『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

239連隊 その11 略あり

1920年栃木県に生まれる
1942年現役兵として東部第36部隊に入隊
 第239連隊第4中隊に転じ、北支山西省
1943年ニューギニア・ウエワク上陸
1944年アイタペ作戦当時、兵長
1945年終戦 当時、陸軍伍長
1946年愛知・名古屋にて復員
 復員後は、家業の農業に従事


[1] 密林を切り開く 05:11
[2] 熱帯の風土 02:57
[3] セピック川付近の戦い 08:35
[4] 断たれた補給 06:32
[5] アイタペ総攻撃 03:37
[6] 密林へ逃れる 02:37
[7] 自活の知恵 03:54
[8] 極限の中で 04:06
[9] 連合軍の投降勧告 02:38
[10] 終戦 04:34
[11] 収容所へ 02:31



[1] 密林を切り開く 05:11
フィリピン沖でね、魚雷1発、通ったんだが運よく避けてね。それっきり何のこともなく、ウエワクってとこに上陸したんですよ。ウエワクっつうのは大きい港みたいな海岸が、もう浅瀬で遠浅でね。船が岸壁まではとても行けなかったんですがね。ほんで発動汽船ですか、大発(だいはつ)ってやつ。それに乗って上陸したんだよね。それも岸壁まで行けなくって途中で腰ぐらいのとこでね、降ろして。そこで背のう(はいのう)しょって渡って上陸したんですわ。

最初はね飛行場建設ですか。飛行場建設にたずさわったんですね。まぁ一個師団、うちの41師団ですか、ウエワクってとこのやし林を伐採してね。それで飛行場をつくったんですわ。

Q:どういうふうに?

作業はね、ほんとにね原始的でね。のこぎりでやしの木を切って、で、こんな小さい携帯用のシャベルで根っこ掘り起こしてね。こんな小さいんですよね、携帯用だから。だから1 本のやしの木切って、根っこ掘って、平らにすんのには、1本の木で5人くらいで1日かかったんだよね。で、飛行場を建設したんですわ。それが一個連隊で3か月くらいかかりましたかね。一つの飛行場造るのにね。

Q:どのくらいの大きさ?

そうですね滑走路が1500(m)くらいですか、滑走路一本ですわ。最初に作ったのはね。

盆の16日だったと思ったね。われわれ10人ばかり、飛行場へ飛行機着くから、糧まつ拾いに行こうっちゅうわけで行ったんだよね。飛行場の真ん中で、みんなとぐろ組んでしゃべってたんだよ。で、「今日の飛行機の音は違うな」っていうわけなんだよ。そうこうしてるうちに、敵の飛行機が10何機来たんだよね。低空で来て、ほんで爆弾ドカンドカン落とされるわで、機銃でされるわで、もう逃げようがないんだよ。飛行場の真ん中だから。散り散りばらばらになって伏せたわけ。そしたらおれたちの仲間でノザワって言うのとサトウと3人一緒に並んだんだがね、すぐ前へ爆弾おっこたんだよ。そしてたら、今盛岡に行ったノザワってのがいなくなっちゃんだよ。「あれ、これは爆弾で吹っ飛ばされちゃった」と。爆弾でボロンって盛り上がった、土が。その周り、わたしは這って歩いてたんだよ。そしたら、こっから先動いてんだよね。ほんで、「サトウ、ここにいたぞ。ノザワ」って言って、2人で一生懸命やわらかい土だからね、ほじくったらば意識がないんだよ。ほんで、背中バンバンたたいたら意識戻ってね。もう少しで生き埋めになるところだったが、手、こっから先出てたもんだから分かったんだよね。

Q:それが最初の爆撃だった?

それが最初の爆撃だったね、昭和18年の8月だったね。8月のお盆。楽しみにしてたんだが、お盆だからご馳走もって来るだろとか、楽しみにしてたんだがね。とんだ裏目にでちゃってね。


[2] 熱帯の風土 02:57
蚊がものすごい多いんですよ。とくにマラリア蚊が多くってね。だからマラリアにはみんなかかったんだよね。

Q:マラリアにかかるとどういうふうになる?

ものすごい高熱が出んですよ。40から41度の高熱が出てね、震えが来て、ご飯が食べられないしね。2日か3日で治るのは治るんだよね。だから何回も繰り返すと体力が弱っちゃうでしょ。

Q:上陸してすぐから?

そうマラリア蚊はどこにもいっからね。たくさんいっから。

土人は年中、掘立小屋の中で火をゴンゴン燃して燻(いぶ)しておくんだよね。燻したら蚊も逃げちゃうんだよね。だから土人マラリアにはかかんないんですわ。まぁ抵抗力もついてるせいもあるでしょうがね。

セピックって大きい川があんだよ、そこまで行くまで4日、5日くらいかかったかね。ダイハツ2そうでいったんだがね。5日位かかったかな。途中泊まり止り行くにはセピックというえらい川なんですよ。中に島があんですかがね。島へよく露営して、蚊帳を、大きい蚊帳を持ってったからね。蚊帳をつって、中で火を燃やしながらいたらば、大きいワニがね、バッタバッタ入ってくんだよ。こりゃ、たまったもんじゃねえっちゅうわけで、火をゴンゴン燃すとワニは逃げんだよね。火を燃してワニを追っ払って一晩過ごしたことがあったんだけどね、

Q:ワニは見たのは初めて?

ワニはそれまで何回も見ましたよ。大きいドラム缶くらい(の)ワニがいっかんね。長さが5メートルくらいあって、ドラム缶くらい胴の太いワニがいんだよ。そんなワニに見つかったら、一口だよ、人間なんてね。よく川で洗濯なんてしてて、ワニに食われた兵隊もいっからね。

[8] 極限の中で 04:06
こういう連隊回報(師団命令か)が出たんだっつうんだ。我々直接聞いたわけじゃないんだが「人肉を食するものは厳罰を処す」と。「ただし敵国人を除く」ということなんだよね。だから敵国人なら食べてもいいってことになっちゃったんだよ。だからいかに糧まつがなかったかということだよね。

Q:命令として出た?

そう命令として出たの。

Q:命令が出たって言うことは、その前から?

やってたんだよね。とにかく、ほらその当時はだんだん少なくなったもんだから、一個中隊じゃなくて一個大隊で行動してんだよね。そうすると分哨出すのに4中隊から1人、大隊本部から1人とか、機関銃から1人とかってプテラプテラとかテデヘで分哨に出されたわけ。で、ちょうどわたしが長になって分哨に出たとき、機関銃の兵隊が「黒豚きた、黒豚きた」って言うんだよね。向こうには黒豚がいるんだよね。黒い豚が出たっていうんで、「取ってこい」って言ったら、「取ってきます」なんて言ってドカーンとやったら、「キャー」って言うんだよ。したら、土人。これで何人目なんべなんて言ったんだよ。

Q:その兵隊は初めて会った兵隊?

そうそう。

Q:そのときは食べましたか?

食べないです。うちの中隊はね、ハマさんって、そのチンプンギの戦争犯罪で、その人いわく「うちの中隊だけは絶対人間の肉だけは食べないでくれ」と。「人生わずか50年の生涯を、おれは、人間の肉は食べるというのは土人といいながら一生頭から離れないだろう」と。「そういう呵責(かしゃく)の念に追われながら生きるなら、みんなで潔く自決するべ」と。「だから人間の肉だけは食わないでくれ」と。だから、おそらく、うちの中隊だけは食わなかったね。部隊長が、人間の肉だって隠して部隊長が(に)食べさせて。そしたら、「こりゃうまい」といって、うんと食い過ぎて、大腸こわして死んじゃったなんて部隊長もいるんだよね。

Q:撃ったという人は?

全部肉にしてみんな持ってった。各中隊へ持ってった。「食べよう」って言って持ってった。飯ごうっていって、ご飯炊くあれがあんだよね。それで十杯ぐらいあるそうだ、肉が。

Q:他にもそういう現場を見たことは?

2回くらい見たね。人間を料理してる現場、2回ぐらい見たよ