『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

239連隊 その06 略あり

1920年栃木県に生まれる
1940年現役兵として松本第50連隊に入隊 歩兵第239連隊第1機関銃中隊に転じ、北支山西省
1943年ニューギニア・ウエワク上陸
1944年アイタペ作戦当時、兵長
1945年終戦 当時、陸軍伍長
1946年神奈川・浦賀にて復員
 復員後は、家業の農業に従事

[1] 中国戦線から南方へ 04:42
今度出発して、今度ニューギニアのウエワクってとこ。まあウエワクっちゃニューギニアではいちばんいいところなんですね、いちばんトバ口の。で、ウエワク行ったら、なんだ、日本の船がうんとばかしやられてね、湾中にいるんですよ。ほでそんときに、向こうは連合軍ですから、日本軍が上がってるってんであちこち来るわけなんですよ。代わる代わる。それで早くジャングルの中入れって。ともかく湾の中入った途端に、軍装したまま胸くらいあるところへみんな飛び込んで。ほらジャングルの中へみんな入った。

そうだ、ヤシ林行って道路作業始まったわけです。それで何しろ道路がないもんですから、道路作業して。そのうちその何て言うんか、飛行場を造るってんで、始まったわけです。それで、飛行場造るったって、何しろ、何一つないんですから、道具がね。戦車から使えないですから。ですから1本のヤシの木を倒す、戦車をそう、4回ぐらいぶっつけないとひっくり返んねえです。それをワイヤーへ引っ掛けて、どんどんヤシの木をね取っ払って、そこへ飛行場を造ったわけです、ウエワクね。

あんだから、並大抵じゃなかったですねえ。それから、あれからウエワクで飛行場造って、それからマルジップってとこへ行くんで。そこも道路がないんで毎日毎日、土方ですよ。土方専門で、ほんとに兵隊どころじゃないねえ。そして気候そのものが、暖かいですから、半ズボンと半そででいられますからね。ほとんど、年中。で、それが終わって道路、飛行場。それから移動作戦移動作戦でやっぱり、それで何て言うんですか、クリークみたいのが多いんですよね。そんな関係で馬なんか持っていったんですけど、全然使い物になんないです。ジャングルとかそういうのばっかりで。それで馬なんかみんな、あのほっぽらかしちゃって。

今度船で行くようになったわけなんですけども、船そのものもろくにないですからね。で向こうはその大発とか小発とかってんで、みんなエンジンそのものが飛行機のエンジンなんですよ。日本の船と全然違うんですよ。走り方がね。

それで、日本の兵隊がいないなと思うと、その海陸両用戦車みたいで、ジャングルの中へ今度入って来ちゃうんです。こりゃいるなと思ったら、またグーっとバックしてっちゃう。そういう戦法ですから、とてもじゃないけど戦闘にならないですよ。全くのねえ。それからアレキスって飛行場のとき行ったんですが、そんときには、大体いろんなニュースでもって、アメリカのあれが上がるってわけであったんです。そうしたら、駆逐艦が2杯(隻)、はるかかなたに見えるんですよ、肉眼で見ても。その船が、朝、やつらが上がるばっかりで、まあ何ていうんですか、弾撃つわけなんすね。これがあれです、半日かけてぶっ通し撃つわけですからね、船。ドンガンドンガン、ドンガンドンガンさ。


[2] 湿地帯の行軍 02:08
昼間は全然ほら、行軍出来ないですからね。やつらの警戒が激しくって。ほとんど夜ですから。んだから夜なんか歩ったって、ろくにその歩けないですよねえ。ほで、向こうから撤退するときでも、アレですよ、あのセピック(河下流の湿原)というとこあるんですが、向こうから撤退してくるのに1本しか道がないでしょ。ですから、ちょうど内地の田植えと同じだね。泥んこで。その、泥んこでも何でもあれですよ、みんなあれですよ。中に、編上靴なんか履いたままなんか仏様になっているのが、面人わからないんですよ。「これ、いいの履いてるから頂いてくか」なんて。「なんだこら、仏様だ、履いてるわなんて、こら」なんて。そういうそのわからないですよ、どこの部隊だかね。そこばっかりでしょ、通るとこは。あれは苦労したですね。で、セピックってとこなんか無尽蔵っていうくらいだから、底がないような深さがあるっていうですよね。2本マストが入るっていうんですから。ときおりこんな、おっきい島みたい山が、木の生えたままこの流れてくるんですから。そういうところもその、やっぱり前進基地にアメリカの兵隊がいたでしょ。飛行機で、朝に晩に朝に晩に移動したんですね。


[3] アイタペ決戦 02:27
ニューギニアには、朝鮮の朝部隊(20師団)と宇都宮の基(51師団)、それからわたしの、北支から行った河部隊(41師団)と。3師団が、3個師団。それがみんなあれでしょ。それで、最後に残ったのが河部隊が撤退してる。みんな他のはみんな散り散りバラバラで、ろくに戦争させてねえ。みんな手でもなんでも負傷してしてるので、手からウジがぼろぼろこう出て、それ取れてしまう。そういうどん底、わたしはして。最後わたしら、されてもなしでいるから。で、はだしですからね。ヤシの葉っぱを、芯を裂いて藁(わら)みたくし、足なんか張ってんですから。足、半分、張るのね。足とか。わらじですね履いてもね。あれでもって探してきたんですよ。履く物もないんですから。編上靴履いてっても、糸切りしちゃったから、あんなん持って歩いたってどうしようもねぇ。背のうも何にもないし。だから山まで来て、背負子(ショイコ)っての作って。それで藤のツルをグルグル巻いて、ここに背負って歩いて。そういうような状況です。

Q:篠木さんは坂東川(ドリニュモール河)の戦いには行ったんですか?

はい?

Q:坂東川の戦いには?

それまで行けないんですよ。途中でそういう部隊がやられちゃって。それでどうにもならないんですよ。目的がそれあったんですけども、部隊がいなくなっちゃったんです。なんせ、わたしの237(239)行ったときのね、部隊の人間が198人いて、帰ってきたら15名かそこらですから。帰りはね。みんな道路なんてのは死人の山ですよ。ぐじゃぐじゃ。そうですからね。
(略)