『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや18

[証言記録 兵士たちの戦争]
フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~ 放送日 2008年2月28日


2007年12月


1922年
滋賀県彦根市に生まれる
1943年
1月、中部第37部隊(伏見)に入営し、歩兵第20連隊へ配属
 
11月、フィリピン・レイテ島へ
1945年
捕虜となりレイテ島で終戦 12月復員
 
戦後は自動車整備士



[1]
チャプター1
ゲリラ討伐
再生中
06:41
入隊して、20連隊要員として教育されて、3月教育受けて。ほいでマニラへ、上陸したわな。それから、そこで連隊長の面接して、みんなですよ。わしひとり違うよ。ほいで、ダエト(ルソン島南東部)いうとこにね、中隊がいて、そこでまた3か月教育を受けて。ほいで、やれやれ終わった思うたら、レイテ渡って。で、もう、レイテ渡ってまあ、2~3日もせんうちから討伐や。ゲリラの。討伐明け暮れやったわ。

Q:あの、ゲリラの討伐っていうのは、どういうことをするんですか?

どういうこと?撃ち合い戦だもん、もちろん。どっか潜んどんのを捜して、ほいで攻撃していく。こっちも向こうから(攻撃を)受ける場合もあるけどな。そんなんだ。

Q:なんで、レイテ島はそんなにゲリラがいっぱいいたんですか?

そらもう、いちばんに、(日本軍を)攻撃する目的でやっとるやろ。ほいで、潜水艦が夜分になったら、なにから補給して。もう、わしらの武器より優れたもの持ってたですよ。第一あんた、日本は三八(歩兵銃)いうて、こんな長い銃やったやろ。 向こうは、空気銃みたいに肩にヒョイと背負って、ババーッて撃ったら何十発って出る、カービン銃っつうやつや。それとの戦いやったわな。

Q:じゃあやっぱり、日本軍の犠牲も大きかったんですか?ゲリラ討伐は。

大きいて、まあ、ほんでも、わしらの中隊でも3人はやられたな。あの、ゲリラ討伐で。

あの討伐のときなんか、「とにかく山で会うたやつみんな殺せ」っちゅう、命令があったときあったわ。ほいだら、あんた、「誰も会わんといいのになあ」・・そういうときに限って、子連れのな母親やとか、おじいやとか会うんやわ。ほんだら母親は、銃剣でやってまうやろ。子どもなんか、「ほんなんもったいない」ちゅうて、両足持ってプーッと回しとって、やしの木にバーンてぶつけて。それでもって谷へポイと放して、そんなんやついましたで。

Q:それをどんな気持ちで見てたんですか?

ほんなもん、わしはようせんな思うてたわ。ひどいことしよんなあ思うて。

Q:その、ようせんことするなっていうのは、どういうことですか?

ほんな、かわいそうやもん。のう、自分も同じ目に遭うたら・・んなこと言うてたら、兵隊やからあれやけんど。個人差やな。

わしはね、今かて許されると思うけど、被服を修理したりするのを、ミシン借りて、現地の人と仲良うしてたやろ。そこの3年も。支給される缶ビールやとか、ちょっとした南京豆のね、あの、何ちゅうねん皮取ったやつ。こんな袋入ってあるんですわ、軍の、軍隊。それ持ってったりね。すると、こうやって行くと、近所の人も嫁さん連中も寄って来るやろ。ほいだらお互いに話すわな。日本語分からんけんど、手振り素振りで、話したりするわな。そんで、ほんな無茶なことでけへん。

Q:あの、助けられなかったんですか?福山さんたちは。その、ゲリラかどうかも分からない子どもとお母さんを。

ああ、そらもう絶対できひん。んなもん、上の人に背いてったら、偉い目に遭う。「お前らは臆病者か」ちゅうて、こっちがかえってやられる。そんななんやったわ、日本の軍隊は。絶対服従やさかい。

Q:助けてあげたいとは思ってました?

そりゃ思う。んなもん、じゃねえこと、ひどいことするもんやなあて。なあ、小さい子もあんのに。

出来事の背景


[2]
チャプター2
飛行場づくり
04:47
Q:飛行場の建設なんかには、関わってないんですか?福山さんは。

飛行場、あったよ。ブラウエンの飛行場なんか行ってやってたもん。ヤシの木切って、水牛に引っ張られて、そのときは裸になって、そんなんもやってましたよ。水牛やら使うの、向こうの人。

ただもう、邪魔なもんを取って。ほとんど、ヤシ林やった。それ切って、根起こしして、それを別の所持っていって、荒れたとこを平らにして。で、砂利敷くぐらいやった。今の米軍なんかは、もう、それやったら、尻から鉄板みたいなやつね、あれ、バーッてやって、あっという間にできますわ。日本軍のところに、ブルドーザーなんて大きなもん全然あれへん。もう、ほとんど手や。切るもんは鋸(ノコ)やろ。起こすのは、

スコップもエンピも使う。あれ、何て言うのや。何やいうと、あれ。何て言うたんやな、こうなって・・・。

Q:ツルハシ 。

ツルハシ。ツルハシ。それやろ。アメリカ軍なんかは、鎖で結ぶだけで、ブルドーザーでグワーッとうけたら、根こそぎグワーッ起こしていくねん。ツルハシでやってたら、一つの株を起こすのに1日ぐらいかかるんや。ヤシの木はもう、根っこがダーッと張ってるさかいね。そんなんやったわ。

Q:じゃあ、すごいたくさん人手がいりますね、そういうところは?

そうそう、そうそう。ひと部落の全部、集めて。で、手伝ってもらうのやった。

Q:他にあの、どういう協力をしたんですか?水牛以外に、何か他に現地の人も協力してくれたんですか?

道の整理やらね。広うして、道の工事や。そんなんやな。子どもまで手伝ってもろうた。

Q:小ちゃい子どもも手伝ってたんですか?

手伝ってた。

Q:子どもはどういう仕事をしてたんですか?

そこらのゴミやとかね、そういうの片付けたり、そんなんやってました。けっこう給料払うてたんですよ。

Q:ブラウエン飛行場で、日本軍の飛行機が、降り立ったところって、見た記憶ありますか?

ないない。いっぺんもないわ、それは。

Q:せっかく作った飛行場なのに、なんで使わないのかなとか思わなかったですか?

そんな、状況が悪くなってきて、ほいで、慌てて造りだしたんやろ。その中途で、ほとんど、あれしてんのかな、止めてるからのう。完成のとこまで行ってへんわ。そこまでに、敵兵来たさかい。

Q:じゃあ、まあ、間に合わなかったということですね。

そうそう、そうそう。

出来事の背景


[3]
チャプター3
すでに不足していた食糧
03:03
Q:アメリカ軍が来る前から、あんまり食糧が無かったって聞いたんですけども、実際、福山さんの体験ではどうですか?

そうや。食糧はもうほとんど、おかずなんかでも、そこらの野に生えてるもんとか、収穫してきて。で、炊事場で調理しとったよ。肉っちゅうのはもうほとんど食べてへんよ。

Q:その、内地から補給された食糧とかってなかったんですか?

それはあったんの違う?ほんなもん、わしら見たことないから、届いたかなんや分からへんわな。

Q:その、軍ていうか師団からの補給はあったんですか?食糧の補給って。

それはあったんでしょ。まあ、炊事関係は炊事関係の人がやるさかいね。第一、師団から連隊行って、連隊から大隊へ配給あるわね。徐々に。それの受け渡しは、そういう関係の人がみんなやってたさかい、兵隊はほんなもん、分からへんわな。飯できたさかいあげに来いとか、それ聞いて食べてるぐらいでな。なんも、どっから入ったもん食べたやら、なんも分からへんわ。

Q:いわゆる、あの、食糧の現地調達とか、そういうのをした覚えはないですか?

そんなんない。

Q:その記憶はない。

そんな、してる間もないわ。

Q:やっぱゲリラとの戦いで忙しい?

そうそう、そうそう。んな、ひどいときなんかもう、まず茶もとれなんだよ。

討伐行って帰ってくるやろ。で、食事して、ごろっと寝たらすぐ朝や。もう疲れてね、寝たら寝たなり。ほいで朝起きたらまたメシ食って、で、討伐へ出て行くんや。そんな状態が多かったよ。だんだんこの状況悪うなってきたもんで。

出来事の背景証言者プロフィール



[4]
チャプター4
米軍の上陸
05:58
わしら、米軍が来たっちゅうのを、ほんまに、その朝まで知らなんだよ。敵艦見ゆや。19日のね、昼まで、昼・・朝、そや、「敵艦見ゆ」は報道あったやろ。こっちは、あっちこっち、仕事に行ってるやろ。ほいで通知が来て、「守勢陣地つけ」ちゅうので、それで、中隊引き揚げて来て。ほいで、武器みんな持って、ほいで、守勢陣地の塹壕(ごう)の中へ入って。ほいで米軍に攻撃されるのを、艦砲射撃やさかいね。ちょうど19日の昼から艦砲が始まったわ。ほいでこういてたら、ダギタン川という川があって、こっち側に中隊やった、連隊本部とか他の部隊で、わしとか西のほうへ。ダギタン川の西の方の陣地にいてて。ほいで、艦砲射撃やる人の、こっちが見てたくらいやもん。弾、飛んでくるよ。もう、甲板でね、みんな望遠鏡で見とんな、よう見えてたもん。

Q:アメリカ兵が見てるんですか?

ああ、向こうの将校の人やな。ほいで、こっち側、ダギタン川の東の方は、同じように、弾、落ちてたけど、昼からになったら、上陸部隊が舟艇で上がりだした。そんなんやったわ。

Q:あの、米軍の、艦砲射撃ってどんなものだったんですか?

そら激しかったわ。もう、壕の中でうずくまってるだけやったわ、わしらは。こっちの東の人は、壕でうずくまってる人やとか、上陸してくる人と撃ち合いせんなんやろ。そいでこっちの人が、すごかったやろ、もう。そらもう破片なんかでもね、ブルブルブルーっちゅって、飛んで行って、ヤシのこんな木をパーって切れるぐらいの、あれがあったもん。

Q:ヤシの木が切れちゃうくらいの、弾なんですか?弾というか破片なんですか?

そうそう。この、どう言ったらええやろな、こんな幅はあったな。ほいでギリーってひねっててね、カミソリみたいになってんの。こんな。それがブーンていって飛んできて、バサーッて当たると、ヤシの木はバサッて切れる。ほんなんでしたわ。

Q:その、攻撃を受けてる間、どんな気持ちで壕の中に入ってたんですか?

どんな気持ちって言われても、言われんなあ、ほんまに。20日は、ほんでやられるままやったなあ、わしらは。艦砲射撃。んで、夕方になって、「もうこれはあかんさかい、逃げよう」ちゅうもんで、晩になるのを待ってて引き揚げて。こないだも言うとったやろ。帰りがけ中隊本部に寄って、そこで欲しいもんみんな持って。ほいで、出て行ったら、大隊本部の倉庫が燃えとって、そこへ行って食糧の箱もみんな、背中におぶって行った言うてたやろ。

とにかく、食べるもんをテントに包んで、背中に負って逃げるあれが、いちばん頭やったわ。ほいで、その逃げしなに、雨季のときやったさかい、川の水が張っとって。で、こんな狭い橋を渡りしなに、ひっくり返って、背負ったあれ、水の中に落ちたんや。川へ。それ、這(は)い上がって、あの、引きあげたこと覚えてる。

第一、東回りで敵が上陸したやろ。ここでは撃ち合いしてるもん、みんな。わしら、西側にいたさかい、敵は来なんだよ。ほんな、呑気に、「今後メシ食えるか分からんから、飯ごう炊さんでもってメシ食っとこうか」言うて、ほんな言うてた。呑気なこと言うてた。そんなんやったもん。

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[5]
チャプター5
ブラウエン飛行場奪回作戦
12:15
あの、攻めてきよった、その日やったわ。あの人は、アダチ、アダチ中尉や。それが兵長やとか伍長やとか、ほいな上の人5、6人、もっといたかな、10人ぐらい連れて、箱爆雷いうてね、戦車の下へ潜ってって敷くんやわ、爆弾を。それで、ボーンていきよるんやな。それに攻撃、中隊長以下10人ほど行きましたわ。んなもう、もう生きて帰ってきやへん、全部やられてな。

Q:その人たち見送ったんですか?福山さん。

そうそう、そうそう。

Q:あの、まあ、難しいと思うんですが、そのときはどんな気持ちでね、見送ったんだと思います?

ああもう、これ、そらもう、これでおしまいやな思ったわ。生きて帰るっていうのは絶対思ってへん。わしはもうこの、ブラウエン(飛行場)斬り込みに行ったときなんか、もうこれで、今日でわしらのあれは、命はポーンって飛んでいくな思うたもん。

あのね、山入ってね、3日目やったわ。上のほうから、ブラウエンへ斬り込みに行くという、命令が出て。んで、皆集まって、こうこうこうで、落下傘部隊と一緒に攻撃するさかい、夜分待って、深夜になったら山、下りようって。んで、真っ暗闇のとこ下りて。んでブラウエンにまで着いたよ。ほいだら、もう夜明けになった。ほたら、こう道があってね、ここにブラウエンの飛行場のヤシ林が、ダーってあんねん。ここんとこ、こう道があって、道からあの、このヤシ林までがね、水牛の住んどる、ドブみたいなとこ。この辺まで入ったもん、渡るのに。そこ渡らんことにはブラウエンの飛行場のほう行けへんねん。それをみんな渡って。んで、ようよう渡って、どうと行軍してったら、ヤシの木と草との間(あわい)からね、銃剣をつけた兵隊がブアーって出てきよった、あんた。「お前らどこの人間や」言うて。「日本の軍隊や」言うて。ほんで話して、「わしらはこうこうで、台湾から、攻撃しに、参加しに来た」言うて。ほんで、ふうと上見たら、ヤシの木にパラシュートがようけ引っかかってたわ。降りたときのな。で、そこで、パラシュート隊と一隊になって、ブラウエン行きよったわ。ブラウエン行ったらもう、ほんなもん、あっという間に、弾一発撃たんと出たんよ。(米軍の)兵隊全然いなんだ。将校がね、5人ぐらいいたんかな。ほいで飛行機が3台あったかな、それみんな、手りゅう弾放り込んで破壊して、使えんようにしてもうたや。んで将校の人は、尋問やらみな受けてたんやろな。上の人がやってることは分からへんけんな、兵隊は。そんなんあったわ。んで、あくる日の、一晩過ぎて朝方になったら、ブンブンブンブン音がしてきて、戦車を先頭にアメリカ軍が、向こうて来よったんや。「こりゃあかん」ちゅうので、今度は逃げにかかったんや。ほんだら、パラシュート隊を先頭にして、わしら後ろの方やったけど、ダーっと逃げてった。それは覚えてるやわ。ほいでまた、山へ逃げ込んだ。

Q:どんな武器を持ってったんですか?その斬り込みのとき。

わしは軽機関銃軽機関銃。あともうひとつ、小銃やな。

Q:その、飛行場のね、奪還の命令受けたときに、さっきその、もう死を覚悟したっておっしゃってたんですけども、それはなぜですか?

それはもう、米軍が上陸して占領していってるやろ。敵中の中へ入ってくいうようなもんや。「もうこれでしまいやな」思うたもん。米軍の斬り込み命令受けたとき。ほんだらもう、地上軍誰もいやへん、アメリカ軍。前言ってた将校が、5人ぐらいや、最後は。

Q:なんか拍子抜けしませんでした?

「まあ!」っちゅう、あんなんくらいやったわ。「ええー?!」と思ったくらいやもん。アメリカの、弾一発撃たへんもん。

Q:その、飛行場にいたのはその、米軍の将校だけだったんですか?

そうそう。戦闘部隊というのは見えへんなんだ。ほんで、ジープに乗ってね、わしら知らんよ、自動車乗れへんで。落下傘部隊の人は乗り回して、飛行機みな手りゅう弾でバンバンやってました。

まあブラウエンを完全な飛行場とは思うてへんよ。ほいでアメリカがな、あの、整備して、きちっと整備して、普通の大きな軍用機も着陸できて、飛ばしたり降りたりしてたらあれやけんど、わしら入ったときには、トンボちゅうてセスナのね、偵察機ぐらいしか降りたり発ったりしとらんなんでよ。そんなんで完全な飛行場ではないわな。

とにかく奪回に行って、弾一発撃たなかったっちゅうのやさかい、戦闘は全然無いわな。ほんなのこっち(米軍)は将校が5~6人おったぐらいやさかい。ほいで、明くる日、明くる日ぐらいから、ブーブー戦車と攻撃隊が来た。ほんでもう全然、敵対してへんもん。戦闘部隊。んで一人も戦死者は無かったはずや。わしら覚悟の上で行ったんやけど、それが全然無かったわ。弾一発撃たんで向かってるもん。かえって、あんた、食糧やら被服、軍服やとか着せてもろうた。得な面があったわ。

Q:米軍の攻撃の様子とかって、もっと詳しく覚えてないですか?

攻撃されるまでには脱出したもん。戦車の音やらブーブー聞こえてくるやさかい、まあ、これはあかんちゅうので、「退却せい」っちゅうようなって、ヘーっと逃げたもん。ほいで、ブラウエンの飛行場行って、弾一発も撃ってへん、わしらは。おそらく、落下傘部隊も無かったんちゃう。

Q:あれですか、落下傘部隊の兵隊さんたちも一緒に退却したんですか?

そうそう。

Q:それはあの、こう、混乱しなかったですか?そのときは。

別にどうも、みな、行ったけどな。

Q:日本軍の兵隊さんたちはその、アメリカ軍の洋服を着ていて、その、アメリカ軍になりすまして戦闘したって聞いたんですけど、そういうのって記憶にありますか?

あったあった。アメリカ軍の服、みんな着替えて、靴も。逃げましたよ。それはあった。ある一部の人やけんど。んで、食糧は缶詰やさかい、みんな・・・して逃げたの知ってる。

倉庫の中に荷物やらあるはずわな。そこにみんな服やとか食糧やとか蓄えてあったの。そこのみんな持ち出して。んな、戦闘で死んどるやつの、服脱がして着たっていう、そんなもん全然ないよ。

Q:それは、なんで、あの食糧は分かるんですけど、アメリカ軍の服を着てたんですか?その人たちは。

アメリカ軍の?

Q:あ、それは、日本軍の服から着替えたんですよね?

そうそう、そうそうそう。

Q:なんで着替えたんですか?

もう、ボロボロみたいになってる人やとか、汚れてる人やとか、それで皆、着替えたんやろ。そんであんた、その後、鉄帽も全然違うやろ、日本の鉄帽と。日本の鉄帽こうやって、ただこれだけやけど、アメリカのは後ろまでこうあって、ちょっと格好ええ鉄帽やったやろ。それかぶってて、同じ日本人の兵隊同士で間違えられとったやつが、ようけおんねんもん。もっと、もっと山へ入ってから。アメリカ軍の服装してるさかい、日本の兵隊に疑われて。そんなんよくあった。

Q:疑われるってどういうことですか?

いやもう、米軍の服装してるやさかい、アメリカの兵隊に間違えられて。そんなんようけ聞いてた。

出来事の背景証言者プロフィール



[6]
チャプター6
密林の中で
06:28
でも、山へ追い込まれてからでも、あの、米軍の攻撃はあったよ。ほんで、ある程度戦闘したもん。あるときなんか、こっちはもう、ほんまにぎ装して、あれしてるわな。あの、構えてるわな。木やとかなんやか持ってきたり、ぎ装して。ほいで戦うわな。

Q:ぎ装?

ぎ装して。ほいで敵が来よるの待ってるやろ。で、向こうは分からんて、のこのこ平気で来よるやろ。ほんでババーッて撃つやろ。んで、完全に死ぬわな。3人ほどあのときやったけんど。んだら、あの、担架兵が助けに来よるわ。で、こっちはあんた、次来よるの待ってんのやさかいな。担架兵来たけんど、向こうの担架兵迎えに来よったやで、止めとこうっちゅうて、殺さなんだわな。担架兵は。ほいだら担架に乗せて引き揚げて行きよったけんどね。んなこともあったわ。

Q:なんでその、担架兵の人たちを撃たなかったんですか?それはどういう気持ちからですか?

かわいそうっちゅう気持ちや。せっかくやられた兵隊をな、助けに来とんのやろ。2人で。後ろと前で、担架で。んなもん狙って殺しとったかてしょうがないで、やめとこうちゅうて、助けたこともあるよ。

Q:それは福山さんたちも、生きるか死ぬかの思いをしているのに、どうしてそういう気持ちになれたんだと思いますか?

そら、気のせいや。気の問題や。「もうやっちまえー」っちゅう者と、こうやって助けたりっていう気の者と、2つあるわな。わしらは、こうやって助けに来よったやつやさかい、目の前だったけど、やらなんだだけのこと。

Q:福山さんは、どういう状況で、部隊と離れて行動することになったんですか?

初めの間はね、ごく、そこそこ部隊まとまって、山の中行軍してたのよ。それで、だんだんだんだん、そこも落伍して、落伍したさかいで、まあこっちは衛生兵が同行して連れてく、んなもん全然あらへん。みんなほったらかしや。知りもしねえってなもんさ。そんなんでね、だんだん、だんだん、兵隊が少なくなって、散り散りバラバラになって、勝手に行動するようになったよ。わしらも最後には3人で行動してたよ。ほいで山を、敵が来よるの分かってて、山降りて行って、捕虜になったやさかい。

Q:じゃ、あの、福山さんも、落伍してしまったんですか?部隊についていけず。

もうあの時分はねえ、落伍もへちまもないわ。勝手にせえや、皆。山ん中歩いてたやろ。だら、カッパきてゴローンと寝とるわ、あっちゃこっちゃ。「ほんなことしてたら、やられるぞ」言うて、カッパ見たら、目がプカーって開いてもうて、餓死しとんねん、全部。もう、肩のここらでも銃でやられて。離れて歩いてる人はね、もうここの骨、見えてるんや。ほんでウジがもう、このように、山のようにたかっとんの。ボロボロボロボロボロ、ウジが落っとるようなもんやったわ。

こうやって歩いてたら、ほんなもんはまあ、衛生兵に聞いて、助けるの、病院連れてくのっちゅなもん全然あらへんやろ。みんないずれ死んでいくんや。

わしもここ当たったけんど、おかげさんで、化膿したりせんで治っていってよかったけんど。

Q:そういうその壮絶な、ジャングルの光景を見ていて、どんなことを考えるんですか?

どんなことって言われても。もう後の命は無いもんと一緒やさかいのう。わしらだってまあ、あそこで捕虜になってなかったら、死んどるやさかいの。何も食うもんもあらへんやろ。まだ谷間にいた時分はカジカがようおってな。カジカを生で、皆食べてたよ。それにな草な、草の根っこ食ったり。そんなんやったかいね。

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[7]
チャプター7
捕虜収容所へ
04:46
「さあ、山降りて行こう」思うたら、ババババーッて来よったんさ。缶詰の缶ぶら下げよって、それ触って。で、カンカンカンっていったら、ブワーッて撃ってきよったん。ほいで、いちばん前にいた人が、太ももやられて。「もうわしはあかんさかい、お前ら2人、行けるとこまで行け」言われて。ほいで、「しゃあない、3人で死のう」言うて。「あかん。お前ら行けるとこまで行け。前行かなしゃあないさかい」。「ほんなら」言うて、歩き出したら、自分で手りゅう弾ブワーッンて自決しよったんさ。その破片でこっちもやられるとこやったけんどね。ほいで、それからちょっとして、土民の家があって、その家の2階上がったら、もうそれきり何にも分からんなんだわ。寝込んでもうて。

Q:じゃあ、もうそこで、もう意識がもうろうとなったような状況になっちゃったんですね?

そうそう、そうそう。あ、そや。その手前にね、寝るちょっと前に、アメリカ軍が、2階上がって寝てたから、2階向けて銃撃ってきよったんすわ。ほいだら、この寝てるここが、ピュピュピュッと飛んでいったもんだ、弾が。「外に出ろ」っちゅうて待っとんねん。外に出る言うたらこれだよ、こっちは。ほんで、これして、下降りてったら、その場で捕虜になって。んで、尋問するところに連れて行かれて。ほんだら、その尋問する将校がね、日本語上手いのよ、ベラベラと。ほいで日本語ベラベラしゃべって、「上手ですね」言うたら、「わしは横浜で貿易商してた」言うて。んで、ペラペラやったね。

Q:よく日本の兵隊さんて、捕虜になる場合だったら自決するって言いますけど、福山さんはそういうことは考えたりはしなかったんですか?

んなこと言われたらつらいなあ。

Q:つらいですか?

とにかく、「外に出ろ」言うて、「降りてこい」言うて、もう降りてったんやな、あれ。自決する言うたかて、そんなもんあれやもん。手りゅう弾3人で1発持ってたの、先に1発使うてまいやったやろ。んなかて、首つろうて死ぬか、刃物ちゅうのはもうねえし。

Q:捕まったときは、どういう気持ちになったんですか?

まあ、やれやれちゅう気持ち。だってあんた、その捕虜になったころから、タクロバンの収容所に送られて、トラックで行ったわな。たらあんた、ワーワー、ワーワー、歌、歌ったり、騒いどるんや。「何やこれ」言うたら、先に捕まったやつが、みんなもういい体になっとんねん。みんな肉付いて。わしらあんた、骨に皮が付いただけだわ。あそこにいるのはほとんどね、海軍の兵隊。海軍の兵隊が、ボーンと船やられて、何百人ているやろ。それ皆、アメリカ軍の捕虜になっとんやさかい。から、ほとんど海軍が多かったわ。もう、こんなんやったら早う捕虜んなった方が良かったなあ思うたときあるわ。

出来事の背景


[8]
チャプター8
「パタイ」と言われた日本兵捕虜
03:42
捕虜になってね、いきなりね、米軍の食べもん食べるやろ。油気が多いもん、ほとんどや。缶詰や。それ食べるやろ。腸、みなようやった。ほいだらもう、シャーや。出るもんが。下痢。で、トラック乗って行くんやけんど、尻からひとなんじゃ、トイレ行きとうなりゃ。

Q:ええ。

ほいで兵隊に言うて降ろしてもろうて、そこらの道端でするやろ。すると、住民が石ころ持って、「パタイ(patayin)」。パタイ言うたら、殺すちゅうことや。「パタイ(殺す)」て言うて、石投げつけて来よんよ。ほいだらアメリカの兵隊が、銃構えて脅しや。「ダメや」ちゅうようなもんやな。そんなんようけ見てたで。

Q:それは、なんで、その、現地の人がそんなに、憎んでるんですか?

そりゃ憎んどるがね。アメリカ様様やもん、向こうらは。

Q:その、「パタイ、パタイ」って言われたときに、どんな気持ちで聞いてました?福山さんは。

もう、こうなったら、何言われても答えへんわ。何言われたかて答えへんちゅうの。自分の体がつろうて。自分の体持ちこたえるほうが大変やもん。

Q:福山さん自身にとって、やっぱり戦争のことを思い出すっていうのはつらいことなんですか?

そらつらいがな。あんなもんさえなかったら、あんた、なあ。相手も殺さんでいいのやし、こっちもしないでええのやし、なあ。戦争ちゅうようなもんは、惨めなもんや。どない思う?そんなん思わへん?そんなん思わへん?戦争ちゅうもんは。

それは、あれやろ。これから大きいなっていく若い人らに、な、聞いてもらいたいわな。こういうことはどうや、こうしたらどうやいうこと、分かってもらいたいわな、若い人に。な。まあ、昔の人かて、しよるけんど。

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