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「じゃ、ぼくはランベルトのところへ行きます!」とわたしは晞んだ。「そして場合によったら、絞め殺してやります!・」 「奥さま!・Lふいにマリヤが台所から金切り声をあげた。「だれか妙な女が、ぜひお目にかかりたいといってます卜?:…」 けれど、彼女がしまいまでいいきらないうちに、『妙な女』はけたたましい叫びとともに、自分で台所から飛びこんだ。それは、アルフォンシーヌだった。わたしはこうした場面をくわしく、完全に描写しないことにする。この一場は、人をだますための狂言にすぎなかったが、アルフォンシーヌがそれを演じた見事な腕は、認めてやらなければならない。彼女は悔悟の涙を流し、はげしい身ぶり手まねをしながら、ぺらぺらとしゃべり立てた(むろんフランス語である)。手紙は彼女がそのとき、自分で抜き出して、それは今ランベルトの手許にある。ランベルトは『あの強盗』といっしょに、-あの腹黒な紳士とぐるになって、将軍夫人を呼び出し、射ち殺してしまおうとたくらんでいる。しかもそれは今すぐ、 一時間後のことだ、-彼女はこれをすっかり二人から聞いて、しかも彼らがピストルを、le Pistoletを持っているのをみたので、すっかり仰天してしまった。そこであなた方が出かけていって、先手を打って夫人を救ってくださるように、いきなりここへ飛んで来た……あの腹黒な紳士は……」 一口にいえば、すべてがいかにもありそうに思われたのだ。アルフォンシーヌの説明のある部分が問の抜けている点さえ、そのほんとうらしい印象を強めたのである。
「あの腹黒い紳士というのはだれのこと?」タチヤーナ叔母は叫んだ。 「Ticnss j'ai oub116 son nom……Un homme affreux……Ticns「Versiloff.(ええと、わたし名前を忘れましたわ。そりゃ恐ろしい人……そうそ、ヴェルシーロフ)」 「ヴェルシーロフ、そんなばかなことはない!」とわたしは叫んだ。 「ああ、そうじゃない、大きにありそうなことだよI」と夕チヤーナ叔母は黄色い声をはりあげた。「さあ、おばさん話してお聞かせ。そんなに飛びあがって手を振らないでさ。いったいあの大たちは何をしようというの? おばさん、よくわかるように話してお聞かせ。いったいあの大たちが、カチ ェリーナ夫人を射ち殺そうと思ってるなんて、そんなことは んとうにできやしない」 『おばさん』はこんなふうに説明した(NB もう一度ことわっておくが、何もかも作り事なのだ)。ヴェルシーロフが戸の陰に身をひそめていると、ランベルトは夫人がはいって来たとき、例の手紙を出して見せる。そのときヴェルシーロフが飛び出して、二人がかりで夫人を……Ohs ils feront1cur vengeance !(ああ、こうしてあの人たちは腹いせをするのです!)わたしは自分でもその仲間にはいっているので、後難が セツトーダーム ラーゼ気‐ラール恐ろしいんですの。ところであのひとは、将軍夫人は、必ず『すぐ、今すぐ』やって来るに違いありません。だって、あの大たちは、手紙の写しを送ってやったから、ほんとうに手紙を握られていることを悟って、すぐやって来るに相違あ
りません。あのひとに手紙を書いたのはランベルトだけで、ヴェルシーロフのことは、あのひとも知らないんですの。ランベルトは、モスクワから来た人間という触れこみなんです。あるモスクワの婦人(NB これは、マリヤーイヴ″Iノヴナのことだ!)のとこから来た、というわけなんですの」 「ああ、わたしは、気分がわるくなった! 気分がわるくな った1・」とタチヤーナ叔母はこう叫んだ。 「Sauvez la「 sauvcz la!(助けて上げてください、助けて上げてください!・)」とアルフォンシーヌはわめき立てた。 もちろん、この気ちがいめいた報告の中には、一目みただけで、何か辻褄の合わないところがあったけれど、本質的にはすべてがあまりまことしやかなので、ゆっくり考えている暇がなかった。カチェリーナ夫人はランベルトの手紙を受けとったとき、事態をはっきりさせるために、まずタチヤーナ叔母のところへ寄るだろうと、想像することもできるのだ。それはかなりありうべきことだが、そのかわりこの予想がはずれて、いきなりまっすぐにランベルトのところへ行く可能性もあった。そのときはもう夫人の身は破滅だ!・ 夫人が見も知らぬランベルトのところへ、最初の呼び出しで、いきなり飛んで行こうなどとは、ちょっと信じられない話であるとはいい条、しかし手紙の写しを見て、本物が実際に彼らの于にあることを確かめたら、この懸念が実現されないともかぎらない。そうしたらやはり一大事だy・ それに何より、そういう判断をしているだけの余裕すらなかった。
「ヴェルシーロフはほんとうに殺すかもしれませんよI ランベルトと事をともにするくらい身を落としたとすれば、きっと殺してしまうに相違ない! 例の分身というやつがいるから!・」とわたしは叫んだ。 「ええ、また『分身』かえ!」タチヤーナ叔母は両手を揉み散らしながら叫んだ。「まあ、何もぐずぐずいうこともない」彼女は急に腹をきめた。「帽子と外套をとって、いっしょに駆け出しなさい! さあ、おばさん、わたしたちを二人のいるところへすぐ連れてってちょうだい。え、遠いって?マリヤ、マリヤ、もしカチェリーナ夫人がお見えになったら、わたしはすぐに帰って来るから、腰を落ちつけて待っていただくように、そういっておくれ。もし待つのがいやだとおっしゃったら、戸に鍵をかけてしまって、無理にも出さないようにするんだよ。わたしのいいつけだといってね! もしそれをうまく勤めおおせたら、褒美百ルーブリだよ、マリヤ」 わたしたちは階段へ飛び出した。これ以上の良法を考え出すことができないのは、疑うまでもない。なぜなら、いずれにせよ、おもな災厄はランベルトの宿に含まれているわけだから、もしほんとうにカチェリーナ夫人が、まずタチヤーナ叔母の家へよるとすれば、マリヤがいつでも引きとめることができるに相違ない。けれどタチヤーナ叔母は、もう辻馬車を呼びとめてから、急に考えを変えた。 「お前はこの女といっしょに行っておくれ!」わたしとアルフォンシーヌをおいて行きながら、彼女はこう命令した。
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「そして、事と場合によったら、死ぬ覚悟でいておくれ、わかったかえ? わたしはすぐに後から行くけれど、その前にあのひとのとこへ駆けつけてみよう。ひょっとしたら、会えるかもしれないから。なんといっても、うさんくさいところがあるからねI」 彼女はカチェリーナ夫人のところへ飛んで行った。わたしとアルフォンシーヌは、ランベルトの宿へ馬車を走らせた。わたしは馭者をせき立てながら、みちみちアルフォンシーヌに質問をつづけた。けれど、アルフォンシーヌは感嘆の叫びでごまかすばかり、はてはとうとう泣きだした。けれど、こんな危機一髪という状態になっていたにもかかわらず、神はわれわれ一同を守ってくれた。わたしたちが道のりの四分の一も行かないうちに、ふいにうしろからわたしの名を呼ぶ声が聞こえた。振り返って見ると、トリシャートフが辻馬車に乗って、わたしたちを追っているのであった。 「どこへ行くんです?」と彼はおびえたように叫んだ。「しかもアルフォンシーヌといっしょにI」 「トリシャートフー」とわたしは叫んだ、「きみのいったとおりですよ、-大へんな騒動! これからランベルトの悪党のところへ行くんです! いっしょに行かない? なんといっても、人数の多いほうがいいから!」 「引っ返しなさい、すぐ引っ返しなさい!」とトリシャートフはどなった。「ランベルトはきみをだましてるんですよ。アルフォンシーヌもだましてるんです。ぽくは、あばたの使いで出かけたんで。あの連中は家にいませんよ、ぼくはたっ
た今、ヴェルシーロフとランベルトに出会いました。二人はタチヤーナさんの家へ行きましたよ……ふ7あそこにいるはずです……」 わたしは馬車をとめて、トリシャートフの車に飛び移った。どうしてああ急に決心がついたか、今もって不思議なくらいだが、わたしはいきなり彼を信用し、思いきって断行したのである。アルフォンシーヌはけたたましい叫び声を立てたが、わたしたちはそれに目もくれなかった。そして、彼女がわたしたちの後を追って引っ返したか、それとも家へ帰って行ったか、そのへんはさっぱりわからない。けれどとにかく、わたしはそれなり彼女に会わなかった。 馬車の上で、トリシャートフは息をはずませながら、やっとのことで次の顯末を話して聞かせた、-そこには何か陰謀が企まれて、ランベルトとあばたのあいだに協定ができていたところ、あばたが最後の土俵ぎわで寝返りをうって、いまトリシャートフをタチヤーナ叔母のところへ使いに出し、ランベルトとアルフォンシーヌの言葉を信じないようにと、注意させることにしたのだ。トリシャートフはこれ以上何も知らない、あばたもどこかへ急いでいたので、落ちついて話す暇がないために、くわしいことを教えてくれなかった、すべて大急ぎでやられたのだとつけ加えた。「ところが、きみが馬車で出かけるところを見たので」とトリシャートフはつづけた。「あとを追って行ったんです」むろん、このあばたがいっさいの事情を知っているのは、トリシ″Iトフを、いきなりタチヤーナ叔母のところへさし向けたところから見
ても、明瞭なことだった。しかし、これがまた新しい謎だった。 しかし、混乱をさけるために、破局を描写するにさきだって、いっさいの真相を説明することにしよう。これで先まわりの説明もいよいよ最後だ。 あのとき手紙を盗んだランベルトは、すぐヴェルシーロフと同盟した。どうしてヴェルシーロフがランベルトなどといっしょになれたか、-それは今のところ話さないでおこう。それは後まわしだ。何より第一に、それは例の『分身』の仕業である! けれど、ヴェルシーロフと共謀になったランベルトは、できるだけ巧妙に、カチェリーナ夫人をおびき出すことに苦心した。ヴェルシーロフは頭から、やって来ないと断言した。けれど一昨日の晩、わたしが往来で彼に出会ったとき、手紙はタチヤーナ叔母の家で、タチヤーナ叔母を前に置いて夫人に返すと、得意になって声明してからこの方、ランベルトはタチヤーナ叔母の住居に対して、密偵のようなものを設けた。それはつまりマリヤを買収したのだ。彼はマリヤに二十ルーブリ与えたが、それから一日おいて例の書類の横どりに成功したとき、もう一度マリヤを訪ねた。そのときすっかり根本的に手筈をきめて、彼女に功労金二百ルーブリを約束した。 こういうわけで、カチェリーナ夫人が十一時半にタチヤーナ叔母の家へやって来て、その席にわたしも立会うという、
さきほどの話を聞きつけると、マリヤは、いきなり家を飛び出し、この情報をもってランベルトの宿へ辻馬車を走らせた。つまり、彼女はこのことをランベルトに報告する義務があったので、功労というのはこの点をさしていうのだった。ちょうどそのときランベルトのところに、ヴェルシーロフも来合わせていた。ヴェルシーロフはとっさの間に、あの恐ろしい計略を考え出した。気ちがいはどうかすると、恐ろしく狡猾になるものだそうである。 計略というのはほかでもない、-わたしとタチヤーナ叔母の二人を、たとえ十五分でも二十分でも、カチェリーナ夫人の到着するより前に、ぜひとも家からおびき出すことだった。それから彼らは往来に待っていて、わたしとタチヤーナ叔母が出て行くが早いか、マリヤに戸をあけさせて家の中へ駆けこみ、カチェリーナ夫人を待とうというのだ。アルフォンシーヌはその間に、場所と方法を問わず、できるだけ長くわたしたちを引きとめる任務を有していた。カチェリーナ夫人は約束どおり、十一時半にやって来るはずだ、--したがって、わたしたちが引っ返すより倍も早いわけだ(いうまでもないことだが、カチェリーナ夫人はランベルトからまるで呼び出しなど受けず、アルフォンシーヌはでたらめをいったのである。これも細かいデテールまで、ヴェルシーロフが考え出したので、アルフォンシーヌは気おくれのした、裏切り人の役割を演じたにすぎない)。むろん、それは冒険だったに相違ないが、考え方は正しかった。『うまく行けばいいし、しくじったところで、べつに損はない。書類はまだこっちの
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手に握っているのだから』こういう気持ちであり、しかも、それはうまくいった。またうまくいかないはずがない。なぜなら、わたしたちは『もしこれがみんなほんとうだったら!・』という想像だけでも、アルフォンシーヌの後から駆け出さないわけにいかなかったからだ。もういちどくり返していうが、考えている暇などなかった。 5 わたしはトリシャートフといっしょに台所へ駆けこむと、マリヤのふるえあがった様子に気がついた。彼女はランベルトとヴェルシーロフを通したとき、ふとランベルトの手にピストルが握られているのを見て、仰天してしまったのだ。彼女は金こそ受け取ったけれども、ピストルなどということはてんで勘定に入れていなかった。彼女は思案に迷っていたが、わたしの顔を見るといきなり飛んで来た。 「アフマーコヴアの奥さまがいらっしゃいましたが、あの人たちはピストルを持っているのでございます」 「トリシャートフ君、きみはこの台所で待っていてください」とわたしは手配した。「もしぼくがちょっとでも声を立てたら、まっしぐらに加勢に駆けつけてください」 マリヤは小さな廊下へ通ずる戸をあけた。で、わたしは夕チヤーナ叔母の寝室へすべり込んだ、Iそれはわたしがいつか偶然立ち聞きをした例の小部屋で、タチヤーナ叔母の寝台が一つやっとはいるくらいの広さしかなかった。わたしは寝台に腰かけると、すぐカーテンを細目にあけた。
部屋の中では、早くも騒々しい物音がして、何やら大きな声で話していた。ついでにいっておくが、カチェリーナ夫人は二人が来てから、ちょうど、一分たってはいって来たのだ。わたしはまだ台所にいる時分から、騒々しい物音や話し声を聞きつけた。それはランベルトがわめいているのだ。彼女が長いすに腰かけていると、ランベルトはその前に突っ立って、ばかみたいにわめき立てていた。なぜ彼があああわてていたか、今になってみるとなるほどと合点がいく。彼はわたしたちに見つかりはしないかと心配して、しきりに急いでいたのだ。彼がだれを恐れていたか、それはあとで説明しよう。彼は手紙を手ににぎっていた。けれど、ヴェルシーロフは部屋にいなかった。わたしはちょっとでも危険の兆候が見えたら、すぐ飛びこもうと身がまえていた。ここではただ会話の意味だけ伝えることにしよう。記憶の不正確な点もずいぶんあるだろうと思うが、わたしはそのときあまり興奮していたので、いちいち正確に記憶する余裕がなかったのだ。 「この手紙が三万ルーブリするといって、驚いていらっしゃるんですね! これは十万ルーブリの値打ちがあるのに、わたしはたった三万ルーブリしか請求していないんですよ!」ランベルトは無性に熱しながら、大きな声でこういった。 カチェリーナ夫人はおびえている様子だったが、一種軽蔑を合んだ驚きの表情で、彼を眺めていた。 「なんだか見たところ、ここには何かの陥し穽が作ってあるようですね。わたし何がなんだか少しもわかりませんわ」と
彼女はいった。「けれど、もしあの手紙がほんとうにあなたの手にあるとすれば……」 「ほらこれですよ。ごらんのとおり1・ いったいこれが違いますかね? 約手で三万ルーブリ、-斗れよりIコペイカも負かりません!」とランベルトがさえぎった。 「わたしお金は持っていません」 「約手をお書きなさい、-ここに紙があります。あとで金の工面をなすったらいいでしょう。お待ちしますよ。しかし、一週間だけ、それ以上はおことわりです……金ヽシー届けてくだすったら、手形をお返しします。そして、手紙もそのときわたします」 「あなたはなんだか妙な調子で、わたしにものをおっしゃるんですね。それはお考え違いですよ。わたしがこれから行って訴えたら、あなたは今日にもさっそくその書類を取り上げられるんですよ」 「だれに訴えるんです? ははは!・世間の騒ぎを、どうします! 手紙を公爵に見せますよ! どこで取り上げるんです?・わたしは住居に書類など置いちゃいませんからね。わたしは第三者を通じて公爵に見せますよ。強情かほるのはおよしなさい、奥さん。わたしの請求が少ないのか感謝してもいいくらいですよ。これがほかの者なら、おまけにまだきっと違ったお勤めを望むところなんですぜ……・疋、おわかりでしょう……つまり、せっぱつまった場合には、どんな別嬪さんでもことわられないお勤めでさあ、わかりましたか……へへへ‐’Vous etes bc1%vous!(あなたは別嬪ですよ、あなた
は!)」 カチェリーナ夫人は真っ赤になって、椅子からすっくと立ちあがると、-いきなり彼の顔に唾をはきかけ、足ばやに戸口のほうへ歩きだした。そのとき・愚かなランベルトは、ピストルを取り出した。彼は知恵の足らぬ人間の常として、書類の効果を妄信していたのだ。つまり、第一に、相手がだれであるかを、よく見分けなかったのだ。それというのも、わたしが前に述べたとおり、だれでも自分と同じような、下劣な気持ちを持っていると考えていたからにほかならぬ。夫人はことによったら、金銭上の取引きも避けなかったかもしれないのに、彼はいきなり粗暴な言辞を弄して、彼女を怒らしてしまったのだ。 「そこな勁くな!」唾をかけられて火のようになったランベルトは、夫人の肩をつかんで、ピストルを。突きつけながら、こうわめいた、iむろん、それはただのおどかしにすぎなかったのだ。 彼女はきゃっと叫んで、長いすにべったり腰をおろした。わたしは部屋の中へおどりこんだ。がその瞬間に、廊下へ通ずる戸口から、ヴェルシーロフが駆けこんだ(彼は廊下に立って、折を待っていたのだ)。わたしがはっと思う間もなく、彼は、ランベルトの手からピストルをもぎ取ると、台尻で彼の頭を力まかせになぐりつけた。ランベルトはよろよろしたと思うと、気を失って倒れてしまった。血が彼の頭から絨毯の上へほとばしった。 彼女はヴェルシーロフを見ると、とつぜん紙のように真っ
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青になった。幾秒かの間、名状しがたい恐怖の色を浮かべながら、じっと身動きもせずに立っていたが、ふいに気絶してどうと倒れた。彼はそのそばへ駆けよった。わたしは今でもこれらすべての場景が、目の前にちらついているような思いである。そのとき彼が紫に近いほど赤い顔をして、両眼を血走らせているのを見て、思わずぎょっとしたのを覚えている。彼はわたしが部屋にいたのに気づいたけれど、まるで何者か見分けなかったらしい。彼は感覚を失った女を引つつかむと、まるで信じられないほどの力で、羽のようにかるがると両手に抱きあげ、子供でもあやすように、意味もなく部屋を歩きはじめた。それはふさな部屋だったが、彼は自分でもなんのためだかわからない様子で、隅から隅へとさ迷いつづけた。そのとき、わずか一瞬間に理性を失ったのである。彼はたえずカチェリーナ夫人の顔を眺めていた。わたしはその後から走りまわっていた。何よりも第一に、彼が右手に持つたまま忘れているピストルを恐れたのだ。その筒口は彼女の頭にふれそうになっていた。彼は初めわたしを肘で突きとばし、二度目は足で蹴とばした。わたしはトリシャートフを呼ぼうかと思ったけれど、狂人の気をいらだたせるのを恐れた。ついにわたしはいきなりカーテンを押しあけて、彼女を寝台の上へ置くようにと、泣かんばかりに頼みはじめた。彼はそのそばへ寄ってべ″ドの上へ置くと、そこに立ちつくしながら、しばらく、女の顔を穴のあくほど見つめていた。と、ふいに身をこごめて、彼女の青ざめた唇を二度ばかり接吻した。わたしはそのときやっと、彼が完全に気の狂った人
問であることを悟った。突如、彼は、ピストルを振りあげたが、急に思い出したようにピストルを逆に持ちかえ、筒口を彼女の顔へさし向けた。わたしはいきなり。ありたけの力をふるって彼の于をつかみ、トリシャートフを呼んだ。忘れもしない、わたしたち二人は一生懸命に彼と闘ったが、彼は取られた手を振りほどいて、はっと思う問に、われとわが身へ発射してしまった。彼はまず女を殺して、それから自殺しようと思ったのだが、わたしたちが夫人を撃たせなかったので、彼はいきなり、自分の心臓部へ筒口を押しあてた。しかし、わたしがすばやく彼の手を上へはねのけたので、弾丸は彼の肩へあたった。この瞬間、タチヤーナ叔母が、叫び声をたてながら駆けこんだ。彼はすでに感覚をうしなって、ランベルトとならんで絨毯の上に身を横たえていた。
第髟章 エピローグ
j 今はもはやこの事件からほとんど半年たった。それ以来多くのものは完全に過去の中に没し、また多くのものはまったく状態を一変した。そしてわたしのためには、もうとっくに新生活がはじまった……だが、わたしも、読者を解放することにしよう。 その当時においても、それからまだしばらくたっても、どうしてヴェルシーロフがランベルトのような人間といっしよ
になったのか、またその際どういう目的を持っていたのか、これが、少なくともわたしにとっては、第一の疑問だった。しかし、やがてだんだんその間の消息がはっきりしてきた。わたしの考えでは、ヴェルシーロフはあのとき、つまり最後の丸一日とその前夜は、少しも判然とした目的を持っていなかったのだ。それどころか、理知的判断などまるで試みる力がなく、何かしら感情の旋風といったようなものに翻弄されていたのだと思う。もっとも、わたしはほんとうの発狂などはぜんぜん認めない。彼は今でも決して狂人ではないのだ。が、『分身』だけは問違いなく認める。そもそも分身とはなんであるか? 少なくとも、わたしがその後わざわざ読んで見たある医学の専門書によってみると、分身はかなり重大な精神的変調の第一段階にほかならぬのであって、往々にして悲しむべき結果に導く場合もありうるとのことである。それにヴェルシーロフ自身も、母の家で聖像を割ったとき、すでにもう意志と感情が『分裂』していたことを、恐ろしいほど真剣に告白した。しかし、もうI度くり返していうが、あの母の住居における場面は、聖像が割られたというような事実もあるし、純粋な『分身』の影響によって行なわれたことも争う余地がないけれど、そこにはI種意地わるい諷喩も、多少まじっていたのではないか、1といったような気持ちが、あれ以来しじゅうわたしの頭を去らないのだ。つまり二人の婦人の期待に対する憎悪、彼らの権利と正義に対する反感などが手伝って、例の『分身』といっしょに聖像を割ったのである’・「そら、こんなふうにお前たちの期待もくだけてし
まうぞ!・」こういったようなわけで、要するに、分身もあったろうが、また単なる気まぐれもあったのだ……が、これはみんなわたしの想像にすぎないので、正確な断定はむずかしい。 もっとも、彼はカチェリーナ夫人を崇拝していたにもかかわらず、彼の内部には、彼女の精神的価値に対する疑惑の念が、つねに巣くっていたのである。彼はあのとき戸の蔭に身をひそめながら、彼女がランベルトの前に屈辱するのを期待していたに相違ないと思う。しかし、たとえ期待していたにもせよ、それをすすんで欲したろうか? またまたくり返していうが、彼はそのとき何一つ欲しなかったのみならず、いっさい理知判断をしなかったものとかたく信じている。ただその場に居合わせたかったにすぎない。折を見て飛び出して、彼女に何かいうつもりだったのだ。ことによったら、Iことによったら、侮辱を与えるつもりだったかもしれないし、またあるいは殺してしまう考えだったかもしれない……あのときはどんなことでも起こりうる可能性があったものの、しかし彼はランベルトといっしょにやって来たとき、これからどういうことになるか、まったく少しも知らなかった。いい添えておくが、ピストルはランベルトのもので、彼は空手で来たのだ。ところが、彼女の傲然とした誇りに満ちた態度を見、さらにすすんで彼女を威嚇するランベルトの陋劣な態度にたえかねて、彼はいきなり飛び出してしまった、その後で理性を失ったのである。その瞬間、彼女を撃ち殺そうと思ったのだろうか? わたしにいわせれば、彼自身そんなことはわからなかったろうけれども、わたしたちがその手をはねの
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けなかったら、たしかに殺していたに相違ない。 彼の傷は致命的ではなかったので、今では癒着してしまった・しかし、かなり長く病床についていた、-むろん、母の住居である。いまわたしがこの章を書いているときは、五月の中旬で、外はうららかな春景色だ。窓々はあけ放されている。母がヴェルシーロフのそばにすわっていると、彼は母の頬や髪を撫でながら、感激に満ちた表情でその眼を見つめている。ああ、それは以前のヴェルシーロフの半身にすぎない。彼はもはやすこしも母のそばを離れようとしない。また、今後永久に離れないだろう。彼は『涙の賜物』さえ受けてしまった。これはかの永久に忘れがたいマカール老人が例の商人の物語をするときに用いた言葉だ。もっとも、わたしはヴェルシーロフが長生きしそうな気がする。彼はいまわたしたちに対して子供のように誠実率直だが、しかも度合いと嗜みを失わず、余計なこともいわない。彼の頭脳も精神的傾向もみな、依然としてもとのままだった。ただ彼の内部にひそんでいた理想的な分子がすべて、いっそう顕著になったくらいのものだ。わたしは正直にいってしまうが、現在今ほど彼を愛したことはかつて一度もないほどである。わたしはより以上くわしく彼のことを語る時間も、紙面も与えられていないのを残念に思う。ただし、一つだけ最近のアネクドートを話しておこう(こういうアネクドートはたくさんあるのだ)。 大斎期(隷・蓊僵)のはじまるころに、彼aいよいよ全快した。そして、六週間目に精進をするといいだした。思う
に、彼はやく三十年この方、あるいは、それ以上も精進をしたことなどない。母は大熹びで、さっそく精進料理を調えはじめた。精進料理といっても、かなり贅沢なこったものだった。わたしは次の部屋から聞いていたが、月曜日と火曜日に彼は一人で『こは花婿の訪るるなり』を口ずさみながら、その節にも言葉にも感心していた。この二日の間に、彼は幾度も宗教を談じた。しかも、そのいうことときたら立派なものだった。けれど水曜日になって、急に精進を中止してしまった。何か急に彼の気をいらだたせたのだ。彼が笑いながら口にした言葉によると、それは何かしら『滑稽なコントラスト』なのである。何か司祭の顔つきやその場の情況に、彼の気に入らないことがあったらしい。が、家へ帰って来るといきなり、静かな微笑を浮かべながら、『ねえ、わたしは非常に神を愛しているけれど、それに対する能力がないのだ』といった。その日の食事にはもうローストビーフが出た。しかし、母は今でもよく彼のそばに腰をおろして静かな微笑みを浮かべながら、静かな声で話しかける。それをわたしは知っている。どうかすると、恐ろしく抽象的な問題を持ち出すこともあった・最近、母は急に彼に対して大胆になったが、どうしてそうなったのかわからない。母は彼のそばに腰をおろして、たいていいつもささやくような調子で話をはじめる。すると、彼は微笑を浮かべながらそれに耳を傾け、母の髪を撫でたり、于に接吻したりする。そしていかにも満ち足りたような幸福な色が、彼の顏に輝いているのだ。どうかすると、ほとんどヒステリイといってもいいくらいな発作が起こっ
た・そういうとき、彼は母の写真を取り上げる。あの晩接吻した例の写真だ。彼は涙を浮かべて、それを眺めながら接吻し、過去の思い出にふける。そして、わたしたち一同をそばに呼びよせるのだが、そういうときにはあまり口数をきかない…… カチェリーナ夫人のことは、けろりと忘れてしまったようなふうで、一度もその名を囗にしたことがない。母と正式に結婚するというような話も、やはりまだないようなふうだ。夏になったら、彼を外国へ連れて行こうかという計画もあったけれど、タチヤーナ叔母が頑強に反対したし、それに彼自身も気がすすまなかった。この夏はペテルブルグの郡部の村で、みんなで別荘生活をすることになるだろう。ついでにことわっておくが、目下わたしたち一同は、タチヤーナ叔母の金で生活しているのだ。もう一つ加えておくと、わたしはこの記録をしたためているあいだ、ヴェルシーロフに対してあまり不遜な、高飛車な態度をとったのを、心から残念に思う。しかし、わたしはこの記録の各瞬間、各場面に現われているわたし自身を、まったくそういう人間と信じきって書いたのだ・けれど、最後の一行を書きおえて、この記録を完成してしまったとき、わたしは急にこういうことを感じた、―つまり過去を回想したり、記録したりするその経過によって、わたしは自分自身を教育しなおしたのだ。わたしは自分の書いた多くのもの、ことに若干の語句やページに含まれている調子を否定するが、しかし一語も抹殺したり、訂正したりはしない。
わたしは、彼がカチェリーナ夫人のことをすこしも囗にしないといったが、ことによったら、すっかり病気が癒えたのかもしれないと思う。ときどきカチェリーナ夫人のことを話すのは、ただわたしとタチヤーナ叔母だけで、しかもそれさえ内証なのだ。目下カチェリーナ夫人は外国へ行っている。わたしは出発前に彼女と会ったし、彼女の家へも二三度行った。外国からも二度手紙をもらって、それに返事を出した。が、わたしたちの手紙の内容や、それから出発前に二人でかわした会話の性質については、ことさら沈黙をまもることにしよう。これはもう別の話であり、まったく新しい物語である。そして、それはぜんぶ未来のことに属するかもしれぬ。わたしはタチヤーナ叔母に対してさえ、ある種の事柄については沈黙をまもっている。しかし、こんなことはもうたくさんだ。ただいい添えておくが、カチェリーナ夫人は結婚しないで、ベリーシチェフー家と旅行しているのだ。彼女は父が死んだために、有数な金持ちの未亡人となった。目下彼女はパリにいる。彼女とビョーリングとの決裂は急なことで、いつともなく、つまりきわめて自然に行なわれた。もっとも、ちょっとこの話をしておこう。 あの恐ろしい事件の演じられた朝、例のトリシャートフとその親友を味方にえたあばたが、早くも目前に迫った奸計を、ビョーリングに知らせた。ランベルトはとにかく彼を口説き落して、事をともにするようにしたのだ。あのとき書類を手に入れると、自分の計画のこまかい点までくわしく話したうえ、ヴェルシーロフがタチヤーナ叔母をだます手だてを
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考えついた最後の瞬間まで、ことごとくうち明けたのだ。けれど、いよいよという土俵ぎわで、あばたはランベルトを裏切ったほうが利口だと考えた。彼は仲間のだれよりもいちばん分別があったので、その計画に刑事犯罪の可能性を見ぬいたのだ。しかし何よりも第一に、彼は熱しやすくて不馴れなランベルトや、情欲のためにほとんど気の狂ったヴェルシーロフの夢のような計画よりも、ビョーリングの感謝のほうがずっとたしかだと考えた。これらいっさいの事情は、その後トリシャートフから聞いた。ついでながら、わたしはランベルトとあばたの関係をよく知らない。なぜランベルトがあばたなしでいられなかったのか、合点がいかない。けれどそれより、なぜランベルトにとってヴェルシーロフが必要だったのか、この問題のほうがはるかに興味がある。ランベルトは書類を于に握っていたのだからヴェルシーロフの助力などなくても、立派にすますことができたはずだ。今となってみると、その答えは明瞭すぎるほどである。第てヴェルシーロフは事情をよく知っているという意味で彼に必要だったし、それに何よりもかんじんなのは、みんなが騒ぎだすとか、そのほか何か災難が落ちかかったような場合、いっさいの責任をぬりつける道具として、ヴェルシーロフはなくてならぬ人間だった。それに、ヴェルシーロフは金などあてにしていなかったから、ランベルトは彼の助力をしごくけっこうに心得たわけである。しかしビョーリングはそのときうまく間に合わなかった。彼が到着したのは、ピストルが発射されてからすでに一時間もたったころで、もうタチヤーナ叔母の住居は
まるで様子が一変していた。ほかでもない、ヴェルシーロフが血まみれになって絨毯の上に倒れてから五分ばかりたったとき、みんな殺されたものと思っていたランベルトが、むくむくと身を起こして立ちあがったのだ。彼は呆気にとられて、あたりを見まわしていたが、急にいっさいの事情に合点がいくと、ひとこともいわずに台所へ出て行き、そこで自分の外套を身につけると、永久に姿を消してしまった。『書類』はテーブルの上へ残して行った。うわさに聞くと、彼は大して病気らしい病気もせず、ただしばらくぶらぶらしていたばかりだとのことである。ピストルでなぐられたために、はっと思って気を失ったが、少々出血したばかりで、それ以上大した結果は残さなかった。その間にトリシャートフは医者を呼びに駆け出したが、医者が来るまでに、ヴェルシーロフも意識を恢復した。またヴェルシーロフが意識を恢復する前に、タチヤーナ叔母はカチェリーナ夫人を正気に返して、彼女の家へ連れて帰った。こういう次第で、ピョーリングが駆けこんだときは、タチヤーナ叔母の住居にはわたしと、医者と、負傷したヴェルシーロフと、母がいたばかりである。母はまだ病中だったけれども、やはりトリシャートフから知らせを受けて、夢中になって駆けつけたのだ。ビョーリングはけげんな顔つきで、あたりを見まわしたが、カチェリーナ夫人がもう帰ったと聞くやいなや、わたしたちに一口もものをいわないで、すぐに夫人の家へおもむいた。 彼はすくながらず当惑した。もうこうなっては、社交界の醜聞を避けるわけにはいかないと、明瞭に見てとったの
だ。けれど、大した醜聞は起こらずにすんだ。ただ多少の風説があったばかりだ。ピストルの発射は隠しきれなかった、~それは事実だ。しかし、事件の主な点と主な本質は、ほとんど未知の闇に葬られた。予審が決定したのはただ次の点にすぎない。Vなる一紳士が、ほとんど五十寇に近い一家の主でありながら、さる婦人に恋慕して、立派な身分のある相手の婦人に恋情をうち明けたが、婦人はぜんぜん彼の気持ちに共鳴しないため、恋に血迷った紳士は狂憤の発作にかられ、自分で自分にピストルを放した、1これ以上のことはぜんぶ外部にもれなかった。こういう形で事件は曖昧な風説となり、新聞種にも取り入れられたが、しかし苗字の頭字だけで、名前は書かれなかった。少なくとも、わたしの知っているかぎりでは、ランベルトなどはまるで問題にされなかった。とはいえ、事実の真相を知うているピョーリングは、すっかりおじけづいてしまった。そこへもってきて、まるでわざとのように、かの破局の二日前に、カチェリーナ夫人が自分に恋しているヴ″ルシーロフとさし向かいで密会したということを、偶然耳に入れたのである。彼は堪忍袋の緒を切らして、かなり無遠慮な調子でカチェリーナ夫人に、こういうことがあった以上、ああした奇怪な事件が彼女の身に起こるのは、あえて不思議ではないといい放った。すると、カチェリーナ夫人は即座に彼の求婚を拒絶した。べつに腹を立てたふうもなかったが、しかし躊躇の色も見えなかった。この男と結婚するのが何か分別ある行為だという彼女の妙な先入見は、煙のように消えつくした。ひょっとしたら、彼女はも
うその前から相手の人物を見ぬいてしまったのかもしれないが、またことによったら、ああいう精神的震憾を受けた後、突如として彼女の見方や感じ方が一変したのかもしれない。が、この点についてもわたしは沈黙をまもろう。ただ一つつけ加えておくが、ランベルトはモスクワへ姿を隠したけれど、向こうでとうとう何かに引っかかったといううわさを聞いた。トリシャートフは、あれ以来ふっつり影をくらましてしまった。わたしはその行方を突きとめようと骨折っているが、いまだにいっこう手がかりがない。親友のうどの大木が死んだ後、彼の姿は見えなくなった。ところで、うどの大木はピストル自殺を遂げたのだ。 2 わたしは二コライ老公の死について一言しておいたが、この善良な愛すべき老人は、事件突発後まもなく死んでしまった・とはいうものの、それでもまる一か月はたっていたろう、i夜中に床の中で、神経性の発作のためにやられたのだ。彼がわたしの下宿に過したあの日以来、一度も彼に会わなかった・人の話によると、彼はこのひと月の間に、前とは比較にならぬほど分別ができ、むしろ峻厳といっていいくらいになった。もうびくびくしたり泣いたりせず、アンナのことなどはその後一度も囗にしなかったとのことである。彼の愛情はことごとく娘に向けられた。彼の死ぬ一週間ばかり前に、あるときカチェリーナ夫人が、気晴らしにわたしでも呼んだらと勧めたところ、彼は眉さえしかめたとのことであ
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る。この事実をいっさい説明ぬきで伝えておく。彼の領地は、いささかの混乱状態をも示していないばかりか、かなり莫大な現金さえ残されていることがわかった。この現金の三分の一までは、老公の遺言によって、数えきれないほどある名づけ子の娘たちに分配することになった。けれど、だれもが奇怪千万に感じたのは、この遺言状がアンナのことにI言もふれていない点である。彼女の名前はきれいに抜かれていた。しかし、疑う余地のない正確な事実として、わたしは次のような話を聞きこんでいる。老人は死ぬつい二三日前に、娘と親友のペリーシチェフとV公爵を呼んで、近いうちに自分が死んだら、必ず遺産の中から六万ルーブリだけアンナに分けてやるように、カチェリーナ夫人にいいわたした。彼は正確かつ簡単明瞭に、自分の意思を表明して、詠嘆めいたことや、いいわけじみたことはひとことも口にしなかった。 老公の死後、事態が何から何まではっきりしたとき、カチェリーナ夫人は代理人を通じて、いつでも好きなときにこの六万ルーブリを受け取ってよいという通知を、アンナに発した。けれど、アンナは余計なことをすこしもいわないで、そっけなくこの申し出をしりぞけた。それはほんとうに老公の意志だったのであると、さまざまに言葉をつくして勧められたにもかかわらず、彼女はその金を受け取ることを承知しなかった。金は今でも彼女を待ち受けながら、空しく積まれている。カチェリーナ夫人は、そのうちに決心が変わるだろうと、今でもやはり希望を失わないでいるが、そういうことは決してないはずだ。わたしはいまアンナの最も親しい友達の
一人なので、そのことをたしかに知りぬいている。彼女の拒絶はかなりの反響を世間に呼び起こして、みんなでそのうわさをはじめた。彼女の伯母ファナリオートヴアは、はじめ老公一件の醜聞ですっかり憤慨していたが、急に持説を変えてしまった。そして、彼女が金の受領を拒絶してからのちは、ものものしい態度で彼女に対する尊敬を声明した。そのかわり兄はこれが原囚となって、完全に彼女と喧嘩をしてしまった。わたしは頻繁にアンナのもとへ出入りしてはいるものの、あまり隔てのない間柄になっているとはいえない。お互いに、古いことは徹頭徼尾囗にのぽさないようにしている。彼女は喜んでわたしを迎えてくれるけれど、妙に抽象的な話しぶりしかしない。何かの話のときに、かならず修道院へはいるときっぱり言明した。これはつい最近のことだが、わたしはそれを信じない。それはただの悲痛な言葉にすぎない、と思っている。 しかし、悲痛な、ほんとうに悲痛な言葉は、とくに妹リーザについていわなければならない。これこそほんとうの不幸で、彼女の悲痛な運命にくらべると、わたしの失敗などはものの数でもない1・ セルゲイ公爵はついに全快しないで、公判のはじまりを待たずに病院で死んでしまった、-これがまずそもそものはじまりだった。彼は二コライ老公よりもさきに世を去ったのだ・リーザは子供を腹にかかえたまま、ただI人とり残された。彼女は泣かなかった。見受けたところ、かえって落ちついているくらいで、つつましやかな忍従の女になった。以前の熱しやすい性質は、一度にどこかへ葬
り去られたような具合である。彼女はつつましやかに母を助け、病気のヴェルシーロフを看護したが、恐ろしく無口になってしまい、だれにもまた何にも目をくれようとしない。まるで自分はただの通りすがりの人間で、いっさいどうだってかまわない、といったような態度である。ヴェルシーロフが快方に向かったとき、彼女はやたらに眠りはじめた。わたしは本を持って行ってやったが、そんなものなど読もうともしなかった。彼女は恐ろしくやせてきた。わたしはよく彼女を慰めようと思って出かけたが、妙にそれを口に出す勇気がない。面と向かうと、妙に近よりにくい思いであるし、おまけにそういう話をはじめるのに、ぜんぜん言葉の持ち合わせがないような気がした。こういう状態がつづいていくうち、あげくのはてに恐ろしい出来事が起こった。彼女は家の階段から落ちたのだ。あまり高いところからではなく、ほんの三段しかなかったのだけれど、とうとう流産した。そして、彼女の病いはほとんど冬じゅうつづいた。今ではもう床を離れたが、彼女の健康は容易ならぬ打撃を受けたのだ。彼女は依然として無口で、いつも考えこんでいるけれど、母とはぼつぼつ話をするようになった。この数日来、輝かしい春の太陽が高くかかっているので、わたしは去年の秋、妹と二人で互いに愛し合いながら、喜ばしい希望に満ちて往来を歩いた、あの晴れわたった朝のことをのべつ思い出している。ああ、あれ以来、なんということになってしまったのだろう? わたし自身はべつに愚痴をいわない。わたしとしては新しい生活が開けたのだ、-しかし妹は? 彼女の未来は謎である。
いまわたしは心の痛みなしに彼女を見ることもできない。 とはいえ、三週間ばかり前に、わたしはヴァージンに関する消息で、彼女の興味を呼びさますことができた。彼はいよいよ釈放されて、完全に自由の身となったのだ。うわさによると、理性のすぐれたこの男は、きわめて正確な弁明ときわめて興味ある申告をしたので、そのために彼の運命を左右しうる人々の意見を、すっかり柔らげることができたという話だ。それに、やかましかった彼の原稿なるものも、ただフランスものの翻訳にすぎなかった。雑誌に寄稿する有用な論文を書くつもりで、ただ自分自身のために蒐集していた、いわば、材料なのだ。彼はいま**県へ出かけて行った。彼の継父にあたるスチェベリコフは、いまだに引きつづき監獄生活をしている。彼の事件は、うわさによると、さきへ進めば進むほどますます拡大し、こみ入ってくるとのことだ。ヴァージンの消息を、奇妙な微笑を浮かべながら、聞きおわったりIザは、あの人は必ずそうなるべきはずだったのだと、意見めいたことさえ述べた。が、彼女は明らかに満足らしい様子だった、-それはむろん、亡くなったセルゲイ公爵の差出口が、ヴァージンのために害をしなかったという点である。デルガチョフ、その他の人々については、ここでとくに伝えるほどのこともない。 これでわたしは語りおわった。あるいは読者の中に、いったいわたしの『理想』はどこへ行ったのか、またわたしが謎のような声明をしている、今ようやく開けかかった新生活とは何をさすのか、-これらの点を知りたいと望む人がある
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かもしれない。けれどこの新生活、この新しく眼前に開けた新しい道程というのは、とりもなおさずわたしの『理想』なのだ。以前と同じ理想なのだが、もうすっかり形を変えてしまったので、一見ほとんど見分けがつかないほどだ。しかし、こういうことはこの『記録』へ入れるわけにいかない。それはまるで別の問題だから。古い生活は過去のものとなりおわったが、新しい生活はまだはじまりかかったばかりだ。 けれど、もう一つ必ずつけ加えておかねばならぬことがある。わたしにとって真実な愛すべき友であるタチヤーナ叔母が、ぜひ少しも早く大学へはいるように、ほとんど毎日しつこくつきまとうのである。「勉強がすんだら、その後はなんでも考え出すがいい。だけど、今は学問を片づけてしまわなくちゃ」正直なところ、わたしは彼女の提言を熟考してはいるものの、どちらにきめていいか皆目わからない。何かの話の間にわたしはタチヤーナ叔母に向かって、自分は母とりIザを養うために働かなければならないのだから、今は学問などする権利を持っていない、といった。が叔母はそれに対して、自分の金を提供すると答え、わたしの大学在籍中くらいは間に合う、といいはった。わたしはとどのつまりある人の忠言を求めることに決心した。自分の周囲をよく観察した後、用心ぶかい批評的な態度でその人を選び出したのだ。それはわたしのモスクワ時代の養育者であり、マリヤ・イヴ″Iノヴナの夫である、二コライ。セミョーヌイチだった。べつにそれほど他人の忠言を必要としたわけでもないが、ぜんぜん局外者の位置に立っていて、多少冷淡なエゴイストであるとは
いい条、疑いもなく聡明なこの人の意見が聞きたく、矢も楯もたまらなくなったからにすぎない。わたしは彼に自分の原稿をぜんぶ送って、秘密をまもるように頼んだ。なぜなら、わたしはこの原稿をまだだれにも(ことにタチヤーナ叔母にはなおさらのこと)見せなかったからだ。送った原稿は二週間たってから、わたしの手もとへ帰って来た・しかし、それにはかなり長い手紙がついていた……わたしはこの手紙の中から、ある部分を抜き書きしよう。それには、事件ぜんたいに対する概観的なところもあり、また注釈的な分子も含まれていると思うから。次に掲げるのが、その抜き書きである。 (J
『……親愛なるアルカージイ君、今回貴兄がこの「記録」を脱稿されたのは、余暇を利用するという点において、最も成功したものと思います。これは人生の競争場裡における波瀾と冒険に富んだ第一歩について、いわば、自分自身に意識的報告を与えたことになります。貴兄みずからいっておられるごとく、貴兄はこの叙述によって実際「自分自身を教育しなおされた」点が少なくないと、かたく信じる次第です。もちろん、改った批評などはいっさいさし控えましょう。もっとも、貴兄の記録は各ページごとに、さまざまな感懐を誘わずにおきません……たとえば、貴兄が例の「書類」をあれほど長く、執拗に保存された事実なぞは、きわめて特質的な面白い点であると思います……しかし、これは無数の感想の一端をあえて披瀝したものにすぎません。また貴兄の「理想の秘
密」(これは貴兄の表現による)をふ生一人にのみ伝えてくださったらしい。その点をも深く多とするものであります。しかし、この「理想」に関して、小生の意見を聞かせよという貴兄のご依頼は断然おことわりしなければなりません。第てこれは手紙などに書きつくせないことですし、第二に小生自身これに答えるだけの準備ができていない。まだもっとよく消化しなければなりません。 『ただ、これだけのことはいえると思います。現代の青年が大部分、自分自身の頭脳から生み出されたものでない出来合いの思想に飛びついて、しかもその思想的ストックがきわめて軽少であり、しばしば危険なものであるのに比較すると、貴兄の「理想」は独創的な特色があります。たとえば、貴兄の「理想」は、少なくとも一時デルガチョフー派の思想から貴兄を守護したのであります。しかも、彼らの思想が貴兄のそれに比して独創性に乏しいことは疑うまでもありません。また最後に小生は、かの尊敬すべきタチヤーナーパーヴロヴナの意見に、心から同意するものであります。ふ生はこの夫人を個人的に知ってはおりましたが、きょうまで妥当な評価をなしえなかったのであります。彼女の所説のごとく、大学は貴兄にこのうえもなく望ましい影響を与えるに相違ありません。学問と生活は疑いもなく三四年間に、貴兄の思想と努力の領域をさらに拡張するでしょう。もし大学卒業後、ふたたびおのれの「理想」に帰ろうと望まれるならば、それを妨げるものは何一つないはずです。 「さてこれから、貴兄の腹蔵なき記録を通読の際、小生の心
に浮かんだ若干の感想と印象を、べつにご依頼はなかったものの、遠慮なく述べさせていただきたいと思います。実際、小生はヴェルシーロフ氏の説に同意します。つまり貴兄のごとき孤独な青春時代を送られる人に関しては、十分に危惧の念をいだいてしかるべきであります。貴兄のごとき青年は、決して少なくありません。彼らの才能は、事実つねによからぬ方向へ発達せんとする傾向を有します、-あるいはモルチヤJフングリポエードフの喜劇『知恵の悲しみ』中の人式 卑 こ I ヽ(物、阿諛追従を旨とする軽薄な小才子型の官i) の 屈‘堕するか、それとも無秧序に対する秘密な翹望にこりかたまるか、どちらかです。しかし、この無秩序に対する翹望は、-ほとんどつねに、i秩序と「端麗」(貴兄自身の言葉を借用します)に対する、秘められた渇望から生じるものらしい。青春は、それが青春であるという理由だけでも、清浄なものであります。あるいは、あまりにも早く現われるこうした狂憤の発作が、この秩序に対する渇望と、真理探究の精神を含んでいるのかもしれません。現代青年のある者がこの真理と秩序を、ああいう愚かしい滑稽な事物の中に発見し、かつ何ゆえかかるものを信ずる気になったのかと、人をして唖然たらしめているのも、はたしてだれの罪かわからぬと思います。ついでにいい添えておきますが、以前、まだあまり遠からぬ過去、つい一時代前の過去においては、これらの興味ある青年たちは、さして憐れむ必要がなかった。なぜなれば、その時代の青年たちはほとんど例外なしに、結局最後にわが国の最高文化階級に加わって、これと一心同体に融合することに成功したからであります。彼らはたとえば、
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その道程の初めにあたって、自分の無秩序性や、偶然性や、家庭環境における高潔な精神の欠乏や、美しい完成した形式や伝統の欠落を自覚したかもしれませんが、そのほうが結局しあわせだったのです。なぜなれば、彼らは後にみずから意識してこれを求めたがために、これを尊重する習慣を学んだからです。しかし、今ではだいぶ様子が違います、-つまり、合体融合すべきものが皆無だからであります。 『一つ比喩をもって、というよりも、むしろ近似法をもって説明しましょう。もし小生がロシヤの小説家であり、しかも才能を持ち合わせているとしたら、必ずロシヤの由緒ある貴族階級から主人公をさがしてきたに相違ありません。なぜなれば、ロシヤの文化人のこの典型にのみ、美しい秩序、美しい印象の成立が可能だからであります。これは読者に美的作用を及ぼすため、文学作品にとって必要かくべからざる要素であります。小生は貴兄自身もご承知のとおり、決して貴族ではありませんが、小生がかくいうのは、断じて冗談ではありません。すでにプーシキンも、自分の未来の小説の主題として、「ロシヤの家庭伝説」に着目していました。実際、今日までわが国における美しきものは、すべてそこに含まれているのです。少なくとも、わが国において、多少なりとも完成みをおびたものは、すべてそこに蔵されているのです。小生がかく申すのは、この種の美の正しさと真実性を無条件に承認しているからではありません。しかしそこには、たとえば、名誉と義務の完成された形式がすでに存在しております。それは貴族階級以外、ロシヤのどこにも完成されたもの
がないばかりか、まだぜんぜん手もつけられていないのです。小生は、平静な人間として、また平静を求める人間として、かく中すのであります。 『貴族階級におけるこの名誉観念は、はたして立派なものであるか、また義務観念は正しいものであるか?-これはもはや問題です。しかし、小生にとっては形式の完成と、多少なりともできあがった秩序の方が、より重要なのです。もっとも秩序といっても、命令によって与えられたものではなく、われわれ自身が努力して、体験からやっと生み出したものをさすのです。ああ、実際ロシヤの国ではたとえどんなものであろうとも、自分自身の秩序が何より重要なのです1・この中にこそ希望と、いわば、休息が含まれているのです。何か作りあげられたものでかまわない。ただ不断のぶちこわしと、到るところに飛び散る木っぱと、塵と、埃だけはごめん蒙りたいものです。こんなものからは、もう二百年ちかくの間、何一つ生まれてこないではありませんか。 『どうかスラヴ主義だなどと攻撃しないでください。これはただなんというわけもなく、ただ嫌人主義から出た言葉なのです。胸の中が重苦しいからです! 最近わが国では、上述のこととぜんぜん正反対の現象が認められます。もう、今・では、埃が上流の文化層に付着するのではなく、反対に美しい典型から無数の破片が景気よく飛び散って、無秩序と羨望をこととする連中とひと塊りになっていく。かつては文化的であった家庭の父や家長までが、子供らがまだ信仰を持ちうる事柄を、自分から冷笑しているような場合も、一再にとどま
りません。それのみか、どこからかとつぜん大量的に獲得した破廉恥の権利に夢中になって、その喜びを子供らに隠そうとすらしない。親愛なるアルカージイ君、小生がいってるのはほんとうの進歩主義者のことでなく、最近無数に現われた有象無象のことなのです。つまり、Grattez le russc ct vousverrez Ic tartare.(ロシヤ人を一皮剥げば韃靼人が出る)といわれている手合いなのです。実際のところ真の自由主義者、宵六の高潔なる人類の友は、われわれが軽率に考えているほど多くはありません。 『しかしこれはあまり哲学くさくなってしまいました。前の仮想されたる小説家に帰りましょう。かようなわけですから、わが小説家の立場はきわめて明瞭であります。彼らは歴史体以外の形式では書くことができません。なぜなれば、現在には美しき典型がないからです。よし多少その名残りをとどめているにもせよ、目下一代を支配している輿論によると、それはなんらの美をも保っておりません。ああ、しかし歴史体の形式でも、まだまだ非常に愉快な喜ばしいデテールを無数に書き示すことができます! そして、現在においても歴史的画面を可能なものと思わせるほど、読者を魅了することさえできます。偉大な才能にものされたかような作品は、もはやロシヤ文学といおうより、むしろロシヤ歴史に所属すべきもの、と申さねばなりません。それは芸術的に完成されたロシヤの屡気楼の画面なのですが、しかし人々がそれを晟気楼と悟らないでいた間は、事実存在したものといえるでしょう。中流の上層という文化的階級に属するロシヤの家
庭を、ロシヤ歴史と関連を保ちながら三代にわたって描写したこの活画図、その中に描かれた主人公の孫たちは、現代的の典型として描写されるには、多少嫌人主義的な、孤独で憂鬱な形において、示されるよりほか仕方がないでしょう。いな、むしろ妙な変わり者として描かれなければならないでしょう。読者はそれを一目見るより、これは戦場を退いた人間だなと認め、戦場を保有したのはこの人間ではないと、確信することができるくらいです。それからさらに進んで、この嫌人主義者の孫も影をひそめたら、さらにまた未知の新しい人物、―新しい屡気楼が現われるでし冫つ。しかし、それはいったいどんな人物でしょうか? もし彼らが醜い人間であったら、もうこれ以上ロシヤ小説は成立が不可能になります。けれど、ああ! そのとき不可能になるのはたんに小説ばかりでしょうか? 『あまり遠くに例をもとめるよりも、貴兄の原稿に転じましょう。たとえば、ヴェルシーロフ氏の二つの家庭を一瞥してごらんなさい(今回は小生に、思いきり露骨な表現をゆるしていただきたい)。第一は、ヴェルシーロフ氏自身のことはあまり多言を用いますまい。しかし、彼はなんといっても家長の一人です。由緒深い古い家柄の貴族であると同時に、バリーコンミューンの一員です。彼は真の詩人で、ロシヤを愛しておりますが、そのかわりロシヤを完全に否定してもいます。彼はいっさい無宗教ですが、しかしある漠としたもののために命を捨てることさえいといません。彼はロシヤ歴史のペテルブルグ時代においてヨーロッパ文化を受けた多数の口
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ジヤ人の例にもれず、その漠としたものを明白に名ざすことはできないけれど、それを熱烈に信仰しているのです。彼自・身のことはこれくらいにしておきますが、しかし彼の正系の家族について匸冐しなければなりません。彼の息子のことは何も申しますまい、また彼はそういう名誉に価しない人間です。一隻眼を備えているものは、ああしたならず者がいかなる結果に到着するか、また他人をもその道連れにするか、すでにあらかじめ見抜いています。けれど娘のアンナ・アンドレエヴナは、なかなかしっかりした気性の娘です。まさに最迸世間を騒がした修道院長の尼僧・Iト・フフーヤ(鯔翦・皿簾問鄙覦‰艀黝膤)に匹敵すべき大きさを持った人物です、-しかしこういったからとて、決して刑法上の犯罪めいたことを暗示するのではありません。そういうことは小生として公正を欠くことになりましょう。アルカージイ君、ここで貴兄の口から、この家庭が偶然の現象であるといってください。そうすれば小生は大いに勇気づけられるでしょう。しかしそれとは反対に、こういう由緒あるロシヤの家庭の多数が、いなみがたい力に引かれて滔々と偶然の家庭に変化し、世上一般の無秩序と混沌に合流しつつある、-こういう結論のほうが、より正鵠をえたものではないでしょうか。この偶然の家庭のタイプが、貴兄の原稿にも幾分か指摘されています。そうです、アルカージイ君、貴兄は偶然の家庭の一員です。つい最近まで存在していた由緒あるロシヤの家庭、貴兄などとぜんぜんことなった幼年時代・少年時代を有する家庭と、相対立するものです。
『正直に告白しますと、小生は偶然の家庭から出た人物を主人公とするふ説の作者になろうとは思いません!。 『それは労して功なき仕事で、美しい形式に欠けています。のみならず、これらの典型はいずれにしても、まだ流動せる現在の現象であり、したがって芸術的完成みを有しえないのです。重大な誤謬もありうることですし、誇張も見落としも十分にありうるのです。とまれかくまれ、多くの事柄を洞察しなければなりません。とはいうものの、ただ歴史体の小説のみを書くことを欲しないで、流動せる現在に対する悩みにとらわれた作家は、いったいどうしたらよいか? それはただ推察することです……そして誤ることです。 『しかし、貴兄の書かれたような「記録」は、将来の芸術的作品のために、混乱せる過去の時代を写した将来の活画図のために、材料として役立ちうると思います。ああ、きわもの的興味が過ぎ去って次の時代が到来したとき、そのとき未来の芸術家は、過ぎ去った混沌と無秩序を描くために、美しい形式を発見するでしょう。つまりそういうときにこそ、貴兄の書かれたような「記録」が必要となるのです。立派な材材を提供するのです、1たといそれがいかに混沌としていようと、いかに偶然的であろうと、ただ真率でありさえすればよろしい……少なくとも、多少の正確な輪郭は消え残って、当時の混沌時代における未成年の心にいかなる思想感情がひそみえたかを、推察するよすがとなるでしょう、-これは決して価値なきこととはいえません。時代はつねに未成年によって築き上げられるのですから……』 J
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