『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部[ハンバンパク!!!]

名は体をあらわす。伝説の歴史家・梶村秀樹先生(1935年~1989年)の著作集の完全復刊をめざす会です。ほかにも臨時でいろいろ。

239連隊 その04 略あり

1917年東京市武蔵村山(現・東京都武蔵村山市)に生まれる
1936年現役兵として大阪八尾航空隊に入隊
1943年第4航空軍第59飛行戦隊に転じ、ニューギニア・ウエワクに上陸
1944年アイタペ作戦当時、准尉
1945年終戦 当時、陸軍航技准尉
1946年神奈川・浦賀にて復員
 復員後は、一級建築士として不動産業に従事

[1] ニューギニアに着陸 04:19
まずね、ニューギニアに赴任したのはですね、私は八尾の航空隊におりましてね、大阪のね。18年の暮れですな、それで「ニューギニアに直行せよ」という命令もらいましてね。それでね、爆撃機でね、直接ニューギニアのウエワクまで送ってもらったの。ただし、マニラにちょっと一応止まってね、マニラで中継してニューギニアまで送ってもらったんですよ。そいでね、向こうの部隊に配属になったんだ。それからがいろいろ負け戦にね、ずーと、やったわけですよ。

Q:ニューギニアに行ったころは、戦況はどんな感じだったんですか。

ニューギニアに行った当時は、まだ、そうね、僕がニューギニアに、ニューギニアのウエワクに着いて、それで、九七式重爆撃機爆撃機でね、着陸してね、着陸したときに、アメリカのね、ソードっていう双発の戦闘機がいるんですよ。それに後ろから攻撃されて、飛行場に赴任したときに、着陸した後やられたから、「逃げろ」って降りてね、ジャングルの中に飛び込んだの。それで、あとからやったその飛行機、やられちゃった。その代わり僕ら乗ってた人はね、僕とね、もう1人整備のやつとね、重爆に4人いたな、5人くらい乗っとたの。それだけど、着陸して降りた瞬間でしたからね、そこの飛行場のとこにいたら、「バーッ」とやられたのをね、その、ジャングルの中に飛び込んで逃げたからね、それでね、皆、助かったの。それで自分たちが乗ってた日本軍の飛行機は、やられちゃったよ。その飛行機をやるために、向こうはソードが「ダーッ」てやってきたんですから。

Q:その後、航空部隊としては、こう。

そりゃもう解散だよ。航空部隊なんかもうしょうがないじゃないですか、解散命令、第4航空軍解散だ。飛行機が無いんだもん。しょうがないんだ。第4航空軍も解散になって安達さん(第18軍司令官)の指揮下に入れって、安達二十三ってのは軍司令官だから、歩兵も何も全部の司令官だから、「安達軍司令官の指揮下に入れ。航空部隊、解散。」こういうことが命令だもん。飛行機がないんだから、歩兵の中に入って拳銃持ったり、手りゅう弾持って、歩兵の指揮下で肉弾戦やらせられたんだから、しょうがないね。飛行機なかったらどうにもしようがないね。


[2] 連合軍の上陸 05:47
それからというものの、僕は飛行機乗るわけでもなかったしね、それから、ウエワク入ってから、今度は、敵がどんどんやってきてブーツまで逃げて、それから、ブーツに来て、いろいろ邀撃(ようげき)作戦をやっとったね。

Q:いちばん西はどちらまで行かれたんですか?

いちばん西は…ブーツ、サルミ。ブーツ、ウエワク、ブーツ、サルミね。そこまでですね、行ったのは。

Q:サルミには敵も上陸してますかね。

それは、敵は上陸しましたよ。日本軍がいると思って、敵が上陸してきましたよ。サルミにいるときにね。だから僕らもサルミまでは行ったんだ。そのときにね、敵が上陸してきました。そのときは山の中に逃げましたよ。そりゃ山っていったってね、ジャングルですから道路ないでしょ。道路ないところの山の中に逃げてね、それで艦砲射撃っていってね、大発部隊呼んでね、機関銃で「バーッ」と撃ってくるんですよ。だからね、最初ね、山ん中に逃げたほうが危ないからってね、海の波打ち際のところでやってたのがね、命が助かったことあるの。撃つでしょ。ジャングルに行くとね、ジャングル入るとね、500mくらいグッと入らなきゃ駄目なの。入ったくらいだとかえってね、500mくらい入ればね、敵の弾だって、機関銃だからね。銃、大砲じゃないから機関銃だから、あれですよ、500mも入ればいいんだけどね。500m入らないとまずいからね、それならむしろね、波打ち際で、じっとしてたほうがね、しゃがんでたほうがね、命助かったの。そういうことがあんだよ。だから、ジャングルに入るんだったらね、それはもう100mじゃなくて、500m「ダーッ」と奥まで入らないと命が助からなかったわけね。そう、敵のやつなんて、我々友軍のところに、「ジューッ」て、敵が上陸してくるための、射撃ですからね。射撃をしながら、大発みたいな向こうの船でね、射撃をしながら陸に、今度は、普通の向こうでいえば陸軍だ。陸軍が上陸してくるんだから。

だから、そのころ僕らあれですよ、最初は波打ち際にいたけど、これも危ないっていうんでね、上がってくればやられちゃうでしょ。だから最初は波打ち際だったけど、これはまずいって言うんで、とにかくジャングルを500m以上がーっとね、やったほうがいいって言うわけでね、部隊長以下全部ね、ジャングルの奥に逃げ込んだんだ。敵が船だからね、ばーっと撃つんだから、そんな奥まで弾は入んないんだ。そんな事で助かったこともあります。

Q:被害者もたくさん出たんですか?

被害者は、敵が上陸したときには、あまり出ませんでした。うまくその指令でもってね、「波打ち際から500mぐらいジャングルに入れ!」そういう命令が出てバラバラに逃げて入ったんだから。だからほとんど、あのころは死んだ人いなかったと思ったな。

Q:その後、ブーツの方に戻ったんですか。

そうそう。それから、ブーツの方まで戻りましたね。ブーツは出たり入ったりしてましたよ。ウエワクからブーツ行ってね、ブーツからサルミのほうまでに来てから、またブーツに戻ったりね。なんかしましたね。

Q:その後は、だんだん、どうなっていったんですか?

その後というのは…ブーツでやって…そうやって、それからね、敵がどんどん攻めてきましてね、ジャングルに入りましたよ。入ってからずーっとどんどん奥に逃げて行きました。


[3] 航空部隊が輸送部隊に 03:06
戦争やるときに友軍がね。航空隊だけどもね、航空隊は戦争ができないからね、歩兵隊が前進して、あれですよ、向こうで戦闘しているでしょ、前進して戦闘しているものに対してね、糧まつ、それから弾薬を運ぶのを、「航空部隊は、そういう担送隊を結成してね、運べ」というのがね、副司令官の命令がきてね、航空部隊はね、担送隊っての編成してね、糧まつ、最前線に行ってるのは、食い物がないでしょ。弾はうんと持って行くわけに行かないでしょ、撃ってすらないから。 

弾とね、それから糧まつを運んで、運ぶのが1人で運ぶわけにいかないから、途中でね、皆、体力がないから、途中で交代するようにね、こう人が代わってね、やって向こうに。担送隊って。航空隊が担送隊っての編成して、物と糧まつ。

Q:糧まつを担送するときに、リレー式でいろんな部隊が運んで行くんですね?大変ですよね。

そうそう。大変だよ。部隊ごとにね、根拠地おいて、「ここが、だれだれ部隊、なになに部隊」って行って、先に行って待ってるんですよ。歩いて行ってね、次から次へとね。それでもって、こっちの人が、こう持っていくと、こうやって渡すと、この人はこうやって。1人でね、最前線、本当の戦線まで、最前線まで担いで持っていくわけにいかないから。ここでって、もう中継するようにね。部隊は歩って、こう行って、こう行ってね。それで本当の、いちばん最前線で鉄砲撃ったりしてるとこに、もって行くにはね、3か所ぐらいでね、中継するんだよ。

最前線のやつは、三分の一は死んじゃったね。「帰ってこい」。いちばん先に行って戦闘してる、弾を撃ち合いしてるとこに糧まつ、弾薬運んだでしょ。それで、それがもう駄目になっちゃって、もう担送隊もやめると。それから「もう全部、退却しろ」って言わないな、転進だな。「転進」って。逃げるってことは絶対、名前使わないから。転進作戦だ。「転進しろ」って。転進するなら、帰ってくるって。そのときには、あれでしょ、向こうで帰ってこられない人が結構いたの。もう、足が悪かったりなんかしてね。


(略)