『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや15

[証言記録 兵士たちの戦争]
フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦 ~陸軍第1師団~ 放送日 2008年2月28日

2008年6月

1922年
京都府南丹市に生まれる
1941年
1月、福知山歩兵20連隊に入隊。12月フィリピン攻略戦へ
1942年
ビサヤ諸島ネグロス島で警備など
1944年
レイテ島へ
1945年
2月、投降しレイテ島の捕虜収容所で終戦を迎える。12月復員
 
戦後は農業を営む


[1]
チャプター1
米軍上陸前のレイテ島
再生中
04:25
16年の真珠湾攻撃が、12月8日に真珠湾攻撃してよ。それからね、あれ何人ぐらいやろ。それから1週間ほどたって、ちょうどルソン島へ上陸して、そのルソン島へ初めて行ったときのほうが、興味ありますがな。フィリピンの島の風景って見慣れてしもうとる。バナナの木もヤシの木も。初めてフィリピンに着いたときの晩だけはびっくりしましたね。それは木に蛍が。1本の木に蛍が。日本でようあんな光景あらしまへんわ。そんなもん何百万匹というほど1本の木に固まって、蛍が。ギラギラギラギラそりゃあもう、なんとなあと思うて、それだけは初めてびっくりしましたわ。

ルソン島から、次はビサヤ地域に行く。この前ネグロス(フィリピン中部ビサヤ諸島)いうて、いうてましたやろ。その島に行って、その島に2年ほどおって、それでそれからレイテに行った。米軍がレイテ島へ上陸するふた月ほど前に行ってね。

Q:ネグロスから、レイテに向かうときって、どんな気持で向かったんですか?

いやそのときには、まだ米軍がレイテ島へ来るっていうような事、私ら夢にも思っとらしまへんわな。そんなもん上からの命令いちいち、下っ端までは、伝わらへんさかい。そんでこらレイテ島へ行って、こらまたゲリラ多いさかい、そこへ引っ張られるのかなあ思うてレイテ島へ行った。それぐらいの程度でしたわ。そこでアメリカと日本とは、死ぬか生きるかの最後の戦いをするっていうような事も、私ら夢にも思うとらしまへん。そのときに、16師団みなよって1万5千人どすげな。そこへアメリカ、14万上がったっていうのしゃろ。そんなもん、そこへ艦砲射撃いうたらものすごいもんや。

Q:やっぱり米軍来たときは、すごいびっくりしたんでしょうけど、ちょっとその前に、じゃそのアメリカ軍が来る前のレイテ島って、どんな島だったんですか?

そりゃビサヤ地域やさかい。それもレイテもビサヤ、ネグロス島もビサヤ、セブ島もビサヤ地域ていうて、島言うたらヤシの木か、バナナの木。ほとんど海岸べりは、ヤシの木どすげな。それ以外に他になんにもあらしまへんわな。

出来事の背景


[2]
チャプター2
食糧が足りない
03:01
とにかく米軍が上陸する前に師団長は、「兵がやせこけとる」いうて心配しはったっていうて。そりゃ私らもね、よその中隊でも、知っとるやつはよう、顔は知っとるけど、名前も知っとるけども、かわいそうでものも、こっちは古い兵隊やろ。向こうは初年兵やろ。そんなもんかわいそうで、こっちから、おんなじ中隊ならきっと何したるけど、中隊はちごたらどないにもできへんやろ。そんで知りながら、声もかけられなんだわ。

ほんまにちょっと元気そうな顔しとるやらもおらへんやもの。

Q:それはなんで元気がないんですか?

それはまあ言うたら、この戦争は自分は先でどないなるんやろう。日本はどないなるやろう。とてもやないが、勝つ気づかいはあらへん。勝つような自信があったら、おそらくもうみんな、その兵隊は日本はあかんいう事は、もうあきらめとったんやろ。

Q:それは、もう米軍が来る前から、そんな状態だった?

え?

Q:米軍が、上陸してくる前から、そんな状態だった?

そうそう。フィリピン行って、もののバターン半島は陥落して、三月(みつき)か四月(よつき)ほどたったときに、「内地からは送らん」と。「現地調達」ってなってから、もうそんなんや。

もうレイテ行ったときにも、あまり大隊長は慌てて慌てて「壕を掘れ」って言うてな。そんなもん私ら、ろくに食うもんも食わさんと何しとるのに、そんなもん壕でも掘らい(掘らない)でも、大隊長は「居る間だけじゃけん、格好だけしとれ」言うて、「皆初年兵や2年にいうて、そんなもん掘らんとけ(掘らないでおけ)掘らんとけ」言うて、上は「掘れ掘れ」言うし、そんなもんかわいそうやそんなもん。あんな現状でやったら、どないしたかって死んでしまうんやもの。

出来事の背景


[3]
チャプター3
米艦隊あらわる
03:25
もうそんの時分になったらもう、ドラグ(レイテ島中部・東海岸)ちゅう所やったやな。もうそこからもう一歩もなにせんと、もう米軍が上陸する前のもう一つ前の日や、「配置につけ」やな。それも私らも全然分からへんのやな。海岸にはおらへんさかい、ちょっと入った所におるのやろ。ほいで明くる日になったら、あ、米軍が、見たら、レイテ湾にもうおまえ、もうほんまに湾が黒い言うほど、あれはアメリカの艦船が入っとんねんやな。ほいたらもうその「配置に就け」で、それっきりもう何も食うもんあらへんやろ。もう火も焚く(た)けんやな。それを何しとって、あれをな、16師団の砲兵の野砲がおったわいな。そんなんでもうもう爆撃で、あんなもん1トン爆弾あたり落とされたんか知らんが、あとで日が暮れてから見に行ったらもう、影も形もなかったはその場に、どこ飛んでもうたんや知らんけど、そんなんやってんねん。

ほいでおまえ、昼は艦砲射撃をこうやるやろ。ほいでもう夕方になったらアメリカは、海軍の水兵どないしとると思うたら、もうおまえ、まぁこのころやったらな、6時、6時半ごろになったらもう、艦砲射撃もぴっぷりポンとやって(やめて)まんねん。ほしたらおまえ、海軍は軍艦の中やさかい、晩飯食うて、ほいでギターを持ってて、ほいで大砲の砲身の根本の所で尻つめて(座って)、ほいでアメリカの兵隊、ギター弾いとるんやで。それをこの眼鏡で見たらようよう見えんのやな、それだけアメリカは余裕があんの。

Q:どんな気持でした?

え?

Q:それを見たときどんな気持でした?

そら、そんなもうそら、こんなまぁアメリカやと、ようこれ日本がよう戦争やりかけたなと思うたわ。全然もうおまえ、勝ち目があらへんのやもんを、それでやっとんのや。それは支那から部隊を引くにも引けへん。引かなんだらアメリカから何もやらん、鉄くずもガソリンも何も来へん(来ない)。

出来事の背景


[4]
チャプター4
米軍の上陸
07:58
もう艦砲射撃が始まったら、もう壕からでも絶対1歩も出られへんで。ほいで、普通大砲の弾やったら、こう飛んできて下へ落ちて爆発するやろ。アメリカのナニは違うのやな。こう飛んできて、日本の兵隊が下におるとまた上で弾、はじくねんな。そんで壕の中へ入っとったかてあかんへんのや。真上ではじくさかい、上も飛ぶ代わりに下へも弾飛ぶさかいに、それでよりやられんねんな。弾が落ちてはじいたら、斜っかいにこういうふうに弾は爆発するけど。この際に下に伏せとったら大丈夫なんやな。それ上ではじくやつはもういちばん危ないねんな、弾(片)の落ちる範囲が広いからや、それでよけいやられて。

Q:その攻撃が行われている間、山下さんはどんな気持でいたんですか。

そら、なんともんで。そらもう、私とね、同年兵と、ほいでもう1人小銃兵のおっさんがおったわい、3人入っとってぇな。ちょっと大きい、そうやな、畳2枚敷ぐらいなもんやってぇのか。この真ん中のほうも弾を、砲弾の破片ここに受けて、ほいで「おい、下がるぞ」言うて起こしたときには、もう、死んでしもうとるよね。ほしたらおまえ、ここらをこめかみから弾が入っとった、砲弾の破片が。それでもう、しゃあないもう、それの持っとる鉄砲の弾だけを抜いて、ほいで私らはもう持って下へ下がってん、もうそんなもんやで。一緒にくらいついてほんまに狭い所に3人おったかて、んなもん、それはまぁ、横におるもんが死んだんでもが分からへんもの。

戦車はガラガラガラガラいうて出てくる。これもアメリカは戦車がおまえ、いよいよ前進するいうたら煙幕張んねんな。そやないと日本軍に狙い撃ちされたらかなわんから。ほったら煙幕張っといて、暗いやろ。今度、照明弾いうて。あれはなんで打ち上げんのや知らんけど、打ち上げたら、落下傘このぐらいの傘やな。それにヒモがこう3本か4本ついて、ほいで下に電池がついとんのやがな。その電池に青い火がピューッと吹いとんのやねん。それを打ち上げては前進して行くんのやで。それはもう昼でも真っ暗けになんのやもん。ほいで日本軍がおらんとなったらもう、戦車はビャーーっともう、そんなもん20台、30台ぐらいのがもう突進してくんのやもの。そいでブラウエンちゅう飛行場でも、もうその間にもう見てる間に、米軍はもう戦車が皆入ってしまった。

もうそら、とにかく戦車ほど怖いものはないわ。日本の戦車やったらこれぐらいや、厚みが。アメリカは10センチ言うてな、10センチがこの、いちばん分の厚いところは10センチあんのや、鋼鉄の鉄板が、日本の倍からあるのや。

Q:その戦車の攻撃ってどんな攻撃してくるんですか、戦車は。

戦車はあのね、戦車砲と、ほんで中に、米軍はあれおまえ、重機、重機いうたら重機関銃、1分間に何発ぐらい出るのやしらんけど、あれがもう二つ着いとるがな。それで撃ちもって出てくんのやな、時速50キロぐらいで入ってくるで。日本の、おまえ、戦車言うたらよ、さっきも言うとったように、飛行場のヤシの木引っ張る戦車やねん、そんなもん太刀打ちもできへんわな、ほんなもん。

もう、防ぐにもなにも、もう手も足も出ぇへんの。最初はおまえ艦砲射撃で来るやろうがな。それで飛行機。米軍は上陸すんのは。ほして戦車がまず最初に出てくんのや、波切って。そのケツに舟艇で兵隊を乗せたやつあんねん。その戦車がまず海岸上がって、海岸線から300メーターか400メーターぐらい前にバーッと出て、ほいで、戦車がもう、こういうふうにいちばん外部を守って、ほいでそこへ歩兵部隊が上陸すんねん。ほいで歩兵部隊がある程度上陸したら、戦車がまた前に出てくんのやな。ほいで追々追々どんどんどんどん部隊を上陸させて、もうここらっちゅうとこで、今度はもう戦車が追々こう前に出てくるんやもん。それでもう、レイテではアメリカの兵隊の顔もまともに見たことなかった。

Q:そういう対抗する手段もない中でね、一方的に艦砲射撃を受けて、壕の中からまず出るわけですよね。その初めてその壕から出たときに、山下さんの目の前にはどういう光景が広がってたんですか。

もうそんなもんはもう、ヤシの木も何かももう倒れてしもて、だもんおまえ、ヤシの木の下こぐってでも下がらんだら、下がれへんがな、もう焼け野原みたいになっちまうんやもん。

Q:やっぱり亡くなった仲間の遺体も。

ああ。そんでにな、そういう死がいはあとで米軍がどないするいうたら、いつまでも置いといたらクズになるやろ。米軍はブルドーザーにバラス(*バラストの略。重し)やらをなにして、あの、トラックの大きいダッグに、積むときにガバーッと開けるあれに日本の兵隊の死がいを、いっぺんに10人も20人もバーババ放り込んで、ほいで大きな穴を掘っといて、今あの土建屋が持っとるやろ、グワーッと掘ってはこう穴掘るやつ、あれでなにしといて、その今のなんで人間を死んだやつを積んできてガバーッとあけて、それで一つの壕におまえ、40人も50人も詰めて、ほいで土、皆かぶしとんね。

出来事の背景


[5]
チャプター5
飛行場を占領された
06:32
日本はな、飛行場をこしらえるのに1年かかってまだ半分も出来へんのやで。アメリカは1週間で飛行場をこしらえるの。それはなぜ知っとる?アメリカはもうレイテ(上陸作戦を)組むときに、もう飛行場の材料から飛行場建設の機械から何もかんも全部そろえてる。日本が行く言うたらフィリピン、わしあの、真珠湾攻撃と一緒にフィリピン行ったんでも、ただ兵隊と、大砲やら弾やらそんなもんだけ一緒に行っとんにゃろうがな。アメリカはもう、行ったらもう飛行場こしらえると、何もかんも全部。そいたら行くやろ。そしたら、まずチェーンソーいうて材木を切る、あれでヤシの木の株をみんな切っていくのや。ほいで、合い切り言うて細こう切って、そいでブルドーザーで、グワワーっと寄てしまうの。ほいでブルドーザーで地ならしして、あとどないするいうたら鉄板、鉄板をバッバッバッバッと皆敷いてしまうんや。そんなもん、日本はそんな真似できへんわな。

Q:あの、日本軍はじゃあどうやって飛行場を作ったんですか?

え?

Q:日本軍はどうやって飛行場を?

飛行場いうたら、どうしゅう申しゅう申しゅう、この、木で、手でヤシの木を切って、ほで満州事変当座に日本が作っとった戦車を、それをワイヤーでくくって木をひと所へ持って行って。日本は戦車いうたら、飛行場の木引っ張りと、ほいでアメリカの戦争と両方掛け持ちやねん。そいでアメリカの戦車いうたら、これが大砲が1メーター、2メーターぐらいあるわな。日本のはおまえ、戦車やったらこんなもんやな、50センチぐらいな砲やね、こんなもんの。そんなもんは「戦車」いう名だけのもんで、ブルドーザーに毛の生えたよなもんやな。もうそれが戦車や、いうていうたのよ。戦車は厚みのこんなもんや、日本は。アメリカはおまえ、このぐらいあるわな。

Q:そういう機械も何もない中で、現地住民はどういう形で飛行場を建設?

そのときのあれを、なんちゅうのやな、あれは。2人でモッコか何や知らんけど、この、編んだもんに土置いて運んだり、一輪車いうてあるやろ、あんなんに土入れて運ばして、そんなんばっかりや。その代わり人員を余計使おて、何千人を。それで1年かかってまだ半分ぐらい出来ひん。アメリカは機械ばっかりでやるさかい、もう1週間でしてしまうねんな。

Q:やっぱりそういう機械とか足りなかったから、やっぱりそういう現地の人もいっぱい?

そうや、そうや、そうや、そうや。そいで無理やりに引っ張ってきて。そいでおまえ、「逃げたら殺す」っちゅうような調子でやっとんのや。

それで余計住民が反感持って、そんでにそのしわ寄せが全部、兵隊にきてえな。

まともに完成して日本に間に合おうたものは何もあらへん。

Q:しかもその米軍にすぐ取られちゃったんですよね?飛行場を。

あ、そうやで。そうや、そうや。

Q:そういうことに無理やりね、やらされ、みんなで頑張ってこういうのを作ったのに、すぐ取られちゃうような飛行場で、そういうのってちょっと悔しくないですか?

そりゃそうや。ほんまに、そりゃアホみたいなことやで。日本は1年もかかってやっとって、そいでおまえ、ものの、おまえ、1日で、もう米軍に取られてもうとんのやもの。

もうおまえ、その日にもう、連隊長はほしてもうおまえ、わしらの部隊はもう全滅してしもうてんねん。それは海岸線にみんなおったんわ。生きとるやつ言うたかて、ほとんど死んでしもうとる。後へ下がらずに、そこへ戦車がどんどんどんどん出てくる、1年もかかって飛行場やらこしらえておった所は、ああちゅう間に、敵のものになってしまう。「兵隊が死んだんは(死んだが)、大隊長やら連隊長だけ生きとったげな」っちゅうようなもんやったら、それこそまともに出ら(れない)もん、また申し訳たたんやろ。それでもう、上に立つ人は皆、そないして死ぬねんな。

もうそいでね、ないね。連隊長は米軍が上陸したその日に、もう大隊長は死んでもうてね。わしらの大隊長はもう死んでもうたんやな。

出来事の背景


[6]
チャプター6
戦場の恐怖の中で
02:11
もうおまえ、昨日や今日来た若い兵隊どもやったら、もうおまえ、頭へきて呆(ほう)けてしまうヤツがおるで、たまに。

そりゃもう怖いのが通り越してもうて、もう頭へ上がっちまうのやな。もう自動車の音がしたかて、もう、この家の下に入ってまうヤツがおるもの。警備隊やらそういうときにおるときに。ほんでもう戦車が出てくるのに、自分一人だけが丸腰で戦車のほう向いて行きよるねんもん。んなもうおまえ、普通やったらそんなもん、考えられしまへんやろ。

もうあの、やろ、もう怖いのん通り越してしもて、もう分からへんのやろ。弾当たったらもう死んでしまういうことも、ほういうのがたまにおる。

Q:それは自分から突進して行くということですか。

いや、そんなんは米軍に投降して行くのんでもなんでもあらへんで。とにかくもう、怖いのが分からへんのやな、もう頭にきてもうて。

Q:その結果、どういう行動をするんですか。

それか?

Q:そのおかしくなった兵隊って、どういう行動をするんですか。

そういう、米軍のほうへ手ぶらで行きよんなぁ。あとは、後戻りはせん、向こうへ行きよるわ。でも、そんなんはもう、それでもうこっち、あとで帰ってきたりはせぇへんわ、皆死んでもうとる。

Q:それ、自殺するということですか。

いやいや、そんな、結局、怖いのが分からへんいうようになんねんやろ。

Q:麻痺(まひ)しちゃうんですか。

そうやろうな。

出来事の背景証言者プロフィール



[7]
チャプター7
ゲリラとの戦い
08:09
19年の10月の20日に米軍は上陸してってえな。そして、その前に丸1日ひなが(日永)ほどの艦砲射撃と爆撃あったやなん。そしたらそこに16師団の弾薬と、食料と米やな。それをフィリピンの住民を使うて、倉庫に皆、詰めとったんや。そしたらみな住民は、今度はゲリラに報告するやろ。「日本軍はどこそこに弾薬庫と糧まつ倉庫がある」ちゅうて。ほんだらそのゲリラは、無線機持っとんやで。元は皆兵隊やさかい。それで潜水艦やらで、近くまでアメリカ来とるのに報告する。それで米軍は上陸するまでに、弾薬庫と糧まつ倉庫、艦砲射撃と爆撃で、みな吹き飛んでもろうとんや。そんなんやで。

レイテ島でも、それは中隊いうたら3個小隊で1個中隊になんねやけど、レイテ島でも小隊ごとに、「おまえとこの小隊は、ここらへんを警備せえ」と。それで「2小隊はこっちや」と。それで「3小隊はこっちや」というて、小隊の間隔は、十二分に離したりすんのやで。そしたらそこに、その間にゲリラの集団っていうのはあんねやな。アメリカの中佐、中佐の率いるゲリラの集団。300人とか400人ぐらいが集団になっとるの。それで何々少佐のフィリピンの少佐の率いる何が200人とかいて。そこへ日本の大隊やら中隊が各小隊に、そんなもん何百人という多いとこへ「討伐に行け行け」。そない言うのやな。自分らは怖いさかい。敵中おったらかなわんさかい。そんなもん、こっちは40人よりおらへんのに、200、300のとこへ、まあ言うたら攻めて行くのも一緒やろがな。それを「行け行け行け行け」。行こう思ったら、「留守番に半分は置いといて、あと20人で行かなん(行かなければ)」いうことやろ。そんなもん200、300人おるとこへ、20人ほんだら行って、こっちは行ったほうは、皆殺しにあうかも分からへんやろ。

そんなもんこっちから行かんでも、向こうから月に1回ぐらいは、おまえ、ゲリラの襲撃あんねやな。そんなに行かんでも、向こうから来とるっちゅうねんなあ。それ向こうから来たときに、こっちは待っとって、それを何したほうが安全で効果的や、いう。それを中隊長は、「討伐に行け」言うさかい、小隊長は真に受けてからに、20人や25人が100、200人おるとこ行ったかて、もしもそのうちで5、6人もケガしてしもったらどないするっちゅうねんな。そうやろ。それで小隊長となんべんわいはケンカしたか分からへんわ。

Q:ゲリラの武器ってどんな武器なんですか?

ゲリラは、米軍が出てくる時分やったら、日本のナニよりは、武器は向こうのほうが優勢やったで。手りゅう弾まで持っとったさかいな。

Q:他にどんな武器持ってるんですか?

手りゅう弾にな、まあ手りゅう弾やな。まだ大砲は持っとらんなんだ。

Q:どうやって対抗するんですか?日本軍は。

え?

Q:日本軍は、ゲリラにどうやって対抗してた?

それは機関銃とか小銃で、結局は撃ち合いやな。

ゲリラ言うたかて、そう簡単に捕まらへんわ。向こうかて命は惜しいもの。それでな、私がネグロス辺りわな、警備隊に、ちょっとおまえ、物騒なさかいに、200メーターほど離れたとこに、湖みたいなごっついやつを穴掘るんやな。それで、穴の上にヤシの木を3本ほど渡して、ゲリラやら、やごしも捕まれてくるやろ。殺すときには、「この橋を渡ってお前ら逃げ」と。「それでうまいようおまえら逃げたら、おまえらのもうけ」と。それでこっちからはナニ待っとって、それでバーンと撃つんねんな。

今どもやったらないけど、あれが戦争やさかいのうと思って今あれやらないとしょうがなかったやな」ってなもんや。それが当たり前になっとんやさかい。こっちがそうせなんだら、やられるさかいにやり返す。結局そういうの交互みたいなもんや。そな事言うたら。ゲリラでも捕まえてくるやろ。そしたら上からの命令はどないする言うたら、一般の住民に見られんようにやな、処分せえな。その人間、向こうの人間を殺したりするのは。そしたら夜、日の暮れにポンポン船に乗せて行って、そして腰に石付けて、それで海にみなはめんのやな。それも処刑やな。こちらとて命がけやろ。向こうは。そしたら船のかばちをつかむやろ。そしたら、ゴボウ剣が指バーンバーンみんな切ってしまうんや。それはそういう処刑は、ようやったで。それは、ほんなもん、命がけやろうがな、助かろうと思って。指切ったら持てへんやなん。そしたらそのまま沈んで、腰に石当てとるとうし。それは戦争いうのは、まあそんなもんやで。

出来事の背景


[8]
チャプター8
ゲリラの恐怖
03:10
米軍が上陸するまでは住民は皆、山におったやな。米軍が上陸したやろ、ほいで山から皆住民は下りて米軍の方へ皆、海岸へ皆入れ代わってまうねん、今度。米軍が上陸するまでは日本軍に艦砲射撃で爆撃するやろ。それで海岸線やそこらにおったら、日本の兵隊と間違えて爆撃食ろうたりするさかいに、山に隠れとると。ほいたら米軍が上陸するやろ。ほしたらもう米軍のほうへ今度は海岸線へ出んのや。ほいたらもう日本の兵隊は山の中へ入って。まぁ言うたらまぁ、入れ代わるみたいな感じや。

Q:どういうつらさでした? ジャングルの中で。

結局そんな、もうこんな調子で、ゲリラに捕まって、なぶり殺しみたいになって死ぬなら、もう自分で死にたいと、ただそれだけのもんやね。でも、助かるメドがありゃいいもの。

Q:実際そのね、仲間の日本兵がゲリラに見つかって殺されてる場面とかって目にしてたんですか。

そんなもんは、もうほとんどそうやねん。

Q:それは例えばどんな。

そんなんは、後から増援部隊に来た兵隊やらさかいに、土地のフィリピン人の住民が、日本軍にいかに反抗心を持っとるっちゅうことを私らもう分かっておりますやろうがな。後から来たんは、満州辺りからひょいと来て、上陸して、上陸し、爆撃食ろうて、それでそのままでフラフラしとるのも一緒やな。なもん分からへんがねん、フィリピンの事情っちゅもんは。私はもうその時分はもう丸4年おるさかいな。

Q:実際にゲリラに殺されるってどういう状況で殺されているんですか、日本兵たち。

それはもう大概、足を折られとったな。

Q:なぜ足を折るんですか。

足っておまえ、金槌かなんに至るも、足もむくず(向こうずね)の、ここの骨を折んのやな、片っぽだけ。そうすると全体歩けんやろうが、ケンケンしても歩けへんやろ。これ切って飛ばしてしもうたら、このこのみ、ここから上、おまえ引きずって歩かんならんもん。そらイヌやネコのちゅうひやったらそやけど、人間そんなことはできへんやろ。そんでもう、それでもう行き倒れになんねん。

出来事の背景証言者プロフィール



[9]
チャプター9
自決をはやる曹長
02:54
ああ、私らは曹長はおったんや。それは初年兵をいちばん若いのを連れてきた曹長やな。そんでほんまの、星の数は多いけど戦争はまだしたことない初めての者やねん。そんでにもうおまえ、「自決じゃ自決じゃ」言うて曹長はもうおまえ、もう早よから言うとんのやもの、口ぐせみたいに。

Q:なんで「自決」って言ってたんですか。

そりゃおまえ、捕虜になったらあかんさかいにもう、「自決自決」言うて。ほしたらやな、私らはでも、それはもう最後は死ぬつもりでおってんねん、最後は、とことんあかんようになったら。けど、まだ米軍が上陸して、まだそんなもん、1週間や10日までで慌てて自決までするとこはないと。そんでこの、「こんな曹長と一緒におったら命なんぼあっても足らんぞ」と。

曹長にそな言うて「慌てて死ぬ必要はあらへん。死ぬのは何時でも死ねる」と。そんで、「お前来い、お前来い」言うて引っ張ってぇな。ほたら、私たちまだあと2、3人一緒について歩くと思うてんな。けど、曹長はまだおるやろ。それまた曹長のほうに帰ったやつはおまえ、まぁ運がなかったっちゅうこっちゃな。私らに最後までついて歩いておったら帰れとるかも分からへんのやない。それを途中でまた引き返しとんのやがな。

そこは運命の分かれ道やねん。引っ返さんと私について来とったんは2人とも帰ったちに。
ほいで、曹長の方がなんやさかいと思って曹長に顔立てて下がった者は、曹長の命令で自決しとんのやな。ほいでさっきわし言うとったんやけど、それからそのときもう、12月は過ぎる、1月、2月のかかりごろやったと思うが、もうそこまでもう、わしらも行って、もうこれはメドが立たんと。もうレイテの島には日本軍は恐らくもう、生きとるやつはもう見んようになってもうたわいな。

出来事の背景


[10]
チャプター10
「生きよう」と決意した
04:43
「もうこれはあかんぞ」と私が先に、「来い」ちゅうて引っ張ったもんやさかい、私も責任があるさかい、もう責任があるさかいに、「お前も死ね」というわけにいかんさかいに、私は「もう死ぬ」と、「自決する」ちゅうて、もう、靴脱いで、足の親指で引き金に足掛けて、ほいで銃口をここへつけて、引き金引いたらいっぺんやな。「あ」も「う」もあらへん。それでもう、それでもう死ぬつもりでおってんな。ほたらもう「あ」も「う」ももうひと思いやさけ、死ぬのは。ほしたらそのナニ言うとったタネダっちゅうのんが、「わしは9人兄弟の長男やさかい死なんといてくれ」っちゅうねんな。

「死なんといてくれ」ちゅうて、もう、私の銃にしがみつくねん、なあ。ほいで、「わしは長男で親父さんはおらへんのや」と。「おかん1人が頑張っとんのや」と。ほいで長男がわしより1つ歳が上やった、私は2年早よう行っとっさかい。それで私の下やさかい、1つわしより上やねん。けど、兵隊はわしが1年古いやろ。そんでに、そないいうて言うし、「あ、そうか」と、そんならもう分かった、そのときにもう腹くくっていな。

「銃を、ほんなら、もう放ろう(捨てよう)」と。銃持っとったらもうアメリカでも撃ってくるさかいな。それ、まず銃を放らなあかん、持っとったら。その銃を放って、ほいでもう絶対に住民に分からんように行動して。ほしたら、よかったやな。米軍は海岸線におるがな、海岸線に。もう危ないところはフィリピンのゲリラやとか、住民に鉄砲持たしてやるさかいに、尻のほうにアメリカ人がおったらええのやな。ほいで、「あ、弾ない」言うてフィリピン人が来たら、またその弾を渡しとったら。ほたら、ちょうどそのアメリカのね、砲兵の陣地行ったやな、着いたやな。

そこのその陣地に行ったさかいに、ゲリラやら住民に見つかるまでに、先、米軍に出くわしてぇな、それで助かってぇな。

Q:その米軍に、無事米軍に投降することができたとき、どんな気持でしたか。

もう、「あー、こらもう助かった」と思うた。米軍に行ったら、米軍はゲリラやらそこら住民のもんに、日本の兵隊は皆ゲリラを殺すさかいに。そらまぁ、ゲリラに背中でも銃当てられたり。そいでおまえ、「もしも」、米軍が、「(ゲリラが)日本の兵隊をナニしたら」っちゅうので、米軍は3人の間に2人入ったわな。ほしたら前からも尻からも撃てへんやろ、日本の兵隊は。アメリカの兵隊がかんどったらや。そないして、そこまでアメリカは気い使うわな。そしたらアメリカの陣地に行ってしたら、もう即、ほたら、自動車で今度は後方へ運ぶはな。前線に置いといたら、ゲリラがものすごく憎んでおったから、日本の兵隊を。そんでに、住民に見つからんとアメリカ兵に見つかったさかい、私は、よかったいな。そやなかったら、とてもやないが、3人とも帰って来られない。そんでそのタネダのお陰で私も、そんでそのときにもう腹くくったんや。

出来事の背景証言者プロフィール



[11]
チャプター11
捕虜収容所
05:05
まず、「最初に本当の名前を言うたらあかんぞ」と。タネダという男に、「お前はアオキにせい」と。カツヤマには、ヒトミやったな、「おまえはヒトミっていう名前で」、ワシは山下やけど、「ワシはタナカにするさかい」言うて。もう私がみんな指示して、「偽名を使え」っちゅうて。それで「住所も偽名を使え」と。「部隊も偽名を使え」と。「何もかも偽名でごまかせ」と。もうそこまでの腹を、もう段どりをみんな私がナニして、そのようにみんなしていましたんやな。

Q:それで尋問をしたのは、誰だったんですか。

それはね、アメリカへ日本の移民団が行っておるやろ。それの二世やった。日本人は、それで日本語がみんなベラベラやな。それで、その二世は「アメリカの軍隊に志願をしたら、市民権をもらえる」と。それまでには、アメリカの日本系のナニは、みんなアメリカで収容所に入れられておったらしいわな。それでみな日本の二世は、米軍に志願して、米軍のナニに入ったんやな。それで通訳として、日本のナニは。その通訳がまた親切や。同じ日本やろ。「今アメリカにおって、そんなにしとるさかに、アメリカの国籍がもらえるさかいに、アメリカ人になっとく」言う。ほいたらそれの、通訳がそないに言うねん。「私の兄は、戦争の始まる前に日本は帰っている」と。「それで日本で徴兵検査を受けた」と。ほいたら「今、ビルマにおる」っちゅうて。「その兄貴と私と」、まあ言うたら、「戦争をしとんのや」ちゅうて、その通訳が言うたな。

収容所に入っておるやろ。ほしたら台湾のナニ(台湾出身の日本軍兵士)もおる、韓国(出身の日本軍兵士)もおると。ほしたらもう韓国の兵隊やなんやしらん、収容所が、「日本が負けた」っちゅうので、喜んでナニしたわいな。それも棟は一緒やな、鉄条網で分かれて。それで日本のナニ(将兵)もおると。台湾もおる、韓国がおる、日本もおると。韓国のナニが、まあ喜んで、どんちゃん騒ぎをしとる。ほしたら海軍のナニやったな、ひっ捕まえて、あれはどないしたや知らんけど、あんな時分はごたごたやったなあ。

Q:戦争が終わって、日本に帰りたいと思いました?

帰りたいとも思わへんし、そんなもん帰ってくんのでも、たいていやない(並々の事でない)のやで。今、お前みんな一緒の者が船に乗りかける。ほいたらフィリピン人の人間が、「ああ、あれや」言うて指を指されたら、もう帰れへんのやで。それで私らは、ネグロス島におって、それでレイテへ行って、レイテのナニはあんまり、民間人はぜんぜん知らんのやな。そんでに、顔やらは覚えられとらへんけど、レイテのなんで。レイテにようけい長い間おったもんは、顔を知られとるやろ。それで「山下」やったら、もう「ヤ」の付くもんはみんなあかへんのや、「山」の付くもんは。一応、だから、山下やったら、山の山田、山下、そういう山の付いている名前のもんは、みんな残らされた。ほいでおまえ、フィリピンの住民がおるやろ。そこの首実検(本人であることの確認)やな。ほいたら、「あれや」とやられたら、「おい、ちょっと待て」っちゅうねん。それで銃殺で死んどるやつもおんのやで。

出来事の背景証言者プロフィール



[12]
チャプター12
情けなかった戦争
02:56
それは結局、もうあれは国力の差やなあ。日本には油があらへん言うのに、レイテ島、あれは1日にいっぺんか、2日にいっぺんやったやろうか、重油を道路にまいて行くんやで。日本の軍艦は油がなかったさかいに、片道だけ油を詰めて行ったっちゅうのやろ。それをおまえ、道路に重油をまいていくんやもん。水やったらじきに、1日に3回ぐらいまかんならんやろ。重油やったら、1日に1回まいといたら、油やさかいに蒸発せえへんやろ。それでに、埃が立たへんのや。それを道路、何ぼレイテ島は小さい言うたかて、それは日本の淡路島の3倍も4倍もあるさかいにね。そんなこと、島全体に油をまいて歩くんやもの。そんなの考えられへんでや。

それはもうね、輸送船の船員が、「フィリピン行きのナニはかなわん」いうて、言うとったん。実績、内地から出たら目的地へ4隻。あとの6隻は、沈められとってもしゃあない。そんでに船もなんにもない。なんにものうなってまてもん、日本は。それはあんな殺生な戦争は、あんな戦争やったらもうしたらあかんわ。そういう経験をしてきとったから、かえってそんな話でも、息子やら代表の部落の若いもんに、情けのうて話もできへんしまやろがな。

Q:情けないってどういう事ですか?

格好悪て。命かけて戦争に行っとって、ろくに食うもんも何ものうて、(そん)なもん今の若いもんに言わしたら、「そんなもんろくに食うものも食わしてもらわんと、命かけてやりなっとって、そんなもん、まともに死んでくやつはアホや」いうぐらい言われるがな、ほんまに。今の若いもんやつは、そうやって笑うわな。そんでなもん情けのうて、言うだけ情けのう、こっちは恥かくようなもんやさかい、しゃべらへんねんな。

出来事の背景証言者プロフィール