『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

ふつうのくつや ニューギニア、第239連隊01 略あり


1914年埼玉県に生まれる
1935年現役兵として近衛第3連隊に入隊 独立工兵第1連隊に転じ、中国大陸での作戦に従事
1941年新たに編成された船舶工兵第9連隊に転じる 仏印進駐後、シンガポール、ジャワなどを転戦
1943年ニューギニア上陸
1944年アイタペ作戦当時、軍曹
1945年終戦 当時、陸軍曹
1946年神奈川・浦賀にて復員 復員後は、食料品販売業を経て、不動産業に従事

[1] 昭和10年、戦地へ 03:21
大東亜戦争のときは揚子江を下っているときね。「いよいよ、日本とアメリカと戦うことになった」っていうニュースを聞いて。
揚子江を下っているときね、やれやれ、これでもう手を上げそうになったんで、「まぁ久しぶりで10年近く、いや、3、4年近く、戦争やったんで、これで帰れるな」と思って。だいたい2年くらいいると、帰れたんですが、したら、揚子江の中途まで来たらね、「いよいよ日米戦争が始まった。」って。「これから上海襲撃。」って。部隊を編成して。古い兵隊はそこで何名か帰れることに、上海着いて。ところがうちの方は、独立工兵っていう工兵だけど、今度は、船舶工兵9連隊に変わる。そして、今度は、いよいよ敵前揚陸作戦専門のあれだ。それで、台湾を渡って敵前上陸の演習をしたり、パラオ行って演習したり、ラバウル行って。ラバウル行ったらもう日本の艦隊がね、帰ってきたりなんかして。たいしたもん。帰ってきて、市内行ったら、今度は、パプア、じゃなかった、「シンガポール作戦に行くんだ」って。で、シンガポールの橋を落とされて。シンガポールはイギリス軍隊がいて、こっちはマレーの方で日本の軍隊がいて、その橋を落とされちゃって。その橋を落とされたのを、こっちはふんどし1つでね、「工兵、前へ橋かけ」。弾がこう両方から「ピューピューピューピュー」飛んでくるとこでね、ふんどし1つでもって、うちの隊でもって、橋をかけてね、船が水の中で浮くような船があるんですよ。工兵には。その船をずーっと並べて、そこへ板を敷いてね、それで、通してやったら背のう担いで、鉄砲持ったの(兵士)がボタボタボタボタボタボタボタ、もう、シンガポールの島、目がけて行くでしょ。それをこう担いで、それがね、痛くてしょうがない。いい加減よそへやってんでね、で、行ってね。「やれやれ、シンガポールもやっつけちゃったなぁ」あのとき、イギリスの飛行機を2機か3機、シンガポールのそばで落としたのを見たの。「日本は強えなぁ」と思ってね。じゃあ、こっちのマレーから、今度は橋もかかったから、いよいよシンガポールでもって、まぁ2、3日ゆっくりしようと思ったらね、帰れば、「これからね、ジャワインドネシアを今度はやっつけに行くんだ」ってわけでね。あそこはオランダの領地。それで、休みもしないで行って。
「引き続き行くよ」ってんで、とうとう10年近く置かれちゃたんですかね。帰る合図がなくってね。
[2] ニューギニア 03:06
船舶攻撃でもって、もう敵前上陸だから、相手が上陸しちゃったでしょ?だから上陸どころじゃなくて、こっちが上陸されてるからね。しょうがないから、武器とか弾薬をね、陸上をこうやっていくと、みんなやられちゃうから。といって、ジャングルやなんかちょうどね、今言ったとおり、サラワケットっていう山脈があるんですよ。そこずっと行くっていうと、もう何日もかかると。行けないでね。で、船舶工兵が闇に夜になるって、3台か4艇でもって、乗せてね、糧まつと弾薬。で、ラエそれから最後はサラモアっていうとこのね、そこまで持ってってね。だから、こっちもずっと回って歩いたんです。もうだから4艘か5艘でね。夜の、昼間はもう見つかって爆撃されるから、夜になってそっと行くとね、向こうの魚雷艇っていうのがいてね。それがもう待ち受けていてね。そこで「バリバリバリバリ」やられて。それを追い払うか、こっちが、やれるかやられるか、どっちかで。で、最後の「サラモアの戦い」っていうポートモレスビー山脈のそば、高い山のとこにサラモアっていうところがあるの。そこまで糧まつを運んだから。もうそのときは、爆撃や、なんかくってね、船がふっ飛んじゃったこともあります。
まずね、魚雷艇っていうのは、魚雷でもって船をやっつけるやつだから、もう「バリバリバリバリバリバリ」こっちで一発すると百発くれるんだよ。そういうのと戦ってね。それでしょうがないから、陸に近い所に船をつけてね。穴開けられちゃって、ブクブクになって、そのまま食い物だけは持って。それでずーと陸地を行って、自分の隊の方へ帰ったのは何回もありますね。
アメリカの飛行機がね、海、スレスレに飛んできてね、なんと爆弾を「ドンガン、ドンガン」でもって、船は吹っ飛ぶしね。防空壕が、海軍のさっき言った、あれが作った、防空壕に入ったけどね、「防空壕もヤバいな。」と思ってね、ジャングルの奥の方へ逃げた。そして終わってね、爆撃が終わって帰ったら、きれいな、防空壕(ごう)から、何からね、平らな、もう、畑のようになった。ジャングルでも何でも。爆撃をね。まずは、あいつらは本当に物資はうんとあるね。だから、「これじゃあ、とっても戦争はね、やったってかないやしないよ」。1つブン殴るっていうと20くらいおつりが来る、アメリカだからね。
[3] 飛行場と道路づくり 02:11
ニューギニアに来て、「どうしてニューギニアに行ったか」っていうと、「あそこでもって、アメリカの軍隊を、あそこでやつけて止めちゃって、日本の国を守る」という作戦が間違ってたね。昔、あの大本営っていってね、天皇陛下を中心にして各大臣が集まって、特に陸軍大臣が主になって。あのときはほら絞首刑になった巣鴨で、ある大臣がね。その連中がね、こう机上作戦といって机の上だけで、「この地区は何万の兵隊やろ、この地区は何万の兵隊。で、これでやっつけて殺せ」って。本当の机の上だけので、実地行ったことのもないところをね、なにして・・・戦っているような気持ちでやってたからね。だから、アメリカがどんな軍備があるのか、どんな力があるのかそんなことはお構いなしで、まあそら無理もないと思うんだ。勝った勢いっていうのはね、ケンカやってても勝った勢いだったら、相手を泣かしても何でもすると同じ様だとは思うんだけど。
マルジップ、ここに上陸したんだ、これからずーっと行って、この辺が飛行場があるところだ。こういう風に全て歩いてきましたよ。
Q:歩いて。船舶工兵でも歩いてなんですね。
船はみんな魚雷かなんで沈められちゃったから。だから、名前は船舶工兵でだけど歩兵と同じですよ。
(略)