ民族がエルサレムへ帰るという予言のあることを思い起こさねばならぬ[#「ねばならぬ」に傍点]。その時、彼は猶予なく歓喜の爆発を歌と哄笑によって表わし、祈祷を唱えるのにも、声そのものでできるだけの幸福を表現し、顔にはできるだけの荘重さと、高潔さを示さなければならないのである。このとつぜん[#「とつぜん」に傍点]の転換と、この転換が必須の義務であるという点が、なみなみならずイサイ・フォミッチの御意に召していた。彼はそこに何か特別な、巧妙無比な手品でもあるように思い込んで、さも自慢そうに、この凝りに凝った聖典の掟をわたしに伝えたものである。一度、このお祈りが最高潮に達した時、要塞参謀が衛兵士官と警護兵を連れて、監房の中へ入って来た。囚人はみんな自分の寝板のわきに反り返って、不動の姿勢をとった。ただイサイ・フォミッチだけは、ますます大声を張り上げてわめいたり、もったいらしい所作を続けるのであった。彼は祈祷が公に許されていることを承知していた。で、中途でそれをやめるわけにいかないから、少佐の前でわめき立てても、もちろんなんの危険もないことを心得ていたのである。しかし、少佐の前でもったいぶった身ぶりをし、わたしたちの前で気取って見せるということが、彼にとってはたまらないほどいい気持ちだったのである。少佐はもう一歩というとこまで彼に近づいた。イサイ・フォミッチは自分のテーブルのほうへ尻を向け、少佐のほうへ面と向かって、両手を振りまわしながら、例の荘重な予言を節をつけて唱え出した。ところがその時、掟によるとなみなみならぬ幸福と、気品を顔に表わすことになっていたので、彼はさっそくそれに取りかかった。つまり、妙に目を細めて笑いながら、少佐にうなずいて見せるように頭を振るのであった。要塞参謀は面くらった。が、ついにぷっと噴き出して、彼に面と向かって「ばか」というなり、むこうへ行ってしまった。イサイ・フォミッチはさらに叫喚の声を高めた。一時間たって、彼がすでに夜食を始めたとき、わたしは彼に向かって、
「どうだね、もしか要塞参謀が、例のわからずやの癖を出して、腹でも立てたら?」とたずねてみた。
「要塞参謀ってなんのこったね?」
「なんのことかって? いったいおまえさんは見なかったのかね」
「見ないよ」
「だって、あの人はおまえさんの前ほんの一アルシン([#割り注]約七十一センチ[#割り注終わり])のところに立っていたじゃないか、つい鼻のさきにさ」
 しかし、イサイ・フォミッチは大まじめな顔をして、自分は要塞参謀なんか、てんで見やしなかった、ああいう場合、すなわちあのお祈りを唱える時には、自分は一種の陶酔状態に陥るので、まわりで起こっていることをそれこそいっさい見も聞きもしないのだ、といい張った。
 イサイ・フォミッチが土曜日になると、聖典に定められているとおり、なんにもしないようにと一生懸命に苦心しながら、監獄中を用もなくふらふら歩きまわっている姿、わたしは今でもそれを目の前に見るような思いがする。彼がユダヤ教の礼拝堂から帰って来るたびに、なんという突拍子もない逸話をわたしに話して聞かせたことか、なんという珍無類なペテルブルグ仕込みのニュースやうわさ話を、わたしのとこへ持って来てくれたものだろう。それは、彼の誓っていうところによると、仲間のユダヤ人から聞いたもので、そのユダヤ人たちは直接、たしかな筋から耳にしたというのであった。
 が、わたしはもうあまりイサイ・フォミッチのことばかり話しすぎた。
 町じゅうに公衆浴場は二軒しかなった。そのうち、さるユダヤ人の経営しているほうは、浴室が別々になっていて、各室とも料金五十コペイカずつであり、おえらがたの入るものとされていた。もう一軒のほうは主として、一般民衆用の、古ぼけた、きたならしい、狭い浴場で、われわれ囚人が連れられて来るのは、つまりこのほうなのであった。陽はあたっていたけれども、寒さの冴え返った日であった。囚人たちは要塞から外へ出たが、町が見られるというだけで、もう大喜びなのであった。冗談や笑い声がみちみち絶えなかった。装填してある銃を担いだ一小隊の兵士がわたしたちを護送して、町じゅうの目を見はらした。湯屋へつくとすぐ、わたしたちはふた組に分けられた。第二の組は、第一の組がからだを洗っている間、寒い脱衣場で待っていなければならなかった。浴場が狹いので、そうするより仕方がなかったのである。が、それにもかかわらず、浴場はひどい狭苦しさで、わたしたちの半数にもせよ、どうして一時に入れたものか、想像もつかないくらいであった。しかし、ペトロフはわたしのそばを一歩も離れなかった。彼は頼まれもしないのに、自分からわたしのそばへ飛んで来て、いろいろ手伝いをするばかりか、からだを洗ってやろうとさえ申し出たほどである。ペトロフといっしょに、われわれ仲間で土工兵と呼ばれていた、バクルーシンという特別監の囚人も、わたしの世話役を買って出た。わたしは前にこの男のことを、囚徒の中でも最も快活な、最も愛すべき人間として一言しておいたが、じじつ彼はそのとおりの人間だったのである。わたしと彼はもう多少知り合いになっていた。ペトロフは、わたしが着物を脱ぐのまで手伝ってくれた。というのは、わたしが不慣れなため、着物を脱ぐのに長く手間どったし、脱衣場はほとんど外と変わりがないほど寒かったからである。ついでにいっておくが、囚人が獄衣を脱ぐのは、まだじゅうぶんに慣れきらないうちは、まことに容易ならぬことなのである。第一に、足枷下の紐を手早く解かねばならない。この足枷下というのは、長さ六寸ばかりの皮で作ったもので、足に嵌まっている鉄の輪の下にぴったり当たるように、ズボン下の上から着用するのである。ひと組の足枷下は、すくなくとも銀貨で六十コペイカはするのだが、囚人たちはだれも一人残らずそれを持っていた。むろん、自弁で買うのだ。これがなかったら、とても歩けないからである。足枷の輪は足にぴったりくっついていず、輪と足の間に指一本はいるくらいの余裕があった。こういうわけで鉄が足にぶっつかったり、擦れたりするので、もし足枷下がなかったら、囚人は一日で足に擦り傷をつくってしまったに相違ない。しかし、足枷下を取るのはまださほどむずかしくはない。それよりさらに骨が折れるのは、足枷の下からうまくズボン下を引き抜くこつ[#「こつ」に傍点]を覚えることである。それはもうりっぱに一つの手品であった。まずかりに左足からズボン下を脱いだとすれば、はじめそれを足と足枷の輪の間に通して、足が自由になったところで、そのズボン下をもう一度同じ輪に通さなければならぬ。それからもう左足から脱いでしまった部分を、右足の輪に通して引き抜き、ついで右の輪に通したもの全部をまたもとのほうへ、自分のほうへ引き抜くのである。新しいズボン下をはく時にも、やはりこれと同じ手数をかけなければならなかった。新参者などは、いったいどんなふうにしたらいいものやら、見当もつかないくらいである。はじめてわたしたちにこれをすっかり教えてくれたのは、トボリスクで五年も鉄鎖に繋がれていた強盗の首魁《しゅかい》コレーネフであった。しかし、囚人たちは慣れっこになってしまって、いっこうこまった様子もなくやってのけるのである。わたしはペトロフに幾コペイカか渡して、石鹸と垢すりを買わした。もっとも、囚人たちは官給品の石鹸を一片ずつ支給されはしたものの、それは大きさ二コペイカ銅貨大で、厚さは「中どころ」の家庭で晩の前菜に出されるチーズよろしくなのであった。石鹸はすぐそこの脱衣場で、蜜湯や、丸パンや、湯などといっしょに売っていた。流し湯は、浴場の主人との契約によって、囚人一人について桶一杯ずつもらえることになっていた。しかし、きれいにからだを洗いたいと思うものは、二コペイカ出せばもう一杯買うことができた。それは特別に設けてある小窓越しに、脱衣場から浴場へじきじき渡されるのであった。着物を脱ぎ終わると、ペトロフはわたしが足枷で歩き悩んでいるのを見て、腕を取って引っぱってくれた。「あんた、そいつを上のほうへ引き上げなさるといい、腓脛《ふくらはぎ》のとこまで」と彼はわたしを支えながら、付き添いの爺やのような調子でいった。「おっと、そこんとこは気をつけて、閾《しきい》だから」わたしはいくらか気恥ずかしくさえなって来た。自分一人でもけっこう歩けるということを、ペトロフに納得させたかったけれども、そんなことをいったところで、彼はほんとうにはしなかっただろう。彼のわたしに対する応対ぶりは、まるで子供か、丁年に達しない若造か、能なしでも相手にしているようで、こんなのはだれしも助けてやるのが人間としての務めだ、と思っているらしかった。ペトロフはけっして下男根性の男ではない、何はともあれまず下男でないことだけはたしかである。もしわたしが彼にひどい侮辱でも加えたら、わたしに対していかなる手段をとったらいいかを、彼はちゃんと承知しているはずである。また世話になるからといって、お礼の金の約束などはてんでしなかったし、彼のほうでもそんなものをねだったことなどはないのだ。そもそも何が動機で、彼はこうもわたしのめんどうを見ようという気になったのか?
 わたしたちがいよいよ浴場の戸をあけた時、わたしは地獄へ入ったのかと思った。ひとつ、間口奥行とも十二歩くらいの部屋を想像してみていただきたい。その中にはおそらく百人、すくなくとも八十人くらいの人が一時に詰め込まれているのだ。なにしろ、囚人たちは二交代に分けられたのだけれども、浴場へやって来たわれわれの人数は、二百人になんなんとするからであった。目の前を蔽い包む湯気、煤煙、垢《あか》、それに足の踏み場もないほどの混雑。わたしは面くらって引っ返そうとしたが、ペトロフがすぐそばから励ましてくれた。床にすわり込んでいる人たちの頭をまたぐようにし、すこし屈んで通してもらいたいと頼みながら、わたしたちは苦心|惨憺《さんたん》したあげく、やっとどうにかこうにか、腰掛けのところまで辿り着いた。が、腰掛けの上も場所が全部ふさがっていた。ペトロフは、席を買わなければならないといって、さっそく窓のそばに陣取っている囚人と、値段の掛け合いを始めた。相手は一コペイカで席を譲ることにするが早いか、即座にペトロフから金を受け取った。ペトロフはそれを見越して金を拳に握りしめ、浴場へ持ち込んでいたのである。男はたちまち腰掛けの下へ潜り込んだが、そこはわたしの席のすぐ下に当たる場所で、薄暗いうえにきたなくて、べとべとした湯垢が一面にこびりついて、指の半分くらいの厚さに積もっていた。しかし、腰掛けの下の場所もぜんぶ占領されていた。そこでもやはり人がうようよしているのであった。流しの床には、掌を入れるほどの隙間も残っていなかった。どこを見ても囚人たちがからだを曲げて、めいめい自分の桶の湯をばちゃばちゃはねかしながら、すわっていた。ほかの連中はそのあいだあいだに棒立ちになって、桶を両手にかかえこみ、立つたままで洗っている。彼らの流す汚れ水が、下にすわっている連中の半分剃った頭の上へ、遠慮なくかかるのであった。棚の上([#割り注]ロシヤの風呂には棚が幾段かついていて、上へ昇るほど熱いのである[#割り注終わり])にも、そこへ昇る段々の上にも、洗い終わった囚人たちが身を縮かめたり、曲げたりしながらすわっていた。しかし、体を洗っているものは少なかった。下層階級の人々は湯や石鹸でからだを洗うということをあまりしない、彼らはただ湯気で思う存分蒸されたのち、つめたい水を浴びるばかり、――それで入浴がすんだことになるのだ。かれこれ五十本くらいの風呂箒が、棚の上でいっせいにあがったりさがったりしていた。みんな酔っぱらったようになるまで、それでからだをぴしゃぴしゃたたくのであった。蒸気はひっきりなしに吹き出した。それはもう熱いなどといったようなものではなく、てもなく地獄の沙汰であった。床を引きずる鎖の響きにつれて、何もかもが囂々《ごうごう》たるわめき声を立てていた……なかには、大勢の間を通り抜けようとして人の鎖に絡まったり、下にすわっている者の頭に足をぶっつけたり、倒れたり、ののしったり、触った人をいっしょに倒したりした。汚れ水は四方八方から流れて来た。一同がなにかしら酔い痴《し》れたような、興奮した気分になっていた。金切り声がたえず響いた。湯桶を渡す脱衣場のそばの小窓の口では、罵言《ばり》の声につれて、押し合いへし合いのごった返しが演じられている。受け取った湯は、自分の場所へ運んで来るまでに、床にすわっている連中の頭の上に、ほとんどこぼれてしまった。銃を手にして、なにか不始末はないかと気を配っている兵隊の髭面が、ときおり窓口や、細目にあけた戸の間からひょいひょいのぞく。囚人たちのなかば剃られた頭や真っ赤に茹だったからだが、いよいよ醜怪に見えて来る。真っ赤になった背中には、かつて受けた笞や棒の傷痕が一様に浮き出して、それらの背中は、今度また新たに傷を受けたもののように思われるのであった。おそろしい傷痕! それを見ていると、わたしは膚《はだえ》が粟《あわ》を生じた。また蒸気が吹き出す、――と湯気は濃い熱い雲のように浴場を一面に包んでしまう。あたりに喧々囂々の叫びが起こる。その湯気の雲の中から、傷だらけの背中や、剃りこぼたれた頭や、曲がった手足が見え隠れする。かてて加えて、イサイ・フォミッチがいちばん高い棚の上で喉も裂けよとがなり立てる。彼は気の遠くなるほど蒸されているのだが、どんな熱い湯気も彼を満足させることができないらしい。彼は一コペイカ出して三助を雇っているのだが、その三助でさえついにはたまりかねて、箒を投げ出し、冷たい水をかぶりに駆け出す始末である。イサイ・フォミッチは性懲りもなく二人、三人と三助を変えていく。彼はこういう場合には金に糸目をつけず、五人くらいまで変えることがある。
『湯気に強い野郎だなあ、えらいぞ、イサイ・フォミッチ!』と下から囚人たちが囃し立てる。当のイサイ・フォミッチもこの瞬間、自分がだれよりもえらくて、みんなに指をくわえさせているのだと感じ、得々然として、気でも狂ったのかと思われるような鋭い声で、例のアリャをわめき出す、そのリャリャリャリャが一同の声を圧倒してしまうのであった。もしわたしたちがいつかいっしょに地獄に堕ちるようなことがあったら、その時はきっとこんな場景を呈することだろう、といったような考えがわたしの頭に浮かんだ。わたしはつい我慢しきれないで、この想像をペトロフに話したが、彼はあたりを見まわしただけで黙っていた。
 わたしは、彼にも自分のそばの席を買ってやろうと思ったが、彼はわたしの足もとに陣取って、これでとても具合がいいといった。その間にバクルーシンがわたしたちのために湯を買っては、必要に応じて運んで来てくれた。ペトロフは、わたしを頭から足のさきまで洗ってやるといい出した。そうしたら、「ほんとうにさっぱりときれいになりますぜ」というわけである。それから、湯気に蒸されようとしきりに誘いをかけた。湯気に蒸される、この冒険はわたしもあえてする勇気がなかった。ペトロフはわたしのからだをすっかり石鹸で洗ってくれた。
「さあ、今度はあんよ[#「あんよ」に傍点]を洗ってあげましょう」と彼は最後に付け足した。わたしは一人でも洗えるからと答えようとしたが、もうこの男に逆らっても無駄だと諦めて、いっさい彼の思いどおりに身を任せてしまった。この「あんよ」という子供じみたいいかたには、奴隷的な調子など影さえも感じられなかった。ただなんということなしに、ペトロフはわたしの足を「足」と呼ぶことができなかったのだ。それはおそらく、ほかのちゃんとした人間なら、「足」に相違ないが、わたしのはまだ「あんよ」でしかないからであろう。
 わたしを洗ってしまうと、彼は前と同じもったいぶった段取りで、つまり瀬戸物でも扱うように、そばからわたしを支えたり、一歩ごとに足もとを注意したりしながら、脱衣室まで連れて帰り、下着をつける手伝いをしてくれた。こうしてわたしの世話がすっかりすんでしまうと、もとの浴場へ飛び込んで、湯気に蒸されるのであった。
 監獄へ帰ってから、わたしは彼に一杯の茶をすすめた。茶となると彼も辞退せず、コップに一杯飲みはして礼をいった。わたしはふと、ここでいちばん奮発して、この男にウォートカをふるまってやろうという考えが浮かんだ。ウォートカはわたしたちの監房にもあった。ペトロフは大満悦のていで、ぐっと飲みほし、喉をひとつ鳴らした。それからわたしに向かって、おかげで生き返ったような気がするというなり、急いで炊事場のほうへ行ってしまった。まるで、彼がいないと、解決のつかないことでもあるかのようなふうであった。
 それと入れ替わりに、わたしのところへやって来たのは、まだ湯屋にいるとき同じくお茶に招いておいたもう一人の話し相手、バクルーシン(土工兵)であった。
 わたしはバクルーシンほど愛すべき性格の人間を知らない。なるほど、彼は他人に対して容赦というものがなく、しょっちゅう口論さえもして、自分のことに嘴《くちばし》を出されるのを好まなかった。――ひと口にいえば、おのれを守るすべを心得ていたのである。しかし、彼は喧嘩をしても一時限りで、監房内でもみんなから愛されていたらしい。彼はどこへ行っても歓迎されたのみならず、町でさえも世界一の面白い人間、けっして朗らかさを失わない人間として知られていた。彼は、三十恰好の、背の高い若者で、いなせな、しかも心の単純そうな、かなり美しい顔には疣《いぼ》がひとつあった。彼はときどき手当たり次第の人間の真似をして、自分の顔を剽軽《ひょうきん》に曲げたり、しかめたりして見せるので、まわりの者は腹をかかえて笑わずにはいられなかった。彼もやはり道化者の一人であったが、笑いぎらいの気むずかしい連中に対しても、なめた真似などさせなかったので、彼のことだけはだれ一人として、『空っぽなやくざ者』といって罵倒する者はなかった。彼は熱と力にみちていた。わたしとは入獄の当時から知り合いになって、自分が少年兵あがりであることや、その後、土工兵隊に勤務するようになったことや、そのおり二、三の上官に目をかけてかわいがられたことなどを話し、その古い追憶をすくなからず誇りとしていた。その時、彼はさっそくわたしにペテルブルグのことをいろいろときき始めた。彼は本を読んだことさえあるのだった。わたしのところへお茶を飲みに来るが早いか、けさS中尉が例の要塞参謀をやっつけた顛末を物語って、まず監房じゅうの者を笑わしたのち、わたしのそばへ腰をおろし、さも満足そうな顔つきで、どうやら芝居はやらしてもらえそうだ、とわたしに報告するのであった。この監獄ではクリスマスに芝居が催されることになっていた。役者もわれと思わんものが名乗りを上げて出るし、背景もぼつぼつ準備が進められていた。町の人も、役者の扮装用に自分の着物を貸してやろうと約束した人が二、三あった。女の衣装さえ貸してくれるとのことであった。それどころか、ある従卒が間に立って、参謀紐章づきの将校服まで手にはいりそうな当てがあった。ただ要塞参謀が去年のようにつむじを曲げて、禁止などといいさえしなければ好いのである。しかし、去年のクリスマスには、少佐はご機嫌を損じていた。どこかでカルタに負けたうえ、おまけに監獄の中でも悪戯《いたずら》をしたものがあったので、彼は腹立ちまぎれに禁止を食わしたのだが、ことしはそんな邪魔をしようとは考えないだろう。要するに、バクルーシンはだいぶ興奮していたのである。見受けたところ、彼は芝居のおもだった発頭人の一人らしかったので、わたしはすぐその場で、その催しにはぜひ行って見ると約束した。芝居の成功を期待するバクルーシンの素朴な喜びが、わたしの気に入ったのである。わたしたちはぽつりぽつり言葉を交わしているうちに、すっかり話に身が入ってしまった。とかくの話の間に彼はこんなこともいった。ペテルブルグで勤めていたとはいっても、ずっと始終ではなく、そこで何かしくじりをやったために、Rへ流刑ということになった。もっとも、下士として守備大隊で勤めることになったのである。
「つまり、そこからわっしゃ、この土地へ送られたわけなんで」とバクルーシンはいった。
「いったいそれはどういうわけだね?」とわたしはたずねた。
「どういうわけかって? あんた、なんとお考えになります、アレクサンドル・ペトローヴィチ? どういうわけかっていうと、つまり女に惚れたからなんで」
「ふむ、しかしそれくらいのことで、ここへ送られるわけはなかろう」とわたしは笑いながらいい返した。
「じつは」とバクルーシンは付け加えた。「じつはその一件について、その土地に住んでいるあるドイツ人を、ピストルで撃ち殺したんでさ。そりゃほんとうにちげえねえが、だってドイツ人|風情《ふぜい》のために、こんなところへぶち込む値打ちがあるもんですかね、かんげえてもみておくんなせえ!」
「それにしても、ぜんたいどういういきさつだったんだね? ひとつ聞かせてくれないか、面白そうだよ」
「いやはや、おかしな話でさ、アレクサンドル・ペトローヴィチ」
「なおけっこうじゃないか。話しておくれよ」
「じゃ、話すかね? さあ、それじゃひとつ聞いておくんなせえ……」
 わたしはさしておかしくはないけれど、そのかわり、かなり風変わりなある殺人の物語を聞いたのである……
「そりゃ、こういったようなわけなんで」とバクルーシンははじめた。「わっしゃそのRへ送られて来て見ると、なかなかりっぱな大きな町だ、ただドイツ人がむやみに大勢いやがる。それはそれとして、わっしゃもちろんまだ若いし、上官の気受けもいいと来てるから、帽子を横っちょにかぶって、方々流して歩きながら、暇な時間をつぶしていたわけでさ。ドイツの娘っ子どもにちょいちょい色目をつかってね。そのうちに一人のドイツ女がお気に召した、ルイザという娘なんで。二人の女は、というのは娘とその伯母さんなんだが、二人ながら洗濯女で、飛びきり上等のシャツを扱っていましたっけ。伯母さんていうのはもう年寄りで、口やかましい女だったけれど、何不自由のない暮らしをしてましたよ。わっしゃはじめのうち、窓の前をあちこちしていたもんだが、やがてそのうちに、ほんとうのいい仲になったわけでさ。ルイザはロシヤ語をじょうずに使っていたが、ただちょっと舌ったらずみてえな口のききかただったね。――だが、とてもなんともいえねえかわいい娘で、わっしもあんな女にゃ二度と会ったことがねえくれえだ。こっちもはじめのあいだは、なんのかんのと責めてみたが、女のほうじゃ、『いいえ、それだけはだめよ、サーシャ。だって、わたしはあんたのりっぱなお嫁さんになりたいから、女の操はちゃんと守っていたいわ』と甘えたしなをしながら、鈴のような声で笑い出すじゃねえか……いや、ほんとに浄《きよ》い感じのする娘で、あんなのはあとにもさきにも、またと見たことがねえ。自分のほうから、わっしと夫婦になろうといい出したんだからね。え、どうして夫婦にならずにいられるもんかね、考えてもみておくんなせえ。そこで、わっしや中佐殿のところへお願いに行こうと、その心がまえをしている矢先に……どうでしょう、ふいとルイザが約束の逢引きにやって来ねえじゃありませんか、そのつぎも姿を見せねえし、またそのつぎも待ちぼけを食わした……わっしゃ手紙を出したが、その手紙にも返事はなしでさあ。いったいどうしたことだろう、とわっしゃ考えてみた。つまりさ、もしあいつがおれをだましていたんなら、もっと狡《ずる》く立ちまわって、手紙にも返事をよこすだろうし、逢引きにもやって来たはずだ。ところが、あれはうそのつけねえ女だから、それでいきなり鼬《いたち》の道きりをやったわけでさ。これは伯母さんの仕業だな、とこうわっしゃ考えましたよ。しかし、伯母さんのとこへ押しかけて行く元気はなかった。伯母さんも様子は知っていたものの、こっちはなんといったって表面《うわべ》をつくろいながら、こっそり内証でやってたわけなんだからね。わっしゃ気ちがいのように町をうろつきながら、いよいよ最後に手紙を出して、『もしこんど来なかったら、こっちから伯母さんのとこへ押しかけて行くぞ』といってやった。娘は胆をつぶしてやって来やがった。そして、泣きながらいうことにゃ、遠縁に当たるドイツ人で、時計屋をやっている、もういい年をしたシュルツという男が、ルイザと結婚したいといい出した。――それは娘を仕合わせにしたいがためと、自分も年とってから寡夫暮らしをしたくないからだ、とこういやがるじゃねえか。『それに、その人はわたしを愛しているのよ』とルイザはいうんでさ。『もうずっと前からそのつもりでいたんだけど、いつも口には出さないで、心づもりをしてたのよ。ねえ。サーシャ、その人はお金持ちだから、この話はわたしにとって仕合わせになることじゃないの、それなのに、あんたはわたしの仕合わせをたたきこわそうってつもりなの?』見ると、ルイザはしくしく泣きながら、わっしに抱きつくじゃねえか……そこで、わっしゃ思ったね、『ええ、くそっ、なるほど、あれのいうことはもっともだ! まあ、かりにこっちが下士だったとしても、兵隊なんかといっしょになって、うだつの上がるわけじゃねえ』で、わっしゃこういってやりましたよ。『じゃ、ルイザ、別れるとしよう、ご機嫌よう、おれがおまえの仕合わせをたたきこわすなんて筋はありゃしねえからな。ところで、どうだい、相手はいい男かい?』『いいえ、もう大分の年で、長い鼻をしているの……』といって、自分のほうから笑い出すような始末でさ。わっしゃそのまま帰って行ったが、腹の中じゃ、『どうもしようがあるもんか、これも約束ごとだ!』と考えてね。そのあくる朝、わっしゃその店のほうへ出かけて行ったよ。あれが街を教えてくれたわけでさ。ガラス越しに見ると、ドイツ人のやつ、すわり込んで時計をなんだかやっていやがる。年はかれこれ四十五、六、鉤っ鼻で、出目で、燕尾服を着こんでいたが、その襟がべらぼうに高い立襟なのさ。なかなか押出しのいい野郎でしたよ。わっしゃ思わずぺっと唾を吐いてやった。すぐにもその場で、窓のガラスをぶちこわしてやりてえ気がしたけれど……いや、どうなるものか、なにも手出しをすることはねえ、だめになったものはだめになったんだ、いまさら取り返しがつくもんか、そう思って、日暮れがたに兵営へ帰って来ると、そのまま寝床に入ったが、その時まあどうだね、アレクサンドル・ペトローヴィチ、いきなりわっと泣き出したんで……
「さて、こんなふうで一日、二日、三日と経っていった。ルイザとはまるっきり顔を合わさねえ。そのうちに、あるおばさんから聞き込んだ話によると(それはやっぱり洗濯女をしている年寄りで、ルイザもときどきそこへ遊びに行ってたのさ)、ドイツ人めがわっしら二人の仲を知って、そのために式を早く挙げることに決めたというじゃねえか。それさえなけりゃ、まだ一年くれえ待つ気でいたんだがね。ルイザには、おれにはいっさい鼻もひっかけねえって誓いを立てさしたという話だし、一人の女、つまりルイザと伯母さんに、まだ今のとこ、みみっちい暮らしをさしているとか、もしかしたらまた考え直すかもしれねえ様子で、さしあたりきっぱりとは腹が決まっていねえらしい、とこんなふうの話なのさ。それからもうひとつ、そのおばさんのいうことにゃ、あさって、日曜日の朝、ドイツ人が二人の女をコーヒーに招《よ》ぶことになっているが、そこにはもう一人、親類に当たる老人が来るはずだ、それはもと商人だったけれども、今じゃ貧乏も貧乏、ひどい貧的になっちまって、どこかの地下室で番人勤めをしているってことだ。わっしゃ、日曜日に話がすっかり決まってしまうかもしれねえと聞くが早いか、腹の中が煮えくり返るようで、どうにも腹の虫をおさえることができねえ。その日もまたつぎの日も、朝から晩までそのことばかり考え続けていたっけ。いっそあのドイツ人を食い殺してやりてえ、とこんなことを考えてね。
「日曜日の朝になっても、わっしゃまだどうする気なのか、自分でもわからねえでいたもんだが、祈祷式がすむが早いか、いきなり飛びあがって外套を引っかけると、そのままドイツ人のとこへ出かけて行った。行ったら、みんなが集まっているだろうと思ってね。そのくせ、なんのためにドイツ人のとこへ出向いて行ったのか、そこで何をいうつもりだったのか、そいつは自分でもおさき真っ暗なんだ。ただ万一の用心に、ピストルをポケットに突っこんで行ったもんでさ。そのピストルっていうのは、もとからわっしが持ってたんだが、旧式な引金のついたやくざなひでえ代物《しろもの》でね、まだほんの若造の時分から使ってたやつなんだ。今じゃもうほんとうの役には立たねえくらいになってたよ。でも、わっしゃそいつに弾丸を籠めた。もしおれを追い出したり、乱暴な真似でもしやがったら、このピストルを取り出して、やつらみんなをおどかしてやろう、とこう思ってね。行ってみると、仕事場にはだれもいなくって、みんな奥の間にすわり込んでやがる。やつらのほかには、まるで大っ気なしだ。女中一人いやあしねえ、やつの家にゃドイツ女の女中が一人いるっきりで、それが台所の煮炊きもしているのさ。わっしゃ店の間を通り抜けたが、見ると、奥の間の戸には鍵がかかってる。なんだか古ぼけた戸で、かけ金をかけるようになってるんだ。わっしゃ胸がどきどきして来た、立ちどまって聞いてみると、ドイツ語でしゃべってやがる。わっしが力任せに蹴っ飛ばすと、戸はすぐに開いてしまった。見ると、ちゃんと食事の用意がしてあって、テーブルの上にゃ大きなコーヒー沸しが置いてあり、アルコールランプでコーヒーがぐつぐつ煮立っている。そのそばにゃ乾パンが盛ってあったっけ。それから、別のお盆の上にウォートカのびんや、鯡《にしん》や、腸詰や、そのほか何やらもうひといろの酒が載っかってる。ルイザと伯母さんは、二人とも大めかしにめかし込んで、長いすに腰を掛けてやがる。その真向かいの椅子に、主人のドイツ人が花婿然ときれいに髪を梳《と》きつけて、燕尾服なんか着こんで、おそろしく前のほうに突き出したカラーをつけてやがるんだ。そのそばのほうには、もう一人のドイツ人が椅子に腰かけていたが、もう大分の年らしい、肥った白髪の爺さんで、じっと押し黙ってるのさ。わっしが入って行くと、ルイザはさっと顔色を変えたっけ。伯母さんはひょいと飛びあがりそうにしたが、またぺったり腰をおとした。ドイツ人はしかめっ面をして、いかにも腹の立ったらしい様子で立ちあがると、わっしのほうへ向けてやって来た。
『いったいなんのご用です?』と来やがった。
 わっしゃちょっと照れたが、それでも、なんの畜生、という気持ちがぐっと込み上げて来た。
『何か用かって? お客さまじゃねえか、ちゃんとお迎えして、ウォートカでもふるまうもんだ。おりあてめえんとこへ客に来たんだぞ』
 ドイツ人のやつらはちょっと考えてから、おかけなさいといった。
 わっしゃ腰をおろして、さあ、ウォートカを出しねえ、といってやった。
『さあ、ウォートカ、どうか一杯やってください』と来た。
『おい、てめえ、おれにゃ上等のウォートカを出してもらおうぜ』といってやった。つまり、腹ん中がむしゃくしゃしてしようがねえんだ。
『これは上等のウォートカですよ』
 やつがおれをあんまり見くびっていやがるので、わっしゃむっとして来た。それに、ルイザが見ているもんだから、なおさらたまったもんじゃねえ。ウォートカをひとつぐっと飲《や》って、わっしやこういってやった。
『やい、ドイツっぽ、なんだっててめえはそんな生意気な真似をしやがるんだ? ひとつ友だちになろうじゃねえか。おれはてめえと友だちづきあいになろうと思ってやって来たんだ』
『わたしはあんたと友だち同士にゃなれませんよ』とぬかしゃがった。『あんたはただの兵隊だからね』
 さあ、そこでわっしゃかっとなってしまった。
『やい、このかがし野郎、腸詰め野郎、いいか、よく心得てろ、おれはいまこの場で、てめえをどんなにでも好きにできるんだぞ。もしなんなら、いいか、このピストルでてめえを撃ち殺してくれるから』
 わっしゃピストルを取り出して、やつの前に行くと、いきなり銃口《つつぐち》をぴったり額に当ててやった。二人の女は、もう生きた心地もなく、ぐうの音も立てないですわっているんだ。爺さんはまるで木の葉のようにぶるぶるふるえながら、真っさおになって黙り込んでるじゃねえか。
 ドイツ人もさすがにびっくりはしたものの、すぐに気を取り直して、『わたしはあんたなんか怖くない、そしてあんたもしかるべき人間としてお頼みするが、そんな冗談はいますぐやめてもらいましょう。わたしはあんたなんかちっとも怖くないんだから』
『おい、おい、うそをつくない、怖がってるじゃねえか! いったいなにが怖いんだい!』
 やつは、ピストルを突きつけられた頭をびくっとも動かそうとしないで、じっとすわったままでいやがるんだ。
『いや、あんたはそんなことをする権利は、ひとつもありません』
『なぜ権利がねえんだい?』
『だって、それはきついご法度になっていて、そんなことをすると、あんたは重い罰を受けねばなりませんぞ』
 つまり、このドイツ人のばかさ加減ときたら方図が知れねえんだ! やつが自分でわっしを焚きつけさえしなけりゃ、今でもちゃんと息災でいたはずなんだ。いい合っているうちに、あんなことになっちまったんでさあ。
『ふむ、てめえにいわせりゃ、おれにゃできねえってんだな?』
『で、できないとも!』
『できねえ?』
『わたしにそんなことをするなんて、こんりんざいできっこありゃしない……』
『よし、それならこいつをくらいやがれ、腸詰め野郎め!』そういうなり、どんとぶっ放すと、やつは椅子の上に倒れちまやがった。女どもはきゃっと声を立てたものさ。
「わっしゃピストルをポケットに突っ込んで、そのまま姿をくらました。それから、要塞へ入る時、すぐそこの門際に生えている蕁麻《いらくさ》の中へ、ピストルを捨てっちまったんで。
「兵営へ帰ると、寝台へ潜り込んで、やがてもう間もなくつかまえに来るだろうと思ったね。ところが、一時間たち、二時間たっても、つかまえに来ねえ。かれこれして日暮れ前になると、わっしゃもうなんともいえねえほど気が滅入《めい》って来たんで、ふらっと外へ飛び出した。是が非でもルイザに会いたくなったので。時計屋の前を通りかかってみると、そこには人だかりがして、巡査も来ているんだ。わっしゃ例のおばさんに、『ルイザを呼び出してくれ!』と頼んだものだ。ほんのしばらく待つうちに、ルイザが走って来るじゃねえか。いきなりわっしの首っ玉に噛りついて、しくしく泣きながら、『みんなわたしが悪いんだわ、伯母さんのいうことを聞いたもんだから』というのさ。それから、あれのいうことにゃ、さっきの一件があってから、すぐ伯母さんは家へ帰って来たが、ひどく怯えあがって、病気になってしまった。それでいっさいだんまりなんだ。自分でもだれにもしゃべらねえし、あれにも口どめをしたそうだ。すっかりびくびくもので、どうなと人様がお好きなようになさるだろう、つてわけなのさ。ルイザはまたこういうんだ。『さっきはだれもわたしたちを見たものはなかったのよ。あの人は女中をわざと使いに出してしまったんですもの。あの人は女中を怖がっていたの。もし婚礼ばなしでも耳に入ったら、その女中はあの人の目を掻きむしりもしかねないんですからね。それに、職人たちもだれ一人うちに居合わさなかった。――みんな外へ出してしまったわけなの。自分でコーヒーも沸かせば、自分でつまみ物もこしらえたんですからね。ところで、親戚の老人ときたら、あの人は前にも一生だんまりで暮らして、なんにも口をきかなかったんだから、さっき、あの騒動が起こった時なんか帽子を取って真っ先に逃げ出したくらいだわ。きっと今でも黙りこくっているでしょうよ』とルイザはいったっけ。案の定そのとおり、二週間というもの、だれもわっしをつかまえに来る者もなけりゃ、嫌疑ひとつかからねえって始末さ。この二週間のあいだにね、アレクサンドル・ペトローヴィチ、あんたはほんとうにしなさるかどうか知らねえが、わっしゃ自分の仕合わせをすっかり味わい尽くしたんですよ。毎日のようにルイザと会ってね、あれもすっかりわっしに結びついてしまったんでさ。そして、泣きながらいうことには、『わたしはあんたがどこへやられても、あんたの跡へついて行くわ。あんたのためなら、何もかも捨ててしまうわ!』わっしゃその場で死んじまってもいいくらいに思ったよ。それほどわっしゃその時、あれの情にほだされちまったんで。ところが、二週間たつと、わっしゃとうとうつかまっちまった。爺さんと伯母のやつが申し合わせて、わっしを告訴しやがったんで……」
「しかし、ちょっと待ってくれ」とわたしはバクルーシンをさえぎった。「それだけのことならせいぜい十年か、それとも、まあ、十二年の刑期で、普通監獄へ送られるくらいですむはずなんだが、おまえは特別監にぶち込まれているじゃないか。いったい、どうしたわけなんだろう?」
「なに、そいつはまた別の事件があったんでさ」とバクルーシンはいった。「わっしが軍法会議にまわされた時、裁判の前に、ある大尉がわっしをくそ味咐にこきおろしゃがるんだ。こっちは腹の虫をおさえかねて、『なんだって頬桁《ほおけた》をたたきやがるんだ? てめえこそ照魔の鏡の前にすわってるのがわかんねえのか、畜生め!』といってやった。さあ、そこで具合ががらりと変わって、また新しく裁判のし直しさ、何もかもひっくるめて受けた宣告というのが、笞四千にこの土地の特別監と来た。わっしが仕置きに引き出された時、大尉のやつも引っぱり出されたっけ。わっしゃ青い街を通らされたが、やつは官位剥奪、コーカサスへ行って兵卒勤務ということになった。じゃ、さよなら、アレクサンドル・ペトローヴィチ、芝居にゃぜひ来ておくんなさいよ」

[#3字下げ]10 キリスト降誕祭[#「10 キリスト降誕祭」は中見出し]

 ついに祭日もやって来た。もうその前日から囚人たちはほとんど労役に出なかった。出て行くのは裁縫工と、その他の作業場の連中ばかり、それ以外の者はただちょっと組分けの時に顔を見せるだけで、どこかへ行くように指定はされていても、ほとんどみんな一人ずつ、ばらばらになったりかたまったりして、さっさと監獄へ戻って来た。食後になると、もうだれ一人そとへ出る者はなかった。それに午前も、多くのものは自分の用向きであちこちするだけで、公用で動くのではなかった。ある者は酒の持ち込みであくせくしたり、新規の注文をするのに忙しく、ある者は懇意の男《おとこ》や女《おんな》を訪ねて行ったり、さもなくば、前から貸しになっている仕事の賃金を、祭日までに集めに行くのであった。バクルーシンをはじめ、芝居に関係している連中は、知り合いのだれかれのところ、主として将校連の召使のところをまわって、無くてかなわぬ衣装類を借り集めた。なかには、ほかの者がそわそわと用ありげな顔をしているからというだけの理由で、そわそわと用ありげな顔をして、歩きまわっている連中もあった。またなかには、たとえば、どこからも金の入る当てもないくせに、自分もやはりだれかから金を受け取るのだ、といいたげな様子をしているのもあった。ひと口にいえば、だれもかれもがあすという日に対して何か変わったこと、なみはずれたことを期待しているかのようであった。夕方になると、囚人たちの依頼で市場へ出かけた廃兵が、牛肉、仔豚などはいうもさらなり、鵞鳥《がちょう》などにいたるまで、ありとあらゆる食料品をかかえ込んで来た。囚人の多くは、一年じゅう一コペイカ二コペイカの目腐れ金を蓄めてばかりいるような、地味でつましい連中までが、この日にはうんと財布の紐を弛めて、恥ずかしくないだけの精進落ちをするのを、義務と心得ていた。あすの日こそは、公然と法律で認められているほんとうの祭日で、これは囚人たちから奪うわけにいかないのである。この日は囚人を労役に出すことはできなかった。このような日は一年にわずか三日きりなのである。
 最後に、このような日を迎えるに当たって、社会の除け者にされている彼らの胸にも、いかばかりの思い出が動き始めることか、知る人ぞ知る、である! 大きな祝祭の日というものは一般民衆の記憶に、ごく幼いころからくっきりと刻み込まれるものである。それは、苦しい労働から解放される休息の日であり、一家|団欒《だんらん》の日である。しかも、監獄の中となると、それが苦痛と懊悩とともに思い起こされるに相違ない。この厳粛な祭日に対する尊敬の念は、囚人たちの間では、一種の形式にさえ移っているのであった。飲んだり騒いだりするものは少なかった。だれもかれもまじめくさって、何か用事ありげな表情をしていたが、そのじつ、たいていのものは用事などほとんどなかったのである。しかし、のらくらしている連中も、飲んだり騒いだりしている連中も、なにかしらものものしげな様子を失うまいと努めていた……笑いは、さながら禁制にでもなっているかのようであった。概して人々の気分は妙に神経過敏な、いらだたしい、気短かな調子になって、ふとしたはずみでもこの全体の調子を破ったものは、まるで祭日そのものに対して不敬を働いたように、口ぎたなくどなりつけられ、怒声を浴びせられるのであった。こうした囚人たちの気分は、目に立つほどはっきりしていて、何か感動を誘うくらいであった。偉大なる日に対する生まれながらの敬虔の念のほか、囚人たちは無意識ながら、この祭日を祝うことによって、自分も全世界に接触するようなものであるから、したがってまったく社会の除け者になりきったわけではない、滅び尽くした人間でもなければ、幹から切り離された枝でもない、監獄の中も娑婆《しゃば》の人たちと同じようだ、とこんなふうに感じていたのである。まったく彼らはそのとおりに感じたので、それは見るからに明瞭でもあり、またもっとも至極な話でもあった。
 アキーム・アキームイチも同様に、せっせと祭日を迎える支度をしていた。彼は家庭的な思い出というものを持っていなかった。他人の家に孤児として成長し、十五になるかならずで苦しい勤務に出たからである。また彼の生涯には、格別これという喜びもなかった。なぜなら、彼は自分に示された義務から毛筋ほどでも外《そ》れるのを恐れながら、規則正しい単調な生活を送って来たからである。彼はとくに宗教心が強いほうでもなかった。というのは、品行方正なるものが彼の人間的な資性や、特質や、いっさいの情熱や、良きにつけ悪しきにつけてすべての希望を呑みつくしていたらしいからである。こういった次第で、彼はせかせかあわてもせず、興奮もせず、てんでなんの役にも立たない悩ましい追憶に心を乱されもせず、落ちついた、きちょうめんな、品行方正の態度を持しながら、厳粛な祭日を迎える準備をしていた。彼は自分の義務と、いったん教えこまれた儀式を履行するのに必要なだけ、この品行方正さをかっきり持ち合わせているのであった。また概して、彼はあまり深く考え込むのが好きでなかった。事実の意味などというのは、かつて彼の頭に触れなかったらしいが、一度示された規則は、さながら神聖なもののようにきちょうめんに実行した。もしあすになって、今とまったく反対のことをするように命令されたら、彼は前の晩に正反対のことをしたのと同じ従順、かつ細心な態度で、それをも実行したに相違ない。一度、生涯にたった一度だけ、彼は自分の知恵で生活しようと試みたが、そのために懲役を食らったのである。この教訓は彼のために無駄にはならなかった。彼はいつになっても、はたしていかなる過失を犯したかを会得するような運命は、持ち合わせていなかったけれども、そのかわりこのきわどい経験から霊験あらたかな掟を引き出した、――それはけっしてどんな事情があろうとも、とかくの判断をしないということである。なぜなら、判断などをするということは、囚人たちが仲間同士でうわさしていた言葉をかりると、『やつの頭の及ぶ業ではない』からである。盲目的に儀礼を信奉しきっていた彼は、中に粥《かゆ》をつめて焼いた(彼が手ずから焼いたのである、というのは、肉を焼く手ぎわも堂に入っていたから)祭日用の仔豚までも、あたかもいつでも買って焼くことのできる普通の仔豚ではなく、なにかしら特別な祭日用のものででもあるかのように、あらかじめ尊敬の目をもって眺めたものである。おそらく彼はまだ子供の時分から、この日の食卓に仔豚を見慣れて来たので、仔豚はこの日に無くてはならぬものと結論したものに相違ない。もしただの一度でもこの日に仔豚を食わなかったら、彼の胸には義務を果たさなかったという一種の良心の呵責が残って、生涯消えなかったであろうとは、わたしの信じて疑わないところである。祭日の前には、彼はいつもの古い上着をき、体裁よく繕ってはあったが、もうさんざんくたびれきった古ズボンをはいて歩いていた。ところが、こんど聞いてみると、もう四月《よつき》も前に支給された新しいひと揃いを、彼は後生大事に箱の中にしまいこんで、祭日になったら、晴れの衣替えをしようという楽しい思いを胸に秘めながら、手も触れずにいたとのことである。彼はちゃんとそのとおりにした。もう前の晩から、彼は自分の新しい服を取り出して、ひろげてみたり、埃を払ったり、口で吹いたりして、すっかりきちんとなったところで、前もってからだに合わしてみたものである。服はちょうどかっきり身に合っていた。どこからどこまで申し分なく、ボタンは上まできっちりかかるし、襟はボール紙で作ったもののように、高くあごを突き上げた。胴まわりのところは、なにかしら制服の胴のように恰好よく縮まっていた。アキーム・アキームイチは満足のあまり、にやっと薄笑いさえ浮かべ、いくらかしゃれたポーズをしながら、小さな鏡のまえでからだをひねった。この鏡というのは、もう久しい以前、暇なおりをみて、手ずから金紙の笹べりで縁を取ったものである。ただ上着の襟のホックがひとつだけ、付け場所の具合がよくないように思われた。そこで、ひと思案したあげく、アキーム・アキームイチはこのホックを付け替えることに決めた。つけ替えて、もう一度着てみると、こんどこそはすっかり上々であった。その時、彼はもとのようにたたんで、ほっとした気持ちで、あすを楽しみに箱の中へしまい込んだ。彼の頭の剃り具合はべつに難がなかった。けれども、じっと鏡をのぞいて見ているうちに、どうも頭がほんとうにつるつるになっていないで、ようやくそれと見分けられるくらい髪が生えかかっているのに気がついた。で、彼はさっそく『少佐』のところへ行って、じゅうぶん作法にかなうように、定めどおり剃ってもらうことにした。だれも、あすアキーム・アキームイチを検査する者などないはずであるが、彼が頭を剃ったのは、ただ良心を休めるためであって、こういう日には、もういっそのこと、自分の義務をひとつ残らずすましておこうというのである。ボタン、肩章、略綬、などに対する敬虔《けいけん》の念は、すでに少年時代から彼の頭に抗《あらが》うべからざる義務といった形で、いや応なしに植えつけられ、ひとかどの人間が達しうる美の頂点として、心に印せられたのである。いっさいの整頓がすむと、彼は監房内の囚人頭という格で、乾草を運びこむ指図をし、それを床に振り撒くのを綿密に監督した。そのほかの監房でも同様であった。どういうわけか知らないが、わたしたちの監獄では、クリスマスを迎えるために、いつも監房内へ乾草を撒くことになっていた。さて、自分の仕事をすっかり片づけてしまうと、アキーム・アキームイチは神様にお祈りをして、自分の寝台に身を横たえ、あすの朝はできるだけ早く目をさますために、幼児のように穏やかな寝息を立てて、すぐさま眠りにおちてしまった。もっとも、ほかの囚人たちも、みんなそれと同じであった。どこの監房でも、いつもにくらべて、ずっと早く床についた。例の夜なべ仕事は休むし、マイダンなどのことはおくびにも出なかった。何もかもがあすの朝を待ちかまえていたのである。
 その朝がついに訪れた。早朝、黎明《しののめ》の太鼓が鳴るか鳴らないかに、まだ暗いうちから監房の戸が開かれた。囚人の点呼に来た衛兵下士が、一同のものに祭日のお祝いをいった。こちらもそれに対して挨拶をしたが、その挨拶ぶりは丁寧で愛想よかった。大急ぎでお祈りをすますと、アキーム・アキームイチをはじめ、炊事場に自分の鵞鳥や仔豚を置いていた多くのものは、それが今どうなっているか、どんなふうに焼けているか、どこに何があるか、などといった様子を見に、あたふたと出かけて行った。雪と氷に閉ざされているわたしたちの監房の小さな窓からは、薄暗《うすやみ》を通して、両方の炊事場の六つの竃《かまど》ぜんぶに、もう夜明け前から焚きつけられた火が、あかあかと燃えているのが見えた。外の薄暗い中でも、半外套に手を通したり、ちょっと肩に引っかけたりした囚人たちが、早くもうろうろしていたが、それもみんな炊事場へ押しかけて行く連中であった。しかしなかには、もっともほんの少数ではあったけれども、いち早く酒売りのところへ行って来た者もある。これなどは一番こらえ性のない組であった。概していえば、みんな行儀よくおとなしくしていて、なんだか例になくすましているように思われる。いつもの罵詈や口論も聞こえなかった。みんなきょうは特別な日であり、大祭日であることを弁《わきま》えていたのだ。またほかの監房へ出かけて行って、仲間のだれかれにお祝いをいう者もあった。なにかしら友情めいたものさえ現われていた。ついでにいっておくが、囚人たちの間には友情というものがほとんど認められないのである。監房ぜんたいとしての友情のことをいっているのではない。――そんなことはもう論外で、わたしがいうのは、単に個人的な場合である。つまり、ある一人の囚人が他の一人と親しくするなどということは、わたしたちの間ではほとんど絶無なのであって、それは注目すべき点なのである。自由の世界ではけっしてそんなことはない。わたしたちの間では、概しておたがい同士の応対が妙にがさがさしてそっけなかった。ごくたまに例外があったけれど、それさえどことなく形式的で、習慣的に固定した調子なのであった。わたしもやはり監房を出た。ようやくわずかに白みはじめたばかりで、星は薄れていき、凍った水蒸気がかすかに立ち昇っている。炊事場の竈の煙突から煙がもくもくと柱のように吹き出ている。出会いがしらの囚人たちのだれかれは、すすんでわたしに愛想よくクリスマスの祝いを述べた。わたしは礼をいって、同じ挨拶を返した。その中には、今までまる一か月の間、わたしにひと言も口をきかなかったような連中さえあった。
 炊事場のすぐそばで、毛皮外套を引っかけた軍籍監の囚人がわたしに追いついた。彼は庭の真ん中へんからわたしの姿を見分けて、『アレクサンドル・ペトローヴィチ! アレクサンドル・ペトローヴィチ!』と大きな声で呼びかけたのである。炊事場のほうへ駆けて来、妙にせかせかしていた。わたしは立ちどまって、彼を待っていた。それは丸顔の、静かな目つきをした若者で、だれに対してもきわめて無口であったが、わたしとは入獄以来まだひと口もものをいったことがなく、かつてわたしにいささかの注意も向けたことがないのであった。わたしはその名さえ知らなかった。彼は息せき切って駆けよると、ぴったりわたしのそばへ立ちどまって、なにかしら鈍そうな、同時にさも幸福げな微笑を浮かべて、わたしの顔を見つめた。
「なんの用?」彼がわたしの前に立ちはだかってにやにや笑いながら、目を皿のようにして私《ひと》の顔を見つめたままいっこう話を始めようとしないので、わたしはいささか驚き気味でこうたずねた。
「だって、お祭だから……」と彼はつぶやいたが、自分でもそれ以上なにもいうことがないのに心づき、わたしをうっちゃらかして、そそくさと炊事場へ入った。
 ここでついでに一言しておくが、その後もわたしはこの男と、ついぞ一度も接近したことがなく、わたしが出獄するまで、たがいにほとんど一語も言葉を交わさなかった。
 炊事場では、熱いほど燃えさかっている竃をめぐって、大勢のものが押し合い、突き合いしながら、忙しそうに動きまわっていた。みんな自分のご馳走を見張っているのだ。炊事番たちは、官給の食事の支度にかかっていた。この日は、食事がいつもより早いことになっていたからである。とはいうものの、だれもまだ食べ始めている者はなかった。なかには、始めたい連中もいたかもしれないが、さすがに他人をはばかって、礼儀を守っていた。やがて牧師が来るはずなので、精進落ちはそれがすんでから、ということになっていた。しかし、まだすっかり明るくなりきらないうちから、監獄の門の外で、『炊事番!』とよぶ上等兵の叫び声が早くも響き始めた。この叫びはほとんど一分ごとに起こって、かれこれ二時間も続いた。それは町のあらゆる隅々から監獄へ届けられる施し物を受け取るようにと、炊事場から当番を呼び出すのであった。施し物はおびただしい量で、丸パン、普通のパン、クリーム菓子、揚げ菓子、酸入りパン、薄餅《ブリン》、その他さまざまな味のついたビスケット類が持ち込まれた。思うに、不幸な監禁されている人々に偉大なる祭日の祝意を示すため、身分相応のパンを送り届けなかった商人、町人階級の主婦は、おそらく町じゅうに一人もなかっただろう。なかには豪勢な施し物もあった。――極上の麦粉で作った味つけパンを、山のように届けたのである。かと思えば、ごく貧しい施し物もあった。二コペイカそこそこの小さな丸パン一個と、ほんの申しわけにクリームを塗ったどす黒い酸入りパン二つ、といったようなもので、これなどは貧者が貧者のために、なけなしの金をはたいた贈り物である。しかし、すべてそれらの物は、贈り物の種類と贈り手の高下の差別なく、一様に感謝をもって受け取られた。施し物を受ける囚人は、帽子をとって会釈をし、祭日の祝詞を述べたのち、炊事場へ持ち込むのであった。施しのパンがぜんぶ集まって、幾山にも積み上げられた時、各監房から囚人頭が呼び出されて、こんどはその囚人頭がすべてを各監房へ等分にわけるのであった。口喧嘩もなければ、悪態も出ない、万事正直に、公平に取り行なわれた。わたしたちの監房に当たった分は、もう自分たちのところへ帰ってから分けられた。アキーム・アキームイチともう一人の囚人が分配役で、彼らは手ずから分け、手ずから一人一人に渡した。そこにはいささかの不平もなければ、露ほども羨望の色は見えなかった。だれもが満足して、施し物がかくされるとか、分配が公平でないとか、そんな疑いをいだく者もありえないほどであった。炊事場で自分の用事を片づけてしまうと、アキーム・アキームイチは衣装つけに取りかかった。ホックひとつかけ残しのないように、万事作法どおりにものものしく着替えをして、それがすむと、さっそく本式の祈祷に取りかかった。彼はかなり長いこと祈り続けた。同様に祈祷をしている囚人たちもすでにたくさんあったが、それはおおむね年のいった連中であった。若い者となると、あまり長たらしいお祈りなんかしなかった。ただ起きる時にちょっと十字を切るくらいなもので、祭日でさえもべつに変わりはなかった。祈祷がすむと、アキーム・アキームイチはわたしのところへやって来て、改まった調子で祭日のお祝いを述べた。わたしはさっそく彼をお茶に招いた。すると、彼も自分の仔豚にわたしを招待した。しばらくすると、ペトロフもお祝いをいいに、わたしのところへ駆けつけた。彼はもう一杯きこしめしたらしく、息を切らしながら飛んで来たくせに、あまりたいして口数をきかず、何か期待するようなふうで、しばらくわたしの前に立っていたが、すぐ炊事場のほうへ行ってしまった。かれこれするうちに、軍籍監のほうでは牧師を迎える支度をしていた。この監房はほかのとは建てかたがちがっていた。寝板は、ほかの監房のように部屋の真ん中でなく、壁に沿って取りつけてあったので、ここだけが監獄じゅうで、真ん中に邪魔物のないただひとつの房であった。おそらく、何か必要のあった場合囚人たちを集めることができるようにと、こんな建てかたをしたものであろう。部屋の真ん中に小さなテーブルがおかれ、きれいな布がかけられて、その上に聖像が安置され、燈明がともされた。とうとう、牧師が十字架と聖水をもって来た。聖像の前で祈祷を唱え、讃美歌をうたったのち、彼は囚人たちの前に立った。一同は心からなる敬虔の念をいだきながら、そのそばに近づいて、十字架に接吻し始めた。そのあとで、牧師は監房を残らず一巡して、聖水を振りそそいだ。炊事場では、町でも特別な味をうたわれている監獄のパンをほめそやしたので、囚人たちはさっそく焼き立ての新しいパンを二つ、彼に贈ろうと申し出た。それを届けるのに、さっそく一人の廃兵がさし向けられた。出迎えの時と同じうやうやしさで十字架を送り出すと、ほとんどそれと入れちがいに、要塞参謀と司令官が入って来た。司令官は、わたしたちの間でも愛されていたし、むしろ尊敬されていたくらいである。彼は参謀の少佐をともなって監房をぜんぶ巡視した。一同の者にクリスマスの祝詞をのべ、炊事場へ立ちよって監獄の菜汁の味をきいた。シチイは上出来であった。こういうおめでたい日なので、囚人一人あたりに、ほとんど一斤ちかくの牛肉が支給されたのである。そのうえ黍粥までができていて、バタはふんだんに使っていいことになっていた。司令官を送り出すと、少佐は食事を始めるように命令した。囚人たちはなるべく彼と顔を合わさないように努めていた。わたしたちは、眼鏡越しに光る意地悪げな彼の視線をいやがった。いまも彼は何か不始末はないか、悪いことをした者はいないかと、その目で左右をじろじろ見まわすのであった。
 食事が始まった。アキーム・アキームイチの仔豚は、見ごとな焼き加減であった。が、いったいどうしてこんなことになったのか、わたしには説明がつきかねるけれど、要塞参謀が立ち去ってから五分そこそこにしかならないのに、おびただしい酔っぱらいの連中が現われたのである。しかも、つい五分前には、みんなほとんどまったくのしらふだったのだ。真っ赤になったてらてら光る顔があとからあとから出て来て、バラライカまで現われた。例のポーランド人は、ある酔漢にまる一日の約束で雇われて、早くもバイオリンを持って、そのあとからついて歩きながら、賑やかな舞踏ものを、きいきいと弾きまくっていた。話し声はいよいよ酔っぱらいらしく騒々しくなっていく。とはいうものの、たいした不始末もなく食事は終わった。みんな満腹していた。老人や堅人《かたじん》の多くはすぐ寝に行った。アキーム・アキームイチもその仲間で、大祭日の食後には、かならずひと眠りするものと決めているらしかった。スタロドゥーブの旧教信者の老人は、ちょっととろとろとした後で、暖炉の上にはいあがり、いつもの書物を開いて、深更にいたるまで、ほとんどやみ間なしに祈祷を続けた。彼はこの『恥っさらし』(囚人たち一同のどんちゃん騒ぎを、彼はこういっていたのだ)を見るに堪えなかったらしい。チェルケス人たちは揃って入り口階段に腰をおろし、好奇の色と同時に、多少嫌悪の表情を浮かべながら、酔漢の群れを眺めていた。わたしはたまたま、ヌーラに行きあった。『ヤマンヤマン!』と彼は敬虔な憤りを見せて首を振りながら、わたしにそういった。『おお、ヤマン! アラーの神様がお怒りになるだろう!』イサイ・フォミッチは頑固な高慢らしい様子で、自分の片隅に蝋燭をつけ、こんな祭日など屁でもないという気持ちを見せながら、仕事に取りかかった。あちこちの隅でマイダンが始まった。彼らは廃兵など恐れはしなかったが、万一下士がやって来る場合をおもんぱかって、見張りを立てておいた。しかし、その下士も万事見て見ぬふりをするのであった。衛兵将校はこの一日のうちに三度、監獄をのぞきに来た。しかし、酔っぱらいはかくされるし、マイダンはその出現と同時に取り片づけられた。それに、彼自身もこまごました不始末には注意を払うまいと、腹を決めたらしいふうである。この日は、酔っぱらいなどはほんの些細な不始末と見なされていた。やがて、次第に一同は浮かれ出した。喧嘩も始まった。が、なんといっても、しらふの者のほうがはるかに多数で、酔っぱらいの世話にことを欠かぬわけである。そのかわり、浮かれている連中は方図なしに飲んだ。ガージンは大得意であった。彼は大満悦のていで、自分の寝板のそばを歩きまわっていた。寝板の下には、今まで獄舎の裏手の雪の中にこっそりかくしてあった酒を、大胆に持ち込んでいるのであった。そして、自分のところへやって来る買い手の連中を眺めながら、ずるそうにほくそ笑んでいた。彼自身はしらふで、一滴も飲まなかった。彼は前もって、囚人たちのふところからありったけの金を捲き上げておいて、祭の終わりにうんと騒ごうという魂胆なのである。どの監房にも歌声が響いていた。けれども、人人の酔いはすでに中毒状態に移りかかっていたので、歌もどうかすると涙声になりそうであった。多くのものは毛皮外套をちょいと肩に引っかけ、自分のバラライカをかかえて、いなせな恰好で絃を掻き鳴らしながら、歩きまわっていた。特別監では八人からなる合唱団まで編成された。彼らはバラライカとギターの伴奏でじょうずにうたった。純粋の民謡はあまりうたわれなかった。わたしはたったひとつだけ景気のいい調子でうたわれたのを覚えている。


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わたしは若い娘の身
昨夜《ゆうべ》いました、お酒の席に
[#ここで字下げ終わり]

 ここでわたしは、前に一度も聞いたことのないこの歌の新しい作り替えを聞いた。歌の終わりにはいくつかの文句が付け加えられていた。


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若い娘のわたしのとこじゃ
うちはすっかり片づけた
匙も洗うし
菜汁のつゆもこしらえて
柱もちゃんと削り上げ
肉饅頭も焼きました
[#ここで字下げ終わり]

 最も多くうたわれたのは、わたしたちの間で囚人歌といわれているものであったが、しかしみんな人口に膾炙《かいしゃ》したものばかりだった。そのひとつは『もとはよく』という歌で、むかしは旦那の身分で自由に楽しく暮らしていた人間が、今では牢屋ずまいの身の上になったという顛末を叙した、ユーモアに富んだ歌である。なかにこういう一節があった。以前は『ブラマンジェをシャンパンで』味つけしたものだが、いまは――


[#ここから2字下げ]
キャベツと水をもらっても
こめかみ鳴らしてがつがつと
[#ここで字下げ終わり]

 それからまたつぎのような、あまりにも有名な歌が流行《はや》っていた。


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その昔、子供のころには大金《カビタル》もって
面白おかしく暮らしていたが
その大金《カビタル》を湯水とつかって
牢屋ずまいの身となった……
[#ここで字下げ終わり]

云々、というのである。ただここでは『大金《カビタル》』のことを、『コピタル』と発音していた。『|貯める《コビーチ》』という言葉からもじったものである。またわびしい歌もうたわれた。ひとつ生粋《きっすい》の囚人歌があったが、これも世に知られたものらしい。


[#ここから2字下げ]
空の光が輝きそめて
朝の太鼓が鳴り渡り
[#ここで字下げ終わり]


[#ここから2字下げ]
囚人がしらが扉をあける
役人めらが調べに来る
[#ここで字下げ終わり]


[#ここから2字下げ]
わしらがここでどんな暮らしをしてるやら
塀に隠れて見られはせねど
天なる神が守りたまえば
わしらは滅びることはない、云々。
[#ここで字下げ終わり]

 もうひとつの歌はもっとわびしいものであったが、しかし節はすばらしかった。おそらく、どこかの流刑囚が作ったものらしく、文句が甘ったるくて、かなり幼稚だった。わたしは今でもその数行を覚えている。


[#ここから2字下げ]
わしのこの目は二度とふたたび
  生まれ故郷を見られまい
一生死ぬまで無実の罪で
  苦しむ運命《さだめ》を負うている
[#ここで字下げ終わり]


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屋根に止まって啼く梟《ふくろう》の
  声が林にこだまする
胸はしくしく痛み疼《うず》いて
  故郷《くに》へ帰れぬわが身を嘆
[#ここで字下げ終わり]

 この歌はわたしたちの間でよくうたわれたが、合唱ではなく一人歌いなのである。休息の時間などに、だれか監房の入り口階段へ出て行って腰をおろし、じっと考え込んでいるかと思うと、頬杖をついて高い裏声で、嫋々《じょうじょう》とこの歌をうたい出す。聞いていると胸がはり裂けそうになって来るのだ。わたしたちの中には相当の美声家がたくさんいた。
 とかくしているうちに、はやくも黄昏《たそがれ》が迫って来た。悲哀と、憂愁と、息苦しさが、乱酔と遊蕩の間から重苦しく顔をのぞけた。つい一時間ばかり前まで笑っていた者が、あまりはめをはずして飲んだために、今ではもうどこかで歔欷《しゃく》りあげて泣いている。ある者はもう二度もつかみ合いの喧嘩をした。またある者は真っ青な顔をして、やっとからだを支えながら、監房から監房へとふらつきまわって、喧嘩を売っている。酔っても気の荒くならないたちの人間は、自分の心を打ち開いて、酔いどれ相当の悲しみをわかってもらうために、相手をさがしだそうと空しい苦心を続けている。この不幸な人々は陽気に騒いで、この偉大な祭日をたのしく過ごしたかったのだが、ああ! この日はほとんどすべての人にとって、なんという重苦しい、もの悲しい日であったか。だれもかもが、まるで何かの希望に欺かれたようにこの日を送った。ペトロフはまた二度ばかりわたしのところへやって来た。彼はこの一日の間に、ほんのわずかしか飲まなかったので、ほとんどまったくのしらふであった。にもかかわらず、彼は最後の一時間まで、依然として何物かを期待していた。なにかしらずば抜けた、祭日らしくうんと楽しいことが、きっと起こるにちがいない。彼はそれを口に出してこそいわなかったけれども、その目を見ただけで、そうした気持ちはありありと見えていた。彼は根気よく監房から監房へと、のべつ往ったり来たりしていた。しかし、乱酔と、酔漢の無意味な悪口雑言と、酩酊のために逆上した頭のほかには、何ひとつ特別なことも起こらなければ、変わったものにも出くわさなかった。シロートキンも、やはり新調の赤いルバシカを着込み、きれいにあらいあげたかわいい顔をして、監房という監房を残らず歩きまわっていたが、これも静かに、無邪気に、何ものかをまち設ける様子であった。次第次第に監房の内は、やりきれないほどいまわしいものになってきた。もちろん、滑稽なこともずいぶんあったけれど、わたしは妙にもの悲しくなって、みんながかわいそうに思われ、彼らの間にいるのが重苦しく、息づまるような感じがしてきた。そこでは二人の囚人が、ご馳走するのはどちらが本筋か、ということでいい争っている。どうやら、もう長いこと口論しているらしく、その前には喧嘩までしたらしいふうである。とくに一人のほうは、久しい以前から、相手に対して何か含むところがあるらしく、呂律のまわらぬ舌を動かしながら泣き言を並べ、相手の仕打ちが真当でないことを証明しようと、やっきとなっている。それは、何か半外套を売り飛ばしたとか、去年の謝肉祭に何かの金をかくしたとか、その他まだこれに類したことが何やかやあった……こういって責め立てているほうは、背の高い、筋骨隆々たる若者で、頭の悪くないおとなしい男であったが、酔うと無性に友情の押し売りをして、胸の中のもだもだをはき出したがるのであった。悪態をついたり苦情をいったりするのも、あとで競争者と和睦する時の効果をいっそう強めたいがためらしかった。相手のほうは肉づきがよくてがっしりした、あまり背の高くない、顔の丸い、わる狡く立ちまわるたちの男であった。もう一人のほうより、よけい飲んでいるらしかったが、ほんのちょっとしか酔ってはいなかった。彼は性根がしっかりしていて、金持ちで通っていたが、どういうわけか、今は感激しやすい相手の男をじらさないほうが得だったらしく、酒売りのところへ引っぱって行った。相手のほうは、『もしおめえが正直な人間だったら』おれに奢るのがほんとうだ、『そうする義務がある』といいはっていた。
 酒売りは、注文主のほうには幾分の敬意を見せ、感激しやすいその仲間に対しては、侮蔑の影を示しながら(というのは、自分の金で飲まないで、人に奢ってもらっているからである)、酒を取り出して一杯ついだ。
「いけねえ、スチョープカ、こりゃどうしてもおめえの義務だよ」と感激家の仲間は、自分のいい分が通ったのを見て、こういった。「なぜって見ねえ、こいつあおめえのほうに義理があるんだからな」
「なあに、おれあおめえなんかを相手によけいな口をきいて、舌をすりへらすなあいやなこったあ!」とスチョープカは答える。
「いんや、スチョープカ、そりゃおめえ生意気だよ」と、こちらは酒売りから茶碗を受け取りながら、くり返した。「だっておめえはおれに借金してるんじゃねえか、おめえは良心もなきや、目だって借り物で、自分のもんじゃありやしねえ! おめえはけしくりがらんやつだぞ、スチョープカ、ほんによ、とにかく、けしくりからんやつだ!」
「おいおい、何を泣き言ならべてるんだい、酒をこぼしちまったじゃねえか! ちゃんと筋を通して、さあどうぞといってるんだから、飲んだらいいのさ」と酒売りは感激家の仲間をどなりつけた。「あすの朝まで、おめえのそばについてるわけにゃいかねえんだからな!」
「ああ、飲むよう、何をぎゃんぎゃんいうんだい! 降誕祭おめでとう、スチェパン・ドロフェーイチ!」と彼は茶碗を手に持ったまま、つい今しがた、けしくりからんやつだ、などとこき[#「こき」に傍点]おろしていたスチョープカに、軽くお辞儀をしながら、丁寧な調子でいった。「まあ、百年も長生きしねえ、今まで生きて来た分は勘定に入れねえでな!」彼はぐっと飲みほして、喉を鳴らし、口のはたを拭いた。「昔はな、兄弟、おれもずいぶんがぶがぶやったもんだが」と彼はみんなに話しかけるような調子で、ことさらだれに向かってともなく、まじめなものものしい様子をしていった。「ところが、今は……おれの世もおしめえになったかな。いや、ありがとう、スチェパン・ドロフェーイチ」
「なあんの」
「ところで、スチョープカ、おりあやっぱしおめえにあのことをいうのをやめやしねえぜ。そればかりか、おめえはおれに対して、まことにけしくりからんことをしてるほかに、まだおれのいい分は……」
「じゃ、おれのいい分はこうだ、この酔いどれ面め」と堪忍袋の緒を切らしたスチョープカはさえぎった。「いいか、おれのいうことを耳の穴ほじってよく聞きやがれ。おれとてめえとはこれからこの世を半分わけだ、てめえが半分、おれが半分取るのよ。さあ、とっとと失せやがれ、二度とおれの前へ出て来るでねえぞ。あきあきしたあ!」
「そんなら、金を返《けえ》さねえ気だな!」
「このうえなんの金をてめえに返すんだ、この酔っぱらい野郎?」
「やいっ、あの世へ行って返しに来ても、受け取ってやりゃしねえぞ。おれたちの金はな、あくせく働いて、汗水流して、手にまめを出して稼いだ金なんだからな、おめえはあの世へ行っても、おれの五コペイカ玉を持って中有《ちゅうう》に迷うぞ」
「ちょっ、てめえこそ鬼にさらわれっちめえ」
「なにを舌打ちしやがるんだ、おれは荷馬じゃねえぞ」
「失せろ、失せろ!」
「悪党め!」
「懲役人《ワルナーク》!」
 こうして、ふるまい酒の前よりもっと猛烈な悪口雑言が始まる。
 また別なところには、二人の親友が寝板の上にすわり込んでいる。一人は背の高い、でっぷりと肉の厚い男で、正真正銘の肉屋というタイプである。あから顔。ひどく感ずって、今にも泣き出しそうな様子をしている。いま一人は、ひょろひょろとやせた、ひ弱そうな男で、その長い膵のさきから雫が垂れているような感じ、小さな豚のような目は、下のほうばかり見ている。これは世故に長けた教育のある人間で、いつか書記をしていたことがあるのを鼻にかけて、相手をいささか見くだすようにあしらっているので、友だちのほうではそれを内心こころよからず思っている。二人は終日《いちんち》飲み続けていたのである。
「野郎、しとを失敬しやがったんだ!」と肉厚なご親友は、相手をかかえていた左の手で、やけに書記の頭を揺すぶりながら、どなった。『失敬した』というのはなぐったことである。肉厚なご親友は、これでも下士あがりなのだが、内々やせっぽちの友だちを羨んでいた。というわけで、両人はたがいに競争でしゃれたいいまわしを衒《てら》い合っているのだ。
「だが、おれにいわせりゃ、おまえさんも間違っていたんだよ……」と書記は強情に目を上げないで、ものものしく足もとを見つめながら、独断的な調子で切り出した。
「野郎、しとを失敬しやがったんだぜ、いいかい!」とご親友は、いよいよ烈しく愛する友を揺すぶりながら、さえぎった。「この世でおれが頼りに思うのは、もうおめえ一人っきりなんだ、わかるかい? だから、おめえ一人にだけいうんだが、野郎、しとを失敬しやがったんだ……」
「もう一度いうがな、おまえさん、そんなやき[#「やき」に傍点]のまわったいいわけは、おまえさんの頭がどうかしてる証拠で、ただ恥さらしになるばかりだよ!」と書記は、か細い声で慇懃に抗議した。「それより、わしのいうことをなるほどと思いなさい、そんなことはみんな、おまえさんの性根がぐらついてるための酔興なんだよ」
 肉厚のご親友は、いくらかふらふらと身を反らし、酔いどれらしい目を据えて、独善的な顔をした書記を、鈍い表情で見つめていたが、不意にまったく藪から棒に大きな拳を振り上げて、書記の小さな顔を力任せになぐりつけた。それでまる一日の友情もおじゃんになってしまった。愛すべき友は気を失って、寝板の下へけし飛んだ……
 かと思うと、今度はもう一人の知り合いが、特別監からわたしたちの監房へ入って来た。方図の知れないほどのお人好しで、陽気者で、なかなかの利口者だが、毒のない皮肉や冗談口をたたくので、ちょっと見には、だいぶおめでたいほうに思われる男であった。これはわたしがはじめて入獄した日、炊事場で食事をしている時、金持ちの百姓はどこに住んでいるか、とたずねまわったあげく、自分は意地があると広言きって、わたしといっしょにお茶を飲んだ例の男である。彼は年のころ四十前後、おそろしく厚い唇をして、肉の厚い鼻には面疱《にきび》がぶつぶつ出ていた。手にはバラライカをかかえて、無造作にその絃を掻き鳴らしている。そのうしろにはなみはずれて柄の小さいくせに頭の大きい囚人が、腰巾着然と従っている、わたしは今までこの男をあまりよく知らなかった。もっとも、この男にはだれも頭から注意を向けようとしなかったのである。彼はなにかしら風変わりな男で、疑ぐり深く、年じゅうだまり込んで、まじめくさっていた。裁縫工場にかよって、見るからに孤立の生活をしようと努め、だれともかかり合いになるまいとしているらしかった。ところがいま酔っぱらったために、影のごとくヴァルラーモフにつきまとっているのであった、彼はひどく興奮して、ヴァルラーモフの跡をつけまわし、両手を振りまわしたり、壁や寝板を拳固でたたいたりして、ほとんど泣き出さんばかりであった。ヴァルラーモフは、そんなものなどまるでそばにいないかのように、一顧の注意も払わぬ様子であった。奇態なことには、これまでこの二人の人間は、ほとんど一度も仲良くしていたことがないのである。二人の間には、仕事からいっても性質からいっても、何ひとつ共通点がなかったのだ。それに、刑の種類も違うし、棲んでいる監房も別々だった。小がらな囚人の名はブールキンといった。
 ヴァルラーモフはわたしを見ると、にやりと笑った。わたしは暖炉に近い自分の寝板の上にすわっていた。彼はわたしと向かい合って、やや離れたところに立ちどまり、何やら考え合わせる様子であったが、ひとつよろよろとして、不揃いな足どりでわたしのそばに近より、妙に気取った様子で、片手を腰に当てて反り身になり、軽くバラライカの絃を爪ぐりながら、靴の踵でかすかに拍子をとって、宣叙調《レシタティフ》で朗吟を始めた。


[#ここから2字下げ]
まる顔で白い顔
小鳥のように歌ってる
  いとしいあの娘《こ》
しゃれた縁縫い飾りのついた
繻子の着物をきた姿
  さて好もしや
[#ここで字下げ終わり]

 この歌が、どうやらブールキンの堪忍袋の緒を切らしたらしい。彼は両手を振りまわし、一同に向かって叫んだ。
「いつも出たらめばかりいってやがるんだ、兄弟衆、いつもこいつはうそばかりついてやがるんだ! ひとっこともほんとうのことはいやしねえ、みんな出たらめだ!」
「アレタサンドル・ペトローヴィチ老人!」とわる狡そうな笑みを浮かべて、わたしの顔をのぞき込みながら、ヴァルラーモフはこういって、今にも接吻しそうな様子を見せた。彼は一杯機嫌だったのである。『何々老人……』といういいまわしは、つまりだれだれに敬意を表するという意味で、シベリヤでは一般に民衆の間に用いられていた。相手は二十歳《はたち》そこそこの若い者でもかまわないのであった。『老人』という言葉は何か敬意のこもった尊称であって、お世辞のような意味さえ有している。
「やあ、ヴァルラーモフ、変わりはないかね?」
「まあ、どうやらこうやらその日ぐらしでさ。ところで、お祭がうれしい人間は、朝っぱらから酔っぱらってるんでね。どうかまっぴらご免なせえ!」とヴァルラーモフはいくらかうたうような調子でいった。
「いつも出たらめばかりいってやがる、こいつはまたうそをついてやがるんだ!」とブールキンは何かやけっぱちの様子で、寝板をどんどんとたたきながらわめき立てた。しかし相手は、こんな男には爪の垢ほども注意を払うまいと、心に誓いでもしたようだった。そこになんともいえない滑稽味がこもっていた。というのは、ブールキンがもう朝からまるっきりなんの因縁もないのに、ヴァルラーモフにつきまとっていたのだが、それはただヴァルラーモフがなぜかしら、『いつもうそばかりついている』ように思われたからにすぎないのだ。彼は影の形に添うごとく、ヴァルラーモフの跡からさまよい歩き、そのひと言ひと言に絡んで来ては、われとわが手を折れんばかりにねじ曲げたり、血の出るほど壁や寝板をたたき続けて、一人で苦しんでいた。ヴァルラーモフが、『うそばかりついている』と思い込んで、そのために、よそ目にもありありと見えるほど苦しんでいるのであった。もし頭に髪の毛があったら、彼はむしゃくしや腹でそれを引きむしってしまったろうと思われるほどだった。それを見ていると、ヴァルラーモフの行為に対して責任を負おうと決心したので、ヴァルラーモフのありとあらゆる欠点が彼の良心にのしかかって来る、とでもいったような具合であった。けれど、相手のほうは彼を見向きもしない、そこが面白いのであった。
「いつも出たらめばかりいってやがる、いつもいつもうそばかりついてやがる! ひと言だって筋の立った話はありゃしねえ!」とブールキンはわめいた。
「それがおまえにどうしたってんだい?」囚人たちは笑いながら応じた。
「わっしはね、アレクサンドル・ペトローヴィチ、あんただからいうけれど、これでなかなかいい男だったんで。娘っ子どもが首ったけになったもんでさ……」とヴァルラーモフはとつぜんなんのきっかけもなく、こんなことをいい出した。
「出たらめだ! また出たらめいってやがる!」とブールキンは何か悲鳴に似た声でさえぎった。囚人たちはどっと笑った。
「だから、おれも娘っ子たちの前で気取って見せたもんさ! 赤いルバシカを着て、ふらしてんの広ズボンなんかはきこんでよ、まるでブトゥイルキン伯爵よろしくって恰好で、ゆったりと横にたっていたのさ。まあ、つまりスエーデン人みてえに酔っぱらっていたんだよ。ひと口にいやあ、なんでも御意のままってやつさ!」 
「うそだい!」とブールキンはきっぱり断言した。
「その時分は、おれも父親ゆずりの家を持っていたよ、石で造った二階建をな。ところが、二年のうちにその二階家を手離しちまって、おれの手に残ったのは、柱のねえ門ばかりさ。どうも金ってやつは、鳩みてえなもんで、飛んで来たかと思うと、すぐまた飛んでってしまいやがる!」
「うそだい!」とブールキンはさらにきっぱりといい切った。
「そこでおれもはっと思って、ここから両親に涙っぽい手紙を出してやった。ひょっとしたら、金でも送ってくれねえかと思ってさ。なにしろ、おれは親の心に叛《そむ》くことばかりしたっていう話だからな。つまり、親不孝だったのよ! ところがその手紙を出してから、もう足かけ七年になるという始末でさ」
「それで返事は来ないのかね?」とわたしは笑いながらたずねた。
「ああ、来ねえんでがす」と彼は急に自分のほうから笑い出して、わたしの顔にくっつきそうなほどじりじりと自分の鼻を突き出しながら答えた。「ところでね、アレクサンドル・ペトローヴィチ、わっしゃここにも情婦があってね……」
「おまえに? 情婦《いろ》が?」
「オヌーフリエフのやつが、さっきもいってたっけ、『おれの女はあばた面のすべただが、そのかわり衣装をうんと持っている。それに引き替え、おめえのは縹緻《きりょう》こそいいが乞食女で、袋を下げて歩いてる』って」
「へえ、そりゃほんとうかい?」
「ああ、ほんとに乞食なんで!」と彼は答えて、声を立てずに笑い崩れた。監房じゅうの者もどっとばかり笑い声を立てた。まったくのところ、彼がある乞食女と関係を結んで、半年の間にやっと十コペイカのお手当てをやったということは、みんなに知れ渡っているのであった。
「さあ、それがいったいどうしたというんだね?」とわたしはいい加減に厄介払いがしたくなって、こうたずねた。
 彼は黙って、さも感に堪えたというふうにわたしを見つめていたが、やがて優しい調子でいい出した。
「まあ、そういったわけだから、お慈悲にいっぺえ飲ましていただけねえもんでしょうか? わっしはね、アレクサンドル・ペトローヴィチ、きょうお茶ばっかり飲んでいたもんで」と彼は金を受け取りながら、感動のていで付け加えた。「それで、あんまりお茶ばかりがぶがぶやったもんだから、息切れはするし、腹ん中は徳利《とっくり》みてえにどぶどぶいってやがるんでさ……」
 彼が金を受け取っている間に、ブールキンのむしゃくしゃ腹は絶頂に達したらしかった。自暴自棄といった様子で、さかんに身ぶり手真似をしながら、今にも泣き出さんばかりであった。
「兄弟衆!」と彼は前後を忘れて、監房じゅうのものに呼びかけながら叫んだ。「あの野郎を見てくれ! いつもうそばかりついてやがるんだ! 口から出すことがひと言ひと言、みんなみんなうそっぱちなんだ!」
「それがてめえにどうしたっていうんだ?」と囚人たちはその凄まじい様子を見て、あきれながら口々に叫んだ。「てめえも合点の悪い野郎だな!」
「おりあうそなんかっかせやあしねえ!」とブールキンは目をぎらぎら光らし、拳固で力任せに寝板をたたきながらわめいた。「あの野郎が出たらめをいうのが、おりあ気に食わねえんだ!」
 一同はどっと笑い崩れた。ヴァルラーモフは金を受け取ると、わたしにお辞儀をして、剽軽《ひょうきん》な恰好をしながら、急いで監房を出て行った。もちろん、酒売りのところへである。その時、彼ははじめてブールキンに気がついたらしい様子で、
「さあ、行こうぜ!」と彼は閾《しきい》の上に立ちどまりながら、ほんとうにこの男が何かなくてかなわないものかなんぞのよう