『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや14

[証言記録 兵士たちの戦争]
フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~ 放送日 2008年2月28日

1916年
京都府に生まれる
 
補充兵としてフィリピン・ルソン島の歩兵第20連隊へ
1943年
11月レイテ島に上陸
1945年
レイテ島の捕虜収容所で終戦 復員後は呉服店に勤務


[1]
チャプター1
レイテ島へ
再生中
03:44
そいでレイテ島(フィリピン中部・ビサヤ諸島)は、要するに私らは満州に行くためにね、一応要するにマニラにみんなその・・今の言うてるそのルソン島の兵隊は全部マニラにいっぺん召集されたんですよ。ほいてマニラへ行ってから急に変わって、ほいてレイテへ、要するに行けということで、ほいで、それからレイテへ私は上陸することになるわけですね。

ただ兵隊なんやから、それでそういう作戦とか、要するに行動とかというものの、そういう系統は何も知らん。私ら命令通りに、「あっち行け、こっち行け」って言われる通り動いているだけの兵隊やからね。

要するにまぁ満州に行くやつが、急にレイテへ回されたと。それが今、福知山20連隊がみんなそっちへ回ったわけよね。ほんで6555(通称:垣6555部隊)ですか、あの名前は。そういう連隊になりましてね。ほして初めてレイテへ入って。ほて、タクロバンへ皆上陸したわけですね。ほして、タクロバンの要するに学校を要するに根拠地にして、そして、それからパラヤ(パロか)とかドラグやとかいろいろな所へ派遣されて。        

そこへ私、連隊本部は、海からちょっと上がったところに、レイテ本部があったもんですからね。そこで要するに私はいたわけですけども。そんで私は72名、要するに召集されて、それで行動して。

ほんで、要するにレイテ、南レイテをあちこち回るとね、要するに村で馬買うたり、日本の馬でも交代してますやろ。あれと同じことで、向こうでもそういうことをやっとるわけ。ほんでその馬だけ買うんですよ。ほんで、貨物自動車持っていって、ほって要するに、25頭買ったらもう帰るとかね、そういうことをやってね。

Q:馬ってどうやって買うんですか、お金で買うんですか?

そうそうそう。お金で買う。

Q:そのお金は何の、どんなお金ですか?

え?

Q:そのお金ってどんなお金だったんですか?

それは軍票がありますよ。軍隊の軍票っちゅうのが。ほんでレイテは、レイテ島にみんないる兵隊の給料から何かは、全部、その軍票で払われるわけですよ。

Q:でもあの、軍票で馬って買えるんですか?そのすんなり。

買える。それは日本のもの買えるさかいね、向こうは喜んでますよ。その軍票が欲しいわけやしねぇ。

出来事の背景証言者プロフィール



[2]
チャプター2
抗日ゲリラ
04:37
竹を置いときよって道の真ん中へ。ほいで自動車がバッと通るとね、竹を踏むと、重いさかいバーンと割れるでしょ。そうするとどこからか要するにみんな寄って、それが一斉に銃をバーッと撃ってきよるわけですよ。ほんで、こっちにも死んだ人がありましたよね。2人ほど私は知ってますね。馬買いに行って、ほうしてそういう竹を置いとける、ボーンとこう、行くと竹が割れるしね。その音と同時に向こうは鉄砲を撃ちよるわけですよ。

青い竹を横に引きよるなと思うたら、ちょっと要するに止まって、何か詮索しますがね。それを要するに、枯らして赤に、もう茶褐色になるようになっとるやつを、道路に置きよるわけですよ。

Q:誰が置くんですか?

そらゲリラが置きよるんですよ。ほんで私らは馬買うて、帰りとか行きしなに、そういうものに出会うときがありましたっちゅうことですね。

Q:じゃあ、なんで竹を置いとくんですか?

そら、「バーン」と音がしたら、「あ、向こうを馬が通りよった、行けー」ちゅうもんで。その印みたいなもんですね。

Q:そのとき、日本軍は何人ぐらいで行動してたんですか?

いやぁ、それは運転手と要するに助手が1人と、ほって、兵隊が2、3人、要するにまぁ後ろに乗ってましたね。

Q:ゲリラは何人くらいで?

ゲリラはそら何人も、5人のときもあるし、十何人もいよるときもあるし、いろいろですね、それは。それは、はっきりと何人ちゅうて出てきよらへんのやからね。陰からみんな鉄砲を撃ちよるのやから。ほいで、まぁ要するに分からしませんね。

少ないときでも要するに、6、7人いよるの違いますか。ほんで私らでも、要するに行ってる間に、要するに兵隊が撃たれて死んだことありましてん。そうすると、次に要するにまぁ止まる所で、そこで要するにまた木ぃ積んで、そこへ(亡くなって)兵隊乗せて、ほいて火をつけて火葬するわけですよ。ほいで骨拾うて持って帰ってやるということですな。

Q:仲間を殺されて悔しくはなかったですか?

もちろん悔しいですよ。ああ。そこでまぁ要するに、それを「気をつけて行け」っちゅうて、初めから出しなから、そういう命令は出てました。そやけど、向こうはそういうことを構わずに、今言うとおり、そういう印のとこを埋まそいて、そして、鉄砲撃ってきてるわけですからね。何も要するに私らは、「あ、悲しいな」、要するに、1人やられたっちゅうことは、ちゅうことはありますけど、悔しいことなんですね。けれど、要するにわれわれもその、車部隊がやね、なんぼそのゲリラと戦うったって、向こうはなんぼでも要するに人数を増えるわけですから、そんなになっているよりも、早うそこの場を立ち去ったほうが、かえって犠牲が少ないということになりますわね。そこにジッといるというと、なんぼても撃ってきよるから。ほんで、そういうことがないように、せいぜい要するに離れよう離れようとしますね。

出来事の背景


[3]
チャプター3
抗日ゲリラへの敵意
03:37
それは日本人がね、ゲリラを、ゲリラを連れて行って、ほいでその、その埋める所を掘らして、ほしてこう穴を開けた。そこの、犯人を、犯人がみんな掘りよるんです。ほいでそれを済んだら、その掘ったいちばん端に目隠しして、「目隠し要らん」ちゅうヤツもいよったけどもね。それを今言うように銃剣突いて。

ほいでみんなはそら兵隊では、まぁ要するに班長がいますからね。班長が、「おい、お前やれ」と言われて指名しよるわけですけどね。それをうまいことわしは逃げて、ようやらんだんですけどね。けど、そらね、もうこっちは剣を突くのにね、これを心臓を突くのは、要するにまぁ一つの目安なんですけど、なかなかその同じのところによう突きませんね。あの銃剣って、要するに鉄砲の先に剣をつけて、ほて、「前、前」「後、後。あとあと」って言うて、「突っ込め」って、ドーンとこれ行きよるんだけどね。それがもういろんな所へ刺さりますね。ほんでなかなか、要するに人を殺すというのも大変やと思いましたな。

Q:ゲリラの処刑を命令されたとき、どんな気持になりましたか?

そらもうなんとも言われへん気持やからね。ほんで私、嫌やから逃げた。もうせいぜい当たらんように、まぁ要領よう逃げたわけですけどね。当たった人はもうそら大変な気持があったでしょうな。そうやろね。人を殺すのやからね、実際。ほんで今いう私、ドーンと突いて、ほいて、方々突いてもやね、その目隠ししたやっちゃから目開いてないけど、やっぱりその穴へ落ちますわね。ほんで、上からドーンと刺して殺して、そして土を。生き埋めだけはしまへんな。死んだっちゅうことが分かって、ほしてまぁ埋めてしまうと。そういうことがありましたね。そういうのは私は後ろのほうで、まぁせいぜい見てただけですけどもね。そういうことがありましたや。

私はまぁ少し、要するに現役と違うて、まぁ二十代の後半やから、要するにちょっとまぁモノの見方は違いますわね。ほんで現役の人はもう前へ進むことばっかりで、「ゲリラ、みんな殺しちまえ」という思いもありますやろけど。私等は要するにその、やっぱり人間は人間やからね。でも、今は殺されていくのは大変やなぁ、かわいそうになぁというふうな気持はありましたね。そやけど、私らどうにもならんのやから。上、もっと上官からの命令でそれはあるわけですからね。まぁそんなんで。

出来事の背景


[4]
チャプター4
米軍の上陸
07:17
私、将校伝令でやね、海岸べりにいてたわけです。そしてちょっと丘みたいあるさかい、そこに上がったらね、ほすと、煙がポーッと出よるさかいね、ほすと将校がまぁ、眼鏡最持っとるのでずっと見てやる。ほいて要するに「連合艦隊が入ってきた」ちゅうて、初めはそう言うとったんや。ほいでだんだん向こうかずーっとこう、こっちへ来よるためにはっきり分かってきますね。「こら違う、アメリカや」と。ちゅうことで、そう言うてる間に曳(えい)光灯(曳光弾か)、要するに砲台から曳光灯を、ボーンボーン撃ちよるんですよ。そうするとみんなは、火の玉みたいなやつがガーッと飛んできて。ほいでまぁ要するに、水際ぎわへ、どこへ落ちるか、向こうが撃ったやつを見てるわけですがね。そうすると、私らはそこで、要するにヤシの組んだ・・日本は16門、要するにみな陣取りして、ほいで、敵の要するにアメリカさんの船を撃つべき準備して、ちいともいっともないけれども、向こうの砲台のほうがよう飛びよるしゃ。日本はなんぼ撃ったってそこへ届かへんのや。ほんでもう、ほとんど日本の野砲はほとんど間に合わなんだですね。ほんで皆逃げたらね、ゴボウ剣(銃剣)だけ。ゴボウの剣だけね。それだけしか持ってへんな。

Q:最初のアメリカ軍の攻撃のときに、まず井上さんって水際にいらっしゃったんですよね。

あ、そう。ほんで、将校伝令というね、なんの将校の命令やから付いて歩いているだけのことですけど。何があって水際側へ行ったか、それはわしは定かでないですわ。私は、兵隊は。

Q:そのときね、やっぱり日本軍の仲間たちが・・・。

みんな散り散りばらばらなんですよ。

Q:たくさんやっぱり亡くなってたんですか?

あ、まぁ、どうなってるか。死んだやつもあんのやろな、あれ。そうやね、みんな生きてるっちゅうことおまへんな。ほいで私らでも、要するに、ヤシの木をこう組んだとこに、野砲の弾が並べておいてあった、そこへボンと入ったんですよ。ほて、要するに、あれなんて、飯ごうにはメシがいっぱい入ってた。それを、さあ2日いたか3日いたか知らんけど、もうそれはもうムチャクチャに撃っちょるやからね、もう出るも出られへんし。まぁそんなんで、いちばん端にこういたんですけどね、そこへあんた、直接に向こうの艦砲射撃がやね、そのこういう所へドーンと落ちてくるからやね、もう私らは何もあらへんわ。弾と一緒に爆発してるわけやね。それはなかったわけで。ほんでもう静かになったなと思うて、クーッとこう首上げて外見たら、要するに、今言うような海防艦やら水陸両用車がウワーと来よるわけや。「へえーっ」と思って、もうびっくりした顔して見ていたですな。そういうことありました。

それで水際ぎわはね、逆にあれ、独歩っちゅうんかね、要するに兵隊の独立守備隊ちゅうかね、そういう要するに兵隊がみんな塹壕(ざんごう)掘って、穴がこうずーっと横にこう行けるようにしてあったんですけどね。そこに逃げたってあかんだな、もう水際ぎわは。もうしらみ潰しによう弾撃ちよったんだね、アメリカが。ほんで、アメリカなんちゅうところは、要するにそういうものには惜しまんね。弾とか要するにそういったものは。ほいてもうメチャクチャに、「数撃ちゃ当たる」の口やね、実際。そういうことをしたさかいにね、まぁそういうのに攻められるほうは大変ですよ。ほんで、こら静かになったから止まってきて、どこへ逃げようと思ったけどやね、逃げる所がないんですよ。ほうと結局、私ら、ダガミ(レイテ島中部)っちゅう山が、まぁあるわけですよ。ほいて川が流れていてね、それをほんで、うちにいろいろな草っぱらがビャーッとある所へ、晩、朝になりかけたらそこへ入って。ほいて1日要するにそこで見つからんように伏せていたわけですね。それで何日か、2日か3日かかったかしらんけど、ほいて夜、夜中になったらアメリカはもう動いておるんです。それに付いてこう歩いたんですよ。ほんでそのときには、アメリカ側に何も知られずに夜分に行って。ほいでダガミの手前でアメリカ側は駐屯しよったし、私らはダガミに入ったほうがええということで、山の中に入ったんですよ。ほうしたら、要するにようけ撃ってきとるねん。ほいで、車のおわん、カネですね、あこへこうへばりついていましたな。それは何ぼう、機関銃で何ぼう撃ってるか分からないからね。音はカンカラカンカラもうなんぼでも音がしてましたけど、まぁ図らずも私は当たらずに。それは大変でしたな。あのときはもうそら、ダガミの山に、要するにタクロバンから来た将校やらがね、張り切って、要するに、「これからタクロバンの攻撃に行く。勇士集まれー!」とか言いよってね、やっとる最中に、要するに向こうの攻撃がバンバーンと撃ったら、もうどこ行ったやら、もうクモの巣みたいなチャーッと散ってもうて、いよらへんや。実際。ということは、タクロバン行ったってやね、そんなもん斬り込みしたってやね、そんなもんお話しにならんですよ、実際。とりあえず日本とアメリカの物量っちゅうのは違いますね。

出来事の背景証言者プロフィール


[5]
チャプター5
食糧奪取の斬り込み
04:06
食うもんがないさかい。食うもんなんとか、ああこれ行ったらあるはずやけ、聞いて、こう匍匐前進で、要するに2日ばかりかかって行った。ほうして、(米軍の)幕舎入った途端にやね、蛍光灯(照明弾)がもう300ぐらい上がった。もう昼と同じこっちゃもう。それでよう見えるさかいね、缶詰のこんな大きいのやら、こんなやつやら、ようけありますよ。何でもいいさかい要するに持って、重たいさかい言うて小さいの持って帰ったヤツのはええもん入ってましたな。そやけども、持って帰るのに大変やった。もう逃げるのに。それからこう逃げるのに。ほんでそれを2日ほどかかって行って、こっちへ帰ろうと思ったらね、道が出来てるんですよ。それはアメリカがみんな造っとるのや。ほて、道越えて、ほて山へ入ったんですけどね、そういうことがありましたね。ほんで、なにしっぽ、アメリカなんちゅうとこは、要するに材料もようけい持ってきてるし、ほいでそら、どこどこへ駐屯したっちったらね、発電機があるさかい、もう発電機でやね、電気がみんな灯りますがな。それだけ日本に何もあらへん。ほいで、その蛍光灯なんかでもボーンと上げよったら、2つ3つやないねん。もう300ぐらい上がるさかいね、もう、もう虫の毛が歩いてても分かるぐらい明るいですよ。

Q:でも、飛行場に忍び込んで、普通だったらアメリカ軍撃ってきますよね。

うん。ほいでいっぺん逃げよる、そういうときは。皆やっぱり、どこへ行ってまうやろ。ほいで取るもの取らしといて、その代わりあとで要するに機関銃、重機関銃でバーーッと敵がやって。それはまぁ犠牲があったやろうと思いますね。もう私らは、中に入って行動してるさかいね、どないなってんのや、まぁ知りませんけれども。まぁわれわれ兵隊としては、帰りしなに道が出来ててびっくりしましたがね。ほいであなた、要するに赤十字のマークのついた自動車が、もう行き来、行き来しよるのやからね。すごい。そらまぁ、要するになにかにつけて、要するにまぁ、そういう差があるっちゅうことは事実でしたね。

Q:あっという間に米軍が道路を造ってるのを見たとき、どう思いました?

ああ、びっくりしました。どう思うどころじゃない。アメリカちゅうのは大したもんやなと思うだけであってやね。それはもう道路が出来るっちゅうのはね、いつの間にこんだけの土積んで、それ、盛うとろう、盛らわんだら道路にならへんのやもん。それがもう道路が出来てんやからね。そら要するにまぁ、車なんかでも、何百台ちゅうのを持って行ってるのとちゃうかな。ほんで、これっちゅうたら、もう一瞬にそれやりよるみたいね。なんでも早かったですね。

出来事の背景証言者プロフィール



[6]
チャプター6
極限の状況下で
05:17
食うもんがないさかい。食うもんなんとか、ああこれ行ったらあるはずやけ、聞いて、こう匍匐前進で、要するに2日ばかりかかって行った。ほうして、(米軍の)幕舎入った途端にやね、蛍光灯(照明弾)がもう300ぐらい上がった。もう昼と同じこっちゃもう。それでよう見えるさかいね、缶詰のこんな大きいのやら、こんなやつやら、ようけありますよ。何でもいいさかい要するに持って、重たいさかい言うて小さいの持って帰ったヤツのはええもん入ってましたな。そやけども、持って帰るのに大変やった。もう逃げるのに。それからこう逃げるのに。ほんでそれを2日ほどかかって行って、こっちへ帰ろうと思ったらね、道が出来てるんですよ。それはアメリカがみんな造っとるのや。ほて、道越えて、ほて山へ入ったんですけどね、そういうことがありましたね。ほんで、なにしっぽ、アメリカなんちゅうとこは、要するに材料もようけい持ってきてるし、ほいでそら、どこどこへ駐屯したっちったらね、発電機があるさかい、もう発電機でやね、電気がみんな灯りますがな。それだけ日本に何もあらへん。ほいで、その蛍光灯なんかでもボーンと上げよったら、2つ3つやないねん。もう300ぐらい上がるさかいね、もう、もう虫の毛が歩いてても分かるぐらい明るいですよ。

Q:でも、飛行場に忍び込んで、普通だったらアメリカ軍撃ってきますよね。

うん。ほいでいっぺん逃げよる、そういうときは。皆やっぱり、どこへ行ってまうやろ。ほいで取るもの取らしといて、その代わりあとで要するに機関銃、重機関銃でバーーッと敵がやって。それはまぁ犠牲があったやろうと思いますね。もう私らは、中に入って行動してるさかいね、どないなってんのや、まぁ知りませんけれども。まぁわれわれ兵隊としては、帰りしなに道が出来ててびっくりしましたがね。ほいであなた、要するに赤十字のマークのついた自動車が、もう行き来、行き来しよるのやからね。すごい。そらまぁ、要するになにかにつけて、要するにまぁ、そういう差があるっちゅうことは事実でしたね。

Q:あっという間に米軍が道路を造ってるのを見たとき、どう思いました?

ああ、びっくりしました。どう思うどころじゃない。アメリカちゅうのは大したもんやなと思うだけであってやね。それはもう道路が出来るっちゅうのはね、いつの間にこんだけの土積んで、それ、盛うとろう、盛らわんだら道路にならへんのやもん。それがもう道路が出来てんやからね。そら要するにまぁ、車なんかでも、何百台ちゅうのを持って行ってるのとちゃうかな。ほんで、これっちゅうたら、もう一瞬にそれやりよるみたいね。なんでも早かったですね。

出来事の背景証言者プロフィール



[7]
チャプター7
ゲリラの襲撃
04:08
Q:フィリピンの兵隊は何をしてきたんですか?

何もしてないんだけど、銃を撃ってくるだけですよ。ねえ、要するに怖い思って、怖いさき、頭あげて上がってくるという者は、それまでに相当弾を撃ちよるんですよ。自分も怖いんだよね。攻撃されて要するに撃たれたら自分も死なんならないからね。そういうこともあると思いますね。それで私は要するにもう寝たきりやし、そして今、現役は要するにポンポンと撃ってきよったときに、立ったときに、もう私がこうして寝ているここで撃たれたからね、すぐ分かりましたけ。要するに心臓を2、3発は撃ってました。もう即死やったね。それで私もびっくりして、どうしようかなというような考えがあったんやけど、そのとっさの要するに攻撃でね、それで自分自身が自分で動くことやないんだろうね。要するに勝手に自分の行動が体に表れて、要するに今のそこから3尺ぐらいありますわ、その上までがね。それを下りて5、6間か7間ほど動いているっていうことはやね、要するにもう気力で動いているわけですね。

Q:それまでね、一緒にいたね、ずっと一緒に行動していた兵隊さんが目の前で亡くなったときは、どんな気持ちでしたか?

それはもう何とも言われない気持ちですね、実際、それは。「ああ、えらい(大変な)ことしたなあ」という感じがすごくありましたね。あのときにね、思い出すと、そういうような考え方でいましたね。それはもう行動して、私の手足になるほど、要するに毎朝、その辺まで水くみに行ってくれたり、そういうことがあるさかいに、それはもう親身な、要するにいわゆる感情はありますね。

そういう襲撃があって。そやけど、今、言うてる要するに死にかけている兵隊、体がやね、そういう鉄砲や何かかやで、わが殺したるっていうようなことになると、いかにして動くかというね、どういう気持ちなんのか知らんけれども、やっぱり寝たきりやったのに動いてますもん。実際、小屋から外へ飛び下れんのか、どうして下りたや知らんけども、やっぱり下りて3間とか4間ほど逃げてますが。それは自分の本望(本能)であるんやろう。要するに「殺されたら困る」というね、自分のやっぱり思いがあるのかも分からんね。そやけど、そのもう1人の現役は、そのバッと立った途端にね、ここの胸を2発か3発当たりましたね。それでもうバタッと倒れて、もうそれっきりしまいやったです。私は動かれん人間が這うて要するに外まで出たっていうか、そういう違いがあるんですよ。それで元気なさかいに生き残ると、要するに弱いさかいに生き残れんって、そうじゃないのやね。

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[8]
チャプター8
捕虜そして復員
06:39
Q:アメリカ軍に捕まったとき、どんな気持ちだったんですか?

どんな気持ちって、それは「殺せ」言うてました。私を。「殺してくれ」と。もう不名誉だという感じ方があったんですね。それも今言うてる軍隊の要するに規則にあるようにね、要するに捕虜というものはね、もうそれは大変に卑劣なことやけど。ほんで「私を殺してくれ」とやたらに言うたように思いますね。「とりあえず私を殺してくれ」というように。私が捕虜で待たされている間にね。

そして、要するに収容所に入ったですね。そしたら早速2世、日本人の2世がね、アメリカにもようけいるし、それで軍曹か曹長か、その位もろて(もらって)いるんやろうね。それが要するに私らを調べて。それで今、言うような、どこからどういう具合に行動した、何したという話をしましたね。それで、私は「井上」ですけれども、「ヨシダヤスオ」という、とっさに考えたんだけどね、名義を変えたんです。それで今だにね、どっかに入っていますけれどもね。

収容所に入るとね、全部日本人ばっかりだから、捕虜に入っているんやからね。要するにいちばん最終までレイテの仲間は、パリチ(レイテ島西岸)っていうところからパロ(レイテ島東海岸)や、そこの収容所は最後まで各島の捕虜兵、要するに投降してきた兵隊、そういうものを全部収容しよった。ものすごい大きい収容所になりました。1中隊、2中隊、3中隊、4中隊、それが10中隊ぐらいおらんのやもん。それで、みんなが日本人やからね。それで「よう、あんた、何も言わんに自分で勝手にな行動せんと。それでよう捕まってきはったな」っていう、「これはあんた、幸せでっせ」って言うて、言いおったやつあるね、他の兵隊から。よその島にいたやつがね。

Q:それは捕虜になるほうが幸せだっていう・・・。

みんなが捕虜ですよ。生きている人はね。要するに投降したやつっていうんでも捕虜やもん、ねえ。日本(自分)から投降しよっても捕虜ですしね。私らみたいに捕まっているのも捕虜やし。そういう人がそんなことを話したことありますね。

それが要するに(復員して)汽車に乗ったとき、ここへね、着てたもんに、PWと書いたものをこう持って帰りしなにみんな付けておるんです。それをね、お釜の釜の墨をチャーと塗っておいたらね、ポンポン払ったらみなとれますやん。それでそれを付けて要するに汽車に乗ったらね、そしたら鹿児島の上がった捕虜が、その中で要するにシビリアン、一般の人から「あのPW(捕虜prisoner of war)というのは、戦争犯罪人や」と、ということを言うたやね。それはその付いてたやつが聞いて、そして、きつい怒ってね。そして何か要するにまぁ、事件になったようなことがある。それで要するに私ら博多上がってからね、向こうでもう何もかも、イッタイッタでね、「Pそれ何かい」って。服装全部整えて衣紋入れて持って帰ってきたんや。ところが全部それ取り上げしよって。そして、日本の服もね、ボタン、竹ボタンの服と替えしよって、それで靴履いたやつは地下足袋に着替えて、そういうようにして、要するに日本帰って来たらね、またそれ以上に要するにそういう待遇を受けたわけですよ。そういうことがありました。

PWというものは、要するに戦争犯罪人や、で、捕虜やということが分かるけどもね、せやけどそのときの時代ですわな。戦争起こしたのは誰がやったんやと。ね、天皇陛下がやったんと違うかということになるわけですからね。そういう思いが違うんちがいますか。帰ってきた人間と。第一線にいた人間と、そして内地でずっといた人との考え方は、やっぱり違うんだ思いますね。

Q:その思いが違うというのは、どう違うんですか?

どう違うということは、要するにこっちに内地にいる人はやね、帰ってくるやつは、要するに「みな戦争犯罪人で、ほれでみなこれPWって印を付けておるんや」というような感じ方だけをこうもっていると違いますか、一般人が。

出来事の背景