『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや 医師衛生兵関連その13 略あり 第145連隊

1917年
鹿児島県姶良郡山田村に生まれる
1943年
歩兵第145連隊に入隊
1944年
硫黄島の戦いに参加 衛生隊伍長
1947年
浦賀にて復員
 
農業、八幡製鉄所への出稼ぎなど


[1] 新婚で召集 05:10
それはもう、何ちゅうても、「来たかなぁ」と思たですよ。どうせ戦争が悪化したから、どうせ来ることは思うたけど、「とうとう来たねぇ」と思ったですよ。田んぼにおったんですよ。田んぼに。赤切符が来たときは。「とうとう来たかね」ちゅっせえな、昔は絶対服従やしたいな。そいくさ、今んごとやっせえ、いやちゅうことも言わならじ、そいくさ非国民で罪に落ちおったんですよ。行かんと言ったら。今の世の中はいいけど、そん頃は、まだ軍国主義でな、絶対服従国賊ち言いおったの。ほで、やむなく、人間だから行きたくはなかったよ。ホント、本心を言えば。そいくさ、親子、親は年寄りやいし、家内は今、結婚したばっかし。その気持ちはもう、ホント、何とも言われんです。何て言っていいか、当たった者なか分かりません。

Q.向江さんはおいくつだったんですか?

わたしは25やったかな。25やったか。25じゃね。27じゃ。あいから帰ったときが25やったで。そうや、20やったであ。かあちゃんが20。わたしは7やった。

Q.若い、新婚、結婚したばっかり…

新婚ホヤホヤでよ。

Q.若いやっぱり奥さんを残して行くちゅうのはどんな気持ちだったですか。

それもなぁ、もう、飛び越えて、何ともいえません。無言の一言でした。なんと話していいか、涙も枯れて出ませんでした。あとは頼むからねち、老人と、そいくさ、親とあや(兄弟は)頼むからと出ましたから。妹がおったですけど、まだ学校に出おったから、中学に。


Q.向江さんが衛生兵になったいきさつですね、その辺をちょっと教えて頂けませんか?

なろうとしてなったもんじゃなかったですよ、そいくさ。さっき語ったごっ。召集兵が、召集して、ずーっと並ばして、ほして、わたしの前までは、小銃隊を全部採って、こっから衛生隊を採らんないかんちゅうて、わたしの前からピッシャッち、採ったんです。そいで衛生隊になったんですよ。

Q.で、その衛生隊になったことがまあ…

運の尽きやったですよ。それで助かったろうち、わたしは思う。そいくさ、中隊に、担架隊やっても中隊におったらダメやったかもしれんです。中隊も担架隊だったですから、北地区におったんですよ。わたしは野戦病院付きで、それも生きたあれなったかなぁち、考えております。


[2] 硫黄島へ 03:32
Q.漁船で硫黄島に着いたときは、どげな感想を持ちましたですか?

ああ、こら小さい島やなぁち。船が着くようなとこじゃないですよ。港じゃないし、こら変な島に来たなあち、そんときは考えた。変な島やなあと思って。こまい(小さい)島で。

そん当時から、空襲ばっかり。B29がね、時間を切って、日に1、2回。もう戦争が始まる前は、もう毎日。ほて、1週間ばっか前は、晩も一晩中きてな、一つも寝せんやったですよ。神経衰弱ならした。兵隊を眠らせじんな。神経衰弱なかした。ほいて、前から言うごっ、食料は何にもなかし、みんなやせてな、戦闘力もなかしたと。元気なやつはおらんとやで。やせたとばっかし。がいこつが歩くごたったです。あんなになってから、戦闘ができるもんで・・・もう、病院なんか、ホント、サネコッ(がいこつ)が歩っごたいごしたど。もう、病人にあれも、食べ物もなかしな。内地から行かんじ、もう、兵隊はいろんな人がおるからな。漁師がおるから、自給自足で、魚なんかをとって、野戦病院な食べさせおったです。

Q.上陸当初は、食料はあったわけですか。

行った当時は、大概、順調に来れば、降ろしがなりおしたどんな、そこの港に着いたやつを降ろさならんたっであ。今、日本のSB(輸送船)が着いたからちゅって無電の打てや、もう空襲が来て、焼けとった。降ろした米を揚げならんたい。ほいで、大分来たけどな、そこで全部、焼けて、ほで、船の残骨が、そん当時は多かしたど。来ればやられる。

Q.それはその、電報が、無電が盗聴されてると?

ああ、奴ら、潜水艦から打ちおったんでしょうな。今、SBが入ったから、すっと、もう空襲が来るんですよ。

[3] 穴掘りが戦争だった 02:57
穴掘りは大変よ。人間ばっかし。発破をかけちゃ、それを担いで泥を出しおった。もう穴掘りばっかり。何にも戦闘訓練はできん。穴掘りが戦争といっしょやった。ちっとでも穴を、一日でも早く完成せないかんと。それがもう一番。ほいでまだ1か月来んな、硫黄島を全部、師団司令部からずっと続くつもりやったのが、1か月早かったんですよ。

Q.向江さんも、相当、穴を掘られました?

掘った。掘らんこてしょうがない。一日でも掘らんこてな。

Q.穴を掘るときはどういう気分でしたですか。

自分の隠れ場だからなあ、頑丈に早く、一寸でも早く掘らんにゃいかんと思うて。そら真剣なもんですよ。自分の身を隠す穴でしょう。何にも力が。

地熱は。5分間も入っちょはならんですよ。ところによってあ。ところによっちゃ、・・・長いところもある。ところによれば5分間も入っとらんです。ちょっと掘ったら、熱があっとが分かるから、そこはやめましたよ。熱のないとこを見つけて掘ったですよ。

Q.ガスも結構あったと・・・

ガスもあった、深くなればな… ほいで、一方をやっぱい、抜け穴を作らんなだめ。掘いこっばかいじゃ、ガスがたまる。抜け穴を、窓を作ったりして、掘ったんです。

Q.普通そういうのちゅは、工兵の人たちがやるんですよね。

そうそう。兵隊は全部、全部が穴掘りやったの。どこの兵隊も、歩兵やろうが何やろうが、航空隊じゃろうが、全部、みんなが穴掘り。自分の身を隠すとが、全部、硫黄島に行った者は全部掘ったですよ。上の将校ん衆なんか掘らんかったな。指揮だけするけど。あとは全部自力、掘ったんです。

[4] 米軍上陸 05:21
2月の16日の午前6時やったかな。6時ごろやった。そん前から、1週間ばっかいや、一つも寝せんとやっでやな。ほで、朝、見てみたら、遠くの海を見たら、ゴマをふったようにな、海がしおったではんな。ほで、ちょっと、やっぱい見ちょったら、ピカッ、ピカッち光りでけた。もう弾が島に飛んできたもん。それから戦争が始まった。それが最初の撃ち出し。とうとうきたなと。トンボんご(みたいな)、赤トンボんご、艦載機が飛んできて飛んできてな、艦砲は艦砲、800隻の船がグリーっち周ったの。あのこまい島を。ホント、ゴマふったごたしだど。ほで、なんで勝てるもんね。「あんだけたいたら、赤ちゃんでも上がってくるわい」と、語っとった。

(略)